恐れ多くも愚民が申し上げます

恐れ多くも愚民が申し上げます

Aug 16, 2007
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ある映画を見た。

演習中に事故で友人を死なせてしまい、しばらく自責の念にかられていた主人公だが、最終的には立ち直る。
自分の責任ではないのだと言われても、やはり気になることだろう。
だけど、一時落ち込んだだけで、また立ち直る。

映画全体の雰囲気が底抜けに明るいのですよ。
ただ単に浮かれた明るさではなく、きちんと現状を見据えた上での明るさです。

沈んでも、また立ち直ることが、責任を果たすことであって、皆の望むことなのだなぁと分かりました。
ひとは、欠点のありすぎるわたしに、その当然の帰結として、一生底辺で生きることを望んでいるのだと思っていました。
だから罵倒したり、無視したり、拒絶したりするのだと。



高校受験をしたとき(リア中だった頃)のわたしは、欠点も多かったし、ひとに嫌われてもいましたが、今よりも必死でしたし、真剣でした。
とにかく、たくさん勉強をしたかったです。
ですから、自然にアピールをすることができたのだと思います。
部活もしていなかったし、転校も多く、何の資格も持っていなかったけれど、あの頃は自分に自信がありました。
しかし段々と、自信が持てなくなっていきました。
成績が良くないことと、周りと価値観や性格、経歴が違いすぎることに気づいたから、急に怖くなってしまったのです。

その怖さからひねくれてしまった感情をずっと引き摺り続けてきました。
ネットを知って、否定的な意見を毎日のように見て、「ネガティブに矮小して捉えたものが真の現実」だと、何となく、理解してしまったのでした。
今でも、その考えは否定できません。
高坊だった頃のわたしは、「現実を見ろ」とネット上の書き込みでよく言われ、その意味が分からずに、仕方なく、前向きに考えることを捨ててしまったような気がします。
友達にも「現実を見ろ」とたまに言われましたが、やはりネガティブに捉えることが現実を見るということなのでしょうか?

ですから、何でも極度に矮小化して最後に残ったものが現実、だという理解を今でも捨てられないのです。
だからいわゆる建設的な意見、前向きな意見というものが、現実を見ていないように見えて、嫌いでした。
理想論という言葉はあまり良い意味に使われませんしね。とにかく怖かったです。


映画の主人公のように、底抜けに明るい人にはなれないかもしれませんが、せめて恐れを知らないリア中時代の自分に戻りたいなぁとは思います。
傍目から見て、そのような自分がどんなに痛く見えようとも、いつまでも立ち直らないでいて、底辺にうずくまっているよりは(それが皆さんがわたしに望む姿であったとしても)なんぼかマシなような気がするのです。





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最終更新日  Aug 17, 2007 02:25:59 AM
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