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◇ 8月30日(日曜日) 旧七月十一日 丁未(ひのと ひつじ) 大安:先日のブログで「ほったらけ」は方言なのか新造語なのかという疑問を掲げたが、昨日拍子抜けするように謎が解けた。家の最寄の駅で、紙くずを捨てようと備え付けのゴミ箱に近寄ったら、捨て口のところに小さな字で「西武鉄道はほったらけの島を応援しています」と書いてあった。ムムム?なんじゃこりゃ?実は「ほったらけの島」というのは、フジテレビ開局50周年を記念して製作され、8月22日に封切られたアニメーション映画のタイトルだったのだ。ぬいぐるみや電子ブロックなど、子供の頃は大切にされていたけれど、いつか忘れ去られて「ほったらかし」にされていた宝物を集めて出来た島があって、それを「ほったらけ島」という。それを巡っての遥という女子高校生の冒険(?)物語だそうだ。この映画は、埼玉県は入間市付近の神社などを舞台のモデルにしているのだそうで、それもあって「西武鉄道はほったらけの島を応援しています」のだそうだ。分かってしまえば「なぁんだぁ!」だ。ひょっとしたら、自分の知らない方言かもしれないと気にして、ブログまで書いてしまった(分析的コメントまで下さった方もいらっしゃる)のがバカみたいで、拍子抜けしてしまった。あー、これでもう忘れてしまえる。事ほど左様に「分かる」ことは「忘れられる」事でもある。結論:「ほったらけ」は方言でも何でもありません。新作映画の中で誰かが作った言葉に過ぎませんでした。お騒がせしました。因みに、僕はこの映画を観る事はないと思います。
2009.08.30
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◇ 8月26日(水曜日) 旧七月七日 癸卯(みずのと う) 先勝: 旧七夕◎立秋間際になって全国でやっと梅雨があけたのに、それから二週間後、つまり二十四気の七月の中気である処暑(今年は8月23日でした)になったら、律儀に初秋の気配が漂いだした。今年の夏は結局「冷夏」となる様子だ。プールでは「冷夏サービス」として、遊泳料金を半額にしてしまったところも有るそうだ。野菜、特に根菜類はこの気候で高くなった。お米の実入りも真夏の強い陽射しで充実してくるのが、日照不足で捗々しくはないようだ。江戸時代だったら飢饉になっていたかもしれない。これをすぐに異常気象というのは最近の習いだが、異常が日常になってしまってはどう呼べばいいのだろうか?◎先日ある駅頭で民主党の管直人さんの街頭演説に行き当たった。「政権交替」と「マニフェストあります」という幟が立ち並ぶ中、街宣車を降りての熱弁でつい聞き入ってしまった。政治家が演説が上手いのは当たり前かもしれないが、かねてより菅さんは国会の場でも話が上手い。自身の厚生大臣時代の次官会議や閣議にまつわる経験談を交えて、要所要所で「私はそう思うのですが、皆さんどうでしょう?」と聴衆に呼びかける。そうすると、その度に取り囲んだ聴衆からは拍手や掛け声が起こる。全員がサクラとは思えないほどの人数だったから、大部分は彼の演説に本当に賛同しての拍手や掛け声だったろう。なるほど、今や民主党の勢いは凄いものだ。◎レトリックというものは、ギリシャ時代に発祥したらしい。肉体労働をすべて奴隷に委ね、政治や学芸に精力を費やす事が出来る市民という階層が出現しての事だ。レトリックを伝授し、その技術を磨くための学校もあった。その学校の教師たちをソフィストと呼んだ。これに由来する言葉は現代では「洗練された」などという意味に使われる。菅さんの演説には人を惹き込み、気持ちを高揚させる洗練された力を感じた。「・・・関東には71の選挙区があります。4年前の選挙では民主党はその内5つでしか議席を取れませんでした。5勝66敗ですよ。私も首の皮一枚で何とか勝つことが出来ました。今の政治を変えるためにはこれを66勝5敗にしなければなりません!これを自民党は革命だといいます。革命なんかは日本には馴染まないといいます。しかし皆さん、この革命は誰の血も流れません。自民党のいうこの革命によって、政治が良くなり、皆さんの暮らしもよくなる。そういう革命なら私は有ってもいいんじゃないかと思うのですが、皆さんどうでしょう!?・・・・・」なるほどねぇ。上手いもんだ。◎最新の静岡大学の選挙予測だと民主党の獲得議席数は299だそうだ。対するに自民党は115議席との予想だ。時間が経つにつれ、民主党の議席数が増え、自民党のそれは減っていく。衆議院の総議席数は480だから、320議席を上回れば総議席数の三分の二を押さえる事になり、若し民主党がそうなってしまうと参議院と共に立法府の議決権は事実上民主党が単独で握ってしまう事になる。自民党は今や勝ち負けよりもそちらの方を気にし始めたようで、最近は「日本を一党独裁の国にしていいのか!」という悲鳴のような発言も相次いでいる。この間まで三分の二ルールを都合よく駆使してきた連中が、どの口でそんな事を言えるか。と、そう思うけれど、やはり僕自身もどこの党であれそんな事になってしまうべきではないと思う。そうなると「第三極」勢力になんとかもっと頑張ってほしいのだが・・・・。なにしろ、今度国民が確実に票の形で意見を云えるのは4年後、つまり2015年でしかないのだから。◎僕は西武線沿線の住民だが、最近「ゴミをほったらけにしないで」という主旨のポスターを時々見かける。この「ほったらけ」というのは、ポスターを見るまでは知らなかったので気になって仕方が無い。ひょっとして埼玉県地方の方言なんだろうか?共通語では無論「ほったらかし」だと思っているが。そうしたら、どこだか忘れたが別のコマーシャルで「ほったらけ」を聞いた。どこだか忘れたけれど、全国区(?)のコマーシャルだったように記憶する。そうすると、僕だけが知らないだけで、「ほったらけ」は意外に全国区の言葉なんだろうか?読者の皆さんのところでは、「ほったらかし」を「ほったらけ」と云いますか?他にも、関東周辺(知っている限りでは東京と神奈川地域)では「歩いていく」を「歩っていく」と云うようだが、これも岐阜出身の僕には初耳の言葉だった。又、逆に「もうやっこ」、「やっとかめ」という、岐阜を含む東海地方では普通に使っている(と思う)言葉が、こちらでは通じないという経験もしている。「もうやっこ」(「もうやい」ともいう)は、「均等に分け合う」と云う意味だし、「やっとかめ」は「久しぶり」と云う意味だが。方言と云うのは、イントネーションや構文自体からのものもあるけれど、こういう単語だけと云うのもある。単語だけの方言だと中々気がつきにくい。どなたかお教え願えればと思う。◎気象庁が緊急地震注意報を誤って発令した事で責められている。結果はソフトウエアの中で単位系を間違えてしまったのがどうも原因のようだ。これが防災放送で流されてしまったり、地下鉄の一部が運転を一時見合わせたりで、騒ぎになった。苦情の電話などが百件以上寄せられたとの事で、気象庁の担当課長さんが涙目で記者会見をなさっていたのは、お気の毒だった。結果的には大地震は無かったのだし、期せずしてこういう注意報が発令された場合、どこがどう反応するかと云う点に関しては貴重なデータが得られたわけだから、それはそれで意味のあるものにしてくれればいいと思う。中々こういう実験はできないのだから。ただし、これが何度も続くようだと、「狼少年」になってしまいますな。
2009.08.26
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◇ 8月18日(火曜日) 旧六月二十八日 乙未(きのと ひつじ) 先負: 先週末に、お付き合いで、友人のお母さんが入所なさっている介護施設に行ってきた。友人のご母堂は、この施設に預けられてほぼ6年になるそうだ。僕の母は、父が先に亡くなって以来長く一人暮らしであった。父の没後かなりの期間は、むしろ再度経験する独身生活の自由を謳歌するほどの元気があったものの、雪の日に玄関先で転んで以来、家に引きこもりがちになって、それが引鉄になったのかどうか、頭の方も少しずつ別の世界に遊ぶようになった。挙句の果てに一人暮らしは危ないという事になり、結局介護施設にご厄介になった。その当時は僕自身が仕事の方にかまけざるを得ない状況で、施設に入った母を頻繁に見舞う事など出来ない相談だった。それまでは、年末年始の休暇になると必ずと云っていいほど母を伴って、彼女の昔の赴任地(母は「現役時代」は教師であった)を訪れたり、郷里の北方の温泉地へ連れて行ったり、僕なりの罪滅ぼしをしてきたつもりだったが、昨年の初め辺りから彼女の容態が楽観できなくなってからは、外に連れ出すことも叶わなくなった。母は、昨年の初夏に身罷った。何とか最後には間に合った。と、いうよりも施設の方で僕の都合に合わせたように、母の臨終時期を操作したような印象があった。これに付いては、僕なりに書いてみたい事はあるのだが、それはいつか又の機会にしたい。僕が友人のお母さんを御見舞いしようと思った背景には、こんな経緯もあったと思う。友人のお母さんも昔は教師でいらしたそうだ。施設では、僕なりに感じる事も多くあった。これに付いても、ちゃんとまとめた上でこの場で書いてみたいと思っているが、それは今回の本題ではない。要するに、そういった事共が先週来あって重いテーマが頭に居座ってしまい、なかなかブログを書くことが叶わなかった。それを言いたかったのです。さて、今日18日は衆議院選挙の公示日であった。衆議院の解散以来色々な事があり、実際の選挙戦はもう一ヶ月ほども戦われているような印象なので、今日になって公示といわれれば、「あーあ、やっとかい!?」という感じが強い。今回の選挙は政権交替が大きなテーマである事は、言われて久しいし、実際僕を含め有権者の大半もそれを実感しているのは間違いない。そして、大勢の赴くところ、どうもやはり民主党が第一党になりそうな気配である。麻生さんは真っ黒になりながら方々で頑張っておられる。ただ、正直な方だから、何となくご自身もう野党のリーダーとして民主政権を批判するような調子の発言が目立つような気がするのは、僕だけであろうか?伝聞であって、自分で検証したわけではないが、麻生さんはどこかで「勝ち負けが問題ではないのだ」とか、挙句「負けるときは負けっぷりを良くしないと」などとおっしゃったそうだ。麻生さんが正直な方であるのは、最早疑いの無いところであり、僕はその辺には大いに好感を持っているのだが、それにしても雌雄を争う現政権党のリーダーたるものが、こんな事を言ってしまっては拙いんじゃないのと、衷心からそう思う。甲子園で戦っている高校のチームの監督がこんな事を言ってしまっては、球児たちはやる気をなくしてしまうだろうなぁ。一方の由紀夫さんは、最近顔つきも衣装も変わってきたようだ。最近は暑い最中なのにストライプのダークスーツをお召しになるようになった。顔つきも以前の少しおずおずした表情は消え、悪相になられたような気がする。発言ももうご自分が総理大臣になった時を意識されたような、曖昧で逃げを打つような姿勢が見えるようになったようにお見受けする。もともと、人に着目すれば自民党も民主党も殆どが同根である。主義主張にしても、概ねそれほどの懸隔はない。今回の争点で着目すべき点を取り出せば、自民党は「経済のパイを拡大する事で、これから必要となる財源を確保する」と云っているのに対して、民主党は「内需を拡大すると共に無駄遣いを削減する事で、当面必要な財源は確保できる」と云っている。要するに両党の違いは、経済発展に主軸を置くか、内需拡大で行くかに集約されると思う。僕は経済発展と云うのは、誰か他の人(国)に損をさせないとできない事だと信じているから、従って不可知要因が一杯あり(何処の国であれ易々と損をするに甘んじるところなど無いから)、予めそれを国民に約束できるようなものではないと思う。その点、無駄遣いを減らし、それを内需拡大と社会保障の充実に振り向けるという民主党の主張は、先ずは自分たちで出来る事だから、それは結構だと思う。しかし、そういう政策は一体これから何年続けられるか。結局ある程度まで行けば、日本としての経済発展に帰着せざるを得ないのは当たり前だ。早晩そういう必要が出てくる時のために、民主党はどういうビジョンを示すことが出来るか?その点では大いに不安がある。唐突だが、「島の法則」というのがある。古生物学の経験則だ。生物の進化は一つの種に着目すると、大型化の傾向を持つとされている。これは特に捕食者と被食者が多様な分化を許されている大陸のような環境では蓋然的に言えることである。ところが、地殻や気候の変動によって、周囲から隔絶された孤島のような環境に閉じ込められた生物は、逆に大型動物は小型化し、小形動物は大型化する。これが「島の法則」である。島と云う環境は大陸に比べて圧倒的に狭い。狭い中では他の動物を餌とする肉食獣は生きることが難しい。一般に肉食獣が一頭生きていくためには、約百頭の餌となる草食獣が必要とされる。ところが孤立した島の環境ではそれが許されないから、やがて肉食獣は居なくなってしまうか、あるいは極めてマイナーな存在に成り下がる。そうなると、捕食を逃れるために大型化の道を辿っていた大型草食獣にとっては、捕食を逃れるための大きな体躯は不要となる。何より限られた環境の中で大量な餌を必要とする巨大な体躯は無駄だという事になる。従って、大型獣は小型化の方向に向かう事になる。一方の小型獣も、小型である事は捕食者から逃げる意味では有為であったが、一方で小型であるが故に標準代謝量は高く、のべつ餌を食べなければならないという生活を強いられる。これが、捕食獣の脅威が無くなれば、体を大きくしていけば、始終餌を食べ続ける生活から少しはゆとりのある生活に移ることができる。つまり、孤立した島では、例えば象は小型化して子牛くらいの大きさになり、ネズミは大型化して猫位にまでなる。これは大氷河時代の化石を調べて分かる事実である。さて、わが国は島国である。島国であるが故に、「島の法則」に左右される面が大きいだろう。「出る杭は打たれる」というのは、島の法則から導かれる格言である。島国には世界を左右できるほどの大偉人は出ない。全世界を震撼させるような大哲学者も、詩人も、そして政治家も出ない。しかし、それを支える大多数の民衆の層は厚く且つ他より優れている。何しろネズミは猫ほども大きいのだ。こういった面こそがわが国の大いなるアドバンテージである。違うだろうか?先日自民党と民主党の党首会談が行われた。(昨日の「史上初」の6党首会談ではありません。その前の二党の党首会談のことです。)熱心に観ていた訳ではないが、僕には非常に気になったところが三箇所あった。第一に、麻生さんも由紀夫さんも、対手の顔を直視していない。対手の眼を見て話すのではなく、エンポーリアムの前面にたむろする記者の方を見てしか話さない。第二に、お互いに「自民党さん」とか「民主党さん」などと呼び合っていた。個人ではなく相手の組織を「さん」付けで呼ぶのは、日本では普通の事だが、僕は以前から強い違和感を持っている。第三に、党首討論が終わった後、由紀夫さんが(恐らくは握手を求めて)麻生さんに近寄ったにもかかわらず、麻生さんは故意かどうかは知らず、そっぽを向いて舞台袖に退場してしまった。この時こそ、由紀夫さんは満座の注目の中、大声で「麻生さん!握手位しましょうよ。お互い意見の相違はあるけれど、国の事を思う気持ちは一緒でしょう!」とでも呼びかけたら、由紀夫さんの株は際立って大いに上がった事だろう。麻生さんはそそくさと立ち去り、由紀夫さんは何となくカッコも付けられないでどっちもみっともなかった。同じような態度は、小泉ジュニアの進次郎君も対手の横粂民主党候補に対してお取りになったらしい。この国は、ディベートの習慣が無い。だから、相手を面前で論難する習慣が無い。相手を論難しても、それは相手の人格を否定するものでは全く無いという、けじめの境界が無い。高校野球ではお互い相手を完膚なきまで叩き潰そうという意欲でグラウンドに臨むが、雌雄が決すれば、好敵手の健闘をたたえて、遺恨を後に残すことはない。しかし、これは未だわが国では闘技の世界だけの事で、政治家の公開討論までには普及していない。つまり、形だけ党首討論をやっても、政治の世界ではそれは未だ遺恨試合のようなドロドロしたレベルでしかないというのが実態なのだ。要するに、日本の政治は強く「島の法則」に囚われているのだということを分かっておかなくてはならない。そういう世界に「大陸の論理」を持ち込んだのが小泉純一郎であり、竹中平蔵だったのだ。其処に無理が生じないわけが無いのだ。さて、我々が日本の国民である以上、「島の法則」が悪いわけでは無い。むしろ、猫ほどにまで大きくなったネズミの如き我々自身に対して、大いなる自負を持っていいと思う。世界をリードするような大政治家も、哲学者も、特に必要は無い。何より巨大な大陸国家が最早世界のヘゲモニーを握れるような時代ではない。今や地球そのものが「島」だという認識の方が優勢になってきているのだ。そうなると、かねてからこのブログで僕が具体的な解決策も見出せないままに主張してきた、「どちらの勢力にも一人勝ちさせない」ことがいよいよ重要になる。猫ほどに大きくなったネズミとしては、もう要所要所で政治に介入できる潜在力は充分にあるのだから。平沼赳夫さんが、最近「今こそ日本の政治には健全な第三極が必要だ」とおっしゃったが、まことにその通り。僕も心からそう思う。しかし、それが具体的にどう実現できるのか、そこが未だ分からない。語弊を恐れず本音を言ってしまえば、麻生さんは正直だけど頼りない。恐らくは総選挙後はクビだ。由紀夫さんは今一信用できない。殊に最近はどんどん悪相になっている。家柄を考えると、あの人は政権を取ったら何をなさるか、どうも油断できない。福島さんは以前からあの話し方が嫌いだ。それに政権を取ろうなんて気遣いなど皆無だ。綿貫さんも郵政民営化の総決算ばかりで、「他に何があるんじゃい!」と言いたい。志位さんと市田さんの言い分は一番理論だっていると思うのだけれど、昔むかし大した考えも無しに黒ヘルを被っていた自分としては、どうも無邪気には組し難いところがある。それにこの党が躍進するにはその歴史もさることながら、英語にした場合のJCPの「C」が問題だ。渡辺さんは「みんなの党」などというネーミングじゃだらしないじゃないかと思う。田中さんは、お父さんに大学の教養部時代に心理学を教わった事があり(単位はちゃんと戴きました)、当時から「康夫ちゃんはヘンな小説ばかり書いて」とお父さんの同僚で、僕の主任教授だった人から聞かされていたこともあって、キモイ!平沼さんは、「健全なる第三極」発言は大賛成であるけれど、それ以外は筋金入りの保守政治家という印象だ。今の日本の政治家には珍しい気骨のある人だとは思うけれど、政治的主張に関しては僕自身に強い警戒感がある。それに、今度の選挙には僕が投票できるかどうかも選挙区の関係で不明だ。後はよく分からん。静岡大学の予測では、民主党が260議席超、自民党が160議席程度となっているようだが、さて島国の大ネズミとしては、どうすべきだろうか?
2009.08.18
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◇ 8月13日(木曜日) 旧六月二十三日 庚寅(かのえ とら) 仏滅: 月遅れ盆迎え火都市砂漠東京などと言われる事もあるけれど、僕は最近東京が好きだ。以前は地下鉄や車で移動する事が殆どで、誰もが東京と聞いてイメージする、所謂「大都会」の側面しか知らなかった.。だからその頃は余り好きではなかった.。鉄骨とコンクリートとガラスで出来たバカ高い建物ばかりあって、その合間をコンクリートのスパゲティが縫っているようなところは、商いやカネのやり取りをするのには都合がいいけれど、それ以外に一体何があるんだと思っていた。しかし、最近は少し生き方も変わって、歩き回るチャンスが増えた。自分の足だけでなく、バスなどを利用するチャンスも以前よりは増えた。暫く前に久しぶりに都電に乗った時にもそう思ったけれど、歩くのは勿論、バスだの都電だのという乗り物は、地下鉄や山手線などとは違って、地上の事が互いに関連付けてよく分かるようになるのは不思議なくらいだ。お陰で、地下鉄の駅と駅の間の路線を地上から想像できるようにもなった。そうなると、東京が江戸だった頃からの名残を、方々に再発見する事ができるようになった。こうなってくるとやはり他の並みの都市とは違い、流石に江戸開府以来400年間の歴史の凄さを感じる。史跡のような世界が近代的な「東京」の中に紛れ込んでいるのだ。そういうものを発見すると嬉しい。無論今更僕が発見するのではなく、今まで見落としたり気付かなかったのを、今更ながら見つけるということに過ぎないのだが。窓辺に花を飾るのはヨーロッパの都市の専売特許のように思われているけれど、東京だって下町の路地なんかに迷い込むと驚くほどに花が多い。季節ごとに、僕など名前も知らない花が、玄関先にさりげなく丹精されていたり、鉢に生けられて、軒先に飾られていたりする。こういうところ、大都会といっても中々捨てたものどころじゃありません。意外だったのは、東京には緑地が多いということだ。それまでも新幹線などで各地の都会を車窓から眺めると、東京はこんな大都市なのに結構緑があるじゃないかと、漠然と感じていた。それで例によってちょっと調べてみた.国土交通省の平成20年3月末時点での統計によると、全国の政令都市の内東京特別区(東京23区のことです)の都市公園面積は2,561ヘクタールで、何と第一位である。第二位は神戸市で、第三位は札幌市だ。都市公園面積では、東京23区は全国で金メダルである。おめでとう!しかし、一人当たりの面積となると、東京23区はたったの3平方メートル。つまり一坪にも満たないで堂々のドン尻!これは如何に東京23区に多くの人が詰め込まれているかという事になるな。神戸市はこの点では第一位。神戸市は面積の面でも、広大な北海道の都市である札幌市を抜いているし、阪神淡路大震災での被害を思えば、まことにご同慶の至りである。これもおめでとう!(尚、国土交通省のデータには、なぜか岡山市の分が抜けている。どうしてだろう?)このデータだけからは一概には言えないけれど、「東京には他の都市と較べて格段に緑が多い」とは、少なくとも言えそうだ。緑が多いと、町を歩いていても心地が良いが、夏場になると葉陰や草むらに潜むやぶ蚊も多くなる。この季節、歩いているとやぶ蚊にも沢山襲われる。今日は、途中の公園で一休みしていたら早速狙われた。食われたら痒いし、虫除けや痒み止めなど持ち歩いていないから、気がつくたびに叩き潰した。ウチの宗旨は(普段はすっかり忘れているけれど)曹洞宗で、つまりは仏教だから殺生戒がある。それに蚊の類は雌しか刺さない。殺生戒を守るよりも、フェミニストである僕としては本来殺すに忍びない。それに、彼女たちは自らの卵を育むために人や獣の血を吸うのだから、決して遊び心や憎悪の心で刺す訳では無い。種族保存のために、やむなくこういう所業に及ばざるを得ないのである。そうは思っても、黒と白の縞模様のヤツがプイッと肌に留まると反射的に手が出てしまう。これは反射神経だから止むを得ない。今日の戦績は九勝六敗だった。九勝といってもその内3回は、潰す前に彼女たちは口吻から既に毒液を素早く注入済みだったから、実際は六勝九敗だというべきかも知れない。毒液といっても、これは本来彼女たちが吸った後、体内で血液が凝固しにくくするためのものだそうだ。折角命がけで吸った血が固まってしまっては、卵の栄養にする事は出来ない。そういう成分がたまたま人間に「痒い!」という反応を起こさせるのだ。だからこの点でも彼女たちには悪意はない。第一そんな痒みが無いほうが、吸血中に人間に気付かれるチャンスも減るだろうから、蚊にとってはその方が有利のはずだ。あれやこれや考えた結果、本日武運つたなく散華された彼女たちには、月遅れ盆の迎え日の今日、謹んで南無阿弥陀仏を奉げよう。ところで、以前から不思議に思っていたのだが、やたらと蚊に食われる人が居る。僕の知り合いにもそういう人が居るが、この人は「こっちの血の方があんたより美味しいからさ」と悔し紛れにおっしゃる。しかし、蚊からすれば刺すまでは血の味など分からないはずだから、これは屁理屈だ。或いは負け惜しみに過ぎない。蚊が人肌に寄ってくるのは、呼気や皮膚呼吸で発散される炭酸ガスに反応しての事だと、以前に教わったことがある。炭酸ガスそのものに個人差などは無いはずだから、特定の人が他よりもより刺され易い理由としては考えにくい。又、蚊はアルコール臭にも反応するそうだ。しかし、しらふの時だって一緒にいれば明らかに僕の被害の方が少なくなる。これが事実だとすれば、一体何故だろう?それはともあれ、こういう人が居てくれたほうが、やぶ蚊のいる場所ではありがたいから、あえて相手の論理破綻は追及しないで、「そうそう、きっと君の血の方が美味しくて、僕のは濁って不味いんだよ」と話を合わせておくことにしている。東京には緑地が多いということは、やはりやぶ蚊の生息数も政令都市中で一番なのだろうか?こういう統計はあるのだろうか?管轄官庁はやはり厚生労働省だろうか?あそこの大臣はやぶ蚊より憎らしそうな顔をしているしなぁ.まぁ、これ以上はこの件に深く突っ込まないようにしよう。
2009.08.13
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◇ 8月12日(水曜日) 旧六月二十二日 戊子(つちのと うし) 先負: 徳島阿波踊り今日は素朴な疑問を書いてみる。話題が話題だけに、匿名のブログであっても筆禍を招くかも知れない。それでも・・・・などと思わせぶりな事を先ず書いておいて、例によってちょっと寄り道。プリ選挙戦のドタバタ劇に、長州地方の大雨、それに台風や地震までも来て、東名高速も壊れ、まことに騒がしい事であった。その中で大原麗子さんがお亡くなりになった。不整脈による出血死だった由。逝去されたのは8月3日だったそうだ。彼女は、僕でも無論お名前は存じ上げていたが、「男はつらいよ」のマドンナ役で拝見した程度で、特にファンなどというわけでもなかった。しかし、何となく何時も微笑んでいる女優さんだという印象があり、好感を持っていた。享年62歳ということで、調べさせていただいたら、彼女がお生まれになったのは昭和21年。少しお姉さんだけど僕と同じ団塊の世代だ。なんだ、我が同志ではないか。聞けばギランバレー症候群という難しそうな名前の神経性の病気と闘っていらした由。闘病の姿を世間に曝す事を潔しとせず、往時の美しい記憶を衆人に遺したままで、卒然とお去りになった。まことに団塊の世代の矜持だと拝察申し上げる。随分遅ればせではあるけれど、美しくも誇り高い同志のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。さてそろそろ本題に向かいます。同じ頃、少し遅れてノリピーのニュースが飛び交い始めた。始めの頃は亭主が麻薬不法所持で逮捕されたのにショックを受けて、子供を連れて行方をくらましたという内容で、どちらの報道も身の上を案じる基調であった。山梨県の身延町からノリピーの携帯電話の発信が確認されたと聞いた時は、「へぇー、聞いてはいたけれどそんな追跡が現実に出来るのだ!」と感心し、思わず「僕も気をつけなくちゃ!」と思ったものだ(!?)。それが、時間が経つにつれて段々騒ぎが大きくなり、逃亡の可能性が取り沙汰されるようになった。彼女の自宅で微量の麻薬が吸引具と共に見つかった時も、脳天気な僕は「安否が心配されても、身柄の捜索に強制力はない。だから逮捕状を請求してノリピーを早く保護しようと云うのだな」と、逮捕状はいわば方便なのだと考えたものだ。そうしたら逮捕状を機に、報道の基調もそれまでの心配や同情からがらっと変わった。いきなり「容疑者」という肩書きが付くようになった。彼女の生い立ちや過去にまで遡り、あれこれつつき出しては、視聴者から「やっぱりねぇ!」という反応を導き出すような雰囲気が強くなった。「掌を返したように」。全くその通りの有様だった。民放のニュースやスポーツ新聞などは、いつも通りの事だから別に異とは思わない。その積りで観たり読んだりしているから、此方にもそれなりのフィルターも用意できている。しかし、がっくりしたのはNHKだ。これが全く民放と同じ報道の仕方なのだ。ニュースの背景映像に過去のノリピーの栄光の映像を無音声で延々と流すところまで同じだ。民放と違うのは、大河ドラマに彼女が出演したときの映像があった事と、コマーシャルブレイクが入らなかった事くらいだ。いつからNHKは芸能ニュースメディアになってしまったのだろう。たかが(といってはノリピーには可哀相だが)一芸人の不始末を、トップニュース扱いで、しかも民放と同じような軽いノリで時間を費やして、NHKが大々的に報道するか!?クサナギ某が真夜中の公園で真っ裸になった時にも同じ事を感じたが、NHKたるもの、公共放送としてのあり方と矜持を何処かへ捨ててしまったようだ。民放はスポンサー企業のお金で放映しているのだから、報道にもバイアスがかかるのは想像できる。それに、視聴率を上げる事が「営業」の大目的なのだから、視聴者の歓心(これは「関心」ではなくて「歓心」と書くべきです)を買おうとする姿勢も理解できる。(しかし、少なくとも報道面では納得しない。)しかし、NHKは公共放送だろう。公共放送の使命としては、企業利害からは独立して、国民の利害という観点から放映なり報道なりをすべきだろう。更に言えば、国民の関心(これは「歓心」ではなくて「関心」ですね)に応えられる事実関係を「クールに」網羅し、時にあり得べき判断の選択肢までを示すべきものだ。それが民放と同様に歓心に応える事に終始し、あまつさえ歓心を煽るようなことを延々と続けるとは何事か!・・・と、此処までは承前です。ところで、ノリピーはそんなに「重罪人」(未決だし、告訴はされていないだろうから正確には容疑者だけど)なのだろうか?ノリピーの逮捕容疑は麻薬取締法違反だそうだ。この法律は昭和28年に施行されたもので、今では「麻薬及び向精神薬取締役法」と呼ばれ、大麻取締法、覚醒剤取締法、アヘン法と共に「麻薬四法」と呼ばれている。この法律は、「麻薬及び向精神薬の輸入、輸出、製造、製剤、譲渡し等について必要な取締りを行うとともに、麻薬中毒者について必要な医療を行う等の措置を講ずること等により、麻薬及び向精神薬の濫用による保健衛生上の危害を防止し、もって公共の福祉の増進を図ることを目的とする法律である。」と第一条に記されている。ちょっと待てよ、この条文の中の「麻薬及び向精神薬」を「煙草」とか「酒類」に置き換えて読んでみよう。そうすると、ちゃんと意味が通じるではないか!なんだ。どう見てもNHKも含むマスコミがこんなに大騒ぎするほどの重犯罪ではないじゃないか?・・・以下は僕の「常識」に基づく「素人見解」です。異論反論、或いはご教示をいただく事には吝かではありません・・・犯罪とは何だ?要するに法律に違反する行為の事だ。そんな事は子供だって知っている。そうすると法律とは何だ?その主旨は、上の条文の中にも書かれている通りだ。これをもう少し敷衍してみると、「社会全般に行き渡るルールを定める事によって、それを犯す者に対して必要な取締りを行うとともに、加害者及び被害者について必要な措置を講ずること等により、市民生活上の危害を防止し、もって公共の安全と福祉の増進を図ることを目的とする。」ということにでもなろうか。そして、法律に対する違反行為、つまり犯罪の本質は「他人の利害や権利、或いは安全に危害を及ぼす」ところにある。そうでしょう?そうすると、ノリピーが麻薬を所持していたこと、それを自分も吸引していた疑いがあることは、麻薬取締法に違反するから犯罪ではある。犯罪ではあるがそんなに「重罪」とは思えない。彼女はこの法律に違反する事で誰かに「危害」を及ぼしたのか?調べてみると日本の麻薬取締法も、アメリカのそれも、元々は医療分野で用いられる劇薬の一種である麻薬の取り扱いに対して、それが不用意に専門家でもない一般市民に流出濫用されるのを防ぐ目的で作られたものらしい。アメリカでは現行の法律もその傾向を強く持っているが、日本の法律では規制の面が強く、薬剤も「麻薬」と指定されていると事実上使えなくなってしまう。その余波で麻酔銃に必須の薬剤が使えなくなり、獣医師や動物保護に携わる人が大変困っているそうだ。要するに、麻薬とは本来「特別な免許を持たないと使用できない薬物」だということだ。そうすると、ノリピーはいわば無免許運転をしたと同じ程度の罪状なのか?しかし、無免許運転は他人に危害を与える可能性が大いにあるのに対し、麻薬の服用は彼女自身のリスクでしかない。麻薬は若者や子供たちにも深刻な影響を及ぼすという事もあろう。それなら、それの流通の阻止に力を入れることが本来だ。今回も「誰か外国人から買った」のだそうだ。だったら、売った側の外国人をもっと追及すべきだ。そうじゃなかろうか?次に、麻薬は非常に高額で取引される。だからそれが国内では暴力団の資金源になる。それを防ぐための意味も麻薬取締法にはあろう。国外或いは国際的には、軍国主義国家やテロリスト集団の軍備資金にもなる。それは国家及び国際安全上の大問題だから、大いに厳しく取り締まらなければならない。そのための国際間の取り決めもあり、国内では法律もあって、これは麻薬四法以外に「麻薬特例法」として定められている。しかし何れにしろ、ノリピーのような「末端容疑者」を大々的に取り上げて過去や現在の私生活まで暴くような事には繋がらない。麻薬四法+麻薬特例法の主旨をまとめると、「麻薬は造らない、使わない、持ち込ませない」ということになりそうだ。これも同じような言葉を何処かで聞いたことがある。先ほどは麻薬を煙草や酒類に置き換えてみたが、こんどは「核兵器」に置き換えてみれば、これは「非核三原則」と同じだ。非核三原則は、1967年12月11日の衆議院予算委員会で、当時の佐藤栄作総理大臣が、わが国の最高議決機関である国会に提示した。これは更に、1978年5月23日に衆議院で、第1回国際連合軍縮特別総会に関して、「非核三原則を国是として堅持する我が国」という表現を含む決議として採択された。また、同様の表現を含む国会の決議は、核軍縮に関する衆議院外務委員会決議(1981年6月5日)、第2回国際連合軍縮特別総会に関する衆議院本会議決議(1982年5月27日)及び、参議院本会議決議(1982年5月28日)でされている。つまり、これは法律ではないが、国が海外を含む公に示した「国是」である。ところが、それに反するような事を平気で公言する政党のリーダーや、立法府議員候補者がいる。法律ではないから犯罪ではないか?日本にやってくるアメリカの軍艦や飛行機が、どこかでちょっと核兵器だけを預かってもらってくるなどということを考えられないのは常識なのに、これにはマスコミは何処も余り関心が無いようだ。兵器に関しては日本の様々な企業が直接間接に係るものであるから、民放が無関心を装うのは未だ分かる(分かるのであって納得している訳ではない)。しかし、何処の企業とも、時の政府権力とも関係が無い(はずの)NHKが、こんな大問題をいつも等閑に付している様子なのはどういうことか?8月はかつての大戦に係る行事が多いし、もうじき日本が無条件降伏をした記念日もやってくる。オバマさんのああいう演説も話題になっている。そういう時期だ。ノリピーを追っかけるよりもっと大事な事があるではないか?何だか非常に気持ちも気分も悪いのだ。第一ノリピーが可哀相だ。そうじゃありませんか?
2009.08.12
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◇ 8月11日(火曜日) 旧六月二十一日 戊子(つちのえ ね) 友引: 高知よさこい祭り「夕べの地震」などと題してブログなんか書いたものだから(かな?)今朝も又地震が来てしまった。僕の所為ではありません。今朝の5時7分の事だ。此処でもかなり揺れたが、九日の揺れよりは若干軽かったようだ。この辺の震度は後に震度3と発表された。なるほど。それでも揺れ方は前の地震と良く似ていたなぁ。マグニチュードは6.5と発表されている。震源地は駿河湾だというので、気になって詳しく調べてみたら、九日の地震が駿河トラフの南方だったのに対して、今度はまさに駿河トラフの発端近くの北側だ。震源の深さも20kmと前と較べるとかなり浅い。前回のブログにも書いたが、フィリピンプレートがユーラシアプレートに潜り込んで行った先の地下で歪エネルギーが解放されるのが、警戒されている東海地震だ。そうなると今回の震源位置は正にそれに合致する。気になるところだ。政府・気象庁は初めて「東海地震観測情報」を発表したので、やはり気にしているらしい。参考のために前回の図に重ねて、今朝の地震の震源も表示したのを掲げる。○印で示したのが今回の震源の位置である。なお、図の右には余震の時刻とマグニチュードも書いておいた。これは今朝6時半時点の情報だが、その後6時51分(M2.7)、7時28分(M3.0)、7時38分(M3.4)、8時7分(M2.9)と現在(9時半)までに更に4回の余震があった。これらは全て今朝最初の地震の震源とは少しずつずれながらも、互いに非常に接近している。地名でいうと、清水港、三保の松原、久能山の辺りに広がっている。東海地震は、ユーラシアプレートの端が跳ね上がる、逆断層地震と想定されている。今朝の地震はそれとは違い、断層の横ずれによるものだろうとされている。素人がいい加減に予断すべきではないけれど、今回の地震はプレートの歪の「ガス抜き」だったのだろうと思いたい。とにかく、プレート境界では、こまめに小ぶりな地震で、溜まった歪エネルギーをちょこちょこ解放してくれるほうが良いのだから。さて、台風9号は進路を更に東寄りにして、時速20kmで進んでいるようだ。このままだと今日の昼過ぎ辺りから伊豆半島・諸島の南をかすめて行くらしい。この進路だと暴風は左程ではなくなる。しかし、雨は相変わらず心配だ。特に南伊豆の方は地震の震度も6が記録され、地盤はかなり揺さぶられている。土砂災害には早めに且つ大いにお気をつけいただければと思う。北半球の台風は「左巻き」である。その所為で進行方向の右側では、台風の進行速度と暴風の風速が相乗する。だから暴風による被害を心配しなければならないが、今回の台風9号は洋上を東に進む様子なので、幸いそれには及ばない。一方台風の進路に向かって左側では、風速が進行速度によって相殺されるため、風の勢力は弱くなる。しかし、大雨の被害は進路の左右には関係しないので、相変わらず注意しなければならない。今年の夏は未だ台風が幾つも来るだろうから、ご存じなかった方は今後のご参考にしていただければと思う。ついでに言えば、台風やそれ以外の気象現象の根本も熱エネルギーである。暖められた海面や陸地では、その上の空気も暖められて上昇する。海の場合には海面から蒸発する水分を大量に取り込むから、湿った暖かい空気が上昇していく事になる。時々反対だと勘違いしている人が居るけれど、これが低気圧だ。この場合、空気の塊には上に向かう傾向があるから地表での気圧は低くなるのだ。そうして上昇した空気は上空で断熱膨張して、其処に雲が生じる。この上昇の際には地球の自転の力が働くから渦が出来る。北半球では(上から見て)左回りの渦になり、南半球では右回りの渦になる。これが大規模になると台風(南半球ではサイクロン)になるわけだ。暖かい空気はやがて上空で冷やされて下降する。これが地表付近にまで達すると高気圧と呼ばれる。つまり、大気もこうして対流による循環をしているのだ。これは、地震の原因になるプレートの移動のメカニズムと根本では同じである。それにしても、此処のところ大雨は降る、台風は来る、地震も来ると、色々騒がしい。お陰でノリピーの話がちっとも書けないじゃないか。
2009.08.11
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◇ 8月10日(月曜日) 旧六月二十日 丁亥(ひのと ゐ) 先勝: 西鶴忌台風9号の影響で、昨日の日曜日はこの辺(所沢市界隈)は一日中どんよりしたお天気で、夕方には一時驟雨に襲われた。千葉や東京の北区や板橋区では急な出水もあった。台風にもっと近い関西地区では、被害はもっとひどかったそうだ。このところ暫くの間、豪雨の被害が各地で相次いでいる。台風は今日から明日にかけて、近畿東海地方から北東に進路を屈曲して、此方の方へ進んで来るそうだ。これは、注意しなければならない。既に被害を受けた皆さんには衷心よりお見舞い申し上げます。又高速道路50キロの渋滞を押して、これらの地方に夏休みで帰郷された皆さんには、折角の行楽なのにお気の毒様です。(でも内心では余り同情しない。)昨晩8時前には、関東地方では結構大きな地震までもあった。震源は東海道南方沖地下340キロメートル。マグニチュードは6.2。関東地方を中心に最大震度は4だった。僕は丁度家の二階の部屋に居たが、ユラユラとした揺れが暫く続いて一旦納まった後、今度は又、前より強い揺れが続いた。木造二階建ての家でも、物が落ちてきたりする事は無かったが、それでも随分気味の悪い思いをした。震度4というのはあれ位の揺れなのだろうか?直後に千代田区のマンションの2階に住む友人に電話したら、「知らない」というので拍子抜けした。聞けば免震構造のマンションなんだって。要するに自然に鈍感になって、知らぬ存ぜぬで過ごせるお住まいなんでしょうね。(ケッ!)その後現在(月曜日午後11時)までに、北海道十勝支庁、岩手県沿岸北部、福井県嶺北地方、そして東海道南方沖で、合計4回の地震が観測されている(気象庁の公式発表による)。これは最近から遡っての順番だ。その中で、東海道南方沖の地震は、震源は昨晩と同じ北緯33.1°東経138.1°だから、昨宵の地震の余震だろう。震源は共にこれは駿河トラフの南方海上だ。ちょっと説明しておくと、トラフというのは日本語では「舟状海盆」と呼ばれ、海底の窪地の事だ。この窪地の深さが6千メートル以上になって大規模になると「海溝」と名前が変わる。本州の南方には伊豆半島の付け根から四国の南方にかけて、南海トラフという長大な窪地が横たわっている。この北東の端の部分を駿河トラフと呼んでいるのだ。現代では広く認知されているプレートテクトニクス理論では、地球の表面は何枚かの板(プレート)に分かれており、それぞれは海洋底を構成していたり、その上に大陸が乗っていたりする。そして、そのそれぞれが地下から沸き上がってくる熱対流に乗って移動し、お互いにぶつかり合っている。プレート同士がぶつかり合うところでは、海洋プレートは大陸プレートの下に沈み込んでいく。こうして海洋プレートは再び溶融される。この過程で、地球の内部に溜まった熱(この熱の殆どは、微惑星が衝突を繰返して地球が出来上がった時に集積された位置エネルギーである)が解放される。そして地球は冷やされる。つまり、プレートテクトニクスは、原始地球が出来る時に集積された熱を、宇宙空間に放射していくという熱交換の現象とも言えるのだ。日本列島はユーラシアプレートという、ヨーロッパからロシア、中国に及ぶ、広大な大陸プレートの東の端っこに乗っかっている。そこにフィリピン海洋プレートが南南東の方角からぶつかっている。これは、随分以前からの現象だ。伊豆半島は元々フィリピンプレートの端に乗った島であった。それがユーラシアプレートに衝突して、本州にくっついた。その時の衝撃で愛鷹、湯河原、箱根などの火山(温泉)群が出来、箱根山も持ち上がり、富士山まで出来てしまった。今から百万年ほど前。地質的年代的には「ほんの昨日」のことだ。二つのプレートがぶつかるところでは大陸プレートに海洋プレートが潜り込んで行く。そこには二つのプレートの境界に沿って溝が出来る。これがトラフである。プレートが潜り込んで行くといっても大規模な岩盤同士の事だ。スルスル滑らかに、というわけには行かない。ギシギシゴリゴリときしみながら無理やり潜り込んで行くのだ。そうすると文字通り軋轢が生じる。それで嵩じたストレス、つまり歪のエネルギーに岩盤が耐え切れなくなった時に、一挙に崩れたり、跳ね上がったりする。これが地震だ。つまり、地震はプレートのストレス解放の行動なのだ。従ってトラフに沿った付近は別の言葉で言えば、大規模な活断層地帯と云うことになる。この地帯の何処でいつ地震が起ころうとも不思議ではない。これが大規模になると、大地震になる。昨晩と今日早朝の地震の震源は、地図で見て分かるように駿河トラフのやや南方である。つまりフィリピンプレートが未だ潜り込む前の地域になる。だから、予想される東海大地震や南海大地震とは直接の関係は無さそうだし(だから、マスコミも大騒ぎしない)、またこの地震がそれらの直接の引き鉄になることも無い。しかし、だ。そうなると、関東大震災でエネルギーが解放されて以来、南海トラフの歪エネルギーは未だ蓄積され続けているままだということにもなり、これは逆に心配だ。本当は南海トラフ沿いに、小規模の地震がちょこまかと有ったほうが良いのだ。歪のエネルギーは、小出しにガス抜きしてやるに限る。これは、夫婦や恋人、友人の間でも、更に言えば政治の世界でも同じだ。
2009.08.10
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◇ 8月8日(土曜日) 旧六月十八日 乙酉(きのと とり) 大安:其の二閑話休題:松井孝典という惑星物理学者の書いた、「巨大隕石の衝突 - 地球大異変の歴史を読み解く - 」という本(PHP新書1998年)を読んだ。隕石を古文書(これは「コブンショ」ではなく、「コモンジョ」と読んでくださいね)と看做し、これを用いて太陽系の起源や生命の起源を解明していく方法や実際の過程が記述される。クライマックスは当然6500万年前といわれる、恐竜の絶滅だ。よく言われるように、恐竜は隕石の衝突によって一瞬にして絶滅してしまったのではない。大多数が隕石衝突による直接の大災害で滅亡したのは確かだ。しかし、隕石衝突の結果による地球環境の大変動の影響を受けて十万年位の時間をかけてじわじわと滅んでいったものも多く居たらしい。それに関連して、この本では現代の環境問題にも触れられる。人類は巨大隕石が引き起こしたと同じ地球環境の擾乱、或いは地球システムの擾乱を、自らの手で引き起こしつつある。特にそれが加速度的になったのは、せいぜいここ二三十年の事だ。恐竜が地球の王者として君臨した時間は1億8千万年。人間が地球に出現したのは約440万年前。今までの種としての存続時間は、恐竜のそれと較べれば、せいぜい2.4%、つまり40分の1弱の長さだ。そして、人類が地球の王者として決定的な歩みを始めたのは、高々一万年前。つまり、それまでの自然と調和的な狩猟・採集生活に訣別して、農耕・牧畜生活を始めた頃のことだ。この高々一万年の歴史を経て、今では巨大隕石のもたらしたものに匹敵する擾乱を、地球全体に及ぼすような存在になってしまった。これはとても「地球の覇者」として誇れるものどころではありませんな。この本はもう初版から10年以上経っているけれど、内容は全然古びてはいない。この本に続けて、井坂幸太郎の「終末のフール」(集英社文庫2009年)を読んだ。何と、これも隕石衝突の話だった。8年後に小惑星が地球に衝突すると予告される。直径10キロの小惑星が秒速20キロの速度で地球に衝突する。それによって地球は滅亡するというのだ。この発表が世界中になされたのが8月15日。その日から約5年経った、日本の仙台地方を舞台にした十話である。地球全体規模の破局が避けられないものとして発表された直後は、大パニックになった。その後絶望と自暴自棄が世界中に蔓延し、治安やモラルは消滅し、殺人や強奪、破壊行為が世界中に横行した。標高の高いところへ逃げれば助かるとか、何処かが方舟を用意しており、それに乗せるメンバーを選抜しているとかいったデマも飛び交い、人々はその度に右往左往した。家族や親類、友人、恋人もあるものは自殺し、あるものは殺され、あるものは行方知らずになった。そういう時代が数年続き、この本の舞台になった時期はやや落ち着いた雰囲気になってきた。政府も、野心のあった政治家(つまり、今街頭やテレビで盛んに口角泡を飛ばしている方々ですな)はとっくに居なくなり、少数の篤志家、実務家によって少しずつ機能している。ガスや水道もどうしてだか供給されるようになり始めた。うるさいマスコミもどこかへ消えてしまったが、時々テレビも偶然映ったりもする。色々な店や病院も大半は無くなってしまったが、何となく残っているところもある。仙台も多くの人が何処かへ行ってしまい、閑散としている。残っている人達は色々な意味で「今」を受け入れようとしている。しかし、その誰もが心の奥底に大きなストレスを沈潜させている。その中で、誰かは恋人を作ろうとし、誰かは昔の恨みを晴らそうとし、誰かは子供を産もうとし、誰かは淡々とトレーニングを続ける。井坂幸太郎という人の文章は、柔らかく澄んでいる。予定されたカタストロフィーが着々と近づいてくる中で、少数の人々の生活に着目しての描写は、所謂パニック本にはない力がある。この本は、彼の処女作である「オーデュボンの祈り」に近い雰囲気を持っている。この本で想定されている、直径約10キロメートル程度の小惑星と云うのは、恐竜絶滅の発端になった小惑星と同じ大きさだ。松井孝典さんの「巨大隕石の衝突」によれば、6500万年前の小惑星衝突の時も、衝突速度は秒速20キロメートルと推定される。衝突の衝撃によって出来たクレーターの直径は約180から300キロメートルと見積もられ、現在では中米のユカタン半島にその痕跡が見つかっている。衝突エネルギーはTNT爆薬に換算して約1億メガトン。衝撃波は秒速70メートルの暴風として半径千キロメートルに及ぶ。地震エネルギーはマグニチュード換算でM12~M13。阪神淡路大震災はM7.2だったから、如何に凄まじいかが分かる。小惑星が海に落ちる場合には、それによる津波の高さは1キロメートルにもなり、高地に逃げるにしても高山地帯に行かないとまず助からない。これらは衝突直後の大災害である。もっと深刻なのは衝突による空中への噴出物で、この総量は約1600兆トン。これだけの量の岩屑やガスが対流圏のみならず成層圏にまで吹き上がり、その後長期間に渡って日照を遮る事になる。だから、我々人間を含めて、生きとし生けるものの食物連鎖の要である植物は、光合成を行うことが出来ず枯死してしまう。海も酸性化し無酸素化してしまう。この程度の大きさの小惑星が地球に衝突する確率は、現在約3千万年一回と計算されている。そうすると「この前」が約6500万年前だから、もうそろそろ・・・・・現在では、地球付近や地球の公転軌道の内側にまで入り込む小惑星数百個が追跡されていると聞いている。そうなると、8年も前に予告することは先ず難しいだろうが(小惑星は地球などより遥かに小さいので、ちょっとした偶発的な理由でその軌道は変化することが有り得る)、少なくとも事前には地球への衝突を知ることが出来る。でも、知っても今の科学技術では何も出来ない。松井さんは、地球周囲の軌道上に大きな凹面鏡を幾つも打ち上げて、衝突軌道にある小惑星に太陽光を集中させる可能性をおっしゃっている。これによって小惑星は破壊できないが、その一部を太陽熱で蒸発させることが出来る。そうすると、蒸発する部分がロケットのようにジェット噴射するから、その反動で小惑星の軌道を衝突軌道からずらすことが出来るのだ。しかし、この鏡は地球に向ければ兵器にもなる。宇宙空間に兵器を持ち込むことは国際条約で禁止されているから、今の段階では空想物語でしかない。それに、世界不況の最中では、いざとなっても巨大な鏡を幾つも宇宙に打ち上げるカネは出るだろうか?そうなると、小惑星が衝突することは精確に分かっていながら、何も出来なくて「ただ待つ」事を強いられることになる。それはイヤだなぁ。恐竜にとっては世界の終末と自分の死は、突然にやって来たのだ。その点、未だ恐竜は幸せだったといえるのではないか。などと考えるとコワイ話だ。僕がこの二冊の本を前後して読んだのは、意図しての事ではない。全くの偶然であった。でも「巨大隕石の衝突」を読んで、それから「終末のフール」を読むと、又一味違ったコワサを味わえますよ。夏休みには相応しいかもしれません。生徒さんたちには、読書感想文の宿題にも使えるかもしれません。何しろ上手く組み立てれば、「環境問題」、「危機を前にしての人間」、「これからどう生き何をすべきか」など、コンテンポラリーなテーマを網羅できそうだから・・・この二冊お勧めします。
2009.08.08
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◇ 8月8日(土曜日) 旧六月十八日 乙酉(きのと とり) 大安:其の一今日は土曜日なので、やはり政治向きのお話はおやすみ。(何のこっちゃ!?)楽天ブログを愛読させていただいている釈迦楽さん(ハンドルネームです。勿論。)という方がいらっしゃる。釈迦楽さんは中部地方の某国立大学の教授で、学生相手に教鞭を執っていらっしゃる。(ご専門はアメリカ文化研究?)学生を教えていらっしゃるから、夏休み前になると期末試験が有り、その採点の過程で遭遇された珍妙な誤字を選び出しては、「恒例誤字大賞」としてブログに発表なさっている。今年もそれが発表された。僕はそれに対して以下のようなコメントを付けさせていただいた。【釈迦楽さん;期末試験というと、答案はやはり手書きなんでしょうね。手書きとなれば、いくら最高学府の学生でも今時はこの程度なのではないでしょうか?(それでも「押しがけ」とか「面訴書」は流石にひどいかな。)現代の漢字教育は「読み書き並行」が原則になっていますね。つまり「漢字は読めると共に書けなければならない」という原則。僕はこれには異論がありまして、「漢字は書けなくても、どんどん読めれば良い」と思っています。教育漢字や当用漢字は(これも釈迦楽さんと共々に嫌いな国語審議会→文科省が勝手に決めていますが)この「読み書き並行」の原則の故に字数制限がされてしまっています。つまり文科省も「漢字を書くのは大変だ」と認めてしまっている。その結果「読める漢字」がどんどん減っている。新聞や書物でも「拉致被害者」を「らち被害者」などと「交ぜ書き」が横行するようになっています。「骸骨」を「がい骨」、「改悛」を「改しゅん」など、その例はきりが有りませんね。これは日本語に対する殺りく行為、いや殺戮行為です。読める漢字はもっともっと増やさなければ、日本文化や文明は滅びます。その代わり、書く方は(書家や趣味人を除き)パソコンにどんどん代行させれば良い。そうなると、誤字大賞の候補には「同音異議」がどんどん増えることになるでしょう。それは、その人が言葉の意味を本当に理解しているかどうかを測る物差しにもなります。・・・今度はワープロソフトの変換辞書を作る人の日本語能力が問われますね。ところでウチのパソコンでは「弥縫策」が出てきません。「びほうさく」と入力して変換すると「日方策」とか「美方策」と出てきてしまいます。嗚呼!】「交ぜ書き」については、見るだけで「汚ならしい」感じがするので、上記以上には触れたくない。それでもこの風潮は放っておくと新聞や雑誌を中心にどんどん蔓延しそうだ。これは真面目に「日本語の殺戮」だと思うから、同じように思われる諸賢はこういう悪弊を止めるために、是非にも声を上げていただけませんか?ちょっと思い付いて「漢検」を覗いてみた。例えば最上級の一級の試験問題の場合、全部で110問の内、漢字の「書き取り」に関する問題が70問で圧倒的に多く、設問数の64%を占めている。なんと、これは文科省の「読み書き並行」どころではない。「書き」偏重もよいところだ。「マイル」や「ヘクトグラム」を漢字で書いてどうするんだろう。第一「ヘクトグラム」ってどんな単位だっけ?「イスカ」という鳥の名前なんて、鳥自体見かけたことがないのに・・・「漢字があって日本語が存在するのではなく、日本語があって漢字がそれとかかわりを持つのである」と国語学者の野村雅昭さんはおっしゃる。まことにその通りで、だから僕は、漢字は先ず読める(つまり日本語として理解できる)方が、書けることより遥かに重要だと思う。なぜなら日本語は「漢字が意味を担い、文法的な関係を仮名が分担する」という原則を、仮名の発明以来連綿と貫いているからである。だから教育漢字や常用漢字を定めて、読める漢字まで少なくしてしまうのは問題だと思うのだ。しかし、普段縁遠い言葉に使われ、実生活では一生に何度も書くことのない漢字を書かせて「能力」を競わせるのは、いささか不健康だと思うのだ。漢検には以前から少し興味があったのだが、これで受験するのはやめた。こんな試験は不健康だと思うのもそうだが、多分僕は落第してしまうだろう。結果があからさまになったら、普段偉そうに言っている立場としては沽券に関わるのだ。
2009.08.08
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◇ 8月7日(金曜日) 旧六月十七日 癸未(きのえ さる) 仏滅: 立秋、鼻の日、仙台七夕暫く総選挙に向けての話ばっかり書いてきたので、少しお休み。今日は立秋。毎年この日になると、ニュースでも「もう早暦の上では秋になってしまいましたねぇ」などと殊更がましく言われる。暑中見舞いも立秋以降は残暑お見舞いになる。しかし、誰しもそうだろうけれど、どうもこれは実感にはそぐわない。今年は東海近畿地方の梅雨明けも遅れ、気象庁から「梅雨明け」の言葉が出たのは未だほんの二日前の事だ。東北地方はもう梅雨明けしたのだっけ?梅雨明けしたらもう秋だなんて、一体夏は何処へ行っちまったんだ!?「立○」は二十四気の中で年に4回ある正節だ。秋とはとても思えぬ猛暑の最中に立秋の日がやって来るのと同様に、立冬はまだまだ秋の盛りだし、立春も春とは名ばかりで寒い。立夏も同じで五月晴れで新緑が眩しい頃である。それが実感だ。どうしてそうなんだろう。二十四気の正節も中気も、黄道上の太陽の位置によって決められる。つまり二十四気は太陽暦である。立秋は太陽の黄径が135°の時。立冬は225°、立春は315°、立夏は45°と厳密に決まっている。以前このブログに、太陽高度(日照の強さ)の影響は、約一ヵ月半遅れで地表の温度に反映される事を書いた。今年の夏至、つまり黄径が90°で、且つ太陽高度が最も大きくなる日は6月21日だったから、それから一ヵ月半(45日≒黄径差45°)というとちょうど立秋の時期になる。言い換えると、立秋の頃こそが、一番地表温度が高くなる時期となるのだ。猛暑の盛りでとても秋などといえたものじゃない。これは日本を含む東洋の暦の考え方によるのだ。東洋では四季は「立○」から次の「立○」まで。そして四季のピークは「○至」と「○分」であるとされている。だから立秋になると「夏が終わり、秋の始まりとなる」と解されるのだ。ところが、西洋の暦の考え方は東洋とは異なる。(「立○」も「○至」、「○分」も太陽黄径による「天文現象」なので、西洋と東洋で共通の暦日である。)西洋では四季は「○至」か「○分」に始まり、季節のピークは「立○」だとされるのだ。従って立秋は夏のピークと云うことになり、こちらの方が実感には合っている。言い換えると東洋の四季は西洋の四季より約一ヵ月半早いのだ。この辺を絵にしてみたので、下記を参照されたい。洋の東西でのこの違いは、どうも季節の感じ方の違いであるように思っている。東洋人は季節の移り変わりを「微分的」に捉えているのに対し、西洋人は「積分的」に捉えているのだろう。別の言葉で言うと、東洋人は季節の「変化」に敏感で、西洋人は「実感」を重視するのだろう。そうなると、わが国の詩歌が季節の兆しというものに非常に敏感なのも理解できる。こういう民族の感性のようなものは、追及すればかなり面白いと思う。そう云えば、夜コオロギの鳴き初めを聞いた。たった一匹ではあったが、確かにコオロギであった。生き物は本来的に「微分知覚」に優れているのかもしれない。今年は夏らしいカラッとした晴の日が未だやってこない。連日どんよりした曇り空が続いたり、どす黒い雲の塊の間に晴れ間が覗き、急な驟雨がやって来たりという天気ばかりだ。群青の空を背景に、純白の入道雲が天空の遥か高みにまで、もくもくと立ち上がる日が待ち遠しい。このままでは梅雨模様の天気のまま、西洋の暦でも秋になってしまいそうだ。
2009.08.07
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◇ 8月6日(木曜日) 旧六月十六日 癸未(みずのと ひつじ) 先負: 望、広島平和記念日、山形花笠祭、秋田竿灯今日は「原爆の日」。広島に原爆が投下されたのは、64年前の今日の出来事だ。広島市長は今日の演説の中で、オバマ大統領の「非核演説」への支持を表明する部分を英語で行った。その中で、オバマ大統領の支持者であるという意味で、Obamajorityという言葉を使っていた。これはもう広く認知された言葉なのだろうか?知らなかった!長崎でも、今秋に予定されているオバマ大統領の来日の際に、是非長崎に来て欲しいと署名を集める活動が始まっているそうだ。オバマ大統領はわが国ではなく米国の元首だ。日本のトップを差し置いて、アメリカの大統領を賞賛し、是非会いたいと民草に思わせ、署名活動まで起こってしまうのは、情けない話だ。我が国民は麻生さんだろうが由紀夫さんだろうが、こういう場面になると念頭には浮かばないのだ。オバマ大統領の件の演説は、今年の4月5日にチェコの首都プラハで行われた。核兵器の廃絶に向けての行動決意を示すと共に、化石燃料依存からの脱却なども語られた。その一部に以下の表現がある。Just as we stood for freedom in the 20th century, we must stand together for the right of people everywhere to live free from fear in the 21st century. (Applause.) And as nuclear power –- as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.これは中々感動的な表現で力強い。特に赤字でハイライトした部分では、「唯一の核兵器を使用した国として米国には道義的な責任がある」と明言している。無論、こういう演説の常として、一人称単数は使われていない。主語はWeだ。また、あくまでも「道義的責任」であって、広島や長崎の非戦闘員を核爆弾によって大量殺害した事への謝罪でも反省でもない。その点を論難することは易しい。しかし、日本の政治家ならこういう時どうか?先ずは、具体的な事は何も言わないだろう。「両国間に不幸な時代があった」とか「大変な迷惑をかけた」などと言うだろう。又、「極めて遺憾に思います」などと言って「謝罪」の意味だとするだろう。この点オバマさんの演説に注意して欲しい。彼は「moral responsibility to act」と言っているのだ。抽象的な責任を感じるだけではなく、「実際に行動しなければならない。その責任が合衆国にはあるのだ。」と言い切る。この点わが国のリーダー達とはエライ違いだ。オバマさんは同じ演説の中で、「Words must mean something」とも言っている。その通り!「遺憾に思います」などと言えば、「So what?」と言われるだろう。我々自身も「遺憾」という熟語を日本の政治家の口から聞けば、「私自身には悪いところは無いのですよ。でも残念だとは思いますし、何とかしなければなりませんなぁ。」と翻訳して聞くようになってしまっている。麻生さんは広島での原爆の日の式典の後、またおっしゃってしまった。「日本にはアメリカの核の傘が必要。だって、核兵器なんてものは、ある日突然『はい止めましょう』といって無くなる訳のものじゃないでしょう。」又、「(オバマ大統領の訪日の際に)何処に行って誰に会うかは、政府間で決めること。マスコミを通じてあれこれ云うことではない。」麻生さんは重ね重ね正直な人だ。とは思うけれど、一国の指導者として、又更に継続して政権を担おうと果敢に遊説をなさっている次期リーダー候補としては、如何にもお粗末ではありませんかね。「核兵器は一朝一夕に廃絶できるものではない。世界には志を異にする国、ルールに従わない国やテロリストなどの勢力がある。核物質や核兵器そのものの闇市場も存在する。現実がそうある以上、わが国も安全保障上、それに対抗する手段を持たなければならない。つまり、わが国も核の傘を通じて、アメリカとの同盟関係を維持する必要が現実としてある。しかし、その間でも我々は世界唯一の被爆国として、あくまでも核廃絶に向けて努力し、行動しなければならない。そして自民党は具体的に・・・」くらいの事はおっしゃっていただきたかった。(別にこれは僕自身の意見ではありません。自民党だったらこう言うべきだろうと思うのです。)実際オバマさんのプラハ演説の中でも、こういう主旨の発言がある。だけど彼は「We can change it!」、「We can do it!」というのだ。政治家は言葉だけではないけれど、政治家の言葉は重要だ。言葉に力があるかどうか、その辺を麻生さんも由紀夫さんも自覚なさったほうが良い。クリントンさんが北朝鮮に行って、拘束されていた二人の女性を連れ帰ってきた。これも色々な議論はあるだろう。二人の勤め先が同じ民主党のゴア元副大統領の会社であった。ゴアさんが北朝鮮に断られたから、クリントンさんにお鉢が回ったのだ。そのウラには北朝鮮の思惑が・・・。だから・・・とか。言い出せばきりがないし、そういう議論の、ある部分は真実だろう。しかし、これを日本に置き換えてみるとどうだろう。日本の拉致被害者は二人どころではない。それに拉致期間もアメリカの二人の記者とは比較にならない。アメリカの二人の記者は、一応取材に際して越境などの違反が有ったとされている。しかし、日本の拉致被害者は、訳も分からぬ内にいきなり暴力的に、しかも日本の領土から連れ去られたのだ。日本政府は、日本の政治家は、今までわが身を挺して「敵地」に乗り込み、同胞の救出のために行動したことがあっただろうか?クリントンさんの北朝鮮訪問は、我々民草には電撃的ではあったが、事前に六カ国協議の関係国には打診と通知があったそうだ。無論日本にも事前の連絡があった事になる。その時誰も、「それじゃぁ私も行きます。私も直接邦人の救出のために行動します。」と言わなかったのだろうか。言わなかっただろうなぁ。せいぜい「日本の拉致被害者の解放に付いても、クリントンさんから何か言ってください。頼みます。」位のことだろう。僕が記憶する限り、日本の政治家が身を挺して邦人の救出にあたったのは「よど号事件」の時だけだ。もう39年も前のことだ。クリントンさんが連れ帰った二人は、共にアジア系で女性だった。「人種や出自を問わず、合衆国民であればそのために政治家は身を挺する。」そういうメッセージがこの解放劇を通じて、米国民のみならず世界に伝わっただろうなと、強い印象を受けた。それに引き換え・・・。さてさて、本当はこの稿では昨日に続けて、今度の選挙に向けて盛り上がっている「地方分権」や「道州制」の議論に付いて私見を述べる積りだったが、もう既に充分な文章量になってしまった。そこで、昨日アップしたリストの中の「財政力指数」に付いてだけ、ちょっとコメントして、後は又他日に送ることにする。財政力指数とは、ある行政上の単位地域に対して、家計で言えばその支出額に対する収入額の比である。この指数が1.0を上回れば、その地域の財政は黒字である。つまりその地域は経済的に自立できていることになる。1.0未満であれば、赤字。つまりどこかから借金するか、援助を受けないとやりくりが出来ない。例えば島根県や高知県は財政力指数が0.2である。これは、県の財政を自前で維持できているのは、支出全体の20%だけで、残りの80%は自分では賄えていないということだ。リストを見ると東京都の指数は1.32、愛知県は1.02で、この二つのみが「自分自身で自分の台所を賄えている」事になる。残りの45道府県は全て赤字だ。財政の「自給率」が50%未満の自治体は全国で29にものぼる。これは、「支出の半分以下しか自給できていない自治体は全国の約62%」と云うことだ。財政力指数が1.0未満の自治体は「地方交付税交付金」の交付団体になる。つまり、「国からの紐」がつく。そうなると、東京都と愛知県以外は全部国の紐の下で生きているということになる。ここで、財政力指数は過去3年間の平均として毎年算出される。僕が昨日掲げたリストは、昨年発表された数字を渉猟して記載してある。愛知県は今年の数値では1.0を下回り、従って交付団体に転落したそうだ。これは「トヨタ不況」の所為であるのは明らかだ。従って、今や財政的に「自立できる自治体」は東京都のみと云うことになる。もう一つ。都道府県のくくりで財政力指数を見て、全体として黒字だ赤字だというのはいささか早計である。もう一段下位の市町村のレベルで見ると、同じ県の中でも随分ばらつきがある。ある市は財政力指数が1.0を上回る「リッチ」な市なのに、同じ件の別の市は赤字に苦しんでいるということが、実際には普通にある。つまり財政力指数は市の単位で見ればモザイク模様になっているのだ。更に。都道府県単位で見ると、財政力指数は首都圏・関東地区で圧倒的に高く、次いで東海四県、関西の二地域に「まぁまぁレベル」が集中している。昨日のブログを読んでいただいた方がおっしゃっていた。「これじゃぁ、東京に核攻撃があるか、或いは関東・東海大地震が来れば、日本は壊滅ですな。」リストを見てみるとなるほどその通り。「アメリカの核の傘」に入っていたって、こんな事じゃ日本の防衛上こっちの方がもっと問題だ。つまり、圧倒的多数の自治体が財政的に自立できず、国の紐付きの状態にある。赤字自治体の中でも、黒字の市町村がモザイク上に存在している。自治体の首長の選挙は、国政のそれとは違い直接選挙である。そういった事を踏まえ、その上で地方分権や道州制の是非、またその方法論を考えていかないと、どうもだめだ。石原東京都知事が地方分権に対して静かなのは何故か。道州制導入に積極的なのが大阪の橋本知事なのはどうしてか?その辺も考えてみる必要がある。地方分権は最近選挙に向けて色々取り沙汰されるようになったが、これは「国の責任放棄」や、自治体同士の「現代版国盗り物語」になってしまってはまずいと思うのだ。
2009.08.06
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今度の総選挙では、財源問題の他に地方分権の推進がもう一つのテーマになっている。ここで地方に関してのデータの一部を掲げます。先ずはデータのみにて。都道府県領土の広さ人口経済状況 総面積(km2)順位総人口順位財政力指数順位島根6,708 19 720,595 46 0.20 47高知7,105 18 777,914 45 0.20 46鳥取3,507 41 591,906 47 0.23 44長崎4,105 37 1,434,260 27 0.23 44宮崎7,735 14 1,132,150 36 0.25 42和歌山4,726 30 1,007,402 39 0.25 42大分6,340 22 1,197,347 33 0.27 41佐賀2,440 42 853,288 42 0.28 40秋田11,636 6 1,100,124 37 0.29 38徳島4,147 36 790,136 44 0.29 38沖縄2,276 44 1,381,166 31 0.30 37岩手15,279 2 1,343,102 32 0.31 32青森9,644 8 1,385,096 30 0.31 32鹿児島9,189 10 1,711,708 24 0.31 32熊本7,406 15 1,816,557 23 0.31 32愛媛5,678 26 1,439,143 26 0.31 32山形9,323 9 1,181,775 34 0.33 30奈良3,691 40 1,402,268 28 0.33 30山口6,113 23 1,459,559 25 0.35 29香川1,877 47 1,000,958 40 0.36 28北海道83,457 1 5,543,556 8 0.39 26岡山7,113 17 1,943,891 21 0.39 26福井4,190 34 809,282 43 0.40 25山梨4,465 32 869,572 41 0.42 24新潟12,584 5 2,385,896 14 0.43 23福島13,783 3 2,045,516 18 0.44 22富山4,248 33 1,096,717 38 0.45 20石川4,186 35 1,167,737 35 0.45 20長野13,562 4 2,163,672 16 0.46 19岐阜10,621 7 2,090,333 17 0.51 18宮城7,286 16 2,335,562 15 0.53 17滋賀4,017 38 1,401,605 29 0.56 16群馬6,363 21 2,007,885 20 0.59 11三重5,777 25 1,864,406 22 0.59 11広島8,479 11 2,861,882 12 0.59 11京都4,613 31 2,633,157 13 0.59 11兵庫8,396 12 5,598,220 7 0.59 11福岡4,977 29 5,061,952 9 0.61 10栃木6,408 20 2,010,701 19 0.63 9茨城6,096 24 2,966,358 11 0.64 8静岡7,780 13 3,790,882 10 0.73 7埼玉3,797 39 7,159,987 5 0.74 6千葉5,157 28 6,172,836 6 0.76 5大阪1,898 46 8,836,873 3 0.79 4神奈川2,416 43 8,998,805 2 0.92 3愛知5,165 27 7,411,158 4 1.02 2東京2,188 45 12,974,936 1 1.32 1
2009.08.05
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◇ 8月4日(火曜日) 旧六月十四日 辛巳(かのと み) 先勝: 京都北野天満宮例祭四十数年ぶりに会った中学校時代の女の子に、「○△×さんには随分ひどい言葉で苛められました。」と云われた。高校時代の友人が、有名国立大学の教授を辞し、小さな無名に近い田舎の私立大学に転職した。彼は、「君に高校時代こう云われた。その言葉に従ったんだよ。」と話してくれた。後悔しようにも、また自慢しようにも、どちらも僕には全く記憶がない。「一言百解」はとっさに自作した四文字熟語だが、言葉は受け手によって百通りもの解釈の仕方がある。僕の言葉は彼女や彼の中に、僕自身のイメージを長期間固定してしまったのだ。言葉にはそういう面がある。相手の真意を一言で測るべきではない。麻生さんは「老人は働くしか才能がない」と云った。マスコミも反対党も、自民党の身内までその言葉を問題にしている。しかし、前にこの稿で書いたように、僕は麻生さんが同じ講演の中で言った「だって老人が働けば税収が増えるじゃないですか」という方に彼の真意が有ると思う。これも、一言のリスクである。政治家の発言には、一言がクローズアップされて一人歩きしてしまうというリスクが特に多い。だから老練な(ずるい)政治家になると、何も云わなくなったり、禅問答のような訳の分からない事しか云わなくなったりする。昔、言語明瞭意味不明と云われた政治家が居た。「あー」「うー」を連発した政治家もいた。今の自民党の幹事長氏などは、無表情で無機質な言葉しか吐かない。その点麻生さんは、どんどん外にお出ましになって、方々で闊達にお話しになる。公示以後は候補者の応援演説に麻生さんが呼ばれる事はなさそうだから、それまでが勝負と、水害の被災地や新潟に出向いて活躍されているのはいじらしいほどだ。最近は麻生さんのアドリブを封じるために、色々周りの工夫もあるようだが、それでも興が乗ってくるとポロポロ本音をおっしゃってしまう。このアドリブは貴重である。麻生さんのことを「アホウ総理」と揶揄する人も多いけれどとんでもない!あの人は賢くはないかもしれないけれど、根っからの善人で正直者ですよ。決してアホウどころじゃありません。自民党の他の胡散臭い「実力者」などより遥かに好感が持てます。言葉にはリスクが有るけれど、我々有権者は、政党や政治家を選ぼうとする時には、やはり言葉に頼らざるを得ない。我々と政治家の間には、対話や会話の機会は殆どないから、サシで真意を問い質す事は無理だ。それだけに我々の側では言葉に対する「感度」を上げておかなければならない。それはつまり、「一言」に囚われることなく、時間や場所を異にしての発言と繋ぎ合わせて「本音」を掴み取ろうとする事である。暫く前からマニフェストを云々するようになった。これは、本来は「積荷目録」とか「乗客名簿」と云う意味だ。マニフェストは、つまりは言葉の羅列、リストである。今までのように云いっ放しではなく、政治家や政党の民草に対する約束を書き物として記録しておく意味はある。後になって我々の側からチェックが出来るという意味はあるが、選ぶ前には余り意味がないように思える。だから、やはり政治家の発言に、公示後は候補者の生の発言に注意しなければならないと僕は思う。今回の総選挙の結果、政権交代の可能性がある。有権者としては、自民党と民主党のどちらにこれからの(最大)4年間の日本の政治をやらせるかと云う選択になる。ところが自民党も民主党も、大目的は殆ど変わらない。自民党は安心社会の実現をいい、民主党は友愛社会の実現をいっている。我々の側からすれば、この二つはどちらかを選ぶようなものではない。どちらも良いじゃないか。両方実現して欲しい。現代の日本の政党や政治家は、国や国民のために良かれと政治を行おうとしている。と、まぁそう信じる事にしよう。そうでないと考える前提がなくなってしまうし、それこそ革命でも起こさないといけなくなる。これは日本人には無理だ。日本は民衆による暴力革命を経験した事はないし、争いごとを嫌うのは日本人の世界にも稀な美風であると、僕はそう思っている。そうなるとマニフェストの目標リストを実現させる根本を問うた方が良い。つまりは政策実現の為に必要なカネと、その入手に対する作戦である。麻生さんは、民主党の政策はバラマキ財政であり、財源の手当てがないとおっしゃる。バラマキ財政は自民党のお家芸だったのに。田中さんや竹下さんはアチラでこそばゆい思いをなさっているだろう。しかし、君子豹変はあり得ることだし、今頃になって自民党がバラマキ財政を批判するのは、まぁいい。麻生さんは「我が党は、景気の拡大を通じて財源を求めていくのだ」とおっしゃる。僕はこの点が自民党の本質だという気がする。景気の拡大というのは、突き詰めれば富の偏在化と同じ事だ。世界の総資産を一定と考え、保存則という真理に則れば、わが国の景気の拡大とは「日本が儲けて何処かに損をさせる」という事だ。ミクロに見れば、日本国内で同じ。富は局所に偏在する。つまり国内的には所得格差が増大し、大企業はいよいよ大規模化し、小規模零細の企業は淘汰される。それじゃぁ、世界の総資産を増やせば良いとなる。しかしその増加分の出所は、結局は地球である。地球と云うのは、資源と云う観点では現在は閉じた系である。つまりこの場合には、「地球に損をさせる」事になり、環境の保全とかエコロジーの考え方には相反する。要するに経済というものは、「誰かが得をすれば、必ず誰かが損をする」という事に他ならない。これは物理の法則から云ってもそうだ。こういう政策を実践すればどうなるかは、アメリカではブッシュ前大統領の時代、そしてわが国でも小泉首相や竹中平蔵大臣の例を見れば明らかである。まとめると、自民党が現在掲げる政策では、所得格差の拡大は不可避であり、本質的に反エコロジーであり、大企業主体の経済運営も必然であり、外交面では対米追従も当然の事になる。これはアメリカになぞらえれば、共和党に近いといえる。従って、自民党が日本のための政策として意を配り、「安心社会」の実現のために実践していくべきは、社会保障制度をどう充実させるべきかと云うことになってくる。所得格差はさておいても、生活格差をどうやって小さくしていくかが最大のチャレンジになる。この点、今後の麻生さんの「本音」発言に注目しなければならない。一方の民主党は、「無駄遣いを無くす」ことで財源の手当てをするそうだ。民主党が経済の拡大をどの程度真剣に現実的に考えているかは、僕は寡聞にして良く知らない。しかし、積年の無駄遣いの慣習・制度とそれによる国費の浪費は、霞ヶ関を中心に相当累積しているであろうことは素人でも想像できる。だからそれは分かり易いし、すぐ出来るはずだ。是非とも断行推進して欲しい。しかし、その他の外交面での方向付けや、そもそも日本と云う国が世界の中でどういう地位を目指していくのかに関しては、どうもはっきりしたイメージが見えない。由紀夫さんは最近事あるごとに、「四年後に公約が実現できていなければ責任を取って辞める」とおっしゃる。これは、はっきり云って無責任だ。国レベルでの政策は四年程度では完結しない。今の政策は数年後、場合によっては十年以上後に大きなインパクトを与え得るものだ。現に今の自民党政権は、小泉さんの時代の政策の影響を受けて四苦八苦しているのだ。政治家は、特に政権党の政治家は四年程度で辞めますなどというのは無責任だ。悪く取れば、四年間好き放題にやって、そのツケは後世に回しますよ、と放言しているようなものだ。まとめれば、民主党は自民党政権への反対勢力としては成功しつつある。無駄遣いを無くすという、政治家としての内省を前面に出したのも好感が持てる。しかし、一方で軟弱である。国としての方向付けがはっきりしない。国民として誇りを持てる国を彼らが実現できるのか、それだけの決意と実行力があるかどうか。何となく不安である。誇りを持てない国民の中に友愛社会などは実現しないであろう。再びアメリカになぞらえれば、我が民主党はかの国の民主党に近い。現在アメリカ議会で民主党が優勢なのは、ブッシュ前大統領に対する批判と共に、何よりもオバマさんのリーダーシップとカリスマ性によるものだろう。リベラルなチームには、その本質的な軟弱さを補う意味でも、傑出したリーダーが必要になる。ところで我が方の由紀夫さんには、「ET由紀夫」などと揶揄される如く、目がうつろでリーダーとしての風貌に欠けるところがある。演説では「皆さぁーん、××○○しようじゃありませんかぁ」とおっしゃる。あれは断固として、「我々に××○○させてください!」とか、「我々こそは××○○を実行します!」と断言すべきところだ。選ばれる側の人間が、ちゃっかり選ぶ側に混じって座ってしまうのはずるい。こっちは未だ仲間に入れてあげた積りもないのだ。今後は由紀夫さんに対してはリーダーとしての資質如何に、民主党に対しては国の方向付けに対するビジョンと覚悟に注目していかなければならない。最後に;こうして何度かにわたってブログに書いてきて、政治家は我々が(僕の)理解していた以上に強大な権力的存在であることが分かった。今の日本の制度では、三権分立は運用上の制限であって、それぞれが対等に独立して牽制しあうものではない。現行の間接民主制、議院内閣制では、我々が選挙で選ぶのは、立法府のメンバーであることになっている。しかし、その結果間接的に行政府も選択されてしまう。行政府は立法府の解散権も持っている。更に行政府には司法府の選択権もある。そうなると、投票に際しては余程信頼できる、高潔で実行力を持ち、国や国民の将来に確固たるビジョンと理念を持った人物や政党を選ばなければならない。そんなのは無理だ。麻生さんは「五年や十年先の事を考えてどうなりますか!?今のことでしょう!」とおっしゃる。由紀夫さんは「四年経って公約が実現できていなければ辞める」とおっしゃる。昔は「国家百年の計」という言葉が有って、政治家の資質としてこの点が問われ、政治家自身もそういう覚悟でいた。今は「国家数年のやりくり」でしかないらしい。僕の知っている範囲では、戦後の政治家で良くも悪くもそういう理念、覚悟を持っていたのは吉田茂とその側近である白洲次郎だけだ。そして今の政党には、どこであれ吉田茂も白洲次郎も、薬にしたくとも見あたらない。そうなると自民党にも民主党にも一人勝ちさせるのは危険だ。本来の主権者としての国民が、間接的にしろチクチクとその権利を行使できるためには、その他の野党にもここぞと云う時にはキャスティングボードを握れるほどの勢力を持たせることが重要だ。そうなると、やっぱり【総選挙に向けて考える】(2)(7月27日)に書いたように、其の一: とにかくどこであれ、同一勢力を衆議院議席の三分の二以上に座らせてはいけない!其の二: 衆議院の勢力分野は、なるべくバラケているほうが良い!となってしまう。さて、基本的にバラけた存在でしかない我々有権者が、これを実際にどうすれば実現できるか。その方法が未だ分からない。
2009.08.04
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