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その土曜の夜、ハワード達はクラブ遊びに出かけていった。私が土曜の夜だと言うのにまったく出かける気配を見せないので、彼は不思議がっていた。イギリス人である彼にとっては、土曜の夜というのはクラブに出かけずに済まされてはいけないのだ。ルイーズも昼間あれだけ動いていたにも関わらず、7時くらいからもうそわそわしていた。ハワードが、出かける間際になってベランダから2階に向かって大声で「ギャズ(ギャリーのコールネーム)!早く降りてこないとおいていくぞ!」と怒鳴ると、ギャリーがそそくさと階段を下りてくる音が聞こえ、続いて玄関のドアをノックする音が聞こえた。このフラットはオートロックになっているので、鍵は常時閉まっている。ハワードが玄関まで行って、ギャリーを中に入れた。ハワードはアイロンの効いている見た目がシルクのようなシャツに黒いスラックス、それに磨き上げた黒い革靴といういでたちだった。ルイースは普段はさげているセミロングの髪をアップにし、黒いドレスだった。ギャリーは私と会ってから初めてTシャツを着ていた。下はジーンズだが、靴はサンダルではなく、ホーキンスかレッドウイングみたいなブーツだった。日本でのクラブ遊びを基準に考えていた私にとって、彼らの格好は意外なものだった。まるでフォーマルなパーティーにでも行くような服装だ。だが、イギリス系の国にとって、クラブとはピカピカに磨き上げられた革靴が似合う服装で繰り出すのが普通らしいことを後から知った。私の通っていた語学学校の前にある「MELBUZ」というクラブでは、ショートパンツ、サンダル、ジャージ類、そして帽子類も禁止。私が初めてそこに入った時には、ショートパンツこそ履いていなかったものの、アディダスのベースボールシャツにニューヨーク・ヤンキースのキャップ、そしてナイキのスニーカーに破けジーンズという格好で、入り口にいた2m近いバンサー(用心棒)につま先から頭のてっぺんまで驚愕のまなざしで観察され、困り果てたような顔で「キャップを取ってくれ」と言われて何とか入れてもらえた。中に入ると、どの若者も踊るには堅苦しすぎる服装に身を包んでいるのにもかかわらず、一様に気分よさそうに踊り狂っているのを見て唖然としたが、慣れてくれば自分の服装がいかに場違いであるか良くわかった。バンサーがキャップを取っただけで入れてくれたのが不思議なくらいだった。日本のクラブ事情と海外、特にイギリス系の国ではクラブに関するとらえ方がだいぶ違う。日本のクラブはどちらかというとアメリカ寄りだろう。私はハワードのフラットに住めたことで、ワーキングホリデーに来た理由の半分ほどを達成した気分になっていた。あとはいかに長い間、このフラットでハワードと一緒に過ごすかという時間と資金の問題だ。昼間のようなペースで英会話の機会があれば、どこの語学学校よりも実践的なレッスンになる。フラットにいるだけで、私にとってはそれが海外旅行であり語学留学なのだ。わざわざ土曜の夜に繰り出して貴重な資金を減らすことも無かった。仕事が無くなった今となっては、次の仕事が見つかるまで、可能な限り生活資金を切り詰め、滞在期間をできるだけ長いものにするのだ。その時の私の資金残高は60万円ほどだった。半分ほどがトラベラーズ・チェックでスーツケースに入っており、残りのほとんどはウェストパックという銀行の口座に入れてある。それから、日本に帰ってから静岡までの電車賃として3万円ちょっとが日本円でスーツケースのシークレットポケットに入っている。帰りの航空券がおそらく7万円ほどかかるだろうから、実質的に使える現金は50万円ほど。まったく必要以外に支出がなかったとしても、6ヶ月過ごせれば良い方、という程度の資金だ。何としても1年間、フルに滞在したい。仕事を見つけることの厳しさを身をもって知っているだけに、これからは就職活動に精を出すことと同じほど、節約にも勤めなければならない。結局、ハワード達を見送って、私は1人でフラットに残った。ハワードは買ったばかりのディスクトップが盗難にあうのがいつも心配だったらしく、私がその夜もフラットに残ることを喜んでいた。部屋に戻って寝るときもリビングの電気は点けっぱなしにして欲しいと言った。常に誰かがいるように見せておくのだそうだ。ゴードンのフラットと違い、ハワードのフラットは湿気などは全くなかった。私にあてがわれた部屋は4畳半ほどのじゅうたん敷きのものだが、ベッドはなくてスプリング入りのマットレスを2段重ねにしたものが置かれていた。寝心地は当然ながらベッドと変わりなく、ハワードはそのクッションをグイグイと押しながら「これなら結構激しいのをやっても大丈夫だ」とニヤケながら言った。部屋には大きな窓もあるので換気には困らないが、一日を通して直射日光があたることはない位置にある。だが、これはハワードとルイーズの部屋も同じことなので、特に悪いことではない。なにせ、私はこれから先、ここでは寝るとき以外はリビングに居続けるだろうから、自分のベッドルームは寝られさえすればよいのだ。実際、現地の人がフラットを選ぶときは、自分にあてがわれる部屋よりも、リビングやキッチン、シャワールームなどを基準にすることが多い。このフラットに関する限り、リビングもシャワールームもキッチンも申し分なかった。キッチンは大きなグリルが3つと特大オーブン、そして冷蔵庫がある。残念ながら電子レンジはなかったので、好物のミートパイは温められそうにない。シャワールームは私の部屋と同じくらいの広さがあり、シャワーの一画だけガラスで仕切られており、残りの広いスペースに鏡台とバスタブがあった。ほとんど坊主頭の私は鏡を見ながら髪形を整えることはないので、このシャワールームもまったく問題なかった。フラットの建物のプールがある反対側が掘り下げられるように低くなっており、実質的にはフラットの地下になる高さにガレージがならんでいる。ハワードの「オスター」のワンボックスは常に路上駐車で、ルイーズがまれに乗るフォードはこのガレージに入れられており、めったに使われることはない。このガレージと道路の高低差により、私の部屋でもガレージの地面から3メートルほどの高さがある。これは侵入者を防ぐ意味でも大変意味のある構造といえる。
2005年08月18日
こうしてサーファーズ・パラダイス、フリデリックストリート33番にあるフラットで、イギリス人のハワードとルイースとのシェア生活が始まることになった。ハワードのフラットを金曜に見に行った時、私は条件を質問するなかで彼に「いつからなら入れる?」と聞いた。彼が「いつからでもいいよ」と答えたので、私は冗談半分で「今からでも良い?」というと、一瞬間を空けてから「もちろんさ!」と驚いたように答えたが、私は言いなおして「いやいや、明日からでお願いするよ」と言った。そして次の日の土曜の午後一番でゴードンのアパートから引っ越すことになった。ゴードンのフラットからはバスを使っても移動できたのだが、ハワードがルイースを迎えによこすと言い張るので、私は行為に甘んじることにした。ルイースは土日が休みらしい。ゴードンは、私がハワードのフラットを決めたと彼に報告した後も、何とか私を引き止めようと、かなりの好条件を提示してきた。「電気代はいらないから」とか、「週に55ドルでどうだ?」とか、「じゃあ週55ドルで、電気代もいらない。ついでにボンドもいらないから」しまいには「好きなだけテレビを見ても良い。夜中でもかまわない」などと、ネイティブでもめったに得られない好条件を提示してきた。だが、逆に言うと、共同利用となるフラットの設備の使用に、安い家賃にかこつけて制限を受けないためにも、ある程度の額は払うのが得策だ。ゴードンはこういった交渉ごとに慣れていないらしく、条件を提示しては私が受けないことを何度か繰り返し、結局私を引き止められないことがわかると、交渉べたな自分を恥ずかしく思っているように照れ笑いを見せた。彼はしつこくはなかった。あきらめたように、「君のような静かなフラットメイトにはもう出会えないだろうな」と、ぼそっとつぶやいていた。私も同感だった。部屋にこもって必要以外まったく音をたてないフラットメイトなど、日本人以外にはいないだろうし、私以外のワーホリメーカーがここに好んで居つくとも思えなかった。次の日、土曜の午後1時に、ルイースが私を迎えに来る予定なので、私は約束の時間より早く、昨日ハワードが私を拾った道路わきで彼女を待った。ゴードンとは玄関で別れの挨拶をした。彼は苦々しい顔で私を送り出したが、それは私に対してではなく、せっかく決まったと思ったフラットメイトが出て行ってしまうことへの気持ちをあらわしたものだった。たった一度だけ彼の気分を害した私だったが、それ以外では私は理想を超える良きフラットメイトだったに違いない。彼は私に「これからのオーストラリアでの滞在が上手くいくように」、と言ってくれ、静かに送り出してくれた。私は笑顔で彼の手を握り返したが、彼の顔を見るのもこれで最後かと思い、不謹慎ながらほっとしてしまった。ルイースも欧米人だから、きっと時間通りには現れないだろうと思ってはいたが、しかし約束の時間を30分過ぎてもいっこうに現れる気配を見せない。私は昨日のハワードとの会話で自分が時間を聞き間違えたのかと心配になった。英語で早口に時間を告げられると、一瞬、数字に結びつかないことがある。私はいずれにせよここで待っているしかないなと思い、気長に待つことにして道端に座り込んだ。ところが、ルイースは2時を過ぎてもまだやってこない。私はいよいよ不安になり、ハワードのフラットに電話しようかとも思ったが、公衆電話を探すためにここを離れたすきに彼女が来てしまうことを恐れ、結局動くことができなかった。「まだ来ないのか?」私は突然背後から声をかけられ、思わず飛び上がった。フラットのフェンス越しにゴードンが立っていた。私はきっとルイースが何か急用で遅れているから、ゴードンに電話して私にそのように伝えて欲しいと言ったに違いないと思った。「電話でもあったの?」私が聞くと、ゴードンはあっさり「無いよ」と答えた。私は唖然としてしまった。私は本当に何かとんでもない聞き間違いをしたのかもしれないと不安になった。もしかしたら、ハワードは私を迎えに来るなんて言わなかったのかもしれない。サーファーズまではバスで一本だから、そもそも迎えに来るほどの距離ではない。私は自分が待たされたことはどうでも良かったが、もし昨日の会話を聞き間違えて、本当はルイースがサーファーズのどこかで私を迎える予定だとしたら大変だと思った。私が彼女を待ちぼうけさせてしまったことになる。だが、それを確かめようもない今は、とりあえずここでもうしばらく待つしかなさそうだった。私はゴードンがなぜ電話もないのにここに来たのか不思議に思い聞いてみた。「いや、ちょっと心配になってね。しかしルーズなやつだ」彼はそう答えたが、私はそれを聞いて逆に不気味に感じた。本当なら、私は1時の迎えの車に乗ってとっくにサーファーズに行っているはずなのに、わざわざ2時過ぎに道路わきにたたずんでいる私の様子を見に来るだろうか。もしかしたら彼は遠目に私の様子をずっとうかがっていたのかもしれない。私を乗せた車が走り去るのを見届けて、自分はまた新しいフラットメイトを探さなければならないことをしっかりかみ締めようとでもしたのだろうか。ゴードンは彼の所属しているキリスト教宗派のお祈りの言葉を言って、その場を後にした。意味は良くわからなかったが、なにか「君に幸あれ」、みたいなことだった。その時のお祈りの言葉とまったく同じものを、ハワードのフラットへ移ってから数ヵ月後のある日曜の午後に、とづぜんやってきてにこやかに小冊子を差し出す勧誘員から再び聞くことになるのだが。結局、半ばバスで行くことを覚悟したころに、ルイースがベージュのフォードワゴンでさっそうと現れた。すでに3時近くだった。彼女は何事も無かったように満面の笑顔で私のスーツケースを積み込むのを手伝い、私に助手席に乗るように促した。私は何の屈託もないその姿を見て、てっきり1時と3時を聞き間違えたんだろうと思っていた。ところが、その夜にハワードから「ルイースのやることはまったく信じられない。君を迎えに行ったのは3時だって?2時間も遅れてきて君は何も感じなかったのか?」と言われ、私はてっきり3時の待ち合わせを1時と聞き間違えたんだろうと思っていたと言うと、「あいつのエアロビ狂いにも困ったものだ。今日も1時に君を迎えにいくはずが、どう考えてもそれに間に合うハズのないクラスに2つも出てからようやく君を迎えに行く気になったらしい」と聞かされた。結局私はハワードの話をしっかりと聞き取っており、つまり1時から2時間も待ちぼうけを食らったのは勘違いでもなんでもなかったのだ。だが、フラットに着いてから夕方ハワードが帰ってくるまで、ルイースは日本人で英語も満足に話せない私との会話をかなり楽しんでいて、それはネイティブとの会話の機会を欲してやまない私にはまたとない英会話実践の機会になったから、今日の彼女のことに関して私はまったく不愉快だと感じなかった。会話の途中で、彼女は自分の勤める語学学校のテキストを持ってきて、私の英語力がどれくらいかをテストしたり、わからない問題があると、先生になったように丁寧に教えてくれた。私はこんなフラットメイトを得られたことは奇跡だと思った。この調子なら、ここで1年も暮らせば相当な英語力が身につきそうだ。多くのワーホリメーカーが滞在期間中にさまざま都市に移り住むと聞いていたが、私は何が何でもここに居座るつもりになった。旅行者のようにどこに行ってもよそ者でいるより、一箇所にとどまって、私がオーストラリアのとあるフラットにいることを近所の誰も不思議に思わなくなるほど溶け込みたかった。そのチャンスがようやくめぐってきたことになる。私は出て行けといわれても行かないくらいの覚悟を決めていた(笑)
2005年08月16日
しばらくビーチにたたずんで途方にくれていた。なにもかも上手くいっているなら、きっとこの夕暮れのオレンジ色に染まったビーチの眺めを堪能しながらオーストラリアに来たことを感じ入っているだろう。しかし、今の私にはどこもかしこも八方塞りという圧迫感にさいなまれていて、逆にこの景色が私に帰国を促しているようにすら思えてくる。ハワードというオージーのフラットの電話番号は協会からもらっていたから、しばらくしたら電話をかけて先に在宅かどうかを確認してから見学に行けば、さっきの刺青男には会わなくて済むかもしれない。ハワードという人物があらかじめそこにいてくれれば、もう一度見学に行けなくもない気がする。時計を見て、刺青男に追い返されてから10分ほど経っているのを見て、私は気を取り直し、ビーチに沿って平行に伸びるエスプラネードに見える公衆電話に向かった。面と向かっての英会話もままならないのに、電話で会ったこともない人物と話すのは非常に骨の折れる仕事だ。私は相手が電話にでたらまず何といって話を進めたらいいのか適当な言い回しが思いつかなかった。だが、要は「今からフラットを見に行く」ということだけ伝えられればいいのだから、「始めまして」や「ナニナニというものですが…」などは飛ばしてしまってもかまわないだろうと思った。本題に入らないうちにその挨拶が私の悪い発音のせいで通じなかったら、初っ端から会話が滞ってしまうことにもなりかねない。電話での会話は、特に英語ができない者にとっては、ジェスチャーを使えない分、普通の会話の数倍もやっかいなことだ。緊張して動きが鈍くなった指先で、ほんの数十メートル離れたフラットの番号をプッシュする。プッシュした番号が正しいことを告げるように、日本のものより味気ない機械じみた呼出し音が鳴る。2、3回の呼び出しまではかなり緊張したが、4、5回と鳴るにしたがって、まだ不在なのか、と逆に安心してしまった。フラットにも行ったし、電話もした。約束の時間からはもう30分ほど遅れているから、協会に私はやるだけのことをやったけど上手くいかなかったと報告しても良いだろう。さっきのフラットに再度果敢に乗り込んでいって、ハワードという男が帰ってくるまでどうどうと表で待っているほど自分は気が長くないんだ、と自分を納得させる。本当のところは、問答無用に早口でまくし立てるネイティブと自分のつたない英語で交渉し、その通じなさに自分で閉口するのもうんざりだったし、みすぼらしい部屋を「ここが君の部屋だよ」と紹介されるのも飽き飽きしていた。だが、今、ハワードという男と話もせずに帰ってしまったら、いやおうなくゴードンのところでまたシェアをすることになる。それでも私はあの危ないフラットをもう一度訪れる気分にはなれない。私はハワードという人物とのフラット交渉を放棄して受話器を戻し、今度は協会の電話番号をプッシュした。本当は私がもっと粘って彼が帰ってくるのを待ってから再度交渉すれば良いだけの話だが、今日の私は土産屋を辞めてきたことも手伝って、相手が約束の時間に現れないことを言い訳にして投げやりになっていた。協会のスタッフが電話に答えると、私はここの段取りをつけた女性スタッフにつないでもらった。私は今フラットのそばの公衆電話からかけていること、約束の時間に見学に行ったら不在だったこと、それからガラの悪い刺青男に追い返されたことなどを大げさに話した。「ハワードさんが帰ってくるのをもう少し待ってみたらどうでしょう」、と言われるのがいやだったから、相手にそう切り出す隙を与えないよう、あえて少しばかり怒っているトーンで話した。いつだって助けの入らないネイティブとの会話には憔悴させられるのだ。「お話では、ハワードという人は気さくな好青年らしい印象を受けたんですけど、本当に大丈夫だったんですか?あの刺青男を見る限り、彼も同じような危ない人間に思えて仕方が無いんです」私は正直にそう思っていた。今回も協会は私のフラットの問題を適当に解決したいがために、怪しい物件をあたかも良い物かのように吹聴したんではないだろうか、と思われてきて、話しながら自分の話し方がかなりキツくなっているのがわかった。女性スタッフは必至に弁解している。「そんなところだったとは知らず、すみませんでした。協会に来たときのハワードさんは本当に好青年でしたよ。とても柄の悪い人間には思えませんでした。でも、もしかしたら、そのフラットは危ないかもしれないですね。とりあえず私の方から再度、ハワードさんに連絡を取ってみます。約束の時間に居なかったのは確かなので、その点はご指摘しておきます」私はそれを聞いてほっとした。とりあえずネイティブとの間に英語の堪能な仲介が入ってくれると、それだけで安心する。いずれにせよ、今日はゴードンのフラットに帰ることになった。フリデリック・ストリートの近くのハイウェイ沿いでバス停を見つけた。私がいつも使っているブロードビーチ行きが通っているはずだから、私はそこでバスを待った。バスが止まるたびに運転手に、通じるかわからない英語で「ブロードビーチに行く?」と聞いてみる。2、3台の運転手が「パシフィックフェアーで停まるから、別のブロードビーチ行きに乗ったほうが良いよ」と言った。しばらくしてようやく「停まるよ」と答える運転手のバスに乗ることができた。私は自分がひどい発音をしていることは承知しているが、停まったバスの入り口まで行って運転手に質問するには大きな声で話さなければならない。運転手の近くの客は、私が外国人であることをすぐに見て取った顔をした。「あぁ、こいつは外国人でバスの乗り方もろくにわからないんだ」というような顔を見たくないから、なるべく英語を人前で話したくないのだ。黙っていれば普通に溶け込めるものを、声を出してしゃべったばかりに、周りからはうじゃうじゃ沸いているアジア系外国人であることを悟られた視線を受ける。自分の英語がいかに未熟かを思い知らされる瞬間だ。ゴードンのフラットについて玄関のドアを開けると、いつものようにゴードンはソファーに寝そべってテレビを見ていた。私は彼の顔を見て、不思議と安心している自分に気づいた。今日私に起こったことを考えると、ゴードンは極めて私に友好的な人間であることがわかる。私は急に彼が長年の友人であるかのように、親しみを込めて「やぁ」と挨拶した。彼はテレビから視線をはずさずに私に答えたが、それすらも彼がいかに安全なフラットメイトかを象徴しているかのように思えてくる。「さっき、ワーホリ協会から電話があったよ。それから、ハワードとかいう、君の引っ越す予定のフラットの人からも電話があった」ゴードンは私というフラットメイトをもうじき持っていかれてしまう、というようなふてくされた感じでぶっきらぼうに言った。だが、私はこんなに早く協会から電話があったのにまず驚き、そしてハワードという男が私に直接電話してきた事にさらに驚いた。まるであの刺青男がここにまで押し寄せてきたかのような恐怖をうっすらと感じた。ハワードという男は、直接電話で話したところで、私が会話の半分も理解しない程度の英語力しか持っていないことなど知らないのだろう。金を持っている日本人を何が何でもフラットメイトにして、どんな手を使ってかしらないが有り金を全て巻き上げる腹づもりなのだろうか…私はその日ばかりは部屋にこもる気分にはなれなかった。着替えもせずにゴードンの隣に腰掛け、今日起こった事の次第を彼にべらべらと話し始めた。彼はいままで私がそんな風に話すのを見たことが無かったから、何事かという驚きを何とか抑えた顔でソファーから体を起こして私の話を真剣に聞いてくれる。私はゴードンがさらに身近に感じられた。「やっぱり刺青をした男がうろつくようなフラットは危ないんだろうか?」私はオーストラリア人である彼ならその辺の事情に完璧にに答えてくれることはわかっていた。「サーファーズ・パラダイスには、ドラッグをやっている若者がたくさんいるよ。そういう連中はだいたい2、3人でひとつのフラットに暮らして、年がら年中、マリファナを吹かしている。タトゥーだって、まともな職業についている人間ならしているわけがない。話を聞く限りでは、そこは危なそうだね」ゴードンの答えは私の受けた印象とまったく適合したので、私はフラットを見ないで帰ってきたのは正解だと思った。そこで、ハワードという男とゴードンが話したはずだということを思い出し、ハワードは電話でどんな印象だったか聞いてみた。きっと言葉使い悪く、「さっさとそこの日本人をだせよ」などど言ったに違いない。「いや、それが、君の話を聞いた印象と違ってね、かなり丁寧でしっかりしたしゃべり方をしていたよ。あとでかけなおすと言っていた」私はゴードンの受けた印象は意外だと思った。私はすっかりあのアパートは却下したつもりだったので、ゴードンのフラットにまで電話をかけてくる彼を警戒した。そう話している矢先に、電話が鳴った。私は、もし電話がワーホリ協会でなくハワードなら、私につながないで欲しいとゴードンに言った。どうせ電話では英語がほとんど聞き取れない。ゴードンに代わりに話してもらっても同じことだ。私は続けて、ゴードンに「僕はそこに移る気はないから」、と言った。彼はフラットメイトが去らずに済むかもしれないと思ったようで、私に大きくうなづくと、勢い良く電話に向かった。ゴードンが電話を取った。相手はやはりハワードという男だった。ゴードンは私に言われたとおり、今日フラットで私が刺青の男に追い返されたことなどを、やや大げさに言って彼を諦めさせようとしていた。ゴードンが早く電話を切って「もう済んだよ」といってくれることを期待していたが、相手は食い下がっているらしく、ゴードンはなかなか電話を切らない。ゴードンは何か不満そうな面持ちをしながらしばらく相手の言うことに耳を傾け、それから何か了解したようなことを言うと、ようやく受話器を置いた。私はこれでゴードンのフラットにいることになるな、と思いながらも、それをもはや不満には思わなくなっていた。ところが、電話を切ったゴードンの口から出たことばは意外なものだった。「今からハワードがここへ迎えに来るそうだ。とにかく1回、部屋を見て欲しいそうだ。断ったが、何が何でもゆずらなかったよ。同じフラットメイトを探している者なら気持ちはわかるはずだ、とまで言われてしまってね。私も断りきれなかった」私はあまりに突然なことに驚いて、途端に落ち着かない気持ちになった。どうしたらいいだろうか、と困り果てた表情でゴードンに向きなおると、彼は「大丈夫だよ。彼は本当に良い人みたいだ。刺青の男のことは謝ると言っていた」と言った。「だが、フラット見学の時間に遅れるなんて、やっぱりいい加減だよな」と付け足した。私は本当に大丈夫だろうかと思ったが、どうもハワードという人物は、誰の印象も「良い人」になる。「刺青の男のことは謝る」っていうのは果たしてどういう意味だろう。もしかしたらハワードの方が、あの刺青男よりも身分が上なのか?そうなると、余計にハワードという人物が不気味に思えてくる。いずれにせよ、迎えに来ると言ったからには来るだろうから、とりあえずフラットを見に行って、その後できっちり断ればいいだけだ、と私は自分に言い聞かせた。(続く)
2005年08月11日
唖然としているほかのワーホリ従業員達を尻目に、私はさっそうと土産屋を後にした。オーストラリアでワーホリメーカーが就ける仕事の求人は常に飽和状態。ワーホリビザの「同じ雇用者の下で3ヶ月以上働いてはいけない」という条件のため、ワーホリメーカーを雇っている店は必ずいつかは求人を出す。しかしながら、のどから手が出るほど仕事が欲しいワーホリメーカーがここにはわんさかいるので、求人の出る瞬間をねらって一番乗りになれるよう、毎日でも求職活動していかないと、仕事はまず見つからない。土産屋をやめたのは正しいことだとわかっていても、私は先のことを考えると沈んだ気持ちになった。仕事がこれから先、もし見つからなかったとしたら、持って来た資金ですごせるのは長くて半年だろう。オーストラリアで許された滞在期間が一年間あっても英語を学ぶためにはとうてい十分でないと思っているのに、半年で英語が不自由なく話せるようになるとは思えなかった。つまり、仕事を見つけて資金を補充し、できる限り長く、可能なら1年きっちり滞在できるようにする必要がある。私は学校へ行っているわけではないし、毎日普通の会話に付き合ってくれるネイティブがいるわけでもないから、今の生活ではそれこそほとんど英語を話さなくても普通にすごすことができている。オーストラリアでの最大365日間の滞在のうち、すでに30数日消費してしまったが、まだ日常会話もままならないのだ。毎日英語を朝から晩までしゃべり続けても、帰国するまでに満足できる英語力が身についているか不安になった。オーキッド・アベニューをカヴィル・アベニューへ向かって歩きながら、私は憂鬱な気持ちが背中をきしませる重たい荷物のようにのしかかってくるのを感じていた。だが、なるべくそれは表に出さないように気を取り直して、ワーホリ協会へフラットの地図をもらうために向かう。ワーホリ協会でフラットの話をすると、だいぶ気が楽になった。ネクタイ姿の私を見たスタッフは「仕事は順調ですか?」と遠慮なく聞いてくるが、私は細かいことを語らずに、「上手くいっていますよ」とだけ答えた。もらった地図を見ながら、カヴィル・アベニューをビーチの方へ歩いていく。今すぐにでも、土産屋で勤務していた名残りであるこのネクタイとシャツを脱ぎ捨てたかったが、フラット見学の時にはこのままの格好の方が適当だろうと思ってそのままにした。ゲーセンやマクドナルドで時間をつぶしながら、語学学校の友人達に仕事が決まった時におおいばりで自慢したことを思い出した。実際仕事を見つけるのがいかに大変かわかっていた彼らだから、私が就業したことは彼らに希望を与えることになった。彼らも「私もがんばろう」とやる気になっていた。そんな私がわずか5日ほど勤めたあげくに解雇に近い形で辞めたと知ったら、彼らはどんなことを言うだろうか。いずれにせよ、彼らにはワーホリメーカーが就ける仕事がつねに健全なものではないこと、私が経験したような裏事情があることを説明してやる必要がある。だが、彼らの前にこんな状況で顔を出すのはじつに気が引ける。ワーホリメーカーの間には、いかに自分が理想的なワーホリ生活を送っているか、競うようなところがある。だから、私は一度はみなより一歩リードしたかに見えたがすっかりスタートラインに戻されてしまった今の姿を、できることなら彼らに見られたくなかった。私は地図を眺めながら時計を見た。もうそろそろフラットに向かって歩き始めた方が良い時間だ。私は地図で道順をたどり、そのフラットまでは、ハードロックカフェ(当時)のあるカヴィル・アベニューの交差点からゴールド・コースト・ハイウェイへ折れてまっすぐ南へ行けば良いことがわかっていた。地図では、フラットはフリデリック・ストリートをビーチに向かって少し行ったところの右側に面している。通りには必ずストリートの名前を書いた標識があるから、ハイウェイを歩きながら、一本一本ストリートの名前を見ていけば、必ずフリデリックストリートが見つかるはずだ。まだ時間には余裕があるので、私は徒歩でゆっくり歩いていく。ハンラン・ストリートより南へ徒歩で行くのは、これが初めてだ。迷子になったら、などという幼稚な不安があるが、そもそもハイウェイを1回フリデリック・ストリートに折れるだけの道のりなので、迷うわけがないことに気づく。歩いて進むハイウェイはバスから見るのとは違った景色を見せてくれる。ブロードビーチへ向かうバスから何気なく眺めていた風景も、実際ハンラン・ストリート以南は特別目に付く建物がないので特に気にしたこともなかったから、フリデリック・ストリートがそのどのあたりなのかは見当がつかなかった。豪勢な噴水のオブジェがあるウォーターマーク・ホテルを通りすぎると、私はとんでもなく遠くへ来てしまったような気分になり、再び地図でストリートの名前を確認するが、まだ自分が道のりの半分も歩いていないことを知って安心した。フリデリック・ストリートを見落としてしまい、途方もなく行き過ぎてから戻って待ち合わせの時間に遅れるようなことだけは避けなければならない。高層ビルもまばらになってきて、平屋の建物とフラットが多くなる。ハイウェイ沿いには小さい果物屋やボトルショップ(酒屋)がちらほら見える。まだそれほど歩いたわけではないが、すっかりサーファーズ・パラダイスの活気からは遠ざかってしまった感がある。それからしばらく行くと、自分の歩いている側にアジアンレストランらしい黄色の派手な看板が見えた。もらった地図には載っていなかったので、近づいて観察すると、こういった郊外にしては意外と大きなレストランだった。看板には電話番号と住所が書いてあるが、そこに「フリデリック・ストリート・2」と書いてある。私はそこを折れて通りのストリートネームが書いてある標識を確認し、そこがフリデリック・ストリートだとわかった。目的のストリートを見つけた途端、私は土産屋の出来事を思い出す余裕もなく、一気に緊張した。思ったよりも陰気な雰囲気のストリートだ。人気がなく、しんみりとしていているから、余計に不気味な感じがする。「この道を1人で歩いてはいけません」と警告されているような空気が漂っている。フリデリック・ストリートの両側を眺めならが、番号を確かめる。どの家やフラットにも、庭先の塀や建物のカベに、真鍮でできたような大きい数字がかかっているので、ストリートの名前と番号がわかっていれば、知らない場所でも簡単にたどり着くことができる。目標のフラットは33番にある。レストランがある側から1、2、3…と続き、ビーチの端まで行って折り返して27、28、29…となっている。私はビーチの方へ向かって歩いていき、目当ての33番を見つけた。3階建てのアパートのようなフラットで、ベージュ色のまだらな壁。庭先には共同のプールがついていて、2メートルほどある鉄柵で囲われている。建物はひと気が全く無く、廃墟のような静けさだ。フラットを囲む低い柵の一角に並んだ部屋ごとの郵便受けのいくつかからは、ジャンクメールが乱雑にはみ出している。どことなく不気味なこの建物を見て私は一瞬ひるんだが、それでもここの若いオージーとのシェアはなんとしても成功させなければならないので、やや重くなった足取りで、郵便受けのある柵の、もうしわけなさそうな腰の高さほどの扉を空け、中に進んだ。ハワードと言っていたオージーの部屋は102号室。フラットの建物に入って一番最初のドアだ。彼の部屋は、1階で唯一、フリデリック・ストリートからベランダと窓が見える位置にある。進みながら、ベランダにも生活感のあるものがなく、全ての窓にカーテンが閉めてありおそらく不在であろうことは察しがついた。それでも遠慮がちにドアをノックした時は、静まり返ったフラットに自分のノックの音が響いてしまい、ドキリとして心臓が体中に大量の血液を送り出した。ひと気はなくても在宅かもしれない、と思ったが、結局2回目のノックでも誰も答えなかった。私は交渉の細かいやり取りを英語でしなければならない重圧からつかの間、開放されてひと息ついた。ハワードの帰宅は遅れているようだが、少しばかり表をうろついていればそのうち戻ってくるだろう。その間に、もう一度、いろいろな質問を英語でする練習をしておけば良い。余裕があれば、週100ドルと言っていた家賃を値切ってみるのも良いかもしれない。102号室のドアから離れ、プールの脇を通りぬけて通りに出ようとしたとき、正面の門から私と変わらないほど長身の白人の男が私に向かって進んできた。上半身裸にショートパンツといういでたちの彼の、その肩口から背中までを、とぐろを巻くドラゴンの刺青が埋め尽くしていた。私はそれまでオーストラリアでがらの悪そうな人間にあったことは無かったが、このとき初めて、この男とは関わるのを避けた方が良いという直感が働いた。私はその男を避けるように迂回して通りに出ようと思ったが、彼はこちらを見ると視線を定めたままそこに立ち止まってしまった。さらに悪いことに、私にはなまりが強すぎるアクセントでなにやら話しかけてきたのだ。「なんか探してるのか?」半笑いしながらぶっきらぼうに聞いてくるので、私の想像は勝手に悪いほうに飛躍してしまった。このフラットはドラックディーラーの集まりなのか?この長身の男はヤクでラリっているのか…?用も無く勝手にディーラーのフラットに足を踏み入れた日本人を、黙って返すだろうか?私は最悪の場合はこの男を叩きのめして逃げるしかないと思った。いくら危ない人間とはいえ、服装からして武器を持っていないだろうし、素手なら十分勝ち目がありそうだ。「いや…あの、ここのハワードという人がフラットメイトを探しているそうなので…見学の予定なんです」私は丁寧に答えた。なにかとんでもないフラットを協会から紹介されてしまったらしい。「ハワードはいねぇな。何時に待ち合わせしてるんだ?」ハワードは「いない」んじゃなくてこいつが「消した」んじゃないだろうか…そんな行き過ぎの不安まで浮かんでくる。私は時計を見て、「今です」と答えた。「あぁ、そりゃ無理だな。あいつはいつも18:00位にならないと帰ってこねぇから。その辺で待ってればいいだろ」私はハワードというのはいったい何物なんだと思った。この男から想像するに、ディーラーの下っ端のモヤシみたいな男か…使い走りのような男か…私はその男に「じゃあ待ってます」と言ってフリデリック・ストリートに出た。そう口では言ったものの、後でここに戻ってきてハワードという男に会う気はすでに失せていた。このフラットも却下だ。ビーチへ向かいながら、恐る恐る振り返ってみると、表の通りまでさっきの男が出てきており、まだ私の方をにやついて見ていた。私ははっとなって顔を前に向けた。ビーチまで来ると、私はネクタイとシャツを脱いでTシャツにスラックスというだらしのない格好になり、そのまま砂の上に脱力したように座り込んだ。これで、仕事もフラットもまったく振り出しに戻ってしまった。無性に日本が懐かしくなる。自分の頭の一部は、だから海外旅行も行ったことなかったのに、いきなりオーストラリアでワーホリ生活をすることなど無謀だったんだ、とまで思い始めていた。(続く)
2005年08月10日
午前からの仕事はあまり得意でないが、10時からの開店準備に間に合うように到着するため、さえない頭でてきぱきと支度をした。学生時代は、新卒で働くつもりなど毛頭無かったから、いそいそと就職活動にはげんでいるほかの生徒たちを尻目にろくに就職活動もしなかったのに、シャツを着て鏡を見ながらネクタイを締めている自分を見ると、はるばるオーストラリアまで来て結局サラリーマンになったような気分になる。フラットを出るときに、このフラットとも今週でお別れになるな、と思った。週払いの家賃のことを考えれば、今夜までこのフラットで過ごし、明日の午前に出て行くことにすればちょうど一週間なので、余計な支払いに関する問題も発生しない。そのためにも、夕方に見に行くサーファーズのフラットは是が非でも決めてこなければならない。その日のバスにも、ビジネスマンが多く乗っていた。観光地であるサーファーズ・パラダイス行きのバスでは、朝の早い時間と、夜遅い時間意外でネクタイを締めたサラリーマンを見かけることは少ない。5月だというのに、ビーチで日光浴を十分楽しめるほど暑いこのゴールド・コーストで、わざわざシャツにネクタイで仕事をしている自分がふと場違いな存在に感じられることがある。そもそもネクタイなんて大学の入学式と卒業式、成人式とほんの2回ほどの就職活動で締めた程度だったし、ワーホリの仕事でキチっとした服装が要求される職業につくことを想像していなかった。しかも、その服装は日本人観光客を信用させるための演出に過ぎないことも、私を場違いに思わせる理由のひとつだ。キチっとした服装をして詐欺まがいの商売をするなんて、いくらワーホリで仕事が選べる状況ではないといえ、最低の部類の人間だろう。私のネクタイ姿は、バスに乗っているほかのオーストラリア人のそれとは意味が違っていた。彼らはこの土地で暮らし、生活の糧を得るために、そのネクタイ姿が必要な職務に就いているだけの話だった。仕事慣れしていない私は、どうしても午前中はけだるさを感じてしまう。他のワーホリ従業員が言葉巧みに観光客を取り込むのを見ると、余計にめいってしまう。彼等の冗談で観光客が笑った時などは、私が彼らの罪悪感を引き受けてしまったかのように沈んだ気分になる。彼らが私よりずっと多くの給料をもらっているのはわかっている。一日の売り上げで1000ドル以上(10万円くらい)出した場合は、それ以上の売り上げの5%がボーナスで入ってくる。仮に一日に2000ドル売ったとすれば(そんなに売れることはめったにないが、ケンジというやつだけは過去に3000ドルの売り上げを出したことがあるらしい)、単純計算で50ドルプラスその日の時給がもらえるわけだ。ワーホリメーカーにとって、このボーナスは巨大な額に感じられる。必至でやりくりしている生活費を補うために働く人間にとっては、買い物にでも行ってみようか、などと思える余裕が生まれるというのは、思わずヨダレが出てしまう話なのだ。だから、ここで働くワーホリメーカーも、おざなりな言葉だが「金に目がくらんで」同じ日本人相手にためらいもなく粗悪な商品を売り込んでいく。かくいう私は、まだここで働き始めて数日しか経っていないとはいうものの、総計で500ドルも売っていない。店から見れば、あきらかにマイナス投資だ。私もそれは十分承知しているし、初めは親切だったほかのワーホリ従業員も、次第に私を「できないやつ」とみなし始めているのを感じていた。何とか彼らのようにやってみようとしてみるものの、体がそれを拒絶してしまう。さんざんいい加減な商品を売った後で、自分が売り上げたレシートをおもむろに見ながら売り上げ帳に金額と名前を書き込み、自慢げにニヤケている彼らを、私はうらやましいと感じたことはなかった。「あ、ケンジさん、もう1000ドル超えてるじゃないですか!すごいなぁ。これで今日もボーナス決定ですね」と異常に日焼けした長い茶髪のワーホリ従業員が言えば、「え、もうそんなに行ってるんだ。知らなかったよ。じゃあ午後からはナオさんに楽そうな客を任せてみようかな」とケンジがわざとらしく答える始末。私は睨み付けたい気持ちをこらえて不器用な愛想笑いを作るのが常だった。そんな白けた空気の中でも、私は今日のサーファーズのフラットのことを考えると気分が楽になった。土産屋のワーホリメーカー達も、出発前はきっと私と同じように、オージーとシェアをして英語まみれの生活を送り、日本人とは必要以外でかかわることなく、オーストラリアにどっぷり漬かることを思い描いていたはずなのだ。それがある時点で、すっかり軌道をはずれてしまい、そしてそれを何とか取り返そうとせずに流れるままにしてしまったものだから、すっかり日本にいるのと変わらない、もしくはそれ以下の生活に甘んじてしまったのだろう。彼らはみな、すでに6ヶ月以上滞在しているが、誰一人、英語を堪能に話すものはいなかったし、驚いたことに、全員が日本人とフラットをシェアしていた。ここで働いて日本人観光客の相手をし、フラットに帰っても日本人と戯れているなら、その気になれば数分でも乗っていられるサーファーズのすばらしい波でサーフィンでもしない限り、果たしてワーキングホリデーに来た価値を見出せるのだろうか、と私はいぶかった。私がブロードビーチでネイティブと(つまりゴードンと)シェアをしているというと、みなが「へぇ~」と言ってそれ以上話を進めることをしなかったが、そのたびに彼らの目なかに隠し切れていない羨望のまなざしのようなものを見ることができた。彼らはまだ、私と同じ類の理想のうち捨てきれないかけらのようなものを持っているに違いない。だが、今から軌道修正するには、ワーホリで許された滞在期間を消費しすぎてしまっていることを自覚しているのだろう。彼らにとって、無理をして軌道修正するよりも、すでに確立してしまった日本語まみれの生活に身をゆだね、ネイティブとのシェアなど必要ないと思うことができれば、そのほうが楽なのかもしれない。だが、私は良かれ悪しかれ今すでにゴードンとシェアをしているし、これからはほぼ同い年のオージーのカップルとシェアをするのだ。いくら土産の売り上げが悪くても、ボーナスがもらえなくても、私は彼等が本当はのどから手が出そうなほど欲しくてたまらないワーホリ生活を手に入れることになる。そう思うと、仕事のたびに理不尽に沸いてくる劣等感をなぎ払うことができた。私に楽そうな客を任せる、と言ったはずのケンジは、その言葉とは裏腹に私にかまうことなく、午後も熱心に接客を行い、しまいには今日の売り上げからもらえる予定のボーナスがその時点でいくらになっているかを電卓で露骨に計算し始めた。それにつられて、茶髪のワーホリメーカーも積極的に接客している。オーナーはそれを見て店が活気を帯びてきたのを、満足した先生のような表情でうれしそうに見守っている。私はその日も2、3組の客を相手にして、100ドル少ししか売ることができなかった。シフトの終業時間が近づいてきたので、私はここでの胸糞悪い気分を切り替えるため、これから訪れるフラットのオージーと上手く接することができるよう英語でイメージトレーニングを始めた。「家賃は…電気代は…シャワーの時間は…洗濯は…」。しかしながら、相手がその細かい条件に関する質問に何と答えようと、私はそのフラットに移るつもりでいた。そのすぐ後に、オーナーに店の奥の方に呼び込まれ、売り上げが悪いことを指摘され、がんばってもらわないと困る、もしかしたら君にはこの仕事は向いていないのかもしれないと言われる。そして、私はずっと感じていた罪悪感を贖罪する絶好の機会を得たという気持ちになって、辞めます、とあっさり言ってしまうのだった。(続く)
2005年08月09日
「そのオージーの男の子は昼間働いているといっていたので、連絡がつくかわからないけど、夕方に電話してみますよ。それで、とりあえずナオさんがフラットを見に行けるように手配します。条件はまったく問題ないし、あの気さくな感じの彼ならきっと間違いはないと思うけど、やっぱり一回は見ておかないとね。じゃぁあとで、いまのブロードビーチのフラットの方へ連絡を入れますよ」私は嬉しくてたまらず、隣でまだフラットの一覧をぺらぺら適当に眺めている彼女に「これなんかどうだ?」「これは日本人とシェアだけど、安全でいいぞ」などと、今度は他人の世話をやく方にまわった。すっかり調子に乗った私は、さっきまで「これはダメだなぁ」と思いながら読み飛ばした物件と同じ物を、手のひらを返したように彼女に遠慮なく薦めていた。彼女はまだ仕事先が決まっていないから、早急にサーファーズ・パラダイスに引っ越さなければならないわけではないので、つい先ほどまでとは打って変わって勢いづいて適当なことをべらべらと言いながら調子付いている私を軽く聞き流していた。辺りはまた夕焼け色に染まり始めている。今日のバスの窓から眺める景色は、昨日までのそれとは大違いで、今の私にはその風景を観光客のように素直に受け入れる余裕があった。こんなきれいな景色に囲まれて、オージーの若いカップルとシェア生活を送れる。土産屋の仕事だけはいただけないが、それでも3ヶ月間は収入のある生活を送れる。つまり、1年まるまる働かずに滞在できるだけの資金を持ってこなかった私は、とりあえず自分の滞在を資金面で3ヶ月間延長したことになる。良い友人になれるようなネイティブとのシェアは長ければ長いほど良い。例え理想的なシェア生活が送れなかったとしても、オーストラリアには可能な限り長く滞在したい。日本に帰る時には、英語がペラペラになっていたかった。大学時代に、ネイティブのような発音で他の生徒を圧倒していた留学経験者や帰国子女を半ば斜に構えてしか見ることが出来なかった自分は、じつは彼らのようになりたくて仕方がなかった。だから、バスケットと格闘技とコンパとバイクで大学時代の英語学習をおざなりにした分(おざなりにするだけの価値は十分あったが)、オーストラリアから帰国する時には、不自由なくネイティブと会話できるほどの英語力を身につけていたかった。そして、私ならそうなって帰って来ると信じて止まなかった友人達に、期待通りのものを披露してやりたかった。だから、とにかくネイティブと毎日話せる環境を作らなければならないのだ。彼女をパシフィック・フェアーまで送り、自分はブロードビーチ行きに乗り換える。トランスファー・チケット(乗換え券)を買えば、区間内では乗り換えても料金は変わらない。(注:トランスファーチケットには乗り換えるまでの時間制限がある。かつてパシフィック・フェアーで乗り換えてアッシュモアへ行くつもりだった私は、サーファーズ・パラダイスからバスに乗ってアッシュモア行きのトランスファー・チケットを買ったが、パシフィックフェアーで乗りかえる際、アッシュモア行きまでのバスの待ち時間が30分ほどあるのを見て、思わずバーチャ・ファイター3をやりにいってしまったのだ。どうせ乗り換えだからいいやと思い、1時間30分ほどしてからアッシュモア行きのバスに乗ると、運転手から「いったい乗換えまでの間になにをやっていたんだね」などと聞かれ、買物や何やら…などと私は恥ずかしさを感じながら適当に返事をすると、「トランスファー・チケットは基本的に一番近い時間の乗り換えバスに乗るという条件で価格を設定してあるんだよ。だから、悪いけどもう一回買ってもらわないといけない」と言われてしまった。ゴールド・コーストを走っている黄色いバスの運転手は、日本の路線バスの運転手のようにいつも疲れ切っていて無言ではなく、とても気さくで、調子の良い運転手なら前の席に座った客と30分でも大声で話しているときもある。中年の運転手でも、サーブボードを担いだ10代の男女の集団と、大笑いしながら盛りあがっている時もある。観光に行った時など、遠慮しないで話しかければ、気さくに応じてくれるだろう)ブロードビーチ行きのバスを、ハイウェイ沿いのゴードンのフラットに一番近いバス停で降りた。ハイウェイからフラットが面している裏道までは公園を横切っていく。ベンチが置いてある広場の奥には、コンクリートで覆われたバスケットコートと、ダンクシュートで下に曲がっているバスケットのゴールが1個ある。結局、ここで3オン3をやることはなかったが、サーファーズにも同じようなところがあるだろう。ゴードンのフラットに戻ると、彼は出勤前のテレビを楽しんでいた。私が部屋に戻って荷物を置いてからキッチンで紅茶の用意を始めると、ゴードンははっと思い出したように言った。「そういえば、さっきワーキング・ホリデー協会の人から電話があったよ。後でもう一度かけると言っていたけど」そういいながら、彼は不安げな表情でこちらをうかがった。私が新しいフラットの目星をつけたらしいことを感づいている顔だ。そうして、ソファーから起き上がり、私の方へつかつかと歩み寄ってきた。「あの、昨日のことなんだが…僕が悪かったよ。昨日はちょっと仕事が忙しくて、上司にも乱暴に扱われてね…まぁ、実際ああいったところの上司っていうのは、年下だし、生意気なんだ。私も思わずきついことを言ってしまったけど、どうか許してくれ」そういって、ゴードンは胸の前で手を組み合わせる。教会で祈るときもこうするのだろうか、と私は思った。「いやいや、夜中にテレビを見ていた僕の方こそ悪かったよ。けっこう遅い時間だったしね」と返答し、わざわざそれほど遅い時間でなかったことを裏に含ませるようなことはしなかった。もはやサーファーズ・パラダイスでの若いオージーカップルとのシェア生活が半ば保障されており、そこに移るまでの間、わざわざゴードンを刺激することもない。ゴードンとの間になるべく波風たてずに、速やかにこのフラットを出て行く準備を、物理的(Physically)にも精神的(Mentally)にも整えなければならない。出て行く先が決まれば、ゴードンとはあと数日でおさらばだ。昨日の彼の態度に理不尽なものを感じていないと言えば嘘になるが、これから先もずっとこのフラットで夕暮れ時から起床する生活を続けていくだろう彼と、サーファーズに移り住み昼間働く私とがもはや再会することはこの先、無いように感じられていた。「それで、さっきの電話だけど…もしかして新しいフラットが見つかったのかい?」ゴードンは明らかに「見つかっていない」という返事を期待するかのようにこびるような表情を浮かべてみせる。そうすれば私が移り住む気が無くなると信じているかのようだ。だが、私は遠慮がちにもはっきりと答えた。「実は、今日サーファーズのフラットで、仕事先まで歩いていける距離のフラットを紹介してもらってね。多分、そのことで電話してきたんだろうと思うんだ」ゴードンは恐れていたことが起きてしまった、とでもいうように焦った表情を一瞬見せたが、すぐに穏やかな表情を取り戻し(もしくは取り繕い)、「よかったじゃないか!すぐにでも電話するといいよ。電話代はいらないから、かけてごらん」と言った。私は昨日のゴードンからのあまりの変貌振りに、わざとらしさが見えすぎていると思ったが、あえてそれは気にしないようにし、言われたとおり協会に電話した。すぐに先ほどの女性スタッフが応答した。「あぁナオさんですか。実はナオさんが帰った後に、偶然にもそのフラットのオージーから電話がありましてね。彼も早くフラットメイトを見つけたいらしく、まだここに入りたいという日本人はいませんか?なんて聞いてくるものだから、すぐにナオさんの話をしましたよ。そしたら、先方は今すぐにでも見にきてもらって良いって言ったんですけどね。ナオさんの都合もあるようだから、明日はどうかなって思って。先方は、あの、ハワードさんというんですが、遅くても17:30には家にいるだろうといっていますよ」次の日は土産屋は早番なので、16時位には終わるはずだ。土産屋から協会に行って地図をもらい、そのままのんびり歩いていけばちょうど良い時間になるだろう。「わかりました。それでは、明日、協会に地図をもらいにうかがいます。そのまま時間をつぶしながら歩いていけば、多分17:30くらいにあわせるのは問題ないですよ」スタッフの女性は、その見学の段取りを今からする、また明日協会で、と言って電話を切った。私はゴードンが気がかりで仕方が無い表情でこちらをうかがっているのがわかっていたが、顔の筋肉が命令を無視してにやついてしまう。私は可能な限りその表情を抑えた。ゴードンの前では「できることならこのフラットに居たいのだが、距離の問題で仕方なくサーファーズに移っていく」という体裁を今でも通していたからだ。ゴードンは私がことの進行状況を彼に報告すると思って、相変わらず張り付いたようなこびた表情を私に向けて待っている。「やっぱりフラットの件だった。明日、見学(take a look)することになったよ。若いカップルらしいんだ」「若いカップル」と言ったとき、私は思わずニヤけそうになったが、何とか顔に出さずに乗り切った。「そうか、若いカップルなんだ。君も若いから、きっと年が近くてすぐに仲良くなるんじゃないかな…で、家賃はどうなんだい?」「週に100ドルと聞いているよ」ゴードンは家賃のことで何か言おうとしたようだったが、思いなおしたように押し黙った。サーファーズ・パラダイスで週100ドルは相場だから、良い物件なのが彼にもわかるのだろう。ゴードンは私をひきとめる何か良い言葉がないだろうか、と詮索しているような面持ちになったが、私は気持ちに余裕が生まれていたので、出来上がった紅茶を持って、ソファーにいる彼の隣に、話しをする適当な距離からは少しばかり離れた位置に座った。「やっぱりバス代や通勤のことを考えると、ここが週65ドルでも、サーファーズに住みたいと思うよ」私は少ないボキャブラリーから言葉を選んで言った。ゴードンは半ばあきらめたような笑みを浮かべて、気楽な顔で言う。「これで君は仕事もフラットもうまくいくね。僕は君みたいに外国から単身でオーストラリアに来て、真剣に何かを学ぼうとしている人間をぜひ応援したいよ。やっぱり君はサーファーズに住むべきだ」私は、そのゴードンの言葉は私の機嫌をとるためだけではなく、結構な量の思いやりが入っているのを感じた。時おり彼が見せるやさしさのうちのどれほどかは、多分純粋だろう。ただ、彼が放っている独特の奇妙さ(weirdness)が、そのやさしさに値する異性関係をもたらすことを阻害している一因なのは間違いない。「ありがとう。せっかくボンドまでナシにしてもらったのに、すぐに出て行くことになるかもしれないなんて、本当にすまないと思ってるよ」今度は彼も「ザッツ・オーケー」と言ってくれた。私は期待に胸を膨らませてベッドについた。仕事もフラットも予定通り、サーファーズ・パラダイスに確保できることになりそうだ。おまけに、フラットメイトになるかもしれないオージーのカップルは23歳でほぼ同い年。私はオーストラリアに来てから、理想のレールから少しばかり外れていた計画を、案外すんなり出発前の想像通りに軌道修正することができたと思って心底満足していた。運は私に味方しているに違いない。明日は語学学校でまだクラスを受けている友達のところへ行って、彼らも望んでやまないワーホリの理想的な生活を私が手に入れることになるということをちょっとばかり自慢しに行ってみようか、などと考えている。だが、この時の私は、次の日に土産屋のオーナーに「もう日本人相手に嘘をついて金を稼くなんてできません」と言い放って仕事をやめることになるとは考えてもいなかったのである。(続く)
2005年08月06日
木曜は仕事が休みだったので、また協会に顔を出すことにした。彼女も今いるアッシュモアのホームスティ先から、もっとサーファーズ・パラダイスに近いステイ先を探すというので、一緒に行くことになった。協会に顔を出す前に、もうお約束になりつつあったサーファーズ・パラダイスの名所めぐりをする。まず、カヴィル・アベニューをエスプラネードに向かって突き当たる手前にあるゲーセンで鉄拳3の腕前を披露する。10連コンボの連発はいつでも他のゲーマーの気を引いてやまない。そしてその隣にあるマクドナルドでクウォーター・パウンダー(156g)という日本には無いハンバーガーをセットで注文する。オーストラリアのマクドナルドを利用してみてまず驚くのが、日本と比べて作りが荒いこと。ハンバーガーを包む紙や、レタスの置き方など、かなりいい加減で粗雑な印象を受ける。紙コップも、日本のマクドナルドみたいにしっかりしていなくて、フニャフニャしている。Lサイズを頼むと、自立できるか心配なほどにコシがない。しかし、私はそういうことはあまり気にしないので、むしろ日本に比べて格段に大きなサイズに満足していた。シェイクなど、Lサイズを頼もうものなら、メガホンのようなサイズのカップになみなみと注がれて出てくる。それから、フライドポテト。オーストラリアではイギリス風に「チップス」と言ったりするが、これが絶品。何が絶品はというと、味が日本のものとゼンゼン違う。まさか調理方にそれほどの違いがあるわけがないので、使っているイモ自体にコクがあるのだろう。身が詰まっているような食感で、油で揚げられた外側より、内側のイモだけの部分がデンプンの深みのある味わいをもたらしてくれる。フライドポテトなんかに味の違いがあるのか、と思うかもしれないが、私は日本に帰ってきてから改めてマクドナルドのフライドポテトを食べてみて、オーストラリアのポテトに慣れきっていた舌が明確な違いを感じ取り、ずいぶん驚いたものだ。ただし、良い面ばかりではない。コーラは炭酸がほとんどなく、味も非常に悪い。暑い日にキャップを開けっ放しにしておいて、それをもう1回冷蔵庫で冷やしたものに氷を入れたような味だ。ダイエット・コークを頼んだ日には、もうコーラという飲み物とは別の液体がカップを満たしている(笑)。だが、これも慣れてくれば気にならなくなってしまうのが人間の適応力である(笑)。腹を満たした後は、エスプラネードからモールに入ったすぐのところにある郵便局へ行く。オーストラリアの郵便局は、早い時期から民営化されており、世界でも群を抜く成功を収めている。その理由は、実際オーストラリアの郵便局に少しでも立ち寄ってみればすぐにわかる。切手などまるで興味のない私でも、思わず手にとってしまうほど綺麗な絵の描かれた切手のセット。同じ額面でも、絵柄が数種類かヘタをすると10種類以上あって、そのどれもオーストラリア特有の動物(コアラ・カンガルー・爬虫類)や風景(ゴールド・コーストやグレート・バリア・リーフ)の描かれた美しいものばかりだ。手紙を書きたいから切手を買うのではなく、切手を衝動買いしてしまったから、誰かまだ手紙を出していない友人を探さなければ…手紙よりも、その切手を見せてあげたい…と思わせるほどのものだ。英語がうまく話せないし、独りでいる時間が長いので、両親への手紙はかなり頻繁に書いた。初めての海外生活で、積もる話は山とあるのに、話し相手がいない。彼女もいるが、日本にいる両親に現状を報告したくて仕方が無かった。出発前には、手紙以外では極力連絡は取らないようにすると明言してきた。それも英語をしゃべれるようになるため自分に課した試練だったし、そもそも頻繁に国際電話をかけられるほどの資金もない。だから、その積もり積もった話を、手紙に精一杯書くことで自分を省みることになり、落ち着つくことができるのだ。手紙は両親に近況を報告するというより、むしろ日記のようになっていた。結局、泣き言も不満もうれしい出来事も、全て話せてしまうのは両親しかいない。両親なら隅々まで、読み飛ばすことなく目を通してくれるだろう。手紙を出した後は、カヴィル・アベニューとハイウェイの交差点、DFSの正面にあるハードロックカフェ(当時)に行く。大学時代は相当なグランジロックファンで、とりわけニルバーナには心酔していたから、カート・コバーンのボロボロのカーディガンとしおれたズボンが飾ってある吹き抜け階段に、暇さえあれば足を運んでいた。それを眺めていれば、自分もあの魂の中から湧き出てくるような詩と曲がかけるんじゃないか、そんな気になってくる。午後も遅くなってから、ようやく協会に向かった。すっかり常連になってしまった私は、どのスタッフにも顔を覚えられているから、素通りしたなら見逃してしまいそうに奥まった暗い入り口から階段を上がると、皆が笑顔で挨拶してくれる。スタッフの一人の女性が、私を見るなり待ってましたとばかりに声をかけてきた。「ついさきほど、若いオージー(オーストラリア人のこと)がみえられて、日本人のフラットメイトを探しているので登録させてほしいと言われました。フリデリック・ストリートという道のところにあるフラットですけど、歩いて7~8分ですよ。1キロないくらいです。家賃もサーファーズ・パラダイスで週100ドルですから、平均的なものです。カップルで住んでいまして、かなり気さくな方でしたから、すぐに仲の良いお友達になれるんじゃないかしら。ナオさんのフラット紹介サービスがうまくいかなかったから、この物件は協会のファイルには登録してないですよ。とりあえずナオさんに一番に紹介しようと思って。協会登録のフラットは本来、交渉は本人同士てやってもらうんですけど、今回は私どもで決まるまで仲介しますよ」私はあまりに突然に聞かされたので、ようやく新しいフラットに移れるかもしれない、ということが最初ピンと来なかった。それに、ゴードンの時のように、また前フリだけ一流で、実際の物件が見てびっくり非常にお粗末、なんてことになるんじゃないかという懸念もあって、素直には喜べなかった。だが、スタッフの言った「若いオージー」という言葉が、だんだん脳に染み渡ってくるにしたがって、今度こそは出発前に思い描いていた同世代のネイティブとの学生時代のような共同生活、友情を深めながら英語漬けの生活を味わえるかもしれない、という期待が強欲に首をもたげてくる。「本当ですか?」私は裏返った大きな声でそう返事をすると、自分でも気がつかないくらい気持ちが高揚していることに気づいた。ゴードンのフラットから、路頭に迷うことなく若いオージーと共同生活ができる…こっちにきてからずっとモヤがかかりっぱなしだったワーホリ生活が、とたんに私に相応しい軌道修正を始めたんじゃないか、という勝手な希望が背中から体中に広がった。私は自分でも自分が抑えられなくなって、叫び声に近い声を上げていた。「よろしくお願いします!即決してもかまわないです!」スタッフはその興奮した私の様相を見ても、やさしい笑顔はくずさず、こころから私が新しいフラットに落ち着けそうなのを喜んでくれているようだった。(続く)
2005年08月05日
火曜日の土産屋初出勤を多難にこなし、水曜には初めての遅番になった。レジ閉めまでやったので10時近くなってしまった。ブロードビーチ行きの最終バス発車まで秒読みの時間だ。私は大急ぎでハイウェイ沿いのバス停まで走って行き、玉ツブのような汗をシャツの袖でぬぐいながら何とか間に合うことができた。サーファーズ・パラダイスからの最終バスには、にぎやかなサーフィンと観光の街を裏で支えている労働者達の疲れきった空気が漂っている。この時間ではゴードンはもう夜勤でいないはずなので、私はフラットにつくと遠慮なくリビングでくつろいだ。テレビのチャンネルを変えながら、バスケットのオーストラリアリーグを見つけ、ボリュームを上げて夕食の支度をする。夕食といっても、所詮トーストにバター、そして紅茶だが。ゴードンがやるように、ごろりとソファーに埋もれるように寝転がる。NBAよりは見劣りするがそれでも時おりダンクやアリウープを見せてくれるオージーリーグを、頻繁に地上波で見られるのは、オーストラリアにきてから私が最も楽しいと感じる事のうちのひとつだ。仕事は疲れるし観光客相手の詐欺みたいなやり方も好きでないが、こうしてバスケを見ていると、本来の自分を取り戻すことができる。オーストラリアにきてから、出発前の期待を悪く裏切るようなことが多いが、あの土産屋のほかのワーホリ従業員みたいに、魂をオーナーに売り渡してまで仕事に没頭し金を稼ごうとは思っていないので、ここオーストラリアのいい面をもっと見つけられるように、自分なりに努力してみるのはとても重要だ。テレビでバスケが頻繁に見られる、それだけでも楽しいと思えるなら、それでいい。そろそろ試合も終わりに近づいたので、シャワーでも浴びてまた明日の準備でもしようかな(オパールやなにやらを観光客に売り込むための最低の方法が書いてあるマニュアルに目を通すなど)、と思っていたら、突然背後に人の気配を感じ、振り向くか振り向かないかのうちにゴードンがものすごいけんまくで私の前に進み出て仁王立ちした。私はゴードンがてっきり仕事で出ていると思っていたので、唖然としてしまい、何か言おうとしたが言葉にならず、口をパクパクさせただけだった。「ちょっと静かにしてもらえないか!寝られないんだよ!」今までの彼からは想像もつかないほどの怒りの形相で、私は謝ろうと思ったが、口は開いたまままともな言葉がでてこなかった。「でも…仕事に…仕事なんだよね?…この時間だから…」ゴードンは不快極まりないという表情をまったく崩すことなく、うっとおしそうに答える。「今日は早く終わったんだ。明日は朝早いからもう寝ていたんだよ!」寝ている彼を起こしたのは悪いと思ったが、「いったん寝てしまえば熟睡して目が覚めないから夜中でもテレビを見て良い」と最初に言ったのは彼の方だし、しかも普段は仕事していて居ない時間だから不可抗力だろうに、と思いながらも、しかしそうは言わずに丁寧に「ソーリー」とだけ言った。彼は普段とても温和な人間をつくろっているが、所詮こういう状況だと理由かまわず相手に突っかかってくる類の人間なのではないかと、ある程度は予想できた。だが、やはり実際にこうして不快な形相で立っている彼を目の前にすると、私はゴードンが実は本当に温和な人間なのではないか、と多少信じ始めていたことあって、強烈な驚きを覚えてしまう(実はオーストラリア人にはこの手の人間が多い)。それに、奇妙なところのある彼を本気で「キレさせた」ら、何をするかわからない雰囲気が漂っている。彼は「少なくとも、ボリュームを下げてくれ!」と言い放ってそのまま部屋に戻って言った。謝った時にたいていの人が「ザッツ・オーケー」と言って一応しこり(ハード・フィーリング)を残さないようにするのだが、彼は何も言わなかった。彼がこんな風に振舞うことをいつかは目にするだろうという懸念は、彼に会ってその人間の雰囲気を感じたときからあった。そうしてそれを実際に確かめると、私は今すぐにでもこのフラットを引き払って逃げ出したい気持ちになった。彼女のホームスティ先なら受け入れてくれるだろうか…ヘンリーにもう一度話をしてみようか…今すぐ?この時間に?なんてことが頭の中を駆け巡る。仕事でもストレスまみれで、フラットに帰ってきても両肩の筋が突っ張りっぱなしのように緊張していなければならないのかと思うと、まったく気が滅入ってしまう。テレビではまだバスケットのゲームが続いていたので、とりあえず言われたとおりにボリュームをほとんど聞こえなくなるまで小さくした。それからゴードンの部屋の方をチラッと見て、思い直して無音にした。MTVじゃないから、無音でもバスケは楽しめる。が、無音でテレビを見ながら、音の無い画面だけを見ている自分が情けなくなり、それにしたがって今しがたの苦い出来事が自分の中で反芻され始めると、もうリビングに居る気分にはなれず、そのままシャワーを浴びてそそくさと部屋に戻った。結局、また部屋にこもることになってしまったのだ。とにかく、何が何でも今週中に次のフラットを見つけなければならない、という焦燥感を何とか抑え、眠るように努力した。(続く)
2005年08月04日
パシフィック・フェアーで彼女と上手く落ち合った後(海外なので携帯がないから待ち合わせには苦労する)、映画(ほとんど聞き取れない)や買い物(ほとんど見るだけ)を楽しんで、昼飯はお約束のマクドナルド。バスターミナルの方から入ってまっすぐ進み、屋根があるエリアに進んでちょっと行った正面に噴水が見えたら、そこの階段を2階に上がったところにフードコート(ファーストフード店が並んでいて、その前の広場にテーブルとイスがたくさん並んでいるところ)がある。マクドナルド、ケンタッキー、そして中華の食い放題、ケバブ(タコスみたいな中東の料理)などがあり、どれも5ドル程度でそれなりに満腹になれる。トッピングを選べるサンドイッチカフェもあるが、これは英語をいろいろ話さなければならないのでパス(笑)。その点、マクドナルドは日本で要領がわかっているから、注文にもさほど苦労しない。飲み物も、普段はアイスティーなんか頼むが、以前頼んだ時にいろいろ聞かれたので、それ以来、細かいことが必要ないコカ・コーラにしている(笑)。午後3時くらいまでパシフィック・フェアーを楽しんでから、バスでサーファーズ・パラダイスのワーホリ協会へ向かった。協会に着くと、事情をわかっているスタッフが、手元にあるフラットのリストを見せてくれた。このフラット情報は、私が申し込んだ紹介サービスとは違って、リストから適当なものを選らんで、交渉は自分で行わなければならない。つまり、フラットメイト募集の掲示板と変わりないわけだ。とりあえずざっと目を通すが、やはりそこらへんに置いてある掲示板とさして違う物件はなく、どれも可も無く不可もないみたいなものばかりで、いまいち決め手にかけた。だいたいのフラット主が、初老の夫婦の家や中年の一人住まいのフラットで、想像していたような、大学時代のように同世代との共同生活が楽しめそうなものはない。リストの中にある日本人同士のシェアの条件など、かなり魅力的に思えてしまって、思わずネイティブとシェアするという決意を曲げてしまいたくなる。とりわけゴードンのフラットに今から帰ることになると思うと、なおさらである。協会のスタッフも、これといって勧められるような決定的な物件があったわけではないので、結局この日も新しいフラット探しは進展なく終わった。スタッフが言うところによると、私をゴードンのフラットへ連れて行ったエージェントは、実はそれほど信頼の置ける人物ではなかったことがわかったたという。私の一件があってから、協会が事情をエージェントに聞きただすと、実は彼の、200件以上の常時入室可能なフラットを紹介できる、という触れ込みはまったくのでたらめで、サーファーズ・パラダイスから徒歩でたどり着ける物件はほとんど無いと判明したそうだ。そもそもそれだけの物件を紹介できるなら、わざわざトラブルの元になりそうな、ブロードビーチのはずれのフラット、ましてや少し変わったところのあるゴードンを紹介したりしないだろう。協会が言うには、こういった吹聴癖のあるオーストラリア人は多いらしい。実際に紹介を受けたワーホリメーカーから苦情がなかったので、協会側は上手くいっていると思っていたらしいが、私に言わせれば、あのような手口でフラットに連れて行かれて、フラット主と問答無用に話を進めてしまわれたら、たいていの日本人は不満があっても口に出してフラットを替えてくれなんて言えないだろう。クレームがつかなければ、万事上手く行っていると考えるのが、オーストラリア(西洋)流なのである。何か良い物件を見落としてはいないだろうかと何度も何度もフラットの一覧を見直してみたが、もちろん見落としはない。スタッフの人は「ここはサーファーズまでまぁまぁ近いですけどね…」とか「この人は年配の方ですが、何人も日本人を受け入れているので、安心ですけどね」など、それなりに私に気を使ってくれる。仕事があさってから始まるし、始まってしまえばバス通勤になり、下手をすると遅番の日はタクシーを拾うハメになりかねないことも承知していたので、彼らもできるだけ希望に近い物件を見つけてくれようとしてはいるが、なにせワーホリメーカーのほとんど全てが、同世代の若者オーストラリア人と英語にまみれた生活を送ることを夢見ているから、私一人がそういう幸運にめぐり会える筋合いはない。スタッフも、「やっぱり良い条件のフラットは即決してしまいますね」という。しかし、フラットメイトの募集はそれこそ毎日更新されるので、少し待てばよい条件のものが出てくるかもしれない、そうなったら事情が事情だけに、私に一番に連絡してくれるとスタッフの男性は言ってくれた。私はあまり期待はせずに礼を言って、彼女と協会を後にした。あたりは暗くなり始め、空はオレンジの夕焼け色に染まり、道路わきの亜熱植物の濃い緑と目が覚めるように美しいコントラストを生み出している。こうやって彼女とバスに乗っていると、まるで日本にいて、今から自宅に帰るような錯覚に陥ってしまう。しかし向かっているのは、ホーム・スウィート・ホーム(いとしの我が家)ではなく、ゴードンのフラットなのだ。とはいっても、今夜は彼女も一緒にいるから、あの湿ってヌル着いた部屋も、少しは心地よい空間になるだろう。フラットに着くと、ゴードンが日曜の夜勤前のテレビを楽しんでいた。相変わらずソファーにべったりめり込んで、テレビの世界へ旅立ってしまっている。私は彼女を招き入れると、ゴードンにそっと声をかけた。テレビから視線をはずさずに顔だけこちらに向けて、それからしばらくしてようやく目が顔の向いている方向においつくと、私が彼女を連れているのに気づいた。するといつものぐったりしたしぐさとは相反して、十分過ぎる勢いでソファーから立ち上がり、大げさに胸に手をおいて驚きを表現し、不自然なほどの笑顔を浮かべ、こちらに近づいてくる。彼女はややギクリとしていたが、私はそれを見て、彼女ができる限りゴードンと会えた事を喜んでいるようにうまく振舞ってくれることを祈った。彼女はなかなか上手にゴードンと挨拶をかわし、握手を済ませた。「どーぞどーぞ、ゆっくりくつろいでいってくれ。ここはナオのフラットでもあるんだから、気を使わないでリラックスしてくれ」と、ゴードンは気さくに振舞って彼女を安心させた。部屋に戻って、ゴードンが日本語を理解しないにもかかわらず、なぜか私は小声になって彼女に「どう?」と聞いてみる。もちろんゴードンの印象だ。遠慮がちながらも、「う~ん、ちょっと変わってるね、やっぱり」という返事が返ってきた。初印象で、英語のほとんど話せない彼女に「変わっている」という印象を与えたゴードンは、やはり変わっているのだろう(笑)。リビングに行ってゴードンと話そうかとも思ったが、彼女が来た部屋は、水滴が天井から滴り落ちそうな湿気にもかかわらず、格段に居心地がよくなった。昨日のように一人で部屋にこもっていることを考えたら、話し相手がいてくれるだけでまったく不自由を感じなくなった。シャワーを済ませて少しすればゴードンが仕事に出て行くだろうから、そうしたら二人でリビングでテレビでも見ようという話になった。同じ屋根の下で一緒に暮らしているフラットメイトとなるべく接しないようにしている自分が、じつに不自然に思えてしかたがない。とにかく、いろいろ複雑な心境はさておき、自分の正直な直感に従ってみれば、ここでの生活はできるだけ早く終わらせなければならないことだけは確かだった。(続く)
2005年08月03日
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