「文は人なり」とはよく言ったものであるが、人格以外の家庭環境まで見え隠れすることがある。
文字の向こう側で泣いていたり、闘っていたり、あきらめていたり。
書くもので゛表している゛ならまだいいのだが、おそらくはそうでなく、゛隠しきれないほどにその身は切羽詰まっている゛と見るべきである。
それを心の闇と表現するとしたら、その闇は年々濃くなって見える。
私に何ができるのかなーと考える。
彼らを苦しめているのが、手にとって捨てられるものなら、はらってもやれるけれど、実体はそう単純なものではない。
私は何のためにここにいるのかを考えたとき、私みたいに知識の少ないものがここにいるのだから、それは、教えることを通して学ぶためだと考えた。
また私は、ことばをもって伝えるのを仕事にしていることを思えば、彼らに何を伝えるべきだろうって考えたとき、それは、愛であり、正しさであり、光ではなかろうか、と思うのである。
光は希望にほかならず。
闇を払うのも希望なら、彼らに必要なものは希望であるのだろうか。
光あるうち光の中を
この世に生を受けた以上は、その寿命が尽きるまで、生きなければいけない。
この世に光などないと思えることがあるかもしれないが、いえ、この世が光なのだ。
だから、恐れずにいてほしい。
心に闇がかかる日はその手で闇を払ってほしい。
闇を払えば光が見えるのだと、どうか信じてほしい。
命の重さに違いはない。
光が平等に当たるように、幸せは平等にある。
すべては気持ちの持ちようで、捉え方ひとつなのかもしれない。
それでも辛い時は辛いよね。。
立つのも辛い時は、誰かに支えてもらおうね。
光あるうち光の中を
手を取り合って生きていきたいものである。
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