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こんにちは、岐阜市社会教育課です。
前回は、「 岐阜城復興天守の話その1
昭和18年(1943)2月17日、復興天守は浮浪者のたき火で焼失してしまいました。
天守を失った衝撃は市民にとっても大きかったようで、その直後から再建の動きがみられます。
焼失から3日後の2月20日付岐阜合同新聞(現在の岐阜新聞)では、早くも金華警防団員から金一千円の再建資金が寄付されたほか、再建を促す嘆願や寄付、または労働奉仕の申し出が多く出ていると報じられました。しかし社会情勢もあり、この時は再建に至りませんでした。
現実的に動き出すのは昭和30年(1955)のことです。戦後復興のシンボルとして岐阜城再建期成同盟会により募金が始められ、設計を名古屋工業大学の城戸久(きどひさし)氏に依頼しました。
工事着工は10月7日、落成式は昭和31年(1956)7月25日、鉄筋コンクリート造りの3層4階です。
式典の中でこの2代目天守は同盟会から岐阜市に寄付されました。こうして岐阜城の天守が再び金華山上に現れたのです。
どこからでも仰ぎ見ることが出来る岐阜城は、金華山と一体で街のシンボルとなっており、現在に至るまで多くの人々に親しまれています。

明日、シリーズ3回目を掲載いたします。
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岐阜市街地の変遷の痕跡 2015年03月12日
岐阜城復興天守の話 その3 2015年03月11日