先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」

先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」

2021年12月24日
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カテゴリ: 今日の名言
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2021.12.24-Vol.1010


■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■


★今日の名言★


 楽観的でありなさい。

  過去を悔やむのではなく、

   未来を不安視するのでもなくいま現在だけを見なさい。

              <アルフレッド・アドラー>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

楽観的(らっかんてき)・・・

楽観していること。深刻に悩んだりせず、物事をよい方に、気楽に考え
ること。

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※喫煙室(雑談コーナー)



それにしても1937年に67歳で亡くなったアドラーの時代から心の問題解
決への道しるべは何も進化していないように思えるのは私だけだろうか


同時代に生きたジークムント・フロイトやカール・グスタフ・ユングと
共に一時代を確立した心理学の巨頭は益々混迷を深める現代の心の病に


旭川でのいじめ自殺の問題や大阪での精神科への放火事件、自殺願望者
が人を巻き込む拡大自殺など心の闇は深くて暗い。


アドラーが求めた心の問題への解決策がその言葉の端々から聞き取るこ
とが出来るだろうか?以下、幾つか拾ってみたのでご覧いただきたい。


★「よくできたね」とほめるのではない。
 「ありがとう、助かったよ」と感謝を伝えるのだ。
 感謝される喜びを体験すれば自ら進んで貢献を繰り返すだろう。

★苦しみから抜け出す方法はただひとつ。
 他者を喜ばせることだ。
 自分に何ができるかを考え、それを実行すればいい。

★叱られたり、ほめられたりして育った人は、★
 叱られたり、ほめられたりしないと行動しなくなる。
 そして、評価してくれない相手を、敵だと思うようになるのだ。

★人の心理は物理学と違う。
 問題の原因を指摘しても、勇気を奪うだけ。
 解決法と可能性に集中すべきだ。

★健全な人は、相手を変えようとせず自分がかわる。
 不健全な人は、相手を操作し、変えようとする。

★他人のことに関心を持たない人間は苦難の道を歩まねばならず、
 他人に対しても大きな迷惑をかけることになる。
 人間のあらゆる失敗はそういう人たちの間から生まれるのです。

★判断に迷ったら、より多くの人間に貢献できる方を選べばいい。
 自分よりも仲間たち、仲間たちより社会全体。
 この判断基準で大きく間違うことはまずないだろう。

★「仕事で失敗しませんでした。働かなかったからです」
 「人間関係で失敗しませんでした。人の話に入らなかったからです」。
 彼の人生は完全で、そして最悪だった。

★「暗い」のではなく「優しい」のだ。
 「のろま」ではなく「ていねい」なのだ。
 「失敗ばかり」ではなく「たくさんのチャレンジをしている」のだ。

★あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。
 その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ。

★子供にとっては 家族が世界のすべてなのだ。
 親に愛されなければ 死ぬしかない。
 だから子供たちは 全力で親に愛されようとする。
 そのときとった命がけの戦略がそのまま性格形成につながっていく。

★幸せの三要素は 自分自身が好きかどうか。
 よい人間関係を 持っているかどうか。
 そして、人や社会に 貢献しているかどうか。

         ☆----------------------------------------☆

アルフレッド・アドラー

アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語発音: (アルフレー
ト・アドラー)、1870年2月7日 - 1937年5月28日)は、オーストリア出
身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよび
カール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療
法を確立した1人。

初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが、アドラーはフロ
イトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決
別し、個人心理学(アドラー心理学)を創始した。

[生涯]

1870年2月7日、ウィーンの郊外ルドルフスハイム(ドイツ語版)で、ハ
ンガリー系ユダヤ人の父とチェコスロヴァキア系ユダヤ人の母との間に
生まれた。アドラーが育った家庭はユダヤ人の中産階級に属していて、
父親は穀物商を営んでおり、母親は夫の仕事を手伝う勤勉な主婦だった
。アドラーは6人兄弟の次男で、上に2歳上の兄がいた。アドラーは、こ
のような大家族の中で育ったことが自身のパーソナリティの成長と、後
に独自の理論を発展させる基盤になったことを認めている。

[医師キャリア]

アドラーは幼い頃に、声帯のけいれんとくる病に苦しんだ。また、3歳下
の弟が生後1年でジフテリアで死んだこと、何よりアドラー自身が4歳頃
に肺炎にかかって危うく死にかけたことが、医師を志す動機となった。
ギムナジウムを経て1888年にウィーン大学の医学部へ入学、1895年に卒
業すると、ユダヤ人が多く中下層階級の人が多く住むウィーン2区レオポ
ルトシュタットで眼科医、のちに内科の診療所を始めた。彼の患者は概
して裕福ではなく、診療所がプラーター遊園地の近くにあったので、遊
園地で働く空中ブランコ乗りなどの軽業師や大道芸人など、自分の身体
能力で生計を立てている人が多かった。その中には、幼い頃には身体が
弱かったのにそれを努力によって克服して逆にその弱かった部分を強く
したり活かしたりしているのも少なからず存在したため、後に「器官劣
等性」と呼ぶことになるアイディアについて考え始める切っ掛けとなり
、これはアドラーが「補償」「過補償」の理論を発展させるのに役立っ
た。また私生活では1897年に、ロシア系ユダヤ人のライザ・ティモフェ
ヤーニャ・エプシュタインと結婚した。

1898年、アドラーは最初の著作となる『仕立て業のための健康手帳』を
刊行した。アドラーは、あくまで医学の正しい知識を通じて社会をより
よくしようと考えていたので、当時沸騰していた政治運動とは一線を画
していた。1902年にジークムント・フロイトから招かれてフロイトの研
究グループに参加し、これが彼と精神分析との関わりの始まりとなる。
1907年に処女作の『器官劣等性の研究』を上梓、1910年にウィーン精神
分析協会の議長に就任し『精神分析中央雑誌』の編集長を務めた。しか
しこの頃からフロイトと意見を異にすることが多くなり、1911年にアド
ラーは主だった仲間と共に自由精神分析協会を設立(1913年に個人心理
学会へと改称)。フロイトらの学説とは完全に一線を画し、翌1912年に
『神経質について』を出版した。

第一次世界大戦では1916年から軍医として従軍し、戦争と大勢の負傷者
・とりわけその中でも神経症の患者を大勢観察する中で、アドラーは共
同体感覚こそが何にもまして重要であることを見出し、大戦終了後に共
同体感覚を個人心理学の最新の基礎として語り始める一因となる。

[教職へ従事]

終戦の混乱から新しいオーストリアの建設が目指される中で、アドラー
は生涯でただ1度だけ政治活動に関わることになった。ウィーン1区の労
働者委員に就任して教育改革に従事し、その一環として1922年に児童相
談所を設立している。1920年代にはアドラーは、教育、医学、心理学、
ソーシャル・ワークなどを含む学際的な努力を通じて、子どもたちの精神
的な健康のために革新的な考えを持つ心理学者として知られるようにな
っていた。アドラーは親や教師を含む多くの非専門家の聴衆に対して精
神医学や心理学の知識を伝えていった。アドラーは診療所での診療の他
に、児童相談所やフォルクスハイム(ドイツ語版)で講義を行い、1924
年にはウィーン教育研究所治療教育部門の教授に就任した。

アドラーは絶え間ない診療、頻繁なる講演、著作活動、スーパーヴァイ
ズ、そして夜な夜な友人や仲間とカフェで議論をかわしていて、多忙を
極めた。なぜなら、家庭と学校において、子どもの教育についての効果
のある新しい方法が求められていたからである。アドラーは、仕事のペ
ースを緩めることなく精力的に活動し、その名声は年々国際的に高まっ
ていった。1926年末に初めてアメリカ合衆国へ数ヶ月にわたる講演旅行
に訪れ、大成功を収める。新聞は個人心理学について詳細に、そして讃
美にあふれた記事を書くまでになっていた。これ以降、アドラーは1年の
半分ずつをヨーロッパ大陸と北米大陸とで過ごし、カウンセリングと講
演で大陸各地を廻る生活が続いた。アメリカでの活動の拠点は、長らく
ニュースクール大学での連続講演だったがつまり、ニュースクールでの
講演とは別に、医学生に対しても教育を行うようになったのである。ま
た、教育診療所の評判も上々だった。

[アメリカ移住]

世界大恐慌以降のオーストリアでは、政治が不安定となった。一方アメ
リカでは、1932年にロングアイランド医科大学の医学心理学招聘教授に
任命され、大学付属の教育診療所の指導も任され、『人生の意味の心理
学』を刊行した。1934年にオーストリアでドルフース首相のクーデター
によるオーストロファシズム政権が樹立されると、翌1935年に一家でア
メリカに移住した。

1937年に一家を苦しめ悩ませたのは、長女ヴァレンタイン(ヴァリ)と
音信不通になったことだった。ヴァリは社会学の博士号を取り、ジェロ
・サスという名前のハンガリー人ジャーナリストと結婚して、ヒトラー
の支配するドイツからストックホルムを経てモスクワへ移っていた。し
かし、1937年1月半ばから連絡が取れなくなっていた。一家は手を尽くし
たが、ヴァリの安否はわからなかった。(後年、政治的嫌疑を受けて逮
捕され、シベリアの強制収容所で死亡したことが確認される。)

[死]

その1937年の5月に、アドラーは突然亡くなった。アドラーは、ヨーロッ
パへ講演旅行に出かけた。4月半ばにフランスに着いて、10週間ほとんど
連続の講演旅行が始まり、フランス、ベルギー、オランダを回って、イ
ギリスに渡った。イギリスでは次女のアレクサンドラと共同で授業を行
う予定だった。しかし、5月28日、スコットランドのアバディーン大学で
の連続講義の4日目(最終日の金曜日)に1人で朝食を済ませ、ホテルか
ら散歩に出かけた直後、ユニオン・ストリートの舖道の上で意識を失い
昏倒した。病院に搬送される救急車の中で、心臓発作のため死亡した。
67歳だった。

遺体はエディンバラ郊外のウォーリストン斎場で火葬された。遺骨の所
在は長らく不明だったが、2007年に同斎場で骨壷が発見され、2011年に
国際個人心理学会の協議を経てウィーン中央墓地に名誉改葬された。

[事績]

[器官劣等性・劣等感・優越追求]

幼い頃、アドラーは声帯に軽いけいれんがあった。しかし、それを克服
したのは明らかのようだった。なぜならアドラーは、いつも患者にやさ
しく穏やかに語りかけ、歌声はとても美しかったと伝えられており、彼
の講演は多くの人を魅了したからである。

アドラーの最初の診療所は、プラーター遊園地の近くにあったので、患
者には遊園地で働く料理人や軽業師、芸人等が少なくなかった。それら
の人々を援助する中で、アドラーは、彼らが身体的な弱点を克服して、
むしろそれを強みにしたり活かしたりして遊園地での仕事を得ているこ
とに気がついた。

アドラーは自分自身の体験と、そして主にプラーター遊園地の患者を援
助する中で、器官劣等性がある人は、そのような自分の身体的な弱点を
努力によって、補償あるいは過補償を行うという理論を発展させた。し
かしアドラーはこの理論が、器官劣等性のように客観的に劣っている身
体的機能等がある場合にだけ当てはまるのではなく、主観的に「自分は
劣っている」と劣等感を覚えてそれを補償する場合にも当てはまること
を発見した。そして、人は常に、理想の状態を追求していて(優越追求
)、理想の状態は仮想であるから、それに到達できない自分について劣
等感を覚える、という優越コンプレックスの理論へと発達させていった。

[共同体感覚]

「アドラー心理学#共同体感覚(独:Gemeinshaftsgefuhl 英:Social I
nterest)」を参照

[児童相談所・ウィーン教育研究所]

戦間期のウィーン市政は、社会民主党によって運営されていた(「赤い
ウィーン」)。社会民主党は、様々な改革を行ったが、中でも教育改革
は重要な改革であった。アドラーは第一次世界大戦前の息の詰まるよう
な伝統的な権威主義的な教育に反対で、友人のカール・フルトミューラ
ー(ドイツ語版)と共に教育改革に取り組んだ。

アドラーは児童相談所を設立し、クラスの様々な生徒への対処の仕方に
ついて助言を求める教師や、子どものことについて助言を求める親にカ
ウンセリングを行った。またこの頃には、各学校では関心のある親のた
めに親の会が開かれるようになっていた。アドラーは、ここでも子ども
の教育に関する講義を行ったりその援助を行った。こうして、児童相談
所はウィーンのみならず、ヨーロッパへと拡がっていった。

アドラーはまた、1924年にウィーン市が独自に設立した教育研究所の治
療教育部門教授に就任して、教師の再教育を援助した。教師は、発達お
よび教育心理学のトレーニングを受けることができて、個人心理学の子
どもの発達と治療に関する基本的な知識を得ることができた。

児童相談所、ウィーン教育研究所の取り組みは成功し、国際的に高い評
価を得た。

[自助グループ]

「アドラー心理学#自助グループ(Self-help group)」を参照

[世界をよりよくすること]

アドラーは楽観的な意見の持ち主で、個人心理学の知識を通じて、世界
をよりよくするための機会を提供できると確信していた。アドラーは、
個人心理学の未来について次のように述べている。

誰ももう、わたしの名前など覚えていないときがくるかもしれません。
個人心理学という学派の存在さえ、忘れられるときがくるかもしれませ
ん。けれども、そんなことは問題ではないのです。なぜなら、この分野
で働く人の誰もが、まるでわたしたちと一緒に学んだように行動すると
きがくるのですから。

-アルフレッド・アドラー、"Alfred Adler as We Remember Him" (1977)

[後継者の育成]

アドラーの死後、その教えは多くの者に引き継がれた。オーストリアで
はカール・フルトミューラー、フェルディナント・ビルンバウム(ドイ
ツ語版)を中心に仕事が再開され、アメリカではシカゴを拠点としてル
ドルフ・ドライカース(英語版)が活発なグループを設立し、個人心理
学国際ニュースレターを発行した。ハインツ・アンスバッハー(英語版
)とロウィーナ・R・アンスバッハー(Rowena R. Ansbacher)はヴァー
モント大学を拠点にしてアドラー心理学の教科書とも言える "THE INDI
VIDUAL PSYCHOLOGY OF ALFRED ADLER" を著した。

[エピソード]

アドラーの人柄を伝えるエピソードには次のようなものがある。

アドラーは心理学の講義を行った後、用意された昼食を学生たちと楽し
んでいた。だが、1人の女性は、サンドイッチと飲み物だけの昼食が続
くことに腹を立てて言った。「毎日先生にサンドイッチを食べさせるな
んてひどいって言ったのですよ。先生のような偉大な方に」と。アドラ
ーは女性にこう言った。「いいですか。もしも私の中に偉大さというも
のがあるとすれば、私が食べたもののためではありませんよ」
偉ぶらず、質素な生活を好む人柄が表れる話である。

[批判]

アドラーと交流のあった科学哲学者のカール・ポパーはアドラーの個人
心理学は疑似科学を伴った理論であると批判している。 1919年のある時
、ポパーは小児患者の症例をアドラーに報告した。しかし、アドラーは
その患者を診た事さえないのに、自分の劣等感理論によってその事例を
事も無げに分析してみせたという。ポパーによれば、アドラーの個人心
理学のように、どんな事例も都合よく解釈でき、反証可能性の無い理論
はニセ科学である。これがアインシュタインの相対性理論のような本物
の科学とは異なる点だと言う。<後略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アルフレッド・アドラーの本
自己啓発書のベストセラー
筑紫哲也『NEWS23』とその時代 金平茂紀著

         ☆----------------------------------------☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「外国人にも選挙権」

2023年から、永住権者、就労ビザ滞在者にも選挙権が与えられるように
決まりました。

ニューヨーク市内に在住するものは市内選挙のみの市長、市議会議員等
地元の選挙に投票できる。

ビル・デブラシオ市長は、永住権を取得していない外国人が選挙権を得
るとアメリカ国籍を得ることの価値が希薄になると・・・不安を漏らし
ています。

日本国民は全員に選挙権があるけれどアメリカは市民権を取得した人の
みです。

                  Keiko


★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

楽しいクリスマスをお過ごしでしょうか?
ところでイタリアの司祭が「サンタクロースは実在しない」と子供達に
伝えたことについて、イタリアのローマ・カトリック教会教区が謝罪し
たそうです。教会の使命をなんと心得ているのでしょう?司祭たるもの
子供たちの夢を奪うような言動は厳に慎むべきです。

颯太(ふうた)は、我が家の愛犬です♪


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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

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今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

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■発行者 ≫ 宮口栄治
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■H.P ≫ 北海道の魅力
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最終更新日  2021年12月24日 05時00分07秒
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