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風呂椅子くんさんからの投稿です。
今日は、岐阜城と金華山の話です。岐阜に来たなら一度は訪れるべきスポットです。
ロープウェーで登るのもいいですが、せっかくなら自分の足で登ってみましょう。
一生懸命登った後に天守閣から眺める風景は格別のものがあります。
天守閣から西側を見た風景です。
山麓にはかつて岐阜城下町が広がっていました。
奥には伊吹山が見えますが、織田信長公はその先の京都まで見据えていたかもしれません。
ところで戦国時代の岐阜には多くの人が訪れていますが、京都の公家の山科言継(ときつぐ)はその時のことを日記に書き残しています。
永禄十二(一五六九)年8月のことです。
それによると、今の七曲登山道を登って山城に向かい、音楽や囃子を聞いた後に晩餐会があったとのことで、何とこのときは信長公みずからが給仕をしたと書いてあります。
その後、言継は山頂からの風景をみて「嶮難の風景、言語に説くべからず」といっています。
言葉にできないほどすばらしいということでしょう。山頂で食事を振舞い、眼下の景色を楽しむ。
実は金華山観光は信長公の時代から行われていたことなのです。
時代が変わり、建物の様子も変わりましたが、実は街の区画は戦国時代から大きく変わっていません。
険しい山の風景もそのままです。
このすばらしい風景を440年前にも信長公も見ていたのだと思うと、ちょっと違って見えませんか?
この由緒正しい金華山観光、行った際にはぜひ山頂でつぶやいてみてください。
「嶮難の風景、言語に説くべからず」と。