マックの文弊録

マックの文弊録

2005.09.02
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◇金曜日:旧暦七月二十九日 己丑(つちのと うし)

桐 一葉 ひとは
アオギリの若い幹
こ れは 賤 しず ヶ岳の戦いで、七本槍の一人として戦功を立て、豊臣秀吉側近の家臣として後に摂津茨木城主になった片桐 且元 かつもと (1556~1615)の詩とされる。
しかし、原典は「一葉落ちて天下の秋を知る」(文録)とか、「桐葉風に先んじて落ち・・・」(唐詩)とか、やはり中国にあるのだ。

旦 かつもと 君は、庭先の桐の葉が枯れ落ちるのを見て、太閤桐と片桐の衰退を予見したのだそうだ。しかしそう都合よく葉が落ちるものだろうか?しかも自らの「片桐」を思い出させる桐の葉だ。こういう話はどうもこじつけめいて、本当かねと思ってしまう。

彼は、秀吉の子秀頼の家老である時、方広寺大仏鐘銘事件に関係して、淀君からは裏切り者と断罪された。
例の、鐘に刻された「国家安康」という銘は「安」の字が家康の名前を分断している。すなわち豊臣家に謀反の意図ありとする証左だとイチャモンを付けられ、豊臣家滅亡の一因にもなった事件だ。

方広寺の鐘の奉納プロジェクトのリーダーだった旦元君は、「こりゃ拙いぞ」と駿府にいた家康の元に弁明に出向くが、家康君には会うことが出来ず、代わりに三択を押し付けられる。

2.母の淀君を人質として江戸へ差し出せ。
3.領地を返上し、大坂から立ち退け。
秀頼を政権の正当な継承者であると主張する、誇り高きゴッドマザー淀君が受け入れるわけなど無いと高をくくった、狸親父家康の事実上の最後通牒であった。

難 癖をつけるには、意図さえあれば口実はなんとでも立てられる。屁理屈であっても構わない。そして、口実さえ出来上がれば、その正否など無頓着にそれを楯に無理難題を問う。相手が対応に窮すれば、今度はそれを新たな口実にして攻め立てる。
まぁこんなことは、今昔に関わらず権力を漁り、それを弄ぶ者の常道である。

可哀相なのは旦元君だ。
何とか戦争を回避しようとはるばる駿府まで出向いて、持ち帰ったのがどれも淀君が選ぶはずも無い三択問題だ。

案の定、疲れきって帰ってきた大坂城では、落剥のステージママは、「こんな馬鹿げた三択問題をおめおめ持ち帰ってくるなんて、アンタ本当は裏切ったんでしょう!もういいからとっとと出て行きなさい!」とおっしゃる。
「あーあ、駄目だコリャ。こんな風じゃ、もう豊臣もウチもアカン。」と落胆して詠んだのが、「桐一葉・・・」だというのだ。

彼は翌日、弟と一緒に大坂城を立ち退き、摂津にある自分の城、茨木城に帰ってしまった。慶長16年(1614年)十月一日の夕方のことだったそうだ。
そして旦元君は、「この上は戦闘は避けられない。どの道豊臣にもう将来は無いのだから、いっそ早く戦いを終わらせて、無駄な犠牲を少なくさせよう。」と考えた。

それで、その後は家康側に積極的に内通して、大坂城中秀頼や淀君が滞在する場所など、機密情報をどんどん教えるようになった。
大坂冬の陣だ。
翌年の大坂夏の陣でも、同様であった。

夏の陣の戦勝後、家康からは首尾よく家禄の加増を賜ったが、旦元君自身は淀君親子の自刃二十日後に、旧主を追うように亡くなってしまった。

さ て、この詩に詠まれた桐は 青桐 あおぎり 梧桐 ごとう )である。これは樹高15メートルに及ぶ落葉高木で、成長が旺盛で排ガスにも強いため、東京の其処ここには街路樹として植えられている。木材としては軽くて柔らかく、加工しやすいので中国では棺桶の材料として重宝されたのだそうだ。
旦元君が主家と吾家の滅亡衰退を感じ取った青桐が、棺桶の材料として珍重されるなど、皮肉な話ではある。
青桐は九月になると、そろそろ舟形の実をつけ始める。





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最終更新日  2005.09.03 18:12:55
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