北海道の旅 0
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ブログを久々除くと、一年ぶりだった。コロナもなんとか落ち着いたようで、ひどい世の中でした。大地震もいつくるかわからないし、あちこち揺れてるしこわいですね。南海大地震では、大阪壊滅します。高知も和歌山も・・。
2023.05.30
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ほんと、まさか、彼が自殺するとは思いもしなかった。そうだ、誰しもそうだ、人はわからない、表があり裏がある。ほんのすこしの、迷いをついて、死神は耳元でささやく。そのときの判断を、そのときの判断で、そのときのつらさ、苦しさ、思いが、自殺する瞬間に延々に続いてゆく。自殺者の霊が浮かばれず、のこってしまうのはそのときの「念」のせいであるという。そして、弱っている人間たちに、『伝播』するのである、連鎖というか竜兵さんは、お笑いだったから、余計につらい。みんなを笑わすのが仕事である。バカにされて、見下されて笑われてなんぼなのである。彼がない面で苦しんでいようが、悩んでいこうが、そういう顔は、みんな知らないのである。彼もまた、人なり。なのである。いやこともあったろうし、馬鹿にされたことも毛嫌いにされたこともあるだろう。これがまた、渡辺裕之さんと対比的なのである。彼もその数日前に亡くなったのであろうが、彼は彼で、渡辺を演じることがしんどかったに違いない。いいひとであること、健康体であることダンディであること、みてくれがいいこと。彼がなくなって、多くの芸能人が、インスタなどでこぞって、彼との思い出の写真を上げた、どれもこれも美しく、かっこいい。上げてる芸能人は、惜別の念であはるのだろうが心の内面の葛藤を、知る由もせず、外見だけで判断する。彼もまた、ひとなり。なのである。60歳こえたあたりで、初老鬱になりやすくなる、ホルモンのバランスが崩れ、精神的に揺らぎはじめる。なんで、恵まれていたのではないの?みんながそう思うのだろうけど、彼らは、「いままでの人生はどうだったのか」と、自問自答し、消去したかったのだ。なんで、消去したいのか、亡くなった人を非難するのではないが、自殺は他殺を同じで、命を大事にしない。周りのことや、仕事のことなどよくよく考えてみれば到底できないこと恐らく、とっさにやってしまうのだろう。だから、よくよく考えていないのだ。だから、要するに脳気質的な問題なのである。ひとりにしてはいけないのである。これもまた、できないことであるが、立場上の問題で彼らも相談する身近な人がそのときいなかったのであろうと思う。5月という特有な時期で、しかも60代というそして、コロナ禍、大地震、核戦争。テレビはほんと毒のオンパレード。きれいな花を見てるだけでいい人生が哀しすぎる。渡辺裕之氏上島竜兵氏両氏のご冥福をお祈り申し上げます、残された人々の悲しみも相当なものであろうことかと思います。
2022.05.12
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1977年ごろだったろうか、MBSヤングタウンが夜の1時に終わり、たしか、そのあと2時から3時までやってうた深夜放送、帯でたしか月曜から金曜までだったろう・・。最終回を録音したカセットテープがあったはずだったんだが、見当たらない。ぼくは、当時、一番の人気であった桂三枝とその兄弟弟子、ザ・パンダ(残飯ではない)の中で一番、好きだったのが桂文珍だった、彼の話は面白く、自分のことを語ってくれて篠山鳳鳴高校という有名な進学校から、三流の大阪産業大学にしかいけななかった、そんな話をしていた。番組の内容は覚えているのは、アシスタントの女の子と風呂にはいるのだ。まあ、実際は音声にエコーをかけて、効果音をつけただけとおもうが、若い僕らは想像して楽しむだけ、そこで、文珍さんがあーとかうーとかそそそんな、とか、話すだけであった。この放送は、あまり続かなかった。アリスがバカ売れして、ほかのアーチストも売りたいというヤングジャパンというところが、その帯を全部奪ってしまい、文珍を下ろしヤンジャのアーチストがでるようになった、同時期か、KBS京都のズバリくというラジオ放送の火曜日に出ていてそちらを聞き始めた。でも、なんせ、KBSの電波は飛びにくく、盆地なので神戸から聞いていたが、聞きにくかった。ズバリくは、鶴瓶もでていたが、ハイヤング京都【ハイやん】になり継続されたが鶴瓶は降ろされた、その最後で鶴瓶は反旗を振りかざし、最終回はリスナーの名前をひたすら言うだけ、「山科のまるまるくん、どうもありがとう」真夜中の文珍の最終回は、最後は、ひたすら、激怒し「チキショー、チキショーとおもひながら生きてきました。世の中みんなチクショーです」と、泣きながら、BGMはデモ隊の音だったか、衝撃的だったのを思い出す。ぼくらのオアシスといえば、深夜放送ラジオだった。学校へ行ってもちゅがくの時は屈辱感と挫折感の繰り返し、勉強もできないスポーツもできない、ぶさいくな、ちぅう学生だった。高校にいっても、いじめられ、勉強をして、なんとか見返そうと思った。夜の21時過ぎから夜中の3時かへたすると4時まで勉強をしながら深夜放送を聞くのだ。その放送はほとんど生放送で「ああ、この放送のひとたちは夜中ぼくらのために起きていて仕事してる」と、思ったものだ。「まん丸眼鏡にイガグリ頭、働く農協青年は、滝廉太郎こと桂文珍」はザパンダの中でもあまり売れておらず、どことなく地味ででも、話はとても面白く、知的であり、好きだった。文珍さんは、その後、全国区で売れて、テレビにでまくりスターになった。僕がラジオで好きだった人はたいていそうなった。そして、文珍さんはテレビの仕事を減らして、落語に打ち込み落語ファンはかなりいる、らしい。#真夜中の文珍 #文珍
2022.02.24
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YouTubeヲ見ていて、ワタナベなんとかさんがずっとやってるんだけどJAL123の「隠ぺい説」についてなんですが、驚くべきことばかりです。最近になって、いろんな人が再びこの墜落事故は事件であると言い出したようです。まず、事故調の報告書の重要部分である「後部圧力隔壁」?の破壊から始まったという話。金属疲労とかなんとか、聞いたことが大昔ありました。それならば、客室は減圧が急激に生じて、たいへんなことになる、が、実際なっていない。どうやら、結論を予測すれば、米軍の戦闘機か、音速可能なステルス爆撃機がニアミスをし、かすめたのか、衝撃波をあたえたのかで、尾翼の三分の一がぶっとんでしまい。三回の爆発があったと、音を記録したのですが、後ろの重要な部分を吹き飛ばし操縦が困難になった、その後、実は、横田基地の滑走路を目指し、寸前までいったのだが何らかの原因で阻止か、妨害され、仕方なく群馬の山に消えたその過程のボイスレコーダーが改ざんされており、事実は伏せられている、日米同盟の根幹を崩す事件となり、国民は怒り狂う東京上空や関東の空は、ほとんど米軍のものであるというそういう事実さえも知らない平和ボケした日本人が目をさます、それで、なかったことにして事故説を作り上げて、ボーイング社のせいにして、今に至る、というわけだ、日本航空は全責任を負い、賠償行脚を行い、反省をし、安全対策を行うという、そのことは、まるでやらなくてもいいことだったということそれは、どうも、考えてしまう。もし、事実を公表し、(事件説が正しければ)て、いたならば、どうなったのか、隠ぺいせずとも、ぶつけた飛行機があるのだとすれば責任を米国に求める、ということが、できないのか?日米地位協定で? ほんと、この世は嘘ばかり、韓国の慰安婦問題もこれもうそっぱちだししな国のオリンピックは、ひどいものです。やはり、この問題は、多くの犠牲者がいるということで触れてはいけない部分と、さえもおもえるし、事実がどうであれ、生きて返ってくることはないのだ。しかしだ、犠牲となった、パイロットやCAさんは、報われない。みんな、必死で、恐怖と戦い、死んでいった。ひどくないか、ぼくの奥さんは、恩師が二人、乗っていて、幼い子供を残して亡くなった、だから、どんなことがあっても、飛行機に乗らないと、決めている。#JAL123
2022.02.17
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ほんと、沙也加ちゃんの時さつはいまだに、心痛む。なんともいいようのない感覚、で、相手の男への怒りというかバッシングも相当のようだが、真実はどこまでなのかわからないがネットでは燃えている。テレビやでかいとこのニュースではタブーになっており連鎖を防ぐためにだろうけど、対比的なものである。やはり、メンタルの部分はなんともいいようのないものだがコアになる部分がなかったのかもしれない。聖子さんは、同世代で、ぼくとおなじ年。恋の歌、愛の唄を歌い続け、多くの恋をし仕事をし、元祖ママドルといわれ、王道をつくってきた。それが、これだ、批判するつもりはない。彼女は、いままでの人生をきっとこう思ってるに違いない。「いままでの人生はいったいなんだったのだろう」大阪の梅田で、焼き殺された人々、罪亡き人々その人たちの話はもうニュースではながれない。悪魔の化身の男は、道連れに多くの罪亡き人を焼き殺した。亡くなった人々は「いったいなにが、起こってるのか、なんで死ななければいけないのか」そう理不尽に思いながら、死んだのだと思う。命を大事にする、時さつも他殺も命を大事にしないことはおなじだ。沙也加さんがどういう性格の人だったのか、わからないし批判するつもりはないが、あの馬鹿たれから、暴言をはかれ常にあった選択肢の一つを選んでしまったのだろう。華やかに見える芸能界、綺麗な衣装で、素敵な舞台で誰もがうらやむようなお仕事。実はその裏は、泣きながら哀しみもけしながら、やっとの思いで仕事をしている。恋の歌を歌っていても、恋の歌なんか歌いたくもないと思ってるのだろう。表と裏がすべてのものに、裏のつらさをわからないように表だけをつくろうのはしんどいのであろうよ。聖子ちゃんよ、哀しみくれているだろう全部わたしのせいです。そう、思ってるだろう。しかし、そうではない。それは、彼女そのものを否定する。そう思うのはよくない、彼女は、自分の人生を一生懸命探して、生きようとした。立派であった。そう、思うのだ。力尽きただけだ。誰も彼も、死ぬために生きているのではなく。いかにして死するか、思うところである。
2022.01.12
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ひさびさに、ブログを開けてみる、ひとりだけコメントを入れてくれた、背番号のないエース さん、ありがとう稲垣潤一の septembaer kiss を聞いています。ぼくが大学3年の頃だったろうか、稲垣さんがドラム叩いてでてきたのはオフコースのファンで、松尾さんの関係するひとだったので興味があり、聞き始めた。80年代後半から90年代初め頃までCMもひっぱりだこカーステのテープで何回も聞いた、ほとんどのLPやCDを買って聞いていた。ぼくは彼の初期のあの不思議な声、パンチも効いてるし哀愁感もあり、なんと言っても、七色のような輝きのある声だった。大学四年の夏に、「夏のクラクション」が リリース。丁度、学生生活最後の夏で、海沿いのカーブを 君の白いクーペ曲がれば夏も終わる。夏が終わるの歌詞が、じーんときた。カーブは北海道の積丹半島のカーブ。あの最後の夏休み、北海道の旅、最後に訪れた積丹半島、積丹岬。そういう思い出をかかえながらいやないやな就職活動、ネクタイ締めて、企業訪問。遅いって、夏休みはもう終わる頃・・。卒業できるかどうかもわからないのに、なにがしたいのか、なにが向いてるのか、わかるはずもない。なにしろ、三流大学、就職課には、中小の会社しかこない。成績もわるい、あるわけない、「自分で探しなさい!」まさに、その時始った、ふぞろいの林檎 とおなじ境遇だった。そういうことを思い出しつつ、稲垣潤一の若い声を聞く。あの頃のぼくにであったら、こう言うだろう。「好きなことだけしてればいいさ!」Live History I 1984~1992 [DVD] 稲垣潤一 新品 マルチレンズクリーナー付き【中古】30周年記念ベスト~テーマ・ソングス~(初回限定盤)(DVD付) 稲垣潤一[CD]
2021.11.04
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よろしければ、みてください。
2020.08.28
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ほんと、最近、ふぞろいの林檎たちのDVDを見直して、じーんときてる。リアルタイムで見ていて、ぼくもまさに同世代。
2020.01.20
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ことしもまた12/24がやってきた。きっと君は来ない。クリスマスイブ。クリスマスなんてのは、寂しさを思う夜なのである。マスコミはこぞって、クリスマスの¥雰囲気を盛り上げ、一人でいるのが悪いような扱い・・・。「中村雅俊のいつかまちで会ったなら」という、歌が好きだ。中学のときに聞いた歌。京都の下宿の友人が1981年12月24日。北大路の交差点で原付の乗った彼と、同じく学生アルバイトのお歳暮のトラックと交通事故を起こし、原付の東くんが、死んだ。もう、38年も前の時が経ってしまった。しかし、昨日のように憶えてる。東君は、その一週間前、三条河原町で、同志社のサークルのアップルというやつの忘年会、帰り。そのタクシー乗り場で好きだった女の子に、タクシーを待つ間。告白したわけだ二人は並んで、タクシーの順番を待ちながら女の子は、気まずい顔で、「ごめんなさい」と、言ったのである。撃沈というやつ、その長い髪で瞳の可愛い女の子は東君の知らないうちに、東君の同じサークルのしかも、東君の友人に告白され、つきあい始めていた、東君はまったく気がつかず、知らず。告白してしまったのである。そして、ぼくらの下宿の忘年会をやろうということになり、その三日後、いろはにほへと という居酒屋で飲んでいた。振られた話を明るくはなすのであった。みゆきちゃん、好きだったのにな・・。みゆきという名前は、美幸とかく。そして、同じ下宿の先輩、鍛治さんは高校3年のとき、京都に田舎からでるときにずっと好きだった女の子に告白するわけである。みゆきちゃん、ぼくも好きだったのにな・・。みゆきという漢字は、美雪と書くらしい・・。そして、ぼくは、ずっと好きだった女の子がいた。長い髪で、ミニスカートが似合う。足の速い目が大きくて、笑い声がすこし変っていて、ぼくも中学3年のとき、告白するのである。「いい友達でいてください」素晴らしい返事だった。みゆきという字は、美由紀と書く。下宿は4人いて、古い京都の町屋であった。僕らは、恋をしていたんだな。そういう仲間の東君がせつなくてクリスマスイブに事故で亡くなる。振った美幸さんは、相当参ったらしい・・。ぼくのクリスマスイブの思いではそういう悲しいできごとから離れることができない。何気ない 毎日が 風のように 過ぎてゆく この街で 君と出会い この街で 君と過ごす この街で 君と別れたことも 僕はきっと京都という学生のまちでであった彼はどこかで生きてる気がする。死んだのは夢で、そうおもい、どこかの街で肩を叩いて、ほほえみ会おう。
2019.12.24
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時間が過ぎてゆく。日が沈んでゆく。年を重ねてゆく。
2019.06.10
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TBS、学校会見でマスコミへの注文時に音声絞る 児童ら殺傷事件報道めぐり批判- 記事詳細|Infoseekニュース神奈川県川崎市の登戸駅近くで、子どもらが刃物で男に刺され、小学生の女児と男性が死亡した事件で、亡くなった女児が通う私立カリタス小学校側が2019年5月28日、記者会見を開いた。テレビ各局が会見の模様を夕方の番組で生中継する中、TBS系の番組Nスタでは、校長がマスコミに子どもたちへの取材自粛を呼び掛け…【全文を読む】ほんとうにひどい事件、繰り返し繰り返し起こる、マスコミは何度も何度も朝から晩まで、「興味本位」で取材をする。新潟の地震のとき、マスコミが同級生が亡くなった女の子たちを見つけ、マイクとカメラを向けた。そのときは、彼女たちは、笑っていた。でも、そのアナウンサーは、番組として、地震の犠牲者の同級生が泣いて悲しんでいるという映像がほしいがために、無理矢理、女子たちに、「同級生が亡くなって悲しくはないのか?」と、インタビューした。女の子たちは見る見る間に、表情が曇り、泣き出した。酷かった。今回も子供らにインタビューするな、という学校の希望を絞った。「そんなものどうでもいい」と、言うように、それが彼らの心の底にある得体の知れない正義感だろう。今回の犠牲もひどいものだ。反社会的人格症の連中は、すべての自らの不幸は、世の中のせいであると思っている。この男の頭の中には、人の幸せ が呪うべき対象なのであろう。そういう予備軍がまだおそらく日本国中にいる。次から次へと陰惨な事故が起き「またか、可哀想に」と、思い、次のニュースが出るともう人々は忘れてしまう。しかしだ。人が死んだり、殺されたりしても、被害者や遺族の気持ちがわからないのがいる、人の感情を持たない、共感できない冷えたココロをもつやつだ。こういうやつは社会性も協調性も無いので、家でテレビを見ている、何度も何でも流れるその事件を見て、加害者への憧憬をもち、ひとの不幸をあざ笑うのである。そういう側面がワイドショーにはあるのだ。
2019.05.29
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学生の頃、外国語学部だったので、できもしない、憶えもできない、スペイン語の勉強を下宿でやっていた。三畳一間の狭い部屋で、京都壱安かったかもしれない6000円の部屋。隣はマーじゃーん、逆の部屋はギターで唄を歌ってる、ぼくは、集中できないので、ヘッドホーンでラジカセから音楽を聴く。もちろん、オフコースの唄だった。オフコースの人気がでるまえから好きだった。応援していた。アリスや、チューリップの唄が流行っていた。ABCヤングリクエストでも、「サボテンの花」は一位だった。でも、ぼくは決して彼らのレコードを買うつもりはなかった。オフコースが次にでるレコードを買うために、当時はレコードは子供には高い買い物だった。レンタルレコードはまだ無かった。あんなもの、あとで思うとない方が良かったんだと思う。オフコースが売れたのが高校3年の冬の「さよなら」どこからともなく、街を歩いていても聞こえてくるほど人気が出た。大学に入り、オフコースのLPも買い続けた。それらをテープに落として、なんども聴いていた。よく、飽きもせず、先輩が、「また、オフコース聴いてるのか?」友人が思い出したように「オフコースのどこかいいんだ?」初恋の美由紀ちゃんにも「オフコースよりも井上陽水がいいな・・」姉も「オフコースより、ユーミン、タツローだな」ヘッドホーンで聴いた音。楽譜は読めないけど、一昨年、メンバーの松尾さんのライブにいった。「さよなら」のなかの、ハーモニカを吹かれていた。まったく、あの頃の音であった。ハーモニカはひとの息。ブレースである。ひとの呼吸。ああ、あのとき聴いていた音程だ、そう思うと、あの部屋や勉強してたことをさっと、数秒であるが「飛んだ」あの時間に、つまらないことに悩み。些細なことに躓き。あの頃のいろんなことがそこに封印されている。僕のなかの思いでは、そこにあるのだろう、
2019.05.27
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この唄は後にリバイバルされなじみが深いのだ宇徳敬子&近藤房之助のシングル。でヒット。作詞は庄野真代。
2019.05.26
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2019.05.25
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りりィ(Lily、1952年2月17日 - 2016年11月11日)は、日本のシンガーソングライター・ 女優。本名、鎌田 小恵子(かまた さえこ)。福岡県出身。
2019.05.25
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この歌も懐かしい・・。
2019.05.21
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この歌を聴くと、あのころの喫茶店の風景を思い浮かべることができる。相曽さんの伸びやかな声、しっかりとしたかわいい声・・。あの頃は、喫茶店でいろんな話をしたね。相曽晴日 / トワイライトの風(Blu-specCD2) [CD]
2019.05.21
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1981年開催の第21回ヤマハポピュラーソングコンテストに「摩天楼」で初出場。翌1982年開催の第23回同コンテストに「花ぬすびと」(作詞:すずきゆみ子)で再出場し、優秀曲賞を受賞した。同年の第13回世界歌謡祭ではグランプリに輝きプロデビューを果たす。デビュー曲となった「花ぬすびと」は30万枚のヒットを記録した。1986年名古屋音楽大学器楽学科ピアノ専攻を卒業。ポプコンの全盛期のころは、質の高い歌が多かった。この歌もよくできた歌。明日香さんは結婚し、その後札幌へ2013年の秋に亡くなられた・・。
2019.05.21
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中村ブン/かあさんの下駄
2018.11.21
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酒と泪と男と女1976年6月25日にリリースされた河島英五とホモ・サピエンスのデビューアルバム『人類』に収録された曲河島英五/DREAM PRICE 1000 河島英五 酒と泪と男と女もう17年になるのかあ・・亡くなって、阪神大震災のときはありがとう、英五
2018.11.15
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この歌に込められものはなんだろうか、「さよならは言わない」は、2009年2月25日にリリースされた、27作目シングル曲でした。関西テレビ制作(フジテレビ系列)のドラマ『トライアングル』の主題歌。オフコースのヒット曲。「さよなら」その反対の、さよならは言わない。ぼくはこの歌を何度も聞いて、あの学生のころを思い出す。遠い日の思い出。ぼくが大学の四年のときの話。夏休みの話だ、留年しなければ、最後の夏休み。しかし、あのころ、30年前のころは夏前から秋にかけて大学生は就職活動を行い、実質的には休みの気分とは言い難いものであるが、普通はそうであるが、ぼくはそうでなかった・・。大学の前期テストは夏休み前におわり、友人たちと下宿で話をしていた。・「ああ、やっと、テストおわったなあ・・」「単位とれるかな・・」そういう話の中、友人のYがこう言い出した。「あしたナ、日本海にバイクで泳ぎにゆくんだ!」「へーー、ひとりでか?」「ばかいうな!だれがひとりでいくねん・・・」傍らの法学部の安藤が「クラスのKさん、さそて、いくそうやぞ!!」三人で「へええええええ・・!」「まあな、かえりに、カーブをきって、寄り道するかもよ!」「どこに寄り道するねん・・」「きまってるやろ!ははは!」うれしそうだった。Y君。自慢の250の川崎のバイクでクラスでも魅惑的なKさんをいつのまにか、誘っていたのだ。大学の学食の隅で、タバコをすっていたKさんはなんか、大人のかんじがしたもんだ・・。大学の前期テストもおわり、暑い暑い京都の夏が佳境を迎えていた。当時、どの下宿にもクーラーなんて気の効いたものはなく、ましてや、古い下宿には、ぼろい窓をあけても風ははいってこない。はやく、京都を脱出すべく考えていた。ゼミ旅行と、自分ひとりでの北海道旅行。めじろおしのスケジュールだった。もちろんバイトも・・。下宿の階段は、裸電球ひとつしかなく、暗くてしかも、きゅうで40度は傾斜のある古い木造だった。その階段の上に黒電話があり、共同でつかっていた。そして、翌日の夜、大学の友人、やすえから電話があった。「あのね、たいへん!Yくん、舞鶴で事故ったそうだよ!」僕は驚いて、電話をきり、友人立ちの下宿にゆき、相談した、Yくんの下宿の青山荘にもゆき、おばさんにもいろいろ聞いた。翌日の始発で僕たち友人4人で舞鶴の病院にむかうことにした。古ぼけた山陰本線の鈍行の客車にのり、4人はだまったまま・・。「Kさんはどうなったんだろうか・・」そこも気がかりだった。なんとか、9時過ぎに病院につき、足にギブスをはめ、つるしたYくんを見た。「たいへん、やったなああ・・」「3ヶ月やで、ほんま、たまらんわ、最後の夏休みやいうのに・・」「どないしとってんや・・」「トラックが急にでてきて、僕らのバイクに横からつっこんできて ぼくらは転倒した、」「ほんで、あの、Kさんは、どうなったんた?」「あの、Kさんは、捻挫ですんだ、ふきとばされてけど」「そうか、よかったなあ、それでどこにおるんや」「ひとりで、旅館にとまってるよ」そういう話をしていると、足をひきずりながらKさんが現れた。ぼくらは驚いて、席をゆずり、声をかけた。「 だいじょうぶかいな・・」Kさんは、うなずき、笑顔で答えた。「私は大丈夫、きょうね、かえるから・・」「帰るって?どこに・・」「実家に帰る。」ぼくは、驚いて「実家って、和歌山やん!」僕は少し考えて、「ぼくがここから送ってゆくよ、足も捻挫してるし、肩もいるだろ」みんなは、納得し、ぼくらを見送った。しかし、日本海から太平洋までの縦断の旅は長かった。舞鶴から大阪まで福知山線経由で特急にのり二人で、並んですわり、旅が始まった。あれこれとはなし、トイレにゆくのもついてゆきまあ、中にははいれないが、大阪駅についてからたいへんだった。環状線にのりかえるにも階段をおり、のぼり、そのたびに僕の肩や手をもち、のり、新今宮で南海電車にのりかえるのもたいへん・・。南海電車でもはるかかなた、和歌山はとおい女の人と二人で旅行をしているような錯覚に陥りまた、なんか、えらい仲がよくなっていったのをおぼえている南海高野線の中で話した。「家には電話した?」「うん、したよ、」「駅から家までは一人でかえれる?ついていこうか・・」「お父さんがくるって、お父さん、すごく、怒っていた」「・・・・」「気にしないで、お父さん、よく怒るの・・」ぼくは、南海電車のなかで、そうか、当然だよな、怒るよな・。Kさんが、怒られるのはかわいそうだなあ、と、思った。もう、8時過ぎになっていただろうか、九度山の駅についた。ひなびた駅だった、駅の待合に、ひとり、背の高いしゃつをきたこわそうなおじさんがいた。「お父さん!」Kさんは、おとうさんに声をかけた。ぼくは、すかさず、お父さんに話した。「大切なお嬢さんを怪我をさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」ぼくは、頭を下げた、Yの気持ちを込めて、謝った、お父さんは、何も言わなかった、何も言わず、Kさんをつれて、暗闇に消えていった。7時間の短い二人旅がおわり、とぼとぼと、帰りのホームにひとりたち、大阪を目指した。そして、下宿に最終の地下鉄でたどりつき、下宿につくと11時40分ごろだった。つかれて、そのまま、下宿で倒れこむように寝てしまい。翌日の就職活動の会社説明会は参加しなかった、電話で目が覚めた、Kさんからだった。「きのうは、ありがとう、おくってくれて・・」「いや、それよりも、お父さんにおこられたかい?」「うん、すこしね、」「今度さ、会えるかな?」「え、合えるって、ぼくと?」ぼくは、すこしあせった。というか、ぼくは昨日の旅のなかで、ほんのすこし、Kさんのことを好きになっていたからだ、「いや、あえない」無碍もなく言った。「なんで?」「いや、あえない、ひとり旅にゆくんだよ」そんなことどうでもよかった、女の子から会えない?といわれて、会わない、というやつもいないだろう。それよりも事故したYと、付き合うことも考えられるのに横取りするなんて、ひどい話だ、と、頭をよぎった。結局、夏休みがおわって、みんなでコンパにゆくときに電話で誘った。しかし、その後、Kさんは、わざわざ、Yの実家にまで遊びに行きでも、付き合い始める様子はなかった。そして、秋になり、Yはギブスをとれ、再びバイクにのりある日にバイトにでた、滋賀県のほうにしかし、運命とおそろしいもので、再び、横からトラックん激突され、骨折。琵琶湖のほとりの病院に再び入院した。ぼくらは見舞いに行き、顛末を聞き、しかも、その病院の看護婦見習いの女の子と彼はえらい気があって、付き合いだして、今に至るそして、30年後あんなことがあったよな。昔の手紙を読んでたら、あのことがKさんの手紙にかいてあったよ・。そういう話を携帯電話でしていた。「あ、今度同窓会あるから、Kさんのとこにも電話しとくよ!」」Kさんは、結婚し、女のこが一人いて、幸せにくらしていた。でも、なにか、気になって、電話すると、旦那さんがでてきた。「実は、病がひどく、参加できないとおもいます・・」ぼくは、驚いて、いろいろ聞いたが、おもい病であること、それから、僕は長い手紙を彼女の書いた。そして、だんなさんから返事がきた。同窓会でY君にそれをいうと、落ち込んでしまった。同窓会の居酒屋の片隅にKさんが笑って座っているようなきがした。「あのときの輝いていた嫁を思い、うれしく思いました」だんなさんはこう書いていた。ぼくは、小田さんのこのシングルを贈った。もう、治らなく、意識も戻らないといわれてる彼女に、そして、数年経って、その九度山のお父さんもなくられた、いろんなことが人生にはある、人は人と出会い、別れて、そこに残るものはなんなのか
2018.11.10
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良しリンの、この歌は何度聞いてもじんーとくるね。ぼくはこの主題歌の「タッチ」は、実は見たことがない。
2018.11.05
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いい歌ですね、70年代なかばほど、小椋佳ブームがおきなおかつ、彼が銀行員しあがら、やってるのを驚いた。彼の独特の世界。「俺たちの旅」の歌は、小椋さんの夢で見た世界という、
2018.11.04
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こんばんわ、オフコースのファンです。オフコースは、小田和正の オ ではじまり鈴木康博の ス でおわる。売れなかった頃の曲が数珠玉でとてもいいのである。
2018.10.27
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南海トラフ巨大地震は恐ろしい。サバイバルシート 単品 防災用品 防寒 保温シート 地震対策 毛布 寝袋 定形外内ええ。一円、やすーー
2018.10.21
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名曲。
2018.10.20
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2018.10.18
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この最近はこういう写真にはまっています。
2018.10.13
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点滅信号を無視するとどうなる? 今さら聞けない! 交通信号機にまつわるトリビアな話3【交通取締情報】- 記事詳細|Infoseekニュース夜間や早朝など、交通の閑散時に見かける、点滅信号。赤は「一時停止」、黄色は「他の交通に注意して進むことができる」という意味だが、もしこれを無視したらどうなる?「黄色点滅無視」で検挙はレアケース? もし、無視したらどうなるか、と言えば、ズバリ、道路交通法第一章7条違反(信号無視)となる。ただ、赤点…【全文を読む】ぼくもこれでやられました。赤点滅なんて不思議な信号が存在します。赤をつけていればいいものを。で、その通過するやつを密かに物陰で警官が待つ。あああ、せこい。
2018.10.13
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オフコースの人気の歌に、「秋の気配」があります。1977年8月5日に発売されたオフコース通算11枚目のシングルです、昭和52年ですよ。もう平成も終わろうとし、その前の昭和。昭和という時代はほんと今思えばすごいエネルギーのあった時代です。オフコースは、この曲は少し売れましたが、この頃はまだまだ売れる前、僕はといえば16歳。高校二年生か・・・。この曲はよくよく歌を聴いてみれば、別れの歌。どことなく「さよなら」とにてる。よくよく聞けば男のエゴがみえるわけですが、あの美しい小田さんの声と、美しいハーモニーと素晴らしい演奏で、印象は秋のもの悲しさを・・。 あれがあなたの好きな場所港が見下ろせるこだかい公園出だしのこの歌詞で、オフコースファンは、この公園を「聖地」と崇めます、横浜の港が見える公園です。神奈川県横浜市中区山手町114にある都市。 1962年(昭和37年)に開園。名称は戦後の流行歌『港が見える丘』に由来する。らしいです、ぼくは実際には行ったことがないのですが、木々が生い茂り実際は港が見えにくいとか、見えなかったとかといううわさを聞いたことがあります。歌の題名の、秋の気配ですが、この歌を聴いて秋の気配を感じるかどうかはオフコースファンたちは、もう前奏イントロだけで、その世界に入るんだけど、実際には冷静に歌詞を読むと、秋はどこにも歌っていないたそがれは、かぜをとめて、ちぎれた雲はまた一つになるおそらく、小田さんは題名は後付だろう・・。こんなことは今まで無かった、ぼくがあなたから離れてゆくこの歌詞は明らかに、男が女から愛想をつかしたんだろうね。二番では「別れの言葉をさがしてる・・」となる。三番では「ぼくがあなたから離れてゆく・・」ともう一度・・。しかし、この歌はグルーブ感、躍動感が出てる。秋のもの悲しさよりも何度とも無くでてくる、定番の歌詞あの歌だけは他の誰にも歌はないでね、ただそれだけこの歌詞は、まじで小田さんが言われたのであろうか、つきあっていた女性に、君のために作った歌なんだ・・。とかね、まあ、よくあるアーチストの口説き文句ですがでもそういう男女のなんやかんやを小田さんに感じることはないね。この曲のはいったLPはジャンクションです。
2018.10.10
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【送料無料】 俺たちの祭 Vol.2 【DVD】【中古】国内TVドラマDVD 俺たちの祭 DVD-BOX
2018.10.09
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松本隆の詞ですが、この「ああ青春」は曲が先にできたんです
2018.10.08
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2018.10.08
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103系ブルー編成が神戸の兵庫、和田岬線で走行してるのを撮影しにいきました、なんせ、ここは、朝と夕方の時間にしか運転していません、三菱のためにあるようなもんです、三連式ワイパーです、何で、三連式なのかわかりませんがこの電車はいやというほど昔乗ったものです、普通といえば、これでした、それでも40年前、下駄電という茶色の電車からカラフルになりました、川崎工場のよこ、ぶれぶれで失敗。ちなみに、線路のうえでなく、踏み力のあがったあとで後部から撮影。どこかで、誰かがおこられましたが・・。
2018.09.13
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9/6の北海道の地震には驚きました、災害が次から次へと、大阪の台風の被害や、関空の被害がふっとぶほどの話。陰惨な事件や、いろんな様々な悲しい事件もある。なんてこった・・。阪神大震災のときも、相当参ったが、あのときは僕は若かった。今来たらどうすんねん、という感じです。2週間はほとんど寝ないで動いてました。1995年も時代が大きく変わろうとしてましたね、いまも、平成が終わりを迎え、ほんま、昭和は終わったのは昨日のようにおぼえてるのにね・・。大地震がまた起きるんだろうね、東京でオリンピックは無理だと思う。
2018.09.07
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京都の市電が亡くなって、もう何年だろうか。高校三年の秋に、あこがれの京都に、学校をさぼり市電が無くなる数週間前に撮影に行った。当時は高校が嫌いで嫌いでしかたなく、何回か学校をさぼっていた。さぼってどうするか、なぜか、大倉山図書館にいって、勉強をするのだ。変なやつだよ、当時は、進路変更をすべく、というか、工業高校電気科だったのでそのまま、就職する道を、親が決め、そうすれば、いいと半分どうでもよかったんですが、どうも、自分には技術者が向いてないのがわかり、ぜんぜん違うはたけのとこだったら、どこでもいいとスペイン語の語学を勉強することを目標としたのです・。
2017.10.24
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財津和夫 I LOVE JAPAN 愛のスカイライン
2017.02.04
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Queen - Bohemian Rhapsody「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)は、クイーンが1975年10月31日に発表した、フレディ・マーキュリー作の楽曲。 アルバム『オペラ座の夜』に収録。演奏時間が長すぎるために、内部で議論となったが、同年にそのままシングルカット。この歌詞は難解。
2017.01.24
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Queen - Don't Stop Me Now「ドント・ストップ・ミー・ナウ」(Don't Stop Me Now)は、イギリスのロック・バンドであるクイーンが1978年に発表した楽曲
2017.01.24
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「見つめていたい」 ザ・ポリス「見つめていたい」(原題: Every Breath You Take)は、イギリスのロックバンド、ポリスの楽曲である。1983年のアルバム『シンクロニシティー』からの第1弾
2017.01.24
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素直になれなくて / シカゴ
2017.01.24
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Billy Joel - Just The Way You Are
2017.01.24
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2017.01.19
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君のせいで 安部恭弘
2016.12.26
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Time is 安部恭弘いつでも誰かを信じてられるように
2016.12.26
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もう道は続いている 安部恭弘安部さんの歌はやさしく、声もやさしく。
2016.12.26
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内気なジュリエット/杉真理
2016.12.26
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Wham! - Last Christmas
2016.12.22
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The Police - Every Breath You Take
2016.12.22
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U2 - With or without youU2(ユートゥー)とは、アイルランド・ダブリンで結成された4人組みのロック・バンドである。
2016.12.22
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