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キイロイグチ Pulveroboletus ravenelii夏から秋、マツまじりの広葉樹林地上に発生。湿時、多少粘性を帯びる。全身黄色の粉質を浴び、触ると手に付着する。また肉に青変性があり、イグチの窯では一目瞭然のきのこである。これはまだ傘が開いていない状態ですが、傘がひらくと管孔で成熟する胞子を保護していた内皮膜が裂けて柄の上部につばとなって残る。つばは胞子の色を反映して暗褐色を呈する。ニセアシベニイグチ Boletus pseudocalopus広葉林地上に発生。中から大型きのこ。肉眼でのアシベニイグチ Boletus calopusと比べての相違点は、柄に赤みが少なく網目模様がほとんどみられないこと。そしてアシベニイグチとの顕著な差異は傘を縦に割ってみると、チーズに似た匂いを持ち、その巨大な図体に比べて管孔部分が著しく短かいことで区別できる。その胞子の伝搬能力を疑うほどである。成熟すると傘にひび割れが入ることもしばしばある。いずれも苦味があり、アシベニイグチにはムスカリン類を含み、ニセアシベニイグチは毒成分は不明だが、胃腸系の傷害をもたらす。コオニイグチ Strobilomyces seminudus小型のきのこで広葉林に暑さのさなかに顔をのぞかせる。夏のイグチの代表格である。触れると赤変するのでただでさえ蜘蛛のようないでたちなのに血がにじむようでグロテスク。だが食用きのこである。しかし、見てくれ同様、ためしに食べてみたがそうおいしくはない。変色性に特徴がみられ、これより大型のオニイグチ S. strobilaceus 、あるいはオニイグチモドキ S. confusus (傘の鱗片が尖っている)ではまず赤変し、そののちゆっくりと黒変する。クリイロイグチ Gyroporus castaneusこちらもイグチの仲間の中では見分けのつきやすいきのこで、柄とビロード状の傘が同色の栗色であることからその名がある。管孔は白色、のち淡い黄色を呈する。こちらも毒性はない。
2018年07月25日
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桔梗の五芒星の紋所・安倍晴明で一躍有名になった陰陽道だが、今、暦との兼ね合いで調べているが、興味がつきない。陰陽五行と暦を制する者が世界を制するとして、我が国の知識層は古代より競ってこのアナロジーの体系を取り入れた。日本文化の基層のなすものだとあらためて感じ入っている次第だ。こちらも月のしずく次号で触れてみたい。
2018年02月08日
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今回の登山は、熱い夏のはじまりにどれだけ余力を残しているかを自己診断するためのものであった。きのこたちに励まされてかろうじてパスはしたものの立派におじんであることを思い知らされた山旅ではあった。 天狗の太郎坊で有名な愛宕山は、テングタケが多数発生する。 コテングタケモドキ Amanita pseudoporphyria 京阪神の山筋ではこの天狗が初夏から盛夏にかけて気温が上昇するのにあわせて大発生する。きわめて大型のきのこで、わたしにはなじみの深いきのこである。いちおう毒とされるが、傘の縁に条線がつくことから致死毒ではないと私は思っている。モドキがつくとモドキなし(pseudoがつかない)もあると思ってしまうでしょうが、それもあるにはあります。コテングタケ(A. ポルフィリア)は同形でやや小さく全体にこのチョコレート色の傘、白いツバ、ツボよりも全体に灰色がかっているとされる。が、私はこれまでまだ出会ったことがない。 モドキくんの成菌がこちらである。成菌では傘の縁に条線がみられない。ツバはよだれかけのように垂れさがる。 この形状が、食用きのこを採取する人たちが食べることを躊躇する原因であるらしい。 しかし、テングタケ(Amanita)のグルーブはすべてツバ、ツボ、を持ち背すじをシャンと伸ばし、天狗のように精悍でいでたちもダンディーそのもの。きのこファンに愛される所以であろう。 テングタケダマシ Amanita sychnopyramis f. subannulata アマニタ シクノビラミス フォルマ スプアニュラータ という長いラテン名を持つが、われわれが通常テングタケとして親しんでいるパンサーマッシュルーム(Amanita pantherina)との違いは、これより小型で傘の上にちらばる鱗片がとがっていることである。 タマゴテングタケモドキ Amanita longistriata 猛毒のタマゴテングタケに似ているということでこの和名がつけられたが、関西では、肝心のタマゴテングタケ(A. ファロイデス)は、滅多にみかけることはないし、ヒダがピンク色を呈し通称アカハテングタケと呼ばれており、ツバもややリング状なので、どこが似ているのか頭をかしげてしまう。傘のへりにつく条線もあざやかなので猛毒ではなさそうである。 この日は、ちらほら報告が届きはじめた西洋では皇帝のきのこと呼ばれる真紅の傘とだんだら模様の柄をもつタマゴタケ(A.ヘミバーファ)はまだ顔を出しておらず、これだけが残念。 この写真の傘の下側にベールが伸び出しているが、これはきのこにつくカビで、カビの仲間のきのこにカビがつくという二重寄生の例である。
2022年07月17日
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西山方面のきのこたちとのデートは、青葉ごもりの人影まばらな寺社をたどる道行きに重なる。私たちにとって大山崎の聖武天皇勅願、行基創建伝説をもつ宝積寺の微笑み地蔵さながらにきのこたちの笑みこぼれる様は何よりの慰みである。 シロキクラゲ Tremella fuciformis きのこの中では珍しくコウボ世代をもつシロキクラゲはこの時期の異型担子菌の代表株だ。純白で半透明のゼリー状きのこ。最近はきのこ女子の間でスイーツにしてシロップ漬けにして楽しむことが多いと聞く。 クロハナビラタケ Ionomidotis frondosa 形状からはハナビラニカワタケのようで異型担子菌のキクラゲの仲間を彷彿させるが、ズキンタケやチャワンタケの仲間に近い子嚢菌グループに属し、しかも日本特産。秋から初冬に発生すると言われるが、近畿では初夏から暑くなる手前の森でよく見かける。ニカワ状の皮質の本体はいかにも黒魔術師という感が否めない。毒性のあり、激しい腹痛と下痢に見舞われるという。 ヒイロタケ Pycnoporus coccineus 雨意こめた山辺の森では、補色の関係にある紅色を呈する白色腐朽菌のヒイロタケはとりわけ目立つ存在だが、この日は至るところで出会った。 ヤマドリタケモドキ Boletus reticulatus 日本産ポルチーニのヤマドリタケは不名誉なモドキが付せられているが幼時より威厳のある風貌をして我々の到来を遅いじゃないかと出迎えてくれた。初夏の森を輝かせてくれるきのこの代表である。 アイタケ Russula virescens 安倍晴明の時代ならこのきのこ、甲羅を焼いてその亀裂の走り方で占う亀ちゃんの代用に用いられたのではないだろうか。それほど見事な茶絣模様を呈して私たちを慰めてくれる。やや密なヒダと柄はいずれも純白で花魁のうなじを思わせるところからこの仲間は泉鏡花などから格別に愛されたようだ。中央部に亀裂が入るのはまれなのでそんなアイタケに出会ったら教えてほしい。 サマツモドキ Tricholomopsis rutilans 「遅いじゃないか」と叱られたのが暑い時期に元気な姿をみせてくれるこのきのこだ。梅雨時に出るマツタケに見紛うことからの命名だろうか、サマツに似て非なるきのこという不名誉な名前を付けられているが、ヒダの黄色がすてきな中・大型のきのこだ。過乾燥のため干上がってしまったが、息も絶え絶えに出迎えてくれた。 キヌガサタケ Dictyophora indusiata モンローきのこは昨日紹介したが、実に舞い姿も多様で遠来の客を喜ばせてくれた。六甲山系ではキヌガサタケはベールが寸足らずのマクキヌガサタケ Dictyophora duplicataが主流で頭部のグレバのにおいも温和で風邪薬の「改源」を思わせるが、西山あたりのキヌガサタケはニオイも強烈だ。 このほか、私の好のきのこでは ニシキタケ Russula aurea コテングタケモドキ Amanita pseudoporphyria ハナオチバタケ Marasmius pulcherripes などが散見できた。
2021年06月15日
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ミズタニカエコさんの心の師匠であるという物部隆一さんが西天満のギャラリーH・O・Tで開かれるというので急遽訪ねてきた。 西天満の小学校のほとりにある画廊では、私たち昭和生まれの者にとっては懐かしいアヴァンギャルド絵画が並んでいた。現在では極く普通の作品群であるが、60年代には最先端であったであろう画風に接し「おお!」と思わずうれしくなる風景にしばらく身を置いてきた。都会の喧騒から隔たった空間ではあったが、そこにに60年代のブラックミュージックとしてのジャズがまざまざと流れていた。 作家は、目下鳥取県在住とのことで在廊しておられなかったが、ギャラリーの方から京都生まれでもともと日本画からスタートしたと聞いてなるほどと思った。 開戦へまっしぐらに暴走を始めた列島に生を受け、敗戦後の復興期に青春期を迎えた物部青年と同世代の若者たちには限りない可能性に満ちた時代であったことが、これらの屈託のない画風から溢れ出していた。 1959年日本画壇に対抗する形で誕生したケラ美術協会の設立に関わったというから芯からの反逆児であったと思われる。ケラは素寒貧・おケラのケラではなくラテン語のcella、アーティストの本源的な姿である<細胞>あるいは<地下貯蔵庫>という意味だ。 訪ねたのが昼時だったお蔭で<つゆおとなう人とてなく>、画廊の方と物部さんについて淡々とお話を聞くことが出来、束の間しあわせなひとときを過ごことが出来た。 物部さんは国際的なアーティストとして作家活動を展開するかたわら、教師としての生活を続けられアートの素晴らしさを全身で教え、世代を超えて教え子たちをアートの世界へいざなうことにとても意欲的だったというので、カエコさんもそんな中の一人であろう。 若書きの頃の作品も是非のぞきたい思いに駆られたが、また追々機会もできる事だろう。
2021年11月24日
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昭和のレトロ感あふれる友金アパートの一部屋ひと部屋をブースに見立てて、その空間を作家たちの思いで埋めるアートとして楽しんできた。 常見可奈子の作品場所にただよう「想い」と私の「想い」。そんな「想い」のループを表現したという作品。 ギャラリー「手風琴」の小林くみこさんは、川西美術協会展でいつもおしゃれな版画作品を出されていて楽しみにしているが、ここではとても予想外の遊びに徹した作品(写真下の廊下作品)をものしており、面白いと思いました。 滑川みささんの「あおだけ」。ガーデンフィールズ跡地の「あかたいら」とぺアの作品だが、友金アパートの屋上一杯に展開されていた。 アクセル・テップファー+ダニエル・ノイマン+藤井達矢の「木喰さんプロジェクト」 木喰研究の藤井と写真を媒介に哲学的視点で分析するアクセル。それにダニエルの音楽のコラボレーション。「CATBOX万華鏡」橋本あやめ+橋本修一。旅と散歩と遊びとデザインをミックスしたものづくりを続けるおふたりのデジアナ作品。 これは「いつもーそしてどこへ」の伊佐地恵子のスペースだと記憶しますが、日常からスゥーツと浮遊するような感覚がただよう不思議な光景でした。閉館前に駆け足で訪ねましたが、この作品がもっとも心に焼き付いています。 あえて現代を冠する同時代の現代人による現代美術の散歩、いかがでしたか?。 私たちはいかなる意味でも生きていることを意識した瞬間、アーティストとなります。有形無形の作品を呼吸するように生み出していく人間の排泄行為に似た創造こそが現代美術の現代たるゆえんなのかもしれません。 小春日だったのですが、午後になると北風が吹きはじめ、気温が下がり始めました。そんな宝塚での夕間づめまでのひととき、こんなことを考えながらぶらついてきました。
2017年11月09日
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日本にいてキルギスのことを身近に感じることはまずない。周りを準独裁国家の覇権国家に囲まれ、かつ資源産業の無い本来的に牧畜国家である内陸国家キルギスの未来は険しい。そんなキルギスから日本へやって来て日本人以上に日本人となったナズムさんの話がユーラシア協会であるというので、覗いてきた。ソ連邦崩壊後、幾多の困難を乗り越えて2005年3月チューリップ革命でアカ―エフ大統領が就任。2010年4月四月革命でバキエフ大統領に代わり、オトゥンバエフ・ローザという女性大統領の1年余りの中継ぎを経て2020年10月革命を経てジャーンバエフ大統領、ジヤパーロフ大統領に代わるもロシアの介入などがあったのち2021年1月すったもんだの末ジャパーロフ大統領に落ち着いたが、いまだ安定化にはほど遠く多くの国内問題を抱えて推移しているという。 本来、遊牧民中心の国家で各部族の独立性が強く、加えてわいろの常態化もあり、スタンダードな近代国家の枠組みに収まりきれないところが多いと彼は語った。将来的には(国家的には)豊かな自然を活かした観光とIT産業による未来を模索中だと語っていた。 彼は日本でアリエンタ株式会社を立ち上げ、キルギスのハチミツや乾燥リンゴのスナック菓子などの販売を始めているという。その他、通訳や翻訳でキルギスと日本、キルギスと世界の橋渡しの役割を果たしたいと考えていると結んだ。前途多難ではあるが、やりがいのある仕事なのでたゆまず努力を続けて欲しいと心から思った。久しぶりに寒い一日で麻痺の手足が思うように動かない一日だったが、行くだけの値打ちは充分にあった。
2023年12月18日
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ラテン名・アガリクスとはマッシュルームグループの総称。 マッシュルームの仲間の特徴は密なヒダ。スーパーで売られているマッシュルームも新しい間はヒダは白色だが、徐々にピンク色に変化し、遂には黒褐色を呈します。ヒダが黒くなったマッシュルームは老成している証拠で、味が落ちますので買うのは控えましょう。 ザラエノハラタケ Agaricus subrutilescens 私が野山でみかけた最初のハラタケグループはこのザラエノハラタケでした。見事なツバと密なヒダがほんのり桃色を呈した美しいきのこでした。 しかし、年々このきのこと出会うことはまれになり、ここ数年姿をくらましていたのです。異常気象と台風のお蔭でしょうか。ようやく再会を果たしました。発生地は針葉林の地上。後述するシロオオハラタケは草地や芝生に菌輪を描いて発生するので、生活圏がまったく別のきのこです。傘全体を覆う黒紫褐色の鱗片が特徴で獣のようないでたち。そしてツバから下に綿状の鱗片でおおわれることからザラエの名前がつきました。 類似のきのこにシロオオハラタケ Agaricus arvensis がありますが、こちらは傘の表面が平滑か多少鱗片状を呈しますが、全体に白っぽく、触れると黄変するのが特徴です。双方とも、マッシュルームの仲間では中~大型のきのこで傘の径が20cmあまりあるのを見かけることもしばしばでした。 列島の野山が全体、遷移の上で極相林となりつつある昨今、森林そのものが老齢化し、かって見られたきのこたちも次々と様変わりしてきています。自然界は、そろそろふりだしにもどる、すなわち更新の時節に入っているのです。きのこたちとのデートを重ねているとそうしたことがごく自然に理解されるようになります。 しかし、過剰な人為が自然の遷移(サクセッション)を混乱させることは、やがて取り返しのつかない事態を招きます。自然観察の要は、そんな自然からの信号を静かに受け止め、正せるところから微調整していかねばなりません。そのためにはこの地球の生き物がすべていのちの営みでつながっていることを自覚する必要があるのです。そんな観点抜きで環境問題が推移してきたことが今問われ始めています。
2018年10月03日
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キヒダタケ Phylloporus bells 色は別にして、形だけで判断すると垂生したヒダが扇の骨にみえるオウギタケ、あるいはカラマツ林にみられる灰褐色のキオウギタケとよく似ていることからオウギタケ科の仲間と考えられてきた。 このきのこが傘の裏が管孔状のイグチに含められているのは、ヒダ同士を連絡する脈状の隆起が著しい場合にヒダではなく管孔状になることから。そんなことから、観察会などでこのきのこを見つけるとハラタケからイグチへ移行の過渡期にあるきのことして私たちも得意顔をしてそう語ってきたものだ。ハラタケ型のきのこからイグチ型、さらに腹菌型への移行の過程にあるきのこと言われてきたが、近年、分子系統分類が導入されて、その解析の結果からは傘の裏が明らかにヒダでしかないオウギタケとは無縁で、アワタケ属のきのこの近縁ということに落ち着いた。 野山で出会った第一印象は、傘のテクスチャーからすれば、まさにアワタケそのもので納得できる。しかし、ヒダをもつきのこにもかかわらず、イグチ科に含められてきたことに変わりがないのは、かってはヒダよりも管孔の状態のものが多かったからではないかと思われる。 私は、長いつきあいになるが、このきのこのようにヒダ状か、ごく一部が管孔になってはいてもヒダが顕著なキヒダタケしかみたことがない。 イロガワリキヒダタケもあるが、それは触れた尻からあきらかに青色に変わることから名付けられたもので、学名もキヒダタケと同じラテン名にvar.cyanescens (青変性をもつ変種)との記述が加えられ、顕微鏡でみると胞子もキヒダちゃんのものよりやや長いことで区別されている。しかし、肉眼的にはほとんど変わりがなく、キヒダタケでもこのきのこのように時にうっすら青変性をもつものが多いので、僕はキヒダタケはすべて色変わりするものとして分けて考えることはしないできた。やたらと細分化してもったいをつける必要はない。
2018年10月16日
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三つ目のアート展が大阪北区のこれ。イグエムアートの「赤城美奈と水咲智明」二人展。一つ目は京都三条東山のクンスト画廊の岡本光博展。二つ目が京都北の怨霊神社隣の公募西瓜展(パレスチナ国旗の色が西瓜色であることからのプロテクトアート)。さすがに脚が疲れましたが、忘れがたいアート展でした。月のしずく次号に詳しく紹介。
2024年09月25日
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三田市の建設課植栽工事課のFさんから、市内の小寺遊園地に発生したキノコの件で問合せがあり、とても的確に表現していただいたので電話でも了解して即答したのですが、本日仕事の前に立寄ってポートレートを撮ってきました。ハタケチャダイゴケのようですが、この種はもっと大きいのが普通ですのでCyathus属のチャダイゴケSPとしておきます。雨滴の直撃や刺激をうけると小塊粒の粘着ひもがバネとなって飛び出し動物や植物などにまきついて他所へと運んでもらいます。
2005年11月10日
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いのち溢れる夏は私のもっとも好きな季節だ。生き物たちがこの世界にあふれかえる様は見事というほかない。遠い記憶の中からさまざまなものたちがよみがえってくるのも、この季節をおいてありえない。一般の人たちにとって、きのこはそんな魑魅魍魎の跋扈する世界にあってなお、きわめて特異な存在のようだが、私にとってはむしろきのこを特異ととらえる精神の貧困のほうが気がかりである。この夏の日々、そんなきのこたちとの長い対話の中で考えてきたことがようやく形をととのえつつあるのを実感している。わたしにとってきのことは、あるいはきのこに代表される異類とは、永遠の他者すなわち死者を暗示するものなのだ。螺旋のひとつのレベルの円をひとめぐりして次のステージの円へと移行する、このことを一般に進化と呼ぶ。その進化を遂げるためには、この世のものならぬ死者との対話が必要だと常々考えてきた。私の構想してきたヘテロソフィアとは非生産の創造、かって思想家たちが脱構築といってきたものに酷似する。しかし、脱構築とはおのれを虚しくした末にしか獲得できない境地であるように思い至った。仏家の言う「捨身飼虎」の精神に近い。この夏、一生活者の私が、どう暴れきることができるかがもっとも試されるときであるように受け止めている。思い切り死に肉薄することで見えてくる世界を今度ばかりはしっかりと掴み取らねばならない。もし、思う存分暴れきることができたとしたらおのずと次のステージが開かれてくる。願わくば万難われに。
2006年06月07日
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昨年暮れと今年の旧正月、三輪山界隈の山の辺の道をたずねたが、久延彦神社のことはその折に触れた。古事記に出てくる大国主命と国づくりをするためにやってきたまれびとの少名毘古那神の名を知っていた唯一の人物がクエヒコさんで、今は山田之曾富謄(やまだのそほど)という者だと書かれてある。この神は歩くことは出来ないが天下の事は何でも知ってるよとある。そこから三輪山の麓にあるくえひこ社は、学問の神様として受験生たちの神様になったようだ。足萎えの身で、のちにその一本足の立ち姿からイッポンタタラやダイダラボッチに形象化された。 ここを通る度に、私は竹内健の『邪神記』の「星神香香背男考」を思い出す。『ランボーの沈黙』の著者であり、演劇家であることくらいしか私には伝わってこない謎の作家だ。彼は、わが国上代語について抜群の言語感覚の持ち主で、「そほど」の「そほ」は万葉時代に真砂、朱に相当し、赤を意味したという。♪まがね吹く丹生の真曾保♪のマソホのソホ、すなわち辰砂=硫化水銀と言い当てた。蕪村の句にもますほのススキがあり、赤い花ススキを意味している。この辰砂(=硫化水銀)は、古代の神事に欠かせない紅で、スサノオは朱沙王であるという考証もあるくらい、物部の出雲と深いかかわりをもつ。この辰砂を塗った朱塗りの船のことを赭船(ソホフネ)と訓ませることも併せて引いている。京の町家のベンガラ塗りもその名残りであろう。防腐、魔除けの朱だ。そほどの「ど」は、あきんどとか狩人とかの「ど」で人のこと。竹内氏は、ここから山田の案山子へ話をもっていくのが凄い。「カカ」とは赤色の形容の古語で赫。「シ」は古墳時代には霊魂を意味する「チ」、律令時代には漢字文化が重なって美称とされ「主=ぬし」とか「大人=うし」が当てられたという。後には「シ」が音韻の転訛から「チ」と「ミ」に区別されいずれも霊魂を現すが「チ」は不可視な内在霊を「ミ」は可視の顕在霊を表すことになったという。魑魅魍魎のチやミにも通じよう。 私は、これを聞いて<カカ>は梵語でも赫を意味し、地蔵菩薩ご真言<オーム・カカカ・ビサンマエイ・スヴァ―ハ>のカカ、それから蛇のヤマカカシのカカにも通じると想像した。そして真朱(ますほ)は、倭語では「丹」が当てられ、日本列島の硫化水銀の産地の地名に丹生、丹庭、壬生、入野とその名をとどめているという。 ゆえに「そほど」は「かかし」と同義で赫を強調した赤人なのだとした。竹内建さんはまことにもってすごい人物だ。 このことで私がひらめいたのは、天平時代に柿本人麻呂がフェイドアウトした後、入れ替わるかのように登場した聖武朝の宮廷歌人の山部赤人だ。なるほど、彼のペンネームは、山田の案山子のもじりだったのかと天平びとのユーモアに思わず笑ってしまった。 大国主命が少名毘古那の名を「一体なにものだ」と訪ねたとき、物知りのくえひこを紹介したのは、ヒキガエル(たにくぐ)くんだが、この神社にはその故事を偲ばせるものは何もなく、お守りもフクロウだけ。 代わりにわれわれを出迎えてくれたのは殻の口に紅を引くのでその名があるクチベニマイマイだった。私はそのとき、三輪山麓のまさに山部赤人と受け止め、ひそかに感謝したことである。
2021年03月19日
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まもなくキコガサタケの季節になる。いよいよ<秦氏の作った国・日本>の最初のシリーズ『異説 良弁伝』の最終段階の詰めの作業に入る。5月に入って20日余りの日々、あれこれ案を練りながら着手を先送りしてきたのは、彼ら原・秦氏たちの黄河河口部の斎の国から東海の神州への移動が、紀元前219年の秦の始皇帝の中国統一が引き金となったことが自然と理解できる最初のふさわしい1行を考えあぐねているからだ。その1行によって全編の改変が余儀なくされるので決めかねているのである。 まもなく77回目の誕生日を迎えるが、そろそろ船出のタイムリミット、この一行が生まれればすべてが動き出す。10数年かかりっきりとなってきた良弁も今年の立秋までにはあらかた終えて、8月31日には法然へと頭を切り替えることが出来るかどうかの瀬戸際のひと月もあと10日余りとなってしまった。そのファイナル・チャレンジの3ケ月がこれからいよいよ始まる。良弁の南無八幡大菩薩から法然の南無阿弥陀仏へのソフト・ランディング、そしてその後民衆の南無大悲地蔵尊、あるいは世阿弥の南無観世音大菩薩までの何かに突き動かされての旅枕の日々、自分の事ながら首尾よくいくことを願ってやまない。
2024年05月19日
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