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もはやブログは更新できません。しかし、ツイッターでつぶやく、というのをマメに続けています。もしよかったら、@linda0930までみなさんに再会できることを楽しみに待ってます。
2012/02/22
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ふと思い出した。「夢がかなうトイレ」のことだ。「夢がかなうトイレ」。なんとも魅力的で甘美な響き。8月、今回は2週間近く帰省した。「夢がかなうトイレ」を発見したのは、広島の、あの焼き鳥屋。4年前、私がチャリを猛スピードで飛ばしていると、「おかえりーーー!!」と声をかけてくる変な焼き鳥屋。盂蘭盆の蒸し暑い夜、焼き鳥屋のドア、窓、すべて開放されていてそこを私が車で横切ろうとしたときのことだ。信号待ちで、バッチリ店の入口付近に横付けした格好になった時店内の様子と、風変わりなマスターを20秒余りマジ見することができたのである。そこに飛び込んできたのは、金色の文字で書かれた「夢がかなうトイレ」なんかキャッチーで、入ったら私、どうなっちゃうんだろ?と空想までしてしまう、このネーミングのセンスにまた膝を叩いた。名物のマスターはもう、モヒカン頭ではなく、普通に黒い髪をこざっぱりと短く切っていた。だけど、それより目をひいたのは、明らかに「幸せそうに」で焼き鳥を焼いていた、その横顔であった。やっぱり夢がかなうトイレに毎日入っているだけのことはある。我が家に帰り、私なりに夢がかなうトイレを作ってみようと思い立った。久々に良書だと思った本。三宅裕之著「毎朝1分で人生は変わる」の中にある、モーニングクエスチョンのページをコピーして額装し、トイレの壁に掛けた。プロデュースドバイ私の「夢がかなうトイレ」の完成である。中身を少し紹介すると、今日は誰に対して、どんな風に貢献する?それを楽しんで!8個ある自問の中の最後の質問が私のお気に入りである。長女にもわかる様に貢献=やくにたつこと とひらがなで書き添えた。そして今日、長女が持ち帰った前期の「あゆみ」に先生から「色々なことによく気が付き、友達の世話をしている様子がよく見られました」との所見が書かれていたのである。私の「夢がかなうトイレ」、少しずつ効力を発揮している。
2008/10/17
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うつつを抜かしているのである。あろうことか、男子大学生30名余に、である。一週間前、男子学生のみで結成されたチアリーディングのステージを楽しんできた。初めて彼らを知ったのは、1年前の新聞記事だ。「男がチアしたら、どうなるだろう」という発想から5年前に歩み始めたという。そんなユニークな彼らを、ひと目みたいと思っていた。そして去年の学園祭。彼らは私の本当に目の前、しかもアスファルトの舞台でアクロバティックなショウを繰り広げた。それ以来、私は虜。弾ける笑顔、キレのある演技、そしてなんと言ってもダイナミックな動きは、惚れぼれしてしまう。1ヶ月前、大学内で10.4.ショカステの看板発見。きたーーーー!である。私にとっては1年ぶりの彼らのステージ。大学生の観客が大半の中に紛れて、先日37歳になったばかりのオバサンが潜入し、逸る気持ちを「どうどう」抑制させながら前から3列目を確保した。17時1分、でてくるでてくる、まわるまわる、はねるはねるあぁ、どんな言葉も相応しくない。2時間、身を乗り出し興奮しっぱなしで、黄色い声をあげていた。もちろん心の中で。もう何も出てきませんのでアンコールはご遠慮ください、と断りながらちゃあんと用意して、応えてくれた彼らのまた可愛いこと。余韻に浸りながらの帰り道、いいことを思いついた。You tubeの動画を私のipod nanoへいれちゃえばいいんだ。その夜から、ショッキングピンクのipod nanoの中では彼らが1日に何度も私をチアしている。血沸き、肉踊る彼らに癒してもらっている私なのである。--------------------業務連絡:ブログでは何のことやら・・・なので是非とも「ショカステ」と検索していただきたい。
2008/10/11
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久しぶりにライヴに出掛けた。横浜ファンクフェスティバル。目当てはDance☆Manであったのだけども、意外にも私のツボにはまってしまったのは椎名純平さん。デブパレード、山本淳一(元光GENJI)、下川みくにそしてダンス☆マンと、おもちゃ箱をひっくり返したような出演者の中、ひと際渋く、エロく、清涼感のある(ダンスマンごめん)歌声と演奏はいまでも耳に残っている。Amazonで中古CDを探した。そしたら15円だって・・・(もちろん即買だけど)もうちょっとお支払いしたいところである。椎名純平さん。この秋のお供になりそうな予感である。-------------------(補足)横浜ファンクフェスティバルの凄かった点はChicのGood timesを40分に渡って3drums,3guitars,3basses+keybord+DJでやったことでありました。Lilicoさんが乱入?で1mぐらいあるアフロも圧巻でした。いやぁ、ほんと参ったって感じ。
2008/09/02
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先日、ハカセのお家でパーティーが開かれた。「招待させてください」とメールが入ったので、何の事かと思っているとワインやビールを飲んで暑気払いしましょう。と研究室のメンバーで飲み会開催のお誘いであった。うわさによると、ハカセはかなりの酒豪らしい。酒豪のハカセはあまり想像できない。いつも(私が煎れた)お茶を低いため息ですする姿しかみていないし、普段はメタボを気にしてダイエットに励んでいるため、健康的なイメージが出来上がっているのだ。「朝から『解禁だ、解禁だ』って大騒ぎなんですよ」と奥様が呆れた顔で、暴露したものだからハカセは照れながら、ワインの栓を抜き始めた。夕方6時から始まったパーティは終電ギリギリまで盛り上がった。ハカセはイーブンペースでビールとワインを交互にあおりそれでもいつもと変わらない調子で科学者の、科学者による、科学者のためのありがたいお話をしてくださった。噂は実証された。翌朝、研究室にはハカセが私より早く出勤していた。正しくは、ハカセは酒豪でタフ、なのだ。
2008/08/05
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次女Sは、蝦ちゃんのポスターを食い入るように見つめて、私に言う。「これママ!」恥ずかしさで、赤くなって無言で立っていると畳み掛けるように「これママだよ、ママ!」と嬉しそうに私に教える。何度も蝦ちゃんのことを私だというのでその気になりやすい私は、「かわいいよね」というと「うん!!」と大きくうなずく。その気になりやすく、しかもしつこい母は「これママに見える?」と確かめると「・・・みえない」次女はその場から足早に去ってしまった。あくる日、徳光和夫アナのポスターをじっくりとみた次女Sがまた私を呼ぶ。「これパパだよ、パパ!」「そう?パパなの?」何度もパパに見えるのかと、問い質しても今度は、パパなのだと譲らない。そのやりとりを、夫にメールで知らせると「今夜パパは家に帰りません」(泣)と返ってきた。2歳10ヶ月の次女の目に、パパとママはどんな風に映っているのだろう。
2008/07/25
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ヨガのクラスに参加した。今日のインストラクターは50代後半の女性だった。ぼそぼそと独り言みたいにトークが始まった。「人身事故があって、電車が遅れてますが。私が以前乗った電車が人身事故起こして。またそれが運悪く、生きてるのよ。必ず死ねるわけじゃないのよね。皆さん、死にたいって思うことありますか」スタジオはまさにドン引きである。「まぁ、そんなときはヨガをやったら絶対死ぬのが嫌になりますよ。あははは。」濃いキャラなのである。友近あたりがネタに使っちゃいそうな。皆さん。お腹のぽっこりをなくしたいですか。はい。じゃ、教えます。・・・という先生のお腹は、三段腹なのである。昔の古傷が痛むから、と背中で合掌が出来なかったり足首が硬くて、しゃがむこともできない。音楽がないと寂しいね、といいながら瞑想に使うようなオリエンタルな曲をかけるのかと思いきやサルサのような曲だったり。ツッコミどころ満載で、「何も考えないでください」といわれても無理だった。最後に何を話すのかと思えばスポーツジムの近くの蕎麦屋さんがちょっと高いけど美味しい、うどんも美味しかったとマギー司郎のような地元ネタで締めたのである。面白かったので、来週も受けてみようかな。
2008/07/17
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私はつくづく本能のままに生きているんだなと思ってしまう。今日、長女Kに「ママが思う『気持ちいいこと』ってなに?」と訊かれたので「お風呂に入ってるとき」「寝てるとき」「美味しいもの食べてるとき」と即答した。するとKは「お掃除してピカピカにきれいになったとき」「ピアノがうまく弾けたとき」と答えた。母として、いい感じの子に育ってるなぁと嬉しく思うと同時に、オンナとして負けてることに悔しさを隠せない。
2008/07/16
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長女は学校ではまだ習っていない「九九」がとっても気になっていて、何度も私に九九を教えてとせがむので、お風呂に貼って憶える九九ポスターを与えた。いんいちがいちと読み仮名までふってあるので、Kにもちゃんと読めて、お皿と果物の数の図で理解できるしくみになっている。「Kね、さざんがくっていうのが好き。ママは?」ママ?そうだな。しろくにじゅうしかな。適当に答えたのだが、Kは、そっかぁ、ママはしろくにじゅうしかぁ・・・と「さすがはママ」みたいな調子である。映画「博士が愛した数式」みたいに、なにかへぇ。と思わせるようなウンチクがないのが悲しい。その横で、次女のSが数を数えだした。にーにーご~ろじゅ~、おばけのぽっぽ。訳すと、「123456789、10! おまけのおまけのきしゃぽっぽ」となる。ついこの間まで、Sのように数が数えられなかったKなのに、本当に子供の成長って早い。
2008/07/10
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通勤で歩く大通りに七夕の飾りがひらひらと揺れている。小学生のものと思われる短冊には「けーきやさんになりたいです」「あいどるになりたい」「かけっこで1とうしょうになれますように」と他愛ないお願い事が踊っている。大学が近づくにつれ「大金持ちになりたい」などとふてぶてしい。ちなみにこれは政経学部付近の笹で多数見受けられた。文学部キャンパスに差し掛かるところに「あの人が元気でありますように」と詩的な一文を見つけて、胸の奥のところをきゅっとつままれて、私の中に住む「あの人」が顔を覗かせた。帰宅すると、長女が近くの商店街にある自分の短冊を探しに行こうというので、見に行った。「すいえいのせんしゅになれますように」いっしょうけんめいな長女らしいお願い事である。よかった。隣の女の子の短冊に「かぞくがしなないようにいきていけますように」とあったのを見た後だったから余計にそう思った。私が毎日こんなに平穏で楽しいからあの人も、どうか幸せでありますようにと祈願した。
2008/07/07
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友人からの便りに「最近ヨガにはまってま~す」というひとことをみて、影響されやすい私はスポーツジムでアユールヨガのクラスを受けてみた。私は自慢ではないが身体が硬い。猫を思わせるしなやかな容姿のインストラクターが鏡の前に立ち、かんたんなポーズをとる。産後、運動らしい運動はしていないのでただの前屈さえ悲鳴を上げそうで情けない。ヨガは身体と心がひとつであることを思い出す時間であると聞いて、はっとする。1時間のクラスはあっという間で、身体が「今の良かった」と絶賛しているのが分かる。去年のクリスマスに買ったWiiFitがただの板になっていた。それをひっぱりだし、自宅ヨガを1週間続けている。娘たちが「わたしもわたしも!」と板の取り合いになるのを予防して、「キッズヨーガ」というムック本を購入した。「お子様ランチの旗のポーズ」「虫を眺めるポーズ」など、ユニークな名前のものがお気に入りで寝るまえの少しの時間が、ちょっといいものになっている。長女の身体の硬さが私譲りであれば、ポーズをとりながら笑っているのも私で、大変不憫なのである。
2008/07/05
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長女が学校からの連絡のプリントを持って帰った。「雑巾に大きく名前を書いて、長い辺のところにひもをつけて下さい」とある。雑巾に名前?長い辺にひも!?しかも、追加して「洗っても名前が消えないように工夫をしてください」などと注文がついている。ひもに至っては、まるでカバンのような図がある。名前を刺繍しようか、布を1枚あてて縫おうかしばらく悩んで、後者に決めた。ミシンを取り出し、縫い始めること15分。完成したがこんなへんてこな雑巾はみたことがない。長女が言っていた。「こぼした牛乳を拭くんだって」記憶が20ン年前に遡った。掃除の時間のあとの雑菌のにおいのする机。またその時間からやり直しするような錯覚がした。
2008/04/18
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こちらに越してきて4回目の春を迎えた。長女は今年小学校に入学した。次女は保育園の2歳児クラスに進級した。3年前にここで友達になりたい、と願ったら今では大親友のひとりになっていた。悩みの種であった2階の住人は2年前に引越し今は新婚さんが静かに暮らす。昨年の春に帰ってきた王子に再会し握手をしたと思ったらまた行ってしまった。過去の日記から、今の私の毎日をみると「なぁんだ、そういう展開になるの」と我ながら感心してしまう。現在は、週3日、大学の研究室で働いている。私のいまの関心事といえば、「ハカセ」についてである。ある時は講演に、ある時は教科書の執筆、アンビリ○ボーからの調査依頼に、海外出張・・・。多忙な中でハカセは時々私をランチに誘って下さる。食事中、ハカセは「バイオ燃料のこれから」とか「相撲と科学」など、私のような主婦にも分かりやすく楽しくお話してくれる。「相撲は力学」とおっしゃった。「私は気合の問題だと思っていました」とつぶやくと、笑いすぎなほど笑い、「たしかにそうだよね」とまだ笑っていた。4回目の春。私はハカセと笑っていた。
2008/04/16
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先週末から、夫の仕事が佳境を迎えているので食事は実質ひとりだ。普段は、辛いものは作れないし、ということで昨夜はタイのグリーンカレーを食べた。毎晩これでもいい。酸味と辛味とココナッツミルクの絶妙な組み合わせが溜まらず、つい鼻息が荒くなる。昨夜の余韻に浸りつつ、昼食を作ろうと冷蔵庫を開ける。買い物をしていないので、野菜室には大量のしょうがとしなびた人参、白ねぎが横たわっているだけだ。・・・何つくろ。冷凍のご飯をチンした。(活字にすると改めて変だと思う)しょうが1片をスライサーで千切りにして、ごま油で炒め、人参、ねぎも細かく切って同じくフライパンへ。チャーハン、こうなったらチャーハンだ。えぇい、なんか変だけどご飯を投入。卵1個を流しいれて、パラパラになるまで炒めた。しょうがとごま油で、食欲だけはそそる。緑色が欲しいところだけど、今日は省略。塩コショウとしょうゆ少々で味を調えた。ベビーも身を乗り出して、皿を見つめた。味は?鼻を膨らませて、頬ばった。美味しい。これもグリーンカレーに続いて大人の味。体温ががっと上がるので、冬に食べてもいいかも。あぁ、美味しかった。この創作チャーハンの命名をしなければ。
2006/08/07
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訳あってこの夏は東京で過ごすことになった。私はそれで良くても、長女のKはひとりでもいいからと、先週の日曜から私の実家へ帰省した。送り出すまでは、心配でたまらなかった。やっぱり私も一緒に帰ろうか、と思ったりもした。なのに、なのにKときたら、指折り数えて心待ちにして、電話の声は元気いっぱいなのである。家族と離れる、という目に何度も遭っているKは「時間がきたらまた会える」と意識が刷り込まれているのかもしれない。なんてポジティブ! 私も日頃やりたかったこと、やろうっと。
2006/08/06
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娘が習う音楽教室は、保育時間後の幼稚園のホールで先生が週1回来て教えてくれる。娘は自分の教室からホールまで、荷物を運ぶのだが同じクラスのお友達が数名いて時間がくると一緒に移動する。娘のKは、その日レッスンバッグ、水遊びのかばん幼稚園のかばん、水筒を持っていた。とそこへ同じクラスのHちゃんから「重いから、Kちゃん持って」と言われた。「自分で持ちなよ」とすぐに断ったらしいがHちゃんは食い下がる。何度も強請られたKは、仕方なくHちゃんの荷物を持ってホールまで運んだらしい。その日の夜になってお風呂でKが私に一部始終を話した。Hちゃんの理不尽な態度にずいぶん葛藤したのだろう。娘は、夫に似たのか人がいい。NOと言えない子供なのだ。今日のHちゃんの標的は、同じクラスのCちゃんだった。「その荷物、もしかしてHちゃんの?」私がCちゃんに聞くと、黙って頷いた。「おばちゃんが持ってあげる」そう言って、荷物を預かって私はHちゃんのお母さんを待ち伏せた。「これ、HちゃんがCちゃんに持たせてましたよ」荷物を突き出した。お母さんのばつの悪そうな顔をみて、私も傷つく。私のとった行動は正しかったのか、今度は私が先週のKのように悶々としている。
2006/07/11
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このごろ、ふと想像する。もしも、もうひとり子供がいたら・・・。私自身3人姉妹なので、そんなに難しい想像ではない。ベビーが満9ヶ月を迎えて、一息ついたからだろうか。もうひとり居てもいいかも。だったら早いほうがいい。面倒になるし、体力や年齢的なことも負担が大きくなる。そんなことを毎日考えていたら、月のものが来なくなった。寝不足やバランスの悪い食生活のせいだと思われるがこの想像妊娠をもう少し楽しみたい。少子化の問題を新聞やニュースでみかけるたび、私の身体がなんとなく反応しているような気さえする。
2006/06/29
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私はごく最近、酔っ払ってゲラゲラと笑っていることが実に多い。子供たちが寝静まって、梅酒をロックで飲み始めるとたったのグラス2杯少々で出来上がってしまう。先日も、W杯の初戦の夜、夫は10時丁度に帰ってきたと思ったらテレビの前でパンツ一丁に靴下でネガティブな応援を始めた。私は、このネガティブな発言が大嫌いだ。「おぃおぃ。なぁにやってんだよ!」「ヘタクソ!」その横で、私は黙ってちびちび飲むのだ。ジーコ監督が画面に映った瞬間、私は「ナカム~ラ、タマ~ダ、マキ」モノマネをした。少し、引いた夫が私をしげしげと見た。「面白い女じゃ」「えぇ男じゃ」最近の私たちがお酒を飲み始めると、そんな合言葉を飛び交わせる。もちろん、お酒の勢いで「えぇ男」に見えているのである。ジーコのモノマネをして笑っていたらあっという間に得点が入って日本は負けていた。「マケチャッ~タ」私たちの軟弱な応援で負けてしまったのかもしれない。
2006/06/14
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関東地方は先日、入梅した。どんよりと曇った空を見上げながら、自転車をこぎ始めた。上の子は眠いというので、お留守番をお願いした。もう、5さいだもん、というのが最近の口癖だ。とはいうものの、鍵を入念にかけて近所の薬局へ急いだ。その薬局へは何通りもの行き方がある。立って漕ぐと、いつも後ろに乗る娘は「ママ、すっごい早い」と歓声を上げる。今日は自転車が軽く、なにか物足りない。薬局に到着すると、足早に赤ちゃんの粉ミルクを脇に抱え、会計を済ませてまた、自転車にまたがる。早く帰らなきゃ。東京を覆う分厚い雲が急かす。竹林を抜けると、青空を思わせるような鮮やかな青色がだんだんと大きくなってきた。角地に立つ戸建ての塀から飛び出すように咲く見事なあじさいが見えてきたのだ。その家の玄関脇には、切花にしたあじさいが大ぶりのバケツに何十本と入っていて「お好きなだけお持ち帰りください」とある。一度は通り過ぎたものの、急ブレーキをかけてバケツの場所まで駆け寄った。その花の主と思われる婦人が箒で庭を掃いていた。「頂いてよろしいですか」尋ねると、にっこりと微笑んで勧めてくださった。自転車の前かごが青の濃淡でいっぱいになった。こんなに良かったのかな、もういちど振り向いてお礼を言おうとすると、その婦人は若いカップルと話をしていた。「先週、結婚したんです」「まぁ、そうなの。おめでとう、おめでとう」あじさいと6月の花嫁・・・曇り空の東京が少し素敵にみえた。どうしたの、そのお花~!驚いた娘が玄関で迎えてくれた。15分間の出来事。ひとりでお留守番できた娘はどこか誇らしく思わぬ寄り道をした私は晴れ晴れとしている。
2006/06/10
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夕飯の席に着いたときに、娘が私をじっとみながら言った。「ママ、はっきり言うけどね。ご飯には飲み物がいるでしょ」いつもプラスチックのコップにお茶や牛乳を注ぐのに、その日はうっかり忘れていたからだ。「はっきり言うけどね」5才のときの私は、そんなことはお人形遊びの時に試験的に使うことしか出来なかったように思う。自分の思っていることをうまく相手に伝えるのは一番辛いことだった。幼稚園の先生にも、自分のやりたいこと、こんなことがあって嬉しかった、悲しかった、困ったなどきちんと説明するのが苦手で、いつも泣いていた。それに比べてKは、あまりに流暢で圧倒される。「いつもKちゃんは(友達を)諭すようなことを言うんだよね、さすがだよね」そんなお褒めの言葉をお友達のママから授かることもよくある。物事をきちんとその場で、タイミングよく、的確に言うのはいまだに苦手である。家に帰って、ああ言えばよかった、こう説明すればよかった、といつまでも悔やんでいる。Kの毎日は、さぞ楽しいに違いない、と羨望のまなざしでみていると、Kはこんなことを言う。「何でこんなことしとるんじゃろう、って思うんよ」たしかにそんなことを私も思っていた。いや、毎日その繰り返しだった。しかし、それをまたしても、はっきりと自分の言葉で伝えられて私は、めまいがしそうだった。
2006/05/31
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昨日はじめて近くの図書館に行った。「ブックスタート」という制度があるそうで、ベビーに2冊の絵本と図書館の本を入れるトートバッグをプレゼントしてくれた。「くだもの」と「ぴょーん」の2冊だ。図書館の貸出カードもベビー名義のものを作った。長女は紙芝居となぞなぞの本と、外国の絵本を1冊ずつかりた。ついこの間まで、文字が少なくて絵が大きな本を読んでいたのに。赤ちゃんの時期は長いようで本当に一瞬だ。図書館で夢中に読んだ本は、寺村輝夫の王様シリーズ。先日77歳で他界された。たまご焼きが大好きでワガママで可愛い王様。ラッパの音や甘いお菓子を想像して、とにかく読んだ。最後の1冊を読み終わったときの、例えようのない寂しさといったらなかった。娘たちにも、そんな本の魅力を知ってほしい。たまご焼きが大好きで、ワガママで可愛い・・・そういえば私の近くで暮らしている。
2006/05/25
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洗い物をしながら眺めるハガキがある。「寒中お見舞い申し上げます」エッセイスクールの先生から1月下旬に届いたものだ。印刷の文面のそばに「継続こそが筆力向上のコツです」眺めてはうつむいて、私は先生にクチゴタエをする。「先生、以前書く事それは即ち、ケリをつけることだと。― 私は何一つ、ケリなどついていないんです。だから今は何も書けません」今日は、そんなケリをつけられない自分にケリをつけるために、ケリのエッセイを書くことにした。ややこしいことは考えない。格好もつけない。家族が私の書くエッセイを見てるのを本当は知っていても。とにかく、バク進あるのみ。少しずつ、テンションが上がって参りました。
2006/05/23
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前回に日記を書いたのが、クリスマス・・・なんというか体たらくに我ながら呆れてしまう。新しい春がやってきた。庭のあんずや、梅の木が満開になって気が付けば窓のそばに立っている。赤ちゃんは早いもので離乳食が始まった。長女は年中さんに進級する。私の周りは目まぐるしく変わっている。こちらで生活を始めて約1年。はじめはそんなに気にならなかったのに、だんだんと悩みになっていたのが階上の「接触音」である。夜中でも早朝でもお構いなしにドタドタと4才と1才の男の子の走り回る音がする。一戸建てのニ世帯住宅の1階と2階部分、しかも築30年余なのだから、床の防音は普通のマンション等とは比にならない。だからといって、「仕方ないでしょ」と済まされても困る。ずいぶんと悩んだ挙げ句、上の住人に「もう少しお静かに」とメモをいれた。すると半日後、びっしりとタイプされた返事がポストに入っていた。なるべく迷惑にならないように、カーペットを敷き詰め、子供は常識的な時間に寝かせている。うるさいと言うけどお宅も、音楽の低音や床を歩く音、クローゼットの開閉音のせいで子供が眠れないこともある、という内容がねちねちと書かれていた。結局はお互い様だということだった。その日以来、階上の住人の音はほとんどしなくなった。我が家も、最善を尽くしている。「ごめんね」の気持ちをこめて。行動を起こしたら、それなりの答えはでるって本当だ。静かになったうえ、相手にも不快な気持ちにさせていた傍若無人ぶりを遅くはなってしまったけど、改めることができたのだから。木の芽立ちに気持ちが不安定になるのは、抱えている問題の解決をしようと頑張るからかもしれない。木の芽とともに吹き出す思いや出来事は、きっと必然なのだ。
2006/03/13
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しっかり療養して、いつものぴんぴんとした健康なからだに戻った。久しぶりに車を運転して、街の中心部までクリスマスショッピングへ繰り出した。午後三時の街はクリスマスで浮かれていてふわふわとしている。いつだったか「クリスマスは嫌い」と静かにきっぱりと言い放った黒い髪をしたアメリカ人女性の言葉を思い出した。度を越している、みたいな理由だった。現在になって少しく共感を覚える。この買い物とは別に、ひとつ、気の重い用事があった。夫から送られてきた真っ赤な、真っ赤なジャケットのサイズが合わず、交換にいく。タグをみると、SIZE XSCOLOR FIREくらくらする。私のどこがXS?火のような朱の洋服、今まで着た事があった?色はともかく、サイズは私にぴったりと来ない。ひとつ大きなサイズをお店で羽織ると、それでもまだ小さい。試着室のまえで平井堅似の店員さんと苦笑い。もうひとつ上のサイズは私の低い身長では、袖が長くS以外に選択肢はない。よろしいですか、と訊かれても苦笑いのままで暗黙の了解を交わし、目も合わさずそそくさと帰る。夫からのメールには「頼んますよ」もっともだ。しっかりしろ、自分。小さいサイズの真っ赤なジャケットに初めは閉口したがそれを自分のものとして着たところを想像すると何か「いいこと」がありそうな気がした。クリスマスはやっぱり、浮かれた気持ちでいたい。
2005/12/25
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出産の報告をしてから、皆さんにたくさんのおめでとうを頂いたのに、ほったらかしになっていました。ごめんなさい。心からありがとうございます。赤ちゃんはおかげさまで、毎日30gずつ増量しています。さて。 連日の寝不足とストレス?と過労?が祟ってしまいある医者には「突発性難聴」、またある医者には「メニエール病」と診断されてしまいました。飛行機のなかでうまく耳抜きができないような状態(これを耳閉感というらしい)、耳鳴り、めまい、吐き気に悩まされてお医者に行くと、最悪の場合、入院。と言われ青ざめた。まだ授乳中だし、家事もあるし。上の子は幼稚園もあるし。夫の出張が数回続くし、通院ができないし。それよりになにより、安静にしなさいと言われているのにまとまった睡眠は退院以来とったことがない。私以上に状況を深刻に受け止めたらしい夫と実家の母との間で広島に帰らせる方向の話合いがもたれた。とまぁ、そんなわけで実家で娘2人を連れのんびり過ごしています。10日が過ぎ、病状は回復しています。
2005/11/16
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前回の日記を書いて4時間後のこと。食事やお風呂を早めに済ませ、ゆったりと「こうなったら(出産は)いつでもいいや」と情熱大陸をみていた。ダンサーの近藤良平だった。ベッドに横たわっていたのだが、下半身が少しあったかいなぁ、と手を当ててみるとぬるま湯のような液体が染みている。「これってもしかして・・・」破水したのだ。恐るおそるベッドから起き上がってみた。正真正銘の破水。ザバーッと蛇口をひねったように羊水が流れ出した。一部始終をみていた夫は、慌てて部屋を駆け回る。用意していた赤ちゃんの布オムツを当てて車を待った。夫は「自転車持ってくる」といいながら玄関を出て行った。相当慌てているので心配になる。病院についてすぐ、心音を聞いてみる。赤ちゃんは至って元気。しかし肝心の陣痛はつかない。1日待ってみることにした。お湯を張ったバケツにラベンダーのオイルを落として足を浸けたり、腰をアロマオイルでマッサージしてもらったり、やさしく陣痛を促すものの、やってこない。翌朝から促進剤を打つことになった。午前4時30分、助産婦さんにたたき起こされ、分娩台に上がる。あれよあれよ、という間に点滴が始まった。午前6時、J-waveでは今日が誕生日のアスリートを紹介していた。サッカー選手のトッティ、小野伸ニ・・・「へぇ、いいじゃん・・・」と思っていた矢先、「朝青龍」と続いた。前にも書いたが、私はアンチ朝青龍。何もこんな日に・・・。10分間隔の陣痛が少しずつ、苦痛なものに変わってきた。さらに3時間、同じような状態が続き、頭には漠然と「いつまで続くの?何時頃生まれるの?」同時に、「これは私のお産なんだ」「だれも代わってくれないんだ」と4年前の大変だったお産をようやく思い出した。午前11時、痛みが波のようにやってくると、自分のものとは思えないような叫び声になっていた。4年前、ここで私は「もう赤ちゃんなんか要らん・・・」と言ったのを思い出した。今回は違った。「早く出ておいで」だった。「たくさん抱っこしてあげる」「いっぱい楽しいことしようね」と約束をしていた。朝青龍と同じ誕生日でもいい、許す、だから早く出てこぉい!それから更に3時間後の午後2時2分。3400gの元気な女の子が誕生した。予定にはなかったが、臍の緒を私が切った。さっきまでの突き上げるような痛みは嘘のように消えていた。赤ちゃんは母乳を今生まれてきたなんて思えない程の力でぐいぐい吸いあげていた。それをみて私は笑っている。この世でいちばん神秘的で幸せな光景である。
2005/10/09
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土曜日、検診に出掛けた。産院は働くママさんたちが多いのか、ごった返していた。1時間待ち、と言われたので、車の中で待つ。あれれ。なんかお腹が張ってきてる。ちょっと鈍い痛みもあったりして。間隔は?・・・15分。自分で問答した後、「まぁ、ここは産婦人科の駐車場。産気づくのは大いに結構」と気が大きくなってきた。やっと順番が巡ってきて名前を呼ばれた。「どうですか」という先生の質問に、待ってましたとばかり「いま15分間隔で、収縮がはじまっています」というと、内診した先生は「そうだね、ずいぶん進んでる。今日か明日には本格的な陣痛がくるかもね」と自宅で待機することになった。夫はオロオロとして落ち着かない。私はベッドに横になる。キーンと張るお腹の15分間隔が10分になる。午前3時、産院に電話すると、なんと院長が「はい・・・Tです・・・」寝ぼけた声で電話口に出るではないか。「入院の準備をしていらっしゃい」すぐに車に乗り込んだ。台風の影響で雨と風が強い。何だかドラマチック。鈍い痛みを抱えながら、風雨で街路樹がしなる中、車で病院に向かっている。助産婦さんが玄関で迎え入れてくれた。すぐに分娩室に通されて、赤ちゃんの心音を測ったり、ストレステストを始めた。テストの間、助産婦さんが用紙に、「希望するお産チャート」らしきものを記入し始めた。「今回のお産で何か希望はありますか」と聞かれ「産まれてすぐ、抱っこさせてほしい。すぐに母乳を吸わせたい」と告げると、「それだけ?」みたいな顔をするので他の人はどんな希望をするのか聞いてみると、なんと三脚を立ててビデオ撮影したい、へその緒を自分で切りたい、そして、驚愕は、「胎盤を食べたい」というまさにマニアックなママさんがいるという。私の希望は、せいぜいはじめの抱っこと母乳のこと、そしてラジオを聞いたりして、リラックスしたい、とお願いした。テストを終えて、個室に通されて陣痛を待つことになった。午前9時、ぐっすり眠っていた私。別の部屋でぎゃ~~~ぁぁぁと叫ぶ分娩中のママさんの声やほぎゃぁ、ほぎゃぁと泣き叫ぶ生まれたての赤ちゃんの声をBGMに眠りこけてしまったのだ。子宮の収縮は遠のき、出直してくるように言われた。そんなぁ・・・。赤ちゃんにとって私のおなかは心地がいいらしい。
2005/09/25
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あと数分で日付けが変わり、出産予定日になる。9月23日。虫の大合唱、曼珠沙華、萩の花、名月、ひんやりとした空気そして、高く澄んだ空。一年のうちでいちばん好きな季節である。「まぁ・・・待ちましょう」産婦人科の先生は、静かにそう言う。前回のお産は、破水した後、陣痛が来ないので促進剤を使いそれでも産まれる様子はないので(破水してから)2日後に吸引分娩をした。羊水は残り25CCだった。今回は、自然の陣痛はやってくるのか、破水はしないだろうか経産婦とはいえ、不安である。お腹を蹴る足を手のひらで受け止めると、赤ちゃんの「かかと」の大きさがわかる。小さくてこわれてしまいそうなのに、しっかりとした頼もしいキック。お風呂でリラックスしていると、赤ちゃんもそっと伸びをする。こんな感覚を味わっていられるのもあと少し。
2005/09/22
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前回の検診で、出産予定日が10月4日から9月23日へ修正された。あと2週間を切った、となると気分的になんだか落ち着かない。「いつ産まれてもおかしくないんだよね~」などと幼稚園のママさん友達に言われると、頭の中はいろんなシュミレーションがはじまる。初産では総合病院でお世話になった。すべての流れがどこか淡々としていて、「自分のお産」という気がしなかった。今回のお産では、「自分が希望するお産」を提唱する個人産院を選んだ。水の中で産みたければ、プールが用意されているし四つん這いでも、立っても、ヤンキー座りでもなんでも好きなスタイルで産めばいい、という助産婦さんの話を聞いて、はじめは驚いた。この産院の主治医が白衣をまとう姿も、これまで(たぶん)見たことがない。犬のTシャツを着ていて、パッと見は医師というより無口な庭師である。無口な先生の代わりに、診察室では軽快なジャズが流れている。この妙なゆるさが許せない人はきっと多いような気がする。病院のたたずまいは、私が表現するのは「昭和レトロ」だが、夫は「ボロくて汚い」という。私の目は、人やモノを良く観てしまう癖があるのか。昨日、その産院に通っていた有志のママたちによる「おっぱいの会」という集まりに参加した。どのママさんたちも、昭和レトロな病院の庭師のような先生を評価し、この産院を選んだ私をラッキーだと言う。話をしている間は、みな乳飲み子を授乳させながら幸せな表情を浮かべて、自分のお産のスタイルや逸話を語りあい出産を控えた私にアドバイスをしてくれる。これまた、ゆるい時間が流れていた。この会に参加してみて、私は思った。このママさんたちも私も、マニアックなマリア様なんだな、と。おっぱいをぐいぐいと呑む赤ちゃんをみて、お産する日がとても待ち遠しくなった。
2005/09/12
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重いお腹を抱え、高温になった台所に立っていると包丁を握るのも嫌になってくる。2週間の夏休み(帰省)ですっかりだらけてしまったのかもしれない。先週末は夫が出張だったため、ちょっとラクをさせてもらうことにした。日も暮れてきたので、娘を連れて大きな通りに向かって歩いた。「何が食べたい?」と聞いてみた。娘は「何いってるの?」という顔で私を見上げる。いつも買い物するドラッグストアの向い側にはフランチャイズの焼肉屋さんがあって、そこを通るたびせつない声で娘は「ママ、いい匂い」と言う。「焼肉にしようか」と言うと、娘は「でも、パパいないよ」とか、どうしても二人きりでそこに入れない理由を娘なりに説明する。「じゃ、ファミレスにしようか」というと「うん・・・」と自分のケジメより、「ママはお腹が空いているのか」というのを察して、私に従おうとする。ちょっとここで私は胸が痛んだ。レストランに着いて、お子様用のメニューを出されると少しはしゃぎだした。お子様カレーを自分で注文した後、「ねぇママ・・・なんかドキドキする」という。「どうして?」と聞こうとして、私は感じ取った。まだ娘はパパのいない、ママとふたりきりの外食をどこか後ろめたく感じているのだ。普段の夕食は、小さいダイニングテーブルで、私と娘で静かに摂る。そんな(つまらない)時間が彼女の日常で、あるべき母子の姿なのだ。パパに内緒にしておける許容範囲を越してしまった娘を不憫に思った私は、帰宅して来た夫にすぐにこの出来事を話した。娘は恥ずかしそうに聞いていたが、(パパは怒っていないと確認して)ホッとしていた。小さな頭でたくさんの計算をしている娘に、私はいつも助けられている。
2005/08/26
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その晩はなかなか眠れなかった。バスの中に日傘を忘れたことに気付いたのはその日の夜9時を過ぎてからだった。一ヶ月前、夫が「日傘を持っていないの?こんなに暑いし、年齢も年齢だし」年のことは余計なのだ、と心の中で反発しつつ、その気持ちをありがたく受け止め、買ってもらうことになった。数千円の安物を予想していたら、夫は何を血迷ったか傘の専門店で保証書や、専用ケースまで付いている定価ン万円もするものを私に与えてくれたのである。「日傘をみせてください」と店員に尋ねると「あ、パラソルをお探しですか」と言い替えられ、俗な夫婦は背筋を伸ばす。お買い上げ後は、店の外で商品を渡し、深々と頭を下げる姿に気恥ずかしくなった。それにしても日傘は何時どこでなくしたのか。玄関のそとや、庭をうろうろと歩き回る。熱帯夜の蒸し暑さや蚊に刺された足もお構いなしで、その日の行動を思い出す。「そうだ」バスに乗って買い物に行った帰り、うとうとし始めた娘を揺すり起こし、急いで降車したあのときだ。ホームページで西武バスの「忘れ物専用ダイアル」を調べメモったあとは、これ以上なすすべもなく狼狽える。今頃日傘はどこにあるのか。これを考え始めると、落ち着かない。帰宅した夫に話すと「残念だけど、もしなかったら、また(おれが)頑張ればええことじゃけ。気にすんなや」こんなケースは、思いきり怒られた方が気が楽である。それにしても、眠れない。「あら。素敵な傘」とオバサンがにんまりとして着服するシーンを妄想すると、悔しさが込み上げる。朝9時ちょうどに電話した。車庫のある場所の電話番号を聞き、祈るような気持ちで路線と乗車した時間帯、日傘の特徴を告げた。「少々お待ち下さい」この時間がどれほど長く感じられたことか。「お待たせしました。ありました。ありました。黒地の花柄ですね。間違いないです」身体の力がすこし抜け、急にお腹が空き、眠気と、もしかしてお腹の中で喜んでいる赤ちゃんが踊ったかのような胎動でしばらく嬉しさを味わう。夫に「日傘、あったよ。良かった~」とメールした。すると「日頃の行いがよかったんじゃろ。よかったな」と返ってきた。深く帽子を被り、娘と車庫まで受け取りにいった。帰りのバスでは、傘が折れそうなほど握りしめ、自分のもとへ返ってきた事に感謝し、日頃の夫に対する仕打ちを反省した。
2005/08/22
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約半月の帰省の半分が終わり、会いたかった先生や友人のほぼ全員と再会した。娘も旧友、といっても人生をまだ4年少々しか経験していないが、積もる話をたくさんしたようである。いっぽう、東京でお留守番の夫は、私が冷凍庫に10袋ほど入れておいた吉野家の冷凍の「豚丼の具」と冷凍ご飯の夕食をひとり侘しく摂っている、と電話やメールが絶えない。娘は新幹線から降りるとき、「なんか涙出そう」というのでどうしてかと聞いてみると「パパが一人で可哀そう」という。しかし、4ヶ月ぶりの広島の空気を吸った途端、「~さ」と東京弁を上手に使っていたのが、「じゃけえ」に戻った。パパに手紙を書いた、と見せてくれるので、何て書いたの?と聞くと、「パパ、今までどうもありがとう」って書いたの、とケロリとしている。切り替えの速さに、母として少し戸惑う。夫にそのことを話して以来、夫は「帰ってくるよね?」と何度も念を押している。娘には「はい、はい。帰りますってば」と軽くあしらわれている。残すところ、あと6日。夫よ、娘より私の方を心配したほうが良い。
2005/08/08
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帰省して3日目、某カルチャースクールに電話した。3月まで受講していたエッセイスクールの昼の部がたしか、毎週月曜日にあったはずだ。うろ覚えで自信がなかったが、せっかく帰省していることだし、先生に会って、出来れば1日だけでも受講したい。本日13時から15時までございます。1回500円で受講できるとのことで、すぐに支度をして出掛けた。4月に引っ越して、先生とは3回の文通のやりとりをしたが、6月に入ってからは原稿用紙に2枚ほど書いてはゴミ箱へ捨てるの繰り返しで、投函までに至らなかった。受付で手続きをしていると、先生が横に現われた。私に気付かず、受付の人と何か話をしている。一通り会話が終わったところで、「先生」と声を掛けた。「あれ~ぇ?どうしたの?戻ってきたの?」「はい、半月ほど帰省しています・・・あの、今日は見学させてください」「どうぞ、どうぞ。元気だった?あれから音沙汰ないから」「すみません・・・」先生と教室に向かう。ドアを開けてもらい、中に通されると、すでに中高年の女性が6~7人ほどいた。隔週の木曜日のクラスでは私とみどりさんだけの小さな集まりだったのに対して、昼の部は賑やかで、どこに座ろうか、見回すほどだ。「どこでも好きなところにどうぞ」と先生が言うとそれまでガヤガヤしていた教室が静まった。「この方はね、前に習作で彼女の作品を使ったことがあるんですが、春から東京に行かれて、今日は帰省されててちょっと受講をしに来られたんです」「あぁ、あの『こだわり』の」先生が、いつか言われていたことを思い出した。私の原稿をわざわざタイプし直して教材にしたんだった。会釈して宜しくどうぞ、と微笑んだ。先生が講義を始めると、しばらく大人しく聴いていたオバサン達が「でもネェ、先生」と自由に、奔放に思ったことを口にする。それだけエッセイを書きたい、作品にしたい、という熱意でもあるだろうが、以前先生が、「昼のクラスには手を焼いているんです」と漏らしていた理由が分かった。この日の講義は「書き出しのテクニック」読み手にインパクトを与え、読み進めてもらえるよう誘導する技についてだった。先生が口にする言葉のすべてをメモに取る。私がこんなに夢中になれるものは、エッセイ以外にない。一番好きなことなんだな、と再確認した。後半1時間の実技で出されたテーマは「この夏、期待していること」はっきり言って、妊婦の夏には楽しみなど何もない。そんな悶々とした日々を綴った。今頃先生は噴き出しているかもしれない。今日学んだこと:会話で始まる文章も興味をそそられるテクニックではあるが全体が軽くなるので、バランスを考える。乱用はしない。
2005/08/04
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昨日は健診でバスで20分の産婦人科へ出掛けた。このエリアに出かけるのは、こちらへ越してきて月1回の楽しみである。出掛けてどこにも立ち寄らず帰れば、恐らく1時間半もあれば十分であるが、いつの間にやら不思議なお店が私を引き止めている。ガマの葉でできたスリッパ、159円。コーヒー豆が入っていた麻袋(南米チック)105円。赤ちゃんのエコー写真、Priceless.昨日は、赤ちゃんのポーズがきれいに前を向いていて顔がしっかりと見えた。大腿骨や、腕もはっきりとみえた。間違いなく女の子であることも告げられた。帰り道、正午を過ぎてお腹がすいた。教えてもらったラーメンやさんにいってみた。東京は33℃の猛暑。お店はがらんとしていた。タンメンをだらだら汗を流しながらすすった。お店の人は暑さで店の外で涼んでいるほどだった。上品な塩味で、透明でどこまでもあっさりとしているのに深みのある味・・・美味しかったです。舌をやけどしたので、ドトールでフローズンピナコラーダを堪能。さてそろそろ帰ろう。デパートで夫のバースディケーキを買った。バス停に向かって歩いていると、私の腕を掴むようにする人がいるので、慌てて振り返る。そこにいたのは5年前、広島の和裁学校で一緒だった友人だった。「うっそぉ!」お互いに思いがけない再会であった。当時、学校に通い始めたころ、ほぼ同時に妊娠し、(当たり前だが)ほぼ同時に出産した。私も彼女も生まれたのは女の子だった。互いの娘が1才を迎える頃に再会したのを最後に年賀状だけのおつき合いになっていた。彼女は私の大きなお腹に驚き、私は彼女が2人の女の子を連れていることに驚いた。昨日、健診に行っていなければ、ラーメンをやめて冷麺にしていたら、ピナコラーダをぐっと我慢していれば、そして期間限定の白桃のケーキを買わなければ・・・きっと彼女と再会することはなかっただろう。以前にも、友人から紹介された友人が実は、私と親戚だったとか、友人の夫が私の夫の同級生だったとか。ときどき不思議な縁を感じる。------------------明日から8/13まで実家に帰省します。
2005/07/29
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今日、近所を歩いていると映画のロケ現場に遭遇した。何をやってるんだろう、とただ通りすがったが、数時間後に同じ道を通って帰るとき、カメラの向こうにいたのはいまやハリウッド俳優の渡辺謙。彼がそこにいたのだ。独眼龍、ラストサムライ・・・今まで観たことのある出演作品が頭をぐるぐると巡る。座って、なにかを見つめていた。眼力がなんといっても鋭くて、少し笑った顔にオーラを感じた。そこだけ、パッと明るくなっていた。いろいろあったけど、いまとても充実していて、心には何のわだかまりも不安もなくて、自信に満ちみちた、一人の成功者の顔。オーラって出る人にはでるもんだなぁ。このあいだの日曜日、ネットでニュースをみてショックを受けた。私が16才のときから応援していたあの貴公子が覚せい剤使用で5月に逮捕されていた。しかも執行猶予中の再犯だったという。なにやってんのよ。去年、激太りにびっくりしたがそれでも、復活して目の前でパフォーマンスしている彼をまた応援できて嬉しかった。あのときに錯覚したオーラは、なんだったのか。残念でならない。
2005/07/20
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4月、入園式から数日経ってクラスで保護者会があった。各々の係を決める日で、私は身重なためできるだけ当日行って数時間でできるような、例えば内科検診のときの引率など比較的、負担の軽いものを希望していたが、ジャンケンは常にグーから出す癖が災いしたのか、希望していた係はすべて外れてしまった。残ったのは、納涼会の防犯パトロールか、花火ボランティア。「この2つは出来れば、お父様方にお願いしたいのですが」という先生。やむを得ない。夫に頼もう。今年1回ぐらい頼まれてくれ。夫の性格からして、地味なパトロールよりは花火のボランティアだろう。あいつは目立ちたがり屋だ。「じゃ、(主人に)花火ボランティアを・・・」と立候補した。帰宅してきた夫に、顔だけ申し訳なさそうにして花火の係になったことを説明した。夫は意外にも嬉しそうに、楽しそうじゃん!!とやる気まんまん。先週の土曜日、花火ボランティア(総勢30名)の説明会があった。休みの日なのに朝から説明会なんて悪いな、と送りだした。2時間もあれば終わるだろう、と思っていたのになかなか帰ってこない。「あぁ、どうしよう。きっと話し合いがまとまらなくて今頃イライラしてるんだろうな。もう5時間も経ってる・・・」さすがに本気で申し訳ないと思う。午後3時。インターホンが鳴った。両腕に抱え切れない程の紙袋とちょっと赤い顔の夫が帰宅した。笑いながら「もう大変じゃったよ~ぅ」と先週娘が持って帰ったとうもろこし8本、じゃがいも2キロ、なすびを12個、缶ビールが袋からでてきた。30名来るはずが、夫を入れて3名しか来ず、和気あいあいと3人のパパで仕掛け花火を百数十本作ったあとは、幼稚園の理事長さんに連れられ園庭の畑で野菜を収穫して、ビールや差入れをご馳走になったと言う。なんだ、楽しんだんじゃん。来年も再来年も、赤ちゃんがやがて幼稚園に入園して向こう3年も花火のお当番さんをやる、と宣言した夫。説明会で意気投合したパパさんの中には、3番目のこどもの当番で今年8年目、という大先輩もいたらしい。今週末の本番にむけて子供以上に当日を楽しみにしている。私は6年間、幼稚園で役員をすることはなさそうだ。(やったぁ!)
2005/07/11
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娘が新聞紙に包まれたとうもろこしを持って帰った。雨でなければ、園庭で収穫する予定だったが、しばらく続く雨で延期がとうとう中止になってしまった。都内なのに珍しく、園内に大きな畑があって、果物や野菜が栽培されている。これ以上待つと、とうもろこしの食べ頃を逃すから、と今日1人1本づつ持って帰ることになった。皮を剥いていくと、きれいな夏の黄色がつやつやと光っている。びっしりときれいに整列した粒が「すぐに、今すぐに食べて」と言っているようだ。この1本をどうやって食べようか。茹でてもいいし・・・でも1本だけ。魚焼きグリルで焼くことにした。タレをからめるとたちまちお祭りの匂いが家中に広がった。ときどき実が弾けて爆発する音にびっくりしてグリルに娘と頭をくっつけて中の様子を伺う。焼き上がったとうもろこしを娘の目の前におくとどこからどうやって食べよう?と迷っていた。「じゃ、ママが一口・・・」と言いながらまん中にかぶりつく。甘くて、ぎゅっと詰まった実がしゃきしゃきとして歯止めがきかなくなりそうなほどおいしい。もう一口をぐっと我慢して娘に返すと、迷わず真ん中にかぶりついた。「美味しい!!」10分後、とうもろしは完食されていた。我が家の庭には、いまプチトマトが収穫時期を迎えている。はじめの3~4個は嬉しくて水洗いしてすぐに口に入れたがなにしろ1株78円。皮がギシギシして酸っぱいばかりであまり美味しくない。来年はちょっと奮発してデルモンテのブランド苗にしよう。庭にはもういいよ、という数が真っ赤に色付いている。冷蔵庫には30個ぐらい入っているし。オリーブオイルで焼いて食べよう。青じそも虫に喰われながら着実に成長している。こちらは葉に厚みがあって、相当気合いをいれて細く切らないと薬味としては味が強く、歯ごたえがありすぎる。喜怒哀楽の家庭菜園は雨にうたれて今いちばん賑わっている。
2005/07/06
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いまの私の、もっぱらの知りたいことといえばやはり赤ちゃんの性別。毎回先生に、「赤ちゃんの性別は・・・」と聞いてみるものの、「う・・・ん・・・まだよくわからないね」と言われるか、アングルが悪くよくわからなかった。昨日の検診では、診察が混み合っている感じもなく先生に「どうしても知りたいから、ゆっくり診て」という口調で「赤ちゃんの性別は・・・」と聞いてみた。先生はエコーをゆっくりとお腹にあてて、画面をみる。わたしも息を呑んで、画面を覗き込む。「そうだね・・・今のところオ☆ン☆ンらしいものは見当たらないねぇ・・・断言は出来ないけど、女の子かな」男の子、とにらんでいた私は「え?そうなの?」という顔で先生をみると、先生は「上のお子さんは?」と聞くので「女の子です」と答える。帰り道、夫に「赤ちゃんは、お・・・」とメールすると即時に電話がかかってきた。「なんやぁ~、どっちやぁ」「女の子みたいよ」「はぁ。そうなんか」少し落胆した様子。私は、女の子でちょっとホッとしている。夜9時に帰宅した夫は小さな花束をお土産に持って帰った。「赤ちゃんに」そして、お腹に手を当てて「パパは早く会いたいよ~」と話し掛けていた。
2005/06/29
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午前中、会社にいる夫からメールがきた。お礼状を書きたいんだけど、どうやって書けばいい?専業主婦に戻ってから早3ヶ月。6月の時候のあいさつと言えば、梅雨とか初夏とか麦秋、なんていうのもあったな。○○様におかれましては、ますますご清祥・・・その次はなんだっけ。家でFMラジオ聞きながら掃除したり、料理作ったりするのもお気楽でいいが、私は働いたり、何かを積み上げることが好きな質のようだ。どうやって書けばいい?という問いに対して、どんどんサンプルをPCで作っている。ふと手が止まって、目がらんらんとしていることに気付く。朝、新聞を開くとまずお悔やみ欄から目を通す癖がなおらない。私だけのあるあるネタだ。
2005/06/27
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昨日は幼稚園が振休だったので、娘のお友達のお母さんと連絡をとって、近くの公園でお弁当持参で遊ぶ約束をした。そこまでの道のりは新青梅街道を横切ったり、ファミレスやコンビニを何件も数えるのに、急に田舎ちっくな世界に引き込まれる道に入る。野草を中心にガーデニングされた陶芸教室や、無人野菜市、畳屋さんの前ではい草の良い香りが漂うのだ。木陰でお弁当を食べていると、ぴ~ぷぅ~というラッパの音がする。あれは何?と聞き耳を立てていると、あぁ、あれは豆腐屋さんよ。納豆やさんも来るよ。へぇ~、古き良き、だねぇ。と私は喜んだ。午後3時、お友達とさよならをして帰り道、畳屋さんのまえに1畳分のゴザがくるまって、「ご自由にお持ち帰り下さい」とある。青いい草のゴザを手にとっていると、お店の人がこっちがバラけないよ、と差し出してくれた。お花見なんかで使うと、良さそうだ。「頂いてかえりますね」と脇に抱えた。それから数十歩あるくと、無人野菜市のきゅうりがみずみずしくてまたついつい手に取っていた。100円を料金箱にいれて、持ち帰る。毎日ぬか漬けできゅうりは欠かせない。気のせいか、お肌の調子がいい。ゴザときゅうりと公園グッズでよたよたと歩きながら夏至のスローな1日が暮れていく。先週末の夜、近所の人工芝のグランドでひらかれた「100万人のキャンドルナイト」へ出掛けた。電気を消してろうそくの灯で夜を過ごそう、というイベントである。300個以上のろうそくが幻想的で、風が気持ちよくて、裸足になって足を投げ出した。地球環境のことを考えた。こんなささやかな夜が、なにか特別で環境に優しくて、とても豊かなものに思えた。
2005/06/21
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以前、父が我が家を訪れたことを日記に書いた。帰宅した日は、正直寂しかった。人の話をきかず、どこか考え方が自分に都合がよく物忘れの激しい父を、そばにいたときは鬱陶しく思っていたのに、帰った日は涙ぐみそうだった。あれから3週間後、娘がケータイで誰かと話をしていた。取り上げて「もしもし?」というと、それは父が妙な声をだし、娘と弾まない会話を楽しんでいた。「1週間後、泊まりにいってもええか」というので「い、いいけど」と答えた。よく聞いてみると、海外旅行の帰りの日が成田着で遅くなるので都内で一泊するのなら、孫の顔がみたいということだった。一抹の不安がよぎる。前回は都内から電車とバスで単純な道のりさえも難しかったのに、今度は成田からだ。だいじょうぶ、だいじょうぶ。と言う父をどうしても信頼出来ず、当日は到着ロビーまで参上した。やっぱり正解だった。帰宅したのは夜10時だった。明け方の4時、父のいびきは最高潮に達し、眠れなかった。ただ、どういうわけか、このいびきが夫のそれより許せた。若干、目にクマができた私に「ゆうべは眠れんかった」という父。・・・やっぱり許せない。空港から自宅に送ったスーツケースにお財布と、洗面道具と下着と広島の空港から市内までの復路のリムジンバスの切符を入れたままだったことを忘れていた父を、いまさら驚くこともないが、電話してきた母と笑った。改札まで見送ったときは、やっぱりまた寂しかった。
2005/06/14
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ここ1週間ぐらいで幼稚園で仲良くなったお友達のおうちに遊びに行ったり、いっしょに公園へ遊びにいったり、とおつき合いが多い。昨日はクラスのほぼ半数で、遠足だよね、これって。いう規模のピクニックに行った。レジャーシート上ではママ達がお喋りを、子供達はアスレチックでわいわいと遊びはじめる。「天井のお化けはもういなくなったのかしら?」ひとりのお母さんが話しはじめると、「あ、きいたよ。幼稚園の天井でしょ」と知っているお母さんが圧倒的に多い。話によると、クラスにハーフの女の子がいて、ある日突然、泣きじゃくりはじめた。「天井にお化けがいるから帰る」と大騒ぎだったらしい。子供って、ときどき何か目で追ってるよね?とひとりが言いはじめると、うんうん、何か子供にしか見えないものがあるんだろうね、と続ける。うちの娘はシックスセンスがないのかどうか、そんな素振りを見せることはない。呑気に今日も「おばけなんかないさ」と歌っている。
2005/06/09
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先週、スーパーで簡単にぬか漬けができる、という袋入りの簡易ぬか床が売られていたので試しに買ってみた。早いものでは5時間も漬けていればできるが、なんかこう達成感、のようなものが味わえない。漬け物が大好きな夫と娘のために、私はせっせとお弁当箱のぬか床に野菜を詰め込むが、あっという間になくなってしまう。かき混ぜ不要、使い捨て、というお手軽さもよいがやっぱりお手製に限る。と、いりぬか1Kg、100円を手に入れた。この安さも魅力的である。本当はホーローの本格ぬか床が欲しいところだが、あるもので済ます。普段は棚の上で眠る巨大タッパーウェアのおでましだ。全部の煎りぬかを1Lの塩水で混ぜ合わせたあとは、お茶パックに入れただし昆布、鷹の爪、にんにく、干し椎茸をいれて味付け。発酵をすすめるために、順調にできている自家製ヨーグルトと、食パン、パン屋さんでもらった酵母菌を入れる。今朝、かき混ぜてみたら早くもいっちょまえの匂いがした。くず野菜を入れてまた熟成を待つ。このワクワク感が、いい。
2005/06/02
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長女を妊娠していた時は、「和裁学校」に通っていた。通い始めたころは、お裁縫は大の苦手で、初めての作品は私の浴衣だった。いつ挫折するかわからないから、と反物は2000円程度のものを手に入れた。深いエンジ色に、淡いピンクや薄い青色のムクゲの花が大きく咲いた柄だった。反物だったときは単調な柄を竹の長いものさしに吊るして、柄合わせをしていくと想像をはるかに超えて、とても派手で夜空に浮かび上がる大輪の花火を思わせた。背中の右側に一番お気に入りの柄がくるようにあわせたら、身長に近い長さを並み縫いしていく。長いながい1枚の布が、どんどん立体的になるともう止まらない。肩が凝ってもスピードを上げて縫っていく。処女作を縫い終えた頃、育児書を読んでいた。「是非、手縫いのオムツで育ててあげて下さい」という行が目に入った。「手縫いのオムツ」。考えてみたこともない。紙オムツで蒸れて、不快な時間を長く過ごした子供はキレやすいと書いてあった。キレやすいかどうかはさておいて、やっぱりいつも清潔な布の下着のほうが、気持ち良いに決まっている。テレビをみていれば、1時間に数回は「紙オムツ」の宣伝をみる昨今で布オムツなんて古風ね、と周りに言われながら晒の反物を買い漁り1日、3枚づつ合計60枚縫った。もうこの頃は、お裁縫は私の日常で、指ぬきとピンクッションがいつも手もとにあった。長女が生れてからは半年間、手縫いのオムツがフル回転で活躍した。そよそよと風に吹かれて回転するオムツが気持ちいい。お役ご免となってからは、しばらく押し入れで眠っていたが掃除道具として、また大いに役立ってくれた。夫がギターを拭く時も、優しい生地が重宝するという。あれから4年、もちろん次の子も、布オムツで半年、いやもう少し長く、頑張ろうと思う。そこで、また役立っているオークション。なかなか反物は出品されないがひとつ、疑問に思っている事がある。中古でも、新品でも、必ず布オムツに入札しているママさん?がいてちょっと興味で、その人の落札履歴をみてみた。なんと、過去50回の評価のすべては「布オムツ」なのである。布オムツの出品者は、たいてい20枚以上、多い人で50~60枚程度出品する。気になる彼女の布オムツ所持枚数を計算。1回の落札が平均30枚だとして少なくとも1500枚!?・・・ありえない。このママさんは、オムツを使い捨てしているのだろうか。そよそよと吹かれるオムツの風車をみたことないのだろうか。私の一方的で、逞しい想像力のお陰でオークションの入札をみるたび勝手に嫌な気分になっている。きっと、なにか深い事情があるのかもしれない。できることならその事情を聞いてみたい気がする。
2005/05/30
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夕食の献立に困ると、私はすぐにオレンジページ.netをのぞいてみる。今日冷蔵庫にあるものと、自分の食欲に相談しながら。今日は、そうだなぁ。豚肉の薄切りもも肉でしょ、ピーマンなすび、じゃがいもがあるなぁ、と検索していくと24件ヒットする。「スピードポークカレー」という料理名に運命を感じた。妊娠6ヶ月目に入って、立ち仕事がだんだん辛くなってきた。この、スピードっていうのに、ぐっときた。作り方を見ていると、確かに簡単。実際に作ってみたら、所要時間20分弱だった。鶏ガラスープと、片栗粉とごま油を使うっていうは初めてだったが、ちょうど南蛮カレーうどん風の、和風味でいつもと違う趣きにも、感激した。レシピは以下の通りスピードポークカレー
2005/05/25
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今さらながら、楽天でカスピ海ヨーグルトの種菌スタートセットを購入してみた。気温がなかなか上がらなかったり、ヨーグルト用に牛乳を買っておいたのに、娘に飲まれてしまったりで1ヶ月近く、種菌は冷蔵庫で眠ったままになっていた。そして、昨日やっと開封した。粉末の種菌を活性化させてヨーグルト作りに挑戦した。説明書には、雑菌がつかないように熱湯消毒、と至る所に明記してあるので、それはそれは慎重にとりかかった。牛乳を室温に、というはホントに大丈夫なのかしら?と心配になったり、6~24時間なんていう時間設定もかなりいい加減で、プラスチック容器の白い液体とにらめっこの18時間だった。今日は気温が30℃近くまで上がったので、発酵してからはあっという間に固まった。次の種菌を取り分け、さっそく味見。スプーンをいれてかき混ぜると、糸をひくような粘り。これって、ヤバいんじゃ・・・ともう一度説明書を読み返した。「カスピ海ヨーグルトの特徴は粘りです」とあったので、気を取り直して食べた。濃厚で、酸味が少なくて美味しかった。しばらくマイブームになりそうである。
2005/05/19
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くもんのお風呂に貼るアルファベットのポスターを娘は指差しながら、(A)アップル!(B)バス!(C)カップ!と大きな声で言い始めたので、おぉ、すごいじゃないの、と聞いていた。さすがに私の子ね、なんてちょっと得意になりかけたころ、(D)ダック!・・・しばらく沈黙のあと(E)た~まごっ!!英語っぽく抑揚をつけると英単語になるかも、なんていう考えがなんとも可笑しく、かわいかった。
2005/05/17
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エッセイの先生との文通は順調に続いている。私のエッセイを受け取って、おそらく6時間以内に添削し、メッセージと参考までに、と内容や季節が似通ったプロのエッセイのコピーを添付して下さる。月曜日に投函したら、金曜日にはお返事がくる。無償でみてもらっているのに、なんだか気がひけてしまう。1ヶ月に1作品まで、と決めて何度も推敲を重ねて原稿用紙4枚程度に、これまでに教わったことを厳守して提出することにしている。先生は、小文に託して自分を語る事、りんださんのモノを観る感性と思索する努力を忘れずに、と励ましてくださる。これがとても嬉しくて次はどんなものを書こうか、とまた案を練りはじめる。つやつやとルビーのように輝くさくらんぼの直送販売のチラシをみながら、先生のお口にあうかな、と初夏の広島の空を思い出している。今回教わったこと:テーマに決めた事に対して、それをどう考えるか、自らをもっともっと語る。
2005/05/16
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本日、私の父が上京する。仕事で上京して、今日の夕方には用事がすべて終わるらしいが、チケットの手配などは人任せになっているらしいし、行きは同乗する方達がいるとのことで、父はいつ、どこで、という情報をまったく把握していない。まぁ、いつもそんな感じのひとなので、いまさら驚く事もないが、こちらとしては落ち着かないったらありゃしない。今日、我が家に泊まる、というのも二転、三転してようやく泊まることに決まった。昨日の時点で、電話があるかな、と思っていたが何もない。いったいどうするのかしら、と朝ぼんやりと考えていると、携帯が鳴った。父は家に居ても携帯から携帯へ電話する。「おう、おはよう。家主さんにお土産はいらんかいの?もみじ饅頭でも・・・」いやいや、お父さん。そんなのいいから、今日はどこから何時ぐらいに家にくるんですか。さてさて、父をもてなすため、お買い物にいくとしよう。
2005/05/10
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今日は端午の節句の縁起物、菖蒲湯に浸かった。うまれて初めての経験であった。つわりが治まってからというもの、私は大好きな銭湯に週1の割合で通っている。近所にこじんまりとした正統派の銭湯がある。先週、「5月5日は菖蒲湯」という貼り紙をみて楽しみにしていた。菖蒲の葉の束がスーパーに並んでいるのをみてけっこう長くて本当に剣みたいな形をしているのね、と手に取って鑑賞した。広島では、あまり一般的ではないような気がする。夕方5時を回ったころ、夫と娘と私の3人で手を繋いで銭湯に向かった。「くじびきをどうぞ」と番台のところで竹串を差し出された。私も夫も無地。はずれである。一等は風呂桶だった。浴槽にオレンジ色の(みかんのネットみたいな)袋にはいった30本程度の菖蒲の葉の束が5つ、浮かんでいた。「そのまんま浮かべちゃうんだ。しかもこんなに」いつか温泉でバラの花びらをこれでもか、というほど浮かべたお風呂に入った事があるが、同じくらい、いやもっと、この伝統的な風習に感激した。夕方の気持ち良い風に吹かれながら帰った。「赤ちゃんは男の子かな、女の子かな」と話した。夫は銭湯ではいつも独りだから、男の子がいいな、と小さな声で言っていた。
2005/05/05
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