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60も半ばのご婦人が、最近の経験を話してくださいました。「実はまぶたが上がらなくなってしまいました。目が半分しか開かないので、テレビを見るのも本を読むのも、顎をあげて下半分の目で見るようになって、疲れがひどくなりましてね。」「黒目が全部開いたらどんなに明るいだろうと思いました。眼科の先生に相談に行きました。まぶたを上げる手術を勧められました。検眼をするにも、手でまぶたを持ち上げなくてはならないほどだったのです。」「紹介された病院は形成外科でした。いわゆる美容整形の病院です。気持ちの中には、別にいのちに別状のないことなのに、まったく視力がなくて闇の中で暮らしている人もいるのにという思いがあってためらっていました。」「訪ねた病院でお医者様の前に座ったとき、私はまだ迷っている気持ちを伝えました。問わず語りに私が老親の介護を5年間していることを口にした途端、先生がおっしゃいました。よし、せめて目からだけでも光をいっぱい入れよう。世の中が明るくなったら、気持ちも明るくなるかもしれないよ。」「私は思わず涙があふれました。光がほしい。こころのそこからそう思いました。そして私は眼けん下垂の手術を受けました。」手術の間、先生はいろんな話をしてくださいました。人間の身体は謎だと。奥さんが癌と診断されて一晩で真っ白な白髪になった方のこと。受け入れられない哀しみに直面して、一晩泣き明かして翌日まぶたが完全にふさがってしまった方のこと。精神的なものが肉体に及ぼす力の大きさを、いろんな例をあげて話をしてくださいました。そして最後にこうおっしゃいました。私は目をあけてあげることはできる。でも、こころの目を開けてあげることはできないんだよ。せめて目から光を入れて、その光がこころにも届くといいねえ。たった一言で、その人のこころの襞に巣くっている哀しみや苦しみの病因を感じ取る力。それはいのちをいとおしむ優しさと、豊かな感受性なのでしょう。「目を開いていただいたことはとてもありがたいことでしたけど、私はその先生に出会えたことがとてもうれしいんです。私も相手の言葉や行動に潜んでいる心の声を、少しでも聞き取れるようになりたいと思いました。それにはまず、もっと、もっと、自分自身のいのちを愛せるようにならないといけないんですよね。・・・・きっと、そうなんですよね。」
2002年07月24日
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あまりにも時間の流れが速すぎて、ときどき、あらっ?あの事件はどう解決したんだっただろうと、記憶を探すことがありませんか。その事件が起こった時には、世界が震撼し、世界が耳目をその一点に集中したものも、次から次へとそれを上回る恐ろしい事件が起こってくると、いつの間にか一つずつの出来事は、まるで映画の中のことだったような臨場感を失っているという思いになることはありませんか。神戸で起きた事件も、和歌山で起きた事件も、あの事件も、あの事件も、こうして列記しようとしても、正確にその事件をあらわす名前すらも曖昧になっているのは、私だけなのでしょうか。あなたはこの10年間に起きた事件の中で忘れることの出来ないものを一つあげるとしたら、なにを思い出すでしょう。私は自分が正確に思い出すことの出来ない事件簿の中で、一つだけ忘れることのできないものがあります。それは「旧石器捏造」の事件です。子ども虐待でもないし、いじめによる自殺でもないし、精神障害者による無差別の殺人でもないし、テロでもないし、抗しがたい天災でもないので、いのちとの関わりで考えるなら、これは事件ともいえないほどのものかもしれません。でも、思い出すたびに心の中がじくじくと疼きます。その人の発掘は百発百中でした。「神の手」と言われたその人の手は、人類学の歴史を次々に更新していきました。一気にではなく、徐々に徐々に塗り替えていきました。その人はいったいどんな気持ちで生きていたんだろう・・・。その人の気持ちを想像すると、私の心の中はじくじくとします。テロを実行することは「多分」ないでしょう。隣の家の人を気に食わないからと殺すことは「多分」ないでしょう。祭りのカレーに毒を入れることは「多分」ないでしょう。初めは小さな出来心だったこの事件は、もしかしたら、私もしてしまうかもしれないという恐れがあるからなのでしょうか。みんなに期待される。なんとかして期待に応えたい。ふっと、ふっと頭をよぎった捏造という行為が成功してしまった。自分自身で歯止めが利かなかったことは、もちろん、その人本人の罪です。許されることではありません。たとえ、この何十年という時間を、怯えながら暮らしてきたとしても、決して許されるものではありません。ただ、誰も気がついて「あげられなかった」のか・・という思いがするのも正直な思いです。もっと、早くに、その最初に、気がついてあげる人が一人もいなかったということが、捏造をしたその人の罪と同じ種類の罪が、人間という生き物の中にあるように感じてしまいます。「その人は今、どうしているんですか?」もう数年前にリタイアなさった大学の先生が、心から手繰りだすようにして話されたお話しに、若い人が尋ねました。「病院にね。入院しているそうですよ。なんの病気だろうね。どんな気持ちで寝ているんだろうね。」
2002年07月16日
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「整形美人」という連続テレビドラマが終った夜、ひとしきり今期のドラマ談義に花が咲きました。最近のテレビドラマは深い問題意識を投げかけてくれるものが多いように感じます。このドラマは、幼いころから「ブスがうつるからあっちにいけ」といじめられてきた女の子が、一念発起、お金を貯めて外国に行き、全身整形をして帰ってくるところから始まりました。彼女の整形前の顔やスタイルがどういうものだったかは、区別がつかないほどよく似ていたという双子の姉妹を登場させることで対比を表します。彼女は一人の男性と出会い、恋をします。彼は華道の家元という設定です。つまり、「美」を追求する人間ということです。彼は「美しい彼女」を愛するようになりました。やがて彼女は愛する人に嘘をついていることが辛くなって、自分が整形をしていることを告白します。そこで彼がどういう反応をするだろうということが、観客の関心事でした。案の上彼は完全に引いてしまいます。彼女は苦しみ哀しみ、ついには又整形前の姿にもどる決意をします。そうなったら、彼が受け入れてくれるとでも思っているわけ?・・・と、観客はいらいらします。彼の苦しみはどこにあったのでしょう。瓜二つだという双子の妹の顔が、美しい彼女の顔にオーバーラップするたびに、彼は苦しみます。愛せないと頭を振ります。彼が苦しんだのは二つあったように思います。一つは自分は外見の美しさで人を愛したのだろうかという思いです。もう一つは外見の美しさがその人の価値を決めるのだろうかという思いです。これはとても難しいことだと観客も共に悩みます。美しさは外見じゃないはずだと思う気持ちは誰もが持ちます。しかし、しかし・・・です。美しいものと醜いものが並んでいたとき、目を引かれるのは美しさではないだろうか。人事として考えるのではなく、あの彼が自分だとしたら、さあ、お前はどうする!という自問自答です。これはドラマのお話しです。それこそ案の上、彼は自分が彼女の天真爛漫な明るい心、前向きなひたむきな生き方に引かれ、救われたことを思い出して、再び整形をし直しに旅立った彼女をありのままに愛する自信をもって彼女の前に立ちます。華道の家元である彼が、悩み苦しみぬいた果てに出した結論を象徴的にあらわした場面があります。彼は大きな作品を作ります。その披露の場に参会した人たちは、その作品の美しさと気高さに賞賛の声をあげます。その会衆に向かって彼はこう言います。「今みなさんが美しいと褒めちぎってくださったこの花は、実は造花です。」華やいでいた会場は水をあびたように静まりかえり、やがて造花を作品にした家元を罵倒し始めます。しかし実はその花たちは造花ではなく生花だったのです。家元が造花を活けるはずがないと疑わない目がある。そして、その同じ目が一瞬の後に、そこにある同じものに命を見ることが出来なくなる。人間が「美」を感じ取るのは目なのでしょうか。それとも、心なのでしょうか。・・・これはあくまでもドラマのお話しです。私が彼だったら、私が彼女だったら・・・。そこには人の数と同じだけのさまざまなドラマがうまれることでしょう。
2002年07月06日
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