マックの文弊録

マックの文弊録

2005.08.20
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◇土曜日:旧暦七月十六日 丙子(ひのえ ね) 望、鎌倉宮祭
落葉松の芽吹き
痛風発作なんてならぬに越したことが無いのは当たり前だ。
しかし風邪やそのほかの病と較べ、高熱を発して意識が朦朧となることはないし、お腹が痛かったり、寝たっきりになるわけでもない。
痛みさえある程度治まれば、こうしてパソコンにも向かえるから、メールをチェックして返信したり、書類仕事を片付けたりとSOHOも出来る。
暑い中を汗をかきかき働いてくれている同僚諸君には申し訳ないけれど、木曜以来溜まっていた本も少しは読めたし、普段観られないテレビも観ることが出来る。期せずしてちょっとした夏休み気分になることが出来た。

そうしたら、今日NHKの「みんなの唄」で、椰子の実の唄が流れていた。
本当に久しぶりに聴くゆったりした美しい旋律は、忘れていた青年時代の気分を蘇らせてくれた。
椰子の実は、旋律も好きだが詞が大好きなのだ。

♪♪♪
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷 ふるさと の岸を 離れて
汝 なれ はそも 波に幾月

旧 もと の木は  生 お いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕
孤身 ひとりみ の  浮寝 うきね の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新 あらた なり 流離の 憂 うれい
海の日の 沈むを見れば
激 たぎ り落つ 異郷の涙

思いやる  八重 やえ の汐々
いずれの日にか 国に帰らん


この詞は唄のために作られたものではない。島崎藤村の詩である。この詩は彼の「落梅集」という詩集に収められている。但し、彼自身の見聞に基づく作品ではない。

日本民族学の泰斗を感動させた一個の椰子の実は、詩人の心も動かした。そしてはるかに時代を経て尚、わが心をも感動させてくれるのである。

後に山田耕筰門下の大中寅二という人によって曲が付けられ、国民歌謡として全国にラジオ放送された。昭和11年のことだそうだ。
ならば、先の大戦で出征した若き兵士達にも、この曲に親しんだ者も多かろう。はるかな洋上の島で、絶望的な戦いを強いられていた彼らには、この唄を思い出し口ずさむ時、最後の二行は如何にも残酷に響いたことではあるまいか。

この椰子の実の詩も文語体である。
僕は、日本人の心根や想いを綴るのには、口語体より文語体がはるかに優れているとかねてより思っている。
その点、本 ※ まで書いてしまった安野光雅氏に大いに共感するものだ。
先ずは同じ藤村の、「初恋」という詩;
まだあげ 初 そ めし 前髪 まへがみ の 林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは
薄紅 うすくれなゐ の秋の実に ひとこひ 初 そ めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を 君が情けに 酌 く みしかな

林檎畠の 樹 こ の下に おのづからなる細道は
誰 た が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ

もうこの詩のリズムは、高校時代に教科書で読んだ時以来染み付いて離れない。何よりこういう風にうたわれる乙女は、夢でしか会えないほどの美しい人に決まっているのだ。

次は、北原白秋の「落葉松」を掲げる。彼は文語体でうたう際に、漢字を極力省いてしまった。

からまつの林を過ぎて からまつをしみじみと見き
からまつはさびしかりけり たびゆくはさびしかりけり

からまつの林を 出 い でて からまつの林に入りぬ
からまつの林に入りて また細く道はつづけり

からまつの林の奥も わが通る道はありけり
霧雨のかかる道なり 山風のかよふ道なり

からまつの林の道は われのみか ひともかよひぬ
ほそぼそと通う道なり さびさびといそぐ道なり

からまつの林を過ぎて ゆゑしらず歩みひそめつ
からまつはさびしかりけり からまつとささやきにけり

からまつの林を出でて 浅間 嶺 ね にけぶり立つ見つ
浅間嶺にけぶり立つ見つ からまつのまたそのうへに

からまつの林の雨は さびしけど いよよしづけし
かんこ鳥鳴けるのみなる からまつの濡るるのみなる

世の中よ、あはれなりけり 常なれどうれしかりけり
山川に山がはの音 からまつにからまつのかぜ


からまつは唐松と書くが、落葉松とも書く。

春には落葉松の若葉は冬の鞘から萌黄色に伸び、春の雨に濡れる。春の日に落葉松の林を歩けば、青年の心にはその緑がやはり寂しいのだ。

青春時代の一時期を信州で過ごした僕には、白秋のこの詩がやはり「あの頃」の日々を思い出させてくれる。
これもやはり文語体の故だと思う。我々日本人が古来から受け継いできた感性に通じる窓が、文語体には潜んでいる。

安野光雅さんは、「思うに文語文は、その文章の気負うところ、志の高さ、訴える気概などにおいて、青春の文学なのである。」とおっしゃる。
彼は文語体を、又文語体で綴られた日本の古典を、そのリズムや韻だけでも次の世代に引き継がなければいけない、とお考えである。


漱石を読み耽り、中島敦を愛読し、藤村の千曲川旅情の詩に親しみ、今になって今度は「漢字や文章が難しい」とか、「言い回しが古めかしい」などと、同世代からすらこっぴどく批判されている僕としては、NHKで久しぶりに聴いた椰子の実にやや酔ってしまったようだ。

※「青春の文語体」 安野光雅編著 筑摩書房 2003年12月 ISBN4-480-81460-4 C0095





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最終更新日  2005.08.21 00:06:38
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