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2009年07月04日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ちょっと遅くなりましたが、2日に見に行ってきたので軽く感想を。
これから見る予定の人はネタばれ含むのでご容赦ください。
以下大丈夫という方だけどうぞ。


























さて、序からもう2年くらいになるのでしょうか。
序は受験期で劇場では見られなかったので、破こそは劇場で観るぞ、と個人的には楽しみにしていました。
制作が当時予定されていたよりかなり遅れていたので少し不安もありましたし、逆にその分もっと良い出来になるのだろうという確信も自分の中ではあったのですが、実際に見た今、やはりその確信は間違いではなかったと言い切ることができます。


破とは一体何なのか?
何を考えて庵野監督は今、エヴァンゲリオンをREBUILDしようと考えたのか。

それを自分なりに解釈しながら、以下では話を進めたいと思います。




主人公が友人を殺さねばならない事態に追い込まれたり、ヒロインの一人の人格が破壊されたり、作品世界に引き込まれすぎると鬱になってしまうようなアニメです。
制作している庵野監督自身でさえ(いや、「だからこそ」)エヴァンゲリオンに囚われ、鬱になっていた、というのは有名な話です。
途中、制作をやめようと思ったこともあったそうですし、そのために映画の発表が遅れたりもしていた、とも聞いています。
最終的には「新世紀エヴァンゲリオン」は特に話を収束させないまま、終わりを迎えます。

何故話が収束しなかったのか。

もちろんストーリーが大きくなりすぎた、というのもありますし、伏線をばらまきすぎて結局が何が何だか分からなくなってしまったという感もあります。
でもこれは一言でまとめてしまうと、庵野監督がその当時自分というものを測りかね、捉え切ることができなかったからなのではないかと思います。
庵野監督自身の中にある「狂気」を庵野監督は制御できず、むしろその「狂気」に飲み込まれてしまっていたのではないか。
そう私は考えるのです。

このエヴァンゲリオン制作の後、庵野監督はオリジナル作品から手を引きます。
「彼氏彼女の事情」「Re:キューティーハニー」など、原作がある作品を扱うようになるのです。

それまで「トップをねらえ!」や「ふしぎの海のナディア」など、オリジナル作品を主に作り続けていた庵野秀明が原作付き。
なんとも不思議な気分です。
同時にもったいないという気持ちも込み上げます。
この頃、別にオリジナルの話がなかったか、というと、必ずしもそうではないと思えるからです。
エヴァ以降も庵野監督が所属していたGAINAXでは「フリクリ」や「トップをねらえ!2」などのオリジナル作品が制作されています。

でも庵野監督は鶴巻監督に「トップ2」を任せた。それこそ本当に丸投げで。
監修と庵野監督はクレジットされてはいますが、実のところ参加したのは4話になってから。
それまでは制作に全く触れてもいませんでした。

それは一体何故なのでしょうか。
どうして庵野監督はオリジナル作品を出すのをやめてしまったのでしょうか。

それに対して私が考えている答えは、「まだエヴァンゲリオンを自分の中で消化できていない」からです。

原作付きをやることで庵野監督は客観的にストーリーを見る力、何を一番伝えたくて、それをうまく伝えるためにはどの表現方法が一番適切なのか、それを見極める力をさらに磨いていたのではないでしょうか。
そして自身の過去の作品「トップ」の続編が新たに全く違う方法で別の人の手によって作られたことで、自身の作品をも客観的にすることが監督自身の中でできるようになったのではないでしょうか。

だから、庵野監督は今エヴァンゲリオンをヱヴァンゲリオンとしてREBUILDし、当時から自分の中に渦巻いている「狂気」に別れを告げ、更なる高みへ昇華しようとしているのではないか、と私は考えるのです。

実際、今回の新劇場版はあくまでエンターテイメントとして作られています。以前より内容もキャラクターもかなり前向きです。
これには庵野監督の余裕が感じられます。
とにかく自分の中にあるものをすべて突っ込む、という形ではなく、自分の中にあるエッセンスを圧縮し、必要なものだけ詰め込む、という形で制作に挑んでいるように思われるのです。
それだけ庵野監督の精神状態が安定している、というのもあるのでしょう。


作中で、綾並レイは特攻する際、次のような台詞を言います。

「私が死んでも代わりはいるもの」

前作ではその後、綾並レイは死に、3人目の綾並レイが登場する。
しかし、新劇場版では異なっています。
シンジがそれは違うんだ、と明確に宣言するのです。
綾並の代わりはいないのだ、だから「逃げちゃダメだ」と。


これは大きな変化だ、と思いました。
もういっぱいいっぱいで、逃げ出せるなら逃げ出したかった前作。
代わりはいくらでもいるんだ、というネガティブな姿勢。
それを庵野監督が否定し、新たに新劇場版を作って逃げずに前へ進もうとしている。
そんな感じが私の中でしました。
そして、それこそが新劇場版の意義であると。


実際の真意はもちろん分かりません。
けれどもそう感じた、感じさせられた、ということはそれだけ庵野監督は本気なのだろう、と思うのです。
本気で作った作品でないと人はなかなか感じられないものです。
逆に本気で作った作品でも感じられないことも多々あるのですから、それを考えるとやはりすごいな、と思います。
こう感じられただけでも映画館までわざわざ足を運んだ甲斐がありました。
次回作も楽しみです。









あ、付け足し。
ラストはセーラームーンやウテナを彷彿とさせた。
榎戸洋二が脚本協力に入っているからかもしれない。
あと日常パートは非常にサトジュンっぽかった。
確かめる術は現在ないのだが、まず間違いないだろうと思う。
そもそもTV版でも日常トリオの一人だったわけで、日常シーンを多く担当していたわけだし。





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最終更新日  2009年07月04日 21時45分22秒
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