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06年7月 急遽帰国07年1月 会社同僚家族と一緒に再訪(メインはHDL)その後は海外旅行どころでない生活。引越し、転職、なんでも経験したよな。およそサラリーマンとしてギリギリの経験をさせてもらった。こんな経験はまっとうなサラリーマンでは経験できないだろう。で2年半の時空を超えて懐かしの香港へ。もちろん旅行。あの場所にあった店は?こんな会話が山ほどでるだろう。そしてマカオの竹湾酒店。のんびりしたコロアン島のポルトガル人オーナー経営のホテル。かつて生まれて間もないレナが泳いだプールと軸がぶれ今にも外れそうな勢いで回っているシーリングファンの元で、夏の暑い朝にノーエアコンで食べる欧州式の朝食、楽しみです。
2009年07月13日
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本当に慌しい日々が続いている。この1ヶ月も東京、香港、廣州と移動、移動、移動。この日程で、日本での新居探しと契約、香港での引き継ぎ、香港の家の引越し矢継ぎ早に日程をこなす中、既に完全に組み込まれてしまったプロジェクトの進捗を追いかける。幸い、先週香港に戻ってから、しばしの香港ステイ。週末は会社の方や香港赴任以来、付き合いのある友人と一緒に送別芝刈り、忙しい中、最後の最後でリラックスできた。翌月曜は朝から引越し、作業終了後、その夜に廣州へ移動。火曜、水曜と打ち合せをこなし、先ほど香港へ戻ってきた。既に家は引き払っているので会社隣のホテルへ宿泊。チェックイン時点で既に夜中の12時近く。明日は午前中に税務局へ行き、香港を去る旨を宣誓する予定。これがないと最終月の給料が支払われないらしい。また銀行の住所変更。香港の銀行はさすが金融自由都市だけあって証券から基金から、外貨預金から非常に安い手数料で運用が可能。外国に引っ越しても継続して口座を維持すれば日本の手数料、制約ばかりの金融システムで資金を運用するよりは数段効率がいい。これらを終えれば、いよいよ午後の片道便で日本へ完全帰国。余りに慌しく気持ちの整理もできず、お世話になった方々、取引先にも満足な挨拶が行えず、香港を去ることになってしまった。社命とは言え、悔いの残る帰任かも知れない。02年5月の着任以来、4年余り、香港での生活環境や香港人の色々?については苦しめられたが、今から思うと非常に充実した4年間であったかも知れない。若干30代前半で会社運営を、小さな組織とは言え、トップ2の立場で会社全体を俯瞰しその場で自分で判断し、頭を悩ませた経験は今後の何らかの糧となるだろう。私生活ではこの地で結婚、出産、子育てと人生で初めての経験ばかり。香港のよさも沢山知った。 非常に効率的な社会、自由な経済活動、子供にやさしい人々や社会、便利な交通システム、効率的な空港。何をするにも規定、規制ばかりで、幼児を連れて出歩くのに何故か非常に気を使う日本(周囲の大人の幼児への無表情な反応)の社会へまた戻らねばならない。海外へ住むと日本を客観的にみることが出来ると言うが、確かに日本のいいところ、悪いところが以前に増して理解できたような気がする。これから新しい生活が始まるが、この4年間の香港での仕事と生活は自分の人生の中で非常に有意義な日々だった。再見香港 !p.s. 今後も出張ではちょくちょく来るので今後の香港の変化を是非ウォッチしたい。
2006年07月05日
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嫁さん、レナ公が日本へ完全帰国。4月からずっと出張続きでほとんど香港にいない激務の中妊婦で臨月の近い嫁さんはギリギリのタイミングで香港での撤収作業を追え日本へ帰国。レナ公はあいにく最後の晩は高熱を出して大変だった。ちょうど日本から香港へ戻って空港からそのまま半島酒店へ直行、何食わぬ顔で部屋に入り結局、その晩は本来、嫁さん、レナ公、嫁さんのお母さんの3人宿泊のはずが居候。本当は翌朝広州へ出張となっていたので自宅で泊まるつもりだったが半島酒店で家族と共に最後の夜を過ごしたかった。聞きしに勝るビクトリアハーバービュー。翌朝、空港まで家族を送り、ホンハム駅へ。激戦の広州へ繋がる直通列車に飛び乗った。嫁さんの出産と帰任が重なったこと日本への引越し準備も常に変動するスケジュールの為予定がつきにくい日本のプロジェクトに完全に組み込まれた為、引継ぎのタイミングがほとんどないプロジェクトの進捗状況が非常にタフな状況に陥っていること色々要素が重なるとどちらも譲れない状況下でどうやって判断してそれぞれをこなしていくか、わずか1週間先の変動を常に考慮して過ごす日々となっている。7月までに収まるか・・・ まだまだ続くこの毎日。台湾側のPM(Project Manager)が激務の為体調を崩し急遽広州工場から台北へ送還。この穴は大きい。自分も気をつけないと。
2006年06月17日
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4月に突然本社社長からの一本の電話で始まった日本の某プロジェクト案件の支援から早や1ヶ月、話が飛びに飛んで日本への帰任が決定。辞令上は7月1日付け。5月は広州の工場、東京の本社と客先、台北の開発センターと飛び回り、香港での宿泊日数は5日に満たず。まるで毎日移動しているようなハードな毎日。嫁さんとレナ公は一旦日本に帰るも、再度香港に戻ることを前提としていた為今週再び香港に戻る予定。銀行や大手商社は辞令が出て2週間ほどで動くとよく言われているがまさにその状態。うちの会社は金融でも大手でも何でもないが。香港での引き継ぎ、挨拶、東京での新生活、現行プロジェクトの行く末、新たに設立されたセールスチームに配属での今後のプランなど色々複雑に交錯中。ここで冷静にひとつひとつクリアにしてソリューション(解決方案)をみつけ、確実に日程をこなさねば。7月末にはレナ公の弟が誕生。公私にわたり激動の6月-7月、8月はどんな状態で迎えられるか楽しみだ。
2006年06月04日
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ツーピース式の水着。これもまあ似合ってるな。竹湾ホテルのテラスにて。ここから竹湾ビーチを眼下に一望が可能。浮き輪を小脇にかかえ、ホテル前の坂道をビーチに向けて駆け下りるレナ公。竹湾ホテルのオーナーには息子が二人いるらしい。そのうち1人は4年前に初めて泊まったときに目撃。恐らく当時は中学生か高校生くらいか?土曜の夜は中庭でBBQをやっていたが(当時は噴水なし)宿泊客は我々の他に数組だけ。この時点で、このホテル大丈夫かなと不安がよぎる。オーナーの息子は一人でBBQに混ざって夕食を食べていた。そして翌日、市街地からホテルへ戻るミニバス、郊外にあるため、市街地では満員だったバスも次第に乗客がまばらに。気がつくとこの息子さんも一緒のバスだった。そして同じバス停で下車。あっ、やっぱりBBQを食べていたオーナーの息子だ!と断言。それから4年の時を経て、あの竹湾酒店が改装リニューアル。そして事務所にはあの息子よりも一回り年上の似た顔立ちのマネージャーらしき青年が。嫁さんと、彼はきっと長男で、海外に留学か何かしていて今回の父親であるオーナーの改装計画に合わせてマカオに戻り家業を継いだとか?と勝手な想像をしていたがフロントのスタッフに聞くとまさにその通り。聞けばイギリスに留学、専攻は観光か旅行かと思ったが何とモータースポーツ?!卒業後、就職口が見つからずマカオに戻ってきたそうな。う~ん、当らずとも遠からず。ちなみに彼もマカネーゼのはずだから、意外に広東語や北京語が通じるかもな。顔立ちは今はやりのマカオ出身の父親イタリア人、母親ミャンマー人の双子のロックバンドのSolerよりも、よりヨーロッパ的。これだけ子連れで泊まっているのだから覚えてもらっているはず。次回宿泊の際は是非とも話しかけねば。
2006年05月10日
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先日、香港の離島のひとつである長州島のビーチでビーチ遊びをしたレナ公、竹湾ビーチではいよいよ泳ぎにトライ。実際は、津波で押し流される直前に社員旅行で行ったプーケットのビーチが初海泳ぎだったレナ公。やはり波は怖いらしい。最初は波が足にあたるだけで大泣きだった。そのうちに慣れてくると上機嫌、ホテルに戻るときはまだ遊んでいたいと逆に大泣き。やれやれ慣れてくれるのは嬉しいが今度はどうやって終わらせるかも頭が痛い・・・・竹湾ビーチ、竹湾ホテルの案内には(かなり古い)ビーチの水はマリンブルーできれいだが実際、ここ20年の中国の経済発展と珠江から流れ込む土砂の影響で水はかなり茶色い。伊豆の海と言ったところか。久しぶりの海泳ぎだったがやはり波の上下動がある自然環境で泳ぐのはプールで泳ぐよりもかなり楽しかった。
2006年05月07日
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とレナ公は水遊びをこう呼んでいる。多少きゅうくつになったが水着はまだ着れるようだな。浮き輪と腕にはめる浮き輪も準備完了。本人やる気満々だ。竹湾ホテルの部屋で撮影、背後は如何にもポルトガルらしいアズレージョの壁、青中心の色使いで、確かに本国ではそこら中にこのアズレージョがありポルトガルと言えばやはりこれかも知れない。プールでの泳ぎは見ての通り、最初は足がつかないので非常にビビッて泣き喚いていたが、慣れとはすばらしい。かなり様になっている。我が家が定宿としているホテルはコロアン島(路環)の竹湾ビーチを見下ろす高台にあるその名も竹湾酒店(ホテル)初めて行ったのは4年前、ある文庫本のエッセイに書かれていたこのホテル、筆者はマカオに行くと必ず緑ワイン(ビーニョ・ベルデ)を飲み竹湾酒店でのんびりと過ごすとの記述に是非行ってみようとトライ。結果は大抵がカジノを設置して昼も夜も派手なネオンでギラついているマカオの無数のホテルの中にあって、このホテルは市街地から車で20分あまり離れた郊外のコロアン島にありひなびたリゾートホテルの体裁を維持している点がまず気に入った。宿泊客はホテルの雰囲気を反映してか欧米人が大半。オーナーは通称マカネーゼと呼ばれるポルトガル人の末裔(15世紀にマカオにやってきて以来、この地に住みついた土着のポルトガル人)ホテルは適度に寂れていたが、ヨーロッパを感じさせるつくりと(暖炉もある)中庭にこぢんまりとしたプールがある点(レナ公は生後半年で初泳ぎ済み)、大抵どの部屋からも眼下に竹湾ビーチを見下ろせる等、自然に触れながら都会の喧騒を忘れたい時にはベストの場所。近くにはマカオで一番老舗のリゾートホテルであるウェスティンホテルがあるが、こちらは部屋代も高いが設備も豪華、竹湾ホテルとは一線を画している。嫁さんとはこんないい雰囲気のホテル、寂れているけど今後も是非ずっと経営を続けて欲しいと話していたのだが昨年の滞在時に異変に気づく。何と、豪華にリニューアルしていた。各部屋の調度品は本国から取り寄せた(?)と思われるベットや洋服タンス、バスタブはこれまでの倍以上はあると思われるジャグジー付きで深めのタイプ、屋上(実際は斜面に建っているので屋上がフロント面となるのだが)の中庭に以前はなかったヨーロッパ調の噴水、また部屋数も増築されていた。こりゃ、オーナーの意識が商売っ気に転じたのかなと思っていたが、今回の滞在では連休ということもあるが欧米人が多い多い、以前に夫婦で泊まったときは宿泊客は他に数組ほどいればいいのが今回はいるわいるわ。もちろん同胞も確認。フロントで聞けば、オーナーが積極的に宿泊客の誘致を始めたとのこと。日本の旅行エージェントも数社を紹介してもらったらしい。こうなると隠れ家的で利用してのが今後は予約も取りづらくなりそうで些か不安。
2006年05月06日
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マカオへ旅行。もう何度来たことか。それだけ家族ではまっているマカオ。マカオと言えばポルトガル。ポルトガルと言えばパン。そう、マカオではメニューでパンはBreadではなくPao(パオーンと発音)と記載され、まさに日本語のパンはこのポルトガル語から流入したことが分かる。レナ公、今回のステイではパンに夢中だった。中華を一度も食さない旅だったので食事の前には必ずその店独自のパンがまず食卓に上がった。それぞれ個性的な味で、これを楽しみながらワインを飲むだけでも通にとっては満足だろうが。レナ公、親の分まで食べつくす勢いでもう脱帽。ポルトガルは15世紀からマカオを統治していただけあって様々な面でこの狭い土地に影響を残している。この点ではアングロサクソン系でプロテスタントのイギリスに統治されていた香港よりも、ラテン系で華やかなカトリックのポルトガルに統治されていたマカオでは雲泥の差がある、と個人的に思っている。そこがマカオの魅力なのだが。そういえば、プロテスタント国のイギリスやドイツにうまい料理が少ないのは質素倹約を信条とするプロテスタントの弊害?美味しいポルトガルマカオ料理に、欧州の雰囲気漂う町並み(特に世界遺産になった一角は歩いてみると新婚旅行で行ったポルトガルの首都リスボンの町並みと瓜二つ)香港ほど人が多くなく、それでいて人々が親切で素朴、おまけに我が家には隠れ家的な存在の定宿もあるし。 この定宿が今回の滞在で大きく変わっていたのは驚いたが。
2006年05月05日
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字面の通り。まだ寒い時に撮ったのですごい厚着だ。日本は3日から連休が本格スタート。本当は3日で香港に帰りたかったが案の定全て満席。已む無く4日フライトに変更。従って3日はホテルのチェックアウト時間まで仕事。午後は新宿で野暮用、その後、嫁さんの実家へ移動。1日の真夏日(だったらしい)や2日の肌寒い陽気(空港を出た瞬間寒かった)うって変わって、如何にも5月の連休のような風薫る快晴の天気だった。景気が回復した日本、待ち行く人の様子も明るく感じる。広東語や北京語は絶え間なく聞こえてきたが、しばし中華圏の喧騒を忘れ昔の自分に戻った。
2006年05月03日
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家のソファーにはミッキー、ミニーにアンパンマン、北京オリンピックのマスコット(名前忘れた・・)が鎮座されているがレナ公、機嫌がいいのかなにやら彼らにチョッカイを出している。キスまでしたぞ。えらくサマになっているのが怖い・・・・今日から日本出張。朝一番のフライトで香港から成田へ飛び、そのまま市ヶ谷へ。到着後、直ぐに社長を含めた本社関係者と会議、続いて19時から客先に出向いて台湾側と電話会議。終われば既に21時過ぎ。本社担当者と一緒に居酒屋へ。居酒屋とは言っても酒は飲まず。本社の担当者はマレーシア華僑で、飲ませれば非常に飲むがプライベートでは別に酒を飲まなくても何も関係ない考え方なので助かる。普段、夕食で酒を飲むのが当たり前になっている人とだと非常に気を使うが日本人だと何故居酒屋で酒を飲まないの?と思われかねないがこの同僚は自分もソフトで全然いいよと非常に気さく。仕事の進捗状況や今後のスケジュールを綿密に話し込む。久しぶりの日本の居酒屋。刺身に肉じゃが、豚しゃぶサラダ、枝豆などよく考えたら香港で居酒屋に行って食べるメニューなのだがやはり日本で食べると何もかもが新鮮で美味しく感じてしまう。但し、自分の身体が香港仕様になっていることを実感したのはオフィスの空調に耐えられなかったこと。昨日の真夏日と打って変わり、今日の東京は最高気温が15度前後とかなり肌寒い陽気、オフィス内は従って弱暖房が入っており乾いた空気の影響もあって顔が火照るわ、苦しいわ、暑いわまるで香港人が日本へ来て騒ぐような感覚に襲われてしまった。
2006年05月02日
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待ちに待った台湾のロックバンド”五月天”のコンサートでホンハム体育館(通称:紅館)へレナ公初見山。3色に光る蛍光棒を振りかざして肩車でノリノリのレナ公。最初から皆総立ちのためステージが見えず、肩車をしろしろと騒ぐレナ公。肩車をするとひたすら蛍光棒を振って集中。幼児にロックは合うのか?五月天と言えば6年以上も前に台湾の知り合いから教えてもらったバンドだが北京語と台湾語を織り交ぜたロックに衝撃を覚えてはまってしまった経緯あり。香港では大御所”Beyond”がいるが台湾には五月天と言えるだけの実力があると言い切れる。作詞、作曲はほぼリードボーカルの阿信が担当、彼の音楽センスは心に訴えるものがある。台湾語が多いのも特徴で一度聞けば耳に残る曲が多い。今回の香港ライブは香港人に配慮して北京語ばかりかと思ったが最近のアルバムの北京語を中心にして台湾語の曲も3分の1ほど歌ってくれて満足。但し、紅館の規定で12時を過ぎてはいけないのでまだまだ名曲を歌い切らずにライブが終了してしまったのは残念。過去に自分の台湾語のレベルは五月天の曲をどれだけ歌えるかで目安にしていたことがあり、最近は4年の香港生活で錆付いてしまった台湾語もまたブラッシュアップしてみようかなと実感。
2006年05月02日
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お絵かきから落書きまで最近は何でもこなせるようになったレナ公。粘土も覚えて家で格闘中。まだ意味もなくこね回すだけだが。誰かに歳を聞かれてもしっかりと2歳とジェスチャー尽きで答えられるしな。ここ数日は暑い暑い。ロケフリで日本のワイドショーを見ていると、東京も暑いようだ。どうやらここ40数年来で夏日観測の最短記録らしい。今年の夏も暑いのか。我が家ではエアコンの除湿モードがフル稼働中。
2006年05月01日
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中国と言えば雑技、雑技と言えば上海?今回の上海ステイではいかにも観光客らしい場所にもトライ。雑技、響きは安っぽいがやっていることは本当にすごい。さすが13億人も人口がいるだけのことはある・・・と片付けられそうだが実際は、貧富の差から何とかして食い扶持をつなぐための手段として幼少のころからひたすら単一の芸を磨く子供が非常に多い産物だったりして。今回はレナ公も楽しめるだろうと選定。皿回しは定番だがやはり信じられない。一人で両腕それぞれに5,6枚の皿を細長い棒を軸にひたすらまわし続けている。この集中力に加え、そんな状態で運動会の組体操のようなアクロバットな姿勢を維持したりしている。後日、深せんの錦繍中華と言うテーマパークでのショーでも同様の皿回しを見たが、広い中国、一体どれだけの皿回しの使い手がいるのか?<中略>最後はいよいよお待ちかね、バイクを使った雑技。雑技を言うよりもアクロバットだ。鉄製の金網で周囲を覆われた球体の中で最高 5台のバイクが互いに接触することなくひたすら回るこの迫力。加速をしているのでバイクが落ちることはなく重力に逆らって球体の上下左右を縦横無尽に疾走するだけでもすごいが球体の中に次から次へと新たなバイクが爆音を轟かして進入し合計台数が増えていくときはもうハラハラ状態。直径5m程度の球体の中で、125cc(推測)のバイクが互いに接触せずに廻るにはお互いのバイクが走る進路と、それぞれのバイクが交差するポイントを確実に把握し、お互いの位置関係を正確に捉えていないと確実に接触、転倒、他のバイクも巻き込んで球体の中で大惨事になること確実。いや、これは本当に見る価値はあった。ひとつ気になるのは5台のバイクチームのリーダー格の人。太めの顔に長髪で、小太りな様子はとても選りすぐりのライダーとはお世辞にも言えず・・・・まあ、テクニックがあるのでいいのだが。
2006年04月30日
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上海の旧フランス租界にあるドイツ料理レストランにて。野外にも座席があり、脇には子供が遊べる設備を完備。立派な滑り台もあり、高いところが大好き?なレナ公も大はしゃぎ。この滑り台、角度がかなりきついので最初はビビッて下りてこられなかったが一旦すべり降りてしまえば、まったく問題なし。ドイツ料理レストランだけあってビールが豊富。周りは白人が多かった。嫁さんの友人夫婦+レナ公とほぼ同い年のお嬢さんと一緒のランチだったが妊娠で酒を断っている嫁さんを尻目に、白ビールなるものを少し味わう。これまで飲んだことがないフルーティな味わい。下戸の自分でもいいなと思わせる味だった。香港ではジョリーシャンディーというアルコール度数0.5%のビールがあり(と言うよりは炭酸飲料)これなら思いっきり飲んでも大丈夫なのだが本番ドイツのビールはさすがに強い。舐める程度で終わったことは言うまでもない。
2006年04月29日
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上海の通称おのぼりさんストリートが南京路。中国各地から観光客が集まり、喧騒と雑多が入り混じり地元の上海人はほとんどいないらしい。東西に数Km伸びるこの道(歩行者天国)にはシャトルチンチン電車なる乗り物あり。ただ単に道の端から端までを沢山の乗客を乗せて動くだけだが車内から見える風景もまた格別だった。レナ公もひたすらシュッシュ・ポッポを連呼していた(機関車トーマスで覚えた)南京路ではユニクロも発見。値段は香港と変わらん。こんな高い服でも買う人がいるのが今の中国の経済発展のすごいところ。格差は大きい。広州への2泊3日の出張が終了。宿泊は広州東駅そばのホテル。今はちょうど広交会(春季広州交易会)が開催されており、世界中からバイヤーが集まっている為、広州の各ホテルも香港にも負けず劣らずの、宿泊客の足元を見る高圧姿勢。1泊なんと、2,250元だった。すごすぎる。設備はそれなりに豪華なホテルだったが、この値段はちょっとな。
2006年04月28日
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寝る子は育つというけどレナ公はまさによく寝る子だ。夜更かしなのでいつも寝ているわけではないが一旦寝てしまえば何事にも動じない図太い神経をもっている。ただ今、広州へ出張中。日本から出張中の客先担当者と、うちの会社の日本本社の営業担当それに台湾から出張しているプロジェクト関係者で終日打合せ。終われば夜の8時、さあこれから夕食だが広州はあまり詳しくなし。実際、台湾から出張中の台湾人も広州での食事についてはあまり詳しく無し。広東料理を食べなれている自分の方がひょっとしたら逆に色々注文できるかも知れない。
2006年04月27日
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評価は色々分かれると思う。デザイン的に前衛的、未来的とも言えるが個人的には気色悪いの一言で片付いてしまう。レナ公もこれが視界に入った途端に反応していた。初めて上海の地を踏んだのが大学1年の夏休み、今から15年も前のことだがこんな建造物はなかった。浦東という言い方自体知らなかったし。
2006年04月26日
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長距離列車の楽しみと言えば、やっぱり食堂車。九龍(ホンハム)-広州東間の電車でも食堂車があるが乗車時間が2時間程度で、大抵、直ぐに人で一杯になり居座る人も出て楽しめたことがなかった。今回は長い長い旅で、初日夕飯、2日目朝食、昼食と最低3食のチャンスがあった。結果は定時に行くと既に満席状態。しばらく待つはめに。味はなんとも言えなかった。全て同じ味に感じた。恐らく味の素を大量に入れていると推測。座席兼寝台のシートは幅がイマイチ、それでもレナ公と父親は一緒に並んで寝ることは出来た。深夜は湖南省を横断、線路の整備状況が良くないため、かなりの振動と音がしていたがなかなか寝付けない母親を尻目に父子2人は平気で爆睡していたとか。写真はパスポートを掲げたレナ公。実は生まれた直後に撮った写真のため、既に別人状態。これではイミグレの検査官も大変かもね。
2006年04月24日
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先日の上海旅行、香港の自宅から徒歩10分以内の九龍(ホンハム)駅から出発。車両は中国側のもの。香港側車両はきれいで機能的だが香港から広州東駅までの路線しか走っていない。プレートを見たときは、これから始まる26時間の旅が実感できワクワクした。窓際には小さなテーブル、座席兼寝台のシートはこれを挟むように前後に配列。ベットは幅広ではないが長さは十分にあった。さすが中国/香港の鉄道は広軌を採用しているだけあって横幅は十分。レナ公の遊び場としてはちょうどいい広さかも知れない。室内の通路がちょっと狭いけど。ドアは鍵が無い。あるけど外へ出るときに自分で閉めて、戻ってきたときに車掌室に声をかけて開けてもらう仕組み。そのうちに部屋から脱走して長い廊下で走り回るやつがいる。たまに裸足で走り回るので足の裏は真っ黒に。隣が食堂車であることとトイレが案の定、お世辞にも清潔とは言えず、われ等の車両の廊下に敷いてある絨毯はかなり汚れていた。
2006年04月23日
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幼稚園のジャージを着て運動会?に参加中。これから夏なのに厚い生地なので、暑がりのレナ公にとってはしんどいかもな。
2006年04月22日
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地面から水が吹き上がるのを見て大興奮のレナ公。ずぶ濡れになりながら遊んでいた。幸い着替えを持っていたので後顧の憂いなし。一緒に遊んだが水遊びは童心に帰ることが出来るよな。上海から帰る日の朝、空港でチェックイン中に日本から電話があり。本来、香港到着後、そのまま日本へ出張の予定だったが急遽、状況が一変し広州へ行ってくれとの指示。社長命令で日本で進行しているあるプロジェクトを香港から全面支援する今回のミッション。久しぶりにやりがいのある仕事が出てきて非常にモチベーションがあがる。香港到着後、夕方のフェリーで再度中国へ。浦東(上海)→香港→福永(深せん)→広州と1日で大移動。向かうは我が台湾のグループ本体が広州に設立した巨大工場。客先は某日本の大手メーカー。これからどうなるかワクワクする。
2006年04月22日
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キラキラ星の歌はほとんど口ずさめるようになったレナ公。絵の具を使ってベタベタに塗りたくる図画工作、キレイ好きで几帳面なレナ公は出来るだけ指先を汚さないように台紙のフチには絵の具を塗らなかったらしい。他の子供はフチからはみ出した絵の具で指先まで印象派だったらしいが。上海到着後はまさに食、食、食の2日間だった。やはり現地で食べる料理は格別。紅焼肉は店によって秘伝のタレがあるらしく食べる度に感動。香港で上海料理を食べるときによく出てくるワンタンや菜飯は意外にもお目にかかれず(単に注文しなかったから?)名物スープの[月奄]篤鮮 (イ・ド・シ)は上海語の発音でいまいち意味不明だったが嫁さんの上海人の友人に意味を教えてもらいついに解明。[月奄] 咸肉(塩漬けの肉) 篤 煮込む 鮮 豚肉要はまず塩漬けの肉で長時間煮込んで更に豚肉や他の材料を加えて煮込むこと。これが非常に美味しい。まさに上海のお袋の味かも知れない。その上海人の友人も家では当たり前のようにつくると言っていたし。上海料理は醤油ベースで(黒酢も使うが些かクセあり)日本人には非常に食べ易い料理だと思う。
2006年04月17日
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等身大チェスが置いてあるパシフィックコーヒーにて。高いところが好きなようだ。他に一緒に遊んでいた子供たちも競ってこの頂上を目指し時には緊迫した状況に。特に白人の女の子が非常に強引で他の子供たちを無理やり押しのけて突き飛ばしていた。一番身体の小さいレナ公はまさにこの白人の子にやられて大泣き。でも隙を見ては頂上に座り込んで上機嫌。食ばかりの上海だったが、地図を見ていてふと思い立ち、孫文の旧居を見学した。場所は旧フランス租界。租界とは中国国内にありながら中国政府の権限が一切届かない治外法権のエリア、香港が租界でなかったのはイギリスが南京条約で完全に香港を中国から奪い取ったからだが上海は同条約で海外に対して開港した後も正式に外国の領土とはならずこれら外国勢力の実質植民地と化した租界の拡張によってその市街地が形成されていく。戦前に中国での権益を牛耳っていた欧米列強の中でもフランス租界と名がついているのでフランスが当時は一番勢力が強かったのかなと密かな疑問。ちなみに日本租界は正式には存在せず。但し、虹口区の旧日本租界と呼ばれているエリアは当時は日本租界と呼ぶに相応しい日本人街を形成していた。日本租界が正式になかったのかについては恐らく欧米諸国のアジア人への人種差別だろう。孫文は欧米諸国にどんどん侵略され、侵食される中国の将来を憂いて革命を指導、清朝を倒した後は初代中華民国総統になった偉人。彼は大陸中国人やおろか、香港人、台湾人、海外華僑にとっても”国父”と呼ばれるくらいの共通の偉大な人物。日本との関係も非常に深く、日本にもたくさんの支持者がいたと言う。彼が住んだと言う家は他にもたくさんあり、マカオの孫文旧居は既に見学済み。本来なら中国のお札も孫文を刷ればいいのにとは個人的な意見。そんなこと言ったらまずいかな。
2006年04月16日
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アンパンマンと記念撮影した同じショッピングモールにあるパシフィックコーヒーにて。大きなチェスだ。レナ公の背丈ほどもある巨大チェス。最初は全部きれいに並べられいたのにレナ公はこれらを根こそぎひっくり返して得意顔。店員があとで全てきれいに並べなおしていた・・・・・上海行き電車の旅、浙江省に入ると周囲の風景が徐々に変化。農村風景は変わりないが、金を持っている家が多い。さすが広東省や江蘇省などと並んで裕福の浙江省だけに見かけがこれまで通り過ぎた湖南省、江西省と比べて小奇麗で2階建て、3階建てが多く見えた。内陸の省である湖南、江西などは広東への出稼ぎ者が多いが車窓からの風景でもこの経済格差はよく見て取れる。隣の車両が食堂車だったが食事時に行くと常に順番待ち、何とか場所をとるとメニューは毎回同じ、値段も割り高。香港小厨という名前、中国と香港を結ぶ国際列車なので香港らしい名前をつけているが、どうも中国側の会社の経営と思われる。昨晩の夕食時は車窓からは闇しか見えず、やはり周りの景色を見ながらの食事は美味なり。味の素を使っているねと嫁さんと品評するほど、どの料理も似たような味だったが一度でいいから電車の旅で食堂車へ行きたかったのでこれもよしとしよう。杭州を過ぎて、嘉興に到達すると線路の整備状況も格段によくなりスピードを出している割には揺れが非常に少なく快適。そういえば、湖南や江西を走っているときは徐行?と言う位に遅かった。そのうちの車窓には見慣れた上海の風景が広がり列車はほぼ定刻通りに上海駅に到着。26時間の旅、これにて終了。 疲れは多少残ったがいい経験をした。上海は気温10度を切っていた。真夏の香港からまだ桜が咲いている上海、この気温差で体調を崩しそうで怖い怖い。タクシーに乗ると暖房が入っている。 よかった。香港ならこの陽気でも冷房全開だもんな。
2006年04月14日
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イチゴ狩り(実際は有機野菜狩り)の時にランチを食べたビュッフェにて。香港では有名な美心というグループ会社の店(ディズニーランドにも出店)そこになんと原寸大と思われるアンパンマンの頭を発見。胴体はマネキンの上半身に美心の制服を着せていた。上海行き、今回は電車にて。香港から約26時間の長旅だ。香港から広州までは出張でも頻繁に使っている路線なので眼前を流れる風景は大した感動なし。広州を過ぎると電車は北に進路をとり、広東省をどんどん北上。山と河、渓谷中心の去年に行った広州の北西100kmにある風光明媚な景勝地である肇慶に似ている。実際、今も電車の中。広東省は既に脱出、昨晩寝ている間に湖南省も通過、現在江西省を横断中。もう少しで浙江省との省境が近い。香港では冷房が入っていた車体も今は暖房が入っている。さすがに広い中国。江西省まで来るとあたり見渡す限りの平野。やはり大陸を実感せずにはいられない。江西省の車窓からの風景は広東省と違ってゴミがあたり一面にあまり散乱しておらず比較的こぎれいな風景と(殺風景でない)レンガでつくった茶色い壁と、日本の瓦葺きの3角形の屋根が印象的。座席はレナ公、妊婦の嫁さんのことを考えて2人用の個室にした。高包(高級包廂)という呼称でベット兼座席を挟んで窓際にテーブルがある完全な個室。荷物は足元か通路側壁の上にスペースがあり日本のビジネスホテルよりは狭いが居心地は悪くない。値段も飛行機で行くよりは割安。電車が走る音は意外に気にならず、昨晩もぐっすり寝てしまった。レナ公やいまでに隣で熟睡している。まだまだ目指す上海までは9時間余り。
2006年04月14日
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ある日の朝、両親が起きてもまだまだ寝ているやつがいる。ベットから転げ落ちそうになってエビゾリでも全く動じず。あれ、この角度、どこかで見たことがあるぞ。
2006年04月12日
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三輪車を駆るちびっ子ライダー。まだこげないけどな。なかなかサマになってるじゃんか。
2006年04月11日
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こちらを指差しているようだが実はカメラに手を伸ばそうとした瞬間のショット。そういえば、こんな構図で兵隊を募集する1次世界大戦時のアメリカのポスターがあったな。
2006年04月10日
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香港にもあるんだ。最近、中国産の野菜は発がん性物質など多量の先進国では既に使われなくなった化学肥料を使っている為、非常に危険との認識が香港では一般的なことと健康食の流行から有機野菜が非常に人気だ。今回はマンションの管理組合主宰の有機野菜狩りツアーへ参加。ほんとはイチゴ狩りツアーと嫁さんから聞いて行こうと決めたのだが実はイチゴ狩りとは真っ赤なインチキだった。確かに野菜畑の片隅にイチゴの区画があったが、皆小粒で数も少なくとてもイチゴ狩りと言えたものではなかった。ったく、これはどう考えても消費者協会に訴えてもいいくらいだ。日本でのイチゴ狩りをイメージしていた為、まさに拍子抜け。まあ、色々な有機野菜を持ち帰れたのでよかったけど。有機野菜の有機の定義がイマイチ不明だが(名前だけ先行していると思う)要は、自然に育てたってことだと認識。肥料も自然肥料(ってことは糞尿?)を使うので虫食いだらけ、でも確かにおいしいもんな。実家は兼業農家で小さいときは稲をつくる一連のプロセスを手伝ったり畑で取れたてのトマトやきゅうりを脇に流れる小川で洗ってそのまま食べたりしたがまさにあのときの再現だった。蒸し暑い中、野菜から蒸発した水分と土ホコリが混ざった匂いもしたし。既に忘れかけた自然の匂い、でもこの蒸し暑さ、都会生まれ、育ちの奴にはちとこたえた模様。冷蔵庫のように冷やされたバスに乗るなり、あっさりと熟睡。
2006年04月09日
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幼稚園の制服は予め、嫁さんの帰国出産から帰港する半年後を考慮して少し大きめのサイズを購入。袖が長いので捲り上げる必要あり。意外に似合っているなあと実感。客先に呼ばれて久しぶりの土曜日帰り出張。午前は珠海へ。その後、珠海港から深せんの蛇口港まで国内船フェリーで移動。所要時間は約1時間。それから更にタクシーで龍華へ。ここでは日本から出張しているベンダーと台湾から出張中の同僚と合流、共通の台湾系客先を訪問。聞けば従業員20万人、この会社だけで十分自治体が出来てしまう。道理で深せん地下鉄の新しい計画路線がこの龍華まで行くわけだ。外資の誘致とそこから落ちる様々な利権と税金で豊かになった広東省の各自治体。ある日突然外資の工場が撤退でもしたら影響は計り知れないだろうな。帰りはお決まりの食事と接待コース。業界にも寄るが現在の業界は接待無くしてビジネスは成り立たない。大抵、相手側は日系企業でも建前上は接待自粛とのたまわれているが、実際は当たり前のように受ける人が圧倒的多数。終わって24時間開いている香港との国境にある皇崗ボーダーを抜けて自宅に戻れば午前2時。久しぶりにハードな土曜出張だった。
2006年04月08日
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またまたピースだ。プーさんのエプロン、よく似合ってるね。ちなみにぐー、ちょき、ぱーはまだまだ練習中。意味までわかってじゃんけんが出来るのはいつのことやら。6日夜は待望の台湾のロック歌手、五佰のコンサート。場所は尖沙咀のライブハウス?(ハードロックカフェのようなバー)ステージから距離が近く、実際五佰も数メートルの距離で歌っていた。五佰はアルバムを1枚しかもっておらず、しかもかなり前のもの。台湾語曲が中心だったが、その中の曲はほぼ把握済み。問題は他の有名曲に余り詳しくなかったこと。今回のライブでは一緒に行った中華カラオケを一緒に楽しめる数少ない日本人の友人によると有名なものはほぼ網羅されたとのこと。確かに聞いたことのあるメロディーは多かった。涙橋(国語)は個人的に一番いい曲かな。あとは世界第一等(台湾語)、劉徳華も歌っているがやはり五佰が歌うほうが心に響くものあり。香港人の若者中心の中で、日本人の駐在員(もちろんネクタイ、スーツ等と言う如何にも日本人スタイルはしていない)が混ざっているのは些か滑稽。但し、五佰はデビューしてかなり長いので熱烈なファンは同世代或いは更に上の世代も多く見られた。普段は冷房で冷蔵庫のようになっているライブハウスがこの1時間半余りは非常に暑かった。終わった後は友人と余韻に浸りながら、ライブハウス隣のカラオケボックスへ野郎2人で繰り出す。明日も仕事だけどと当初は躊躇したが、どうせ金曜だけなんだからカンケーねえよと最後は平気な顔で開き直った。結局、2人で五佰のヒットソングや、5月1日に行われる五佰と同じく台湾の有名ロックバンドである五月天の曲をほぼ全曲歌いこんだ。終われば3時。久しぶりに弾けた夜だった。
2006年04月06日
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幼稚園の制服を着たレナ公。紫の蝶ネクタイが可愛いね。すでに真夏の香港、この制服、厚手なのでレナ公にとっては大変そうだ。幸い、週3日着て、残りはジャージで登園。
2006年04月04日
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まだ着れるかなと着せてみた。来年も着るのは厳しいかも知れない。成長が早いレナ公だが(親の実感)同世代の子供たちと較べると小柄みたいだ。
2006年04月03日
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先日の中華圏つながり飲茶で北京から遠路はるばる来港のJさんから頂いた北京オリンピックのマスコットを満足げに抱いているレナ公。おむつ交換直後のためおむつ以外は何も着ていない。
2006年04月02日
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アンパンマンも大好きなレナ公。全てのキャラクターの名前を発音できないけれども・・・個人差はあると思うけれども、か行とは行の音が特に難しいようだ。英語や広東語の発音の方がスムーズなのも些か気になる。6月から第二子の出産で帰国する予定なので日本で日本語を沢山聞いてレベルを高めさせねば。幸い、4月から帰国までの2ヶ月間は幼稚園へ通うことにもなっている。問題は香港の幼稚園の通園費の高さ。狭い土地に沢山の人が住んでいることもあるが日本語もOKの幼稚園であると、半日預けるだけでも日本円で5,6万以上!しかも地元の人だけの幼稚園でもたいして変わらないのが驚きだ。ここで会社から通園費補助が支給されるのか否かが問題になるがうちの会社の規定では何歳からかについて明確に規定なし。日本の本社人事部に問合せるも、通常は小学校前の3年だろうと全く現地の事情を考慮しない回答で拉致があかず。補助が出ないなら出ないで嫁さんも働く意欲はあるのだが規定では配偶者は働けず。これでは八方塞がり。幸い、嫁さんのビザは就労が可能であるのにだ。嫁さんが色々調べた結果では日本では地元の自治体や個人経営の保育所などがあり(認可、未認可含め)費用も月5,000円から1万もあれば十分と言う。それに比べると海外で子供を預けることが非常に割高で大変であることが分かる。人事の人間にも一度こちらで子育てをしてもらいたいものだ。20代や独身時代は海外でずっと働く=生活することに対して何の抵抗もなく、むしろ一生いてもいいなどと考えたときもあったが結婚して子供をもつようになると考え方が変わった。海外育ちは重宝される傾向があるがうちの夫婦の考えはやはり日本で育てたいのが本音。外国語をマスターするのでも後から努力すれば何とでもなるし、実際ネイティブである必要は全くない。これは実際に海外で生活するとよく分かる。会社の規定であれば4歳から?? まだ2年も待つのか。そもそも何故年齢について明確な規定がないのだろう。非常に疑問である。本気で子育てを考えるなら日本に帰ろうかと嫁さんと話す今日この頃、もちろん仕事も新天地での生活になる可能性が高いが(今の会社は辞めないと帰国は当分無理)これまでのキャリアをもっと有効に生かすには日本で働き出張で海外へ行くパターンの方が自分にとっても家族にとっても最良の道かも知れないと最近考えている。
2006年04月01日
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ちょびひげを生やしたか、レナ公よ?!この黒さはひょっとして胡麻糊だね?黒胡麻を摩り下ろしたペースト状のこのデザート食べると唇が真っ黒け。デザートに目のないレナ公、そんなこと、一向に介さない様子。黒胡麻は新陳代謝をよくして便秘にも効くと言われているがただでさえ毎日3~4回は通じのあるレナ公、ますます快調になってしまうな。
2006年03月31日
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香港の家には玄関はなし。(収納も無いけど)従って靴は室内の床にそのまま置くことになる。これが最初は慣れなかった。我が家はリビングとダイニングが一緒でドアから数メートルの床(フローリング)に日本から持参した薄型の畳を4畳分敷き詰めているが畳に寝転がっている目線の先に靴が床に置いてあるとね~この場所、レナ公の格好の遊び場と化している。
2006年03月30日
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日本人だけらしい。カメラの前でチョキチョキするのは。中国だといかにもというポーズを決める人が男女問わず多かった。(しかも身体全体で)日本人はピース、あとはグーで親指を立てるのが多いかな。レナ公大災難、嫁さんから夕方に電話あり。”レナが転んで机の角で唇を切って流血、 おお泣きなので病院に行く、早く帰って来て!”怪我らしい怪我をほとんどしないレナ公、ついにやったか?急いで家に帰ると意外にもケロッとしていた。唇は自分も切ったことがあるが、意外に回復が早い。傷口の違和感は残るが、大したことない怪我でよかった。病院でも塗り薬をもらって終了。同じく喉が痛くて体調不良の嫁さんの一緒に診察、薬を処方してもらった。よかったよかった。最近職場でのストレス発散の目的で嫁さんと一緒に計画していたカラオケ大会はひとまず週末に延期。中国語の歌だけで2人で一晩は歌い続けられる奇特な夫婦だが今後はレナ公にも加わってもらおう。五月天(台湾のロックバンド)の曲にレナ公ノリノリだったし。
2006年03月29日
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何故か服をまくりあげておなかを見せるのが癖になっているレナ公。実は夏場の香港でよくあるシーンに酷似!運送業や屋台などのオヤジがランニングシャツの前部分をまくりあげて自慢の?腹をあらわにして涼んでいるあれ。何ヶ月ですか?と聞きたくなるほどの大きなお腹を見ると思わず嗚咽しそうになるが、これを試してみると意外に涼しい。お腹をあらわにすれば、身体で空気に触れる面積が激増、汗が引くことによる冷却効果でどんな蒸し暑い日もかなりの効果あり。もちろんレナ公は女の子、いつかは止めさせねば。将来見せたら親子の縁を切られるかも知れん。
2006年03月28日
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同じく美都餐室にて。維他[女乃]=豆乳ドリンクを飲むレナ公。この豆乳、加工されているけど意外に美味しい。ある映画で周星馳がこのドリンクを話題にしてギャグをかましていたが、それだけ香港人にとってもポピュラーな飲料なのだろう。この美都餐室、エアコンがなく天井には扇風機の親分と書いたが天后廟に面した窓は全開、茶餐聽のような直角90度のベンチいすに座るとちょうど肘を乗せて寛げる位置に窓があるので、気分はトラムの2階席で窓から二の腕を外にはみ出させて寛ぐ感覚だ。これをイタズラ好き、好奇心旺盛なレナ公が見逃すはずはなく、ベンチいすに立ち上がって外の風景を覗き込もうとする。そのうちに、子供(幼児)の行動には人100倍くらい気を使い仕事そっちのけになる香港の一般的な店員さん,美都も同じだ。案の定おばちゃんから何か言われる。シウ サム ア、ダントーイ ウイ シーン ホーウ アイヒム ガ シウ サム ア (気をつけて)ダントーイ (イス、よりはベンチだが、90度背もたれのイスならOK?)ホーウ アイヒム ガ (危ないよ!)いすに立たせると転ぶかすべるので気をつけて、危ないよ と推測特に最後のウイシーンのシーンはウイ=会(未来を表す助動詞)の後ろなので恐らく文脈からは転ぶかすべるかなと思い、家に帰って広東語-日本語辞典を調べてみるとまさにその通り。Sin3 すべる、スリップする 標準北京語では滑(Hua2)、広東語でも滑(Waaht9)で使われるものとばかり思っていたが、より広東語的な語彙はこれだったんだと嫁さんと納得。これでひとつ言い回しを覚えることができた。広東語の語彙は非常に地方性が強く、もともとタイ語系の語彙がたくさん混ざった経緯もあるし。滑るは香港生活では非常に重要な語彙。街中いたるところに小心地滑の注意プレートがあり。地面や床がぬれているので滑りやすいよとの意味だが確かに磨きがいいのか香港の床や地面はよく滑る。活用せねば。
2006年03月26日
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台湾から某台湾アイドルグループのコンサートを見るために来港している嫁さんの友人と一緒に佐敦から油麻地を散策。以前から知っていたが一度は行ってみたかった美都餐室へ。古い建物で壁はタイル張り、冷房ななく、天井に付いている扇風機の親分のようなプロペラ?のみが頼り。かなり歴史を感じさせる外観は周囲の風景に見事にマッチング?幸い天気は曇りで時折雨模様の天気だったので涼しいくらいの陽気で非常に快適。2階の窓側の座席を陣取ると眼下には道路を挟んで天后廟、日曜の昼間から得たいの知れないおっちゃん、じいちゃん、若いやつまでわんさか溜まっているビュー。香港流に言えば無敵廟景だ。メニューは一般的な茶餐聽メニュー。但し出前一丁はなし。さすが伝統を誇るが故?ここで牛「月南」面を頼む。すでに佐敦の有名な茶餐聽からのハシゴのため、かなり無理をしたかも知れない。ここでレナ公が大活躍。佐敦では余り満腹していなかったらしく牛「月南」面を食べるわ食べるわ。本当によく食べた。台湾の牛肉面と同じく香港の牛「月南」面も独特の薬味が効いているが、それをものともせずレナ公よく食べた。他には沸騰したお湯に生卵を入れただけの滾水鶏蛋や通称レモンコーラ。たまにはこうした場所での食事もいいなあ。
2006年03月26日
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高級飲茶酒楼(レストラン)のスプーンを使ってウルトラマン(鹹蛋超人)の真似をするやつがいる。 一体誰だ???昼のランチは尖沙咀にある福臨門と言う酒楼(レストラン)で飲茶。嫁さんつながりで普段は中華圏(北京、上海、台北、香港)に住んでいるがちょうど香港で開かれている台湾人アイドルグループのコンサートの為来港していた方々と一同に会することに。皆さん、色々な仕事をされている。マスコミや広告関連が多かったが、電子部品業界にいる自分から見ると使う用語も違うし、どことなく業界人?の響きがそのまんま。何とも羨ましい。電子部品業はどちらかというと、嫁さんともよく話すのだが同業人は中華圏とは縁もゆかりもない人が多い。言葉も出来ず単に社命で現地に滞在している人が多いし、現地の歴史や文化、人との交流よりは日々の仕事、日本人同士のやり取りが生活の大半を占めている。最近、そんな毎日に些か嫌気が差してきているだけに非常に新鮮に皆の話を聞く。共通語は中国や中国語、皆興味が転じて中華圏に向かった人なので非常に面白い。自分の会社にもそんな人がいればいいけど、なかなか・・・どちらかと言うと日本のそれを引きずった人が結局多くなってしまうんだよな。久しぶりに同じベクトルをもった大勢の日本人との交流ができ満足。業界が異なる為、話についていけないこと多々だったが・・
2006年03月25日
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誕生日ケーキに挿したローソク2本を吹き消すレナ公。日本のイチゴがのった極上のケーキ。何歳までケーキのローソクを消したっけ? 今から思うと小学校低学年くらいまでだったか? 記憶にない・・本社の監査役が来港、夜の会食を終えて珍しく早めの帰宅で10時半(これが居酒屋ならこんなに早くは帰宅出来ず)地元のテレビでちょうど世界の中心で愛を叫ぶの最終回をやっていた。2004年に放映されたドラマだが、ちょうど香港のテレビ局で放映していた。原音で中国語+英語字幕なので母国語で聞きながら中国語、英語の字幕で同時通訳のように言い回しを身につけられるのもいいが、この話、日本ではブームは去った?と思うがなかなか泣かせる話だと今更ながら思う。昔自分の親から親より早く逝くなと言われた記憶があるが実際に子供をもつとそれが実感できるし、ドラマの中で描かれている高校生の主人公の純愛ストーリがすでに記憶の引き出しの奥で風化しかかっている中学生時代の淡い恋を思い出させるようでどことなく懐かしかった。あとはドラマで映し出される青い空、朝日できらめく風景、夏の夕暮れ時のどことなく赤みがかかった人物と風景、香港にいるとまず味わえない眺めが非常に懐かしい。
2006年03月20日
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ランドセル型のおもちゃ入れを背負っておもちゃで遊ぶレナ公。(しかも正座している)自分で背負えるようになったのも凄いが家の中で何ゆえおもちゃを満載したランドセルを背負うか??2歳を境に急速に単語レベルの言葉を話すようになった。こりゃ2歳半までにはお喋り娘になっているかもな。
2006年03月16日
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土曜日に60年に一度の太平清「酉焦」を見るためにKCRではるばる上水まで遠征。隣は中国との国境である羅湖駅、最寄の駅からは40分余り、香港での移動にしてはかなり長距離となる。この太平清「酉焦」、毎年5月に長洲島で行われる通称”饅頭祭り”が有名だが、香港では新界地区を中心に各地で行われている。面白いのは地区によって5年毎であったり、10年毎であったり、そして上水のように60年毎のような極端な周期もある。60年と言ったら一生に一度あるか無いかだ。10代程度で1回目を経験すれば、2回目は老人、これが成人してからの初体験だと本当にそれっきり。一体どうやって祭りの手順を伝承してきたのだろうか?祭りと言っても中国語の”祭”は死者を祭るの”祭”でありこの太平清「酉焦」は死者を冥界へ送り返す為に、道士を呼びハリボテの地獄の神様を安置した祭壇を設け、女人禁制(何故?)の舞台で芝居を演じる。また獅子舞や龍(上水では全長50メートルはあった)の舞で地元を練り歩く。死者はこうした活動の結果、快くあの世で戻ってくれる。日本で言えば盆踊りや迎え火、送り火、仏壇から床面まで何かの葉っぱ(名称失念)を束ねて掛ける風習に通じるのかな。仏壇から床面まで掛けるこの葉っぱは昔祖父から”ここをご先祖が駆け上って仏壇の中に入るだよ”と教わった。獅子舞は正月に縁起物として行われるあの獅子舞、何故この手の行事にも借り出されるのか?些か疑問だったが死者に対しても明るく楽しくが南方中国世界のやり方なのでまあ納得(台湾でも葬式に笑い女を呼んだり、ストリップを演じ、葬式の隊列は騒々しい音楽を鳴らしていた)
2006年03月15日
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前髪もだいぶ伸びたレナ公。後ろ髪はもう一歩、早く耳の位置より下まで伸びてくれ。今日(14日)でレナ公、満2歳。 髪の毛の成長以外は至って順調で親としては嬉しい限り。知力よりも体力が勝っているとの分析もあるが、よく笑い、怒り、走り、跳び、踊り、眠り人間として感情豊かで活動的に育っていると思う。父親としてこれまで色々何が出来たかと自問すると何とも恥ずかしい限りだが、最近は相手が誰かによって接し方や反応を使い分けるようになり、また簡単な言葉であれば直ぐにオウム返しで発音の術を身につけているのでつい口から出る汚い言葉使いに毎々反省すること多し。基本的に24時間ずっと面倒を見なければいけない母親の大変さに比べれば容易いこととは思うが、父親としてどのよう接していけばいいのか、大人の自覚をもってレナが成長できるよう接してやらねば。なかなかうまくいかないが・・・
2006年03月13日
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週一で習い始めたバレーのレッスン、レッスンとは言えども走り回るだけらしいが、格好はそれなりに決まってるな。この姿で足を挙げたり(真似だけ)、回転(スピン?)したりも出来るようになったらしい。午後から東莞へ。清渓鎮にある我が台湾のグループ企業工場へ寄りその足で樟木頭鎮で日本から出張中の昔の上司(台湾人)に会う。移動する際にタクシーの運ちゃんに”お前は台湾人か?”と聞かれる。日本人だと色々面倒なので台湾人になり切って雑談したが先方は最後まで分からなかったと思う。やはり北京語のなまりが台湾風らしく、間違いなく台湾人か?と言われるが今回も案の定。まあ、日本人と答えるよりは会話も弾むし、ボラレルこともないだろうし便利と感じている。最近、中国の外相が日本に対して公の場の発言とは考えられない非常に危険な発言をしているし。元上司は日本語が非常に堪能な人で(日本滞在20年近く)色々お世話になったが、台湾人らしい仕事の進め方にはよきにつけ、悪しきにつけ色々勉強させてもらいました。現在の上司が酒好きでコミュニケーションはもっぱら酒の席でと言う方だが、下戸の自分にとっては、この元上司は酒豪にも関わらず別に飲まなくても構わず色々気さくに話せるのがいい。数年ぶりにしばし色々な話題を話せたが(今後の身の振り方も含めて)台湾人らしいフレンドリーな雰囲気の上司、昔はよく意見の相違から口論することもあったが、今思うと遠い昔のいい経験だったかも知れない。最近、海外拠点も組織の拡充を始め、人材スタッフの強化が始まっており、現在の職位では全ての項目(会社のマネジメント全般)について広く浅く、中途半端な経験しかできておらず、相対的に仕事は減っている。同世代の人たちが昼夜と問わず仕事に振り回されているのに比べると、楽と言えば楽だがこのままではやばい。自分らしく動く機会が減っている為、最近特に感じているのかも知れないが、このままでは自分のキャリアにとっていいのか悪いのか、色々考えさせられる今日この頃。
2006年03月10日
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先日の元宵節で近所にある高山劇場という場所にて。旧暦で小正月に当たるこの日は灯篭を点す習慣があるが以前に台北の灯篭祭りには行ったことがあったが香港ではまともに観に行くのは初めて。電飾で派手に輝いた動物や昔話の登場人物などが派手に輝いていた。日本でなら小正月のイベントはどんど焼きか。だるまや正月の注連飾りを燃やし、その炎で団子を燃やして食べる、その年の年男、年女のいる家では厄投げをして小銭稼ぎ。昔ながらの風習、まだ残っているのかなあ・・とふと思う。今日は終日ゴルフ。(一部家庭内で反発あり・・お許しを)嫁さんの体調もあり今後しばらくはコースへ行くのは封印するので気合が入る。右手薬指打撲が完治していないのでまともにクラブが振れるのか非常に心配だったが、怪我のわりにはまずまずのスコアが出たので結果オーライ。もしかしたらスイング時に右手が余計な悪さをしなかったからか?行き先は東莞の常平鎮にある中信というコース。メンバーは嫁さんの上海留学時代の友人と彼を通じて知り合った2名で合計4名。皆、仕事は同業で何らかの関連があり話が合う。こういった知り合いは色々情報交換もでき一緒にゴルフにも打ち込めるので親交を深めたいところ。コースはかなりトリッキーな設計でフェアウェイやグリーン共に起伏を上手に使って、遠くから見ると距離感を狂わせる仕掛けが至ることにあり。また名物ホール(勝手に命名)では切り立った山の斜面中腹にティーグランドがあり、そこから眼下の山の中腹を160-170ヤード以上は飛ばさないとフェアウェイに乗らないユニークな設計。通常の打ち下ろしとは異なり、山の尾根から下界に打ち込むスタイルで非常にプレシャーがかかる面白いホール。幸いこのホールはパーで上がり、意外にも右薬指が打撲で痛いにも関わらず、終わってみればハーフ52で終了。後半は疲れが出て60を越えてしまったが、ここ最近のスコアの中では上出来だった。日本にいるときに100を切って(5年位前)更に順調にスコアを伸ばすつもりが、香港赴任後のブランクを挟んで低空飛行、取引先とのゴルフでも取り合えず余裕をもってお相手できるためには最低100を切れるレベルが必要と思うが、まだまだ道は険しい。
2006年03月05日
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昨年9月のプレオープン以来、半年振りにディズニーランドへ。前回は大変だった。何せこの狭い敷地に3万人以上が詰め込まれ一部大陸人の園内での行動をリサーチしようとする試みも行われ(これじゃモルモットだ)案の定トラブル続き、おまけに天候も最悪、蒸し暑かったと思えば、突然の雨、レストランは雨漏り・・・今回感じたのは人が少ないこと。香港の街中にいるよりも大分ゆったりして楽しめる。また香港の週刊誌で再三に渡って叩かれている大陸人のマナーの悪さがほとんど見られなかったこと。(半分以上は確実に大陸人だったのに)これは意外! 大陸と言えば、どこでもシャガミコミ、タバコ吸いまくりゴミ散らかしまくり、タン唾吐きまくり、これが13億の民の民度が向上したごく僅かの富裕層を除いた一般的な文化。特に連休でもなく、ほとんどが広東省からの日帰り客だったのかも知れないが、大陸人(たぶん広東省のお金持ち)の民度は決して低くないと密かに実感。まあ、広東省ならチャンネル捻れば香港の番組が見られるし、香港に親戚もいて人の往来は頻繁だから自然とマナーや基本的な行動特性が多少は洗練されているのでしょう。アトラクションも待ち時間が最長でも10分余り、拍子抜け。まあ、混んでなければそれに越したことはないけど。長野の田舎で育つと待つことへの耐性がないので、レストランでも遊園地でも待つくらいなら行かない、乗らないの自分にとっては非常に快適だった。また笑顔の少ないスタッフの方々、今回はまあ50点か。相変わらず無表情で切符を入場口で通す若い兄ちゃん、レストランで空のコップを貰おうとお願いしたらウザったそうな表情で対応した姉ちゃん、もちろん東京ディズニーランドのようなこちらの気持ちも明るくなるような笑顔で対応してくれる人も多かったが、全体的にはまだまだ。これはいつまでたっても香港では完全達成は無理かもな。レナ公は半年経って、かなり楽しんでくれるかなと期待していたがイマイチの反応・・・・・・・実物大?のミッキーを見られることと、パレードやアトラクションのダンスならいいかなと思ったが、パレードではかなり歳のいった男女のダンサー(スタイルもイマイチの親父やおばさんが踊っていた)には無反応。唯一ライオンキングのミュージカルはノリノリだった。薄暗い中を廻ったり、3D映像などのアトラクションは時期尚早。幼児にとってはお化け屋敷となんら変わらんかもな。次回のために今回は見なかったミッキーマウスのショーが楽しみ。↑パレード前の封鎖された道にて余裕綽々のレナ公
2006年03月04日
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最近、寒の戻りで寒かった香港、桃の節句の今日は一転してポカポカ陽気。(オフィスは相変わらず冷房全開、おまけに扇風機も廻っていた・・)会社帰りにふと思い立ち、3月生まれのレナ公、桃の節句も祝ってやらねばと思い立ち一路ジャスコへ直行。でも日系スーパーと言えどもひな祭り関連の食品やグッズは見つからず。田舎育ちにとってはまさに空気で、風景で、匂いで季節の変わり目や節句の行事を感じ取っていたが、ここ数年はこの感覚が確実に鈍っている。まあ、それもしょうがないか・・・東南アジアにいたらまさに年中真夏。季節感も何も関係なくなってしまうもんな。
2006年03月03日
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