love&peace♪マチオの脱力生活日記!

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2006/09/28
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 思春期家庭教育講座では、元登校拒否児童としての体験を基にした「不登校児童のまるちびこちゃん」という手作りの紙芝居を披露した。スケッチブックに描いた18画面の紙芝居。“鉄拳”のネタのアレのようなものだと思ってもらえばいい。出来は良く、さくらももこが見たらクレームがつきそうなできばえ。自分でも満足している。ともすれば深刻になりがちな話題を、少しでもユーモラスに語れれば、と思って用意した。予想以上に好評で、よかった。

 先日の長岡市での講演とパネルディスカッションで知りあった西野博之氏の著書「居場所のちから」を今読んでいる途中なのだが、この本を読んでいると、「ありのままの自分で受け入れられる」ということの大きな意味を感じさせられて興味深い。ありのままの自分で許され、受け入れられるということは、何よりも大きな安心感だと思う。「学校に行けてしまう子どもたち」が、どれだけこの感覚を養う機会に恵まれているだろうか?ということを考えると、不登校でフリースペースに通っている子どもたちがいかに恵まれているか?ということを感じさせられる。

 信じて任せ委ねるサポート

 ということについて、9月28日の魚沼市での思春期家庭教育講座と10月1日の“若ぇ衆らサポートネットにいがた”の“その「支援」ちょっと待った!”パネルディスカッションとフリートークのイベントを終えて思うこと。神奈川県川崎市でフリースペース“たまりば”の運営を続けてきた西野博之氏の著書「居場所のちから ―生きてるだけですごいんだ―」の内容に触れながら書いてみたいと思う。

 支援やサポートということを考える時、忘れられがちな「信じて任せ委ねる」という姿勢に目を向けることができた。メンタルに限らず、この姿勢はどのような支援・サポートであっても失うべきではないと信じる。

 人間は本来、自分自身の力で自分の道を見つけ出し、それに向かって歩いていく力を備えているとオレは信じている。だから、“本人の進むべき道”みたいなことを指し示す必要は無い。というか、それこそ余計なお世話、お節介というものだろう。NEETが働かないことだって、あれこれと言うべきではない。ひきこもり者が社会参加しないことも、不登校児童が学校に行かないことも同様だ。ひきこもりがひきこもることによって、NEETが働かないことによって、不登校児童が学校に行かないことによって、生じる結果はすべて、良いものも悪いものもすべて本人がその時点ですでに受け取っているのだ。人は皆、その人に相応しいものを受け取っている。その中には自責の念や後悔、悩みや迷い、苦しみのた打ち回る経験なども含まれるかもしれない。しかしそれらでさえ、というよりもむしろ得がたい貴重な学びの機会なのだ。チャンスなのである。

 「では、当事者に対する支援として何ができるか?」という問いに対しては、「本人の本来のちからを発揮できる時と場を提供すること」と答えよう。これが、西野博之氏がその著書「居場所のちから ―生きてるだけですごいんだ―」の中で言及している「居場所」なのだと考える。ここで言う「居場所」とは何かと言えば、当事者にとっては「ありのままの自分で安心できる場所」ということになるだろう。では、そういう場を提供する側にとってはどうか?それは「信じて任せ委ねる場」ではないだろうか?西野氏の著書を読んでいると、このことを強く感じる。フリースペース“たまり場”に集う子どもたちは、ありのままの自分でいることを許され(本来許される・されないということではないのだろうが、許されない機会や時や場が多すぎると感じる)自らの思いのままに振舞うことを経験することによって、自らが必要とするものを自分の力で手にしていく。そこには他者の価値観が入り込む余地は無い。彼ら彼女らが心から、自分の思うままに行動しているからだ。彼らは、そういう経験を通じて自らの状態を客観的に捉え、正当にかつ肯定的に評価し、それまで必要としていたであろう自己肯定感を手にしてゆく。失敗も成功も、よろこびも悲しみも悔しさもすべて自分自身の選択のゆえだという自覚を持ちながら。学校という場で“他人からの評価”にあえいでいた若い魂は、“思うがまま”の時と場を与えられ“他人の評価”から自由になることで、余計な手を加えずとも子ども自らの望ましい在り方に変わってゆくのだ。これは、彼らが人間として本来備えているたくましくも頼もしい力ゆえのことに違いない。

 「信じて委ね任せる」という点においても、当事者主体であることが大前提であることは言うまでもない。「いつか不登校児童が学校に通えるようになること」「いつかNEETが就職なり就労すること」「いつかひきこもりが社会参加すること」総じて言えば「いつか皆と同じ、“まとも”な暮らしができるようになること」を信じることではないのだ。それはすでにして、そう願う他の人の価値観なのである。心配や思いやり、不安や憤り…どのような気持ちからのものであっても、それら他の人間の価値観の押し付けは、本人の生活が本人自身のものであるためには邪魔になりこそすれ助けになるものではない。例え家族であっても、だ。

 意識的・無意識的を問わず、すべての人は今現在の自分の在りようをすでに選択しているのだ。ひきこもり・NEET・不登校…非ひきこもり・非NEET・非不登校だって皆そうだ。それらの意識的・無意識的な選択が、「“本人が選び取ったがゆえに”本人にとって必要なのであり望ましい選択なのだ」ということを信じること。それを信じることができるならば、本人のことは本人に「委ね任せる」ことが可能になるのだ。そしてそのことこそ、当事者にとって欠かすことのできない必要な支援になるのだと信じる。



 これがオレが歩んできた道なのだ。自分のことは自分で決める。自分の思いに正直に、やりたいことだけをやってきた、ひきこもり後の無就労の約2年間。言い尽くせないほど多くの実績を積み、成功と失敗を繰り返し、うれしい気持ちせつない気持ち怒りや不安やその他多くの偽りの無い感情を抱くことを繰り返して、“他の誰でもない自分”を確かに手にすることができた。他の多くの人々の助けがあってのことなのは言うまでもないけども、心に抱く気持ちは常に、偽り無く自分自身のものだった。たくさんの人たちが今のオレ自身やオレがやっていること・やってきたことを誉めてくれて、それはうれしいんだけど、実際は「他人の目なんかどうでもいい。いち番たいせつなのは自己満足できるかどうかだ」と開き直れれば、他の誰だってオレくらいのことはできると思うんだ。今オレはそれくらい自分を信じているし、自分が好き。これって何より得難い尊い感覚だと思う。

 心を養い育てるためには、余計な手を加えない方がいい。ありのままに任せる方がいいんだ。他ならぬオレ自身が、その好例。うん、自分、素晴らしいっ!(笑








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Last updated  2006/10/05 09:54:00 AM
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