先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」
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大海に心定めし、 大丈夫(ますらお)が、 風吹かばふけ、波立たば立て <依田勉三>=================================◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇ますら‐お(益荒男<丈夫>)・・・〔名〕〔雅〕強く勇ましい男性。立派な男子。ますらたけお。ますらおのこ。=================================※喫煙室(雑談コーナー)実は、恥ずかしながら私は依田勉三という名前は知っていたが、どういう人物なのか全く知らなかった。北海道に住む人間として勉強不足を痛感。北海道と言えば北海道の名付け親でもある松浦武四郎や「少年よ、大志を抱け!」で有名な札幌農学校のクラーク博士、札幌開拓の父である島津勇、北海道庁初代長官・岩村通俊、北方探索に当たった間宮林蔵などが有名である。十勝開拓の“農聖”と呼ばれ、北海道開拓神社にも祀られている依田勉三もまた「十勝開拓の祖」と呼ばれ北海道の草創期に大きな足跡を残した人物である。後段のWikiにも詳しく入植当時の苦労が書かれているが、未開の荒野であった北海道開墾を目的として結成された「晩成社」を率い帯広市を開拓した依田勉三、歴史に名を残した傑出した人々の不屈の開拓者魂に私達は学ぶべきものが多いのではないか。ところで、帯広といえば「六花亭」、北海道の銘菓「マルセイバターサンド」が有名である。私の大好きなお菓子である。以下、Wikiより抜粋してみた。マルセイとは◯の中に成の字を入れたもので、依田勉三の興した晩成社(依田牧場)が1905年(明治38年)に北海道で初めて商品化したバターのことである(当時の表記はマルセイバタ)。マルセイバターサンドの包装は発売当時のマルセイバターのラベルを復刻・再デザインしているため、レトロな外観を持つ。 ☆----------------------------------------☆依田勉三依田 勉三(よだ べんぞう、嘉永6年5月15日(1853年6月21日) - 大正14年(1925年)12月12日)は日本の北海道開拓者。北海道開墾を目的として結成された「晩成社」を率い帯広市を開拓した。開墾に関わる業績から緑綬褒章を受章している。北海道神宮開拓神社の祭神。[生い立ち]依田家は甲州武田氏の流れを汲む伊豆国那賀郡大沢村(現:賀茂郡松崎町)の豪農で、勉三は善右衛門の三男として生まれた。もっとも幼くして次男が亡くなったため、戸籍上は次男となっている。幼名を久良之助といい、土屋三余・保科酔月から漢籍を教わる。12歳で母が、後を追うように14歳のときに父が死去し兄の佐二平が後を継ぐ。兄とともに伊豆の松崎町にある土屋三余の私塾「三余塾」に学ぶ。19歳の時に上京しスコットランド出身でスコットランド一致長老教会の宣教師・医師ヒュー・ワデル(1840年 - 1901年)の英学塾(ワデル塾)に学び後に開拓の同志となる鈴木銃太郎・渡辺勝と知り合う。その後慶應義塾に進み、当時の新知識を吸収。福澤諭吉らの影響もあり、北海道開拓の志を立てたが、胃病と脚気のため2年在学の後中退し郷里に帰る。明治12年(1879年)に兄・佐二平が提唱した洋学校に渡辺を招き教頭とし1月15日に私立豆陽学校として開校した。この学校は後に郡立中学豆陽学校と名称を変更した後昭和24年(1949年)4月に静岡県立下田北高等学校となる。同校の同窓会は豆陽会を名乗る。明治12年(1879年)4月に従妹のリクと結婚し、この頃北海道開拓の志を固めた。明治14年(1881年)に、晩成社の代表発起人として単身北海道に渡る。晩成社は失敗に終わるが、開田事業は成功して、十勝開拓の父と呼ばれた。[北海道の調査]明治14年(1881年)8月17日に北海道に渡った勉三は函館から胆振、函館に戻り根室に向かい釧路国・十勝国・日高国の沿岸部を調査し、苫小牧・札幌を経て帰途につく。明治15年(1882年)には郷里の静岡で佐二平・園・善吾と勉三を発起人に、晩成社を設立し資本金を5万円とした。政府から未開地一万町歩を無償で払い下げを受け開墾しようというのである。学友の鈴木と鈴木の父・鈴木親長と共に横浜港から北海道に向かい札幌県庁にて開墾の許可を願い十勝に向かった。7月16日に十勝国河西郡下帯広村(帯広市)を開墾予定地と定め鈴木銃太郎と鈴木親長は帯広に残り勉三は帰国した。その頃の帯広にはアイヌが10戸程と和人が1戸あるのみだった。静岡では渡辺勝が移民の募集をした。明治16年(1883年)4月に13戸27人が集まり横浜を出港した。4月14日、函館に着いた一行は海陸二手に分かれ帯広に向かい、1ヶ月後の5月14日に帯広に到着した。[帯広の開拓]明治16年(1883年)、帯広に入った一行をまず鹿猟の野火が襲い、次にイナゴの大群が襲った。食糧としてアワを蒔き付けするも天候の不順やウサギ・ネズミ・鳥の被害に遭い殆ど収穫できなかった。明治17年(1884年)もまた、天候が優れず開墾は遅々として進まず、開拓団の間に絶望が広まっていた。勉三は米一年分を大津(現在の豊頃町)に貯蔵したが帯広への輸送が困難な状況であった。食糧不足を打開するため、当縁郡当縁村生花苗(おいかまない、現在の広尾郡大樹町)に主畜農業を経営する。明治18年(1885年)には農馬を導入し羊・豚を飼育しハム製造を目指した。馬鈴薯澱粉を研究し、農耕の機械化を試みるが何れも上手く行かず、当初の移民は3戸にまで減少した。明治25年(1892年)頃には状況が漸く好転し食糧は足り、小豆・大豆の収穫も目処がつくようになった。当初晩成社の設立に当たっては15年で1万町歩の土地を開墾しようとの目標を掲げていたが、目標には遠く及ばず30町歩を開墾するのに10年を要す有様であった。明治25年(1892年)11月の佐二平・勉三兄弟の叙勲から奮起し晩成社の事業を拡大した。会社組織を合資会社とし社名を晩成合資会社と改める。函館に牛肉店を開業し当別村に畜産会社を作る。帯広には木工場を作り然別村(現在の音更町)に牧場を開いた。明治30年(1897年)に社有地の一部を宅地として開放すると多くの移民が殺到した。明治35年(1902年)にはバター工場を創業。他にも缶詰工場・練乳工場等もあった。勉三と晩成社が手掛けた事業は何れも現在の十勝・帯広に根付く産業となったが当時晩成社の経営は上手く行かなかった。大正5年(1916年)に売買(うりかり、今の帯広市南東部)等の農場を売却する事によって晩成社の活動は事実上休止する。大正14年(1925年)には勉三が中風症に倒れ、9月には勉三の看病をしていた妻が亡くなり、12月12日、勉三は帯広町西2条10丁目の自宅で息を引き取った。享年73。勉三の死後昭和7年(1932年)に晩成合資会社は解散し、翌年の昭和8年(1933年)帯広は北海道で7番目に市制を施行した。勉三は、その死の間際「晩成社には何も残らん。しかし、十勝野には・・・」と述懐したという。[死後]昭和16年(1941年)6月、中島武市によって帯広神社前に銅像が建立された。この銅像は戦時中に金属応召によって供された。昭和26年(1951年)7月に銅像が再建された。昭和29年(1954年)9月には北海道開拓神社に勉三が合祀される。帯広市の菓子メーカー六花亭が作る「マルセイバターサンド」は勉三等の晩成社を記念したものである。昭和60年(1985年)4月、出身地である松崎町で勉三と土屋・佐二平の3人の偉業を讃え、第1回中川三聖まつりが開催された(以後毎年4月第1日曜日に開催)。平成元年(1989年)に、明治26年(1893年)から大正4年(1915年)頃まで勉三が当縁村生花苗で住んだ住居が復元され「依田勉三翁住居」として大樹町の史跡の一つになっている。平成14年(2002年)の開基120年を記念して勉三の生涯を綴る映画『新しい風 - 若き日の依田勉三 -』が製作され(勉三役は北村一輝)、第38回ヒューストン国際映画祭でグランプリに輝いた。[エピソード]開拓初期は生活が極端に苦しく、客人が豚の餌と勘違いするほどの粗末な食事であった。幹事の渡辺勝が「おちぶれた極度か豚とひとつ鍋」(豚と同じ鍋の食事をする)と惨めな生活を嘆いたとき、勉三は毅然として「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と詠んだと言われる。現在、このエピソードをモチーフにした鍋型のもなか・「ひとつ鍋」が製菓会社の六花亭から発売されている。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』◆依田勉三の本◆自己啓発書のベストセラー ☆----------------------------------------☆★☆「keiko通信 from NewYork」☆★「真夜中のホテルでの火災」宿泊中のホテルで夜中4:00警報機が鳴り、ロビーに集まるようにアナウンスで起こされた経験がありますか?アップステートの某ホテルで火災の連絡を受け、起こされた宿泊客。結局、原因も理由も知らされないまま部屋に戻り眠れぬ朝を迎えてしまうことに・・・キッチンは閉まっている時間帯、タバコの不始末でしょうか?以前、日本橋のマンダリン・オリエンタルホテルで警報機が鳴りましたが誤作動でした。マンダリン・オリエンタルホテルのロビーは38階ですので飛び降りるわけにもいかず、必ず非常口を確認して泊まるようにしています。 Keiko ★ちょっと一言!※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。大変なことになっています。やっと70%ほど復元したホームページですが、再びハッキングされたというメールがGoogleから届き、Xサーバーに連絡して調べてもらいました。「お客様のサーバーアカウントにおいて、当サポートにてセキュリティ調査を行いましたところ、お客様がご利用のプログラムにセキュリティ上致命的なバグ(脆弱性)が存在し、当該脆弱性を第三者に悪用されてしまった可能性が非常に高い状況でございました。」もう一度、全てのサイトを作り直さなければなりません。まったくいやんなっちまう!!!・・・まあ、こんなことではへこたれません!何度でも作り直します!10月に入ると仕事の都合で道内各地を回ります。滅茶苦茶忙しくなります・・・^^;★皆さんのメールが何よりの励ましです。出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いていただければ実名を出すことはありません。まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう!■今号はいかがでしたか?驚くほど役に立つ「名言集」へのコメントをどうぞ!⇒ http://clap.mag2.com/sloulaiphu/input=================================★気軽に・お得に・稼ぎたいなら「A8.net」に登録!!★⇒ https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=2HDLVP+5SZ642+1N3S+6AAFLV★コーヒーマシンが無料でもらえる!【ネスレ日本公式】★⇒ https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=2NQWZ4+DUX9PU+357U+BZGEQ★【じゃらん】クチコミで選ばれた人気宿ランキング★⇒ https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=10DU80+199GI2+14CS+644DU=================================☆お勧めの「無料レポート」大公開☆◆先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」part1◆※今まで、メルマガでご紹介したvol.創刊号1~vol.50までの「名言」を素敵な「名言集」に仕上げてレポートにしました。⇒ http://maxim.no1wizard.com/page-34----------------------------------------------------------------------------------※メルマガ解除はご自身でお願い致します※★まぐまぐ ≫ http://www.mag2.com/m/0000147942.html★ミニまぐ ≫ http://www.mag2.com/m/M0038759.html★melma ≫ http://www.melma.com/mag/95/m00131695/★インフォマグ ≫ http://www.infomag.jp/Site_101.html-----------------------------------------------------------------------------------先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」-■発行者 ≫ 宮口栄治 ■連絡先 ≫ lupin2936★yahoo.co.jp (★→@)■驚くほど役に立つ「名言集」 ≫ http://maxim.no1wizard.com/■北海道の魅力 ≫ http://hokkaido2006.com/■旭川時事英語研究会 ≫ http://english.no1wizard.com/●Miyaguchi Diary ≫ http://plaza.rakuten.co.jp/lupin2936/----------------------------------------------------------------------------------
2018年09月28日
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