母は わたしが小学校高学年くらいの頃
サンロクでスナックを営んでおりました
父も居酒屋で働いていたので
夜はだいたいひとりでした
3つ上の兄はどこをほっつき歩いていたんだか
ご飯をたべる以外は
ほとんど家にはいませんでしたが
父が家に帰る頃までには 部屋に戻っていました
誰に逆らっても 父には逆らうことはありませんでした
たまに布団の下に抱き枕やクッションを敷き詰め
まるで人が寝てるかのように見せかけ
帰ってこない日もありました 当然バレバレでしたが(笑)
兄はオキシドールで髪の毛の色を抜き
おでこの両サイドには鋭角なそりを入れ
ボンタンだ~タンランだ~裏ボタンがどうだとかこうだとか
〇〇中(他校)の誰々が生意気だとかなんだとか
いつもそんなことばかりで
わたしとはまるで別の世界に住んでいるようでした
この頃の兄妹ゲンカは ケンカではありませんでしたね
わたしが何を言っても まるでかまっちゃいない・・・そんな感じでした
そのくせ 兄が困ったときは わたしを当てにして来ました
「なぁ!お前今いくら持ってんのよ」 とか
「もしマッポ来たらよ、オレらいないって言っといて!」とか
「お前たのむから、絶対親父には言うなよ!!」とか
わたしに話しかけてくるときは そんなんばっかり(笑)
お金は絶対返すから!と言ったから貸したのに
一円たりとも返ってきませんでしたね
警察が来て「お兄ちゃんいる?」と聞かれて
「今いません」と言うと
「妹さんだよね?玄関開けてくれる?」
玄関を開けると
「こんなに靴があるのに 誰もいないの?
おかしいね~中はいるよ~」と全て見透かしたように
家の中に入ってきたこともあります
兄たちは自分の部屋の窓から逃亡していました
”リョウ”と言う名前は
悪い評判と共に一気に広まっていきました
あることないこと噂をされるようになり
客商売をしていた父や母は辛かっただろうなー・・・
とにかく あの頃の兄は悪かった
そのうち気がつくと 夜に両親がいないという好条件のせいで
我が家は いわゆるヤンキーのお兄さんお姉さんの
たまり場になっていました 常に6、7人はいましたね
悪そ~な面子が(笑)
そんなもんだから
夜はまったくもって わたしの居場所はありませんでした
トイレに行こうと部屋の戸を開けると
「うぇ~い!リョウくんの妹うぇ~い」などと言う
わけの分からないテンションでこちらを見てくるのが嫌で
できることなら トイレにも行かず 自分の部屋だけでやり過ごしたいと
ウォークマンで当時好きだったプリプリの音楽を
大ボリュームで聞きながら 部屋にこもる日々が続きました
ある時は
どうやら いつも兄がかわいがっていた後輩の翔太さんが
兄の財布からお金を抜いたらしく
頼りないふすまを一枚隔てただけの わたしの隣の部屋では
ドラマさながらの乱闘シーンが始まったこともありました
ふすまの隙間から何事かと ずっと見ていました
衝撃的でした
殴られたときの生々しい音
殴られるたびに 「うぅ・・・」 と言ううめき声と
「リョウさ・・す・・すいませんでした・・・」
痛みをこらえながら何とか土下座をする翔太さん
「あのなぁ!お前だけは信じてたよ!!なんでだよ!」
と泣き叫ぶ兄
・・・って、熱いな~
こう言う人たちって 情が深いですよね
「こいつ、オレのマブ(マブダチ)だから!」とかよく言ってましたね
なんか当時はなんとも思わなかったけど
出てくるキーワードがもう死語ですよね(笑)
でも ヤンキーの方々は意外と礼儀正しくて
「あ、どーも」とか
「うーっす」とか
母にも私にもあいさつはしてくれました
もしかしたら悪い人たちじゃないのかもしれない
でも 近寄れない・・・そんな感じでしたね
ブログ更新しました。 2012.02.02
父のゆめ 家族の思い 3 2012.01.30
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