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私はたぶん、理不尽なことやおかしいことに気づきにくいタイプです。特に、自分より強い立場の者からされる行いに対しては鈍感で、木偶の坊みたいにされるがままのことが多いかもしれません。 父の転勤の都合で一時期通っていた学校は、幼稚園から高校までの一貫校でした。幼稚園年長から私はそこに入学しましたが、入ってすぐ私はクラスメイトの幼児と小学生のお姉さんたちにいじめられ、休み時間は逃げ場がありませんでした。 幼稚園の時、休み時間、クラスメイトの女の子に「今のルーシーの髪型は変だから、切るともっと可愛くなるよ」と少しハサミを入れられ「あとは自分でやってみたら」と言われました。嬉々として私は自分でジョキジョキ髪を自分で切りました。 先生に見つかった時、すごく怒られました。「お母さんが悲しむわよ!なんでそんなことするの!」と。でも、なんで怒られているのかわからず、切るようにアドバイスしてきたクラスメイトがどうして何も言われなかったのか。クラスメイトはその場にはもういませんでした。悲しかったです。 また、昼休みに広場で小学生のお姉さんに「今から魔法をかけてルーシーをもっと可愛くしてあげるよ」と言われ、日が照る暑い中、自分の鼻を指で押して豚の鼻にされ首を上に曲げたままぐるぐる回らされました。 小学1年の時、クラスの安産型体型の副担任先生を、クラスメイトの女の子たちは「あいつケツでけー。すんごいでかじり。クスクス」とよく陰口叩いていました。女の子たちは私に「ルーシー、先生のでかい尻を叩いてきてよ」と頼みました。なるほどと思った私は(何がなるほどなのか、今はもう自分でもわかりません)思いっきり副担の先生の尻をひっぱたいてきました。もちろんその場できつく叱られました。 なんで怒られたのだろう?陰口叩いていた女の子たちはなんでなんのお咎めもないの?当時の私には全くわかりませんでした。 振り返ると、クラスメイトにも上級生にもからかわれ、ピエロ扱いされてばかりでした。 今、会社でこのような扱いはされませんが、障害者採用だから、障害者だから、からかったりおちょくるのを控えているだけかもしれません。 当時のことは、思い出すだけで今でも辛い気持ちになります。こういう辛い経験を、私の親は知りません。理不尽な出来事を言語化して他人に伝えること難しかったからです。この幼稚園・小学校にいた時は、ふとした時に涙が目に滲んでいたのですが、私は「上を向けば涙はこぼれない。頑張れ私!」と耐えていました。 大人の私から当時の私に対して言いたいことは「すごく頑張っていて辛いね。未来には、あなたをピエロ扱いしない環境はあるよ。」ということです。
2020.07.21
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スクールカースト(または学校カースト)とは、現代の日本の学校空間において、生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列を、カースト制度のような身分制度になぞらえた表現。スクールカースト - WikipediaEテレでスクールカーストといじめの特集番組がやってました。高校を卒業してすでに6年経過していますが、私はカーストの3軍にすら属せないエタヒニン状態だったので、今でもスクールカーストという語を耳にするとそわそわ落ち着かなくなります。上の世代に「スクールカースト」がいまいち伝わらない上の世代、というか自分の両親(50代)にスクールカーストのことを話してもピンとこないようです。以下は、私が10代だった頃の両親との会話です。私「勉強ができても学力が高くてもクラスメイトから見下される奴は普通にいるんだよ。勉強は関係ないの」父「それはその人の学力の高さが中途半端だからじゃないか。模試いつも校内順位が一桁ならみんなにいじめられないはず。お父さんはいつも成績が一番で、学級委員長をよくやってたんだ」母「学校の中のカーストなんて、あなたが気にしているだけよ。確かにお母さんのころもぼんやり序列意識はあったけど。そんなはっきりした序列意識があるわけないじゃない」こんなやりとりがよくありました。会話が平行線というのはこういう状況を指すのでしょうか。お勉強の出来具合とカースト上位ってあまり関係ないんですけども。お互い違う世界を前提に語っているような感覚でした。スクールカーストの立ち位置を左右する要素とは(自分の経験上で独断で語る) 一番は、コミュニケーション能力です。場にあった言動をし、場にそぐわない言動を起こさない。これは必要最低限の当たり前の能力。場を盛り上げる能力が上乗せされることで、カースト上位に近づけます。カースト上位の子はみんな声が大きかったです(比喩表現ではなく本当に大声なんです)。 二番は、恋愛のフットワークの軽さでしょうか。特に高校だと、性経験の早い子がカースト上位にいました。初体験が早いからえらいのではないのです。1軍に初体験の早い子が自然と集まっているのです。恋愛こそコミュニケーション能力に強く左右される営みですから。男女でスクールカーストに関わる要素が異なる(自分の経験上で独断で語る) 一般的に、運動能力や趣味がカーストを左右すると言われています。しかし私は、そこに男女差が多少あるのではないかと感じます。 まず、運動能力ですが、1軍女子は運動音痴が少なくなく、運動部と文化部の偏りがありませんでした。しかし1軍男子は全員運動部でした。 次にオタク趣味ですが、1軍にもオタク趣味の娘がいました。オタクと言っても2次元ではなくジャニオタでしたが。しかし1軍男子に重度のオタクはいませんでした。スクールカーストと意外に関係ない要素(自分の経験上で独断で語る) ルックスの良い子が1軍に集まるとよく言われますが、そうでもない気がします。私の知っている1軍には太っちょがいました。明るくて楽しい子だったので、ルックスよりコミュニケーション能力が影響するということがわかります。 でも1軍の子は男女ともに清潔感がありました。誰もお肌は荒れてなく、ニキビはほとんどなく、頭と制服にフケは付いていませんでした。ルックスというよりも清潔感が大事です。1軍のモラルに依存する学級マネジメント スクールカーストといじめは必ずしも結びつくものではありません。1軍が良い子ばかりで構成されていれば、そのクラスは誰にとっても平和で過ごしやすくなります。1軍のモラルが低いと最悪は学級崩壊へ繋がるので、クラスの平和は1軍次第です。 しかし、1軍の子どものモラルでクラスの過ごしやすさが変わるっていうのは、不安定だと思いませんか。教師と学校の仕組みでクラスの過ごしやすさが担保された方が安定的で良いに決まってます。学校にカーストがあるのは学校が特殊な環境だから 学校とは、特殊な環境です。ずっと同じ40人のメンバーで、ずっと同じ勉強や運動、イベントをします。閉鎖的です。閉鎖的な空間に大人数を囲っていたら序列意識が強まるのは仕方がありません。 だから、大学みたいにオープンで流動的な学びの空間を実現すれば、カーストの影響力は弱まるのではないでしょうか。小学校で実現させるのは難しいでしょうが、中学高校ならなんとなやれそうな気がします。教室内カースト (光文社新書) [ 鈴木翔 ]楽天で購入スクールカーストの正体 キレイゴト抜きのいじめ対応 (小学館新書) [ 堀 裕嗣 ]楽天で購入
2019.10.26
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私が子供だった頃も今も「子供をリビングで勉強させると学力が上がりやすい」「東大生はリビングで勉強してた人が多い」という噂か都市伝説かが流れています。自分が子供の時もリビングで勉強していました。子供部屋に空調機能がなく、夏は灼熱で冬は極寒だったからです。しかし、学力ないし偏差値は決して高くなりませんでした。子供をリビングでお勉強させて学力を高めるにはどんな条件が必要なのか、私なりに考察し、2点のポイントにたどり着きました。リビングという「親の監視下」の学習環境子供部屋は、おもちゃや漫画などお勉強の邪魔をする誘惑で溢れています。私が小学生高学年の頃は、親がいない間にパソコンで猥褻な成人向けサイトを見ることが好きでした。今時の普通の小学生だって、親がいない間にスマホでゲームばかりしているかも。だから、子供部屋に一人で篭るよりも、リビングなら親の目が届くから勉強に打ち込みやすいことは想像に難くありません。ある程度静かなリビングでお勉強リビングで教材を広げても、我が家のリビングはテレビやが常に点いていて歌が流れている環境でした。テレビや歌・音楽を常に流していないと母はダメなのだそうです。でもそれでは全く勉強に集中できません。言葉や音が流れていると文章を読めない書けないで困ります。でも母は「集中していれば周りの音は関係ないわよ。頑張って」と気に留めません。我が家では親は王様で、私が消すと親はひどく怒るので、静かなリビングというのはありえない環境でした。この環境で受験勉強していた時は、修行僧の気分でした。子供の教育やしつけには本当に様々な説が流れていて「リビング学習で学力向上」の他には「朝ごはんを欠かさず食べる子は学力が高い」「専業主婦(夫)の家庭の子供は情緒が安定する」などあります。それらを鵜呑みにせず、なぜそういう説が流れているのかを考えないと全く意味をなしません。
2019.10.06
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小学6年の時の学級担任は「いじめ」についてこう語っていました。「いじめをしたら、絶対に自分に返ってきます。何年先かはわからないけど、いじめという悪いことをすれば自分に悪が返ってくるのは来年かもしれないし10年後かもしれません。だからいじめは絶対やってはいけません」小6の私にこの語りは響きませんでした。悪いことをすれば自分に返ってくるって、嘘をついたら死後に閻魔様に舌を抜かれる話と同じくらい胡散臭かった。「悪いことをすれば自分に返ってくる」という語りかけが通じるのは小学校低学年までの幼い子に対してでしょう。幼稚園から高校までのいじめっ子・いじめられっ子は、今どうなっているのか。小学校時代にクラス全員から嫌われていたいじめられっ子は、低偏差値の高校へ行き、そのままフリーターになり、今どうなっているかわかりません。小学校で一番お勉強の得意だったいじめっ子は、10代で留学し国際社会へ羽ばたいています。有望な社会人になることでしょう。中学時代にいじめられていた私は、大学進学後に自閉症スペクトラムがわかり、今は障害者採用で素朴な業務をしています。中学で私を主にいじめていた男子は、無難に都内の私大へ進学し、上場企業に入社し、忙しく働いてキャリアを積んでいっています。いじめられっ子は成人後は前途多難な道を、いじめっ子は華々しい社会人生活をスタートしています。良くも悪くも純粋な子供の世界ですから、強い子が弱い子を攻撃するのはごく自然なことではないでしょうか?集団の中で一番弱そうな個体をみんなで排除していく様子は、生き物の本能のようであります。強い子はそのまま強い大人になり、弱い子はそのまま弱い立場の大人になるだけ。「いじめという悪いことをしたらいつか自分にも返ってくる」というのは全くの迷信ですね。親や学校の先生など、大人はどうやって子供に「いじめはだめだ」と教えたらよいのでしょうか?純粋で本能のままに行動する子供をいじめっ子にしないためには、大人が子供にひたすら理性を教育で植え付けていくしかありません。そして、いじめとは暴力であり、つまり犯罪です。「いじめは犯罪であり、犯罪は誰にやってもだめなんだ」と子供に言い聞かせるしかないのではないでしょうか。言い聞かせても無駄かもしれませんが、迷信で教え諭すよりましだと思いたいです。ヒトは「いじめ」をやめられない(小学館新書)【電子書籍】[ 中野信子 ]価格:842円 (2019/9/21時点)楽天で購入
2019.09.21
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8月下旬に入り、新聞では「いじめ」を扱う記事が出始めました。子供の夏休みがそろそろ終わるからでしょう。いじめられている子供への著名人のメッセージが数多く載っています。私はいじめられても不登校はしませんでした。なぜなら、家庭も居心地が悪かったからです。学校に行かなければ家にいることになり、家にいれば母親に責められる。私が落ち着く場所はあの頃はありませんでした。中学校を休みたいと母に申し出たら「じゃあ自分で学校の事務に電話入れといて。あと、学費払ってるお父さんに謝りなさい。お父さんが身を粉にして稼いだ学費をあなたはドブに捨てているのよ」と返されました。自分で学校に連絡を入れるのは当たり前のことだし、学費を無駄にしているのも事実です。何も言い返せませんでした。それでも「お母さんは私に衣食住は提供してくれるけど、私を守ってくれるわけではないんだな。私の心には興味のかけらもないんだ」と理解すると、悲しすぎてゾッとしました。非力な未成年の子供はいつでも親に味方でいてほしいのです。母がダメなら他に可愛がってくれる大人が欲しいなと、ネットで成人男性を探して会おうとしたりしましたが(今でいうパパ活)、私は会ってもビビって脱兎のごとく逃げてしまいました。パパ活的なことを頑張って可愛がってくれる他の大人を探そうとしたり、当時のクラスから抜け出すために成績を上げようと勉強に打ち込むうちに、クラス替えの時期がきました。成績選抜システムのおかげでひどいクラスメイトから離れることができました。離れてからは、孤独だけど穏やかな学校生活の再開です。成人した今では、母に理解されたいという気持ちは薄れてほとんど無くなっています。母に媚びても良いことはないので。むしろあまり関わりたくない存在です。距離を置いて他人のように暮らしていたい。母はひたすら父に尽くす非力な良妻だったんだなあとしか今では思えません。父が仕事に集中できる環境を提供していたかったことがわかります。娘が不登校になったら父は仕事に打ち込みづらいでしょうし。今の自分から中学生の自分に声をかけるなら、どんな言葉があるでしょうか?何もありません。当時も今も私は社会カーストの下層をうろうろしているので、中学生の自分に見せられる顔がありません。強いて言うなら「大人になると周りから恐ろしい存在が減って、怯えて暮らすことが減っていくよ。だからもっと勉強や趣味をやって、洗練された大人を目指してください」でしょうか。ヒトは「いじめ」をやめられない (小学館新書) [ 中野 信子 ]楽天で購入
2019.08.18
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子供の頃の話をしていて気づいたことです。私って男子にいじめられてばかりでした。一部のタイプの男子ですが。主にスクールカースト上位の男子からです。カースト中〜下位の男子は脅威はありません。捨て台詞でババアとかブスとか言うか、コソコソ陰口をするだけなので、心が傷つくだけで肉体は無傷ですから。しかし、上位の男子は表立って物理的攻撃があるから怖いです。頭を後ろからガツーンと殴られたり、カースト下位の肥満男子に命令して体当たりをぶつけてきたり、ものを取られたり机を汚されたりしていました。男子が大声をあげると身がすくみます。女子からの攻撃は少なめでした。嫌われていたかどうかわからないけど、私が気づくレベルの攻撃はそう多くありませんでした。女の子は腕力がないから全然怖くないし、女の子は肉体が傷つく攻撃をしてきません。女の子が大声で罵声を浴びせてくることは滅多にありません。そういう意味では、女の子の方が優しさがあります。同じようなタイプの異性から攻撃をよく受けているということは、私に原因があるはず。成人した今では、男性から殴られたりものを汚されることはなくなりました。子供は感情むき出しだから攻撃してくるけど、大人がやれば逮捕されますから。でも、私に対する敵意を心の中にしまい込んで我慢しているはず。子供も大人も感性は根本的に変わらないのです。また、「強い男性」に嫌われてしまっては社会で生きていけません。部署のトップ、会社のトップ、政治のトップ、みんな男の人ばかりです。障害者枠で働いていると社員皆さん当たり障りなく接してくれるのでこういう昔のことって忘れてしまうのですが、思い出せて良かったです。知らず知らずに社内でも反感を買っているかもしれません。「強い男性」を敵にまわさないスキルを身に付けたいので、キャバ嬢やホステスの話術を学ぶ価値が私にはありそうです。男性から攻撃を受けないヒントは彼女らにあるのではないかと考えました。自分の身を守るためには資格の学習ばかりではなくこういった「目に見えないスキル」も大事です。銀座No.1ホステスの上品な好かれ方 (だいわ文庫) [ 水希 ]楽天で購入
2019.07.14
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私は障害者枠で働いています。しかし特例子会社や一般企業の障害者用の部署ではなく、大勢の"普通の大人たち"に混じりながら働いています。で、小学生の子を持つ現役パパママが結構いるのですよ。だから、耳に入ってくる彼ら彼女らの雑談も子供の話題が少なくない。「娘(小4)は忘れ物が酷いから寝る前に2人でいつも持ち物チェックしてるの」「息子が宿題やってないのにやったよって嘘つく。困った」「娘が髪を指でくるくる触って行儀悪いが、でもショートヘアーに切らせてはくれない。女の子だから無理強いはできないし…」……心配しすぎじゃないのか?それとも私が冷たいのか?私の場合、親による持ち物チェックは幼稚園までしかやってもらったことない。宿題やったかどうかなんて親に確認されたことない。小学校低学年の音読の宿題は親のハンコがいるから、それくらいかな。といっても、しっかりした子供ではありませんでした。だから忘れ物は毎日何かしらやっていたし、宿題し忘れがないお利口な週なんてなかった。あと、髪の毛は中1まで強制的にショートヘアだった。小4まで母カットの節子みたいなおかっぱ頭で、小5からは美容院で母指定のショートヘアー。お前に髪の手入れができるわけがないとのことで。これは結局、中2になった私が自分の小遣いから美容院費用を出すと宣言して強行的にロングヘアーへ踏み切りましたが。どうして周りのパパママたちはそんなに子供の世話を焼きたがるのだろうか?どうして周りのパパママたちは子供の意思をそんなに尊重するのか?自分の母親が「子供がどんなに忘れ物しようと親には関係のない話だし、子供の自己責任だ」「親には親の都合があるから子供の意思は関係ない」という考え方なので、もろに自分がそれを受けているだけかもしれませんが。でもこの考え方は合ってると思うんだよな〜。でも、たまに「ね?お母さんって親切でしょ〜?」「お母さんのおかげであなたはここまで来れたの!」と言ってくるのはムカつくけど。親を現役でやってる大人の話、聞いて見たいです。
2018.07.12
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先日、新聞に「教育・しつけのもとに虐待する親」について書かれていました。虐待って、どこからが虐待なんだろう?特に教育が絡むと線引きが難しくなりますね。こういう話題になると、別に自分は被虐待児ではないけど、どうしても自分の負の思い出が頭を覗かせます。私の母は非常に教育熱心でした。私が幼稚園に上がるまで見せるアニメは英語のビデオだけだったらしい。アンパンマンなんか見せたことないって。また、5歳からは母が家庭で算数を指導していました。『わかるさんすう』1〜6巻(遠山啓、1979〜1985年にかけて出版)を用いて算数を先取り学習させたかったようです。大昔の教材ゆえにモノクロだしキャラクターいないし、子供に媚びたデザインではありません。しかし母はこの教材がお気に入りでした。遠山啓先生の教材は今でも世間で評判が高いみたいです。さんすうだいすき(全10巻セット) [ 遠山啓 ]価格:25920円(税込、送料無料) (2018/7/7時点)他人からすれば教育熱心で素敵なお母さんでありますが、幼稚園の頃は、私にとって『わかるさんすう』タイムは恐怖の時間でした。"2桁±2桁"の筆算はまだ機械的にどうにか解いていたように覚えおりいます。しかし、読解力は年相応(?)に低かったので、文章題が自力でさっぱり解けなかったのですよね。問題文を読んでも、手も足も出ない。母は苛立ちながらも説明するのですが、母の説明は文章をなぞるだけのもので内容を噛み砕いていない。何回も同じ説明をするから、説明しながら書くチラ裏は鉛筆で真っ黒。それでもやっぱり私は文章問題の言いたいことがわからない。苛立ちが抑えきれない母は激しく怒り狂います。目の前で激しく怒鳴る。手に持つもので机をガンガン叩く。私は怯えて泣き叫ぶ。母はさらに苛立ちを刺激されて、ますます怒鳴って机をガンガン叩く。と、まあ、どうしたって私の頭が悪いから母が怒り狂うだけの話ですが。でも、怖いし、酷いことしやがってと怒りまで感じる。怖い上に、わからない算数問題を幼児がどうやったって解決できないんだから、穏やかな母に戻すこともできない。(10代の子供なら自力で教材を調べたりできますけど、幼児には難しい)算数の指導ははほぼ毎日やっていたので、自分の非力さと母に対する怒りと恐ろしさでストレスがいっぱいな幼児期でした。幼児期に限定しなくても、母は娘の教育や成績が絡むとすぐに血がのぼる人間でした。母がやらせた中学受験では、私の成績が振るわなかったり勉強態度が悪いと「もう受験しなくてもええんやで!」と捨て台詞を履いて塾の教材を生ゴミの中に突っ込む。大学受験が目の前に差し迫った高校2年時では「こんな成績やとまともな大学(国公立大学or早稲田or慶応)行けへんやん!本当に大学行く気あるん?」とギャンギャン叫ぶ。(大学に行かないとダメだとそもそも言ったのは両親でしたが)何であんなにヒステリックになるのか今でも理解できませんが、「まともな大学に行かせて良い会社で働くようにしないと母としての役割を果たしていない」という重圧があったのでしょうかね。結局、私は障害者枠の有期雇用社員として働いているので母の望んだ人間にはなれませんでした。大企業の正社員にも高給な男性に守られる専業主婦にもこの先なれません。発達障害でもクローズの正社員として働く人間は日本のどこかにいるはずで、でも自分は頭が悪いからうまくやれずに今の社会的ポジションにいる。本当は賃金をいただけるだけありがたいのですが、少なくとも両親の期待する娘の生き方ではない。あれだけ血をのぼらせてヒステリックになるからには、娘の理想の生き方を両親が夢見ていたからに違いありません。両親は私にどんな大人になって欲しかったんだろう?タイムマシンに乗って若かった頃の母に今の私の姿を見せたら、どうなるんだろう。
2018.07.07
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ルーシーです。小学校中学校高校とすべての学校生活が嫌いでしたが、小学校の頃にあった給食は大好きでした。世界で一番美味しい料理が母親の手作り料理で二番目は小学校の給食であると当時は本気でそう思っていました。学校の給食がまずいだなんて感じたこともなかったのです。外部の給食センターではなく学内の給食室で調理されていたから美味しかったのかも。専属の管理栄養士の先生が献立を考えて学内の給食室でおばちゃんたちが調理するパターン。給食のために小学校に私は通っていたと思い込める時期すらありました。「学校の給食は美味しい」という価値観(思い出の美化?)を引きずったまま私は大学生になりました。大学の学食も個人的には大満足で不満はありませんでした。ところがネットで自分の大学の学食の評判を見てしまったのです。「小中学校の給食みたいで特別美味しくはない」衝撃的でした。小学校の給食が世界で二番目に美味しいと感じたまま大学生になっていたので。かくして私の常識・価値観は「学校の給食は美味しい」から「学校の給食は(世間一般には)まずい」へ塗り替えられました。【メール便送料無料】ミルメーク3種セット(各20袋入※抹茶のみ15袋入)価格:1080円(税込、送料無料) (2017/9/12時点)月1回は必ずミルメークが出てた。学校給食ゼリー【単品販売・各5個入】アセロラゼリー、はちみつレモンゼリー、ワインゼリー、青りんごゼリー、パインゼリー、ライチゼリー、シークヮーサーゼリー、ラフランスゼリーからお好きな味をお選びください♪価格:425円(税込、送料別) (2017/9/12時点)この中のアセロラゼリーだけは自分とこの小学校の給食に登場してた。次回更新日:9月17日(日)
2017.09.16
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近所の中学校から体育祭の元気な音と声援が聞こえてきます。子供の元気な声が遠巻きに聞こえてこちらも何となく微笑ましい気持ちになるのですが、個人的には体育祭が好きとか思い出のワンシーンがあるとかいう良いものではありません。小学校〜高校の運動会・体育祭のことを思い出しながら運動会・体育祭の嫌いなところを書いてみます。一体感と団結感が寒い。団結を求められると理由はわからないけど不快になる。空を飛んでどっか行きたくなる。小学校は直前日まで練習時間を割きすぎ。タイに住んでいた小2まではインターナショナルスクールに在学していて運動会はぶっつけ本番だったし自由参加だったのに、日本の公立小学校は何日も何時間も練習させられて強制参加。何日も何時間もやる運動会の練習から何を得られるのだろう??長期間の練習が必要なパフォーマンス(鼓笛隊、組体操など)はやめてしまえばいい。小学校の運動会についてはパフォーマンスが嫌い。赤組と白組がそれぞれ一体となって相手チームにエールを送り合うパフォーマンスがあった。各組の応援団長ポジの子は学ランとハチマキを身に付けるのだがこれがダサい。皆で声を合わせてエールを送る間はなぜか寒い気持ちでいっぱい。理由はわからない。中学と高校は朝練と放課後練が半強制参加。自分が通った中高一貫校では赤組青組白組でそれぞれダンスをして採点される伝統があり、ダンスの上手い子が毎年凝った振り付けを考えていた。凝った動きになるほど見栄えが良くなり高得点が取れるし、練習が増えてしまっていた。自分を拘束するものは授業時間だけのはずなのにやる気のあるスクールカースト上位の生徒たちの提案のせいで朝練と放課後練が行われる。こっそり不参加を貫くと親分肌の男子生徒から怒られたり嫌がらせがくる。クラス別対戦で行われる大縄飛びと◯人◎脚が不快。汗と熱気で不快指数が最高潮なのにクラスメイト同士で肌を密着させる競技。最悪。軍隊みたいな行進とマスゲームみたいなダンスをさせられる。幸いにして組体操は1回も経験せずに大人になったが組体操もここに入れていいだろう。行進とマスゲームと組体操をやめれば全国の運動会・体育祭の練習時間は削減出来そう。こんな感じであまりにも運動会・体育祭が嫌いで高校3年生の人生最後の体育祭は仮病を使ってズル休みした覚えがあります。当日休んだところで半強制参加の練習時間を取り戻せる訳ではありませんが。運動会・体育祭から得られたものは運動会・体育祭の無意味さと学校の文化に対するさらなる嫌悪感だけです。学校は軍隊に似ている 学校文化史のささやき/新谷恭明【1000円以上送料無料】価格:1296円(税込、送料無料) (2017/9/9時点)次回更新日:9月16日(土)
2017.09.09
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子育てにおける「お姉さん」と「おばさん」の境界線(最終更新:8/10(木) 9:57). 文春オンライン クリックでリンク先の記事へ飛びます上記の記事を読みました。我が家でおじさんおばさんという呼称は親戚にしか使わないので店の人や見知らぬ人におじさんおばさんと言う状況がよくわかりません。親戚にのみおじさんおばさんと呼び、店のスタッフは店の人か店員さん、よそのお母さんに対しては○○ちゃん(くん)ママと呼んでいました。それでも、子供から見た相手の世代という観点では非常に興味深かったです。実は私が幼稚園児だった頃は小学6年生が大学生と同じ「大人」に見えていました。さすがにおじさんおばさんとは思っていなかったけど、小6以上の年齢の人たちの世代の区別はつかなかったのです。小6といえば平均的な体格は150cm弱〜それ前後でしょうか。成人の小柄な人と変わりありません。当時の私は身長でしか「大人」「まだ大人じゃない」の区別がつかなかったと考えられます。顔で察したり区別することはとても難しく「お年寄り」「まだお年寄りじゃない」くらいしか区別ができませんでした。流石に小学4年生くらいからは顔や雰囲気で人の年代を何となく察するようになりました。40代以上がおじさんおばさんで、30代はおじさんおばさんでもお兄さんお姉さんでもない微妙な年代だなぁ、お年寄りは60歳からかな、と生意気ながら勝手に思っていました。生意気ですみません。人間の顔に対する認識力の成長やカテゴリ化の力って面白いです。この辺の勉強は追究しなかったから詳しくないけど色々と本を読んで知りたいところですね。次回更新日:8月19日(土)
2017.08.13
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2017年5月12日(金)放送 TBS系列「爆報!THEフライデー」で戸塚ヨットスクール事件の詳細を見ました。名前だけならききおぼえがあったのですが、内容は初めて知ったのです。スクールと校長の現在に迫る形で進み、途中のインタビューで校長「(子供は)体罰があって自分を律することができる」と語るところで私は「犬じゃあるまいし」と思いつつも自分に昔あったことを思い起こしていました。親から暴力的な体罰はほぼありませんでしたが怒鳴られたり家に入れてもらえなくなるという罰はあったのでその恐怖によって行儀良くしようと頑張ってました。6歳から私は同級生と遊ぶために単独で家の外を歩くようになっていましたが同時に母から"5時までに家に着いていること"と決められていました。数分でも遅れたら、怒鳴られて家に入れてもらえなくなります。罰を恐れて私は家のルールを遵守していました。ある日、同級生Hちゃんのお宅に大人数で集まり楽しく騒いで遊びました。大人数だけあってオモチャを皆で派手に散らかし、片付けるためにHちゃん宅を出られそうなのは5時を過ぎそうでした。ここで私は「片付けは一緒にしなきゃだけど出ていかないとお母さんに怒られる!こっそりでも出ていかないと!」と焦ってHちゃん宅を急いで出ようとしたその瞬間Hちゃん母に鬼ババの形相で「お前も片付けしろ!勝手に帰るな!!」と怒鳴られました。一緒に遊んだくせに一人だけ片付けに参加しないなんて卑怯ですしね。しかし当時の私の目線では、実母に怒られることを恐れて実家のルールを遵守しようとしたらよその親に怒鳴られたのです。二重の恐怖の板挟みになり思わず大声で「ぎゃーー!!でも(そうしたら自分の)お母さんに怒られる!!」と泣きわめきました。ここでHちゃん母は私の親に連絡するように電話を使わせてくれました。帰宅が遅れるときに親に電話で伝えることを学習したきっかけでもあります。あのときの私は罰が恐ろしいから帰宅時間を守っていたのですが、本来なら何でその規則があるのかを知る必要があったわけです。時間を守るのは大切だから、とか、夕方に幼い子が一人で出歩くのは危ないから、とか。(体)罰をもってして自分を律する子供に育て上げたら規則の本質を知らずにいて、ルール(時間厳守という母との約束)を守るためにルール(皆で片付けるという社会の暗黙)に背くという上記のエピソードのようなおかしなことになります。しかし、情緒的に実年齢より幼かったであろう当時の私がそこまでできたかどうかも疑問です。自閉症スペクトラム児には難しいところかも?子供を大人へ育てるとは何と難しいのだろうと未婚未産の自分でも痛く感じました。次回更新日:5月14日(日)
2017.05.13
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