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じめじめと うっとうしい季節である。さて、我が市役所では 昨年夏、「節電夏の陣」としてエアコンを極力おさえ、市民の皆さんに「なんでこんなに暑いだん!」とお叱りを受けるほどだったが今年も うちわであおぎながら仕事をするのかと思うとゾッとする。接客していて、汗ばんだ腕に書類がくっつくなんて嫌だよ。あんなに苦情が続出するってことは、やりすぎなんだよ。世論調査では、程度の差こそあれ大多数が 節電に協力したいという結果だという。原発への不信は払拭できないし、太陽光発電や風力発電を活用することも無理ならやはり塵も積もればナントヤラで、節電に努めるしか方法はないのだろう。私たちは快適な暮らしに慣れ過ぎてしまったのだ。ちょっと不便だと思うくらいのほうが、あれこれ工夫するのではないか。どんなに発達しても、科学技術は万能というわけではない。マイナスイオンだって、作りものより天然がいい(ログハウスに行くと実感する)。コンビニは24時間営業しているからシャッターが閉まることはないのだと坊に話したら「お店の人が寝る時間ないじゃん!」と真剣な顔で心配していた。そして「夜中に来るお客さんなんているの?寝ないの?」と。いや~、あなたの叔父さんみたいに交替勤務の人も世の中にはいるからね、いつでも開いてるコンビニは便利なのだよ。でも、一晩中煌々と電気をつけておかなくてもねぇ(暗目にしている店もあるけど)。個人的には、営業時間はシックストゥエルブでいいじゃないかと思う。
2012/06/18
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「断捨離」がブームになっている。それは今、多くの人が「シンプル」への思いを抱いているから。しかし、やはり物が多いことには暮らしを簡素化するのは難しい。人が生活していれば、物は自然と増えていく。それにしても、どうしてそんなに不要品や死蔵品が増えてしまうのだろうか。満足して最後まで使い通せる物を選んでいないということだろうか。捨てるは罪という観念でたまっていた家庭の中の死蔵品は膨大な量であるに違いない。使わない物を後生大事にとっておいてどうする?世に出さなければ、リサイクルのチャンスさえ到来しないことになる。そういう物が眠ったままでは、まだ需要があるとみなされ、物は生産され、表面化しない不要品予備軍は増える一方。いや、リサイクルしても焼却しても、それはそれで何らかの問題を残すことになる。安心して飲める水、安心して呼吸できる空気がなくて、どんな豊かさがあるというのか。技術の成長はもういい。過剰消費から脱却しなくてはならないのだ。シンプルというと即捨てることと考えられがちだが、逆である。確かに、物を捨てればスッキリする。しかし それでは根本的な解決にはならないのだ。今まで、捨てては買う、経済効率一辺倒の価値観に支配されていたとしたら、その結果失ったものを回復し、環境を少しでも元に戻すことが捨てた者の義務ではないか。ここ1年くらいで、私は物欲が減ってきた。以前なら、半期に一度のバーゲンといえば行かねば損と意気込んでいたのに、チラシを見ても「フーン」と思うくらいで、心躍ることがなくなった。平日は行けない、となると土日しかないが、土日は混むから行くと疲れる。かつての熱は冷め、時間と体力の無駄だとさえ思うようになったのだ。(服装に気を使わなくなったわけではない。ベーシックで着心地のよいものを厳選するようになった)小姐と坊が、お年玉の一部で買い物したいというのでイオンに行ったが、私自身の買い物は無印良品だけだった。しかしまぁ!3が日にイオンなんて行くもんじゃないね。見事に人酔いしてしまった。
2012/01/03
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我が家では もう1年以上、ボディソープを使っていない。肌の弱い坊が 皮膚科で石けんを勧められ、ボディソープをやめたのだ。それから家族全員、昔ながらの固形石けんを使っている。ドラッグストアやホームセンターでは いろいろな種類の石けんが売られていて、どれにしようか選ぶのも楽しみである。「化粧石けん」ではなく「石けん素地」と書かれたものを買うのが私のこだわりだ。3日前に新しくおろした石けんは、生協で買ったものだが、今まで使った中で一番いい!その名は「ホカホカ浴用石けんオリブ」。この石けんの特徴は「枠練り」で、形が崩れにくいこと。枠練りとは、石けんの歴史のはじめからおこなわれている一番自然な製造法で、じっくり釜で焚いた石けん生地を枠に流し込んで結晶化させて熟成させるというもの。結晶化した石けんは湿気に強く、無駄溶けしないらしい。確かに!風呂場だと、石けんケースに入れておいてもどうしても下の部分がトロトロしてしまうけど、この石けんは違う!小姐はこの石けんを見て「何かちょっと形が違うような…」と言った。そう、ちょっといびつなのだ。いかにも手作りっぽい形をしている。「それがいいじゃない?機械じゃなくて人間が作ったって感じでしょう」「そうだね。心がこもっていそうだね」製造しているのは、つゆはし作業所という知的障害者の授産施設である。石けんの箱には「私たちは石けん作りを通して地域の皆さんと手をつなぎ、社会の一員として成長していくことをめざしています」と書かれている。気に入ったから、リピーターになるぞ!
2011/01/18
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週に一度は「無買日」にしたいと思っている。「必要な物以外は買わない日を意識的につくり、お金の使い方を考えよう」とカナダから始まった「無買日」だが、ここを私は敢えて、何も買わない、食品も買わないことを目標にする。私は料理が苦手、献立を考えることも苦手である。よく、買い物は週に1回まとめ買いなんて人がいるけど、本当にすごいと思う。1週間分の献立を考えて買い物!?私には到底できない芸当だ。とはいえ、仕事をしていて、夕方 子どもを迎えに行く先が2ヶ所で、さらに買い物もとなると慌ただしいことこの上ない。買い物に行く回数が減らせたら、その分 時間が短縮できるしつい余計な物に手がのびてしまう確率も低くなって、節約につながる。せめて、毎日買い物に行くのをやめられないものか。まとめ買いは性に合わないと思っていたけど、2日分くらいなら献立を考えられるようになった。ストックしてある乾物や缶詰など、今ある物で工夫することだってできる。何も毎日スーパーに行く必要はないのだ。買わない=我慢、みたいにストレスになるかと思ったら、意外にそうでもない。いかに買い物に行かずにやりくりするかがゲーム感覚になったりする(笑)。世の中はエコブーム。買わないことは、シンプルで毎日が充実する節約方法だと思う。物やお金に振り回されない堅実な暮らしを目指したい。
2011/01/13
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寒い。それもそのはず、もうすぐ師走である。しかし、冬物の服は少ない。昨シーズン、ほとんど買わなかったからな~。かさばるはずなのに、引き出しの半分くらいのスペースしかとっていない。1シーズン出番のなかった服は処分と決めているが、今回は処分の対象になる服がない。どれも気に入ってよく着ているものばかりだから。アメリカで出版され大反響を呼んだ「チープ・シック」という本には、「着ていて気持ちのいい服を数点持てばよい。似合わない服で戸棚をいっぱいにするな。自分に自信が持てる服を見つけたら、それを古い友達のように大事にせよ」とある。多くを所有しないかわりに着こなしを工夫し、気に入った服をメンテナンスしながら持ち続ければ、堅実なおしゃれができるということ。だいたい、しまいきれない服の収納に頭を悩ませるようではおかしいのだ。買い物上手とは、ケチして安物ばかりあさることではなく、まず無駄な買い物をしないことから始まる。年が明けてバーゲンが始まっても、むやみに増やさないぞ!
2010/11/23
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「物を捨てたらバチが当たるような気がして、形ある限り使うのよ」と言う人がいる。そういう人に限って、物を溜め込んでいたりする。本当にそう思うなら、命あるペットを飼い通すように 物も使い尽くそうじゃないか。それには、新しい物が出たから欲しいなどと言って安易に購入してはいけないのだ。「まだ使える物を捨てるなんてもったいない」とは よく聞く台詞である。確かに、物というのは一度持ってしまうとなかなか捨てられない。どんなにつまらない物だって、どこも傷んでいないものを捨てることは、心が痛む。しかし、ちっとも使っていないし、愛着をもって毎日眺めているようでもない、ただその辺に突っ込んでおいただけの物が、本当に「もったいない」のか?かつては、豊かな暮らしイコール物がたくさんあることだった。物に溢れた現代における豊かさとは、実際に使っている物の比率の高さだと思う。物がたくさんあっても、使っていない、もしくは使えないようなものばかりである限り、なんともみすぼらしい空間になってしまうことは間違いない。実際に使っている物は、それほど多くないのだ。さらに、置き場所が決まると部屋全体としての使い心地がよくなり、この状態を崩したくない、むやみに物を増やしたくないという気持ちが働く。一つの物を買うにも吟味するので、手に入れた物は愛着を持って長く大切に使う。どうでもいい物にお金を払うなんてバカバカしいし、ゴミにすべきではない。今朝、洗濯物を干していたら、小姐のハンカチが破れているのを発見した。これは年少の頃に買ったハンカチじゃないかな。度重なる洗濯で色褪せても、シミがとれなくて薄汚れても、大好きなウサハナちゃんのハンカチだからと週に2回は使っていた。ハンカチは1週間分あるのに。よほどこれが気に入っていたんだね。この物余りの時代に、どんな物でも壊れるまで使い倒すことはそうそうないだろうに、ここまで使い込めば本望だね。惜しみなく処分できるわ。
2010/03/04
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長野のログハウスを訪れるたびに、不思議な感覚に包まれる。そこはコンビニすらない山間部の僻地。とても不便な場所であるにもかかわらず、ホッとするのだ。何もない静けさの中でも、薪ストーブの火と 窓の外の白樺を見ているだけで、ここまで満ち足りた気持ちになれるものかと、自分でも驚くのだ。普段の生活を振り返ってみた。街に出てはお金を使って、ストレス解消を手短に済ませてはいないだろうか。自分への慰めとかご褒美といった便利な言い訳が、そのような行動を助長し、消費活動と比例するように、虚無感が増していくのではないだろうか。お金をかけないと何もできないのであれば、お金がなければ、人生の第一目的が「お金を稼ぐこと」になってしまうし、あればあったで、お金を使うことでしか自分を表現できないことにもなりかねない!?物欲なんかなくなってしまえばいいのに。刺激を求めて買い物をする自分の中のリズムを打ち破ることを 今年の目標にしよう。
2010/01/04
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義母は自分のことを「私が喋らなくなったら死んでしまうわ」と言うほどお喋り好き。無口な夫に息子が3人では、話し相手になってくれないらしく、私をつかまえては延々と喋る(笑)。いつも楽しそうな、天真爛漫な人である。ひょんなことからお金の話になり、「お金をためてる人って、着るものにはこだわらない人が多いわよね」と義母。うーん、確かに。流行にとらわれずベーシックなものばかりで長く着る、みたいな。「私はブランドなんかはわからないけど、安いと思うと嬉しくなってつい たくさん買っちゃって、まさに安物買いの銭失いの代表よ。そういう習性がなかったらもっと貯金できたはずだわ。それから、体型が変わるとダメね。買わなきゃ、着るものがないんだもの」「私は今までバカみたいに買いすぎたことを反省して、自分の服も子どもの服も しばらく買わないことにしたんです」「えっ!虎猛子さん、そんなに服を買っているようには見えなかったわ」「似たような服が多いので そう思われるかもしれませんね」「あら~、そうだったの…」「イオンとか行かないことにしました、見ると欲しくなるから」「そうね、出かけるとお金使っちゃうのよね」「子ども服はやっぱりブランシェスが好きなの?」「そうですね~」「ああいう店の服は上品というかセンスがいいわよね」「でも こだわりすぎるのも考えものですよね」「そうね~その点 三男嫁さんは割り切ってるわね。子ども服はすぐに着られなくなってもったいないから、何でもいいんですって。小姐ちゃんはいつもかわいい服を着ているから、そのお下がりが回ってきて、すごく喜んでるわよ。幼稚園の知り合いの方からも お下がりもらえて助かっているらしいわ」80~95サイズのブランシェスや組曲の服は是非欲しいという人がいて ほとんどあげてしまったから、姪に回したのは そんなにいいものじゃないんだけどなぁ。それでもありがたく着てもらえるなんて、こちらこそありがたいね。私はというと、実はお下がりには抵抗があったりする。小姐は長女、坊は長男で、いつも新品ばかりだが、もしお下がりをあげると言われたら、断るだろう。お高くとまっていると思われようと。デザインの好みがあるし、自分で選んだものを着せたい。 たとえどんな高価なブランド品でも、人が着古したものを着せるくらいなら全身ユニクロ、ニシマッチャン(笑)の新品のほうがずっといい。さらには、わざわざお金を出してリサイクルショップの服を買う意味がわからない。ブランド品を新品で買う余裕がないから中古で、と見栄を張るくらいならノーブランドでいいと思うんだよなぁ。でも、私のような考え方はお金がたまらない体質といえるだろう。三男嫁はしっかりしているな~!自分の服にもお金をかけていないみたいだし(以前 本人から聞いた話)。「無駄遣いが多かった…って あなた、30代で気づいてよかったじゃない。私みたいに年金生活に入ってから後悔しても遅いんだから。これはまずい、って自分で気づいた人は大丈夫よ!」義母の励ましで、にわかに元気が出てきた。
2009/09/22
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一度 身についた生活水準を下げることは、簡単ではないと思う。しかし、こんなに家計がピンチでは、そうも言っていられない。とにかく小姐が卒園するまでの半年は赤字確定なのだから、削ることができるものは、すぐに削るべきだ。今月から新聞をやめた。始めは違和感があったが、この頃 慣れてきた。先月からスカパーのプロ野球セットをやめた。(プロ野球ニュースだけは見られるようにしてある)中日の試合はナゴヤドームであれば地上波でもやっているので、プロ野球セットは阪神ファンである私のために加入しているようなもの。まぁ今年はこんな成績だし、子どもたちを寝かしつけてそのまま自分も寝てしまって見られない日もあるし、節約せねばという一心で解約したのだが、何だ、やめた途端に調子が上向きになるなんて嫌がらせみたいじゃないか!テニススクールは今月一杯で休会する。来年春以降、またやりたくなったら再開すればいい。でも、行かないのが当たり前になって半年も過ぎたら、もうどうでもよくなるかも?日曜日に義父たちの愛好会で仲間に入れてもらえるし。子どもの教育に関するお金はケチケチしたくないと思っていたが、明らかにやる気を失っている小姐のピアノは今月一杯で辞めることになった。そして、坊もスイミングを辞めたいという。私としては体力づくりのために続けさせたいのだが、ここ1ヶ月くらい、毎回嫌がって泣くのだ。2年やったし、小学校に入って困るレベルではないし、そんなに嫌なら…。君はサッカーで頑張りたまえ(サッカーの日は毎週楽しみにしている)。ガソリン代ももっと減らせるはずだ。夫の通勤用はともかく、私が平日に乗る回数を減らせばいいのだ。買い物だって毎日行かなくてもいいじゃないか。料理が苦手な私は献立を考えるのも苦手だが、ここは ない頭を振り絞って、せめて2日に1度の買い物で済むように。そして、イオン(隣県、片道40分)には月に1度以上は行かないこと。いや、2ヶ月に1度でもいいか?行くと つい服が欲しくなるから。そういうものは見ないに限る!美容室は2ヶ月に1度だったのを3ヶ月に1度にする。カラーリングしている根元がプリン状態になるのが みっともないから、本当は毎月行くのがベストだろうけど、とてもお金が続かない。せいぜい2ヶ月に1度。さらに間隔をあけようとするのだから、これはもう、潔く黒髪にしようか?他にも削れそうな項目、あるかな。なんだかんだいって、買わないことが一番。最近は、食品以外は買わないくらいの覚悟で毎日を過ごしている。本当は、赤字じゃなくても もっと気を引き締めた生活をしなければいけなかったのだが。大きな買い物をしていなくても、なんとなくお金がなくなっていくのはまさに塵も積もればナントヤラだったのだ。私がくだらない浪費を続けたせいだ。諸悪の根源はこの私。しかし、過ぎたことは今更どうしようもないから、今度という今度は心を入れ替えるぞ!過去の失敗を二度とくり返さないためにも、生活改善にとりかかろう。
2009/09/13
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整理整頓ができない子どもが増えているという。いや、子どもに限った話ではないかもしれないが(苦笑)。昔の人は、ものを大切にした。昔の子どもが 整理整頓をしっかりできたのは、親が口やかましかったからではない。むしろ育て方でいうなら、現代の子どもよりもはるかに手をかけないで育てられていた。便利な道具なんかない時代だから母親は家事が忙しく、子どもの数も多かったので、一人一人に構っている余裕はなかった。それでも子どもたちが整理整頓が上手だったのは、ものを大切にしたから。自分のもの、家のもの、すべて少ないものを使い尽くし、楽しみ尽くす生活だったのだ。わかりやすい例が食べ物である。どんなに質素なおかずでも、お腹がすいた子どもたちにとって食事は楽しい時間である。そうは言っても好き嫌いはあるので、食卓を見て大喜びする日もあればガッカリする日もあるが、現代のように平気で食べ残すような子どもはいなかった。食べ物を大切にしないことに対して罪悪感があったし、残すのは悪いことだと躾けられていたから。私は幼い頃から少食で、食べることを苦痛に感じていたが、米粒一つでも残すと祖母(大正生まれ)に叱られた。「百姓が汗水たらしてこしらえたものを粗末にすると罰が当たる!」と。同じことを現代の母親が躾けるのは難しいだろう。いくら食べ残しはダメと言っても、現実にテーブルにはたくさんの料理が並んでいる。食べ物=ありふれたもので、少しも大切なものではないのだ。それに、おやつだって飲み物だってあるのだから、ご飯を食べなくたって、お腹がすいたら何かを口に入れればいいと考えてしまうだろう。食卓に並んでいる料理はどれも大切な食べ物である。それを食べ残すというのは、家族みんなの大切なものを汚すことになる。調理した母の苦労も、働いてお金を稼いでいる父の苦労も 無駄にしていることになる。勿論、子どもは そこまでは考えないだろう。しかし、少ないもので暮らす生活というのは、食べ物も含めて すべてのものを大切にする生活ということ。それは同時に、片付ける、整理整頓ができる生活でもあるに違いない。
2009/08/02
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通帳記入後、その残高に背筋が凍りついた。そうだ、火災保険(年払い)は7月末だったっけ。高いなぁ。いや、それを抜きにしても、どうしてここまで減ってしまったのか?昨年12月から、夫の会社では残業規制がかかって大幅に給料が下がった。夏のボーナスは3割カットになった。えーっヤバイじゃーんと思いながらも口先ばかりで、それまでとほとんど変わらず たいして危機感なく過ごしてきたタワケ者は誰?私だよ!我が家のメイン銀行(会社から指定されている銀行)は、市内には2ヶ所しかない。しかもその1つは駅前で車を止めるのが困難、もう1つはスーパーの中。スーパーのほうへ行ったが、ATMからはフードコートが見える。ちょうど3時のおやつタイムで、ドーナツをほおばっている人がたくさんいた。なるべくそちらを見せないようにしていたつもりだったが、小姐と坊は目敏く見つけ「皆おいしそうに食べているよ~!」言うと思ったよ、黙って通り過ぎるわけないよね。小姐が「私も食べ…」。最後まで言われる前に「お金がないの!ピンチなの!」お金がないなんて子どもには言ったことがなかっただけに、小姐は唖然としていたが…。ミ○ドなんぞに寄ったらドーナツだけでは済まない、飲み物も欲しがるでしょう、私は食べないとしても、小姐と坊2人分で…バカにならんぞ。そういう「絶対に必要ではないもの」は極力減らさねばなるまい。フードコートがあるスーパーには滅多に来ないのだから、たまにはいいじゃないかという気持ちもないわけではなかったが、それよりも何よりも、残高が少ないことに おののいていた。お金がないなんて台詞は子どもの前では言いたくなかったのに、ついに口にしてしまった。今すぐ生活が立ち行かなくなるわけではないものの、相当の危機感を持って生活しないと、冬には車が2台とも車検だし、とりあえず小姐が卒園するまでは どう頑張っても赤字だ。減らせる項目といったら、新聞をやめること(中日新聞だし!…笑)。子どもに新聞を読ませるべきと思っているけど、それはもう少し先でいい。ガソリン代はかさむから私は外出を控える=なるべく車を使わない。テニススクールも退会しようか。もうこれ以上うまくはならないだろうし、小学校には母のサークルで卓球やバドミントンがあるらしいから、運動したいならそちらに切り替えれば格安だ。「ごめん、お腹がすいたなら帰ってホットケーキでも作ろう。生協で頼んだ新しいジャムがあるし」と言うと小姐は「あ~それがいい」。代用できるものは代用しないとね…。夏休みで毎日家にいるし、買い物に行くたびに無駄使いするわけにはいかない。
2009/07/31
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10日くらい前に通知が届いていたのに、すっかり忘れていた!明日の9時半から11時半までこの地区の電気工事のため停電になることを。卓球の帰り、スーパーに寄ろうとしたが、まぁいいや~今日は家にある食材でまかなおう、と 途中で気が変わった。帰宅後、ふと停電のことを思い出した。よかった、買い物しないのは正解だった!我が家の冷蔵庫の中身は常に半分以下だが、今日は2割だった。うむ、ここはなんとかなる。数時間なら常温でも構わないものもある。問題は冷凍庫、こちらは半分くらい。(とはいえ氷枕や保冷剤もあるので、実際の食糧はもっと少ない)とにかく、今日の夜と明日の朝で冷凍してあるものを食べまくるしかない。今月のはじめに弁当に使った星型のポテトを出したら子どもたちが喜んだ。「どうして今日は遠足みたいな食べ物があるの?」だそうな。さすがに すっからかんにはできなかったので、もしかしたらダメになってしまうものもあるかもしれない。どうしてもっと早く段取りしておかなかったのか、いや、停電になること自体を忘れていたんだからバカだよな~。食材のストックはそんなにいらない。買い物に行く暇もないほど多忙ではないのだから。勿論、週に1度 特売日に賢くまとめ買いという手もあるが、料理が苦手な私には、1週間分の献立を考えるなんてことはとてもできない。肉や野菜は、買ってきたら その日に使う分以外は 切って冷凍しておくが、冷凍したものでも、なるべく早く使うに越したことはない。これからは冷凍庫も、冷蔵庫と同じく常に容量の半分以下を目安にしよう。
2009/06/25
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子どもたちが幼稚園から帰宅してすぐ、実家へ向かった。明日スキー行くため、ログハウスに前泊する。父の車で Let's go!出発して30分も経つと山間地域になる。ログハウスに到着するまで、似たような風景が続く。途中、道沿いにあるスーパー(といってもコンビニくらいの大きさ)のシャッターが下げられ、看板も外されていた。店をたたんだのか…。集落で唯一といっていいほどの店が潰れたなんて、皆どこで買い物するんだろう?スーパーがある地域まで車で何10kmも走ってまとめ買い?生協を利用する?それとも、移動スーパーみたいなトラックが来る?いや、まさか自給自足!?農作物はともかく、肉や魚は…。過疎の村には、スーパーすらないのか。今日はこの店が安い、明日はあちらで…なんて広告と睨めっこすることもないのか。食料品を扱う店がなかったら、衣料品や雑貨なんて…言わずもがな。店がなければ余計な出費がなくて経済的だって?まさにその通りだろうけど、なんだか 買い物する楽しみがない感じだな。店がない。学校も遠い。唯一の公共交通機関であるバスは1~2時間に1本。そんな不便な地域でも、実際に住んでいる人がいる。若い人はどんどん出て行ってしまうだろうけど、それでもそこには家があり、人々が生活しているのは事実だ。生活に必要なものは、実はそんなに多くないということだろうか。「持たない暮らし」とかいう本が出ていたような気がするが(読んだことはない)、むやみにものを持ちすぎず、少ないものを丁寧に使えば、僻地でも気持ちよく暮らせるということだろうか。ネットで買い物できる時代だしね。
2009/02/10
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冬のバーゲンもそろそろ終盤である。年が明けてすぐにバーゲンが始まるが、最初は30%オフ、次に50%オフ、そして最終的に70%オフになったりする(勿論、店によって差はあるが)。私は大抵、まず1月上旬に出かける。まだ値引率が低い時期だが、いいものはすぐに売れてしまうので、半額になるまで待たずに買ってしまったほうが後で悔やまなくて済む。そして、1月下旬に出かける。さらに安くなった中から掘り出し物を見つけるのだ。今日イオンに行ってきた。いつもの「BRANSHES」で小姐と坊の服を物色。上旬に来た時にいくつか購入したが、値引率が上がった今日は、1サイズ大き目で よさそうなものがあったら来年用に買おうという考えだ。それぞれトレーナーと長袖TシャツをGET!自分の服も見たが、これといって気に入る物がなかった。バーゲンに行って、自分の物を何も買わずに帰ってきたことがあっただろうか。もしかしたら、今回が初めてかもしれない。上旬に来た時に買ったから、冬物としての数は十分足りている。しかし、安くてそこそこ気に入ったら、おそらく買っていた。少し前までならば。今回は「そこそこ気に入った」くらいでは 買うべきではないと思ったから 買わなかった。今までのバーゲンをよーく思い出してみろ!「こんなアイテムがほしい」という目安も持たないままただバーゲンだから、安いから、と お祭り気分で買っていたのではあるまいか。勢いだけで買った物は、結局 あまり使われなかったりするのだ。買うという行為で物欲は満たされても、暮らしが満たされたことにはならないのだ。どんなに安い物にでも資源とエネルギーが使われている。あまり使われないのでは もったいないから、買う前に慎重に考えるべきである。たんすの肥やしなどつくってはならない。お気に入りだけが入っているのが理想だ。取捨選択することで自分の価値観が磨かれて、無駄な物はおのずと買わなくなる。とはいえ、無駄な物は絶対に買わないという考えに固執してしまうと、せっかくの買い物の楽しみを否定することになりかねない。欲しい物を手に入れる喜びは大切にしたい。買い物上手とは?厳選して買う。本物を買う。自分らしい物を買う。とはいえ、現実にはそんなことを自分に課してばかりいたら肩が凝って疲れそうなので、物そのものときちんと向き合うことを考えてみよう。安いから、流行っているから等、物そのものの価値とは関係ない理由で買わないこと。それからもう一つ、買ったら使う。だって、使うために買うのだから。使うことが、物を一番大切にすることだから。不況で夫の給料が大幅に減り、支出をおさえるにあたって、真っ先に削ろうと思ったのは私の服飾関係だが、だからといって いかにも安い物を選ぶのは抵抗がある。「買い替えまでの期間を今までより長くする」「手持ちの服を減らして効率的に着まわす」「良いものを少しの量、長く大切に着る」この3つを実行して、服のレベルは落とさない。これが結果的に節約になると思う。
2009/01/23
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夫が所属する部署(かつて私も在籍していた)は、残業が当たり前で日付変更線を超えてから帰宅することも珍しくなかったのだが、このところ売上が落ち込み、少し前から 夜10時以降の残業は原則として禁止になった。そしてなんと、今月からは 残業は2時間まで、どうしてもそれ以上必要な場合は部長決済というルールになった。製造部門の人たちは皆 定時で帰らなければならないようで、「やっていけない。バイトでも始めるか」と冗談とも本気ともつかぬ顔らしい。うちだって、残業が1日2時間までとなったら、これまでの給料より10万近く下がるはずだ。夫が確実に早く帰宅するなら、私が夜のバイトに行こうか(夫が副業するのはまずい)。売上が赤字なら、人件費を削るしかないもんね…。誰でも知っている大きな会社だけど、この経済危機じゃ さすがに厳しいわ。世界のトヨタだって大幅に減益だもんな。あぁ、この先どうなるんだろうな。とはいえ、毎晩深夜まで働いて、若いうちはそれでもよかったかもしれないけど50歳近くになって過労で倒れるなんてことになりはしないかと心配だったし、寝に帰って来るだけのような平日では気の毒だから、残業2時間というのは、これはこれで人間らしい生活が送れるんじゃないかな。景気の回復のためには、内需、特に個人消費を伸ばすことが肝心と言われているようだが、資源を大切にしようと叫ばれている時代に、物を生産し消費しなければ不況になる、という考え方は いかがなものだろうか。エンドレスにどこまでも経済成長が続くなんて不可能だ。そんな社会は必ず破綻する。浪費文化をなくし、つつましく生きるべきだ。身の丈に合った生活を楽しめれば どんな状況でも大抵は不幸ではないと思う。負けたくない(って、誰に?)という意識が強ければ強いほど、足るを知らないから辛くなるような気がする。 いや~、それにしても月に10万とは、打撃なんて一言では片付かない。
2008/12/01
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金曜日は仕事のはずだが…。今日は人が多いのか、シフトが削られ私は休みになった。(なんだかんだと週2ペースになっている。来週の水曜日も削られた)せっかくなので、片道1時間半かかって岡崎西武へ。今日まで、西武の日本一セールをやっているのだ。岡崎へ行くには 国道1号線を通る。すぐ脇には名鉄が走っている。途中に舞木検査場があり、止まっている列車が見えるのだが、来月のダイヤ改正で完全に引退するという パノラマカー が、解体され先頭車だけになっていた。私はかつて、毎日のようにこの列車に乗って大学まで通っていた。ここ何年かは お見合い電車(ロングシート車)ばかりで 滅多に見かけなくなり、ついに引退するというのだ。寂しくて仕方がない!ちなみに、パノラマカーの後継車である パノラマスーパー も近いうちに淘汰されるとのこと。先頭車の展望席は階段を上って辿り着く構造で、バリアフリーの時代に合わないから、という理由らしい。老朽化しているパノラマカーは引退もやむをえないとしても、こちらはまだ新しいからもったいないなぁ。名鉄の看板車輌は ミュースカイ または 2200系 だと言いたいがために?パノラマカーといえば私の青春時代(!)の象徴、それが姿を消すなんて、よよよ…と悲しい気持ちで運転していると、西武に着いた。正面玄関をくぐるや否や、ライオンズの紙帽子をかぶったスタッフが大勢現れた。中日のお膝元では異様な光景と言えるだろう。「オゥオゥオゥ ラーイオーン♪」という球団歌が頭から離れない…。この西武には子ども服のBRANSHESが入っており、全品2割引となっていた。坊が、昨年はいていた冬物ズボンはすべてサイズアウトしてしまい、3本は新調しないとなぁ…と思っていた。これならなんとかはけるだろうか、というものが1本だけあるが、それでも ちんちくりんには変わりなく、みっともないので、先日 慌ててニシマッチャンに飛び込んだものの、気に入るものがなく買わなかった。よかった、間に合わせで適当に妥協して安物買わなくて。やっぱり いつものBRANSHESがいいわ!ついでに小姐のスカートもゲット!隣接するイオンモールには、無印良品が入っている。ここで湯たんぽを買った。昨年から気になっていたのだが、昨日、チラシで見て、そして今日 店頭で見て、使ってみようという気になった。サイズは2種類あり、私が買ったのは小さいほう。「お子様用として、または仕事場に携帯してはいかがでしょう」という触れ込み。合わせて湯たんぽカバーも購入した。夜、早速試してみた。布団に入れるのではなく、リビングで使う。足元に置いて毛布をかけたら、実に快適だった。エアコンをつけるまでもないけど ちょっと冷える、という時にはもってこいだと思った。私1人で(夫の帰宅は早くても10時)エアコンを使うのはもったいないから。本当に寒い時期になったら そうも言っていられないけど、当分はこれでよさそう。寒いからって すぐにエアコンに頼るのではなく、1枚多く羽織るなり、ひざ掛けを使うなり、工夫することはたくさんある。
2008/11/14
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保険会社から年末調整ため会社に提出する証書が届いた。その中の一つに、子どもたちの学資保険の内容が記載されている。平成37年という文字を見て、気が遠くなった。坊がハタチの時、わたしゃ50かよ…。どんな時代になっているんだろうか。夫は5歳年上。会社の定年は55歳。うわ~、リタイアしているのか!年子の子どもたちが、ともに大学に進学したら、3年も被ることになる。そのお金、どうやって出すのさ?学資保険だけで足りるのか?(小姐と坊では、満期の金額が違う。男尊女卑!)子ども1人を育て上げるのに1000万かかるとか言われているようだが、この数字は非現実的だと思っている。本当にそれだけのお金をかけて外注化しないとまっとうな子どもに育たず幸せになれないとは思わない。中学高校まではなんとかなるだろう(私立高校に行かなければの話)。教育費の山場は、やはり大学である。最初の危機は受験の時に襲ってくるだろう。しかーし!たとえ教育費はなんとかまかなえたとしても、今度は老後資金のことが切実になってくるだろうから、教育費を湯水のように使うわけにもいかないのだ。年金なんかもらえないはずだし。教育費というのはズバリ大学資金のことで、高校までにかかるお金は家計から捻出して貯蓄には手を出さないのが原則だ。その手の本で、幼稚園代や習い事も含めて子どもにかけるお金は収入の1割が適正(1人っ子の場合)と読んだことがある。子どもが2人なら13%らしいけど、うーん、そんなの軽々オーバーしているわ!2人分の幼稚園(課外含む)とスイミングの月謝は約8万円。家のローン2軒分払っているようなもの。子どもが小さいうちが貯め時というけど、現段階では非常に厳しい。未就園児の頃に、もっと意識を高く持って貯金しなければいけなかった。育児ストレスの発散といってはバカみたいに買い物していた自分が情けない。しかし、過ぎたことを悔やんでも今更どうしようもないので、幼稚園が重なる今年と来年は せめて赤字にならないように じっと我慢し、再来年以降が本当の勝負だな。大学時代、平日の夜は塾講師や家庭教師で稼ぎ(高時給だった)、土日は店などでフルタイムで働いて、あっという間に100万近く貯まった。家庭教師に行くのに車が欲しいという目標があったのもよかったが、何より、遊ぶ暇がない=お金を使う機会が少なかったのだ。来月からパートに行くことになったけど、幼稚園代1人分くらいにはなりそうだしたとえ週3日でも働いていれば、忙しくて時間も限られ、肉体的にも疲れて、フラフラーッとイオンに吸い込まれることもなくなるだろう(苦笑)。そして、日々の生活でも できることはやってみる。よく 節約雑誌などに、プラグを挿しっぱなしなのは冷蔵庫だけという人が出ていて、なんと貧乏臭い、そんな面倒なことできるか~!と思っていたが、物は試しと、洗濯機と炊飯器のプラグは使ったらすぐ抜くことに決めた。慣れたら、別にどうってことない。どうせ私しか使わない物だし。電気ポットを使わなくなったのだって、衛生的でないという理由の他に熱湯が一晩中沸いている必要なんてないと判断したから。電気代にしたら僅かなものだと思うが、塵も積もればナントヤラだ。出費の無駄をとことんゼロにしたら確かに貯金は増えるだろう。しかし、ギスギスした生活はストレスになる。節約できても、それじゃ幸せじゃないよな。ささやかな楽しみを削ってまでの節約はしない。限られた収入を家族の幸せのために有意義に使うには、目先の利益にとらわれず長い目で見ないとダメだ。何事も、長いスパンで物事を見通す癖をつけたいと思う。
2008/10/27
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「すてきな奥さん」等、節約雑誌に載っている人の食費は月に2万だったりする。どうやったら2万でおさまるのか。だって1日700円でしょう?実家から食糧援助があるのか。とにかくセコくてケチで図々しいのか。 安ければ中国産の食べ物でも平気なのか。おかずが少ないのか。常に一品料理なのか。 少なくとも、これらのうち1つは該当するだろう。国産の食品を使い、バランスのとれたメニューにしようと思ったら、どう考えても月2万で収まる訳がない! 私なんて やりくりが下手で、夫の収入から考えたら貯蓄が少なすぎるから、自分がどれだけダメなのか思い知るのだが、それと同時に、あの人たちは どうしてこんな生活に耐えられるのかと思う。 食べない、買わない、(お金を使って)遊ばない、交際しないって一体何が楽しくて生きてるの?勿論、お金使うことがすべてではないけど…。 この手の雑誌のコンセプトはズバリ、「節約は美徳」である。冒頭にドーンと顔写真があって、実名(仮名の場合もある)が出て、○○さんの1ヶ月の収支というのが表になって載っている。私なら、家計の内容なんぞ全国ネットで知られるのは絶対に嫌だけどなぁ…。でもこういう家計簿公表奥さんというのは、「こんなに少ない中からこんなに貯めたのよ!私って偉い!」と言いたいのだろう。何しろ皆さん、嬉々とした顔で載っていらっしゃるから。あー、でも今の時代、このくらいシビアに家計を締めないと、この先 暮らしていけないのかもしれない。身の丈に沿わない暮らしをしているとは思っていないけど、実はそれは勘違いか?もっと堅実な妻であれば、夫の収入なら楽々貯まっているのではないか。なーんて、一人で悶々としていたところ、今日、幼稚園のイベントで 小姐が満3歳児と年少で同じクラスだったお母さん方に会い、ひょんなことから食費の話題になった。「週に1度の生協は5000円までって決めてるわ」「偉いね、うちなんて1万超えるのザラなのに」「でも生協だけじゃ足りないからスーパーで買い足してるけどね」「この商品は生協のがいいってやつを買って、あとはスーパーかな」「米って1ヶ月に10Kgで足りる?」「足りない!うちは子ども3人だし、長女が中学生で食べ盛りだもん」「まとめ買いってできないな~」「私も!1週間分の献立を考えられなくて。せいぜい3日だわ」工夫すれば もう少し抑えられるはず、とは言いつつも結局「安ければいいってわけじゃないし、食べる物をケチケチしたくないよね」で話がまとまった(笑)。よかった、身近な人が同じ感覚で。そうだそうだ、2万でおさまるわけないのだ、ワハハハハー!
2008/10/10
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今日は嬉しいボーナスの日。普段は残業ばかりで帰宅が深夜になる夫が、今日は早く帰ってきた。焼肉屋に行くためだ。ちょうどキャンペーンをやっていて、10種類のメニューが半額だった。私たちが気に入っている霜降り肉も対象メニューだったので、ラッキー!ところで、我が家は収入のわりには貯金が少ない。そのことに気づいたのは2年くらい前だが、状況は大して変わっていない。よほど私のやりくりが下手なのだと情けなくなる。身分不相応な暮らしはしていないつもりだが、小さな無駄が多いんだろうな。塵も積もればナントヤラ。一つ一つは小さな無駄でも、重なれば大きな無駄になるのだ。少しくらい節約したって変わらない、というのは大きな間違いである。逆に、不要な物は買わない、使わない電気はすぐに消す等、こまめに無駄を省けば、1ヶ月、1年で大きなプラスになるのだ。たとえば1日に200円の節約で、年間73000円の貯蓄になる。無駄に対して敏感になることが、貯蓄への第一歩といえるだろう。お金は、感謝して大切に使おう。夫が夜遅くまで働いて(時には休日出勤して)得てくれた給料なのに、「まぁいいか、とりあえず買っとけ」なんて いい加減な使い方をしてはいけない。
2008/06/10
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江戸時代に「母親は もつたいないが だましよい」という川柳があったそうだ。母親の甘さにつけこむ 困った道楽息子の本音を詠んだものらしい。とはいえ、そんな息子でも母親を「もったいない」とありがたがる謙虚さがうかがえる。「もったいない」は物を惜しむ場合に使われる言葉だが、そこには節約の意味だけでなく、例えば親に対するような感謝の心がこめられている。かつて日本人は「もったいない」と よく口にした。戦中~戦後の貧しい時代を生きてきた祖母にとってはまさに口癖で、私は、ご飯粒1つ残しても「食べ物を粗末にしちゃいかん!」と叱られた。しかし、大量消費と飽食の現代日本において「もったいない」は、死語になったようだ。なくなったら買えばよい、壊れたら捨てればよい、という考えが蔓延る社会は、物を大切にしないばかりか、人も大切にしない社会のような気がしてならない。大量消費どころか、大量浪費といったほうがふさわしいかもしれない。大量浪費を支えるための行き過ぎた環境破壊は世界規模に広がっているし、大量浪費の果てにカード地獄に陥る人もいて、それは自己破産や犯罪の多発といった深刻な社会問題をひきおこす。現代日本に刹那的・退廃的な風潮を生んでいる所以に違いない。便利な世の中になっても、人々の生活が本当の意味で豊かになったとはいえないのだ。さて、このところの原油高騰に始まった諸物価の値上げは、便乗値上げを含めて とどまるところを知らない。生活防衛するためには節約以外に方法はない。買い物を控えるのが一番だが、やはりそれにも限度がある。ただ私は、これをプラスに捉えたい。倹約生活を経験するよい機会である、と。便利な生活に慣れ、それが当たり前になっているから資源を浪費する生活から抜け出すことが難しく感じられるのだと思う。日本は食料品をはじめ生活用品の多くを輸入に頼っているが、いつ物不足の時代が来てもおかしくないと考えれば、つましい生活とはどういうことか 一度は身をもって知っておくべきではなかろうか。このまま石油を使い続ければ、近い将来 必ず枯渇してしまう。今こそ知恵をしぼり、危機を乗り越えなければならない。厚着して、部屋の暖房の設定温度を低くし、つけっぱなしにしない。車の運転を控え、必要以上に物を買わない。多少の不便は我慢しよう。それが次世代に「住みよい地球」を残していくことにつながるのだ。まだ使える物を捨てて新製品にとびつく価値観は、地球を使い捨てにするも同然である。古来、まっとうに生きる心を教えてきた「もったいない」。それを忘れてしまっては、それこそもったいない。
2008/02/19
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夫は寝室もパソコン部屋も2階だが、私と子どもたちは1階の和室で寝ているし、リビングにいる時間が圧倒的に長い。私には、ベランダに洗濯物を干す・取り込むという作業があるが、子どもたちといったら、小姐がピアノの練習をするくらいで、坊はハッキリ言って2階に用はない。夕飯後、ピアノの練習を見てやるために小姐と2階に行ったが、階段を上る前に階段の電気をつけ、下りてきたら即座に消した私に小姐が「どうして消すの?夜なんだからつけておけばいいのに」と一言。「階段は、いつも人がいる場所じゃないから、そんなところの電気をつけっぱなしにしておくのはもったいない」と言うと「もったいない?」と、理解できていないようだった。うむ、難しいなぁ。電気って目に見えるものじゃないし。「もったいない」の意味はわかっているはずだが…。「プラレールのスイッチが入りっぱなしだと車輪がずっと動いているでしょう。使い終わって、おもちゃ箱にしまっても 動きっぱなしだよ。次に使おうとして出した時には、もう電池がなくなっているよ。せっかく入れた電池が無駄になって、もったいないと思わない?」と言うと「そうだね。でも、また充電すればいいじゃん」そ、そう来たか、オヌシ!確かにその通りなんだが…。「じゃぁ小姐は、手を洗う時に水を出しっぱなしで石けんを泡立てる?」「ううん」「石けんでゴシゴシやっている時は、水はいらないから止めておくよね。トイレだって、入る時に電気をつけて、出たら消すでしょう。水も電気も、いくらでもあると思ったら大間違いだよ。無駄に使ったらもったいない。食べたい煎餅を、わざと捨てるなんてことしないでしょう。もったいないもんね」地球温暖化が深刻な問題になっていて、このままだと将来は…とか限りある資源がどうのこうのと話しても、今の小姐には理解できないだろう。しかし「もったいない」という気持ちを植えつけることは可能だ。水や電気を無駄に使わない、食べ物を粗末にしない。特に意識しなくても、当たり前にできるようになってほしい。それにしても、メディアは環境問題について警告してはいるものの、真剣に対処している人が 果たしてどれだけいるのだろうか。ゴミの分別収集やマイバッグ持参など、それぞれに実行できることをやっているとはいえ、まだまだ、どこか対岸の火事みたいに捉えられているような気がするのだ。だいたい、何千円もするエコバッグを買うために行列ができたり、エコをファッションととらえている人が多いのも、おかしいのではないか。単なるブームで終わらないことを切に願う。人類は、自然との共生をどこかに置き忘れ、欲望をむき出しにして森林を伐採し、地形を変え、二酸化炭素を撒き散らしてきた。回帰しないまま、言葉だけで「自然を守れ」だなんて、しらじらしいにも程がある。テレビは深夜まで放送しているし(しかもくだらない番組が多い!)、コンビニは24時間営業されているし、一般家庭でもクリスマスイルミネーションとか。省エネの技術が進む一方、消費時間を減らす努力が足りないと思う。温暖化による干ばつや洪水、世界中で起きているあらゆる天地異変は、地球の悲鳴である。しかも、環境破壊はもう後戻りできないギリギリのところまで来ている。現代の文明を謳歌し続けては、次世代に笑顔でバトンを渡すことは到底できまい。
2008/01/16
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大晦日、最後の最後に窓拭きを残していた。昨日から急に寒くなり、新聞を取りに行っただけで凍えそうだったが、さすがに汚いガラスのまま新年を迎えるのは嫌だ。私は窓ガラスを拭き、夫は網戸を外して洗った。ガラス用の洗剤といえば水色の液体である。窓拭きを手伝っていた子どもの頃からの定番である。毎年これを使ってきたが、今年は一切使わなかった。洗剤を切らしていたわけではない。いつだったか、節約系の主婦雑誌に書いてあったのだ。ガラスは濡らした新聞紙で拭くとよい、と。まさかそんな、きれいになるどころか 汚くなりそうなのに、と半信半疑だった。ところが、実家の母がそれを実践していたのだ。母も「騙されたと思って試してみたら、あらビックリよ」。本当に不思議なことに、みるみる曇りがとれていくのだ。その様子をこの目で確かめたら、自宅でもやらない手はない!洗剤を使うと、手荒れの原因になるし(私は手袋をはめるのがどうも嫌いだ)、雑巾は汚れるし、その雑巾を洗って絞るという手間もある。しかし新聞紙なら、惜しみなく使ってあとは捨てるだけ。なんと手軽なことよ。古新聞を使うということは、資源の再利用である。時代にもマッチしている。これからは洗剤を買わなくてもよさそうだわ。節約にもなるし、いいことづくめだわ。いや~、それにしてもガラスを新聞紙で拭くなんて誰が考えたのかしら!昼食は びっくりドンキーへ出かけた。半年ぶりくらいだったのだが、キッズメニューにおもちゃをつけるのをやめたそうだ。一つは環境保全のため、さらには親子のコミュニケーションのためらしい。おもちゃではなく、会話を楽しむ。ともに食事する時間を楽しむ、ということ。うむ、ああいう類のものは なくていいわよ。だいたい、お子様ランチについてくるようなおもちゃは やぐいのだ。ちょっと使ったらすぐ壊れて、捨てるしかないようなものはもったいない。ハッキリ言ってガラクタなのよ…小姐も坊もすぐに飽きるんだもの。おもちゃなんていらないから、その分 値段が安いほうがありがたいわ。それから、割り箸をやめて、プラスチックの箸を使うようになっていた。(希望すれば割り箸ももらえるらしいけど)きちんと洗浄するのだから、これでいいよね。割り箸はもったいない。値段が高騰している石油も、60年後くらいにはなくなってしまうと言われている。私たち一人一人が、当たり前のこととして日常生活にエコを取り入れるようになれば「限りある資源を大切に」なんて、わざわざ強調しなくてもよくなるんだろうな…。
2007/12/31
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今日はボーナス支給日。毎日働いて一家を支えてくれている夫に唯々感謝するのみである。恥ずかしい話だが、収入のわりに貯金が少なすぎるのは、日頃いかに私のやりくりが下手かという証拠である。小さな無駄が多いに違いない。今度こそ引き締めていかねば…。まずは見栄を捨てよう。見栄は身を滅ぼすに決まっている。 着飾っている人、贅沢をしている人につられるべからず。 中身を大きく見せようなんて思うなよ。「自分は自分」と、しっかりした意志を持つべきだ。「足るを知る」という言葉がある。 何でもすぐに買うのではなく、持っている物で工夫することはできないだろうか。「あったら便利だな」ではなく「なければ困る物」が必要な物なのだ。あって当然と思われる物でも、実際に使うかどうかは別問題である。なくても平気な物は意外とあるのだ。新しい物に手を出す前に今ある物を使い込む、使わないと思う物はそもそも家に持ち込むべからず。そう習慣づけるうちに、必要な物を見極める目が肥えてくるだろう。
2007/12/10
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+++雪+++さん から、カウプレの品が届いた。事前に「怪しいもの満載です」と通知をいただいていたが、とんでもない。「わ~何これステキ~!」と独り言を言いながら開封を楽しんだ。まず、私のイメージだという黒い手ぬぐいと桔梗のフローティングキャンドル。会ったこともなければ顔写真を見たこともない相手を想像するのは難しいが、さすが雪さん、鋭い。なかなかいい線を突いていますよ(笑)。それから、雪さんが好きだとおっしゃるフレーバーティー。トキオという名の緑茶と、も一つは紅茶で イングリッシュキャラメル。いずれも「ルピシア」のものである。緑茶のほうを早速飲んでみた。すごくさわやか!これはリピーターになりそう。ルピシア、そういえば たまに行くイオンにあったけど入ったことなかったわ。今度行った時は是非のぞいてみよう。中国茶も2種類入っていた。ジャスミン茶と鉄観音である。それから、「へびのたまご」という地元のお菓子。お住まいの県には、これといった名産品がないとのことだが、国内唯一の「ヘビセンター」があるそうで、そこのお菓子だという。マドレーヌのような味だった。私以上に夫が喜んでいた。「編む練習中です」という、アクリルたわしが2枚。アクリルたわしって聞いたことはあるけど、どんなふうに使うか知らなかったので、ご本人様に尋ねたところ、激落ち君みたいに水だけで汚れが落とせるのだとか。早速、洗面所の鏡を拭いてみたら、あっという間にきれいになった。今までは、飛んでしまった歯磨き粉を落とすためにガラスクリーナーを使っていたけどこれなら拭くだけでOKってことね~。環境にいいわ!そして、極めつけは…。小さなカゴを開けてびっくり、手作りの石けん2種類と、消しゴムはんこが3種類。トラッキーに、ウサハナに、シンカンセン。す、す、すごい。本物に忠実だわ。細かい作業なんだろうな。私と小姐と坊のために…。感謝感激雨霰ですよ。このところの雪さんは、部屋を片付けたとか物を処分したという記事を書くことが多い。私は大いに刺激をいただいている。彼女は、エコに対する関心の高い人だと思う。増え続ける物の生かし方や捨て方についてよく考え、居心地のよい暮らしを目指している。ちょっとしたきっかけや簡単な工夫で快適になる、ということを改めて考えさせてくれた。雪さん、今後ともよろしくお願いします。
2007/09/04
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あ~暑い暑い。暑いと言っても 暑さが和らぐどころか、かえって暑苦しいだけなのだが…。そういえば子どもの頃、妹と「暑いって言ったら罰金ね」などと約束して、うっかり忘れて「あつ…くない」「暑い…の反対!」と言っていたことがあった(笑)。エアコンに頼りすぎると体調を崩してしまう。私は、女性のわりには冷えに強く、暖房はなくても過ごせるが 冷房は欲しいタイプである。故にクーラーは友達なのだが、今年は自分なりに頑張って、極力つけないようにしていた。しかし、一度つけて快適を味わってしまうともう元には戻れない。そこで、せめてもと思って長時間つけっぱなしは避け、できるだけ除湿モードを使うことにした。暑い時なのに汗をかかないというのは不自然で、体によくないから、エアコンをつけることが当たり前になってはいけない。それに、たとえ少しでも稼動時間が減ったら省エネになる。地球温暖化が叫ばれて久しいが、多くの日本人が「これって体にいい!地球にやさしい!」と推進していることは、特別でも何でもなく、昔の人なら普通にやってきたことばかりである。皮肉にも、めまぐるしい進化・発展をとげた現代人が、「いいこと」の答えとして昔のシンプルな生活に立ち返っているのだ。私も「おばあちゃんの智恵」を今一度、見直してみよう。
2007/08/04
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今日買った牛乳は「ニセコ山麓北海道3.8牛乳」。ニセコにはスキーに行ったことがあるが、あの雄大な羊蹄山は絶景だ。思い出すだけで、心が洗われるような気分になる。絶景のみならず、そこから湧き出る「羊蹄の吹出し湧水」は名水として全国的に知られているらしい。「自然豊かな風土と良質な牧草、健康な牛から搾った おいしくて栄養豊富な牛乳」、こんな文句を読んだらそりゃ~買いたくなりますよ。野菜でも海の幸でも、北海道というだけで他よりおいしそうな気がするし(笑)。しかし、である。遠くから来た食べ物は、近くで収穫された食べ物より輸送時に より多くの二酸化炭素を出していることになるから環境によくない。地球温暖化を止めるためにできることはたくさんあるが、地元産の食べ物を買うようにすることでも貢献できるのだ。わかっちゃいるけど…。おそるべし、北海道マジック。あ、でも エコ買い はしていますよ、ええ。小姐と坊がジュースにあまり興味を示さなくなり(いいことだ)、牛乳ばかり飲むのでとてつもない勢いで消費するのであります。最新でなくても構いませんよ。
2007/06/24
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家から一歩も外へ出なかった昨日は、お金も使わなかった。どこかに行きたい行きたいとしつこく迫る小姐に根負けしそうになって、近所のスーパーに行くくらいなら…という気持ちも一瞬 沸いてきたのだが、その日のおかずを作るだけの食材は十分に揃っていた。行けばお菓子をねだられるに決まっている。しかも2人分。お菓子だったら、大袋入りの煎餅の買い置きがあるからそれで十分じゃないの!やめたやめた!行く必要はないよ。第一、雨だから外出が面倒だ!というわけで、昨日は 無買日 になったのである。無買日。節約について改めて考えてみた。主婦向けの雑誌には必ずといっていいほど毎号 節約の特集が載っている。テレビでも、節約に勤しんでいる家庭の番組をやっているようだ。ああいうのを見ていると(テレビのほうは見ないけど)、言っては何だけど「貧すれば鈍する」の意味がわかるような気がする。 ケチと節約はイコールではない。そこのところを混同せぬように!明かりもろくにつけないで薄暗い部屋で生活する、家ではほとんどトイレを使わない、使っても「小」を3回したら流すなんていう人もいるようである。その人の価値観そのものにとやかく言うつもりはないが、それを節約というなら、誰もやらないだろう。健康的で文化的な生活という最低限のレベルは確保した上でお金をコントロールすべきだ。あんな生活していたら何の潤いもないし、ご主人 家に帰ったって、奥さんにガーガー言われるだけでつまらないだろうねぇ~。贅沢にならない程度(普段は質素倹約に努めても誕生日には豪華な外食とか)に生活すればメリハリがついていいと思うけど、雑誌やテレビに出てくる人たちって極端すぎるよね…。 要は、お金を何に使うかということかしら。私の実家は裕福ではないけどそこそこの蓄えはある家だった。母が厳しくて、おもちゃなどは誕生日等よほどの機会でなければ買ってもらえなかったし、それも金額に上限があった。 「質素に」という方針で、食事も着る物も、決してみすぼらしくはないけど慎ましく育てられた。 当時は、級友が持っているおもちゃ(ファミコンとか。懐かしいわ~!)を買ってくれないことを恨んだりもしたけど、 よく考えたら教育費は惜しまなかったし、本もたくさん買ってくれた。 同じように子どもに質素を強いるにしても、お金があるのに敢えて質素を選択するのと、 お金がなくて貧乏暮らししかできないのとでは大きな差があると、最近つくづく思う。親として子どもにはいろいろな体験をさせてあげたい。そして、子どもの意見も尊重してあげたい。そのためにお金がかかるのは事実、ある程度の出費は避けられない。そして私自身も、今しかできないことにはチャレンジしたいし、いい物(本当に気に入った物)にも触れたい。だから有効なお金の使い方をしよう。物欲を満たすためではなく、心を豊かにするために!無駄は削って、お金をかけるべきところには思いきってかける、そういうメリハリのある生活を心がけよう。
2007/05/07
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経済的に厳しいこの時代、節約が巷を賑わせているが、闇雲に節約しても長続きするはずがない。今までお金を使ってきたことは楽しかったわけだから、なかなか「今日から」とは踏み出しにくい。しかし今ここで踏み出せなかったら、問題は永遠に解決しないだろう。「明日から」なんて言っていたら一生ダイエットはできないのと同じだと思う。「無買日」(Buy Nothing Day)は、1992年カナダの あるアーティストが始めた運動を、雑誌「Adbusters」が広め、その後アジアを含む世界62ヵ国でおこなわれているらしい。日本では1999年から行われているという。各国各地域でさまざまな団体により、イベントやパフォーマンスが行われるが、要するにやることは一つ。「この日だけは、物を買わない」ということ。(但し、どうしても必要な物は除く)たまたま何も買わないで一日が終わると、自分でビックリすることがある。無買日は、そんな日を意識的に作って 買い物について考えるチャンスである。自分のお金の使い方について考えるのもよし、これから買おうとしている物について再度じっくり考え直すのもよし。そこからさらに進んで、自分が買う物が地域社会や遠い国の人々の暮らしにどんな影響を与えているかを考える日にできたら もっといいだろう。シンプルライフは、節約生活とも重なる部分が大きいので、暮らしの無駄をそぎ落とし、入るを計って出るを制する生活を続けていけば、たとえ収入が多くなくとも必ずお金はたまっていくはずである。その度合いによっては、ホンモノのお金持ちになれる可能性は大である。しかし、シンプルライフを愛する人は お金というより、人生の時間を生き抜くこと、有効に使うことの方に関心があるようだ。貯まったお金をポンと景気よく自分の夢のために使い切ってしまうこともある。ただ、シンプルライフは お金があってもなくても同じように実践することができるので、それが身についてしまうと、同じ金額が何倍もの価値を持つようになるし、現金がたくさんあるかないかということは あまり気にならなくなるのかもしれない。お金に左右されない、振り回されない。この価値観こそ、どんなお金持ちになっても得られないすばらしい財産だろう。
2007/04/07
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もったいないからと残り物を食べて太ってしまった人が、過激なダイエットを実行した挙句リバウンドするというのはよくあるパターンである。これは、もったいないと思って物を捨てられない人がある日決意して捨てまくったはいいが、いつの間にかまた散らかった部屋になっている、そんな現象とそっくりではないだろうか。ダイエットの成功とは「○月○日に○キロになること」ではないだろう。真の成功と呼べるのは、「○キロになって、それをずっと維持すること」に違いない。体重を何十キロも落とす人は現実に数多くいるが、それを維持できる人が果たしてどれだけいるだろうか。ダイエットにしろシンプルライフにしろ、本当に難しいのは体重や物を減らすことではなく、その状態を維持することである。捨てるという行為は、完成を意味するわけではない。仮に最低限まで物を捨てたとしても、それがシンプルライフの完成とはいえないのだ。むしろスタートである。これをしっかり肝に銘じないと、捨てることを何度もくり返すばかりである。2005年に、シンプルライフのキーワードの一つとなった「もったいない」。ケニアの副環境相ワンガリ・マータイ氏による、日本の伝統的精神への高い評価に、わが意を得たりと膝を打った人も多かったと思われるが、シンプルライフの神髄は、単に物を持たないことではなく、自分のまわりのすべての物に愛着を持ち、大切に使い、使い切ることである。これぞまさに「もったいない」の精神である。禅寺で修行する人々は本当に少しの物しか持たず、日々の生活は単調だという。暮らしをシンプルにすることによって、心の中を静かにさせるためだろう。心が静かになれば、頭の中に渦巻いている悩みも整理しやすくなるだろう。物を減らし、静かな日々を味わいたいものである。
2007/02/18
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新聞の全面広告に衝撃的なフレーズを見つけた。「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」だってさ~!自宅の冷蔵庫に新しい牛乳と古い牛乳がある場合、どちらを飲むだろうか。当然、古いものから飲むだろう。賞味期限が過ぎて捨ててしまうことになったらもったいないから。しかし、スーパーでは新しい牛乳を選んで買っているのではないだろうか。新しい牛乳から売れていくと、その分 古い牛乳は売れ残ってしまう。日本では毎日約2000万人分の食料が、賞味期限切れ等の理由で廃棄されているそうである。だから できるだけ、売り場の手前に置いてある古い牛乳を買いましょう、ということらしい。うーん、確かに!1日でも新しいものがいい、と奥のほうに手をのばしているわ。しかし、すぐに飲むなら一番新しいものでなくても構わない。古いといっても、今日から数えたらまだ日数はあるわけだし、それまでに飲みきれる確信があるなら古いほうを買っても問題ないはずである。古い順に商品を買うことがエコロジーだという視点、実にすばらしい!同じ地球上には、飢餓に苦しみ毎日のように人が亡くなっている地域もあるというのに、平和な日本では毎日そんなにも多くの食料品が捨てられているとはなんとも心が痛む話である。飽食や贅沢は是非とも見直さなくてはいけない。それが食料輸送や焼却処分時の環境負荷を減らすことにもつながっていく。
2006/12/18
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夫の部屋着(兼パジャマ)を買いにユニクロへ行った。土日限定で安くする商品があるせいか、駐車場は満車だった。この辺りには私が高校生の頃からユニクロがあった。失礼を承知で言わせてもらえば、当時は「安かろう悪かろう」の感を拭うことができず、あんな店で買うなんて…とバカにしていた。ところが、私が仕事の関係で東京にいた2000年にブームが到来したのである。その頃、東京ではあちこちにユニクロができて、人々は行列をつくっていた。田舎には以前から店があって、都会にはなかったのか…。都会で始まって徐々に郊外へ広まっていくパターンの逆なんて珍しくないか?それにしても、ユニクロなんて行列つくるほどの店かしら、と思っていた。(覗いてみたら、昔ほど安っぽくはなくなっていたのだが)一時ほどの過剰な熱はなくなったといっても、依然ユニクロ人気は根強いようである。ユニクロという名前が一種のブランドになったともいえるし、老若男女問わず着られる服が多いという点も支持されているのだろう。思うに、ユニクロが売れるのは 世の人々に節約意識が高まったためではないだろうか。節約といえば、かつては30代以上の専業主婦が担い手だったのに、今では タレントが1ヶ月をいくらで過ごすなんていう番組がつくられているようだ。そういえば、アサヒだったかサントリーだったか、若い男女が「しみじみしよっか」と言って「しみじみ緑茶」を持って公園へ出かけるというなんとも斬新なCMがあったように記憶しているのだが、バブルの頃なら男性は間違いなく「映画?それともフレンチレストランで食事?」とか言って女性を誘っただろうし、プレゼント用の高級ブランド品も飛ぶように売れていただろう。ペットボトル(いや、缶だったかもしれない)のお茶で公園デートだなんて、贅沢より節約のほうがカッコイイという風潮が若者の間にもあるのだろうか。節約意識から買い求めるユニクロも、贅沢志向で買い求める高級ブランド品も、結局は同じ服であるということに気づいた人が多いということだろうか。満車の駐車場に閉口しながら、ふと そんなことを考えた。
2006/12/02
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節約強化月間の11月も終盤にさしかかったが、食費は確実に減っている。食べたものは血となり骨となるのだから…という考えから、食費はそんなにケチケチしたくはないが、無駄を省くことは必要である。食費節約の基本は無駄買いを減らすこと、なんと言ってもこれが一番大切である。無駄な出費を抑えて必要な物だけを買っていれば、こまめにチラシをチェックしたり 徹底した底値調査をして買い物をしなくても、自然と支出は減っていくのではないか。そこで、意識するようになった「無駄買いを減らす法則」を以下に記す。<1> 余計なお金は持たないようにする。これは単純明快な無駄買い防止法である。買い物に出かける前にだいたいの予算を決め、それ以上のお金は持たないようにすれば、無駄買いしようにもできない状態になるのだ。それから他にもう一つ利点がある。レジを通った時点でお金が足りなければ、何かを減らさなくてはならないわけで、恥をかいてしまうことは明白である。それを避けるためにはレジ前でかごの中の商品の金額を確認することになる。これが良いのだ。ただなんとなくかごにあれこれ入れていると、意図していなくても不要な物も混ざり込む。しかし、かごに入れる時も金額をチェックしつつ、さらにレジ前でも合計金額などを勘定すれば「これって本当に必要?」というものがはっきり見えてくる。<2> 特売品に注意する。安いからといって、自分にとって本当にお買い得かどうかはわからないものである。必ず必要であるとわかっている物なら問題ないが、安さにつられて普段は買わないような食材を買ったり、使いきれるか自信がないほどの量を買うのは明らかに無駄買いである。さらに気をつけたいのはセール品によくあるまとめ売りである。たとえば1本35円のキュウリが、3本100円で売っていたとしよう。35円×3個=105円。合わせて5円のお得ということになるが、本来1本しか必要のなかったはずのキュウリをたった5円の得のために余計に2本買ってしまうのは 間違いなく無駄買いである。まとめ売りとは「バラで買ったらなんとなく損してる?」という心理につけ込んだ手法であり、本当にその個数が必要で買うのかどうかをよく検討した上で購入する必要がある。<3> 使いきれる量を把握する。使い切れずに腐らせてしまったとか、腐る物ではなくても二重買いをしてストックを増やすというのは無駄買いの悪習慣である。買い物に行く前には家にある在庫をしっかり確認すべきで、生鮮品があるなら、まずはそれを使いきる献立を考えて買い物することが第一である。<4> 便利食材は買わない。レトルト食品、調理済みの食材、即席料理の素など、どれも美味しくて便利である。しかし、これらを買う場合は、食材を買っているというよりはむしろある程度時間や手間を買っているという認識を持った方がよい。材料と混ぜ合わせるだけですぐ出来上がる、というような便利なものも巷には溢れているが、家にある醤油、酒、砂糖などの調味料でも十分用が足りるのではないか。私は料理が苦手で、どうやって作ればよいのかわからないということが多いのだが、こうしてネットに接続できる環境があるのだからレシピくらいはすぐに検索できる。他にも、開ければすぐ使えるというような食材も要注意である。たとえば、ボイルして殻が剥いてあるうずら卵と、生のうずら卵を比べたらどうだろう。茹でて殻を剥いた、たったそれだけのことで価格は倍くらい違うのだ。勿論、これらの食材を否定しようとは思わないが、買わなくても何とかなるものは敢えて買う必要はないということを常に頭の隅に入れておくと、買い物習慣は随分と変わってくるだろう。<5> どうしようか悩んだ時は買わない。買わないという選択にはお金は必要ないのだから、とりあえず悩んだら買わない。レジを通る前にもカゴの中身を最終確認し、あぁ~これはどうしよう、と思った物は戻すくらいの心構えでいこう。あの時買っておけば安かったのに…と後悔することもあるかもしれないが、買わずに後悔するより、買って無駄だったと後悔する確率の方がはるかに高いのだ。当然 例外だってあるし、これをすべて忠実に実行するのは容易ではないかもしれないが、一番の問題なのは、無駄買いする自分を許してしまい、無駄買いした自分に言い訳をするその習慣である。無駄買いを減らすのはダイエットと同じで、自分に言い訳していては絶対に成功しない。無駄な物を買って「仕方ない出費なのよ」と自分に言い訳する買い物習慣から脱却しよう!
2006/11/26
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節約月間と名打った11月も半分折り返したが、成果はいかほどだろうか。細かい計算こそしていないものの、意識は確実に変わったと思う。これまでの私は 恥ずかしながら、主婦雑誌に必ず載っている節約特集をバカにしていた。えぇ~そんなことするの?貧乏くさいわ~。まぁアナタがやりたいならやりなさいよ、ウチは余裕があるから そんなチマチマしなくたっていいのよ、みたいな。ホント、嫌な女!そのお金は誰が稼いだものですか?せっかく余裕があるのに、計画性もなく無駄な買い物ばかりして余裕をなくしていた、そんな分際で何を偉そうなこと言ってんだよ!中には極端な例も載っているから、すべて参考にする必要はないが、節約しよう、限られた給料を有意義に使おうという心構えだけは肝に銘じなければなるまい。節約はケチケチしていて人生がつまらなくなるものだろうか?器が小さくなるものだろうか?答えはNOである。無駄なものを見つけ、それを排除し、不要な見栄を捨ててシンプルに生きることはどんなに素晴らしいだろう。節約には即効性があり、何より確実である。お金を運用で利殖するのは本当に大変だ。長期の時間もかかる。今日500円節約すれば、その500円は丸々得したことになる。明日また500円浮かせば1000円。1ヶ月やれば万単位を浮かすことができる。半年やれば、一年やれば…。ということは節約とは逆の意味での財テクである。節約していくら浮いたというのは絶対額が浮いているわけで、手に取ることができる。しかし資産運用の場合はそうはいかない。いい思いをしよう(ハイリターンを得よう)とすれば危険(ハイリスク)も覚悟しなければならない。仮に今日得しても、明日はその何倍も損をするかもしれない。もっとも、資産運用するにしても元手がなければできないわけで、その元手をどう作るかといったら節約して浮いたお金を投資するしかないのである。節約、節約と躍起になると、お金に執着しているように思えるかもしれないが、そうではなく、お金というのはあくまでも使うためにあるものだ。お金を使うことの対価として、たとえば旅行に出かけられる等の目的が達成できるのである。何かやりたいことや 目標に向かって節約するのであって、節約のための節約はしたくない。お先真っ暗な中でやるのではなく、明るい未来に向かって節約しようではないか。どんなことでも、楽しくやるというのは自分で工夫し、発見することだと思う。
2006/11/17
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月曜日と木曜日は「可燃ゴミ」の日である。今朝ゴミを出しに行ったら、束ねられた新聞が置いてあって驚いた。そういえば昨日、中学校で資源回収があって、指定された時間までに玄関先に出しておけば生徒が取りに来てくれることになっていたが、もしかして、出し忘れた人がドサクサに紛れて今日「可燃ゴミ」として出したのだろうか?新聞やダンボールは「資源ゴミ」に分類されている。「資源ゴミ」の日というのは決められておらず、地域の資源回収に出すように言われている。資源回収は不定期で、しかも年に3回くらいなので、そんなに長く家にためておくのは嫌だと「可燃ゴミ」にダンボールを出してしまう人は多い。本当はいけないのだが、暗黙の了解みたいになってしまっている。(私は気がひけるので、ある程度たまると実家に持って行く。実家は隣の市で、毎週「資源ゴミ」の日があるのだ)ダンボールはともかくとして、新聞については新聞販売店で月に1度回収してもらえるのだ。いつあるかわからない地域の資源回収とは違うのだから、次の月を待たずに「可燃ゴミ」に出してしまうとはいかがなものか。また、水曜日は「プラスチックゴミ」の日であるが、半透明のゴミ袋から、ペットボトルや食品トレーが見えていることがたびたびある。どちらも、スーパー等に設置されている専用ボックスに入れに行かなくてはならないのに、面倒だからと「プラスチックゴミ」に入れてしまうのだろうか。特別にエコやロハスを心がけて生活していなくとも、ゴミの分別は今や必須条件として日頃当たり前のようにやるものではないのだろうか。当たり前なら、手間だと思ったり面倒だと思うこともないのに…。ゴミの分別は神経質だからやっているというわけではなく、環境のため、ひいては自分のためになることであり、飴が入っている小さな袋一つでも、「可燃ゴミ」に捨てると なんだか気持ちが悪い。そう、キーワードは「気持ち悪い」ではないかとさえ思うのである。道端にゴミを捨てる→気持ち悪い→持って帰ろう。ゴミを分別しないで捨ててしまう→気持ち悪い→分別しなおそう。何が入っているかわからないものを食べる→気持ち悪い→手作りしよう。この「気持ち悪さ」は いわば感受性の高さであり、生活意識の高さではないだろうか。
2006/11/13
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野球シーズン期間は中日スポーツをとる我が家であるが、シーズンが終わったため 今月から中日新聞に変更した。チラシが入ってくるのが楽しみである(資源回収の際、縛る量は膨大になるが…)。何曜日はどこのスーパーが安い、ということは把握しているが、それでもチラシを見ては「今日は○○で△△が安い」などと呟いていると、夫が「ちょっとくらい安くたって、その店が遠ければガソリン代のほうが高くつくのに」と言う。1円でも安いスーパーを目敏く探すのが主婦のサガであるが、確かに夫の言うことも正解である。ところで、男性と女性のマネーセンスには大きな隔たりがあるのではないか。「節約をしたいのに、主人がちょこちょこ無駄使いをしてちっとも協力してくれません」「うちの主人は電気はつけっぱなし、水は出しっぱなし、注意するとケチ臭いと怒るんです」なんて声を耳にすることがある。しかしご主人に言わせると、「そんなチマチマした節約をするよりも、住宅ローンや保険を見直した方がはるかに効率的だ」「たった数円違う特売品をわざわざ隣町まで買いに行くなんてナンセンスじゃないか」「コツコツ節約するより、残業を増やしたり資産運用などで収入を増やす方がラクだ」そんな声も聞こえてきそうである。一体どちらの言い分が利にかなっているかというと、答えは「どちらも正解」だと思う。両者の良いところを上手に融合させれば理想的な家計となる(これがなかなか難しいのだが…)。まず女性の皆様!日々の節約や、お得な情報の収集はとても大切だが、長期的な利益を考えることも大切だ。そしてやはり「お得」に弱いのは女性の弱点である。物を買う際には、それが本当に必要な物なのか、安くても価値のある物なのかをよく検討する習慣をつけよう。安物買いの銭失いなど何度も経験してはいけない。100円ショップなどは要注意である。そして男性の皆様!節約で1万円貯めるのは容易ではないから、1万円稼ぐ方がラクというのはよくわかる。しかし、1万円稼いだ上に、さらに1万円の節約ができれば結果2万円になるのだ。節約をすることは収入を増やすこととイコールであると考えよう。節約は日々の積み重ね。塵も積もれば山となる。
2006/11/05
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通帳の残高を見て愕然としたことが これまでに何度あっただろう。そのたびに、質素倹約に努めねばと思ったくせに、私ってば口ばっかりじゃないの~!そんなにパーパー使っているわけではないと思っていた。いんや、決してそんなことはありませんぜ、奥さん。アンタは金遣いが荒い!まずはそれをもっと自覚することから始めなければなるまい。育児のストレスを買い物で発散することが多かったと思う。それは子どもの服だったり、自分の服だったり、本だったり、インテリア雑貨だったり。小姐の幼稚園は制服か体操服で通園しなければならないため、最近でこそ子ども服は買っていないが(小姐のを買わないと不思議と坊のも買わない)、今までに一体いくらつぎ込んだのかと思うと恐ろしくて計算できない。しかもブランシェスをはじめ ブランドものばかり!よく 専業主婦の皆さんが口を揃えておっしゃるのは「自分に収入がないから、申し訳なくて自分の物をなかなか買えない」という言葉である。私はどうだったか。夫が「欲しい物があったら買えばいいよ」と言うのをいいことに、申し訳ないとも後ろめたいとも思わず使っていたのではあるまいか。それがそもそもの間違いだ!夫が稼いだお金だということを今一度心に刻む必要がある。一部は繰り上げ返済に回っているといっても、それ自体は たいした金額じゃないはずなのよ。児童手当も、幼稚園の就園奨励費(助成金)も対象外になる夫の給料でこれしか残っていないなんて、私の使い方に問題があるに決まっているのよ。毎晩深夜まで残業し、その上 休日出勤も厭わず働いている夫の身にもなってみな!もう同じ失敗はくり返すまい!今度という今度は、絶対に質素倹約を心がけようではないか!年末になると何かと物入りだし、とりあえず その前の11月を節約月間と名打つことにする。ただ、いきなり節約節約というのは無理だろうから、まずはできることから始めてみよう。早速 今日実行できたことがある。昨日発売になった雑誌を買うつもりでいたのだが、雑誌こそ無駄遣いだと思い直した私が向かった先は図書館であった。最新号でもすぐに入るんだもの、それに雑誌なんて読み返すことはそうそうないんだもの、図書館で読めばタダじゃないの~!これからはむやみに雑誌は買わないぞ~!
2006/11/02
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自由奔放。野球選手という枠にとらわれない新庄は、バラエティーに富んだメニューで老若男女を楽しませてきた。新しい人生を歩み出したパフォーマンス男が次に打ち上げる花火はどんなものだろう。そんな新庄が、引退会見の席に17年来の「無二の親友」を連れてきた。阪神時代、初任給で買った7500円のグラブである。「17年間過ごしてきたこいつが、もう無理だと言っていた。これまでに4回手術(補修)した。タイロン・ウッズのライナーを捕ったら破けてた。もう限界ですね」以前から、自分の体よりも愛用のグラブが悲鳴をあげたら引退と話していたそうだ。遠征中の宿泊先でも 湿らないような場所に置くなど気を配っていたという。失礼を承知で言えば、新庄ほどの選手が7500円のグラブをずっと使い続けるとは意外だが野球選手にとってグラブは体の一部と言っても過言ではないだろうし、それほどまでに原点を大切にしていたのだ。あっぱれ!このところ、物を少なくしようキャンペーンと称して、何か処分できる物はないかと家中を隈なく見渡している私だが、どんな物であっても本当に気に入った物を長く使うというスタンスであればむやみに物が増えることはないんだろうな…と思うといかに自分が物を大切にしていないかが浮き彫りになって、実に恥ずかしい。新庄を見習おう!
2006/10/29
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洗車して(私ではなく夫だが)、雲ひとつない青空を見たら 遠出したくなった。行き先は土岐プレミアムアウトレットに決定!どこからこんなに人が湧いてくるのかと思うほど(ってアンタもその一人じゃないか)の賑わいを見せていた。帰ってくる人たちは誰も彼も買い物袋を2つ3つ持っていた。ここは山を切り崩したようなところで、周りには何もない。まさにアウトレットで買い物する目的で訪れる人ばかりである。こういう光景を見ると、この国は不景気ではないのかとつくづく不思議に思う。ところで、今、所得の格差は拡大しているという。日本のジニ係数は0.22~0.28くらいで、0.2まではそこそこ平等だが、0.3を超えると徐々に不平等感が増してきて、0.5を超えたら病的状況だそうだ。格差が広がってきたのはここ10年くらいである。規制緩和や自由化、福祉の切り捨てといった改革路線の結果だろう。お金持ちはよりお金持ちに、貧乏人はより貧乏人になっていく。かつての日本は中流層が大半で、大金持ちと大貧乏が少なかったが、これからは中流層がどちらかに偏って大金持ちと小金持ち、そして貧乏人という格差が顕著になっていくのかもしれない。マイホームに教育、老後の生活、私たちが抱える問題はたくさんある。格差社会は、いわゆる勝ち組と負け組がはっきり表れる社会だが、心の負け組にだけはならないようにしたいものである。<おまけ>とっても感じのいいワンピースがあったのに、試着してみたら丈が短かった(T_T)タイトなデザインならいいけど、フレアで膝が出てしまってはちょっとねぇ…ってことで仕方なく諦めることに。
2006/10/08
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「あっ、せんべいの ”せ”だ」。信号待ちで止まった時、小姐が車窓から看板の文字を読んだ。視線の先には電気かガスか、とにかくエネルギー系の会社の看板があり、「エコライフはじめませんか」と書いてあった。小姐は、どこで覚えたのか 自分の名前と坊の名前(合わせて4文字)は読めるようになった。看板等に該当する文字を見つけると、いち早く反応している。しかし、名前の中に「せ」は存在しない。どうして読めるのか?あぁ、そうか…。さすがせんべい好きだな!ところで、地球が抱える環境問題が人ごとではない現代、エコライフという言葉は巷に溢れているが、私は何を実践しているだろうか。車を使わず自転車に乗る?無理です…。1人で乗るのが精一杯で、子どもを乗せるなんて恐ろしいんですもの~。そう、私は中学生の頃から「自転車が似合わない女」と言われ続けてきた。乗る機会が少なかったのよね。小学校は徒歩15分、中学校は徒歩3分、高校と大学は電車通学だし、会社に入ったら車通勤だし。中高生の頃はよく2人乗りをするけど、私は怖くてできなかった。乗るほうも乗せてもらうほうも。靴下に穴が開いても縫ってギリギリまではき倒す?嫌だわ、なんだか貧乏くさいじゃない…。ちなみに私は裸足が好きで、真冬以外は家では靴下をはかないし、この季節に靴下をはいているのは通勤時の夫だけだが、一家の主にみすぼらしいかっこうなんかさせられないのだ!とにかく早く寝る?うーん、こんな時間にこんなことしてますなぁ。夜更かしすると電気代がかさむんですなぁ。でも気分転換のブログは辞められない!子どもが寝静まった時でないと落ち着いて書けないんですから。子どもの食べ残しは全部私が食べる?ゴメンナサイ、ただでさえ食べることに興味がない私には無理です…。自分の分でさえ必死こいて食べているんですから。コンセントをこまめに抜く?これはエコロジーか節約か、微妙な線引きに戸惑いますなぁ。主婦雑誌に載っているようないかにもケチくさい節約はイライラの元ですわ。あぁ、挙げればまだまだあるんだろうけど、とりあえず私ができそうなことって 買い物に行く時マイバッグを持っていくことくらいかしら。でも、無駄を省くという意味では節約もエコロジーも出だしは同じよね…。地球のため、果ては家族(子ども)のために、できる範囲で小さなことからコツコツやってみよう。
2006/08/05
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どこに行くか最終決定はまだできていないものの、来年の4月を待たずに満3歳児として小姐を幼稚園に通わせることは夫婦の間で決定している。当たり前だが、これまではなかった出費が万単位で毎月かかることになる。今後、教育費は右肩上がりになる。大学まですべて公立だとしても子ども1人につき1000万かかると言われている。節度なくパーパー使っているわけではないが、夫の給料ならもう少し貯金があってもよさそうなものだということを先月 夫の車を買い替えた際に痛感した私。これからはもっと財布の開け閉めに緊張感を持つべきである。そうかといって、主婦向け雑誌に載っているような いかにもケチくさい節約 はしたくない。節約を考えるあまり 我慢してばかりになってイライラしたら本末転倒である。面倒くさいこともなく、コツコツ頑張ることもなく、それでも節約できるだろうか。生活費を切りつめることもせず、したいこと(たとえばテニス)を辞めるわけでもなく。節約の基本は、無駄な買い物は一切しないことに尽きるのではないかと思う。そのためには家の中をとことん整理整頓する必要がある。まず、トイレットペーパーや箱ティッシュのストックは1つまでと決めよう。腐るものではないとはいえ、今日は安いという理由で買うのはやめよう。特売はまた機会があるはずだ。余分に買った時から財布がほころび始めると肝に銘じよう。節約とは、安いものを手に入れることではない。安かろうが出費は出費である。服だってこんなにはいらないはずである。1~2年出番がなかった服は処分と決めているが、もっと枚数をセーブすべきである。バーゲンだからとなんとなくまとめ買いするより、定価であっても本当に欲しい服を買ったほうが長い目で見ればお得である。子どもと違って、1年で体のサイズが変わるということはないのだから。賞味期限切れの食品を見つけるたびに、しまったと思う。みんな元はお金なのに…。こんなズボラなことをくり返してはいけない。週に一度は在庫一掃メニューの日を作ろう。お金は、使わなければ残る。結局のところ、お金は「量」より「質」。気持ちのいい暮らしをしていたら節約は自然にできるのである。
2006/07/22
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待ちに待った夫のSLK230が納車された。いの一番に助手席に乗せたいと言われ、小姐と坊が寝静まった深夜、近所を走った。なんて不良な母親!でも、2シーターだからアンタたちは置いていくしかないのよ。ちょっとの時間だから許しておくれ。以前、新型ロードスターに乗った時は なんて狭苦しい…と思ったのだが、SLK230はそれほど圧迫感がなかった。輸入車は乗り心地が硬いイメージがあったが(独身時代にゴルフを買おうとして試乗した時に実感した)、いえいえどうして、ランエボに比べたら数倍乗り心地がいいですわ(笑)。後半、屋根を開けた。夜風がなんとも爽快だった。サンルーフつきの車でも十分開放感があるのに、これは屋根がないんだもんな~。しかし、昼間オープンにできるなんて一年で果たして何日あるだろうか。暑すぎず寒すぎず、花粉も飛んでいなくて…と言っていると本当に限られてしまうね。もう少したったら土日に借りて買い物にでも行ってみよう。スカーフをなびかせて走ろうではないか!?ところで、当たり前といえば当たり前だが、貯金の額が実に寂しくなってしまった。共働き時代、私の給料はほとんど手をつけずに貯めていて、いずれ車を買い替える時に使おうと思っていたのだが、ステップワゴンを買って、SLK230を買って、その口座の残高はついに4桁となった。今回、その口座の分だけでは足りなかったので他からも出したのだが、貯蓄についてもっと真剣に考えなければならないということを痛感した。節度のない使い方をしているわけではない。住宅ローンの銀行は、口座の残高がある一定以上の金額になると、自動的に繰り上げ返済に回るように設定してあるため、手元に残る額はそれほど多くない。しかし 他の口座もあるわけだし、夫の給料ならもう少し貯金の額があっていいはずである。やはり私は財布の紐を締める必要がある。さて、どこを削ろうか?一番てっとり早いのは子ども服かしら。でもブランシェスはやめられない、やめたくない~!となれば私の物ですか…。服に雑貨。もっと安い物を買うべきか。でも安物買いの銭失いは嫌だしなぁ。いえいえ、塵も積もればなんとやらで、チョコレートをやめましょうよ。そういえば最近は買っていないけど、このままやめてしまおう。肌のためにもそのほうがよい。
2006/06/10
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ガス台の汚れ防止のカバーを新しいものに取り替えたついでに 五徳を磨くことにした。早くきれいにしなければと思いつつ、つい後回しになっていたのである。焦げつきの汚れというのは腹が立つほどしつこく頑固である。専用のスポンジでこすること数分、だんだん腕が痛くなってきた。こんなことをしていては日が暮れてしまう。そうだ、重曹を使ってはどうだろう?鍋に五徳と水を入れ、重曹を大さじ3杯分くらい振りかけて火にかけ、煮立ったら火を止めて1時間ほど放置した。こすってもとれなかった汚れが浮いてきた!さっきのスポンジでこすると、新品の頃のようにツルツルになった。1時間でこんなに落ちやすくなるのだから、もっと時間をおけばそれこそ玉葱の薄皮みたいに落ちるようになるのでは?シンクは、一応毎日磨いてはいるものの、なんとなくヌルヌルしていて薄い膜が張ったような水垢の汚れが気になっていた。多少水気が残っているシンクに直接重曹を振りかけ、湿らせたスポンジで軽くこすったら、あら不思議。一皮剥けたようにスッキリ!軽くこするだけでショールーム級の美しさ(!)である。次は換気扇をきれいにするぞ!重曹には、研磨作用、酸(汚れ)を中和する作用、消臭作用、吸湿作用、酸と反応して発砲する作用がある。昭和初期までは、洗い物から歯磨き、掃除などに使われていたらしい。化学薬品系の洗剤は即効性があるが、手が荒れる等のトラブルもひきおこす。その点、重曹は食用であり、体にも環境にもやさしいのである。使う目的によって洗剤を何種類も揃えていたが、マルチに使える重曹があれば、今後はたくさんの洗剤を買う必要はなさそうである。経済的にも合格だし、数が減れば置くスペースも少しで済むし、いいことずくめである。
2006/06/10
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節約情報だらけの主婦向け雑誌「すてきな奥さん」、 通称「捨て奥」は、節約そのものを宗教のようにしている節があると思うのは私だけだろうか。 「清貧」「節約生活」といえば聞こえはいいが、 清々しく節約する「清貧」というより、意地汚い「汚貧」。 個人でやっていて「ちょっと貧乏くさいかな?」と思っている分には特にどうこう思わないが、 それを「他人に誇らしげに吹聴して回る」と、とたんに「捨て奥」になるような気がする。 似たような雑誌に「おはよう奥さん」がある。何故これらの雑誌は いくら節約したとか、この金額だけで生活できた、などがメインになってしまうのだろうか。食費を節約して体を壊したり、光熱費を減らして風邪をひいたりしたら意味がないのに!極論すれば、たくさん貯金していても途中で死んだら元も子もないではないか。かくいう私も、結婚したばかりの頃、家計管理を頑張ろう!と思ってこの手の雑誌を何度か買ってみたのだが、家族構成が同じで どうしてこんなに食費が安いのか、光熱費が安いのか、不思議でならなかった。決して贅沢な食材を使っているわけではないのにどう逆立ちしても1万や2万の食費におさまらない我が家の食生活って一体…と思いながら家計簿をつけていた。あの手の雑誌の食費は異常である。お米や野菜を実家からもらうというなら わからなくもないが、肉も魚も野菜も普通に買っていたら到底無理な話である。調味料だって、美味しくて安全なものはそれなりの値段がするのだ。家計のスリム化自体はすばらしいことだと思うが、体のことを考えると、どこまでも安いものを、なんて追求はできなくなる。ちっとも参考にならないし、こんな特集ばかりでつまらないので読むのをやめた。野菜の皮を剥かずに調理する、剥いても皮は別に調理する人もいるそうだ。一見無駄がなくていいような気もするが、節約の人が買う野菜は有機野菜ではないので実はよくない(農薬が皮に残っている)。皮まで食べるのなら安全な野菜を買わねばならない。あの人たちの子どもは幸いにも現在アレルギーがないから安い食材で済ませているのだろう。子どもがアレルギーだったり、体を壊したりしたらもっと食材について真剣に考える気になるのではないだろうか。男の人は、節約節約と騒がれると、稼ぎが悪いと言われているみたいで嫌な気持ちになると思う。あの手の雑誌に出でくるご主人、おこづかい5千円とか よく耐えているなぁ…。かかあ天下なのか?私は、自分が食べたものは、血となり骨となると思っているので、必要以上に食費は削らない。子どもに食べさせるなら尚更、安全なものを提供したい。そのためには少々値段が張っても構わない。ところで、家庭で作るパンの特集を読みたくて久々に「主婦の友」を買ったのだが、以前とは比べ物にならないほど垢抜けた感じの雑誌に変身していて驚いた。いやはや、いつの間にこんなリニューアルしたのか…。表紙も「tomo」というロゴが大きく、その横に小さく「主婦の友」と書かれていた。なんだか「Pre-mo」「Baby-mo」「Como」に似ているぞ…。あ、そうか。全部 主婦の友社の刊行物だ。新しいタイプの妊娠雑誌、育児雑誌をめざして創刊されたのが「Pre-mo」「Baby-mo」。ファンシーな、悪くいえば子どもっぽい従来の妊娠雑誌、育児雑誌に比べると、これらは洗練されたイメージであった。ちょうど、マタニティのファッションにパンツスタイルが台頭し始めた頃の創刊だった。「主婦の友」のリニューアルは、個人的にはとてもよい動きだと思う。それまで同じラインにいた「すてきな奥さん」「おはよう奥さん」の類からの脱却といえよう。いわゆる所帯じみたダサさがなくなった。今までのような、いかにも!という節約に関する特集はなかった(今月号だけかもしれないが)。どのページを見ても、今までとは一線を画している。何が違うのだろう。やけにスマートだぞ。これが「主婦の友」だなんて。紙面が全体的にすっきりしている。レイアウトにセンスがある。こんな雑誌なら、また読みたいな。
2006/04/15
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夕方から実家に行った。買い物に行かせてもらって帰宅すると、小姐がボアフリースのジャケットを着ていた。母が自分の実家に行った時、姪(私のいとこ)から子ども服をもらってきたのだが、その中の1枚だという。実家は築50年近くて、隙間風ビュービューで寒いのだ。聞けば、いとこが2人目(小姐と同じ歳)を出産する前に、友達から女の子用の服のお下がりをもらったのだが、いとこが産んだのは男の子だったので、必要なくなった、もしかしたら小姐が活用するかも…と母に渡したのだという。母は袋の中を一通り見てみたという。「もらったはいいけど、たぶん虎猛子の趣味じゃないから、いらないだろうと思って、敢えて言わなかったのよ。○○ちゃん(父方のいとこ)の子にでもあげようかしら」確か いとこは出産前に性別を聞いていたはずだ。それなのに、どうして女の子の服なんてもらったんだろう。あげるほうもあげるほうではないか?義妹がお下がりを欲しがるので、ユニセックスな感じのものはないか探してみた。しかし残念ながら いかにも女の子チックなものばかりであった。それにしても、毛玉がいっぱいだったり、くたびれた感じのものが多かった。仮に男の子の服だったとしても、こんな状態のものは義妹に回せない。いくら義妹が子ども服にお金をかけない主義で お下がり大歓迎であっても…。私は坊のお下がりを義妹にあげたり、小姐のお下がりを友達にあげたりしているが、着古したような感じのものは申し訳ないのでお下がりには回さない。尤も、坊と甥は1ヶ月半しか違わないので、坊は着古すほど着ていないことになる。ただ単にジャンボなので、この1年間は50~90サイズまであっという間にかけあがり、そんなに着ていないのにもったいない、と甥にあげたのだ。しかし、小さめだと思っていた甥もこの頃は標準的になってきたし、坊も今後は飛躍的にはのびないだろうから、お下がりを回すことは極端に減ると思われる。お下がりを回す場合、やはり ある程度きれいであることが条件ではないだろうか。お下がりなんだから何だっていいんじゃないの、というならあげる側の傲慢だと思う。
2006/01/16
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「サザエさん」の中で、おつかいを頼まれたカツオ君。行き先はスーパーではなく、八百屋さんだったり魚屋さんだったり。そして彼は、かごを持って出かけるのである。そういえば私も子どもの頃、近所の肉屋へおつかいに行くよう頼まれて、かごを持参した記憶がある。(今は何でもスーパーですべて事足りてしまうが、昔は○○屋だったのだ。勿論、私の子ども時代にもスーパーはあったが、近所の肉屋で買う肉が好きだったし、八百屋もまだ健在であった)テレビの中のみならず、リアルの世界でも昔(戦前や戦後、まぁ今も戦後だけど)はビニール袋などなくて、個人個人が家からかごを持参するのが当たり前だった。しかし時は流れ、技術が進歩するとビニール袋が登場し、今度は購入した商品を店が提供してくれるレジ袋に入れて持ち帰るのが当たり前になった。ところが最近になってまた、当たり前の定義が変わろうとしているのだ。今度は、レジ袋は有料というのが当たり前になるかもしれないのである。ところで、レジ袋の有料化が叫ばれ導入されようとしているのはなぜだろうか、それは、ごみの削減が明々白々である。年間300億枚という膨大な数が流通し、個人では年間300枚を消費するといわれているレジ袋は削減可能なプラスチックごみの一つであると考えられているのである。レジ袋はポリエチレン、一体どれだけの石油が必要なのだろうか。通常、店で買い物をしてレジ袋が必要かどうかを尋ねることはない。いくつかの企業ではマイバック運動を推奨し、専用のかごを使わせたりするところもあるが、大半はレジ袋を必要とする客ばかりである。それと同時に、客もレジ袋をもらえるものとして買い物に行く。ここに一石を投じるというのは評価に値する。そもそも、環境・資源問題というのは大きく叫ばれても身近になく、現実味に乏しいものである。身近なレジ袋に着眼点を置くことは革新的であり、非常によい動きといえるだろう。今日 近所のスーパーに行って、目を疑った。サッカー台の横にあるゴミ箱に、なんと新品のレジ袋が捨てられていたのである。レジ係の人が多目に渡してくれたものの、実際には使わず余ったのだろう。そういう場合は、必要なかったと返却するか、持ち帰るかすると思うのだが…。(私たちの自治体には指定ゴミ袋がなく、スーパーのレジ袋がそのまま使える)返すのが面倒なのか、そのままサッカー台に放置してあるのはよく見かけるが、捨てるとは一体どういう神経だろう。レジ袋は、会社名の印字やサイズによっても違うが高くても2円、安くて1円である。企業側はサービスとして配布しているが、無料配布の裏側には商品へのコスト添加がある。たかがレジ袋とバカにしてはいけない。一銭を笑う者は一銭に泣くのだ。
2006/01/07
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小姐も坊も、ワードロープの8割はBRANSHESだが、ハイハイ期の坊は、ニット素材だったりポリウレタン入りだったり、とにかくやわらかい生地のパンツをはかせてやりたい。残念ながらBRANSHESの冬物男の子向けパンツはかたいものが多いのだ…。数少ない やわらかいBRANSHESのパンツも2本もっているが、2本では足りないため、コムサイズムで2本買い足した。そしてその後、安物を1本買い足したのだが、これがなかなかよろしいのだ!何気なく目にとまった、しまむらのチラシ。婦人ショーツが全品4割引と書いてあったので、生理用ショーツを新調しようと思った。たまたまそのチラシのベビーコーナーに「ON SIDE by PERSON'S」という商品が載っていた。どうやら、しまむらとPERSON'Sのコラボ商品らしい。フリースブーツカットパンツ、しまむら安心価格690円。へぇ~、と思った。生理用ショーツを買いに行った時、ついでにそのブーツカットパンツを探してみた。名の知れたブランドとのコラボで そんな値段って一体…?と思ったのだ。あったあった、広告の品というポップがあってすぐに見つかった。フムフム、肌触りは申し分ないし シルエットもきれい。「赤ちゃんにやさしい」と大きく書かれたタグには「フリースの裏側が天然素材の綿だから着心地がよく素肌にやさしい。毛玉ができにくい。静電気がおこりにくい。ソフトであたたかい」という説明書きがあった。裾に2つずつ付けられた飾りボタンが、シンプルな中にアクセントを添えていた。この値段なら1シーズン限りでも惜しくないし(っていうかベビー服なんて1シーズンじゃん)、かといって いかにも安物という感じはしないし、買ってみようかな!やわらかく、はかせやすい。坊本人も動きやすそうで何よりだ。洗濯したらどうだろうかと思ったが、型崩れも毛玉もなし。おおお!690円にしては上出来すぎるくらい上出来じゃないか~!その時買ったのはベージュだったが、グレーも欲しくなった。ベージュを買った店(近所)では、グレーの80は売り切れていたのだが、夫の実家の近くの店にはあった。即買い!90もあったので、ついでに買った。小姐にはかせよう。来年には坊がはけばいいしね。安いから ものが悪いかというと、一概にそうとも言えないんだなぁ…。最近は激安衣料品店がたくさんあって、びっくりするような値段がついているが、それらを十把一絡げにして、安かろう悪かろうだと思っていた。でも、こんな掘り出し物もあるのね。激安店を侮るなかれ!ちなみに義母の勤務先もいわゆる激安衣料品チェーン店である。チラシといい店の様子といい、「?」という雰囲気を醸し出しているが(失礼!)、赤すぐで買うとン千円もするアンナニコラのベビー服が398円で売っているなんて2chで書き込みを見てからは、バカにしちゃイカンぞ、恐るべし!と思っている。全体的には、いかにも安っぽいセンスのない服が多いが(少なくともベビー・子どもの領域は)、たまには宝探しのような掘り出し物があるということなのね…。(店舗によって入ってくる商品が違うらしいが)価格破壊という言葉が聞かれるようになって久しいが、激安店に足を踏み入れると 価格って何だろう…と 虚しい気持ちさえ沸いてくる。子どもはすぐ大きくなってしまうから、それこそしまむらや西松屋で十分かもしれない。いや、それでも私はやっぱりBRANSHESが好き!
2005/11/23
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先週、今週とスイミングを休んで、生協の育児講座(託児つき)に参加した。別の会場で火曜日にもやっており、元々はそちらに参加の予定であったが、先週の火曜日、坊の体調が悪くて小児科へかかったので参加できず、もし都合がつくなら金曜日のほうに回ったらどうかと提案され、そのようにした。スイミングのことが頭をかすめたが、講座の内容に興味があったので参加を決めた。今日は、子どもの遊びというテーマであったが、その中で工作をする時間がとられた。ペットボトルや牛乳パック、プリンの空き容器などを使って作るおもちゃである。どれも簡単にできるものばかりで、楽しく作れた。休憩時間に それらを小姐に見せたら、とても喜んだ。そこで思ったこと。高価なおもちゃを買わなくても、こんな物で喜ぶんだね…。お母さんが作ってくれたおもちゃ(もしくは、お母さんと一緒に作ったおもちゃ)ということで子どもは嬉しいんだろうな。出来栄えのうまい下手は関係ない。肝心なのは心。私は木のおもちゃが好きである。たとえば野菜をザクザク切るおもちゃ、プラスチック製の物も出回っているが、木製の物を買った。積み木にしてもそう。パズルもそうだ。値段は張るが、木のおもちゃにはなんともいえない温もりがある。飽きずに長く使えるという点では、トータルでは高くないのかもしれない。インテリアとしても素敵である。出しておいてもリビング全体の雰囲気を損なわない。プラスチックのおもちゃは安っぽくて嫌だと思っていた(実際安いのだが)。そういう意味では、いわば廃材で作ったおもちゃなど 安っぽさの最たるもの。いかにも所帯じみている、と内心バカにしていた。でも、それって間違いだよね…。自分の考えを恥じた。見た目がどうかという問題ではない。長持ちはしないと思うけど、何より心がこもっている。木のおもちゃに ひけをとらない温もりがある。小姐がもう少し大きくなったら是非一緒に作って、工作の楽しさを教えてあげよう。なんだか、「つくってあそぼ」のワクワクさんの気分である。子どもに伝えたいこと、それは…。身近にある材料でも、工夫すればいろいろ おもしろい物を作ることができるんだよ!
2005/10/14
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義母の仕事の休みに合わせて、週に1度は実家に顔を出している。小姐と坊に会いたがるので、ジジババ孝行のつもりで連れて行くのである。昨日から義弟夫妻と甥が泊まっているとのことだったので、甥に譲る服を持参した。実母が、知人の娘さんから男の子用の服のお下がりをもらってくるのだが、私は服が大好きで、坊が今後着る服は大きめの引き出し1杯分くらいあるため、お下がりをもらっても到底 出番はない。箪笥の肥やしになるくらいなら、お下がりを必要とする義妹に譲ったほうがよい。「いつも助かります~♪」と言う義妹は、自分ではほとんど買わず、私から流れてくるものでまかなっているようだ。ジャンボベビーの坊が たいして着ないうちに小さくなってしまった服も、当然 甥に回る。女の子である小姐のお下がりでさえ、もらえるならありがたいと言う。甥は義弟夫妻にとって初めての子である。それなりに楽しみもあるだろう、自分好みの新しいのを買ったらいいのに、と思うのだが、何を着せたってまだ本人はわからないし、何でもいいんだそうな。もらいもので済ます、確かにそれも一つの考え方である。私は、贔屓のブランドを絞っている。セールの時にまとめ買いしたり、1サイズ大きいものを買って翌年用にする等、できるだけ定価で買わないようにはしているが、子どもはすぐに大きくなるという事実がある以上、やはり贅沢か?育児は大変なことのほうが多いので、好みの服でも着せて楽しまなくちゃ…。そのための必要経費だと思っているのだが、単に私の都合のよい解釈だろうか。
2005/09/26
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主婦向けの雑誌には、毎月毎月、節約についての記事が載っている。勿論、質素・倹約は大切なことだと思うし、心がけるべきだと思うが、中には、ここまでするか!?というような事例も載っておりビックリする。いや、別に否定はしませんよ。やりたい人はやればいいんです、苦にならないならね。ただ、スーパーでビニール袋を多目にもらう=節約っていうのは、モラルに反するのでは?この件に関しては、やりたい人はやればいいという問題ではないだろう。そういえば、私も見かけたことがあります!サッカー台に設置されているビニール袋を勢いよく何枚も取る人!まさか、買った物一点一点袋詰めするわけでもなかろうに。実際、取った袋は使わないで、バッグに忍ばせていた。ちょっと脱線してしまうけど、スーパーネタでもう数点。大きなカートの荷台のところに子どもを乗せているアナタ!やめてください。そこはかごを載せるところです。靴を脱げばいいというものではないと思う。使い終わったカートの放置については以前の日記にも書いたとおり。レジで、順番が来ているのに「あっ○○忘れた、ちょっと待って」などと言って、売り場のほうへ消えてしまう人。そういう場合は、一旦並び直すのがマナーでしょう。子どもを野放しにして、走り回ったり いたずらしていても注意しない親御さん、非常に迷惑です。こういうのは、人の振り見てナントカってやつですね。私も気をつけなくては…。
2005/08/06
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