仏陀は、ほんとうに潜在能力の高い言葉のひとつを選んだシュニヤータ。英語、それに相当する英語"ナッシングネスn o t h i n g n e s s "は、それほど美しい言葉ではない。私がそれを"ノー・シングネスn o - t h i n g n e s s "としたいのは、そのためだ。というのも、無というナッシングは、ただのナッシングではないからだ。それはすべてだ。 あらゆる可能性で脈打っている。それは潜在能力、絶対的な潜在能力だ。それはまだ顕現していない。だが、すべてを含んでいる。初めに自然があり、終わりに自然がある。だとしたら、なぜ、その真ん中でそんなに大騒ぎするのかね? なぜ、その中間で、そんなに心配し、そんなに気をもみ、そんなに野心を抱くのかね? なぜ、それほどの絶望をつくりだすのかね? 無から無へ、それが旅のすべてだ。