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母が亡くなってから、もう1年半が過ぎました。日常生活は、勿論、元気に普通に過ごしていますが、まだまだ、「あのとき、どうしてきちんと対応できなかったのか?」といった、後悔の思いは、時間が経過しても消えるものではありません。今は、父孝行をすることを一つの「使命」と感じて、怠惰になりそうな私自身を奮い立たせている感じのときもあります。グリーフケアや魂に関して、目についた本は読むようにしてきましたが、今回読んだのは、アメリカのお医者さんが、他のお医者さんが診断困難な患者に対処した経験を、事例としてまとめたもの。インタビューや自身が患者となった例を、主に「誤診」がどうして起こったかという観点で、お医者さんが診断を確定する意識・認知のプロセスを分析しています。まず前提として、お医者さんも人間ですから、経験やストレス、性格などから、判断ミスを犯すのは当たり前だということ。それをどうやって起こらないようにするか?常に「何か見逃してる事象はないか?」といった、慎重かつ謙虚な姿勢を保てるお医者さんが、「よい(信頼できる)医師」として紹介されています。先輩医師や指導医師がつけた診断は、おのずと「決定的」なものとして、皆にの認識に刷り込まれてしまいがちだとか、最高の病院の医師たちがそろって誤診した赤ちゃんの病状を、医学の専門知識がない、しかもその赤ちゃんを養女にして間もない女性が、時間をかけて医師に問いかけを続けることで、解決に導いたとか…。この場合は、聞く耳を持ってくれたお医者さんも、ある意味、えらいですが。これからお医者さんになる人たちには、絶対に読んでもらいたい本ですが、患者・患者家族としても、お医者さんに最良の力を発揮してもらうために、建設的にコミュニケーションをとり、それでだめなら、別のお医者さんの所に行く判断をすることも大切だということが分かります。お医者さんとの会話で、是非覚えておきたい「質問」として、次のものは覚えておこうと思います:「ほかに何が考えられますか?」「(症状や所見に)辻褄が合わない点がありますか?」「私の病気は、最悪の場合は何ですか?」「症状が起こっているこの患部の周りには、他にどんな臓器があるのですか?」自分に下された診断が、症例として多いのか少ないのか、その病院や医師が、その症例に対し勧める治療法が、他にどのように(どれだけ)行なわれているのか?と言ったことも重要です。必読です。【送料無料】医者は現場でどう考えるか [ ジェローム・グループマン ]
2012.11.17
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グリーフケアの本に出てきたエピソードで、故人が見守ってくれている感覚を持つ遺族の話がいくつかあった。声が聞こえたり、姿が見えたり、何も見えなくてもそんな感じがしたり…、全くひとりよがりな話だけれど、ふらふらになりながらも玄関に這い上がろうとする蝉と、ベランダに迷い込んだ蝉の姿が、何かトマ女さんが様子を見に来てくれたような気がして、とても気になっているここ数日です。魂って、本当にどこに行ってしまうのだろう?
2011.08.30
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東京の端っこに位置する我が家は、7月にお盆を迎えました。お寺でも、大部分の店でも7月にお盆グッズが並んでいたけれど、ここにきて7月に置いてなかった八百屋さんなどで、お盆グッズがあるのを見かけたりもします。トマ女さんの故郷である隣の県のお盆は勿論旧暦。親戚はこちらに合わせて、7月に連絡をくれたけれど、先に旅立ったトマ女さんの両親や兄姉たちは、今頃あちらの実家で集っているのかもしれません。甥っ子が夏休みで来てくれたので、皆でお墓参りに行ったら、トマ女さんも山向こうの故郷に遊びに行ってるかもしれないね、なんて話になりました。本当に、その方がトマ女さんもさみしくないはず。そんな折、トマ女さんの女学校からのお友達から、お手紙とお花代を頂きました。旦那様の介護でお忙しく、遅くなってしまったとのことです。それでもお盆に合わせてこうしてお手紙を頂けるとは、有難いことです。どうか介護にあまり無理をなされないよう、祈るばかりです。トマ女さん、寄り添ってあげて下さい。
2011.08.15
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トマ女さんはお洒落が大好きだった。でも、定価で買うことは滅多になく、バーゲンで値引きされた時を狙って、少し多めに買いためていた感じだった。だから急に病気で倒れたときには、トマ女さんの好みと一目でわかる、一度も袖を通していない服、一度くらいしか着ていない服も結構あった。引越しを前に、少しでも整理しようとした時には、お出かけに着る機会がもうないと思われたものを、「長期貸出し」ということにして、姉に早めに持って行ってもらったワンピースもあった。思い出が一杯浸み込んだ、気に入って長く着ていた服には、トマ女さん自身で「処分」する方に仕分けした形跡があっても、「捨てていい?」と聞くと、首を縦に振ることはなかった。私たちにも懐かしいほどの服には、トマ女さんはじっと見入って、一生懸命記憶をたどっていたのだと思う。結局そのうち2着は、トマ女さんの棺に入れてあげた。デイサービスにも、着替えや汚れが気にならない範囲で、できるだけあれこれ着まわして行ってもらったつもりだし、家族との食事会や旅行の時には、お洒落な服を着てもらった。そして今、主を亡くした服たちは、直ぐに着ることのできる夏物から、姉と少しずつ分けるようにしている。幸い、好みと体型に違いがあるため、今のところ喧嘩は起きていない。むしろ、姉も母親の形見だからといって、大量に収納するスペースもないというのが正直なところかもしれない。だから残っているものは、私が姉よりも捨てられない性格なのと、現状ではスペースを急いで空ける必要に迫られていないため、トマ女さんが生きていた頃とあまり変わらない状態にクローゼットや引出に収まっている。お盆も過ぎて、トマ女さんのいない生活にも慣れてきてはいる。形見として身に着けることで、トマ女さんをもっと近く感じることができるだろうことも分かってはいるつもりだ。それでも私の中にはまだ、トマ女さんの死をどこかで認めたくない気持ちが根強く残っている。トマ女さんの服を身に着けるには、もう少し時間がかかりそうだ。
2011.08.10
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「総合診療医ドクターG」のNHK総合での放送が始まっている。BSでのパイロット版を何度か見て、結構面白かった。以前は確か30分だったのが、45分になり、結論に至るまでの説明がもう少し丁寧になった一方、今日の放送ではゲストの全く無意味なコメントを放送する無駄もあった。注目したのは指導教官役の林寛之先生。救命救急のプロとして厳しい状況に日々対応しながらも、さわやかで柔軟な人柄が感じられた。今日のお題は「肩こりと吐き気」。場合によってはくも膜下出血の可能性もあるかと思ったのが見始めた理由。トマ女さんも発症の前に頭痛とひどい肩こりを1週間以上うったえていたというし、いろんな人の事例を調べると、「何かで殴られたような衝撃的な頭痛」というのは、動脈瘤が大きく破裂したときの症状で、その前にいつにもない頭痛や肩こりが前兆のようにあったという方が少なくないという。後遺症も殆どなく生還した人たちは、この頭痛や肩こりの段階で受診し、くも膜下であることが分かったということが多い。番組では肩こりと吐き気以外の症状もだんだんと明らかにされ、途中診断を出し、可能性のある病名をリストアップして、症状を総合的に見て消し込みを行なっていく。症状の改善と悪化、温度や痛みの感覚異常、症状の左右の偏り、歩行障害などから、頸の血管が何らかの原因で一時的に詰まる症状を起こしていたと最終診断が下された。ここまでも、診断を出す研修医やゲストのコメントを、全て前向きに褒めて引き出すコミュニケーションが見事でしたが、最後に付け加えたひと言がさすがと言うしかない。メモしてたわけではないので大体ですが、「手を尽くしても亡くなられる患者さんはいます。そうした方の家族は、大きなショックを受け、別の病院なら助かったのではないかなど、医師や病院を責める気持ちも持たれます。でも、朝出かけたときは元気だったわけですから、家族が事実を受けとめられないのもあたりまえです。そうしたご家族を、新たな患者さんとして受けとめるだけの度量が、医師には必要とされます。」というような内容。司会者も「そうか、お医者さんも感謝されるばかりではなくて、そういうこともあって…大変ですね。」と言っていたけれど、考えてみればなくなるケースも当然あるわけです。救急医療現場では、まさに数時間前には何ともなかった人が、救急車で運ばれるということが殆どでしょう。林先生もショックを受けたご家族に対峙する経験を、人一倍多くされてきているからこその、上のひと言と思われます。それはとりもなおさず、患者さんときちんと向き合い、日常生活や、患者本人も見逃しかねない様々な兆候を、問診を通して紐解いていくという姿勢があるからこそ、その患者の家族にも同様に向き合えるということでも言えるのではないだろうか。患者としても、病気と関係がないかもしれないと思うようなエピソードも申告することで、正しい診断に一歩近づくことができるわけだが、そういうコミュニケーションのとれる林先生のようなドクターGは、この近くにいないだろうか?そしてもし、言葉を発することができない患者を診ることになり、コミュニケーションが難しいと判断されたならば、日々接している家族の協力を率直に求めることがもっとあってもいいのではないだろうか。
2011.08.04
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トマ女さんが亡くなってから、父の心の持ちようをわかっておきたいと思い、何冊か本を読んだ。勿論、私自身の気持ちを客観的に捉えておこうと思ったからでもあるが。まずは国立がんセンター総長などを歴任された垣添忠生先生が、最愛の奥様を自宅で看取った経験を綴られた本。奥様との出会いから始まり、楽しかった結婚生活の思い出、そして奥様亡き後のさびしい日々と、遺作展を開催するなどして、一人で歩みを進める力を取り戻すまでが語られている。ドラマにもなったそうだ。【送料無料】妻を看取る日癌の専門医である先生が、その癌で奥様を亡くされた現実が、医師としてではなく、夫としての目線でほとんど書かれている。お正月を自宅で迎えるため、大量の在宅医療用品をそろえて病院を外泊し、帰宅当日は満足された様子の奥様だったが、翌日から病状が悪化。そして恐らく半ば予期されていたのかもしれないが、大晦日に亡くなられてしまう。そのときの様子は、こと細かに書かれているわけではないが、「ありがとう」と言ってくれたという。だが、医師としての眼で冷徹に病状を見据えて看病されたからこそ、このような死を迎えさせてあげられたとも思える。垣添先生がすごいのは、「妻を看取る日」が出版された後、多くの死別悲嘆の経験者からの声に、医師として、また同じ経験を持った者として対話され、立ち直るためのある種の方法論の確立を使命と感じておられることだ。グリーフケアに関する多くの論文等を読まれ、実際に様々な方の話を聞かれてまとめあげたのが、「悲しみの中にいる、あなたへの処方箋」である。【送料無料】悲しみの中にいる、あなたへの処方箋この本は事例集と処方箋だけでなく、日野原重明先生とのホスピス・看取りに関する対談、死生学のアルフォンス・デーケン先生との対談を網羅し、更に埼玉医科大学の遺族外来の取組み、そして様々な参考文献とグリーフケアのサポート・研究団体の情報までもが紹介されている。まさに悲嘆に苦しむ中、立ち直るきっかけが満載の思いやりあふれる本になっている。垣添先生と日野原先生に共通する意見として、「幸せな最期を迎えさせてあげられると、遺族の悲嘆を予防する」ということがある。「予防」といっても、垣添先生は奥様のご希望を叶えて自宅で看取る形になったわけだが、それでも大変に苦しまれた。ただ、もしそうしていなかったならば、後悔や罪悪感がもっと大きく、悲嘆の重しとなっていたということになる。しかし医学的知識がない患者家族にとっては、「幸せな最期」はもっと難しい。一般の病院では、「幸せな最期」を迎えさせてあげるためのサポートを、職務の大きな柱とまで考えていない医師が殆どなのではないだろうか。「危ないです」と家族に連絡したものの、何度も持ち直す患者もいれば、「予想外」に力尽きてしまう患者もいるということを理由にあげるレベルである。勿論、それはとても悩ましい問題だろうが、患者の基礎疾患に体力と病状、患者家族がどの程度何を望んでいるかの理解を、もう一歩ずつでも緻密に掘下げれば、もう少しその人らしい死を迎えさせてあげることができるだろうに…。癌だけでなく、全ての疾患・傷害の先にありうる死の迎え方を、もっと多くの医師・病院に取組んでもらいたい。
2011.07.29
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私自身はドラマをそんなに見ない方だが、トマ女さんと暮らすようになってNHKのドラマをいくつか見た。大河ドラマは大体見ていたから、「風林火山」、「篤姫」、「龍馬伝」など、入院していた時期を除けば毎週見ていた。なかでも「篤姫」は、台詞もはっきりと聞き取りやすく、時代劇らしく早すぎないこともあったのだろう。女性の役柄の方が、感情移入しやすいこともあるかもしれない。波瀾万丈の篤姫さまの苦悩を受けとめて、ときには涙まで浮かべてじっと見ていた。「龍馬伝」は、早い台詞まわしに慣れるまで時間がかかったが、武市半平太と妻の冨の別れのシーンなど、引き込まれるように見入っていた。朝ドラはそんなに見なかったが、「ゲゲゲの女房」だけは別。結婚の時期が割と近かったり、実家が商売をしてることなどもあり、新婚の頃を思い出すんじゃないかと見始めたら、私も一緒にはまった。買物篭を下げてのお買いもの、少ない家計費のやりくり、節約しながら栄養を考えた献立…。そして主人公を演じた松下奈緒さんの表情の真剣さ、深刻さ、安堵、笑顔に、一緒になって一喜一憂したり。いつだったか、多分、お金がなくて「困った」というシーンがあったときか、子育て中のシーンだったと思う。トマ女さんがポロリと「あの子は上手だね」と言ったことがあった。今日から同じ松下奈緒さん主演のドラマが始まるから、その予告シーンがここ数日よく流れている。それを見るにつけ、このトマ女さんの一言が思い出されて仕方がない。松下奈緒さん、がんばって下さい!!
2011.07.26
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お盆が無事(?)終わりました。といっても、お飾りを完全に片づけるのは明日になるけれど…。お仏壇もなかった我が家にとっては、全てが初めてのことばかり。まずは七七日の法要と前後して、新盆合同法要の案内が届き、これに参加させてもらうことに。このお寺さん、葬儀屋の紹介でトマ女さんの戒名をつけて頂いたのと、お通夜・葬儀の読経をし頂いたところ。ひとつの縁だし、トマ女さんがあの世とこちら側を迷わず往来してもらうためにも、新盆までお世話になろうというという気持ちもある。一方父は、折込み広告で入った地元の別の葬儀屋の「お盆セミナー」に参加。ひととおりのことを確認し、資料を私に手渡して、あとは「お前に任せる」と一言。というわけで私はネットと、いくつかの仏具屋、百貨店などを回り、お提灯を始めとするお盆グッズの情報収集。細かいものがいろいろあるので、お店でくれる一覧になった紙が便利だったり、新盆は7月1日から飾り始めるということを、「初めて帰ってくる仏さんが迷わないように」と、こちらも何となく腑に落ちる説明をしてくれたところなど、それぞれ勉強させてもらいました。牛・馬は八百屋さんで藁作りのものが売ってると、伯母が早めにおしえてくれたものの、おがらやまこももあるので、早めに仏具屋で買い揃え、ほうずきは百円ショップの造花に細工して飾り付けた。実際7月に入ると、スーパーに牛・馬はじめ、盆花などが出始め、7日くらいからは花屋さんにもほうずき、その他のお盆グッズを置いてるお店も出てくることが分かった。去年までは全く気づきもしなかったのですが…。13日午前中にお墓参りをし、お供え用に桃を買って帰り、お団子作り。これはお団子好きな父が、とても気にしていたから。調べてみると、上新粉と白玉粉を半々(または柔らかくするのに白玉粉を多め)にして、蒸さずに仕上げる方法もある。お供え用にした残りは、みたらしあんも作り、しっかり頂きました。迎え火を炊き、夕闇が迫ってお提灯に火を灯すと、本当になにか不思議な気分に。トマ女さんが少し近くから見守ってくれているような感じがしてきた。その後のお供えも、食べる人がそんなにいないので、ほどほどに精進風料理や素麺、トウモロコシ、枝豆などを用意。父は暑い中、お盆中はしっかり毎日来てくれたので、お供え用と称して作ったものを、それぞれおすそ分け。16日も送り団子を作り、お供えの残りを冷ぜんざいのパックと一緒に小豆団子として食べたら、父はようやくほっとした様子。お盆などは残った人々のためとも言うとおり、父の中でお盆を無事にすませ、一段落できたという様子がうかがえたことが、何よりも一安心なこと。「トマ女さん、ありがとう」と感謝の気持ちで、遅めの送り火を炊いて締めくくった。お提灯の不思議な灯りに包まれて、寂しいことには変わりないものの、いつもと何か違う感覚の残る4日間でした。
2011.07.16
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いろいろなマナー本などには、「形見分け」は四十九日の法要をすませてから…とかあるようだけれど、私にはまだ、トマ女さんのものを整理する気分になれないでいる。勿論、普段の生活空間は、早々に借りていた車椅子は返却し、使用していた胃瘻関係の備品も、ついこの間やっと処分をした。私はかなり捨てられない人間です。お洒落だったトマ女さんの沢山ある洋服やバッグは、姉が来るたびに少しずつ選んで、持って行ってもらっているけれど、そんな量はごくわずか。大部分が昨年と同じように、引出しの中は夏物に入替えて収まっている。(これは姉に選んでもらいやすくするためでもありますが…)食器やインテリアなどに至っては、トマ女さんが気に入って買ったものと、頂き物などが、ごっそりある。物を大切にする昭和一桁世代で、幸い工夫次第でスペースはあったから、思いがけないものが残っていたりもする。これらもやっぱり、そう簡単には処分できない…。でも、こうして月日がめぐり、お盆の準備をしてると、旧宅で埃をかぶっていた山鹿燈籠に目が留まった。もうずーっと前、私たち一家が熊本にいたときに買ったか、頂いたものだ。前面がガラスの桐箱入りで、コンセントに挿したらちゃんと灯りもつくいわれを調べたら神事にまつわるもので、仏教とはちょっと異なるようだけど、現在、燈籠祭は8月15・16日に行なわれているというから、この際、お盆の燈籠のひとつとして飾ることも許してもらえるんじゃないかと…40年近くを経て、初めて、灯りをともしてお飾りする機会となるのだから。こんな風に、日常生活で必要となるもの、欲しいものが変わっていくことは、ここ数年、会社勤め→在宅・介護という、私の生活の激変で多く経験している。そして今また、介護生活とはやや異なる服装を自然とするようになってきている。猛暑対策として見ると、これまで目に留まらなかったトマ女さんの服を、ちょっと借りて着てみようかと思ったりすることもある。既に物があるならば、1年~3年着なかったり、使わなくても、「いずれ…」と可能性があるものは、できればとっておいた方がいいかもしれない。そして、新しいものが必要になった時、生活環境が変わった時、手持ちの中から発掘して使えばいい。保管できるスペースがあればの話だが…。
2011.07.10
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トマ女さんが亡くなってからの一連のいろいろの中で、家族の意見が結構分かれたことがある。遺影とお香典返しを選んだ時だ。遺影は、葬儀屋さんの「親指の爪くらいの大きさであれば、引き伸ばしても大体大丈夫」という言葉を参考に、大急ぎで比較的近年の写真をひっくり返した。くも膜下で倒れた後、ある程度回復してからは、意識的にいい表情の写真を何枚も撮ったけれど、やはり本来のトマ女さんの雰囲気とは違う。不自由さが写真に表れているのではなく、むしろ笑顔は輝くようで、芯の強さは透明感すら感じさせるものもあった。でも、元気だったころには決してしなかったショートカットで、この頃の写真は、リハビリに励むトマ女さんの姿と切り離すことができないからだ。いくつか候補を選んで父と姉と3人で決めようと思ったが、意見が合わない。私は一番いい笑顔の写真で、少し若いころのものということには目をつむる考え。姉はもっと最近の、病気になる直前のころのものでないとおかしいと言う。父の基準はなんだかわからないが、姉とも私とも違う好みを言う。葬儀屋によるとこういうことは少なくないらしく、やむなく母方の親類が集まったところで意見を聞くと、圧倒的多数で、私がいいと思った写真に決まって、めでたしめでたし後日、写真立てに入れていろんな写真を並べてみると、いい笑顔というのは、結局ほぼ同じ表情で、10年、20年くらいの歳月では、雰囲気に多少の差異があるものの、そんなに変わるものではないことも分かった。一方、葬儀が終わった後の香典返しの品物選びは、基本線では後に荷物として残らない「食べ物」ということで一致したものの、こだわり方には大きな違いがあった。事故などで亡くなった友人がいる私は、親御さんが生前の彼女の思い出話から選ばれた品を受取ったことがある。ところが近しい友人でそうした経験がなく、専業主婦の姉は、「香典返し」というと、旦那さんの仕事関係で受取る義理的なものばかり。香典返しに「こだわる」という感覚自体、最初は分かってもらえなかった。何度か話をし、トマ女さんの長年のお友達から頂いた、お悔やみ状を見てもらい、こうして多くのお友達がトマ女の死を悼んでくれていて、その気持ちへのお返しということ、そして嫁に出た姉は受取る側でもあるわけで、「自分がもらって嬉しいもの」「故人に思いを寄せるひとときのもてるもの」ということで、送る側の気持ちも統一した。そうなるとさすが我が姉、いい案を出してくれたトマ女さんが本当に気に入って、わざわざ都心のデパートまで買いに行ったりしたというフランス製のクッキー。輸入物のため自分で買うにはちょっと"お高い"けれど、こういう贈答品としてならちょうどいい。これにイギリスのエリザベス女王戴冠50周年記念の紅茶を献上したというブランドの紅茶を添えて、箱詰めにしてもらうことに。どんなふうに受けとめてもらえるかは、受取られる方々次第だけれど、ちょっとだけすったもんだをして、ちょっとだけれど工夫をして、トマ女さんにも自信を持って見守ってもらえる、お香典返しの品物を決めることができたと思うことができた。
2011.07.01
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トマ女さんの退院を目指していた頃、痰の吸引とおむつ交換の介護練習をした。結局、自宅での実践はかなわなかったが…。痰の吸引は、固くなって取りにくい痰でなければ、動作としては思ったほど難しくなく、トマ女さんにも必要以上に苦しい思いをさせることはなさそうだった。あくまでも1日に最低1回は、看護師さんにしっかり吸引してもらうことを前提とすればだが。一方おむつ交換は、ベッドの高さ、被介護者の体重、汚物等の扱いなど、体力面、手際面共になかなか難題。これを1日7回くらいするのは、時間的にも、体力的にも負担が重いと思わざるを得なかった。小柄なトマ女さんだけれど、介護する私も体格、体重ともほぼ同じだし…。それでも我が家に帰り、好きな音楽や物に囲まれて、少しでも入院前の状態への回復を目指せるなら、何でもやろうと思っていた。だから、手際が悪く時間もかかってしまう分、慣れなければと思って何度も練習させてもらった。ただ、少し余裕ができて客観的にみれるようになると、思ったことがある。必ず話しかけ、トマ女さんの顔を見ながら交換作業はしていたものの、介護される方は、完全に「お任せ」モードになるしかないということ。容体が落ち着いて、退院間近とされたある日、車椅子への移乗を試してみたところ、上体を起こして座っただけで目に輝きが出た。私とも同じ目線でコミュニケーションがとれる。これでトマ女さんの意欲を引き出すこともできそうな気がした。最後の入院まで、トマ女さんは家では歩くことができたから、当然トイレで用を済ませていた。リハパンにパッドで安全策をとり、トイレではパッド交換だけということも結構あったけれど、トイレへの往復におしゃべりもできたし、身体の調子を見ることもできた。トイレの中ではなおさらだ。それを「えらい」と言ってくれた訪問看護師さんもいたし、リハビリ病院でも、時間や手間、施設の都合と思うのだが、トイレで用が足せても、必ずしもトイレに行かせてもらえないケースが結構あった。だから、できるだけ長く付き添い、トイレに連れて行ったりしたのだ。おむつで用を足すということは、普通の感覚ではそれだけで相当に心地の良くないものだろう。排泄行為の自己制御を否定するようなもので、意欲やプライドに大きな作用があるだろう。そしておむつ交換は、いくら親身に接しても、被介護者の身体をある意味、もののように扱う部分がある。容体としておむつが必要な場合は仕方ないけれど、私としてはおむつ交換は、あまり肯定的に捉えることができない介護行為だった。
2011.06.21
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実は亡くなる1週間前には、トマ女さんは退院することになっていた。とはいっても、入院前と比べたら介護量は比べ物にならないレベルで(どっちも介護度5ですが)、デイサービス復帰もすぐには無理だし、ちょっとした買い物もままならないと思われたため、介護用品等々いろいろ買い込んでいた。だからトマ女さん亡き後の我が家には、介護用品の山が…。必要としている方の所に差し上げようと思い、震災・津波の被災地に送ろうと心に決めたものの、いざどこに送ったらいいものか…。数日間思いあぐねていた。ネットで情報検索もしたけれど、本当にわからない。そこで震災当初からの様々な報道、書込みを参考にしつつ、三陸海岸方面に目をやった。5月末には新聞数紙が、まだまだ不便な生活が続いている被災地を報道しており、特養が避難所になっているところなども紹介されていた。紹介されたところには物資が既に届けられているかもしれないと思いつつ、やみくもに探すよりは、とたどり着いたのが陸前高田市の高寿園。6月に入っても140名もの避難者がおられ、勿論そのほかには入所者の方々もいらっしゃる。思い切ってお電話をしてみて、手短に介護用品のニーズを尋ねると、受付けてらっしゃる確認ができたので、「お送りします」と言って、荷造り開始。リハパンや尿取パッドが多かったけれど、胃瘻関連グッズ(シリンジや栄養セット、お薬の懸濁ボトルなど)も未開封で残ってしまったものは、全部お送りした。かえって手間をかけることになってないか気になっていたところ、なんと1週間後にはお礼の葉書を頂いた。トマ女さんの名前でお送りしたので、トマ女さん宛で。面倒見がよかったトマ女さんだから、こういうお礼状も喜んでくれるだろう。今、高寿園の情報を検索すると、避難者は半分ほどになり、ずいぶん落ち着いてきている様子。といっても70名もの方がまだいらっしゃって、仮設住宅に入居できたからといって、生活の再建はここからやっと始まるところ。私にできることとニーズがマッチングすることがあったら、また何かできたらいいかもしれない。
2011.06.17
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ブロガー失格の私は、トマ女さんが亡くなって1ヶ月以上たった今、やっとご報告する気持ちを整えているところです。いろいろな情報や元気を頂いた先輩ブロガーの方々は、大切な方の旅立ちを、遅れることなくきちんとご報告されていましたが、私にとっては、介護生活が思いのほか早く途絶えてしまったことが受入れ難く、心やいろんなことの整理なしには、こうして文章に綴る勇気が持てなかったのが正直なところ。トマ女さんがくも膜下出血で突然倒れた5年半前、その時にも随分悲しかったけれども、リハビリに支えられ、何とか前を向いて頑張ってきた。一度本当に悲しんだから、その後はトマ女さんからの贈り物の時間だと思って、後悔しないように過ごそうと努めてきたのだけれど、トマ女さんは結局、肺炎を短期間に繰り返し、長い長い呼吸が苦しい時間を経て、力尽きてしまったとでも言ったらいいのだろうか。穏やかな、安らかな最期を迎えさせてあげるという、目指していたことができなかったことが、どうしても後悔として残ってしまった。患者を亡くした家族が、病院に何らかの不満感を持つことは少なくないとも言われるが、穏やかに死を迎えさせてあげることが、こんなにも難しいことだったとは…。病院という機構の難しさは、ある程度分かっていたつもりだったが、私はなんと無力だったことか…。そしてここ数年、トマ女さんと一緒に過ごした時間が多かったため、このぽっかりと空いてしまった時間と空間はあまりに大きい。ある程度心の準備はしていたはずだというのに、想像以上の喪失感をどうすればいいのか…?これまで時間が取れなかったのも、きちんとアップできなかった理由なので、もう少し頑張って介護のこと、看取りのこと、時々考えていけたらと思っています。
2011.06.15
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経口摂取が復活して、クリスマス、お正月と皆で笑顔で迎えられて喜んだ後、トマ女さんは2月の声を聴くと、またぱったりと食べれなくなってしまった。一度復活した経験もあるので、今回もいずれ何とか戻せるだろうと、あれこれ試しながら過ごしていたが、何となく体調的にすぐれない感じがわずかずつだが感じられた。そんな折、今の主治医から薬追加の提案。神経内科の専門医でもあり、良い結果を期待しての選択だったのだが、これかちょっと裏目に出てしまった。一概には言えないから、薬や医師を責めるつもりはないが、トマ女さんの今の状況には合わなかったということ。緊張時の硬直はより強くなり、不穏な目つき、今までなかったげっぷなど、副作用が出て1週間で中止。(ちなみにこれはメネシットという薬)徐々に副作用症状は改善されたが、トマ女さんの誇る笑顔が殆ど見られなくなってしまった。そうこうするうちに迎えた3月のある日、昼寝中のトマ女さんが咳をした。これまで何かあったことはないのだが、昼夜問わず、聞こえた限りでは必ず、咳をした後は様子を見に行っていた。すると、シーツに少しだが嘔吐の跡が!慌てて起きてもらい、ベッドに座って30分くらいかけてうがい。その途中、もう少し多い量を戻したため、念を入れて咳をしてもらったり、注意はしたのだが…。トマ女さんが横になることを怖がったので、車椅子に移動して休んでもらいつつ、訪問看護師さんの到着を待つ。熱なし、血圧も普通。強いていえば、少々便秘気味だったので、看護師さんにこれを解決してもらってからベッドへ。今度は安心して横になったため、そのまま2時間休んでもらった。ところが夕食のために起きてもらい、トイレに行くと、がたがた震えが始まった。最初は痙攣性のものかと思ったが、そうではない。とにかく車椅子まで行って様子を見るが、治まらないため再び看護師さんに電話すると、「悪寒」だろうとのことで熱を測ると37度6分。震えが止まらないから、まだ熱は上がるはずという。誤嚥性肺炎の可能性が高いから、できるだけ早く医者にと言われた。寒い夜だったが、近所の病院の夜間診療へ。レントゲンで明らかな肺炎症状で、すぐ入院ということに。当初ベッドがないと言われたが、1晩だけ外科病棟にお世話になり、翌日内科へ移動ということで入れてもらえた。病院では酸素吸入もできるし、結構激しい発症の仕方だったので、とても一晩きちんと看れるか、私には自信がなかったので助かった。目先の最善策で精いっぱいになってしまうが、気を付けなければと常々思っていた誤嚥性肺炎に、こんな形でなってしまうとは…。不意打ちを食らったようで、茫然としてしまった。
2011.03.21
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トマ女さんに胃瘻を造設した際に、確かに頭をよぎったことだけれど、最近になって高齢者への胃瘻の是非を問う番組がNHKで放送されたことがあった。嚥下機能に問題がある高齢者といってもその原因や状況は様々な上、価値観も様々だけれど、トマ女さんについては胃瘻にしてよかったと思っている。この夏の猛暑が原因かどうかはわからないが、トマ女さんは秋口から、食事の経口摂取がほんの少ししかできないようになってしまっていた。すぐに検査したが、CT画像からは既にあったダメージ以上の所見はなく、血液検査等でも異常はない。頼りになったのは訪問リハビリの療法士さんたち。食べれていた頃の状態と比較して、「嚥下機能そのものは大きな変化はなさそうだが、首肩を中心に体全体が固くこわばっている」と評価し、STも含めて全身をほぐすことを中心にしたリハビリを続けてくれた。12月に入り、少しづつ回復の手ごたえがあり、クリスマスにはケーキはもちろん、チキンやとんかつまでモリモリ食べることができるまでになった。今はこの状態が維持できることを祈っている。それができたのも、胃瘻で栄養を補い体力維持が可能だったからだ。そして自宅だからこそできたと思うのは、毎食、口からの摂取も必ず試みたこと。こうした体調変化を乗り越えることができるということは、それだけ介護期間が長くなるということでもあるのは事実だろう。でも、食事のたびに私が食べるのを恨めしそうに見つめていたトマ女さんには、「食べたい」「生きたい」という意欲があったわけで、それを見殺しにするようなことは家族にはできない。胃瘻はトマ女さんにとって、必要なオプションだったと信じている。
2010.12.27
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数日前のことだが、介護施設での悲しい事故がまた起こってしまった。この連日の猛暑の中、送迎車に8時間以上放置して、80歳代の女性を死亡させてしまったというもの。普通に考えたらありえない話、のはずである。70歳という運転手一人に任せていた送迎にも、もちろん問題はあるが、受入れ側のデイサービス施設のスタッフも大問題である。その日に来られる利用者の人数確認が全くなかったらしいばかりでなく、その方の存在そのものに、普段からどれだけ注意が払われていなかったかということまで想像できる。休みの連絡の有無の確認や、いつもいるはずの人がいないことへの疑問、そして食事が一人分余ったであろうに、ここでもおかしいと気づき、問題発見に至ることがなかったということだ。トマ女さんが利用しているデイサービスでも、小さな事故や不注意は時々ある。最大だったのは、去年の肋骨骨折。これは通常2人で行なう入浴介助を、1人で行なったためであるという説明を受けている。そしてこの事故後の対応は誠意を持ってして頂いたし、何よりもその後、トマ女さんへの注意が徹底して払われるようになっている。一方、もう一軒のデイサービスでは、小さな不思議が最近いろいろと発生している。入浴後の着替えはいつもどおり鞄に入れてあったのに、なぜか全て同じものを着て帰ってきたり、使用後の歯ブラシが汚れたままケースに入って戻ってきたり、その次には口の中におやつばかりでなく、昼食のおかずがいっぱい入ったまま帰ってきたり(この日は当然歯ブラシはきれいなまま)、そして毎月の献立表が請求しないともらえないことが多いことなど、まさにいろいろ。口の中の食物以外は、些細なことともいえるけれど、こうもいろいろあると、施設の体制に何か問題が潜んでいる可能性があるかも、といえるかも...。だから、うるさい利用者かもしれないけれど、今後の注意喚起のために、こうした小さな不具合を連絡帳にいちいち記入して、施設の方と共有化している。いろいろと工夫がなされた素敵なデイサービス施設だからこそ、何かある前に問題はつぶしておくべきというのは、あらゆる業務に共通なことだから。そして何よりも、朝、元気に送り出したのに帰って来ないなんて、家族にとっては受けとめ難い辛すぎることなのだから。
2010.07.27
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久しぶりの更新です。トマ女さんは大きな変動なく過ごしています。それでも気温変動が激しかったこの初夏の時期には、食欲が珍しく落ちて心配したこともありました。でも、それくらい。親戚方々の来訪もあり、にぎわうこともありますが、全体としては新居にも慣れ、訪問の看護師さんやリハビリ療法士の方々にも慣れ、トマ女さんにとっては楽ちんな日々となってきているのかもしれない。ただ、こちらも一人介護で、時間に追われることも少なくなく、食事も口に運んでしまったり、テレビを見て過ごしてもらうか、寝て過ごしてもらうか、みたいな時間もあったりする。できることはやってもらわないと、と思っても、それがだんだん疎かになってきているのが現実。いけないいけない。こうした感じは以前にもあり、「そうだ!目標をもたないと!!」と気合を入れてみたりしましたが、なかなか材料も限られる。安穏とした生活が、事件事故があるよりどれだけいいことかは、何度も経験しているけれども、自分だけでなく、トマ女さんを奮い立たすような刺激を与え続けるエネルギーを保つのは、なかなか簡単ではない。でも、自分から意欲を出すことができないことが障害のひとつでもあるトマ女さんには、マンネリが禁物でもあるといえるんじゃないかな。特にリハビリについては。
2010.07.20
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この本は長年脳神経外科医として勤務され、退官後、頭痛外来を開業されいているベテラン医師による、クモ膜下出血に関する包括的な情報が詰まったもの。この中で一番貴重なのは、12人の症例にあるクモ膜下出血のサインだろう。いずれもすぐにはクモ膜下出血とは分からず、最初に見てもらった内科医などにも診断がつかなかったが、本人や家族などが「何かいつもと違う」「大変なことが、起こったような気がした」と別の診療科を訪れるなどして、クモ膜下出血と分かったケースがほとんど。手術後は皆さん元気に回復された例ばかりなだけに、記憶のどこかに留めておきたい。症例1 後頭部の急な激しい頭痛と、首の突っ張り。症例2 頭の中で何かがプツンと切れたような気がして、表面がピリピリするような頭痛と首筋の痛みが始まった。症例3 こめかみの痛みに続き、首の後の激しい痛みと吐き気。症例4 夜中に目覚めるほどの頭痛。仕事も辛くなるような頭痛。症例5 突然意識がなくなり、10分後に意識が戻るとひどい頭痛。症例6 強い頭痛を起こした後、片目のまぶたが下がったままになった。症例7 強い頭痛と吐き気が急に起こり、吐いてしまった。症例8 いつもの片頭痛とは違う強い頭痛、肩こり、吐き気。症例9 ぴりぴりした後頭部頭痛が起こり、5分間意識消失後、強い頭痛。症例10 普段頭痛もちではないのに、突然の頭痛と吐き気。症例11 急な頭痛が始まり、3日後に嘔吐、その3日後にまぶたが垂れ下がった。症例12 肩こりが2~3日続いた後、急に強い頭痛が起こり、嘔吐、短時間の意識消失。トマ女さんも肩こりはしょっちゅう、頭痛は時々ある人でしたが、発症前1週間以上ひどい肩こりと頭痛をうったえていたそうだ。そのときに「いつもの肩こりや頭痛と違う」と感じて、行動に移していたら...この本では「こまった頭痛」と「こわい頭痛」として区別する方法として、「最近1ヶ月くらいに急に起こった頭痛かどうか」ということを上げています。そのほか、クモ膜下出血とはどういうものか、治療法、後遺症、リハビリなどの情報が網羅されていて、クモ膜下出血の全てが分かる本です。 クモ膜下出血のサインを読む
2010.06.25
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またしても半年近く更新しないまま過ぎてしまいましたが、トマ女さんはくも膜下出血後、初の自宅での越冬中です。といっても我が家の大英断で、いままでの戸建からマンションに引越したため、避寒のために老健のお世話になる必要がなくなったから。この引越がまた大変で、いまだに私は自分の荷物が片付かない状況。それでも室温が20度以下に下がることは滅多にない環境は、トマ女さんの血圧にとって非常に優しく、身体全体の調子も安定しつつ、わずかとはいえ好調の上限レベルが改善しつつあるような手ごたえすらします。最初の大手術から丸4年が経過し、シャント不具合による水頭症、脱水による軽い脳梗塞などで、当初の退院したレベルからは後退はしたものの、現状の中では頑張っている状況。最近はテレビのリモコン操作ができるようになったり、テレビを見ながら話しかけてくれることもあります。散歩も簡単にあちこち行ける新居で、本格的な春が待ち遠しい日々です。
2010.03.18
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昨秋のことですが、トマ女さんの兄姉との旅行に参加しました。要介護5になっても、タイミングがよく、欠かさず行くことができています。とはいえ、大型観光バスを仕立てての旅行、トマ女さんがバスに乗り込めるかどうか、旅程や宿泊先については、今回は幹事の伯父と事前確認を一応したものの、年配者といえども、介護が身近にない人にとっては、バリアフリーの想定はなかなかできるものではないのですね。結局、宿の部屋だけは洋室にしてもらったのと、家の前までの送迎となったことくらい(それでも大きいですが)。無事、宿に着き、宴も終わり、部屋に戻って「さあお薬!」と準備してPEGチューブを引出してみると、「あれ!?」手ごたえなく抜けてしまった…。一瞬何が起こったかわからず呆然とした私。元に戻せないか空しく試みるも、当然無理。そしているのは、冬はスキー場になる長野と群馬の間の山の上。泣きそうになりながらも、「すぐに処置をしないと胃の穴がふさがってしまう」との医師の言葉、そして痙攣防止薬(デパケン)があるから薬をスキップするわけにはいかないことをかみ締めて、とにかく手は尽くさないと、と覚悟を決めてフロントへ。夜10時を回ったこともあり、フロントには誰もいない。公衆電話や電話帳を探してうろうろするうちに、フロント奥に人の気配があったので、大声で叫んで出てきてもらった。事情を話すと手際よく救急車の手配をしてくれ、PEGの処置ができる病院は車で30分程度のところにあることもおしえてもらえる。その後救急隊員の方と、直接状況確認し、すぐに来てもらえることになった。山の上というのに、20分ほどで救急車到着。乗り込んでからは、山道をくねくねと下って、確かに20分くらいで平地になり、そこから10分程で立派な病院に到着した。迎えてくれたのは若い女性の当直の医師。診察後、この病院の在庫にある同様のバルーン式PEGが使えそうとのこと、念のためかかりつけの病院と連絡を取りたいとの説明があり、順調に処置は進められた。結局11時半を回って、CTで装着状況を確認し、夕食後のお薬を注入して完了。帰りはタクシーを呼んでもらって、再び山の上へ。いくらかかるか冷や冷やものでしたが、18,000円で収まりました。部屋に戻ったのは深夜0時。それでも平穏に戻って、眠りにつけただけで、十分にありがたい気持ちでいっぱい。救急医療の問題がしばしば報道されているものの、まだまだきちんと機能している部分も大きいこの制度は、すばらしいものです。てきぱきと処置をしてくださった若い女医さんと、ベテランらしい看護師さん、電話サポートをしてくださった、かつて入院をしていた病院の当直医の先生と、救急隊のみなさま等々、多くの方に助けていただいていることを、あらためて実感。皆さん、ありがとうございました!なお想像ですが、バスの乗り降りでトマ女さんを押し上げたりする中で、PEG部をひねったり圧力がかかったため、バルーンが外れてしまったようです。
2010.02.01
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これは以前NHKでもドキュメントが放送されたアメリカの脳科学者、ジル・ボルト・テイラー博士自身の闘病記。37才で先天性の脳血管奇形からの出血による脳卒中で、左脳にかなりの損傷をうけたものの、数学者である母親とのリハビリにより自立した生活に戻るまでの記録です。既にテレビで、一見すっかり回復したようなジル博士と、彼女の手術直後の写真も見ていたものの、本書にはその過程、特に脳卒中が起こっているときの自身の状態の客観的・主観的観察、その状態で試みたこと、そして母親とのリハビリについて非常に詳しく書かれており、脳卒中患者家族で、自分も当事者となるかもしれない私にはきわめて貴重な情報を提供してくれます。彼女はその朝、明らかに普通ではない脳の痛みを感じ、身体機能が切り離されるような異常を感じながらも、出勤準備の運動やシャワーを浴びようとします。その後、麻痺した左脳の影響下と思われる恍惚感と闘いつつ、助けを呼ぼうとしますが、既に文字が読めない状態になっており、ようやく電話がつながっても、言葉を発することはできなくなっていました。やっと同僚に助けられ、総合病院のICUで脳卒中の診断を受けた彼女は、驚いたことに5日後には一時退院し、約2週間後の手術のための体力回復のために自宅で母親と過ごしました。アメリカの医療制度では入院は最低限といいますが、危篤を脱したばかりで大手術を待つ患者の退院もあるのです。しかしジル博士にとっては、病院でのリハビリよりも適切なリハビリがここで開始されたということです。脳が非常に疲れやすいため、当初は6時間寝て、20分だけ目を覚ますといったところから始め、睡眠周期を尊重しながら、その合間に起きて、手や身体を動かしたり、頭の中のファイルへのアクセスルートを新たに構築する努力を続けたといいます。あくまでも彼女自身の脳の疲労度に合わせ、無駄なエネルギーを使わないよう、始めはテレビも電話も制限したそうです。それは人の話を理解するのに唇を読む視覚的手がかりに依存していたからだといいますが、まずは脳を癒し、そしてできるだけ早く神経系を刺激する、という戦略だったようです。それによって脳の可塑性を最大限引き出すようにしたということのようです。こうして文字や計算をはじめ生活機能を一から学習しなおし、会話もYes/Noで応えられるものではなく、脳内検索を行なうような選択肢のある質問で脳トレをするように行なわれました。睡眠は海馬の情報を整理するために、ここでも重要だったといいます。彼女は6ヵ月後には飛行機に乗って同窓会に出席し、その1ヵ月後には当時理事をしていた全米精神疾患同盟総会で5分間のスピーチを、周到な準備の末成功させています。37才という若さと、もともとの脳の優秀さ、そしてはっきりとは分かりませんが、恐らく私の母のトマ女さんよりは脳の損傷部分も小さかったものと思われますが、決して軽くはない脳卒中からの脳科学者自身による極めて貴重な回復の記録であることに違いはありません。奇跡の脳
2009.10.13
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振り返って見ると、1年近くもこのブログを放置してしまっていた。本当にいろいろあって、後悔と絶望の深みに再度落ち込んだ後、トマ女さんは「奇跡」の回復を遂げ、今は平穏な日々をすごしています。簡単に振り返ると、2009年1月家族全員でお正月を祝った直後、急に水分と食事をほとんど受け付けなくなり、かかりつけ医を受診したものの、「わずかに取れている」という説明を拡大解釈されたのか、点滴も打ってもらえず、数日後の脳神経外科の予約手配のみ。その予約の前日に、ついに脱水症状による発熱と、脳梗塞を起こし、救急車で緊急入院。再び集中治療室に。2月鼻からの経管栄養のまま、回復期リハビリ病院に転院。ここも3度目の入院。元脳外科医の主治医は厳しい見通し。4月STリハによる回復状況と嚥下反射検査の後、結局胃ろう(PEG)を作ることに。トマ女サンの現状からは仕方ないとはいえ、話をしている感じから、口から食べれる可能性をあきらめ切れない私。胃ろうがあると、デイサービスやショートステイの受入れ施設も非常に限られるため、最終決定の前にケアマネさんに、受入れ可能施設を事前に調べてもらっておく。5月胃ろう造設後、喉を通っていた管がなくなったため、めきめき口から食べれるようになったトマ女さん。6月退院。自宅に戻ってみると、3食問題なく口から食べれる状態になったトマ女さん。少し時間はかかったが、自宅内でも基本的には手引き歩行で移動可能に。8月デイサービスでの不注意のため、転倒して肋骨骨折。その後は順調に回復しつつ、本日へ。また、ぼちぼちと、ブログを続けていこうと思っています。
2009.09.23
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今春公開された映画で、それなりに話題になっていたと思う。42歳で脳梗塞に倒れたELLE編集長ジャン=ドミニク・ボビーが、唯一動かせた左目のまぶたで書き上げた本が基になっている。映画では、一体どうやって瞬きで本を書いたのかが明確に分かっただけでなく、本人が見た世界の映像化という導入部が、患者を疑似体験するような効果をもたらしてくれる。とってもお洒落な生活をしていた人だから、映画もそんなファッション&出版業界の雰囲気や、フランスの雰囲気が、暗すぎない、素敵な作品として作られていた。私は映画を見た後、本も読んだ。映画では映像として簡略化されてしまった部分もあるジャン=ドーが発したひと言ひと言が、痛いようにも感じられた。本を書く前に、友人や仕事関係者に手紙を書いたことや、医師や看護師について彼がどう感じていたかなどがよく分かる。映画と本で相互補完していると言ってもいいかもしれない。特に同様の家族を持つ者にとっては。トマ女さんはロックトインではないけれど、身体の動きや、言葉を発したいのに思うように頭も口も動かない。何かし始めても、すぐ諦めてしまう傾向もある。調子のいいときには、「まさかこんなになるとは思ってなかったから、悪いわね…」なんて、泣かせることを言ってくれたことも…(つい数ヶ月前)完全にロックされたわけではないけれど、トマ女さんも重たい潜水服を着せられて、疲れやすく、考えも思うようにまとまらない…、といった感覚なのではないだろうか?だからこそ、「話したい」という気持ちを、意識するしないに関係なく、高めてあげるような、「ハイ」な接し方をしないと、会話をする力が出ないのかもしれない。そんな風に、トマ女さんの感覚を想像することが、ある程度だけれど、できるようにしてくれた映画&本だ。2008年07月04日発売潜水服は蝶の夢を見る 特別版【初回限定生産】潜水服は蝶の夢を見る
2008.11.11
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トマ女さんの嚥下機能が低下しているのではないか、という懸念は8月のサービス担当者会議で共通認識になったものの、ST士の評価結果と、それに基づくリハビリはまだ始まっていない。在宅介護ではST士との接触自体が非常に限られてしまう、というのが現状のようだ。ST士の数もまだ少ないということもあるらしい。問題としては「しゃべらなくなった」「どろどろした唾液がたまり、嚥下の障害になっているようだ」ということ。具体的には水分や薬が摂り難くなり、処方されている薬を半ば放棄せざるをえない日も出てきた。食べ物は摂れていたが、途中咳き込むことが1~2回必ずあるようになり、誤嚥性肺炎のリスクが高まっていることも気になった。言葉の方は、朝起きるときは必ず少し対話できるが、それ以降、貝のように口を閉ざす日々が続き、だんだん言葉も出にくく、失語症状が進んでいる実感もある。とはいえ、さし迫った生命の危機ではないため、性急すぎるアクションも躊躇されるような…。本当はそれで時間をロスすることで、やきもきしてはいるのだけれど。「しゃべらない」から「唾液がたまる」のか、「唾液がたまる」から「しゃべらない」のか???悪循環もあるのだろうけど…。一時、自宅でもトロミを試してみたこともある。ごくわずかだけ、お茶にトロミをつけてみた。なんとなくではあったが、嚥下の際のトマ女さんの緊張が、少し和らぐような印象もあった。ところが1週間ほど続けていると、口にたまるどろどろの唾液の量が増えて、うがいの回数ばかりが増えてしまい、むしろ水分摂取量は減ってしまった!というわけでトロミは中止そうこうするうちに、食欲と水の摂取がもどり、日中でも少しだけ言葉が出ることがあるようになってきた。何が効いたかは、よくわからない。複数の要素と偶然と努力の蓄積といったところだろうか?歯科医の口腔マッサージ、口腔ブラシでの家族マッサージ、顔面マッサージ、気候の安定、お友達の来訪や外出の刺激…。改善の兆しはあるけれど、かといってどんどん言葉が出る状態に順調に近づいている、という感触があるわけではない。すごーく、感情を盛り上げないと、わざわざ言葉を発する意欲を見せない、といった感じもある。いずれにしても、訪問STリハビリが本格的に始まるのが待ち遠しい。歯医者さんお勧めの口腔ブラシ:唾液を絡め取ったり、マッサージがしやすい優れものです。【舌や頬のマッサージにも使えます】柄付くるリーナブラシ(ピンク)
2008.11.10
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トマ女さんの健康診断結果が昨日出てきた。今年在宅になってからの主治医、多摩川Dr.(仮称)はとても丁寧に、時間をかけて説明してくれた。トマ女さんの持病としては高血圧がまずあるのだけれど、悪玉コレステロールであるLDLも相当高いことが判明。なんと200近い そういえば、元気だった頃もコレステロールの話をしていたことは確かにあった。とはいっても、そのための投薬を受けていたとは知らないし、トマ女さんに尋ねても「ない」とのこと。当然、要治療レベルなのだけれど、今の薬だけでも四苦八苦しているので、まずは食事を気をつけてみるということにしてもらった。そして多摩川Dr.が渡してくれたのは、相撲番付表のようなコレステロール値に係わる食品一覧表。避けるべき食品 横綱:鶏卵 張出横綱:卵黄 大関:鰻蒲焼摂るべき食品 横綱:豆腐 張出横綱:卵白 大関:赤身鮪 小結:納豆コレステロールを減らす食品:青魚、オリーブ油、ごま油、ブロッコリー等スリムな体型の我が家族としては、そんなにコレステロールを摂っているつもりはなく、卵も鰻もそんなにしょっちゅう食べてはいないのだけど…。一方、豆腐、納豆はほぼ毎日のように食べている。さすがに秋刀魚や鰯、鯖を毎日のように食べることはしていないけれど…。それでも改善せねば少し心当たりがあるのは、美味しく栄養が取れるようにと、カロリーの高いものを積極的に食べてもらおうとしがちなことと、炒め物をする際、私は油を大目に使ってしまう傾向があるらしいこと。そして海藻はあまり食べてないかも…。細かく見れば、やはり改善すべき点はあるもの。再検査は未定だけれど、頑張ってみましょう!
2008.11.09
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ふと気づくと、世の中ではクリスマスイルミネーションの便りが聞こえ始めている。思いがけず半年も更新を怠ってしまった。しかも最後の書込みはトマ女さんの転倒だから、あのまま「再度悪化→入院」と心配頂いた方も、もしかしたらいらっしゃるかも…?幸い我がトマ女さんに怪我はなく、この沈黙はひとえに私の都合。これも有難いことに、仕事が超多忙という山をいくつか越え、その間、トマ女さんにはショートステイも2回経験してもらった。かといってトマ女さんは、必ずしも順調だったわけではなく、痙攣、夏バテによる不調を経て、やっと最近、再び回復基調といったところ。いやぁ、いろいろありました…手短にまとめてみると、<5月下旬> 転倒の10日後、自宅で初めての痙攣訪問看護師さんのバイタルチェック等の後、手術を受けた大学病院でCT検査。悪化はしてないと確認。<その翌日>トマ女さんの長兄が死去。その翌日に納棺にだけは立ち会うため、トマ女さんの実家までドライブ<6月初め>デイをもう1日増やし週3日に。これで夏の間も入浴3回で快適に過ごせることに。<7月上旬>私が1週間出張のため、初めてのショートステイ。昨年入所したフロアでなく、もう少し重度(特に認知機能)の方の多いフロアに。当初、トマ吉さんは「オレが看るからいい」と無茶をいって苦慮しましたが、姉と協力して説得。こういう調整にストレスいっぱい。*** その後 ***ショートの後、決してレベルが下がったという認識はなかったが、気づいてみると言葉が出なくなっており、口にべとべとの唾液を溜め込む癖がついている。表情や反応も当然低下。そのため介護再認定では「要介護5」は変わらず。サービス担当者会議でも、問題点として「嚥下&言葉」が最近の懸念事項として焦点に。このためデイサービスではトロミ使用開始。<8月>2度目のショートステイ(2泊3日)。伯父の新盆で、再度トマ女さんの実家にドライブ。<9月>久しぶりにデパートで買物。フェイラーのシャツ(2種)のうち一つを自分で選んでもらう。とてもいい刺激になったようで、表情や反応にもいい傾向。しかし言葉や唾液は相変わらず。<10月>8月に申請したつもりの訪問STの予定が立たないため、歯医者をあたってみる(市役所)。専門ではないものの、勉強したことのあるという歯科医が早々に来てくれることになり、嚥下、口腔衛生中心ということで週1回。10月半ばにデイで再度痙攣。1分くらいの軽いものと聞いたものの、その後の疲労がなかなか取れず心配する。続いて引いた風邪の回復後、やっと本格的回復基調となった模様。同時にST士の月1回来訪が決まり、評価をしてもらう。その後の対応はまだ未定だが、看護師さん、訪問OT士などでサポートを頂く予定に。---------------------------------------------涼しくなってきて、少しずつ言葉も戻りつつあるような…。とはいえ、退院時と比べて、よくなってるかどうかはまだ微妙な状態。在宅での回復を期待していた私にとっては、何がいけなかったのか悶々とすることも少なくない。このまま順調であれば、お正月までは在宅継続のつもりで頑張りつつ、またブログで日々のことアップしていこうと思っています。
2008.11.08
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あぁぁぁぁぁ…トマ女さんの自宅復帰からまだ2週間だというのに、やってしまった。今回は完全に私の油断。トマ女さんに食卓の椅子に座ってもらおうとして、苦手の横移動を誘導していて、もっと効率よく進められるのではと思って進行方向側に立ち、引っ張るように進めようとしたら、トマ女さんはもう椅子の正面に来たと勘違いして腰を下ろしてしまった。ところが、お尻の半分以下しか椅子には乗らず、ずるっとすべるように床にしりもち…。手を出そうと思ったものの、周囲には出しっぱなしの灯油ストーブや戸棚のガラス。下手にバランスを崩しても別の危険が増すようにも思えた、というのもある…。椅子の反対側にいたため、お尻を受け止めることもできず、結局「どっすん」としりもち。しかもその際、ストーブのボディ(といってもそんなに硬くはない)に頭を少しぶつけ、「ぐわわわわ~ん」と音はやたらと派手に鳴り響いてしまった。その後、落ち着いてから何とか普通に昼食を取り、昼寝に入りほっとしたものの、トマ女さん、なかなか目覚めない。いつもなら30分くらいで眠りが浅くなるのに、1時間以上静かに眠ったまま。気になって起こしたところ、なんと「頭が痛い」とのたまわる。何度も聞きなおしても「痛い」の一言で、目もろくに開けてくれない。心配と後悔で一杯になった私は、訪問看護stに電話相談。症状の相談だけでなく、最悪の場合に備えてどうするかの想定問答も。真剣にCTを撮りに行こうかと思いつつ、あれこれ迷った末、看護師さんにアドバイスをもらったように、手術でお世話になった病院に連絡をとってみた。するとなんと、トマ女さんを診てくれた先生が電話に出てくれたので状況を話すと、「それだけ時間が経過してその様子であれば、急性のものではないでしょう」ばっさり。日曜だから救急窓口に行っても混んでいると思われ、かえってトマ女さんを疲れさせてしまう恐れもあるので、できれば行きたくはなかった私は、これでかなり安心して様子を見る腹をくくることができました。幸い夜になっても状態は変わらず、転倒したというショックから、トマ女さんは疲労気味だったけど、夕食もちゃんととって早めの就寝。危うく救急車も選択肢の一つに浮かんでいたのが、先生と話ができたことで無駄な利用をしなくてすみました。本当に必要なときにだけ使うべきものだと思うから。しかし、私自身の油断に深く反省した1日でした。
2008.05.11
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昨年はデイケア週に1日と訪問リハビリ週1日でしたが、今回は訪問リハビリは、自宅でないとリハビリができない場合に限られるとか(実は正確なところは納得できていない。デイケアのリハビリと併用できないということかも)で、新たにデイサービスに週1回別の施設に行くことにしました。これは昨年トマ女さんが骨折する前にそういう案があり、見学に行ったところのひとつ。お医者さんの奥様が経営しているというアットホームな雰囲気の、利用者同士でおしゃべりが弾むような、大型施設にはない和気藹々としたところが、トマ女さんが喜んでくれそうで決めたもの。決めた後にトマ女、トマ吉さんとともに下見に行って、スタッフの方々ともトマ女さん本人が顔なじみになっておくなど、準備もしておいた。その成果あってか、今朝のお迎え時も抵抗なく車に乗ってくれました。帰ってきたトマ女さんに聞いて見ると、「檜のお風呂があるのよ」と一言。何をやってきたかは語ってないのに、そんなことだけ覚えてきているのにびっくり。昨年もデイでのことはあまり話してくれなかったからなおさら。「記憶」に関しては、場合によっては今の方が記憶保持能力はあるような気がすることもある。
2008.05.10
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ゴールデンウィーク中はどこに行っても混んでいることが予想され、大人しく過ごしていました。そこで思い立って昭和記念公園へ私にとってはン十年ぶり。できて間もない頃、プールに来たことがあったくらい。今はすっかり整備され、HPでの情報も豊富で、事前準備も簡単にできました。http://www.ktr.mlit.go.jp/showa/さすがGW翌日、駐車場もたっぷり余裕。そのわりに車椅子スペースには割合と車が留まっていることにやや驚いたものの、公園内に入って納得。車椅子の来園者があちこちに多少の勾配はあるものの、遊歩道は勿論、お花の咲く地面もよく均されていて、車椅子でも入れる通路になっている。ラベンダーのお花畑や、アイランドポピーが咲き乱れる広大な原っぱは圧巻でした!木陰のテーブルでサンドイッチの昼食をとり、芝生の上では、トマ女さんに少し歩いてもらいました久々の地面の感触に、最初は腰が引けていたトマ女さんでしたが、次第に土の柔らかさに安心感も出てきて、片足上げなんてことまで笑顔でできてしまった。勿論、しっかり支えてあげてましたけど…。初夏の陽射しにあたり、ソフトクリームを夢中で食べたりして、2時間程でしたが、十分に満喫できました
2008.05.07
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病院(療養病棟)では看護師&介護士さんたちの協力もあり、1日1回は食堂からトイレまで歩行練習で歩いて誘導してもらっていた。これに家族が1回歩いてトイレへ誘導したり、自主トレ歩行練習以外は車椅子に座ったままの生活。PT士にも「状態に波がありますから、悪いときにあわせて車椅子を室内でも使ってください」と指導を受けた。ところが退院1日目は半分くらい車椅子移動をしたけれど、トマ女さん、あとは殆ど歩いている(手引き歩行)。なんと退院3日目にして、車椅子から一人で勝手立ち上がり、ベッドの手すりにつかまりながら3メートルくらい歩いてしまった これは「お夕飯の仕度をしなきゃ」という強い思いに駆られての行動で、要注意警報が発令された。帰宅して2日間くらいは、とにかく沢山おしゃべりもしてくれ、ご飯も「美味しい」と言って食べてくれる。生活全体がリハビリという通り、数日間で家での生活動作も随分回復した。この調子なら、もっともっと歩行も安定するのではないかと期待が膨らんだ。
2008.05.04
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再びすっかりご無沙汰してしまいましたので、空白期間について少しまとめておきます。気温がなかなか安定しないため、昨年よりも遅く、トマ女さんは4月26日(土)に自宅復帰しました。ゴールデンウィークは家で過ごそうというところ。それまでにPT士がトマ女さんとの家屋評価で、玄関等での動作確認もあった。これでよかったのは、浴室での動作をPT士が試してくれ、「危ない+難しい」と結論を明確に出してくれたこと。退院準備のカンファレンスでトマ吉さんに繰り返しきつく「決して一人で入浴させようなんて思わないで下さい。」と釘を刺してくれ、「自宅での入浴厳禁」という約束ができたことは大きい。トマ女さんとしても「怖い」体験として刷り込まれたため、帰宅後も「お風呂に入る」と無理を言わない。介護サービス利用は、ベッド、ベストポジション、車椅子レンタルはほぼ昨年同様ですが、車椅子の吟味をしっかりできたこと、PT士&OT士の助言で室内用車椅子も必須と考え、外用と室内用の2台を借りることにした。車椅子に座っている時間が長くなることが想定されるため、ポイントとしては次の3つ:座り心地姿勢維持・矯正のしやすさ軽量全てを満たす車椅子として、カタログから私が探したのを試してよかったので、それを屋内用とし、更に坂道など外での安定性を考慮したものをOT士に探してもらいました。【送料無料】介助用車いす REM-8 【松永製作所】小柄なトマ女さんにはこのスリムタイプがぴったり。背張り調整、クッション(背・座面)ともトマ女さんにも好評。外用は株式会社ミキというところのSKT2というタイプ。ウイングといって肘掛が上がる機能と、スイングアウトというフットレスト部分の取り外しができるタイプ。これも後に効力を発揮。サービス面ではリハビリ目的のデイケアが週1回、お風呂目的のデイサービスが週1回、訪問看護月2回に24時間電話対応の緊急加算といった態勢。またまた後追い報告ですが、少しずつ埋めて生きたいと思います。
2008.05.01
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療養病棟に移ってから、トマ女さんなんとなく調子がいい。勿論リハビリは少ないから、トマ吉さんが毎日通って、歩行練習をしている。それ以外でも、お願したとおり、最低1回はスタッフの方がトマ女さんを少し歩かせて、トイレに連れて行ってくれているという。回復期リハ病棟では、リハビリスケジュールに合わせるように、食事やトイレも急いですませるようなこともあったのが、療養病棟ではたっぷり時間をかけてマイペースでできるようだ。それと「歩く」とか「立つ」ことが、生活の一部として実感できるようになっている気もする。暖かくなってきた、ということもあるかもしれないけどおしゃべりも多くなってきている。まだまだ言葉が出てこなかったり、途中で言うことを忘れてしまったりすることも少なくないけど、ロビーでリハ病棟の看護師さんの噂をした10分後くらいに、ご本人が登場すると、「ちょうど噂をしていたのよ」などと言ったりもした。そこで久しぶりに今夜のお夕飯の相談。鱈の剥き身があることを話すと、「ムニエルがいいよ」としっかりご指南してくれた こんな話ができるのも、半年振りくらい。家に戻れば、もっといろいろおしゃべりできるんじゃないかと、希望は膨らむ。
2008.03.16
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私が病棟に着くと、トマ女さんはお昼寝中声をかけて起こすと、「100年も経ってるんだって。修理いくらくらいかかるんだろうね。」なんて寝ぼけたようなことをぽつりぽつりと話す。こういうことは、これまでなかったので、少々不安に思いながら話を合わせていくと、だんだん分かってきた。どうやら午前中に「大きな古時計」を歌ったらしく、その歌詞が頭に残っていて、夢を見ていたようだ。そう分かったら、とってもかわいい、女学生がそのまま年をとったようなトマ女さんらしいことで、嬉しくなってしまった。その後ホールへ行くと、テレビで女子マラソンをやっていた。トマ女さん、食い入るように見入って、選手のゼッケンについた会社名を読んでくれたりもした。先頭の選手がスパートをかけ、もうすぐゴール。トマ女さんも力が入ってきている。そしてゴールイン優勝者インタビューを見ているトマ女さんを見ると、なんと目に涙が浮かんでる もともと涙もろいトマ女さんだけど、こんな涙を見るのも久しぶりトマ女さんの回復を、小さな喜びで感じられたお見舞いでした
2008.03.09
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少し前に申し込んでおいた、新聞購読者向けのアマチュア音楽会にトマ女さんを連れて行ったホール内では車椅子を貸してもらい、車椅子向けの座席エリアに案内してもらい、ちゃんと座席に座って2時間楽しめた。本当はトマ女さんも参加していた合唱団も出演すると思って申し込んだのだけど、実際には知らない人ばかりで、ちょっと空振り。でも、年に数回は必ず舞台で歌っていたトマ女さんがよく知っているホールだし、生の演奏やコーラスを聴いたり、おしゃべりも一杯したりで、トマ女さんもとても喜んでくれた。音楽やプログラムへの反応はよくも悪くもいろいろあったけど、一番驚いたのは、トマ女さんの具合が悪くなる半年前くらいに新調した眼鏡。私も一緒に選んだお洒落な眼鏡で、結構お高かったもの。お出かけ用に大切に使っていた。去年見せたときには、「パパにはまだ言ってないの」とトマ女さんがつぶやいたので、その後大事にしまっておいた。その眼鏡を出して見せたら、ニヤッと目を輝かせて受け取って、自分でかけようとしたこういう一瞬の反応で、トマ女さんもまだまだ回復できるんじゃないかと思ってしまう。暖かくなって家に帰ったら、いろんな計画を立てようしかし市民ホールの事務の人、車椅子貸出し手配はきちんとしてくれたけど、車椅子用の駐車スペースがちゃんと近くにあるじゃないの 遠いというから、わざわざタクシーで来たのに…。物を用意することは、公共施設などではずいぶん整備されてきたけど、バリアフリー情報はまだまだ意識が薄いんだろうな、と実感もしてしまった。
2008.03.02
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トマ女さんは順調に新しい環境になじんでいるようで、穏やかな日々を送っている。トマ吉さんは相変わらず、週にほぼ5日のペースで通って、トマ女さんの歩行練習と茶飲み話の相手をしている。昼食後はお昼寝の時間なので、その起きる頃を見計らって到着し、ベッドから起こしてトイレまで歩くというのが、パターンになってきた。リハビリ病棟と比べると、ベッドに寝たきりの方も結構いて、病状としては重い感じの方が多いというのも、家での療養が難しい人が主に入る病棟としては普通なのかもしれない。老健と比べると、看護的ケアの比率が高いから、レクリエーションといったようなアクティビティは少ない。日々のすごし方も、入所者のペースにできるだけ合わせる老健よりも、看護しやすさという都合に合わせて、食事時間も早めの病院によくあるパターンだ。それでも、何かと声をかけてくれるようで、病気のため自発性が乏しいトマ女さんとしては、テレビをしっかり見たり、ちょっとした受け答えをしたりと、ゆったりペースでのんびりすごしている様子。病院や老健、あるいはデイケアなどの事前説明を聞くときに思うのは、1日のスケジュール、週ごと、月ごとの予定というのは普通は決まっているのだから、整理してはっきりとおしえてくれればいいのに、そういう説明をしてくれた施設は今のところない。対応に追われて変わることが多い、というケースもあるかもしれないけれど、なぜなのだろう?
2008.02.28
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約束どおり今日もトマ女さんの様子を見に行くと、とても穏やかな表情ですっかり落ち着いた感じ。これでまずは一安心日曜日でもあり療法士さんもいないので、私が新しい環境で少し歩行練習などを試してみた。まずは廊下での歩行。なんと手すりにつかまり、つかまった手をすいすいと滑らせて上手く歩けた。距離はわずかだけれど、手すりが使えると、家に帰ってもやりやすい 軽~いスクワットのようなことも少しやってみると、これも5回くらいはできた!もうひとつは洗面所での歯磨き。洗面台が使いやすい高さで、寄りかかれる感じなので、立って磨いてみる。ずっと立ったままですることは難しいけれど、途中座って一休みすれば一応できた。先日のNHKの「闘うリハビリ」でも、バランスを取る練習として、椅子からの立ち上がりの練習光景があった。一昨年、トマ女さんが歩けるようになったリハビリでも、歩く練習の前に何度も座位からの立ち上がりと座る練習を繰り返していた。私は、これが歩行機能回復に重要な気がして仕方がない。昨日今日と、トマ女さんの動きを見ていると、結構よくなっていることを実感できた。もしかしたらある程度までは、昨年の骨折前に近いくらい歩けるようになるのでは、という期待も持てる気がする。勿論、時間はかかるだろうけれど。家族は諦めない。
2008.02.24
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介護保険での療養病棟に移った。ソーシャルワーカーにあれこれ聞き尽くしたかと思っていたのに、実際に行ってみると意外なほど新たな発見があり、びっくりした一つ目はリハビリのやり方。説明書類には「週に2-3回」とあり、口頭でもそのように説明を受けたが、実際はPT士とOT士が病棟に常駐する形で、必要な人に折々リハビリを行なうという形。勿論、目的やどのようなときにするかは、患者の状態を見て「維持」という名目の下、「自宅復帰」を目標にして家族などと相談という。より生活の中でのリハビリになりそうだけれど、どれくらいリハビリしてもらえるのか、確認しにくい問題もありそうだ。もうひとつは、昨日も話題になった延命措置。「療養病棟では延命措置はできない」ということを了承しなければならないような説明が医師からあった。勿論それでは困るので、「一般病棟で処置をお願いすると希望した」と伝えたが、「必ずしもベッドが空いているとは限らないし、当直医師が対応できるとは限らない」という。何のために入院しているのか分からなくなりそうになりながら、家にいたらどうするかを考えて、「それなら救急車を呼びますよ」と言ってみると、「受け入れてくれる病院を探すのは大変かもしれませんよ」という。最悪のケースを想定して、その場合どうするかを事前に決めておくことは大切だけれど、最悪のケースだけで話をしていくと、本来の責任が果たされないような状況まで想定しなければいけないようにも聞こえる。話し方にもよると思うけれど…。看護師の責任者が「対応マニュアルをつくります」と言ってくれたので、ひとまずそこまで。何か不穏な雰囲気かと誤解されてしまいそうですが、全体としてはどのスタッフの方も、一生懸命ケアしてくれている感じで、温かく迎えてくれた。さすがにトマ女さんは、周りの人も、風景も変わったので不安そうな顔をしていて、ちょっとかわいそう。「また明日来るから、感想を聞かせて」といってなだめて、やっと帰った私でした。
2008.02.23
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病棟を移動する前に、主治医から話をしておかなければいけないことがあるとのことで、無理やり時間を融通して病院へ。内容は「延命行為のこと等」というにもかかわらず、日にちもないとのことで電話で済まされそうになったが、トマ女さんの命を最終的に判断するのはトマ吉さんであり、時間を設定した。ところがトマ吉さんは主治医から希望のない話をされるのが嫌なのか、単に不機嫌なのか、「洗濯物を入れないといけないから行けない」と言い出す。この~頑固じじぃ結局代理で私だけがDr.の話を伺い、延命措置についても、トマ女さんが今すぐに死を覚悟する容態とは思えないので、療養病床に行っても、一般病棟での対応を希望することだけは話をした。また1月の痙攣後、シャントのポンピングは止めて、漢方薬で体内の水分の流れをよくするものが処方されるようになったこともわかった。確かに、ある意味で痙攣後、トマ女さんの意識状態は結構いい感じに戻ってきているのも確か。この状態でもう少しリハビリを続けられれば…、と思うのは家族なら当然のこと。移動する明日は会えないかもしれないので、ずっと担当してくれたPT士とOT士にもいろいろお話を伺った。特にPTを見れたのは久しぶりで、調子がよければ後ろから支える態勢でも歩けること。1点杖もできなくはなさそうなこと。身体の緊張をほぐすための簡単マッサージについてなどを教えてもらえた。本当に名残惜しい…
2008.02.22
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9月始めに水頭症のためのシャント再手術後、回復期リハビリ病棟に来て5ヶ月余り。本当は年末か1月にも次の居場所への移動を進められていたのですが、11月末の意識レベルの原因不明(?)の低下と、1月の痙攣のため、延び延びとされていたことが現実問題となり病院の担当者から連絡があった。実は2週間ほど前にも、老健のベッドが空いたという連絡があり、移動を促されていたものの、家族で相談した結果、今のトマ女さんの状態で老健がいいのか、療養病床がいいのか判断がつきかねたため、見送った経緯もあった。というのも、シャント再手術後の回復は、全く期待していたものと異なり、以前のレベルには達しないばかりでなく、痙攣という新たな問題まで発生し、家族としては不安な状態が続いていたからだ。このあたりのことがずっと脱落しているので、簡単に説明すると:<11月末のレベルダウン>原因は不明だが、可能性としては病室内での夜間の騒ぎのため眠れない晩があったためか、寒さが厳しくなったためか、受け答えや食事、勿論その他身体的な動きが極端に落ちてしまった。1週間ほど様子をみて、CTでも確認したものの、脳室としての変化は確認されない。シャント手術をした病院まで出かけて検査もしたが、所見としては同様で、シャントの機能も問題ないとのこと。血液検査の数値を根拠に「脱水症状が少しあるくらい」としか言われなかった。大きな異常がないのは一安心だが、対処がはっきりしないというのも困りもの。幸い回復期リハ病棟の今の主治医が、元脳神経外科医のため、独自の対応をしてもらえた。それはシャントの機能を補助するため、胸元のポンプのような部分を1日100回押すというもの。これにより再度回復基調に戻ることができたが、レベルが下がる以前の状況に戻ったとは言いがたい。<1月の痙攣>昼食時に食べ物を口に含んだまま、突然痙攣を起こしたと病院から呼び出しを受ける。吸引で肺への誤嚥を避け、酸素吸入などもして、当初は大騒ぎをした。幸いCT、脳波とも異常なく、リハビリ等もそれ以前と変わらぬようになるが、食事に関してだけは、おかゆと刻み食がしばらく続いた。ソーシャルワーカーもベッドの稼働率などが成績に影響するのだろう、それまで親身に相談に乗ってくれていたのが、「今回移動しないと、どうなるかわかりませんよ」と脅しにも似た口調になっている。確かに回復曲線の角度は殆どないような状況とはいえ、順調にリハビリをしてこれたわけではないのだから、それを考慮せずに期間でばっさり切るという制限は、どう考えても人間を相手にした制度としておかしなもの。憤懣はいろいろあるけれど、可能な選択の中から、最良を選ぶということしかできないのが家族。そして、これからは家族によるリハビリがより大切になってくる。
2008.02.20
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ブログ更新しないまま2ヶ月以上経ってしまった。トマ女さんの状態はその後いろいろありましたが、今は落ち着いています。でも、今度は回復期リハビリ病棟の日数制限が近づいており、次の行き先に家族の意見がまとまりません。そんなこんなで、気ぜわしい年末から、今年になって仕事が忙しくなり、ブログから離れていましたが、NHKの「闘うリハビリ」もあり、もう一度客観的にトマ女さんの状況や医療・介護のことを考える場としてのブログを復活しようと、決意を新たにいたします。というわけで、今日はその宣言だけですが…。この2ヶ月のことも、お知らせしていきます。
2008.02.11
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トマ女さんの具合はやはりあまりよくない。熱は土曜以降出ていないということだが、食事は全介助が続いているし、居眠りばかりしているという。今日になって主治医さまより、CTを撮るというお話があった。といっても、何日か先の話。歩行、意識、失禁などの状況を見て、単なる風邪とか、体調不良ではなく、水頭症の悪化を疑っているとのこと。シャントの弁はもう一杯に低くしてあるから、水頭症が悪化していたとしても、「これ以上やることはない」というのが急性期病院での主治医のお話。だから、これは結構深刻な問題。これだけ医学や技術が進歩している世の中なのだから、なにか治療方法とかあると思うのだけれど…。ネットで探してみても、シャントのことしか載っていない今日、私が持って行ったアップルパイは、なんと自分でフォークを使って口まで運んでいた。好きなものとか、めずらしいものだと、顕著な食欲は起こるようだ。とはいえ、実のところ、口元まで届かないうちに、口をあぐあぐしてしまう。そんな感覚もおかしくなっているということだ…。くも膜下後、せっかく随分回復したのに、転倒→圧迫骨折→水頭症悪化→シャント再手術となって以来、なかなか思うように回復が進まない。
2007.12.04
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昨日の帰り道、もっともっとトマ女さんを暖かくしてあげないとかわいそうと、遅まきながら気付いたダメ娘の私は、今日はお友達とのランチの予定でしたが、その前にあれこれと防寒グッズをもって病院に寄った。昨年は老健で使っていたものが殆どだけれど、パジャマも一番暖かいものを持ち込み、下着類も。下着類は着替えの一番上に乗せておいたり、外出時に着せたりして、看護師さんたちに分かるようにしていたつもりでしたが、自分から「寒い」とかを最近言わないトマ女さんは、寒がっているとは思われなかったようです。なんて可哀相~なトマ女さん。娘がちゃんと気付いてあげないとねー、と大反省熱は今朝はなく、十分に暖かい格好であることを確認して、私は早々に出かけたけれど、元気はまだ戻っていない。病院とはいえ、家族しか気付かないことも実は結構あるのだから、きちんと状況を説明して、お願いしなければいけないな、とあらためて思いました。入院慣れしてしているようだけれど、トマ女さんの容態は刻々と違うのだから…。反省
2007.12.02
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週の半ばに、他の患者さんのことで何かうるさかったらしく、トマ女さんが眠れなかった夜がったそうだ。それからというもの、昼行灯のような感じで、リハビリをしてもすぐに眠くなる。水頭症が完全には治っていないから、普段からその傾向はあるものの、食事も自分で食べなくなってしまったという。今日、お見舞に行ってみると、思った以上に元気がない。なんとか笑顔は作るものの、顔色も悪いし、声も出さない。痰がからんでいるのと、水洟が出たので、看護師さんに相談すると、すぐに体温を測ってくれた。すると37度。平熱が36度ちょうどくらいのトマ女さんには、微熱だけれど、調子には影響する程度ではある。インフルエンザの予防接種はしたのだけれど…。日中は暖かい日もあるけれど、朝晩はめっきり冷え込むようになっている。空調がきいている病院とはいえ、夜中の病室は意外に寒かったりするようで、お隣の患者さんのご家族も「寒がりですから」と、あれこれ布団の調整をお願いしたり、持ち込んだり。まずはトマ女さんに厚着をさせて、休んでもらおうと引き上げた。でもちょっと心配。
2007.12.01
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遅めの七五三のお祝いで着飾った子供たちが病院にも来てくれて、いつになく賑やかな病棟。子供が大好きなトマ女さんは、カッコイイ兜の柄の羽織を着た男の子には「よーく見せて」と話しかけたり、小さい女の子には「握手しよう」なんてめずらしく積極的に声をかける。いい調子かなと思って、柿を送ってくれた女学校時代のお友達にお礼の電話をかけると、相手の方も少し耳が遠いような感じもあるのかもしれないが、トマ女さんは以前の会話力が発揮されない。電話口で何かしら話していたようだけれど…。それでも自主リハと称して、今日は久しぶりに書字練習。文字にはとても興味を示して、読むことはできるし、書こうとはするのだけれど、なかなか手が動かない。失行の一種ともいえるのだろうか?やっと書き始めても、途中で迷って終わってしまう。あれこれ考え込んでしまっているようだ。今年の年賀状には一言ずつ書いて出せたのだけれど、来年分はちょっと無理そうだ。くやしいけれど、それが現実。トマ女さんの笑顔が見れるのだから、それをまずは喜ばないと…。
2007.11.25
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PTは午前中にあることが多いので、あまり見る機会がないけれど、今日は久しぶりに状況確認のため見学しました。一番嬉しかったのは、トマ女さんがマッサージをしてもらう台に座って、自分で前屈姿勢をとて靴を脱いだこと。元々身体が柔らかいトマ女さんですが、コルセットがあれば前屈はできない。ましてや痛みがある段階では絶対にしたがらなかったこの動作が、自然と痛みも無くできていた これで忘れもしない7月初旬の転倒による圧迫骨折が完治したであろうことを、家族としても実感。コルセットをはずして1ヵ月半になるけれど、これでようやく安心してコルセットを持って帰ってきれいにできる。今日は全体的にも調子がよく、PTでは後ろから支えてもらっての歩行練習をしたり、OTでは輪投げ風の道具に、上体を傾けて輪をかけていく動作練習もした。注意障害でなかなか思うように動いてくれないこともあるトマ女さんだけれど、この練習はとても集中してでき、上半身や腕のストレッチ、椅子からの立ち上がり動作に近いこと、左側視野の矯正、身体のバランスをとることなど、いろいろなことのリハビリになる気がする。ADL重視のリハビリでトイレや歯磨きなどの練習も大切だけれど、こういうシンプルだけれど動作そのものを繰り返し練習できるリハビリの方が、身体機能の回復として有効な場合もあるのではないだろうか?限られたリハビリ時間だからこそ、さまざまなアプローチの中から、その人の状態に合わせて進めていってもらえたら一番いい。
2007.11.23
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やっと多田富雄先生の「寡黙なる巨人」を読むことができた。表題は臨死体験の後、リハビリや回復への葛藤の中で、得体の知れない鈍重な巨人が自分の中に生まれてくる感覚を表わしたもの。今は弱々しくも、無限の可能性を秘めて自分の中に胎動する存在であり、新たな自分の誕生とも語っている。その戦いと内なる萌芽の一方、世界的な免疫学者であり医学部教授として、日本のアカデミックの中枢に携わってきただけに、医療の現状に対する言葉は厳しい。倒れられたのが2001年5月で、リハビリ医療は今よりも更に発展途上であったと思われ、多田先生ご自身が、リハビリテーション医学が国立大学で重視されてこなかったことを認めている。患者としてリハビリの療法士に感謝をしながらも、身体機能の知識と確立された方法論を必要とするリハビリ医療の水準については手厳しい。総合的な医療チームとして機能する必要性や、療法士が自己研鑽を積む機会についても触れている。そして鋭い鑑識眼は、患者の人権や治療環境の質から、日本の民主主義、愛国心にまで及んでいる。不自由な身体になってから使い始めたワープロを駆使して、こうした批評はもとより、新作能までをも創作されるのだから、その内面の奥深さには敬服するばかりだ。しかし多田先生が、身を挺して抗議を続けるリハビリ打ち切り制度に対する行政の動きは、残念ながらまだ改善が見られないのが現状。==================================================================ここから先は私の個人的コメント。患者のQOL(生活の質)やリハビリ医療の発展の度合いでは、多田先生も引合いに出されるアメリカが進んでいる。高額な医療保険料を払える人たちは、先端医療を受けることができるというのがアメリカ。しかしマイケル・ムーア監督の「Sicko」で映し出されたように、そこには医療制度として問題があるのも事実。OECDデータでは対GDP比の総保健医療支出はアメリカが突出して高くて15.3%である一方、一例に過ぎないが、アメリカの平均寿命は決して高くない(77.8歳で24位)。では保健医療の両極として上げられるイギリスはどうかというと、National Health Service制度があり、原則として全国民がごく限られた負担で医療を受けられると紹介されることが多いようだが、実際にはこの制度で診療する医師は減っており、受診まで長ければ数ヶ月かかるといわれ、崩壊寸前とも…。少し前には自分で抜歯を何本もしたというおばあさんがニュースに出ていた。理想的に機能する医療保険制度など、きっとないのです。"良いとこ取り"をしながら、日本こそが最高の制度を作ると考えるべきではないだろうか?問題が多岐にわたっているのだから、いくつかの部会を設けるように、医療保険、リハビリ医療、医師不足、療養病床や介護との連携等、それぞれが個別にあるべき姿を見すえた改良案を作りつつ、全体として機能するための数値的仕組みを構築する作業を別にもつといった手順が必要なんじゃないのかなぁ…。
2007.11.20
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高次脳機能障害で記憶障害のある若いお母さんが育児に奮闘されるドキュメンタリー(10月29日(月)放送の「NHKスペシャル」)の再放送予定です。12月11日(火) 深夜【水曜午前】0:10~0:59 総合テレビhttp://www.nhk.or.jp/special/onair/071029.html私がうっかり見逃してしまったため問い合わせたところ、おしえていただけました。
2007.11.16
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11月5日(月)のNHKスペシャル「眠れる再生力を呼びさませ」と題された、幹細胞による脳梗塞・心筋梗塞治療は、私たち脳卒中ばかりでなく脳外傷の患者とその家族にも大きな反響があり、いろいろな人との会話に登場している。その更に先を行くような治療が今度は朝日新聞の夕刊に掲載されていた。http://www.asahi.com/health/news/TKY200711150207.html患者本人の骨髄から幹細胞を取り出し、培養して患者の血管に注入して血管再生させ、組織の再生を促す方法は、NHKが取り上げた札幌医大での臨床試験(軽症から中等度対象)と同様ですが、こちらの国立循環器病センター(吹田市)では、「リハビリ効果が期待できない重症患者を対象」とした臨床試験で、年内にも開始するという。培養幹細胞を注入後、5時間で梗塞部が小さくなり、麻痺側の指の動きにも改善が見られ、その1回の投与だけで、職場復帰まで果たしたという姿をテレビで見た衝撃は大きく、まさに夢の治療。とはいえ、一般的な治療となるにはまだまだ何年もかかることを考えると、ちょっと遠い話に思えたり、脳のダメージを受けて何年も経過してしまった人には、効果がどのようにあるのかが知りたいところ。これとは別にトマ女さんがくも膜下で倒れた後、いろいろと調べていたときに私が行き着いた希望の光に、「脳の可塑性」という機能回復メカニズムがある。脳はダメージを受けても、残された領域の神経回路をつなぐ力があり、その回復力の大きさは近年再認識され、リハビリのやり方も麻痺側を使う練習をする方法が取られるケースも増えてきているという。つまり使うことによって、新たにつながる神経があるということ。http://unit.aist.go.jp/neurosci/sys-neuro/research12.htm幹細胞を使えば更に効果的だろうということは、私にも想像できる。そして幹細胞が使えなくても、人間の再生力を信じて、私は諦めないぞ新聞によると、幹細細胞を使った臨床試験は最初の4例が認められた段階で、このほかには大阪大学もあるようです。
2007.11.15
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病院が電気設備の点検ということで、部分停電があるのいうので、2週続けてですがトマ女さんは今日も外出です。今回は欲張らないで、病院で昼食を済ませた後に我が家に帰宅。2回目ともなると、トマ女さんも少しは私のに慣れてくれたようで、乗り降りも更にスムースになってきた今日の外出は、実はトマ女さんの助けがどうしても必要なことがあったからでもあるのです。それは、和服の準備。来週私は、なんとお友達の結婚式にご招待いただいていて、こんなときでもないと着ることのない、トマ女さんがとても気に入って買ってくれた訪問着を着てみることを決心したのでした。そうはいっても、着付けは何度かトマ女さんに教えてもらったものの、とっくの昔に忘れてしまっている。ましてや晴れのお席で失礼な失敗もしたくない。着付けは迷わずホテルにお願いすることにしたけれど、帯や小物等々の組み合わせや、忘れ物がないかどうかなどのチェックにも不安が…そこでかなり強引に、トマ女さんに相談に乗ってもらおうという魂胆。あれこれと家捜しをして、ある程度絞った候補のGoodsを、トマ女さんがいる洋間に次々と運び入れて全体を見てもらいました。帯は大体話をして決めていたので、帯あげ、帯しめ、草履やバッグの色や着物とのバランスを確認していく。殆ど二者択一かYES/NOで答えられるようにしておいたので、なんとか目標までクリア 途中、「この着物を買ったとき一緒にいた隣町の伯母さんがね、『うちにも欲しいわぁ』と言ったのよ」などと、昔話もしてくれた。とはいえ、トマ女さんには十分刺激が強すぎたようで、またくたくたにさせてしまったおやつとお茶で一休みして、病院に一緒に帰りましたが、玄関の出入りを考えると、トマ女さんの歩行能力がまだまだ戻っていないことも実感してしまう。焦ってはいけないけれど、まだまだ一緒に頑張らないと。
2007.11.11
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先日の金婚式ランチの際、トマ女さんとトマ吉さんのツーショットをいくつか撮っておいた。旅行の写真をトマ女さんの兄姉たちへ送らないまま1ヶ月になろうとしているので、その言い訳としての近況写真でもある。まじめに並んで撮った写真もありましたが、トマ女さんが一番笑っている、乾杯の写真を配ることにしました。ちょっと逆光だったけど近況報告の文面は、これまで何度かやってきたとおり、私がたたき台を作ってトマ吉さんに添削してもらう。これまではトマ女さんにも無理やり相談していましたが、今回はタイミング重視でプリントアウトまで済ませてしまった。そのかわり、封入と投函を一緒にやりました勿論その前にしっかり手紙を音読してもらって なんと、横書きA5サイズだったのに、すらすら改行部分も問題なく読んでくれました 急性期病院にいたときには、縦書き葉書すら左半分見えなくて随分苦労したのが、ゆっくりだけれど回復していることが確認できた糊付けと切手貼りはちょっと集中力と指の力足らずで、大分助けが必要だったけれど、病院入口にあるポストの前で、車椅子から立ち上がって、ちゃんとトマ女さんに投函してもらいました。 ほんのちょっとのことだけど、トマ女さんも何か達成感があったような満足顔。もっと工夫して、いろんなことを一緒にできるようにするといいのだろうね。
2007.11.07
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