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◇ 2月27日(火曜日) 旧睦月十日、壬辰。日本人は外国語を「勉強しよう」と思うと、どうしても文字に依存するようである。最近会費の払い戻しでトラブルを起こしている英会話スクールなどではどんな教え方をしているか知らないけれど、ラジオ放送のテキストなどを見ると、やはり「読んで聴く」のが主体になっているようで、その逆ではない。アメリカなどでは、会話は出来ても読み書きが出来ないというのが、特に新移民の間で問題になっているようだ。こういう新移民向けに色々な教育施設が作られているようだが、それも日常生活で例えば納税に係る書類が理解できなかったり、子供の入学手続きに関する書類が読めないのは困る、と云う程度の動機のようで、文学書を読めるようにしようとか、まともな論文を書けるようにしようなどという高邁な目標などさらさらないようである。「お互い話が出来て、意思の疎通が出来れば良いじゃないか」というのがまぁ共通の了解のようである。しかし、日本語ではこれを「文盲」というおどろおどろしい言葉で呼ぶ。文盲は無学と対をなし、無学は無教養と連鎖して、つまりは、文字の読み書きも出来ないのは人間として対等に扱ってはいただけない。これは我国民の習い性なのであろう。従って、「外国語を勉強しよう」などということになると、辞書を買い込み、文法書を仕入れ、教科書を並べて、挙句の果てにそれだけで疲れてしまって、結局もとの木阿弥と云うことになってしまう。当社なども小なりと言えど、海外との取引があるから、ある程度の英語力は必須である。ところが、ちゃんと大学を出ているのに、英語が出来ないのを当たり前のように思って憚らない連中が居る。一時は、補助金まで出して英語の修練を奨励したのだが、結局上記の流れを一通り辿って、環境だけ整えてオシマイにしてしまう連中ばかりなので、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまった。「英語なんかアメリカへ行けば、乞食や子供や盗人だって平気で喋っているんだぞ!日本で大学卒と云うことは、最低でも8年間英語を勉強したんだろう?もうネタモトは全部頭に入っているはずなんだから、どうしてやらないんだ!」といってみても、こういう連中は蛙のツラになんとやらで、押し黙ってひたすら小言が頭上を通過し終わるのを待っているだけである。しからば、と代替策を考える人は昔から居たようで、ABCに全く没交渉のまま、英語でやり取りが出来るようにと色々珍案を考案なさった。水が欲しい時は「ワラワラ=藁」(water)といえとか、電車やバスを降りるときには「揚げ豆腐」(I’ll get off)と叫べというのは有名だ。又、「掘った芋いじんな!」というのが、「今何時?」(What time is it now?)というのは古典的である。こういうものが出来上がると、ちゃんと通じるのかと云うことが気になる。そこでNHKは実際にロンドンにアナウンサーを派遣して実験してみた。こういうことをやるから公共放送としての意義があるのかどうかは知らないが、ともかくこのアナウンサーは、ロンドンの街頭で、「掘った芋いじんな!」とか「揚げ豆腐!」とか「斉藤寝具店!」(sight seeing)と叫んで回ったのだ。そして・・・なんと!これがものの見事に通じたのだ。これは見ていてハラハラしたが、実に愉快だった。こういうのは彼我を逆にしても同じである。むしろ外国人にとって日本語を覚えるほうが難しいだろう。随分前の話である。初めて日本に出張するアメリカ人が、コミュニケーションを円滑にするために簡単な日用語を教えてくれといってきた。無論彼は日本語が全く出来ない。「おはよう」は「Ohio」、「こんにちは」は「corny cheer」と言えば何とかなるよ。と教えたのだが、「ありがとう」にはちょっと弱った。何処の国でもちょっとした感謝の言葉は、最も大事な円滑剤だ。そこで「Alligator」と教えてやった。アリゲーターというのは、アメリカ南部のミシシッピー川やフロリダの沼沢地に住むワニである。そして彼は来日してどうしたか?「おはよう」も「こんにちは」も恙無く通じたが、ここぞと云うところでAlligatorが出てこない。一生懸命考えて、最後に彼は「crocodile!」と叫んだのである!因みに、クロコダイルもやはりワニではあるが、アリゲーターとは別の科に属し、アフリカ、アジア、オーストラリア、そして南アメリカに広く分布しているのだ。日本に来たガイジンにとっては、日本語は如何にも面妖で、人によっては非常な興味を抱くものらしい。当社にも一人ドイツの青年がインターンシップで来ているが、社員が冗談めかして変な日本語を教えるものだから国に帰って妙な事になるんじゃないかとハラハラしている。さて、最後にクイズを二題。公平のために、英語→日本語、日本語→英語、の例を一つずつ掲げてみる。どちらも発音の類似だけで、意味は全く関係ないので、ご注意あれ。(1) It’s a dirty mouse! (直訳すると、「汚い鼠!」となるが?)(2) 家内屁をプー? (語尾は上げ気味に発音すること。)
2007.02.27
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◇ 2月25日(日曜日) 旧睦月八日、庚寅、京都北野天満宮梅花祭、松山椿祭。今日の朝日新聞に「いつか鳥のように」と題して、羽ばたき飛行機の話が出ていた。この飛行機、翼の差し渡しが3.3メートルもあり、重さ2.6キロの機体をエンジン動力で飛ばすのだ。プロペラ動力でなく、鳥のように羽ばたいて飛ぶ飛行機としては、世界最大級であるそうだ。開発したのは日本大学理学部教授の中里勝芳先生という52歳のオジサンだ。日本大学と言えば、毎年行なわれる琵琶湖の「鳥人間コンテスト」の常連大学だ。しかも強い!この学校は、何れは人間の力だけで我国最大の湖を往復飛行して還って来られる、最右翼のチームを擁している。しかし、中里先生は、栄えある航空工学では無く、植物の光合成の研究がご本業だそうだ。それでも「いつかは人間の背中につけて飛べるようにしたい」とおっしゃる。いいないいな!羽ばたいて飛ぶためには、プロペラ動力の飛行機とは異なる様々な工夫が必要である。先ず長大な翼を扇のように上下動させる強力な筋肉と、それを骨に伝える強靭な腱が必要だ。体も出来るだけ軽くするために、鳥などは骨を中空にしている。翼の動きも単純に上下させれば良いというものではなく、横方向への動きも必要になる。翼端には風切り羽根のような仕組みも必要になる。現生の空を飛ぶ鳥類で、最大のものはアホウドリとコンドルで、共に翼長は3mから4m。中里先生の最新作のモデルは、ほぼこれに匹敵する。しかし両者とも、大人の人間の体重(50キロから70キロ。これ以上重い人は、空を飛ぶなんて事は、はなっから考えるべきではない!)には程遠い。地球上のかつての飛行家で最大のものは、翼手竜ケツァルコアトルスだが、体重は50キロ程度だったそうだ。そしてその翼長は12m程度であった。大体セスナ機程度の翼である。つまり、15m程度の翼長で、羽ばたきを実現できれば、飛行具をつけた人間も飛べるはずである。ケツァルコアトルスは、筋力が応分に強くなく、実際には高所から飛び立っていたそうだ。そしてときどき羽ばたいて滑空しながら、上昇気流を捕まえ、後は長時間大空を自由に舞っていたと考えられている。人間の場合には、無論動力は自前で無くモーターの力を借りることになるから、充分軽量で強力なモーターを上手く使えば、平地から飛び上がることも可能かも知れない。こういうのが早くできるといいなぁ。出来たら真っ先に手に入れよう!休みの日は、これを肩に装着して、近くの公園から舞い上がり、あちこち飛び回る。たまには里山や田園地帯まで遠出をしても良いな。狭山湖や多摩湖なども、上空を飛んだら気持ち良いだろうなぁ。中里先生の飛行機は、100mの高さまで舞い上がったそうだ。人間が趣味で飛ぶには、100m程度も上昇できればまぁ充分だろう。それに、少なくともプロペラの付いたパラグライダーよりはうんと静かだろうし、飛行操作の自由度も高いはずだ。上手く操ればホバリングだって出来るかもしれない。第一飛び立つ場所を作るために他人の山の木を無断で刈り取ってしまう必要もない。その内これが普及して、ちょっとした近所への買い物や、通勤のための駅までの往復などにも簡便に使えるようになれば、車の使用頻度だって減らせるかもしれない。それに、色々な人が空を舞っている光景は想像するだけで楽しいではないか。中里先生には、是非どんどん改良に精進していただいて、早晩人間が使えるようにしていただきたいものである。
2007.02.25
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◇ 2月24日(土曜日) 旧睦月七日、己丑、旧七草、上弦の月。食は毒でもある。実は前の週末以来、酷い風邪にやられての実感である。先ず定番どおりに悪寒から始まった風邪は、発熱、倦怠感の増進と悪化し、二日目にはもう枕が上がらなくなってしまった。無論運動機能に障害があるわけではないから、起き上がって歩くことも出来るが、持続性が全く無くなり、無理をすれば覿面に体調に跳ね返って、熱が更に上がり病状が酷くなってしまう。その内咳も出るようになって、確実ではないが潜血反応も出ていたようにも思う。とにかく三日間は、殆ど「死んだような」状態だった。部屋の戸や窓を全て閉め切って、二六時中ファンヒーターを回し続け(テレビの音を絞って寝ていたら、時々東京ガスの回し者が出てきて小声で叱られたから、換気には否応無く注意させられた)、ポットの蓋を開放して湿気を立て、薬を飲み、ただひたすら寝ていた。普段からすれば異常と言えるほどの長時間を眠って過ごしたのだ。四日目に入ると薬を服用した後で発汗するようになった。それまでは汗腺が閉塞したような気分で汗も出なかったのだ。一旦出始めると、汗はどんどん出る。「これは直り始めたぞ!」と嬉しかった。汗をだらだら流しながら喜ぶなんて、マラソンで無事ゴールできた刹那か、風邪を引いた時くらいしかない。五日目になってかなり回復したものの、翌日又一時的に高熱を発した。しかしその後は順調に復調し始め、現在は咳だけが残っている。まるまる一週間は風邪に全面降伏状態にあったことになるが、こんなに長く世間から物理的に遠ざかっていたのは初めてである。しかし、携帯電話とインターネットのお蔭で、人様に風邪をお裾分けする憂い無しに、肝要な部分では色々「動く」事ができたのは、全く文明の利器のご利益である。この間、自分の食の嗜好は大幅に変化したのには驚いた。先ず風邪の初期には、全く食欲が無くなった。寝てばかりいるからといって、体は色々な分野でエネルギーは消費しているから腹は減る。脳は間歇的に空腹感を伝えてくるが、「あれを食べな」とは一向にアドバイスしてくれない。それで結局二日半、口を通過したのは水やお茶と薬だけで、それ以外の固形物には縁がなかった。欲しいとも思わなかった。三日目になって、これでは体が持たないぞという「理」の声が勝った。家人がお粥を作ったというので、相変わらず食欲は無かったけれど、ありがたくいただくこととした。ところが舌が調味料を受け付けない。僕は普段もお粥は嫌いではなくて、時々作ったりもする。薄味ではあるけれど、出汁や醤油で味を付ける。熱々のところに卵を割りほぐして「卵かけお粥」としていただくこともある。今回も半ば習慣で醤油を垂らしたのだが、これがもう駄目である。不味いというより異様な味がするのだ。醤油の香りも、むっとくる。結局白粥に取り替えて、細切りの夷布(えびすめ)を少し散らしただけで、なんとか茶碗六分目のお粥をいただくことが出来た。この状態は五日目一杯まで続いた。六日目になって、錦糸卵(味付けなし)や、寿司海老(生ではなく茹でて開いたもの)に醤油を垂らして、粥に添えていただいても「平気」になった。所謂獣肉などや油モノには一向に食指が動かなかった。要するに、味の濃いもの、油モノ、獣肉など、僕が普段むしろ好きなものが押しなべてダメなのだ。その代わり、果物や、酢の物、そして果物などは比較的病気の早い頃から食べられるようになったし、食べたいとも思った。可笑しかったのは、左党の僕としては、普段は馬鹿にして食べない甘いものを食べたいと思うようになったことだ。とは言えショートケーキや、チョコレートケーキなどはやはりダメで、ごく単純なスポンジケーキやメープルラウンドなどに、「こんなに美味しかったのか!」と感動した。風邪のような、特定の何処が悪いともいえない病にやられて、衰弱した状態では、我々の体はどんどん本来の動物に戻っていくように思う。そうなると、凝った調味料や化学調味料、複雑なソースなどはダメになる。加工度の低い、原始日本人としてご先祖が普通に召し上がっていたもので、しかも内臓に負担をかけない消化の良いものしか受け付けなくなる。いわば、「縄文・弥生食」。つまり、先祖がえりである。そうだと思う。病院食は不味いというのは健常人の偏見であって、僕はかつて暫く入院した時には大変美味しくいただいた。毎日三度三度時間通りに配膳していただける。そして出てくるものは、今思えば上記の法則にちゃんと沿っているようだ。病んでいても空腹感はあるから、空腹感も優れた自然の調味料である。また、折角我口中にご到来願った食材には、なるべく長く逗留いただけるように、時間をかけ丁寧に何度もかみ締めることになる。何といっても病院食は、よほど空腹でもお代わりは出来ないのだ。酒を飲みながら、だらだら食べ続けるなど論外だ。他の患者の方々とほぼ前後して食べ終える必要もある。但しこれは病院の強制でなく、いうならば自発的同調性の発露である。こういう生活を送って暫くすると、実感として体の中に停滞していた毒素が、徐々に体外に抜けて行くような気持ちになってくる。体は到来の食物から滋養分を吸収しつくそうと努めるから、大量の「う×こ」を排泄する快感など、過日の別世界での良い思い出になってしまう。そう、要するに普段我々が、当たり前に食しているものは、「毒」を含んでいるのである。特にグルメだとかヘルシーだとか、能書きが付くものには毒が多そうだ。考えてみればわざわざ大枚を費やして、より高濃縮の毒を求めるのだからおかしな話である。しかし、やはりそれでも「毒」は美味しいのだ!少しずつ体調が復して来ると、あれほど美味しく慈しみすら感じて、それまでの食生活をこの機に改めようとまで、決心しかかっていた「縄文・弥生食」も魅力を失い始めた。そして、次第に味の濃い、複雑なものを食べたいと思い始めた。とはいえ、未だ炊き込みご飯や、茶碗蒸しの程度だが、それでも病のピークの時には、茶碗蒸しだって食べたいとは露ほども思わなかった。ましてや炊き込みご飯においてをやである。そうなると、今回のように拘束されざる身としては、どうしても欲求に屈してしまう。こうして我が身もまた、動物としての感覚の鋭敏さや、ナイーブさを再び失い、徐々に鈍磨し、麻痺しながら、雑菌と毒と魑魅魍魎に満ちた人間の現実と云うものに戻っていくことになる。東北地方出身の新進の作家である伊坂幸太郎君の最新の短編集、「フィッシュストーリー」の中に、「人間の悪いところは、動物にないところ全てである」という言葉があった。まことにその通り。わざとやってみるのは、中々お勧めしないが、時にこうして風邪でも引いて、先祖がえりしてみるのは大いに貴重な体験になると思う。若し上の仮説が正しいとするのなら、「病院食体験コース」というのを有料で開設し、希望者には最低でも一週間、あたかも入院しているのと同じ条件の管理下で暮らさせてみるのはどうだろう。結構なビジネスになるかも知れない。なにしろ、これは単なるダイエットを遥かに凌駕すると思う。そのためには、需要調査と併行して、例えば刑務所の入所時と出所時における身体に関する各数値を調べ(多分皆以前より健康になって出てくるはずだ)、根拠資料として整備しておくのが良いだろう。こんなことを考え始めたのは、昔なじみの「毒」が僕のところにどんどん戻ってきているせいだと思う。面白いことに、この一週間体重は殆ど見るべき変化を示していないのに、体脂肪率は時に10ポイントも乱高下したことである。これは何故だか、未だちゃんと考えていない。
2007.02.24
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◇ 2月19日(月曜日) 旧睦月二日、乙申、雨水。家の近所を歩いていたら、道の端に瑠璃色の小星の群れを見つけた。オオイヌノフグリだ。片仮名ばかりで分からん!とおっしゃるのなら、漢字で書けば「大犬の陰嚢」である。僕は、かねてより「学会の合意事項」のせいで、動植物の和名を片仮名で書くという風習には大文句を言い続けているけれど、この草の名ばかりは片仮名で書いた方が差し障りはないかもしれない。でも、やんごとなき辺りのお嬢様が、庭の端にこの花を見つけて、意味がお分かりになった上で、「あら清や、随分かわいい大犬の陰嚢がこんなに咲いてる事よ!」などとおっしゃるのは想像して楽しい。この花は元来ヨーロッパからの転入者で、英語ではBird’s Eyeという。鳥の目だ。東洋では無くヨーロッパの鳥だから、無論目の色はブルーだ。別にPersian speedwell、つまり「ペルシャの鍬形草」とも呼ばれる。学名は、Veronica persica。ヴェロニカは刑場に向かうキリストの汗を拭いて慰めたと言う聖女の名前だ。彼の地には、ゴルゴタの丘に至る道の端にこの花が咲き群れて、茨冠の受難者を見送ったと言う伝説でもあるのかもしれない。キリストの処刑の日は、「春分に一番近い新月を基点とする、次の満月の日」とされているから、例えば今年だと4月3日になる。この花は、未だ寒い頃から咲き始め、その後延々と花期が続くから、まぁ理屈は合っている。鳥の瞳も、聖人の死途を慰めた聖女も、仏教国の我国に来れば男性を「産ませる機械」たらしめる一器官の名前になってしまう。まぁお気の毒様というか、愉快というか。「大犬の陰嚢」は「大犬の、陰嚢」ではなく、「大、犬の陰嚢」である。つまり日本の在来種に「犬の陰嚢」という近縁種の草があるのだ。しかし明治の御維新と共にやってきた外来種に負けて、この在来種はどんどん衰退しつつあるのだそうだ。花も、我方は外来種に較べて随分小さく目立たない。やはりここでも「攘夷」は失敗しているのである。片仮名表記の方が望ましい名称は、花の形から来ているのではなく、花の後に付ける実の形に由来する。これはその写真を見れば一目瞭然で、誰もが、その相互に酷似するところに納得されるであろう。人間は、男子であっても自らのモノも含めて「キ××マ」なんかはろくすっぽ見もしない。第一あんなものはまじまじと見るものでもないし、見ても面白くない。しかし、イヌノフグリは誰でもその形を思い描くことが出来る。これもちょっと可笑しい。この花の受粉システムは昆虫頼みで、いわゆる虫媒花である。自然は本質的なところでは合理性に拘るから、この花も昆虫が来てくれる可能性のある、陽のある昼間にしか花を開かない。曇ったり日が翳ったりすると、無駄な事はしないといわんばかりにさっさと花弁を閉じて、頑固な蜆(しじみ)貝のような有様になってしまう。都会の真っ只中では見かけないし、全くの原野にも生えない。里山ならぬ里花である。これも犬族に通じる。それでも、何となく人を慕うように群れるところは、花の可憐さと共にいじらしい。幸いにして花の盛りの時期の晴れた昼間に、群生している場所に行き会うと、瑠璃色の小花が一面に咲いている様は、まるで濃緑のじゅうたんの上に青い星を散りばめたようだ。別の和名には、瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳とある。ことに「ルリカラクサ」というのは音も響きが良い。この名前が広まっていれば、この花ももう少し人気が高いものになったかもしれない。子孫を残すための実のせいとはいえ、「キ××マ」をその名前として冠せられたのはお気の毒な事だ。星の瞳というのは、千葉県での呼称だそうだ。「言葉の理屈」は全く破綻している(千葉県らしい)が、イメージとしては中々なものである。然し同時に少し「わざとらしい」、「ケバイ」感じがするのも、やはり千葉県らしい。思うにこれは、高浜虚子の「犬ふぐり 星のまたたく如くなり」という句からのパクリだろう。・・・・千葉県の人には叱られるだろうな。去年までは、オオイヌノフグリは啓蟄頃からしか花は見られなかった。今年は雨水でもう花盛りである。
2007.02.19
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◇ 2月18日(日曜日) 旧丁亥(ひのとゐ)正月朔、癸未。いよいよ旧の暦でも年が改まった。新旧共に今日から揃って亥年になった。つまり僕ももはやどう足掻いても立派な年男として逃れようがなくなった。明日は、二十四気の雨水だが、12年前の平成7年の雨水の日、郷里の岐阜市は少し前に降った雪が日陰では凍りついたまま消え残る、今年の冬とは大違いの寒い日であった。父の命日である。平成6年の夏、僕としては清水の舞台から飛び降りて、両親をハワイに連れて行った。と言えば聞こえは良いが、往復のビジネスクラスの航空チケットは出張で溜まったマイレージで入手し、ホノルルのホテルの最上階スィートは部下の親類のツテを辿って格安で調達してもらったのだから、積年の親不孝の巨塊を鎮めるにしては、実ははかなり廉く仕上がったのだ。老夫婦、それも夫婦共に海外旅行初心者のハワイ旅行なので、旅程も特に定めず、現地ではレンタカーを借りての、ぶらりノンビリを心がけた。具合の優れない様子の父のことを慮って、ゆるゆると気の向いた場所を見物する方が良かろうとも思ったのだ。但し、この時点では未だ父の病名は我々には知らされていなかった。両親共に教師であったし、僕自身も歴史には興味が有るので、1週間ほどの滞在中、博物館や太平洋戦争時代の遺跡、ポリネシアン文化センターなどを中心に巡り歩いた。社会科の教師だった父は、真珠湾の艦船遺跡にはいたく強い印象を受けたようで、戦艦アリゾナ記念館に向うランチの上では、かつての敵国人どもに挟まれて、緊張の体ではあったが、艦内の色々な展示を翻訳してあげるに連れ、流石に感極まって涙しながら海に手を合わせていた。大正生まれの教師として、自らの弟も戦地で無くしている父としては、先の大戦の思い出はなかなか風化し難いものであったことだろう。しかし、ほぼ一週間の旅行の間、やはり何となく元気が無く食も進まず、対照的に元気満々で買い物に余念がない母とは行動を別にしてホテルに留まりがちであったのは、僕としては随分気になったものだ。無事帰国して暫く経ったその年の暮れ、下の娘を連れて帰省した時は、可愛くてしょうがないはずの孫娘が纏わりついても、もう何となく大儀そうで、ちゃんと相手をするのも辛そうだった。地元の大学の医局医をしていた身内から、「お父さんを大学病院に移しました」と連絡があったのは、正月休み明けのことであった。病院に駆けつけ、思いのほかやつれてしまった父の様子を見て、「あぁ、これはもう駄目かもしれないな」とその時初めて思った。身内の医者が、「ちょっと、見て欲しいものがあるのです。」と妙に気色ばんでいる。ついて行くと転院する前の病院のカルテが机に置いてある。かなり分厚である。「僕は医者じゃないから分からないよ」と言っても、「まぁともかく見てください」と譲らない。見ろというのだから何かあるのだろう。幸い一枚一枚のカルテは同じ形式で、時系列順に閉じてあるから、ぱらぱらと高速度で見ていくのが多分間違いない。昔の子供用の雑誌に付録でついてきた「人力動画」の要領だ。そうして眺めていくと、ある箇所で違和感を覚えた。それまで整然と流れていた数表のある部分の数値が、いきなり大きく変化したのである。「ん?」と手を止めると、身内の医者は、「ね?やっぱりすぐに気が付くでしょう?」と詰め寄ってくる。日付を見ると丁度ハワイに旅行に出る2ヶ月ほど前のカルテだ。その日付を境にして、今度はその数値はじりじりと「悪化していく」ように見える。「そうなんですよ。これはホジキン病の特長なんですよ。」、「こんなの専門外の人だって見落とすはずもないでしょう!?前の病院の医師は、こんなに明らかな変化を見逃して、頭痛の治療しかしてこなかったんですよ。これは明らかに怠慢ですよ。」と、慷慨することしきりである。彼によれば悪性リンパ腫の一つであるホジキン病は、早期発見さえ出来れば当時でも完治率80%は期待できるという。生前の父は、少しでも具合が悪いと直ぐに医者の門を叩くマメな人だった。孫娘の花嫁姿を見るまでは生きなければと、ウォーキングにも励んでいたし、定期健診も律儀に欠かさなかった。早期発見ができないはずは無かったと思う。しかし、長期間見逃したままで経過してしまったために、父の病状はもう絶望的になってしまったのだそうだ。「君も何度か前の病院にお見舞いに行ってくれたんでしょう?いつおかしいと思ったの?」と訊ねると、実はかなり前から何となく変だなとは思っていたのだそうだ。今では当たり前の「2nd Opinion」などという概念は当時は未だ希薄だった。むしろ医師同士の間には「相手の領分を侵さない」という不文律すらあって、変だと思ってもそれを相手の医師に指摘することは憚られたのである。患者本位で考えるのではなく、面子の方を大事にする医者の世界の旧弊さに、僕は唖然としたものである。どうも後で思うと、いつからか父も薄々「なんか診断が妙だぞ」とは感じていた節がある。しかしその病院は教員の加盟する共済組合が運営する病院であったため、父も「身内同士」として、殊更疑問点を指摘することも無く、遠慮してそのまま通っていたようなのだ。これは、父が亡くなった後で母親から聞いた。一種の諦観を余儀なくされると言うことなのか。社会空間の狭い地方都市に住まうことの不条理さは、こんなところにも現れるのであろうか。結局、業を煮やした身内の医者に説得されて、本人の発意と言う形を整えて、やっと大学病院に転院した時には、最早父の体内のリンパ節は斑紋のようにがん細胞に犯されてしまっていたのである。やりきれない思いであった。転院しても、特段の新規治療法が有るはずも無く、その後病状は悪化の一途を辿り、雨水の日の昼近く、命のぬくもりが抜けるように逝った。僕は間際から父の手を握っていたが、身内の医者が「ご臨終です」といって、延命器具のスイッチを切った後、握った手が急速に冷たくなっていくその速さに驚いていた。それは正に、今までそこにあった命が、体を抜けて空中に旅立っていく様子をまざまざと実感させたのである。しかし、転院後の父にも短いながらも小康状態を得る瞬間もあった。いよいよ希望が持てないとなった時、我一家を率いて岐阜に行った。父の病室に皆を案内して、僕が少し席をはずして帰ってくると、父のベッドを囲んで、皆がおいおい泣いている。母も、妹も、妻も二人の娘も、全員が目を真っ赤に泣き腫らしている。少し角度をつけたベッドに凭れて目を瞑っている父の頬にも、涙の後がある。異様な雰囲気である。驚いて、「どうしたの?」と尋ねると、その年小学校2年に上がる下の娘が、「オジイチャンに唄ってあげる」と「春の小川」を唄いだしたのだそうだ。そしたらそれまでまるで倦怠している様子だった父が、いきなり唱和し出し、最後は全員斉唱になったのだそうだ。唄い終わって感極まり、皆で泣いていたのだという。僕は・・・・その時喫煙所にいてミソっかすになってしまったのだ!僕が心の底から喫煙習慣を悔いた稀有な例である。父は、転院して程なく気道確保の為に口から管を差し込まれて、口を閉じることが出来なくなってしまった。眠っている間もこの管ははずすことができないから、咽頭も口蓋も舌も乾燥してしまい見るからに気の毒だった。何度目かの見舞いの折、父はやにわに病室から人払いをし、僕だけを残して何やら懇々と話し始めた。本人は一生懸命言葉を編もうとするのだが、何しろ口の中が乾いてしまっているから、うなりのような音しか生成されず、聞いている方はさっぱり分からない。コットンで口に水を含ませて見ても、それまでが尋常な乾き具合ではないから、やはり言葉が判然としない。水ばかり飲ませていいものかどうか分からないし、そのうち本人が焦れてきたので、分かったフリをしていい加減な返事をしておいた。彼は滔々と話した後、やがて眠ってしまった。父は几帳面で有名な人で、亡くなった後で、書斎の机から戒名まで出てきた。曰く「徳義慈教居士」。自分で自らの戒名まで用意しておいたのである。お金にも細かい人だったようで、母に言わせると遺産もちゃんとどこかに目録になって隠してあるに違いないのだそうだ。あの意味不明の説諭は、不肖の長子として我一統を率いていくべき使命を担う僕に対して、遺産の相続と分配の指示、目録のありかを申し送りしようとしたのではあるまいか?惜しいことをした。しかし、何とか言葉を形作ろうと、もどかしくも苦しそうな父の様子は、実際見ているに忍びなかったのだ。だから、ついいい加減な返事で分かったフリをしてしまったのだ。それにしても、父が逝ってもう12年にもなるのだ。当初は、独りになって却ってせいせいした様子だった母は(女は冷たいし強い!)、ご近所の皆さんを仕切って毎月のように嬉々としてバス旅行に出かけるなど、至って元気だったが、一昨年の年末に玄関先で転んで以来急速に老け込んでしまった。あまつさえ出不精にもなって、段々記憶に混乱を見せるようになった。今では、父と一緒に暮らした家にも一人で暮らすことが出来なくなって、市内のグループホームに入ったままになってしまった。妹に依れば、記憶のジャンプや見当識の喪失は日を増すごとに激しくなっているとの事だ。僕自身も仕事のほうに、思いのほか時間と神経を取られてしまっていて、岐阜に戻って母に会うのも思うに任せない。妹に頼りっきりの体たらくで、この歳になっても相変わらず親不孝の連続である。時間が経つごとに去っていく言葉と、逆にやって来る言葉と云うものがある。「お父さん」とか、「お母さん」は去っていく言葉である。僕には最早「お父さん」は遠くに去ってしまった言葉で、これから新たに誰かを「お父さん」と呼ぶことはもうない。「おじいさん」も「おばあさん」も同様である。逆に歳を取ってやってくる言葉は、「娘」、「息子」そして「孫」である。願わくば、「お母さん」は、もう少しして会社の形が付くまでは、なんとか健全さを維持していて欲しいと思うや切である。彼女の頭がはっきりしているころに、このことは何度も何度も繰り返し説いたものだが、今の彼女は、そんなことなどとっくに忘れてしまっているはずだし、僕の顔を見ても誰だか分からなくなってしまったのかもしれない。寂しいことだ。毎年、雨水の頃になると、いつもとつおいつこういうことを考える。
2007.02.18
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◇ 2月13日(火曜日) 旧師走二十五日、戊寅、事始め、針供養。どうもコケにされていますなぁ!今北京で行なわれている「6者協議」は、議長国である中国が自国の面子をかけて、合意文書の最終案の作成の詰めに入ったという。それによると、北朝鮮が原子炉や核再処理施設の稼動停止に合意し、IAEA(国際原子力エネルギー機構=普通は「国際原子力機構」と訳される)の査察を受け入れることの見返りとして、各国は先ず重油5万トンを北朝鮮に供給する。そして、同国が核放棄の次の措置に移った段階で、更に95万トンを供給するのだという。又、既にアメリカは、現在凍結されている北朝鮮の海外預金の内、「違法性の認められない(!?)1,100万ドルに関しては、経済制裁の対象外にしても良い」とも発表している。こういうのって、有りなんだろうか?ここに一人の不良がいて、窃盗を働いたり、隣の家に石や汚物を投げ込んだり、周辺の住民の家族を誘拐したりしていた。それが、どこかから剣呑な機関銃を仕入れてきて、勝手に試し撃ちなんかを始めた。そして、「ほら、俺様はこんな恐ろしい武器を持っているぞ。金寄越せ。燃料も寄越せ。さもないと・・・」と云っている。そういうことだな。それに対して、「弾を抜いて、いずれ機関銃も捨てると約束するのなら、金も燃料もやろう。」と云っている。何が変だといって、こういう姿勢は、とどのつまりこの乱暴極まる不良の振る舞いに、本質的に「分かった」と、その言い分を聞き入れているということだ。これは、脅しをかければ、周りの大人もワルの言い分を聞く、ということと同じで、とても子供達には話せない。こういう話がまかり通る限り、子供達も皆、特に優秀な子供ほど、結局ワルになってしまう。「いつでも暴力を振るってやるぞ」と脅せば言い分が通るのでは、誰も相手のことを慮り、言論で物事を解決していこう、などとは思いっこない。ところで、「コケにされてますなぁ」とはこういうことだ。『北朝鮮とアメリカが1月のベルリン協議で覚書合意 - ヒル国務次官補と金桂寛外務次官。寧辺の原子炉停止実行と引き換えに、北へのエネルギー・人道支援が同時開始。六者協議議長国の中国は、覚書の写しを受領済み。』こういう記事が数日前の新聞にあった。不思議な事に、今のところ我国の誰もこれを問題にしていないように見受けられる。何故だ?先ほどの例を再度引けば、件の不良に直接迷惑を被っている近隣の住民も含めた何軒かで、この不良をどう処置するか話し合ってきている。しかし、不良もさるもので、相手にするのは離れた町の人間でなくてはイヤだといっている。この離れた町の人間は、大金持ちで、しかも人も知る「大ギャング」である。要するにこの不良の考えは、「近所の貧乏人や弱虫なんか相手にしない。先ず力の有る者とサシで話をつける。そして、こっちの言い分を通したら、細かいことは周りの連中の云うことを適当に聞いてでもやるか。」ということだ。そうだろう?しかも、この大ギャングは、大筋で不良の言い分を勝手に認めて約定まで交わしてしまったのだ!実はこの大ギャングは、ついこの間別の不良をやっつけようとしたことがある。その時は、「アイツは恐ろしい武器を持っている。見たことはないけど持っているに決まっている。それにDVの実態も酷い。放っておくと、家庭内だけでなく、近所が皆迷惑する。皆も被害を蒙るぞ!」と云うものであった。つまりは、今回と全く同じで状況であったのだ。しかし前回は、大ギャングはこの不良を、ためらいも無くやっつけてしまった。周りに止めるものもいたが、構わず叩き潰した。やっつけたが、その後この問題は片付かないままで、大ギャングも、流石にその対処に苦慮している。今度は同じような状況だが、大ギャングは前の不良の問題に、金も手間も取られて余裕がない。そこを件の不良に突っ込まれているのだ。だから、叩き潰す代わりに、不良の言い分を、それも単独で呑んでしまったのだ。論理矛盾で身勝手だが、この大ギャングの屁理屈と身勝手は昔から有名である。さて、我国だ。北朝鮮とは直ぐ傍の隣同士だ。何かあれば真っ先に被害を蒙る立場である。実際人的被害は既に被っている。当事者の最たるものの一人として、6者会議では主軸を握るべき立場である。それが、頭越しに談合されて、合意までとっくに取り交わされてしまった。しかもその覚書はその写しさえも、我国には事前に来ていなかった!これを「コケにされている」と云わないで何と云うのか?つまりは、「力(脅し)は正義である」のか?日本は世界唯一の核爆弾の洗礼を、短い間に受けた国として、核に対してナイーブ過ぎるという批判を時に受ける。しかし、核に対するナイーブさにおいては、米国も含めていわゆる「核保有国」においてむしろ顕著である。今日、つい先ほど、6者協議が急転直下合意を得たというニュースが流れた。それも交換条件は、かの国の全ての核関連施設と云うのではない。稼動を停止し、IAEAの査察を受け入れるのは、寧辺の原子炉だけが対象だという。情けないし、不条理であること極まりない。これで、日本人の拉致問題はもう完全に等閑に付されてしまうのは必定。今回の6者協議では、とにかく朝鮮半島、特にその北半分での非核化を餌に、大ギャング共々我国もかの不良に屈したのが明らかである。「核」というのは、大国たるステータスを確立するための必須条件であって、それをサロンに属する少数の仲間だけに限定しておく。そしてそれを使用しないまでも、隠然たる力の背景として温存しておこうと云う、アメリカを筆頭とする核保有国の思惑が透けて見える。核保有というのはそういうことなのである。だから、今回の6者協議は、これまでのサロンに無礼極まる不良が闖入してきた。その無礼者を放逐しようというのが、アメリカの本音である。それが、サロンの仲間でもない我国の頭を飛び越えて、件の「不良」ととっくに合意をしてしまった背景だ。我国は、二等国以下の扱いを受けたのである。国際政治と云う本質的に「力の世界」では、今後も同じような事があり得る。拉致問題だって、「解決済み」という不良の主張に流されてしまうに決まっている。ならば、我国も核武装宣言をしよう!論理的には不可能ではない。我国は公式には「余剰プルトニウムを持たない」ということになっている。それが国の現在の方針である。しかし現実には既に2003年末において、我国のプルトニウム備蓄量は40.6メトリックトンであり、約5000個の核兵器を製造するのに十分な量であるのだ!しかし、前のブログにも書いたように、我国はエネルギー自給率20%で、食料自給率は40%でしかない国だ。現実に核武装して、戦争にでもなれば、直ぐに負ける。つまりは、平和国家としての生存を確実にしていくより他はないのだが、何も世界に向けて「非核武装国」であることを自ら言いふらして回る必要はない。だから、国家として秘密プロジェクトを立ち上げて、一大フェイクを仕立て上げるのである。さしずめ地勢的には夕張辺りが良いだろう。何より今や再建団体で、何とかしなければならない状況だし、ロシアや北朝鮮だって近い。そこに地下設備を作って、核兵器の開発をしているように見せかけるのである。周辺の作業員には現地の人を雇う。夕張の状況改善にも少しは役立つだろう。プロジェクトは無論「超極秘」にするが、この国は皆に知ってもらうべき情報は伝わらない代わりに、「極秘」と言えば、しかも「超」が付けば余計に、確実にどこかから情報が漏れる。だから、この漏れ具合を上手く操作し、かつプロジェクトがフェイクであることをこそ、「厳秘密」として守り通しさえすれば、我国の「無気味さ」は、周辺国の間でじわじわと高まっていくことだろう。我国のロケット技術は、今や世界に輸出を考えられるほどの水準にある。優れた「精密化、小型化」の技術と併せて、ミサイル運搬手段を開発すれば(開発していると見せかければ)、その結果は北の魯鈍じゃなかったノドンや、デコポンじゃなかったテポドンの比ではない。フェイクだから当然IAEAの査察なんかは受け入れられない。ウソがばれてしまう!そうして、「核保有国サロン」の浅はかさや不遜さを揶揄しつつ、国際外交において我国の見識を浸透させていくのである。その際に、我国の政治家や官僚が、その力量と見識において適任かどうかは・・・・これは改めてまた考えねばなるまい。
2007.02.13
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◇ 2月7日(水曜日) 旧師走二十日、壬申、北方領土の日ひどい話だ。「女性は子供を生む機械」と発言したとかで、そこいらじゅうで吊るし上げにあっている柳沢厚労相が今度は「又失言!」したという。昨日6日の閣議後の記者会見の席上のことだ。どういうことかと、新聞記事を読んでみれば、柳沢さんは、「若い人たちは結婚したい、子供を二人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる」とおっしゃったという。それに対して野党などは、「子供がいない場合や一人の場合は『不健全』とも受取られる」(社民党福島党首)などと一斉に反発したという。馬鹿馬鹿しいを通り越して恐怖すら感じる。いつからこの国はこんな体たらくになってしまったのだ。ちょっと、誤解のないように申し上げるが、僕は柳沢発言に怒っているのではない。マスコミと与野党の一部の連中に対して怒っているのである。今回の柳沢発言は、正確に再現すると、「結婚し2人以上の子どもを持ちたいという(若い人の)極めて健全な希望にフィットする政策を考えていかないといけない」だったそうだ。それがどうして、福島党首のような「見解」に繋がるのか、全く理解に苦しむ。福島さんは弁護士だから、それなりの知的水準をお持ちの筈だ。「言葉」というものが、それが使われた状況や文脈を外れて一人歩きし始めた時に、どれほど恐ろしいことが起き得るかを理解できる程度の能力はお持ちなんだろう。にもかかわらずこういう揚げ足取り以下をおやりになるのは、要するに阿部政権を為にしようという本音が透けて見える。小沢君や他の野党の連中だって、柳沢厚労相の辞任を求める与党の人間だって、同類だ。野党は次の選挙で議席を伸ばすために、与党は保身のために騒いでいるだけで、共に実は少子化問題の解決なんかはどうでもいいのだ。そう断ぜざるを得ない。柳沢さんの最初の「失言」である「女性は子供を産む機械」発言は、1月27日に松江市で開かれた自民県議の決起集会でのことだ。僕が記憶するこれに関する最初の報道は、ご本人が講演中にも何度か、「機械に喩えてごめんなさいね」と自らの表現に脚注を入れていたことにも触れていたし。講演後、記者団から「『子供を産む機械』発言は、今後物議をかもすのでは?」と問われて、「人口統計学の話をしていて、イメージをわかりやすくするために子供を産み出す装置という言葉を使った」とご本人が説明したことも報道していた。それが、いつの間にか「女性は子供を産む機械」だけの報道に収斂して行った。地方選挙を控えて、野党が騒ぎ出せば、そっちの方が面白いし、ニュース性も格段に強くなるからだ。そうに決まっている。共に言葉を商売にする政治家と報道機関が、こんな体たらくでは情けないこと夥しい。他人の言葉尻を捕らえて、ハリネズミのように反応し、ヒステリックに喚き、個人の人格まで忖度し、社会的な制裁を加えようと云うのは「言葉のファシズム」に他ならない。本来言論の府の住人である筈の政治家やマスコミが、こういう状況では、もう誰も「無難で常識的な」言葉以外は発言しなくなる。文章にもしなくなる。何しろ相手は文脈も理解できないどころか、それを平気で踏みにじって恥じない輩である。バカを相手に戦うのは危険だ。そのバカが徒党を組んでいれば、もっと危ない。冷静に見てみる。第一の失言は、人口統計という、中々万人には直感的に理解しがたいものに対して、「機械」という分かり易いモデルを使ったに過ぎない。その適用範囲は、「出産という機能」に係る範囲に限定されており、女性の「人格」なんてところに及ぶものではないことは当然のことだ。こういう「モデル化の手法で、複雑な事象を単純化して、現実の解釈、理解のよすがにする」と云うのは科学の世界でも、最近では経済の世界でも日常に使用される方法として認知されている。これに対して、ハリネズミ側は、軸を「女性の人格」に移し変え、「出産と云う機能」をそれとつなぎ合わせてしまった。本来別物の二つを、ここでイコールで繋いでしまった。そういうことだ。第二の失言は、「少子化を防ぐ」という観点から見て「健全」という、再び境界条件が設定された中での言葉を、大べらぼうにも無限低に拡大して、「人間としての健全、不健全」の問題にしてしまったのである。こんなものは牽強付会の最たるものである。こんなことを「弁護士先生」が云うか?国家や個人にも品格があると同様、「視線の品格」と云うものもある。歪んだ視線で人を見れば、その人を歪める事は容易である。しかしその視線の持ち主こそ、最も歪んでいるのである。我々民草には、政治家やマスコミを経由してしか知りえない事柄がある。そういう時に、無闇と煽るような言葉には余程注意しなければならない。人の言葉を鵜呑みにしてはいけない。違和感を持ったら、個人として覚えた違和感のよって来たるところに敏感であるべきだ。自分の感性を経て検証されない限り、他人の言葉の尻馬に乗るのは、ファッショの世界に巻き込まれ、いつの間にか自分も提灯持ちの一人になってしまう恐れがあるのだ。柳沢さんは、おそらく言語感覚においては素朴で無頓着な方なんだろうと推察する。人格は残念ながら僕は知る機会を持たない。しかし、通常国会の議場から退出する際に、人目につかぬようハンカチで涙を拭う姿を拝見したのは、お気の毒な事であった。「そんなつもりで云ったんじゃない。悔しい。」と思いながら、自由に自分の言葉で反論する機会も与えられないのは、愚か者によるイジメだな。ところで、柳沢伯夫さんは、昭和10年(1935年)生まれの静岡県袋井市の出身で、東大の法学部→大蔵省を経て政治家になった、典型的な地方出身のエリートである。奇しくも昭和10年の干支は猪である。つまりは柳沢さんは亥年でいらっしゃる。先ずは「亥年の災難」の第一号におなりになってしまった。
2007.02.07
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◇2月5日(月曜日) 旧師走十八日、庚午、大つち、初午。今日は初午。この日は方々のお稲荷さんでお祭が催される。伝説では、昔々(和銅四年 = 西暦711年)のこの日、当時優勢だった秦一族の秦伊呂巨(はたのいろこ)が全国のお稲荷さんの本社とされる京都の伏見稲荷に鎮座した。つまりは稲荷神社の発生に日と云うわけで、それが初午祭の由来であるとされる。しかし昔は、一年の農耕暦の最初の日である「立春」の日、その後に来る最初の午の日が「初午」とされていたというから、元来は豊作祈願の催しだったのだろう。何れにしてもお稲荷さんは農耕の神をお祭するお社であった。江戸の俚諺に、「江戸に流行るは火事、喧嘩。伊勢屋、稲荷に犬の糞。」というのがある。元々お稲荷さんは稲の神様であるから、食物神の「宇迦之御魂神」と同一視されるようになった。その後民草の生産活動が農耕以外にも及んで発展すると、お稲荷さんは工業神、商業神、屋敷神などをも吸収合併し、福徳開運の万能の神様に出世なさった。そして、農村だけでなく町家や武家にも盛んに勧請されるようになった。だから江戸の町中に稲荷社を犬の糞のように頻繁に見かけるようになっただけでなく、全国にも普及し、今では日本中に数万社ほどもあるそうだ。まぁ、さしずめお稲荷さんもM&Aを通じて大成長なさったと言うわけですな。ところで元々の稲荷神である「宇迦之御魂神」は別名「御饌津神」(みけつのかみ)とおっしゃる。動物の狐は昔「けつ」と呼ばれていたために、御饌津神を「三匹の狐の神様」と解釈し間違えて、「三狐神」としたおっちょこちょいがいた。由来狐は稲荷神のお使い、あるいは眷属であるということになってしまった。中世のころのことだそうだ。更に後になると、狐が稲荷神そのものであると誤解されるようにもなった。さてさて、狐は古来油ものが好きだと信じられていて、それが油揚げが好きだということになった。なんだか三題噺みたいだが、結局稲荷神社には油揚げや稲荷ずしをお供えするということとはなった次第。ちゃんちゃん!ついでに、稲荷ずしは名古屋で発明されたとされている。なんでも、豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)の門前町にある創業100年という門前そば屋、山彦、及び松屋支店が発祥の店なんだそうだ。天むすといい、きしめんといい、味噌煮込みうどん(うどんは茹でこぼすという手間を省いて、最初から味噌出汁で煮込んでしまう)といい、名古屋人はファーストフードを発明する才があるのだろう。稲荷ずしは、甘辛く煮付けた油揚を袋状に開き、酢メシや炊き込みご飯などを詰めて作る。 白酢メシであっさり(素っ気無く)詰めるのは関東風。ご飯に具を混ぜて詰めるのは関西風なのだそうだ。関東風には、酢メシに振り混ぜるのは白胡麻か黒胡麻かと云う程度の論争しかない。これは何となく分かる。さらに、油揚げを真ん中から二つに切り分けて、米俵に模して四角に仕上げたものは関東風で、対角線に切った油揚げにご飯を詰めて三角形に仕上げ、狐の耳に見立てたものは関西風なのだそうだ。これは、ちょっと良く分からない。春待つや 云へらく無事は これ貴人 - 漱石
2007.02.05
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◇ 2月3日(土曜日) 旧師走十六日、戊辰、奈良春日大社万灯籠。首都をなくしてみよう!首都を移転するのではなく、首都そのものをなくしてしまう。現首都の東京は自ら殆ど何も生産しない。この街の生業(なりわい)は、「権力と言葉を商売とする生業」つまり政治と、「金で金をひねり出す生業」つまり金融業が主で、民草の生きる糧を作り出すことはやっていない。こういう街に住み続けていると、「東京人」という変種が自ずと形成され、それ以外の地域に住む人々とは違った考え方をするようにもなる。「美しい国」と言ったって、東京人の考えるそれは利便性に固着し、多分に観念的で、絵画鑑賞的である。さて、東京には首相官邸と内閣府、それに国会を置いておけばいい。地方に輩出する優秀な諸君(英傑とか英雄とかいう人材は地方からしか輩出しないものであることは、歴史において明らかである)は何もわざわざ混雑した東京に出てきて、金貸しや役人になることはない。畢竟彼らの地方定着も進むだろうし、一般職員の現地雇用だって促進できる。地方の活性化を考えれば結構な事である。今や世界に冠たる高速通信網を誇る我が国の事だ、インターネットを駆使すれば省庁相互の瞬時且つ密接な連絡に不自由する事はない。何より「隣の役所にちょっと談合に行く」とか、「ちょっと料亭でメシでも食いながら・・・」などと云う行為が難しくなるのも良いことだ。何より「国」の行政官庁が、机上でではなく実地に「地方」を体感できる。ところで、インターネットのような自立的で無統制のクラスター型ネットワークは、本質的に貧富や地域格差の拡大を防ぐ事はできない。そこで、此処に「統制」を持ち込む事にする。分散配置された行政機関は、数年おきにローテーションを組んで官庁の所在地を交換していけばいいのだ。交換の具体策は宰相の専権事項だとすれば、一国の宰相の政策方針の実現にも役立つ。外務省は先ず京都に置いて、その後岐阜県に移す。国土交通省は、先ず新潟か東北のどこかの県に持っていく。さしずめ最近昇格した防衛省は先ず沖縄県かな?厚生労働省は、北海道の夕張辺りを初の「赴任地」にすればよい。何となく楽しくなってくるではないか。しかし、実は同様のことは我国の大企業各社が既に実行に移している事でもある。その気にさえなれば政府がやろうとしてやれないはずは無い。次に、天皇陛下には京都へのご動座をお願いする。明治維新以来、天皇は余りにも政治の中枢に物理的に近過ぎるところにおわします。それで、政治に巻き込まれたり、為にする政治家などによって「政局」に利用されてしまったりもなさる。ご不自由、ご不如意な事夥しい(と、勝手に拝察申し上げる)。基本的人権も放棄されている上に、俗権力に翻弄されておしまいになるのは、余りにもお気の毒だと思う。つまりは、政府機関の地方分散に併せて、天皇と、ご希望される宮家の方々にも、「ふるさと」の京都にお戻りいただく。そうして、世界にも稀な国民統合の象徴として、その宸襟を安んじ奉るのがよろしい。近代史を紐解けば、東京は「日本の首都」と法令で定められている訳ではない。天皇が京都から東京にご動座される際にも正式に遷宮の式典はなされていない。京都御所は、正式に存続しているし、紫宸殿には天皇の正式の御座である「高御座」がしっかり安置されているのである。そういう経緯があるから、京都の町屋の人たちは、「天皇はんは、箱根の東へ長ぁーい行幸に行かはったまんま」と今でも信じているそうだ。天皇が京都にお戻りになれば、京の人々の喜びは如何ばかりかとも思う。千年の都の伝統行事の数々も、再び艶やかに活気付くことであろう。さて、「修身斉家治国平天下」という言葉が中国の古籍「大学」にある。曰く、「勉学に励み、身を修め、一家を為し、国を愛しこれを治めれば、天下は平和で安らかである。」ということだ。何の事は無い、阿部内閣の推進する教育基本法の改革や、憲法改定、「美しい国」の実現など一連の政策方針の依拠するところは、この「大学」の一句に尽きるではないか!しかし、だ。一方で「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。これは中国の春秋時代の「管子」からの言葉で、正確には「倉廩(そうりん=米倉、米びつ)満ちて即ち礼節を知り、衣食足りて即ち栄辱を知る」という。つまり、「腹が減っちゃぁ礼儀も節度もないやね。生活不安の中で誇りがどうのなんて云ってられるか!」ということである。食料自給率、という指標がある。国の一年間の食料消費量を熱量に換算して、その何%が自給できるかという数値だ。(下表は農水省「食料需給表」より抜粋) 日本米国英国フランスドイツイタリア1965年(昭和40年)73%117%45%109%66%88%2002年(平成14年)40%119%74%130%91%71%我国は今から約40年前頃までは、食料総需の7割強を自給できる国だったのが、自給率の漸減傾向が止まらず、今ではこれが4割にまでなってしまった。先進国では最低の数値である。つまり、戦争や大災害などの異変によって海外からの食料輸入が途絶えれば、我国1億3千万の国民の6割、つまり7千8百万人は飢えて死ぬ・・・!?いやいや、今や飽食でダイエットが流行るご時世だ。現在の摂取カロリーを今の半分程度に減らしても、デブがスリムになるくらいで死ぬ事は有るまい。しかし、それでもやはり全国民の約2割は飢えの為に苦しむことになるというのが、計算の答えである。これは農業政策の失敗と地方が疲弊した結果である。国の倉廩が、危機にあって国民の4割を賄えない有様では、礼節を知るのは難しい。ましてや「美しい国」などとても覚束ない。次にエネルギー自給率という指標である。これは国のエネルギー総需要の何%を自前で賄えるかというものである。【主要国エネルギー自給率表-2001年】日本米国英国フランスドイツイタリア中国韓国20%75%112%50%38%15%100%18%(エネルギー効率表と共に、出展は、アルファ社会科学(株)本川裕氏)要するに我国は国家運営を果たすために必要なエネルギーの80%は、外国に頼らざるを得ないのだ。これも主要先進国の中で最低であり、イタリアや韓国並みの数値である。つまり我国の現状は、戦争しても兵器を生産補給する、又それを働かせるエネルギーも自前で調達できず、国民は銃後で飢えることになる・・・・この国はかつて自らそういう辛酸を舐め尽した筈ではなかったっけ?然し、エネルギー効率という指標も一方ではある。これはGDPの1USドル相当額を稼ぎ出すのに必要なエネルギー量(石油の重量に換算)のことだ。つまり、「エネルギーをどれだけ効率よく経済に結び付けているか」を表す指標である。【主要国エネルギー効率表-2001年】日本米国英国フランスドイツイタリア韓国中国90kg250kg170kg150kg130kg140kg300kg1,020kgなんとここでは我国は先進国中堂々の一位である。我国は限られたエネルギーを効率よく使う点では世界に冠たる技術水準を持っている!つまりは此処に我国の活路が有り得る!だから、首都をなくしてしまい、適切な統制を加えて地方を活性化し、これまでの数年間で失われてしまった「中産階級」を復活・再活性すべきなのである。地方と中産階級が元気な国は、国としても元気で民草の気持ちも大いに明るい。子供も将来に希望を持って、放っておいたって勉学に励み身を修めようとする。最近ではインドがその例である。「憎いし苦痛」。これは阿部宰相の仰る「美しい国」の鏡像である。納税者で選挙民でもある民草の一人としては、これを充分に考える必要がある。考えるだけではなく、声を上げるべきなのだ。
2007.02.03
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