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2010.04.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類

  近代(ルネッサンスとも言う)の三大発明は、1)(黒色)火薬、2)羅針盤、3)活版印刷と言われる。日本が之をどのように導入なり料理したのかを、2010年3月に米国Google社が中国から撤退した背景と、日本の三大発明導入のプロセスが、ちょっと似た所があると思うので、この際触れておこう。
  発明そのものは中国で原型が作られ、ヨーロッパが改良を加え近代化に利用し、世界的に発明の恩恵が普及したと言える。時期としては、夫々がルネッサンスより早く事業化された。中国での三大発明時期は、Wikipediaによると 1)黒色火薬(文献には唐代(618年~907年)の「真元妙道要路」に記載があり、2)羅針盤も方位磁針として、11世紀中国の沈括「夢渓筆談」正確には「真貝日誌送」に記載がある。同じく3)活版印刷も東アジアで、2世紀中頃紙が発明され、7世紀木版印刷が発達し、11世紀に陶器への文字印刷、金属活字は13~14世紀に朝鮮(高麗)で行われていたことが確認されている。木版印刷の世界最古品が、「百万塔陀羅尼経」(770年)として法隆寺に残されている。 
ルネッサンス時期に開花した側面もあり、「ルネッサンスの」或いは「中国の」とか「世界の」三大発明という名前の付け方もあるが、『近代の三大発明』とした方がマッチしそうだ。
1)黒色火薬については、日本は元寇(1274年文永の役、1281年弘安の役)の際に、その威力を初めて知ることになる。火煙が天高く上昇する様な燃焼物は開発されていた節がある。鉄砲が種子島へ伝来(1543年)してから、織田信長が長篠の戦(1575年)で鉄砲の威力を発揮するまで、ものの30数年であった。その間、日本では狼煙(のろし=狼の糞)をヒントに、黒色火薬の3原料「硝石(硝酸カリウム)75%、硫黄10%、(木)炭15%」の内、輸入しか入手法が無いと言われた「硝石」に似通ったものを、ヨモギに馬尿(アンモニア)をかけるなどした土間の土を使った製法で手当てしていたと推測される。
秀吉が朝鮮出兵した際、捕虜から硝石の製法を聞き出し、前田藩の五箇山や奈良盆地などで、糞尿(アンモニア)を腐敗させ、床下などの湿った土中の硝化バクテリアでHNO2(亜硝酸)とし、土中のCaO酸化カルシウムと反応させ、硝石を国産化していたという説もあるらしい。ただその後は、「鎖国令」もあり、鉄砲、大砲などの進展は止まっている。それに伴い黒色火薬の一原料で、輸入に頼らざるを得ない「硝石」国産化の動きもスローダウンした。兵器という観点でみれば、徳川幕府は外様などの勢力が火薬開発―鉄砲開発することを抑え、厳重な監視下に置かざるを得なったと考える。 Wikipediaなどによると、徳川綱吉は、「諸国鉄砲改め」を交付し、百姓や猟師にも鉄砲所持を禁止したようだ。
ペルーの黒船が来航するまで、日本で鉄砲用、大砲用、花火用などの黒色火薬製造や原料「硝石」製法開発・進展の話が無かったということだ。明治維新以降は、ネックになった「硝石」も、チリ―産などを輸入し、1920年の硝石化学合成までは輸入で凌いだことになる。
この日本が1)火薬を導入する過程で、鎖国で平和だったことで、兵器用火薬の開発ニーズが無く、「近代(世界)の三大発明」の日本導入が遅れてもなんら支障なく、潮流から遅れることなく、文化的なレベルは充分維持できたのではないかという点である。 つまり、近代の重大発明であろうが、その発明が、時の幕府として兵器開発とリンクし、急速な富国強兵策も可能なことも判っていた可能性がある。導入に蓋をして拒否したことは、ちょっと観点が異なるかもしれないが、見方によってはGoogle社の中国撤退の背景と似通っている。    
2)羅針盤(方位磁針、コンパス)については、日本海事科学振興財団によれば、日本が船磁石として導入したのは、中国宋から鎌倉時代と見られる。続日本書記に、近江の国から朝廷へ「船磁石」が献上された(713年)との記述があるようだ。実際には中国で10世紀北宋の時代に船、旅、測量などに使われていたようだ。コロンブスの大陸発見(1492年)など、大航海のようなスケールの大きいニーズが無く、勿論、動力船も無かったので、高度な方位磁針による航海術導入が遅れたのではないかと推測する。

実質的な導入は勝海舟の幕府海軍伝習所、操練所のような時代から、航海術として導入され普及したのではないだろうか。
日本で操船の際、舵を左に切るのを「とりかじ=取舵」、右に切るのを「おもかじ=面舵」と言うのも、{右舷}西=酉(とり)、{左舷}東=卯(う)からきているとのことで、24針(後36針)船磁石を使いだした鎌倉・室町時代頃から定着したものと推測する。
大航海が必要無ければ、特に高度な羅針盤用いた航海術導入は必要でなかったと言えます。
3)活版印刷は、Wikipediaによれば、ヨハン・グーテンベルグが1397年に、独マインツで、鉛・錫・アンチモン合金の金属活字とアマニ油性インクで事業化したのが、普及の端緒となったようだ。徳川幕府は、オランダ経由優れ物のこの印刷技術を輸入することは可能だったが、普及すれば、幕府を批判する瓦版や配布チラシが安価に大量にばらまかれるのを牽制して、実質輸入禁止措置が取られていた節がある。 普及しなかった別の説として、「金属活字のアンチモン合金の製造が困難であったことと、国内産油性インクのノリが悪く、普及しなかった。」とあるが、幕府による規制の方が可能性高いと推測する。
活版印刷術が日本で普及しなかったことにより、大量印刷配布されず限定数の制作をおこなう浮世絵が定着することになった。浮世絵師達の対象を描く繊細さと独特の豊かな色彩感覚が成熟し、世界の芸術家達に大きな影響を与えた浮世絵師が輩出した。 葛飾北斎は、1999年の米国ライフ誌で過去1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人の中に、唯一日本人として選ばれている。 印象派のゴッホやドビッシーが浮世絵「神奈川沖浪裏」を見て交響曲「海」を作曲したことなどが有名である。活版印刷術が普及していたなら、浮世絵が注目されず、独特の色彩感覚や豪快かつユニークな構図をものにする世紀の浮世絵師は生まれなかったとも言える。
つまり、幕府の肝入りで、近代の重要発明を導入しなかったことにより、皮肉にも高度な芸術を育んだということが言える。
米国Google社の検索ビジネスも、印刷の延長線上の情報関連技術とも言える。その検索を好ましくないということで、仮に規制を強めれば、高度な検索ビジネスの発展や普及は遅れる。結果として情報関連技術全般の‘’近代化‘’は遅れることになる。江戸時代と時代背景が異なり、単純な比較は出来ないが、その発明技術と関わる管理者の関係は、いつの世もどこの場所でも吉と出たり凶と出たり、色々と有り得る話である。
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Last updated  2010.04.14 16:54:28
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