〔都々逸風~〕
「研修会 マスク三重 インフルエンザ
予防にて」^^
(都々逸のこころ~)
・疲労か酸欠か、研修後頭痛がした。^^
〔第34回「SGIの日」記念提言 〕~SGI会長I氏~抜粋
「人道的競争へ新たなる潮流」(先回のつづき~)
グローバルな市場経済を差配(さはい)する「貨幣」とは、
紙か金属片(最近では電子情報)にすぎず、
周知のように使用価値は、
皆無に近い。
有するのは、交換価値のみです。
交換価値とは、人間同士の約束事として成り立っているもので、
本質的に抽象的、非人称的な存在といってよい。
それは、
財やサービスのように具体的な、それゆえに
限定的な対象物をもたず、際限のない広がりをもつ。
欲望の対象として限界がない。
そこに「貨幣愛」というものの
特徴というか宿命的な病理があります。
金融市場のみならず市場経済全体を貫く
「効率性と不安定性との根源的な『二律背反(にりつはいはん)』
(岩井克人『二十一世紀の資本主義』筑摩書房)が
指摘される所以(ゆえん)でしょう。
利潤をあげるための限りなき効率性の追求と、
実態の裏付けを欠く貨幣というものの不安定性~それは、
「個人」の自由な経済活動を基調にした市場経済が
発達した現代の宿命といえるかもしてません。
ところで、哲学者のガブリエル・マルセルが、
第2次世界大戦を顧みながら、
「抽象化の精神~戦争の要因たるもの」という
興味深い論点を
提起していたのを記憶しています。(以下、小島威彦訳
『マルセル著作集6』春秋社)。
いうまでもなく抽象作業そのものは、
人間の知的な営みに欠かせないものです。
早い話、
「人間」などというものは存在しない。
実質は、日本人やアメリカ人であり、男や女であり、
青年や壮年であり、何々県人であり細分化していくと、
十人十色一人として同じ人間はいません。
それをきちんと踏まえた上で「人間」を論じないと
抽象概念が独り歩きしてしまう。
(つづく~)
<guu~>
・難しく感じられるが読み進めるときっと解ってくる
だろうと期待しつつ載せています。^^
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