新しいスピリチュアルな考え方の提案・LORAN

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2009年05月23日
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「神を畏(おそ)れる」という言葉があります。

「畏れるとは、かしこまり敬うこと」と国語辞典に書いてあります。


私は宗教者でなく信者でもありませんが、神を畏れています。

しかし、宗教者や信者は神を畏れているとは思えません。


一般的に言えば、宗教を信じていない私の方が神を畏れていないと思われる

でしょうね。また、宗教に熱心な信者の方が神を畏れているはずですね。

でも、現実はまったく反対なのです。


神を畏れるなら、こころからかしこまり敬うはずです。



すべての宗教で、殺人を禁止しています。しかし、神の名にかけて宣誓した

大統領が他国へ軍隊を送り、ミサイルを打ち込み、多数の民間人の犠牲者を

発生させ、侵略し支配しています。


神主は利己的な目的のために、祈祷料を貰えばあらゆることを祈願します。

本来、神の御心に叶わないことを祈願してはいけないでしょう。

出家者(僧侶)が妻帯し、肉や魚を食べ、酒を飲むなどお釈迦さまの教えと

反した行為をしています。明治になって、太政官布告で妻帯が許されたそう

ですが、お釈迦さまの教えよりも太政官布告の方が優先するのでしょうか?

もしもそうであるなら、仏弟子を返上したらいかがでしょうか?


もしも神を畏れるなら、この自然の荒廃はなにが原因なのでしょうか?

大気や海や地下水が汚染され、生物が生存できる環境が無くなりつつあります。



創造主を畏れていないから、こんな勝手なことをしているのでしょう。


私は「神は罰(ばち)を当てない」と思います。

しかし、神を畏れなければ、その報いは自らが受けなければならいと思います。





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最終更新日  2009年05月24日 21時31分16秒
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