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これは シオモニが大切にしてたトイレットペーパー。 かれこれ30年位前の話になる。 当時はちり紙主流の時代で、 トイレットペーパーは出始めだった。 地域差が激しいので、次男さんが住んでいたソウルでは売られていてもこっちでは売られていない事も多かった。 そんな時、孝行息子の次男さんはお母さんに新しいモノを見せてあげたくて買ってきた。 当時一個800ウォン也。 お母さんは次男さんのそんな気遣いが嬉しく、最後のひとつを使わずとって置いた。 次男さんはしばらくして急性白血病で亡くなった。 そんな話を私は年寄りの繰り事として、何度となく聞かされた。 その度に 『お母さんが亡くなったらお棺に入れてあげますよ』 と言っていた。 いざ、実際に亡くなった時は慌ただしくてお棺に入れるどころじゃなかった。 お母さんは生前、こう言っていた。 『私が死んだら燃しちゃいなさいよ。。』 ゴメン、入れてあげられなかったよ。 燃して送ったげるよ。
August 1, 2014
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シオモニの容態がおかしいと連絡があったのは,月曜日の朝。 就業教育がおこなわれる女性会館にむかう車の中だった。 健作さんにお兄さんが電話をよこしてきたのだ。 お兄さんは病院に向かい,健作さんは店の急ぎの修理の仕事を 解決するように,とのことだった。 私を女性会館に下ろして健作さんは店に向かった。 5分位してからだろうか。 健作さんから電話があった。 亡くなったという。 お兄さんが病院に着いたときには,息を引き取った後だった。 それから,子供達を呼びに行き,斎場にむかった。 水曜日の昼には一段落ついてしまった。 満で95歳。 入棺して,土葬まで済んだ。 お兄さんの通う教会の共同墓地に入ることになり,30年前に 亡くなったお父さんもう,この際一緒にお墓に入れることになった。 もともと土葬してあったお父さんを掘り起こして,火葬をし直して お母さんの隣に小さく入ることになったのだ。。 葬式自体はあんまり大変ではなかった。。 うちは甥っ子姪っ子が多いので人手は沢山あるんだよね。 うちのシオモニとは初めの頃はいろいろあった。 気心知れてくるとだんだん、親だなあって、思うようになった。 実家の母に言えない話もできるようになった。 そうしてわかった事。 シオモニは嫁と娘の区別はなかった。 男女区別はあるんだけどね。 いろいろあったけど,全て過去の事。 健作さんのショックは大きい。 末っ子で他の兄弟が分家していくなか,ずっとシオモニと一緒だったもんね。
May 28, 2014
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ひーちゃんの鼻。 昨日,気が付いた。ウチのシオモニに似ている。 誰に似ているんだろうって思っていた。 やっと分かった。 そうしたら,なんかスゴく可愛く見えてきた。 ウチのシオモニは遥か昔,80年近く前,お嫁に来たときお姑さんに(健作さんのお祖母ちゃん) "お前は鼻がいいカタチをしている" と言われたんだって。 それを自慢気に何度も言ってたっけ。 うちのシオモニは姑仕えですごく苦労した人で,それでも姑に誉められて嬉しかった思いでもあるんだな。 正直、シオモニの鼻はすごく格好のいい鼻とは思えないんだけど, でもひーちゃんを見ると,シオモニの健気さが見えてくるようで嬉しかった。 私,シオモニの事結構好きなんだなって思ったよ。 そんな自分も嬉しかったり。 親だもんね,シオモニも私にとってはかけがえのない大切な親。 実家の母も自分の舅(私の父方の祖父ですな)にそんな感情を抱いていた。 やっぱり家族を大きく捉えられるってある意味幸せなんだな。
February 23, 2014
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韓国では,お正月を陰暦で祝うので,明日がお正月です。私の家ではシオモニが病院にいるので,お正月らしい事はあまりしません。他の韓国のお嫁さん達よりずっと楽をしていると思います。シオモニがまだまだ健在で盆正月にこだわっていた頃は大変でした。ウチの健作さんは末っ子で、盆正月の祭事は長男の家で行われていました。前日に長男の家に祭事の料理の手伝いに行き、夜に戻ってきます。韓国では盆正月はお墓参りをするのですが、そのお墓はウチの村を取り囲んでいる山にあります。それで、盆正月当日はみなウチにきてお昼ごはんを食べることになるのです。その接待。それで、ほかのお嫁さんはそこで、自宅に帰ったり自分の実家に帰ったりするのですが、当時の私はそうは行きませんでした。シオモニの娘であるお義姉さんたちが、自分の実家だと家に来るのです。夕方はその接待。私は海外から来たものでしたから、実家に早々帰れるものではありませんし、当時は泣いたものでした。今は、シオモニも病院に入ってしまったし、長兄とシオモニが喧嘩して以来、健作さんは盆正月に渡井が長兄の家に行くことを嫌がっているので、行かなくなり、義姉たちも来なくなり、すっかり楽になりました。現状は楽です。でも、それまでの間いろいろありました。まだまだ、若いシオモニの下で苦労しているお嫁さんたちも多いでしょうが、年老いたシオモニに仕えるという事も易しい事ではありませんでした。排泄が不便になったしシオモニを見るのは大変でした。ウンチにまみれたズボンを洗ったり、ウンチがこびりついた床掃除をしたりもしました。ちょっと、認知症の症状が入ってきたシオモニに苦労したこともありました。シオモニのひざに座っているハル君が蚊取マットをしゃぶっていた事もありました。当時ハル君は蚊取りマットを剥けません。お菓子だと思い込んだシオモニが剥いてあげたのでしょう。ハル君がシオモニの血圧の薬を誤飲した疑いが出て、救急に連れて行ったこともありました。後で、血行促進剤だった事が判明したので、胸をなでおろしましたが。認知症の症状がひどくなると、今度は子供たちをたたき始めました。体不調を訴えるシオモニを病院に連れて行って、そのまま老人専門病院に転院してもらいました。どんどん足腰が弱りシオモニは寝たきりになってしまいました。健作さんは私が介護すればいいと思っていたようでしたが、今ではあきらめたようです。お義姉さんが勤務する病院なので、恵まれているシオモニです。健作さんも私がシオモニの介護をするより、後々仕事を持ったほうがいいと判断したのでしょう。そうそう、今日は長兄の誕生日です。シオモニは一週間の陣痛を乗り越えて長兄を産んだと聞きました。今から、76年ほど前のことです。
January 30, 2014
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私のブログにホーバクの思い出と言うフリーページがあります。めーちゃんの上に妊娠7ヶ月で早産してお空に行ってしまった男の子がいました。姑といろいろあって、結局私が負けてしまった結果だったんですけどね。その時私はおもいました。姑を味方につけておかなければ、次に妊娠してもまた同じ目に遭う・・・・!そう思い、私は一日に何時間とノルマを設けて姑の部屋を訪ね、話をし理解を得ていきました。それが何年か続き、気心の知れた仲になり、次にめーちゃんを妊娠した時には、姑は「食べたいものは何でも食べろ、健作が買ってくれなかったら私が叱ってやるからな」とまで言ってくれるようになりました。敵をなくす一番良い方法は味方にすることだ。と、かの速水真澄さんが言っています。(by、ガラスの仮面) 時には漫画もいい教訓を残してくれるのです。(え。今日の結論ってこれ?っていう方いるだろうなあ)ウチの姑も病院暮し、姑との思いでも懐かしく思い出せるようになりました。めーちゃんにも楽しい思い出話を聞かせられるようになりました。時間が薬になることもあるんですよね。
October 14, 2013
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久しぶりにシオモニの病院に立ち寄ってみた。この頃は子供たちを置いて、一時間くらいは外出できるようになって来た。健作さんと外出した帰りに病院によって見たのである。私を見分けるとシオモニは顔を寄せてきた。私も冗談に付き合うように額をつき合わせてやった。健作さんは頬に出来た突起が気になるらしい。いじってはシオモニに『痛い』と訴えられている。同室のほかのお年寄りのオムツを替え終わった看病人がシオモニもベッドにやってきた。私が『手が冷たいねえ』と、シオモニの手をさすると車椅子に乗って散歩に行ってきたので冷えたのだろうということ。昼間にいろいろ活動をしていないと、『夜に眠れない』と一騒動を起こしたりするのだそうだ。さすりながら手を見ると、つめに鳳仙花で汁で色が付いている。鳳仙花の花の汁で爪を染めて初雪が降るまで爪が残っていると初恋が叶うんだとか・・・・今は、マニキュアに押されてるのかもしれないが、韓国では、鳳仙花が冷凍になって売られているほど、まだまだ鳳仙花の人気が高い。看病人の方が言う。「『誰が爪を染めてくれたの?』って訊くと『健作の奥さん』って答えるのよ。私は『健作の奥さん』が誰だか知らないんだけどね。そんで『健作の奥さんはどこにいるの?』ってまた訊くと私を指差すの・・・・・。」シオモニの幸せな脳内変換だ。シオモニの頭の中では看病人が私にすり替わっているのだ。ちょっと前は私が買ってあげたズック、孫娘が買ってあげたことになっていた。それも脳内変換。本当は家に帰りたいんだろうなあ。
November 19, 2012
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日本の女性専用サイトをよく覗く。そこで、家族の悩み事のコーナーにはいろいろな悩みがいっぱい。夫との悩み、嫁姑の悩みが沢山あるよね。そこで、よく聞かれるのが『適度な距離をもって義両親と付き合う』って話。私は韓国に嫁いで、ああ、ここが私の性にあっているなあと思い始めた。私、言いたいkとはっきり言う性格なんだよね。よく、東北の人は口をはっきりあけて喋らず、思ったことをはっきり表現しない』とか言われるけど、私、違うみたい。仙台出身だけど、うちの姉も、ウチの母もズバズバものを言うタイプ。(父は違う。どちらかと言うと肝が小さい)はじめは嫁姑、いろいろあったけど、『先手必勝』で乗り越えてきた。日本人は黙って動く。韓国人はまず話す。ていうか、このごろの日本人が口下手なのかなあって思うよ。近所に日本人の奥さんが姑さんと同居していたことがあってね。『やろうと思っていたこと』を姑さんに言いつけられると腹が立つって言ってたっけ。『やろうと思っているかどうか』は姑さんは分からないんだから(超能力者じゃないんだから)口に出して言ってあげないと・・・・。『お母さん、私これこれしますからね。お母さんが言わなくても大丈夫よ』と言えないんだろうか?出かけるときも、どうして、黙って行ってしまうんだろう。。。。安全上、お互いがどこにいるのか把握しておくほうが良いのに。と考えるのは韓国人なのだろうか??一緒に住んでいるんだもん。黙って出かけるのは寂しいような気がする。訊かれる前に『これこれこういうところに用足しに言ってきます』って言えないんだって。そのオンニ。結局、そのオンニ別居になった。ま、そのほうが性に合っているんだろうな。そのオンニは。うちはシオモニが入院中。人のことは言えないかな。。。。私、姑と一緒の頃はよく喋ったもんな。女同士で結束していると、家の中はうまく廻るし。やっぱり、私が変わっているのかな・・・・・?
August 10, 2012
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水曜日に保健所での漢方育児教室に参加した帰りにシオモニの病院に行って見た。いやあ、看護師さんに『ああ、アナタが日本から来たお嫁さん? お母さん、キツイ方ねえ。よく今まで一緒に暮らして姑仕えしてきたわねって 看護師仲間で感動していたのよ』と言われてしまった。そうか~私ってそんなに大変な人と暮らしていたんだ。と思ったら、なんだか今まで私が物凄いひどい仕打ちを受けていたような気持ちになってしまった。そして、一気に不機嫌になり、健作さんに明るく八つ当たりしていた。そしたらさ、その後、やっぱりシオモニを退院させるかって話になったらしいのね。シオモニ、歳による老化でしかなくて、内科的に治療が出来る状態じゃないんだそうなんだよね。だから、本当に寝たきりになるまで、うちにつれてこようとしたわけ。私もさ、うちの子供たちがシオモニに叩かれたりしているから、(子供たちも一緒に暮らしたいと思っていない)もう、一緒に暮らしたくないって気持ちがあるのだ。んで、結局は転院。お姉さんの働く病院に連れて行くことになった。脚を痛がっているから。内科では異常がないけど、外科のほうでは異常があったのか??そっちの治療を済ませるまでは病院にいることになった。私としては一安心。ま、不死鳥のような人なんで、いつ帰ってくるか分からないけどね。
May 26, 2012
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2012年5月22日二つ目。シオモニが入院した。一年に一回以上は入院するんだよ。年取っているからね。先週の金曜日の午後に『あたしも死ぬときが来たみたいだ、子供たち(健作さんの兄弟たち)を呼んで。』って言ってきてね。それで突然気力も落ちちゃって、それで、私もただ事じゃないなって思って健作さんに連絡したわけ。私に『子供たちは叩くんじゃないぞ』とか『別にいびったわけじゃないけど、あんたには苦労かけた』とか、遺言めいたこと言い出しちゃうし。そしたら、健作さんのお兄さん、弱っているんならって病院に入院させちゃったのね。今回わかったのは、うちのシオモニ、結構認知症が進んできているってこと。もう、病院であれちゃってね。点滴は抜いちゃうし。看護師さん叩いちゃうし。ついでに、毎日飲んでいる薬は血圧の薬じゃなかったらしいってこと。これは健作さんの下のお姉さんが『認知症って分かっていて、私にシオモニを押し付けていたってこと』みたいなんだよね。だって、健作さんのお姉さんは老人病院で働いてるんだよ。そこで看たっていいじゃない。でも『そこじゃひどくなるばかりだから』退院させてきたのはお姉さんだった。『子供たちをお母さんが毎日叩くんです』って訴えても『かわいいから叩くんだよ』って取り合ってくれなかった。叩くのは認知症の症状だったんだと思うよ。もうね、シオモニも長生きしたくて長生きしてるわけじゃないみたいだから仕方ないとして、(シオモニくらいになってくると生きているのも苦労だからね)お姉さんには腹がたったな。で、3番目の息子は病院に見舞いにも行かないんだよ。去年の病院の時に、シオモニ荒れちゃって、初めて修羅場を目のあたりにしたんだよね、3番目のお兄さん。そしてスリッパで叩かれたりしたんだって。それで、シオモニのこと嫌いになったみたい。そんな、うちのめーちゃんなんか、いつもおばあちゃんに叩かれているというのに。私だって、シオモニに胸倉掴まれたりいろいろしているのに。3番目のお兄さん、自分の息子は折檻して恐慌障害だかなんかにさせちゃったクセして。自分が叩かれるのはイヤなんだ。それってフェアじゃないよなあ。うちの健作さんもどっかから変なうわさ聞いてきて、シオモニ退院させようとするし。ウワサとは『病院で気力を落とす注射を打って寝たきりにさせ、死にそうになったら元気にさせる注射を打って延命させ、入院費をボッたくる』と言うもの。そんなことしたら刑事事件モノだよ。それに弱りきったしオモニ、今つれて帰ってきたら、そのまま家で死んでしまいそうだよ。そう、お姉さんの旦那さんと私で訴えて退院は取りやめにしたんだけどね。まったく、いろいろあるよね。
May 22, 2012
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扶安郡に住む日本人オンマ"T子さん"。孝行賞で大統領賞を受賞した。それを聞いて、うちの健作さん『うちのめーちゃんオンマのほうがよっぽど苦労しているのに。。。。』といってくれた。大統領賞よりもなによりも夫が同居の苦労を、介護(もどき)の苦労を認めてくれるのが一番。でも、回りにも認められるのって少しうらやましいなあ。
May 15, 2012
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今日は韓国のオボイナル(父母の日)長兄が久しぶりにやって来た。シオモニの部屋にはいるや否や、『お盆じゃなくてお膳に食事を出さないとだめじゃないか?』と一言。どの口でそれを言う?4年前にシオモニを追い出しておきながら。 まったく、なにを考えているのやら。私のやり方が不満でしたら、いつでもシオモニを連れていらっしゃってもいいのですがね。
May 8, 2012
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私は耐えられない。いや、生理的に受け付けられない。ウチのシオモニ、トイレに常備してある私の生理用ナプキンを使っていた模様。シオモニの部屋ににあったのよ。使用後の生理用ナプキンが。怖すぎ。シオモニ、満で93歳。韓国の歳で95歳なのよ。何に使うって言うのよ~これでも耐えなくてはならないのかな。トイレに常備してあったナプキンは部屋に隠すことに下よ。気持ち悪いんだもん。
April 24, 2012
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今住んでいる家を建てる前の話だから、かれこれ12年位前の話。すけそうだらのお汁を作った。普通は大根を入れる。その日、私は大根がなかったのでキムチを入れた。それを見たとたん、シオモニは不機嫌な顔でこう言った。『テーハンミングkサラムンイロッケヌンアンモンヌンダ(韓国人はこういう風には食べないんだ』といかにも、私が韓国の常識がないお馬鹿さんのように言い放った。それからいくらか経った後、私が早産して養生している時、シオモニがすけそうだらのお汁を食べたいと言ったので、健作さんが作った。大根の代わりにキムチを入れて。シオモニ、ほめてあげてたよ。『応用力のいい頭のいい息子だ』と言う風に。私が同じく作った時は非難し、息子が作った時はほめる。結論は。。。。姑は嫁のやることなすこと気に入らない↓ウチの健作さんは韓国人じゃない。と言うことでオーケーとしておこう。発想の転換が時には必要。
April 3, 2012
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だんだん症状が悪化してきているウチのシオモニ。テレビを一日中つけっぱなし。消すと逆上。シオモニがトイレから自分の部屋に帰るときは居間を通るのだが、通り過ぎる時に居間のテレビをつけていくんだよ。トイレのウ〇チは流さない。そして、いつもトイレ床のの排水溝のところに少々の嘔吐物。これは毎日トイレ掃除をしなさいと言うシオモニのいやみか?それともボケか??そして手癖が悪くなった。ポクポク音がする位の強さで孫たちをたたくようになった。一度めーちゃんを枕でたたいて世炉ついた目ちゃんが壁に頭をぶつけたことがあった。おかげで、うちの子供たちはシオモニの部屋に行かなくなった。末っ子だけは時々行っているけど。健作さんをほうきでたたこうとしたり。まあ、いろいろですよ。お姉さんに言っても『孫かわいさでたたくんだ』と言うだけ。今度、お姉さんの孫がうちにきたら、叩いてやろうかと思ってしまう。『かわいいから叩くのよ~』とか言って。過去にシオモニにいびられた日々を思い出すだけでも煮えくり返るのに、子供たちも叩かれなくてはならないわけ??もう少し悪化したら、病院にいってもらおう。そして、今度はもう連れて来ないぞ。叩かれる子供達の身にもなってみろって言うんだ。もう私の手には負えなくなってきている。と思う。
March 13, 2012
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ウチのシオモニも風邪気味だなあと思って、だんなに病院に連れて行くように言いつけておいた。案の定、インフルエンザだったよ。めーちゃんから移ったのか、誰から移ったのか。。。。んで、点滴を打ってもらったほうが治りが早いから打ってもらうことに。私はついて行かなかったんだよ。めーちゃんが家にいたし。点滴打つくらいなら、シオモニもじっとしていられるかなって思ったし。お兄さんの家の近くの病院に連れて行くならお兄さんの家の誰かが付き添い位してくれるだろうと思ったし。してくれなかった。病院からウチに電話があったよ。『お宅のおばあちゃん、点滴の間、付き添いが必要なんです。血管が細いから、点滴の注射の針を打つのも大変なのに、じっとしていないから注射液がよそに入っちゃったりするし、ズボンを脱ごうとしたりするんです。私たちも忙しくなかったら付き添っていられるんですけど・・・』って感じだった。すぐ健作さんに電話して、その旨を伝えた。出張から帰ったお兄さんが付き添ったそうだが。もうね、シオモニも尋常な状態じゃない時が多いんだよ。でも、お兄さん一家はたまに、まともな時に会うことが多いから『お母さんはまだ大丈夫だ』とか思っているけど、でも、もうそろそろ怪しいのよ。こんなシオモニを私が見ているんだよ。そうそう、ウチの前にお家の叔母ちゃん(年齢的にはおばあちゃん)がとうとう寝たきりになってしまったよ。去年から骨折を繰り返していた叔母ちゃんだったが、とうとう腰の骨にひびが入ってしまい、寝たきりになってしまい、シオモニが入院していた介護病院に入ってしまった。そして、3番目の息子が下の世話をしてあげている。その3番目の息子って言うのが、今まで放蕩息子で連絡が取れなかったり取れたりを繰り返していて、ここ2年くらいは家に戻ってきていたのだ。結局、お母さんの下の世話のために戻ってきたようなもんか。ウチの健作さんは、絶対自分のお母さんの下の世話なんかしないと言い切っているよ。『俺はばばあの下なんか見ない』って言ってる。あんた、そこから生まれたんだよ。って私は言っているけど。
February 16, 2012
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皆さん、お久しぶりです。ご無沙汰しておりました。また日記を少しずつ書いていこうと思っています。よろしく。というわけで今日は、このお話。韓国ではいしもちをよく食べる。韓国の冠婚葬祭では、なくてはならないのがこのお魚。今回、健作さんとお兄さんの取引先でツケが払えず現物で払ってくれた業者がある。いしもち2箱。1箱に300匹くらい入っていた。小分けにして冷凍しておいた。これで当分は魚を買う必要がないだろう。うちの子供たちはお魚大好きだ。ところで、このいしもち、私には辛い思い出がある。前にも書いたし、赤い花さんの日記のコメントにも書かせてもらったのだけど、こちらでまたひとつ書かせてもらおう。私が始めて妊娠した時のことだった。もう14年前になる。まだまだシオモニが私をいびっていた時だった。蒸したいしもちを夕食に出すと、シオモニはそれを健作さんとシオモニの前にドンッと置いた。そして私に一言。『白菜キムチはとってもおなかの赤ちゃんに良いんだ、お前はキムチでも食べていなさい』私はいしもちを食べられなかった。その当時は、古い家にすんでいて、部屋は二つ、台所は土間という感じだった。炊飯ジャーはシオモニの部屋にあって、シオモニの部屋で食事を摂っていた。一度に10匹くらいのいしもちを蒸しておいて何日もかけて食べるのが、そのころの習慣。食べ残したいしもちは炊飯ジャーに入れるシオモニ。(電子レンジがなかったからね)そうすると、次の食事の時に温かいいしもちが食べられるというわけ、と言うシオモニなりの生活の知恵。でも何日かしてくると、だんだん干からびてくる。そして、臭くなってくる。3日もたつと臭くて、干乾びてカチンカチンになっていて、とても食べられたもんじゃない。そのころになると、私に『勿体無いから食べろ』と言ってくる。まったく、困ったシオモニ。そのころは、いしもちは実は食べられず、健作さんの食べたいしもちのワタばかりを食べていたよ。何とかして栄養を取らせて揚げたい気持ちで健作さんが卵を買ってきてくれたが、それもシオモニの機嫌を損ねる結果となり嫌味を言われた。妊娠していた子供はいびられて仕事をこき使われて、切迫早産が災いして、失ってしまった。後に3人の子供に恵まれたが。。。。。今ではすっかり弱ってしまったシオモニ。半オムツである。時々、失敗をするので、オムツを当てている。いしもちも私がほぐしてあげて食べさせてあげている。
January 21, 2012
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お久しぶりですこのごろ忙しくて、なかなか更新ができていません。いつもご訪問くださる皆様、ごめんなさい。シオモニは結局また入院した。なんかね、健作さんと私は元気になればお世話しても良いかなって思っていたのだけど、結局、介護病院に入れられてしまったシオモニ。やっぱり家と違うためか、暴れちゃったらしい。ベッドから降りられないようにベッドについているテーブルを固定されていた。そしたら、リハビリも何もないじゃん。オムツのまんまじゃん。でも暴れるから、安定剤のようなものを処方されているんだそうな。だからか、この間、面会に行った時はおとなしくなっていた。安定剤が効きすぎて弱っちまった時はまた違う薬を処方して元気にさせるんだそうな。なんか、う~んって感じ。存命のためだけにいるって感じ私の体は楽になったけど、シオモニの尊厳は・・・・?大部屋で、ベッド間には仕切りのカーテンもない。どこまでも恥じらいを持ったシオモニだったのに、今では、同室の患者さんたちが見ている前でオムツを替えてもらっているかと思うと、何か違うかなって思ったりして。練習すれば歩けるはずなのに。家では這ってでもトイレに行こうとしていたシオモニだったのに。足が腫れたから治療目的で入院したはずなのに。このまま、最後まで看取ってしまおうって言う健作さんの兄弟たちの思惑。ケリをつけたいって気持ちなんだな。いい加減長生きしすぎなんだよって気持ちもあるんだろうな。何かすっきりしない私です。
October 25, 2011
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ウチのシオモニ、またまた入院中。足がはれてしまって熱も出てしまって、身動きが取れなくなったため。 お姉さんが働いている老人病院に入院した。これ、めーちゃんにも一因ありって感じなんだよね。ウチのシオモニ、よく扉を少しだけ開けてこちらの様子を伺い見ることがある。ほんの1センチぐらい開けて。私は気配で『ああ、また覗いているんだな』って分かるんだけど、子供たちは分からない。お祖母ちゃんがそこにいると知らずに扉をガンッと開けたら、足の甲を扉にいやと言うほどぶつけたのね。きっとそこから腫れたんだと思う。病院では、骨に異常はないといっていた。血液検査の結果が昨日出たはずだ。入院する前の三日間はオムツにしてもらっていた。もう、オマルにも用を足せない状態だったから。本人、朦朧としているのか、半分認知症のようになっているのか、用を足しても分からない状態になっていたから。徘徊しながら用を足されるより、100倍マシだから。オムツにしてからは私が楽で。拭くのは少し抵抗あったけど、でも何とかやれるって思った。私はオムツの交換よりも、食事のほうが自信がない。寝たきりの人に食べさせるのってすごく難しそう。。。。ただ足が痛いのは治療しないといけないので、病院に。治療が終わったら、こちらに帰ってくるか、どうかは分からない。ただひとつ言える事は、うちのシオモニはウチで最後まで生きたいということ。死ぬまで、こちらにいたいらしい。寝たきりになっても私に面倒看てもらいたいんだそうだ。(たぱちゃん、私本当に祖母ちゃんに好かれちゃったみたいだよ)病院にいくことは捨てられたように感じるというのだと言う事。ま、昔ながらの年寄りだから、そう考えるのは仕方ないのだな。健作さんたちの兄弟たちはどう考えているか。ま、ゆっくり結論を出してもらおうと思う。
October 7, 2011
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シオモニ、だんだん弱ってきたかなって感じ。金曜日の朝、その日もシオモニのオマルのウン〇を片付けることから始まった。床にも着いているかもしれないので、塩素系漂白剤の雑巾で丹念に床を拭く。換気もして、匂いが大体なくなった。と思ったら、午後から、だんだん匂いがきつくなってきた。オマルは・・・・?と思ってオマルを確認すると、オマルにはブツがない。もしかして、ウン〇パンツでも隠しているのかなって思って部屋を探ると見当たらない。その日は6時半から、多文化センターの先生が来るので、その前に解決しないといけない。めーちゃんが私たちの部屋を使って勉強するので、私たち部外者はシオモニの部屋にいることになる。んで、部屋がくさいとなったら耐えられないと思うのだ。シオモニが窓から世間眺めをしているので近づいてみたらシオモニがくさい。もしかして、とおもい、ゴムのズボンを引っ張ってお尻の辺りも見てみたらああ、べったり付いている。パンツにしちゃったみたいだよ、一回分。『お母さん、パンツ汚れちゃったから着替えましょうね。』といってもなかなか着替えてくれない。今はいているズボンの上にそのまま新しいパンツをはこうとする。『お母さん、ズボンとパンツ、先に脱いでね』何度も言ってもなかなか動いてくれない。同じことを何度も繰り替えているうちに、シオモニが腹を立てた。「あなたが怒る筋ではないでしょうに、汚れたパンツを履き替え炉って言ってるわけなんだし」と思ったけど黙っておいた。そして今日、矢鱈めーちゃんが花の香りのスプレーを振りまいているのかっと思ったら、シオモニは、今度は、お布団におしっこをしていた。¥そして、しらを切りとおしている。こちらとしては大変だ。布団を(掛け布団、敷布団)も洗わなくてはならないし、服も着替えさせなければならない。服を着替えろといったら、またズボンの上にパンツをはこうとしている。ウチの健作さんはとっとと寝てしまい、私が処置をした。困ったなあ。これじゃウチでは見切れないよ。とりあえず、お兄さん達に報告するか・・・・。
October 2, 2011
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昨日、保健所に用があっていってきた。ウチのひーちゃんは、保健所の事業の『栄養プラス』というサービスを受けている。『栄養プラス』とは、一定以下の所得の家庭の妊婦(授乳婦も含む)や乳幼児(0~6歳)に食品と栄養知識を提供するサービスで、一ヶ月に2回の食品配達と、月一回の教育(講義あるいは調理実習)が行われる。この教育というのを3回以上サボると、食品提供がストップされる。去年は、私とハル君の名前で2人分受けていた。今年はひーちゃん一人分を受けている。行き先が保健所といえども、家事、牛の世話、シオモニの世話に明け暮れて、半分『引きこもり状態』の私にとっては月に何回の外出のチャンス。ついでに、仲良しのオンニとお昼を食べてきた。パートではたらしている人なのだが、お昼は家に戻ってきて食べているので、私もそこにお邪魔して、一緒に久しぶりにピザを食べてきた。おいしく食べて、帰ってみたら、シオモニの大便の入ったオマルとご対面だった。ああ、ついに来たか。。。。と思いながら『あら、お母さんオマルすぐ片付けてあげますよ~』といってゴム手をはめて片付けた。床も汚れているようだったので、塩素系漂白剤の雑巾できれいに拭いてだいぶ匂いはなくなった。と思ったら、ズボンを下げきれていなかったらしい。ズボンにピットリと付いてたので、洗濯をすることに。大丈夫。大丈夫。私はできる。この間、床に下痢された時よりはマシだ。と自分に言い聞かせて。オムツになったら、また病院に行くことになるだろう。それ間では、オマルに用を足せる位のうちは、私も頑張れる。今日の朝も大便入りのオマルを片づけた。暗黙のルールはひとつ。ひーちゃんが手を出さないうちに片付けること。シオモニのことは大丈夫なんだが、シヌイ(健作さんの姉)が足しげく訪れるようになったのが面倒くさい。入浴介助(シオモニに断られたけど)にきたりとか、おかずを持ってきたりとか。おかずを持ってきたのは、ちょうど、多文化センターの先生がきて、めーちゃんと勉強中のときだった。めーちゃんの勉強中はこっちも気が張っている。そういうときに突然くるのは迷惑だ。驚いた振りをして、『めーちゃんの先生が来ているんですよ~水曜日と金曜日なんです~』としっかり言っておいたけど。とりあえず、忙しい日々だ。
September 30, 2011
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と、考えたほうがよさそうだと、昨日、悟った。私と健作さん夫婦の子供は3人。残りはシオモニ。結局、シオモニは帰ってきた。退院してすぐ、健作さんの下のお姉さんが自分の休みの日にやってきて(お姉さんは介護師の資格を持っているので入浴介助をしたくてきたらしい)『アンタが後何年ががんばってね』と私に言ってきた。え、私、お母さんが具合悪くなったら、すぐ病院行ってもらうつもりでいますよ。と心の中でだけ叫んでおいた。お姉さんはその日は、うち中をぴかぴかに磨き上げてくれて帰っていったんだけど。入浴介助は私がしているもん。毎日ではないけどね。困ったことに娘より、私のほうが気心知れているらしい。シオモニは同じ嫁同士、女性同士と同盟を組みたがる人なのだ。そして、ウチのシオモニは子供味覚。毎日、朝食にはこのごろワッフルを焼いている。ベルギーワッフルを焼く時もあれば、アメリカンワッフルを焼く時もあるけど、基本的によく食べる。韓国の90過ぎの年寄りのなかで、朝食にワッフルを食べる人がシオモニ以外にいたら出て来いって感じ。そして、昨日は、子供たちと近所の学校に遊びに行って来たので、ちょっと夕飯が遅くなった。ウチのシオモニは健作さんの帰りが遅い場合「あたしゃ、健作と一緒に食べるよ』という場合が多いので、子供のおかずだけ準備して子供たちだけ食べさせようとしたら、あら、やってきましたよ、シオモニが。冷食のトンカツ揚げただけだったんだけど、匂いに釣られてきちゃいましたよ。そして、子供たちの皿から当たり前のように食べている。私、急いでシオモニのトンカツも揚げたわよ。ご飯はほんの二口、三口しか食べないくせに、おかずはガンガン平らげていた。『あら、お母さんもしかしてご飯足りなかったんじゃないですか?ご飯もっと上げましょうか?』って嫌味言っちゃった。子供たちのおかずを作る時は3人じゃなく、四人って考えて作らないといけないんだなあ。まさに大きな子供。
September 28, 2011
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本日4つ目。ウチの前の家のおばちゃん(70過ぎているからお婆ちゃんか?)。ひーちゃんの病院に行く時にウチの健作さんの車に乗り合わせてきた。頭を怪我したという。山の畑に白菜の育ち具合のみにいったときに転んで頭を打ったと言う。怪我したのは日曜日の夕方。ウチの電話をくれれば、病院まで連れて行ってあげることもできたのに、頭を打って気が動転していてそれどころじゃなかったという。朝起きてみたら、枕に血がべっとり。というわけで病院に行くのだという。私は頭の怪我に恐怖心を持っている。というのは、小3のころバスにはねられ、頭骸骨骨折、脳外血腫で手術をしているからである。『子供たちにキムジャンキムチは自分たちでするようにと、引導を渡してしまえ~』と、人事ながら、余計なおせっかいを焼く私に『めーちゃんオンマ(私のこと)のような嫁だったらよかったのに」と言って来た。『なんだかんだ言って、4人の嫁のうちめーちゃんオンマと一緒に暮らしてるじゃないか、 お宅のおばあちゃんは』と言ってくれた。でも私、口答えすごいよ?口では負けないよ。(シオモニもそう言われる)つい昨日も、シオモニが壁にくっつけていたガムがハル君の首にくっついた時にもう、鬼の首とったかのようにシオモニに抗議したよ。(昔の韓国人ってさ、ガムも貴重だったから、一度かんだガムを捨てないで壁とかにくっ付けて置くんだよね。そして、砂糖とか混ぜて次の日も食べるの)でも懲りずに次の日もガムをくっつけててね、今度はめーちゃんの髪の毛にくっついた。これが朝の出がけだったから、もうキレちゃってさあ。すごい抗議したんだよ。最後にシオモニ、シュンとしてたよ。(でもすぐに立ち直るけどね)こんな嫁で良いんですか??すごいストレスたまると思いますよ。前の家のおばちゃん。
September 19, 2011
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本日3つ目。健作さんのお兄さんの奥さん(韓国ではヒョンニムと呼ぶ間柄)がまた優しくなった。シオモニが家に戻ってきたからだ。そして、私が一言多い性格であることを知っているからだ。もう言いつけちゃったもんね、シオモニに。前にも書いたけど、シオモニが介護病院に入って何日か経ったある土曜日、めーちゃんとハル君が健作さんの仕事についていった。(これまた何度も書いたけど、健作さんはお兄さんの家兼、店で働いている)ウチの健作さんが退勤した後、お兄さんに見つからないように電話をよこしたヒョンニムだ。『もう、シオモニがいなくて楽をしているんだから、子供たちを送ってよこさないで頂戴仕事もあるし、ソンゴンの件で生きた心地がしないのが、今の私たちの家族なのだから』と訴えられたのだ。詳しくはかけないが、ウチの実家ではお兄さん一家の事業失敗が間接原因でひとつの家庭が壊れている。その時のうちの両親の絶望感といったら、たまったもんじゃなかっただろうに。でも、私は、ヒョンニムに一言の文句も言わなかったぞ、『あんたのせいでウチの実家はひどい目にあったんだ』とか言わなかった。ソンゴンの件は私のせいじゃないんだけどなあ。それから、しばらく、子供たちをお兄さんの家に連れて行っていない。今日は、ひーちゃんの小児科に行った帰りに仕方なく寄った。そしたら、妙に声が優しくなっていたヒョンニム。私、顔が引きつっていたような気がする。帰り際に『シオモニの件で、また苦労するね』と言って来た。だったら、あんたが引き取ってみろ!と内心思ったり。これはシオモニも言っていたな。
September 19, 2011
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在韓の皆様、秋夕(韓国の盆)ご苦労様でした。ウチは、申し訳ないくらい何もしないで終わってしまいました。子供たち&シオモニを理由に長兄の家に行かないのですもの。私たち。ウチのシオモニ、お盆で一時帰宅をして、もう帰りたくないと言い出したということは、前の日記で書きました。そして、昨日の午前に長兄夫婦と、3番目の兄夫婦のご訪問がありました。そのとき、3番目のお兄さんは「14日になったら、病院に戻るんだよ」とシオモニに言い聞かせて折りました。そう、先手を打たれちゃうと、ウチのシオモニは言葉が出なくなっちゃうタイプだから、仕方なくうなずいていました。でも、私はお兄さんたちの反応が見たかった。シオモニが病院に戻りたくないといったら、どんな反応を示すのか。。。それが楽しみだったのでした。こういっちゃ何だが、私は十分に夏休みを満喫した気持ちでもうね、シオモニが、こっちに来ようがどうなろうが、どうにでもなれって気持ちになっているんです。何回か、シオモニの見舞いに介護病院にいったのですが、ウチのシオモニは一番年長者だったにもかかわらず、一番症状が軽かったのね。一人で、這ってでもトイレに行っているし、ご飯も一応自分で食べているし。そんで孫に会えない分気落ちしていたし。うちの子供たちは子供たちで、今までおばあちゃんが一緒にいたのが、いないもんだから(私が叱り飛ばしてもかばってくれる人がいない)調子狂っちゃってて。もう十分休んだから、また帰ってきても良いかなって気持ちになってきているんですよ。(健作さんの思うつぼ??)んで、お兄さんに告げてみました。「お母さん、帰りたくないっておっしゃってますよ、いさせてあげましょうよ」と言ったら、「金も払っているのに何たることだ」って反応。問題は金かい??お兄さんたちはシオモニがどうだって言うより、なんか「早くけりをつけたい」っていうのが見え見えなんですよね。金さえ払っていれば問題ないだろう??って感じなの。目の上のたんこぶを始末したいっていう態度なんですよ。で、夕方お姉さん一家がやって来た。コモブ(お姉さんの夫)は「そんなに嫌なら、何日か病院に戻ってから退院しようか」って言い出しました。ま、もういいよ。私、またがんばるよ。(いつこの決心が鈍るか知れんが)そういえば、シオモニが病院に入ってすぐの土曜日、ハル&めーが健作さんの仕事場(お兄さんの自宅兼、店)に付いていったことがあったんだけど、お兄さんの奥さんに苦情の電話がかかってきたことがありました。要するに、「シオモニもいなくなって、あんたは楽になったのに、子供くらい自分で面倒見なさいよ、ウチは商売で忙しいんだから」って話でした。そのときは私が足首をくじいていてあまり歩けず、めーちゃんが買いたいものがあると言ったので、付いて行っただけなのに、いろいろと嫌味を言われたのでした。その話をシオモニにしてみたら、たいそう憤慨していました。「別に自分たちが私を引き取ってみているわけでもないのに、そんなことを言うなんて!!」ま、私も根回しをしながらすごしていますよ。
September 13, 2011
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韓国のお盆は陰暦8月15日。今年は9月12日にあたる。前後賞で9月11日~13日までが連休だ。ウチのシオモニ、お盆は家で過ごしたほうがよかろうと、ウチの健作さんがつれて帰ってきた。 無断で。 私には言っていたんだけど、病院に無断でつれて帰って来た。コモブ(健作さんのお姉さんのだんなさん)があわてた声で電話をよこしてきた。シオモニが入院している介護病院は健作さんのお姉さんの勤務先でもある。 そのつながりで、シオモニがいなくなった⇒健作さんのお姉さんに連絡⇒コモブに連絡⇒電話となったらしい。 んで、ウチのシオモニ、もう帰りたくないんだって。ずっと家に居たいんだって。 これはもう、仕方が無いかって状態である。ウチの健作さんはもともと、シオモニが家にいてほしいと思ってる人である。 明日、チュソク(秋夕・韓国のお盆)なので、家にみんな集まるだろう。そのとき、病院に戻らない旨を話したら、みんなどういう反応を示すだろう。。。。
September 11, 2011
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一週間に何回かはシオモニの病院に顔を出そうと思っていたのに、それができずに、日曜日に一週間ぶりに面会に行って来た。ハル君とシオモニは相思相愛の仲。やたら恋しがっている。ま、シオモニは男の子命の人だから。めーちゃんよりもひーちゃんよりもハル君を可愛がっている。ハル君もおばあちゃんが大好き。今日は不覚だった。帰り際に私の手を握り、「がんばれよ」って一言言うもんだから、涙が出そうになった。悪いことばかりじゃなかったもんな。けんかもしたけど、冗談も言い合ったし、いろいろあったもん。来週の日、月、火曜日は韓国のお盆「チュソク(秋夕)」連休である。やっぱり、その日は一度家に連れてこないとだめだろうなあ。
September 5, 2011
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健作さんから電話があったのは午前10時ごろ。「今日、お袋帰るからな」と一言。健作さんはいつもお昼を食べに家に帰ってくる人だから、たいてい、退院したシオモニも一緒に帰ってくるだろうと思っていた。けど、帰ってきたのは健作さんだけ。シオモニは帰ってこなかった。健作さんに訊いたら、帰ってこないんだって。孝病院(扶安にある介護病院の名前)に行くって決まったんだって。健作さんのお姉さんがそこで働いている。だから、シオモニは半額で入れる。今回、そこに入ることに決まったそうだ。本人も納得済みだそうだ。お兄さんにも電話して訊いて見たのだが、「今までチェス氏(私のことよ)ががんばってきたけど、お母さんの容態があんまり芳しくないから今回そこに入れることに決めたよ。」「お母さんも行くっておっしゃってるんですか?」「おっしゃってるよ。今までお母さんの使っていた部屋はめーちゃんとハル君の勉強部屋にしなくてはね」とのこと。このまま、本当にシオモニは孝病院にいくのだろうか??ウチの健作さんはシオモニをつれて帰ってこようと思っているらしいが。兄妹で、一月10万ずつ出し合うと、入院代+お小遣いをまかなえるらしい。二人のお姉さんも同意済みだそうだ。なんか、こんなにあっさり決まってしまうとは。。。。フクザツである。
August 22, 2011
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何日か前から腰痛を訴えていた姑。本人は湿布で何とかなると思っていたようだが、とうとう身動きできなくなった。というわけで、また入院。めーちゃんは私と違い心優しいので、「おばあちゃんが入院したら会えなくなっちゃうから嫌だ」と言っていたがでも、トイレも一人で行けないほど腰が痛くなっちゃったら、入院して、治療して戴こうと思うから、私の場合。本当は昨日入院させたかったのだけど、昨日は韓国旗日だからね。お兄さんが入院手続きまで私にさせようと思っていたらしいが、私がシオモニの入院手続き前のいろいろな検査に付き合うとなると、大変なのは、私の背中に負んぶされている末っ子ひーちゃんだ。「手続きお願いね、入院は付き添いがいる部屋でって言っておいてね」と言われた時、すかさず、「あ、じゃ健作さんにひーちゃん任せてしまって良いですよね」って言ったら、「あ、そしたら、ウチの奥さんに行かせるから、健作と一緒に店に戻ってきて」と言ってきた。私がひーちゃんを任せてシオモニに付き添う、↓健作さんがひーちゃんの世話↓モーター修理が滞るという図式がお兄さんの頭の中に閃いたらしい。毎日一緒に暮らしている私が、入院の時まで付き合うのは割に合わないと思ったよ。面倒くさいから私に任せてしまおうって言う魂胆が見え見えだったので、ひーちゃんを言い訳にしてお兄さん一家にお願いしたよ。私がシオモニを病院に残して、健作さんと一緒にお兄さんの店に付くころに、姪っ子の運転する車で病院に向かうお兄さんの奥さんとすれ違った。それから、その二人は昼の12時を過ぎても病院から戻ってこなかった。朝の9時に家を出たのに。何でも、付添い人がいる病室のベッドが今日の昼過ぎでひとつ空くので、それを待っていたのだそうだ。そういう状態なのに、ひーちゃんを負んぶしていたら大変でしょ?ちょっと後ろめたい気持ちがあることは確かだけど、でも、よちよち歩きができるようになったひーちゃんは、このごろ長時間の負んぶを嫌がるようになったので、やっぱりお兄さんの奥さんにお願いしてよかったと思った。帰ってから私はシオモニの部屋を掃除した。これが大変なのだ。シオモニの部屋の布団は万年床。電気マットを2枚重ねて上に薄い敷布団を重ねて敷いているのだが、その間にティッシュがいっぱい挟まっているのだ。シオモニはとてもティッシュを大切に使う。一度つかっただけでは捨てない。彼女の部屋にはオマルがあるのだが、それで用を足したとき(小だけだからラッキーだ)のティッシュとか鼻かんだティッシュとかを布団の下に貯めておくのである。それをまず大量に捨てて、そしてトイレ。トイレにはシオモニが汚物入れから拾ったトイレットペーパーが貯めてある場所があるのである。たぶん、めーちゃんがトイレットペーパーを一度にたくさん使うから「勿体無い」ってフラグが立ったんだと思う。もうね、何で汚物入れから拾ったかってわかるというと、ウン〇君がちょっぴり付いているんだよ。それを使いもせずに大量に拾っておくので、シオモニが居ぬ間に捨てたのね。そしてマットの下と、滑り止めに引いてある敷物をどかして、本格的に掃除。ウチのシオモニ、敷物の下を掃除しないので物凄い埃だった。私の部屋にも滑り止めの敷物は強いてあるけど、私は掃除するときはそこをどかして下まできちんと拭くのだけど、シオモニはそれを見て「何無駄なことやっているんだろう?」って私を馬鹿にしていたのよね。そんなもんだ。シオモニなんて。しばらくはシオモニのいない毎日。(お兄さんは「回復しなかったら介護病院に入れてしまおう」って思っているけど)子供たちはおばあちゃんに会いたがっているけど、私はちょっとしたお休みをもらえた気分だ。実はストレスで限界だったのである。
August 16, 2011
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他のシオモニもそうだと思うけど、融通が利かない。うちのめーちゃんとハル君がオリニチブから帰ってくるときには、いつも大声で私を呼びつけ、私を外に二人のお迎えに出るように仕向けるシオモニ。いつも、いつも。私なんて外に出て行かなくても二人は勝手に家に入ってくるのだが。でもシオモニの気に入らないらしい。時には末っ子の授乳中てこともある。それでも問答無用だ。昨日は、二人が帰ってくる時間に授乳タイムがかち合った。面倒くさいので、うちのシオモニに、「ひーちゃんがぐずっているので、迎えには出られないよ」と言っておいた。そしたら、自分で出て行っちゃったのよ。私が出て行かなかったら。※あ、オンマが出てこなかった ↓※二人で家に入ろう、家の中にはオンマがいるだろうから。 ↓※二人で家に入ってくる。 ↓※「ただいま~」と言う流れになるのだが。昨日は、シオモニが出て行った。☆あ、ハルモニ(お祖母ちゃん)が出てきた。 ↓☆え?オンマがいないの? だからワザワザハルモニが出てきたの?? ↓☆ハル君が泣き出す ↓☆トイレに行きたかったハル君、大泣きしながら玄関先でおしっこを漏らす ↓☆どうしようもなくなって、シオモニが私を叫び声で呼ぶ。 ↓☆おっぱいから引き離されたひーちゃんも大泣き。 ↓☆二人を泣き止ませるのに、てこずる。 と非常に面倒くさい流れになった。ま、数えで94歳のシオモニ、もう頭も働かなくなってきているんでしょう。 果たして面倒くさいのは同居である。
July 27, 2011
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どうするつもりでいるんだろう。。。。ウチのシオモニは。ひーちゃんがシオモニの部屋にあるベッドに登りたがるようになってしまった。ひーちゃん、1歳3ヶ月、ウチの部屋にある室内滑り台には、階段でなく滑り台のほうから上るようになってしまった。そして、すべるところから、一人で降りてくる。でもベッドは一人では降りられない。降りようとして、落ちることが目に見える。でも、ウチのシオモニは上らせたがるんだよね。お尻を押しちゃったりしてさ。落ちたら、打ち所が悪かったら、最悪の結果だってありうるのに。その件で、この間、うちのシオモニと大喧嘩。ウチのシオモニは「落ちそうになったら、受け止めるから大丈夫だ」って抜かしているよ。トイレにも立って歩いていかないで、座った姿勢でお尻で這って歩いている人が何言ってんだよ。ウチの健作さんも私の味方だ。 子供の安全というものをわかっちゃいないんだ、あの人は。この間も車に乗るとき、子供を自分の膝に乗せていこうとしていた。なんか事故があったら、子供がエアバッグ状態になっちゃうんだといっても、「私がしっかり抑えているので大丈夫」とか言っている。たしかに、ウチのトラックでは子供3人、大人3人乗るのは不可能だ。だから、ハル君は健作さんの背中に、私はひーちゃんをおんぶ、めーちゃんは後ろの荷物置き場という風に乗ることになるのだ。シオモニが乗るときはね。(普段はめーちゃんが真ん中の席に一人で座る。) 何か言おうものなら「お前がそんなに物知りなのか?シオモニの言うことを馬鹿にして!!」とかって逆上するから質が悪い。ああ、腹が立つ。死ぬのは、シオモニの70%責任で早産で死んでしまったホーバクだけで十分だ。 ほかの子供は絶対守る。別に暮らせるものなら暮らしたい。。。。
July 20, 2011
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この間から、ウチのシオモニだけ別に食事を出すようになった。なぜって、この間のお昼ご飯のときにこんなことがあったから。今どきの子育てをする人だったら、赤ちゃんに自分の箸やスプーンでご飯を上げないのは常識。でも、ウチのシオモニは昔の世代。何度行っても自分のご飯を自分のスプーンで上げようとする。それで、うちの健作さんが口がすっぱくなるくらい『別のスプーンであげてほしい』と言っているのだけど、聞いてくれない。シオモニは、その日も自分のスプーンで上げようとしていた。私はそのとき、牛の餌をやりに行っていなかった。健作さんは突然海苔が食べたくなって台所に行って海苔を焼いていた。そして、私と健作さんが食事をするシオモニの部屋に入ったのは殆んど同時だった。目に入ったのは、シオモニが自分のスプーンでひーちゃんにご飯を上げる姿。健作さんはキレテしまった。めーちゃんもハル君も虫歯で苦労しているからひーちゃんだけは虫歯から守りたかった健作さん。虫歯菌が移るんだと言っても『俺が汚いって言うのか~!?』って言う勢いで逆切れしてしまうのがシオモニの常。その場で健作さんとシオモニの喧嘩勃発。私にも飛び火してきそうだったけど、ま、それはうまく逃げといた。私が見るに、健作さんも悪い。シオモニは数え年で94歳。若いもんの言うことなんて聞き入れるほど、素直な年寄りじゃない。孫のことは可愛いから、何か食べさせたくなるに決まっている。だから、私はひーちゃんの食事は用意していた。それを健作さんがひーちゃんに食べさせてくれればいいだけの話。健作さんが席を離れるときには、シオモニに、『これ、ひーちゃんのご飯食べさせててくれよな』とか言えば、気をよくしてホイホイ食べさせてくれるのに。何も言わずに席を離れて、海苔を焼きに行った健作さん。シオモニは視力が悪いから、ひーちゃんのご飯なんて目に入ってないから、自分のご飯でも何でも上げてしまうんだ。私は席を離れるときにひーちゃんのご飯を指して『食べさせるんだったらこれね』と言っておくのだけど、それが出来なかったのは健作さん。そんで、健作さんとシオモニは喧嘩して、シオモニのものすごい切れ様を今更ながら初めて見たらしい。すっかり愛想が尽きてしまったと言っている。茶碗投げたり、ちゃぶ台返しをしようとしたりしたことがショックだったらしい。これまた、私は呆れてしまう。ウチのシオモニは私たち、嫁の前ではいろいろ切れていたけれど、息子の前ではいい顔をしていた。それで切れたのをはじめてみたくらいで健作さんは愛想が尽きたと言っている。私なんか、今まで、何度も見ているよ。胸倉つかまれたりいろいろされているよ。でもこうやって、一緒に暮らして、毎日朝ごはんを軽食を準備してあげている。毎日薬を確認して飲ませてあげて、健作さんと喧嘩してからは毎日、食事を別に運んでいる。所詮男って忍耐力がないって言うか、打たれ弱いって言うかそういう面があるんだなって思った。そして、気遣いってモンが出来ないんだなって思ったよ。家庭の中は奥さんがうまく立ち回らないとうまく回っていかないのだよ。私、頑張っていると思うんだけどな、分かっているか?健作??PS.ウチの実家の家族&親戚は無事でした(仙台&塩釜)。ご心配頂きありがとうございます。
March 31, 2011
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私はコーヒーが大好きだ。毎日、朝起きて2杯は飲みながら、朝ごはんの支度をする。(今は授乳中のためカフェレスコーヒーを愛飲中)普通のコーヒーカップで2杯入れるのは面倒だから、大きいマグカップを使おうと思って、今日は違うコップを使うことにした。シオモニに朝、インスタントのホーバクジュク(かぼちゃのおかゆ)を入れるマグカップ。これは某動物病院が開院したときにもらってきたカップだった。飲んでみたら、ふっと、シオモニの味がする。シオモニに噛み付いたらこんな味がするだろうって味。シオモニのにおいがカップに染み付いている。加齢臭も伴ってなんとも嫌な味。食べ物、飲み物を無駄にするのは良くないけれど、とても飲めたモンじゃなかった。排水溝の奥に消えた夜明けのコーヒー。そして、近所のスーパーで手ごろなマグカップを買った私であった。
January 22, 2011
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よく餃子の皮が、フライパンにくっついてしまって、中の具がコンニチハしてしまう事ってあるよね。(私はよくあるの)今回はウチのシオモニの指先がそういう感じになった(!)。ウチのシオモニはハル君が大好き。めーちゃんよりも、ひーちゃんよりもハル君を一番に可愛がる。で、オリニチブから帰ってきたハル君が、私の部屋で遊び始め、自分の部屋に来ないと何度も除きに来るのがウチのシオモニの常の姿である。それで、先週の火曜日はそれが裏目に出た。ウチのハル君は今プチ反抗期。何かと愚図る年頃である。うちのシオモニが何か言ってくると鬱陶しがるのだ。ウチのシオモニは足腰が立たなくなってきて、時々、這って歩いている。で、ウチの部屋の前で座り込んで『ハルや~』と呼んでいた。ウチのハル君、鬱陶しい!とばかりにウチの部屋の扉をバタンと閉めた。そしたら、『イタ!』と小さく叫ぶシオモニ。『ハル君、急に扉をバタンと閉めたらおばあちゃんが怪我しちゃうでしょ』と言って、私が振り向いたら、シオモニの手から鮮血が出るのが見えた。どうも、扉をバタンと閉めるときにウチのシオモニの手が扉に挟まったらしい。扉の敷居というか、そこに手を置いていたんだよね。ウチのシオモニ。血を止めるために傷を見たら、皮が取れて肉が見えていた。すぐきれいなガーゼのハンカチで止血して、健作さんに連絡。しばらくすると健作さんが来てくれて、病院に連れて行ってもらった。指切断とかじゃなくて良かった。病院でも、皮が取れちゃって肉が見えている状態だから、縫うことは出来ずそのまま肉が再生されるのを待つしかないそうで。ただでさえも炎症が起こりやすく、夏に二度も入院していたシオモニ。化膿しないように注射を打ち、化膿止め&痛み止めの薬を処方してもらった。ウチのハル君、いつもは強情で、自分の過ちを認めないのですが、私が健作さんに緊急で電話して、病院に行く手配をするのを見て、『これはただ事ではない』と思ったのか、『ハルモニ、ミアネ~(お祖母ちゃんごめんね)』といってた。こんなこと言っては不謹慎だけど、指挟まれたのがひーちゃんじゃなくてヨカッタ。ひーちゃんだったら、指もげちゃってたよ、きっと。果てさて、指の怪我がきちんと治るまで消毒に通わなければならないシオモニ。通院は続きます。
December 6, 2010
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『ねえ、ねえ』シオモニの声がする。うちの健作さんを揺り起こしている。『ねえ、ねえ、何で寝てばっかりいるの?』なんとも呑気なシオモニの声がする。「な!?寝るのが当たり前だろうが!」と、健作さんの腹立たしそうな声。『夕ご飯食べて寝てばっかりなんだから~』とシオモニは言うが、時刻は午前2時。『母ちゃんも早く寝ろ!出てけ!」と健作さん、すっかり起こった声で怒鳴っていた。「ふ~んだ、出て行きますよ』と、シオモニは部屋をあとにした。 午前2時に何をしろというのか?シオモニ、今月の誕生日で、満92歳。故障気味かしらね。
November 3, 2010
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2010年10月28日(汚い話ありです)さっき、非常に切羽詰った状態で、トイレに入ったら、シオモニのブツが流されないままそのまま残っていた。同居ってこんなもの。く~っっとこらえながら(私も切羽詰っていたので)、シオモニのトイレのブツを流してから、ゆっくり用を足した。『愛少女ポリアンナ物語』の『よかった探し』風に言えば、『詰まってなくって良かった!』って感じだった。(時々詰まっていて、私悶絶したりするからね)同居ってこんなもの。でも、いやな気持ちが積み重なると、もう、どうしようもなく耐えられなくなるもの。シオモニのおまるの処理をしながら、『でも、ポータブルトイレの始末をするよりは恵まれているよなあ』と思ったり。でも今日はなんか虫の居所が悪くって、『お義母さんの嫁の中でこんなことまでしてあげているのは私だけだよ、何か損した気分だよ』と、健作さんに訴えたら、『そんな事言ったら福が来ないよ、。感謝しなくちゃね』と言ってくれた。あんたは牧会者か!?それとも坊さんか?と、突っ込みを入れたくなった。ま、私もそう思うよ。運勢とか、色々信じるタイプの私としては、シオモニも世話をすることで、私の運勢が上がるとか、悪い星めぐりが良くなるんだとしたら、世話をしようと思うよね。ま、トイレを流さなかったシオモニのおかげで色々考える私であった。シオモニ、来月に誕生を向かえ、満92歳になる。まさか、120歳までとか、生きないでしょうし。。。。ゴールは近いと信じたい。
October 28, 2010
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ウチのシオモニ。この間の日記のごとく、韓国のお盆(秋夕)の連休がすんだとたん入院した。でも、介護病院ではない。秋夕の連休は先週の火、水、木曜日だったんだけど、そのころからシオモニの具合が悪くなりだした。風邪かしらって思っていたんだけど。連休の時にはシオモニの子供たち(健作さんの兄姉たち)が来るから、シオモニ、無理して元気な振りしていたのよね。歩けるから大丈夫!とか言って。んで、横で、小声でウチのめーちゃんが、『うそつき這って歩いているじゃん」とか突っ込んでいたけど。もう、連休が終わった金曜日には、また動けなくなった。触ってみると熱もある。またか、きっと炎症が起こったんだ。そして、本当はその日は健作さんは休みの日だったんだけど、末っ子も風邪を引いて、病院にいかなくてはならないし、シオモニのことを相談しなくてはならないし、で邑内に行った。(邑内というのは、私が住んでいるのは扶安郡と言うところなのだが、 郡などで、一番中心にある郡庁などがあるところです。 市内みたいな感覚)子供が診療を済ませている間に健作さんはお兄さんに相談。すぐにシオモニを入院させることにした。夏にシオモニが退院してから、ウチのシオモニは薬をきちんと飲んでいなかった。だから、また炎症が再発してしまったらしい。シオモニくらいの年齢の場合、肺炎が併発する恐れがあるから、きちんと治療しなければならないのに。私が言っても、『余計なお世話』って感じで聞く耳持たないし。このまま、介護病院にいってもらおうかしら・・・とか思っている。この間、病院に顔出してきたら、いつも減らず口が回復していた。
September 30, 2010
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シオモニが壊れ始めた・・・・・・?夜中に起こされた私。部屋の明かりをつけたいから、マッチを頂戴と言ってきた。今どきランプじゃあるまいし。部屋の電気なんてマッチがなくてもつけられますよといってつけてあげたけど。今度は家中の床が濡れていると言い始めた。オンドルを炊かなかったから、床が抜け始めたと言って、部屋においておある布団を持ち出し始めた。「昨日も雪が降ったけど(!)、今日もこんなに雪が降っているね」といってきたり、私には見えない蛆虫を一生懸命拭き取ってみたり、虫が湧いたといって部屋中に殺虫剤を撒き散らしてみたり。部屋のベッドの下に蛇がいると信じ込んでみたり、床に虫が一杯いると思い込み、モップの柄(蛇を捕まえるふりをしたときモップの絵をはずしたのね)でたたき殺そうと一時間くらい叩いていたり。(これが夜中にうるさかったね)これが、この二日間で起こったこと。正直、私はこんなシオモニを最後まで看取る余裕はない。小さい子がいるし、牛の世話もある。第一、子供が危険な気がする。お兄さんたちの結論は、韓国のお盆が終わってから病院に入れようというもの。もともとお兄さんは自分たちで引き取ろうという気持ちはなかったし。お姉さん(健作さんのすぐ上のお姉さん)が介護病院で働いているので、家族割引が利くし。でも、韓国のお盆までは約一ヶ月。私、それまで頑張れるかなあ。
August 26, 2010
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???(ハチャンタ)=詰まらない、細かい、たいしたものではない、くだらない。 取るに足らない、やすっぽい。と言う意味がある。何かというと、私、メロンパンを作った。そして、シオモニに差し上げたら、こう言ってた。かなりムカッときた。メロンパン、今回はクッキー部分はさくっと、パンはふんわり出来た。でもシオモニは、買ってきたもの、お金をかけたものが一番なのだ。ま、シオモニにほめてもらおうと作ったわけじゃなかったんだけどね。もともとはめーちゃん&ハル君に作ったもの。でも、シオモニに差し上げないとシオモニが拗ねて、健作さんの兄弟たちに言い触れた回るから、ま、ご機嫌とっておこうということで、差し上げたのだ。そしたら、こういう言葉が返ってきた。シオモニはいつもそう。私が作ったものにけちをつける。具合が悪いときにシオモニに、蒸しパンを作ったりすると、「こういうものでも、作ってくれてありがたいなあ。」といってくる。普通、受け取る側がそういってはいけないと思うけどね。差し上げる側が、「こういう粗末なものでも受け取って食べてください」というのなら分かる。とっても不愉快だ。行くところのないシオモニ。態度がでかいんだよ。と言いたいところだ。ちなみに今日作ったのはこういうメロンパン。↓めーちゃんとハル君が夜に何度も目が覚めて愚図るもんだから、私、今日は12時からほとんど寝ていないのよね。それで作ったの。まったく、私は可愛い年寄りになりたいよ。うちのめーちゃんに「オンマがハルモニみたいに、えらい長生きしたらどうする?」と訊いたら、「げ!」と言ったまま、絶句してましたよ。ま、正直なめーちゃんである。程々がいいなあ。そうそう、手作りのものを見下げるのは健作さんのお兄さんの家族も一緒。何かにつけて、出前をとっている。この間、うちのめーちゃんが二日続けて遊びに行ったらそこの息子のソンゴニが(めーちゃんにとっては従兄弟に当たる)が二日で8万ウォンほどを使っていたよ。自分は稼いでいないのに。めーちゃんが来た事をいいことに、自分が食べたいものをとって食べていたよ。で、あまりにも自分の息子がお金を使うから、お兄さん、めーちゃんに来ないでほしいって言ってた。でも、金銭感覚をそういう類にしつけたのは、自分たちだろうが?私のうちはなるべく手作りで、おうちごはんを美味しいと思う子供に育てているのに。お金を節約する方法も教え始めた。で、うちのシオモニとお兄さんは金があったらあるだけ使ってしまう性質らしい。でも、人が作った誠意を受け止められないタイプの人は私から払い下げだ。
August 12, 2010
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子供たちが夏休みに入りました。シオモニも先週退院してきました。とても忙しいので、心温まるコメントにお返事ができないでいます。ごめんなさい。はんらオンニ、たぱちゃん。毎日、忙しいです。子供たちの世話。牛の世話(夏場なので、水をたくさん飲むので水遣りが忙しいのです)そして、シオモニのお世話。シオモニは基本的なことは自分でしようと努力中なのですが、今日の出来事は、いらっとしたので、書いておきます。昨日、私たち親子はひーちゃんの100日記念の写真を撮りに行って来ました。その間にシオモニが服を着替えたようですね。基本的に、うちのシオモニはお風呂に入ったり、シャワーをしてから、着替えるとパターン。退院してから、初めてのシャワーだったようです。(退院は先週の火曜日だった)うちのシオモニのパンツにウン〇がこびりついていたのを知らずに洗濯機をまわしてしまい、何気無くシオモニのパンツを叩いて干そうとしたら干からびたウン〇がはらりと落ちた。。。。。き~!!っきながら、あらかた干した洗濯物を回収。もう、今、シオモニのパンツを下洗いして、洗濯機でもう一度洗っている最中です。こういうことがあると、何で私ばっかりこういう目に会うんだろうって、思ってしまいます。
August 2, 2010
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まず、一番上のお兄さんの話。今まで、シオモニを看てこなかった。私たちと、すぐ上のお兄さん夫婦だけが見ていた。ハル君を妊娠していたときにこういうことがあった。 今度は、一番上のお兄さん、シオモニとは縁を切ると言い出した。死んだら、葬式には参席するって言い出した。スリッパで叩いて殺したるってシオモニに言われたんだって。そんなの、ウチでいつも言っているよ。ウチのめーちゃんだって言われているせりふだよ。 なんだかんだ言って、シオモニを避けるのね。一番末の弟にまかせっきりで恥ずかしくは無いのか?? 全く甘えにもほどがある。で、ウチの健作さんは、そういうシオモニが不憫で、また引き取ってきちゃうんだろうなあ。ところで。シオモニが認知症の気があると言うか、モウロクしてきているというのは、前にも言ったことがあるけれど、(なんせ、ハル君に蚊取りマットをむいて食べさせてたんですよ。あの人。 発見が早くて大事には至りませんでしたが)普段から一緒に暮らしている人は変化が分かるけど、たまにしか会わない人の目には、あくまでも正常に見えることがある。つぎは、ソウルから来ている2番目の嫁さん。シオモニの前では、聞こえの良いことばかりを言う。だから、口うるさく接している私より2番目の嫁さんを気に入っているシオモニだ。昔話は覚えてて、最近のことを忘れてしまうシオモニ。2番目の嫁さんの前で、「あんたの旦那が買ってくれた指輪とネックレスを2番目と4番目の嫁(これは私)にあげたよ。」と言ったらしい。そしたら、その2番目の嫁さん。「あたしの旦那が買ってあげた指輪とネックレスなら私が貰っていかなくてはね」と言っていると言う。2番目の息子が買ってかげたのは20数年前。そして、その指輪とネックレスは、10年以上前にバスの中でスリにあって失くしている。そして、指輪は扶安の宝石屋さんで、ネックレスは益山で買いなおしたのだ。(益山には貴金属宝石販売センターと言うでかいショッピングセンターがあるのだ。)指輪はシオモニが年金をためて買って、ネックレスは私たちもお金を出した。でも、太い線の部分はシオモニの記憶から抜け落ちている。そういうシオモニの状態を知らずに言いたい放題言うではないぞ、2番目や!そんな事言っていると、シオモニつれて帰ってもらうぞ~と、言いたいのを我慢しているのを知らないからな。
June 30, 2010
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2010年6月29日昨日は、かなりシオモニが元気になったようだ。今、病院に付き添っているのは2番目の嫁さん。シオモニの2番目の息子は20年ほど前になくなったのだが、その嫁さんが一番自由が利くので、ソウルから呼び寄せて、病院に付き添うことになった。そりゃ、そうだよね。この間、長兄の家でアパートに引っ越した後のお披露目のときにもわざわざソウルから来たくらいだもの。シオモニが具合が悪いんだったら、来たっていいよね。そこの嫁さんの子供達はみんな独立しているのだもの。今働いているわけでも、自営業で稼がなくてはならないわけでも、ウチみたいに小さい子供がいるわけでもない。で、困ったのはシオモニ。昨日は4階の病室から2階の病室に変わったそうだ。それは看病人のため。2階の大部屋では部屋に一人看病人がつく病室があるのだ。そこの看病人は、その病室の患者をひとまとめに看てくれる。病院で雇われているので、個人で雇うよりもこちらも経済的にお得だ。そこに行きたくないとシオモニがまたごねた。また点滴を外し、家に帰る!と大騒ぎしたらしい。すぐ上のお兄さんがまた病院に駆けつき、どうにかなだめようとしたらしいが、シオモニ、スリッパでお兄さんを叩いたんだってよ。生まれてこの方、3番目の息子であるお兄さんの言うことは、本当によく聞くシオモニだったのに。お兄さんもあきれたことだろう、50代も半ばなのに、90過ぎの自分の母親が半狂乱になって暴れて、スリッパで自分を叩いて来るんだよ。でもウチのシオモニは息子には良い顔をして、その裏で嫁をいびる人だった。本性が出てきたんだね。ま、その病室はお爺ちゃん患者もいるから、一応、嫌がったんだね。ウチのシオモニ。自分は女なのに、もうろくした爺ちゃんたちと一緒の病室かい?オムツだって嫌だよ!って感じなんだろう。ウチのお兄さんが、『治らない内に家に帰ると、大変なのは健作とその嫁だ。どうしてそんなに健作(とその嫁)を苦しめるんだ!二人が何か償わなければならないようなことでもしたのか?』といって、何とかその場を収めたらしい。シオモニはきっと、介護病院に入れられるかもしれないと怖いんだ。だから必死で、家に戻ろうとしているのだろう。もうね、すこし、認知症の気があるのよ。冷静な判断が出来なくなっているのよ。仕方がないのよね。トシだし。
June 29, 2010
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2010年6月25日昨日は、シオモニが入院した。突然立てなくなってトイレに行くのも儘ならなくなったのだ。いや、考えて見れば、その前から少し、挙動が不自然になっていた。いつもは食事のあと、すぐ席を立つシオモニがものすごく動作がゆっくりだったり。トイレに行くときも這って歩いていたり。でも、申し訳ないが、私はその変化を見分けることが出来なかった。シオモニに関心が薄いからだと責められても反論は出来ない。ウチのシオモニは体調が悪くなると、すぐ張って歩いたり動作が鈍くなったりしているので、いつものことだとタカを括っていたのである。そして遂に昨日は立てなくなった。朝は健作さんが引っ張って行ってトイレに行ったが、昼過ぎにトイレには行けなくなった。私が引っ張ろうにもシオモニは自分で立とうと言う気持ちが全く無く、全体重をこちらに預けてくるので、私の手には負えない。介護用の便器があるので、それに用を足してもらおうと準備していたのだが、高さわずか1cmの便器に腰を上げることが出来ない。私が肩を持ち上げても無理なのだ。そして、結局服を着たまま粗相をしてしまった。シオモニのこの状況は朝から、健作さんのお兄さんに伝えてあった。初めは、午後から入院させるつもりでいた。だが、空梅雨で雨が降らないこの頃はモーター修理の仕事が猫の手も借りたいほどに忙しい。入院は月曜日になってからさせようかと言い出していたお兄さんだった。だが、服におしっこを漏らしたことをメールで知らせると、すぐさま病院に連れて行こうと決心したらしかった。ところで、シオモニ。腕を触るととても痛がる。服を着替えさせるとき、分かったのだが、熱もある。その原因を病院で知った。腕に炎症が起きていたのである。炎症のゆえに熱を出し、動けなくなっていたのであろう。ついでに切らしてはならない血圧の薬も切れて数日たっているとのこと。そりゃ、具合も悪くなるわな。血圧の薬を切らしていることはシオモニの震えで察しがついた。たずねてみると、『血圧の薬なんてどこにあるんじゃい、切れてしばらくたつわ』と言う返事。と言うわけでシオモニ、しばらく入院することになった。腕のほうは細菌性の炎症だったら手術をしなくてはならなく、細菌性で無い場合、抗生物質の投与で回復が見込めるとのこと。入院するとき、いつもは『われ関せず』だった長兄が来ていた。お兄さんが呼んだらしい。私たちがいない間に、『今までチェス氏(私のことよ)が一人で苦労してきたんだ、もし寝たきりになったりしたら、考病院(介護病院)に入れようと思う。費用は折半で』と言う話をまとめていたらしい。きっと、腕の回復と共に、シオモニは回復するだろう。そして、また私の家に来るだろう。寝たきりになったりしても、どうにかあてはあるのだと言うことで気持ちは楽になった。健作さんのお兄さんが、私の苦労を分かってくれていたことにしんみりした。一晩明けて、めーちゃんがオリニチブに行くときに『行って来ます』の挨拶をしようとシオモニの部屋に向かっていた。入院中なの、すっかり忘れていたんだね。でも『行って来ます』の挨拶の習慣はついたらしい。またまたしんみりした。
June 25, 2010
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昨日の朝から、首が痛いというシオモニ。訊けば寝違えたんだって。高い枕が好きだから、時々寝違えたりはしていたんだけど、今回は本当にひどそう。一日経過してよくならないから、今朝、病院に行こうとした。私は「安静を要するリスクの高い妊婦」なので、付添いはダメだから健作さんのお兄さんの奥さんに頼もうと思ったら、今日は朝からいないという。奥さん、実家のお母さんのところに行ったんだね、きっと。そこのお母さん、ウチのシオモニよりひとつ年下だから、数えで91歳。認知症がひどくなって、とうとう病院に入院してしまった。入院してからは、時々見舞いに行くようになったお兄さんの奥さん。(きっと、今までは、実家のお兄さんの奥さんに気兼ねをしてたんだろう)それで、病院にいくのは明日になったんだけど・・・・・。その前に問題がひとつ起きた。ウチのシオモニもやっぱり、ちょっとキテいると思う。ウチのシオモニは、カマンヌン(黒い目、転じて文盲者のことをさす)なので、銀行業務などは一切、私か健作さんが行っている。それで、お小遣い程度の年金がシオモニの口座に毎月振り込まれるのを私か健作さんが、時々下ろしてくることになっている。それで、10月27日に健作さんが下ろしてあげたんだけど、シオモニの記憶にはない。そのときに30万ウォン下ろしたのだけど、記憶にないものだから口座には4~5か月分の年金がたまっていると信じ込んでいる。そのお金を下ろした後、シオモニの誕生日があった。一緒に住んでいないシオモニの子供達(健作さんの兄弟たち)は、シオモニにお小遣いを上げていた。そのお金だけを記憶しているシオモニ。今回、シオモニは何日か入院したくて、お金を下ろそうとしたわけだが、口座に入っている年金は、一か月分だから微々たるもの。それを正そうとしたら、今度は健作さんを泥棒扱いしそうな雰囲気。銀行から下ろしてきたお金のありかを探し出したら、疑いは晴れるのだけど、そういう時、シオモニは「今、お金を出してきて、ここで見つけたフリをしているのだろう?」とか言って、自分の間違いを認めようとしないだろうし。(以前、別の物件でシオモニが失くした物なのに、濡れ衣を着せられた経験のある私)だから、シオモニのものに関しては、疑いをかけられそうな原因を作ってはならないと肝に銘じている私なのだが、健作さんは甘かった。シオモニの通帳を預かったままにしていたのね。それじゃ疑いかけられちゃうよ。10月27日にお金を引き出したを記録されている通帳を見せれば、「健作が、一人で勝手に私のお金を引き出して使ったんだ」と言われかねないよ。まったく、同居家族というのは、損なもんだと思ってしまう今朝の出来事だ。ほかの家族は年に三回(盆と正月と誕生日)お小遣いを差し上げれば、お役御免なのだもの。一年365日、一緒に暮らして尽くして、そして、泥棒呼ばわりされたんじゃ割に合わないよ。※追記お兄さんの奥さんは、美容室に行っていたことが判明。そんなの次の日にしろよって思っちゃったよ。シオモニは午後から病院に行った。首が痛くてご飯も食べられない状態だったので、少しよくなって戻ってきて欲しい。
December 9, 2009
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私の実家の姉も、うちのシオモニも言いたいことが顔に出る。おもしろいこともある。姉と会話するときに、姉が喋らなくても良いくらい、姉の顔には言いたいことが顔に出る。私が一方的に姉の分まで喋って返事して、それで会話が成り立つことがあるのだ。うちのシオモニも言いたいことが顔に出る。特に食事中。うちは「健康オタクの健作さん」&「妊婦な私」のおかげで、とっても薄味。うちのシオモニは年の所為もあってか、しょっぱい物好き。どうやら年をとるにつれて、味覚も鈍感になってくるので、従来の味付けでは物足りなくなり、どんどんしょっぱいもの、辛いものを求めるようになると言いますヨネ。元々、しょっぱいものが好きだったのもあって、うちのシオモニは毎日、お汁に一人塩を足して食べている。たまには健作さんが気を効かせて、塩を入れてあげても、物足りなかったらしく、シオモニの顔が「あら、塩が出ていないのね、ああ、私物足りないのに、、、、 でも持ってきていうのはちょっと悪いかなあ・・・・。」と言う感じになったので、私がすかさず、突っ込んだ。図星だったから、シオモニもニンマリ。嫁姑も阿吽の呼吸が必要なのだ。うちの健作さんは,人の表情を全く読み取れないタイプ。私やシオモニが何を考えているか、口に出さないと分からない。どちらかというと、私が二人の仲を取り持っているという感じもしてくる。家にいる女性の役割って、そういうものかもしれない。
November 24, 2009
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ウチのシオモニはトシの割りにしっかりしていると思う。でもやっぱり、月日には勝てないなあと思うことがある。ウチのハル君は風邪薬をオリニチブに持っていて先生に飲ませてもらうことがある。大体は、シロップ薬なので、小さなシロップ薬の容器に入れて持たせるようにしている。苺味の美味しい奴。それが、この間、シオモニのかばんから見つかった。ウチのシオモニ、「私の目薬だ」といってきかない。それも全州の眼科に通っていた頃に処方した目薬だといって聞かない。全州の眼科といったら、私が韓国に来た当時に通っていた眼科じゃないか。。。。かれこれ12年前の1997年の頃である(20世紀の頃だよ)。ウチの健作さんが、その発言にびっくりして腹を立てちゃったんだけど、まず、そんなシロップの風邪薬を目に入れちゃったら大変だから、私はシオモニに、こういった。「そんな十年以上前の目薬は腐っちゃっているから捨てないとダメですよ」「いくら目薬だとしてもダメですよ」目薬じゃないといって、シオモニを否定しちゃったらかえって躍起になってしまう可能性も大。だから、論点を変えてみた。そのうちシオモニが落ち着くと、私に「あの目薬は捨てないとナア」と言ってきた。時々錯覚をおこすシオモニ。もう、仕方がないトシかもしれない。
November 20, 2009
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つわりは私を散々苦しめているけど、でも面白いこともいろいろある。1歳5ヶ月になるハル君は、私がげーげー吐いていると、横に来て吐くまねをする。私が吐いたものが、ハル君にかかっちゃうんじゃないかと思って困っちゃったりするんだけど、真似っこが楽しい時期だろうなあと思ってみている。ちなみにめーちゃんの反応は違っていた。ハル君がおなかに居てつわりがひどかった時期は2歳4ヶ月くらいのことだから、背中をさすったりしながら「オンマ、大丈夫?」といたわってくれた。やっぱり1年の成長ってすごいのね。後、うちのシオモニ(姑)の協力にはまったく頭が下がる。食欲がなくて、横になっているばかりの私に、「豆乳なら飲めるんじゃないか?」とか、「餅かなんか食べられそうなものでも、買って来いと言ってやるか?」とか、いろいろ気を使ってくださる。妊娠中で、いろいろ神経過敏になっている私。シオモニの心遣いに涙が出た。「やっぱり親だなあ」と思う。うちの母に話したら、「ウン、私もそうだったよ。長く暮らしているとね、本当の親子になるんだよね」と電話口で言われた。私もそう、血のつながりこそはないが、親だなあと思う。12人の子供を生んで、そのうち6人を幼いうちになくしてしまったうちのシオモニ。子供を亡くしてしまった無念さも、私に対する気遣いの仲にあるのかもしれない。
September 28, 2009
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うちのめーちゃんは、自分の思い通りに行かないと時々パニックに陥る。泣き叫んでしまって、いろいろ訴えてくるのであるが、なかなか聞き取れなくなる。というのが今回の事件の前置きなんだけど。私のうちでは牛を14頭くらい飼っている。元々、朝の世話だけ健作さんがして、昼&夜の世話が私がしていた。でもめーちゃんを身篭ってからは、健作さんが全てを引き受けてやっていてくれた。この頃は育児も要領を得てきて、夕方のえさ&水やりは私がやるようになってきた。というのも今回の事件の前置き。その日は、えさをやりに行く時間帯ににハル君が眠ってしまい、抜け出しやすい状況だったのね。そして、めーちゃんは大好きな幼児用英語番組「スーパーファイ」をみていたので、これサイワイと抜け出した私。でも水やりにちょいと時間がかかっていたのだが、なんか家のなかの雲行が怪しい。泣き声がする。というか、泣き叫んでいる声がする。めーちゃんだ!何で泣いているの??と疑問に思ったのだけど、こちらは土砂降りの雨の中、えさやりに動いているので、なかなか家のなかにはいれない。ようやっと、家に入ったら、まずシオモニに罵声を浴びせられた。「おまえがロクデモナイ娘に育てたんだ!!」と。みると、ハル君をシオモニが抱き抱えていながらうちの部屋の入り口にいる。「入ってくるな~」と言われたんだそうだが・・・。めーちゃんの方はというと、大好きな「スーパーファイ」が画面に移っていない。ビデオの電源が入っていてテレビの映りが悪くなった模様。ハル君が起きてきて、床におきっぱなしだったビデオを踏んでスイッチを入れちゃったんだね、きっと。それで、めーちゃんはパニックに陥り、泣き叫んでいるんダネ。で、それでとばっちり食らったシオモニは怒っているんダネ。と私は一瞬に理解できたが、シオモニは理解できない。怒っている。それで、しばらく私に怒っていた。シオモニの言い分はこういうモノ。「めーちゃんはオンマがいつもシオモニを煙たがっているからそれをみて部屋に入ってくるなと言ってくるんだ、みんなオンマが悪いんだ。よそシオモニはもっと嫁をいびっている(いつの時代のことなんだか)ほかの嫁達に訊いてみろ」と言うことだった。私もムカッと来て、「めーちゃんは幼稚園でも気に入らない事があると、うちに来るなって先生にも言う子なんだ、(だいたいそんなに私が気に入らないならほかの息子の家に行けば~)」と言い返しておいた(カッコのなかはこころのさけび)。めーちゃんに早めの夕飯を食べさせながら、めーちゃんにおばあちゃんに謝ってくるようにゆっくりお話して、謝ってくれたので、一見落着。そうれはそうと、めーちゃんは、部屋に入ってくるなとは言わなかったそうだ。でも、シオモニは耳が遠いし、何かあっても脳内変換されるすばらしい想像力の持ち主だから、あとで、ゆっくり説明しようと思う。私も秘密にしておけない性格なので、ほとぼりが覚めてから、健作さんに、明るい態度で、シオモニの前(!)で言いつけたのだった。
August 9, 2009
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知っている人は知っていますが、私は韓国人と結婚し、韓国で生活しています。新婚当初から、同居でした。日本の同居とはまた違う感覚なのかもしれないけれど、私が感じたことがあります。韓国の場合、兄弟は他人の始まりと言う感覚がありません。兄弟のことも自分のことのように考えるのが、韓国人です。だから、親戚のことでも何でも首を突っ込んでお節介を焼くのが韓国風です。そして、首を突っ込んで無責任と思える発言でも、一応口出ししておくと、「ああ、この人は親身になってくれているんだなあ」と受け止めてもらえます。姑との関係もそうでしょう。うちの場合は、健作さんが私の味方です。何かあったら、健作さんは私の肩を持ちます。それは健作さんが親離れできているからでしょう。ずっと、一緒に暮らしてきましたが、親の世話になると言うよりは、健作さんが、経済的には親を見てやっていたので、親から独立したと言う思いがあるようです。韓国では家の中にいる女性がきちんとしていないと家が成り立たないと言うような考え方がありますから、夫の事をずべて把握するのは妻の役目です。姑が嫁に、夫の事を聞くのは当たり前です。姑の息子であると同時に、私の夫ですし、夫婦の関係のほうが優先なので、健作さんのことは私に聞いてくるのが、当たり前です。親子なんだから私を通さずに直接本人に聞けと思った時期もありましたが、「私の夫」と言うのを優先にしてくれているのだなあと思うことにしました。私も日本人ですから、べったりくっつく韓国の人間関係を窮屈に思ったことも多々あります。でも、心を開いて、姑に何でも話すことにしました。親なんだから、気になることも多いはず。だから、話し相手になりました。お互いにぶちまけて暮らすことにしました。今は、お互い、言いたい放題言って暮らしています。あくまでも、韓国ではこういう嫁のほうが受けがいいようです。かなり、生意気な嫁の姿です。腹が立って、大喧嘩をしたことも何度もあります。今では健作さんの仲介なしに仲直りできるようになりました。先日の日記では、うちの姑をひたすら悪者のように書いてしまいましたが、いいところもあるんですよ。(調子いいかしら、私)いろいろありましたが、今では結構仲良く暮らしているほうだと思いますから。
March 20, 2009
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シオモニとの育児観の違いに悩むこの頃。たとえば、うちのシオモニは自分を基準に子供の室温調整をしようとする。春先には、「子供は汗をかくくらいがちょうどいいんだ」と、はる君を布団でグルグルにしてくれていた。初夏までこれは続いて、本当に困った。そして、夏になると自分が暑いから、扇風機の風を直接子供にあててくれる。普通小さい子供には、壁などをつたって風が行くように調節したりするじゃない。間接的にあててほしいと言うと、それが分からないから、結局は自分だけ風に当たっている。はる君は汗だく。まあうちの健作さんもシオモニに育てられた人だから、同じような感覚を持っている。一晩中、自分が暑いからと扇風機をつけていたら、横で寝ていためーちゃんが見事に夏風邪をひいてしまった。そして、この間は、めーちゃんの夏風邪、私の疲れによるダウンと言う時、折りしも風が強かった。台風のような風の中、窓をがっちり開けてはる君に風をあてていた。なぜって?シオモニが暑かったから。その結果。はる君は深夜過ぎに発熱。39度以上はあったと思う。まだ3ヶ月の子供だよ。そんな風の強い日に風を当てるなんて私には信じられない。窓を閉めてほしいと言うと、「大丈夫だよ」そりゃ、いつもは「子供は涼しく育てるもんだ」と言っている私だけど、程度の問題でしょう。はる君が熱を出した日は、日曜日。小児科はやっていないから、救急センターにつれてった。救急センターのお医者さんが、3ヶ月と言う月齢を聞いて、「大きい病気かもしれないから、大きい病院に連れて行ったほうが良い」と言うので、車で1時間距離の大学病院まで連れて行ったよ。そこでは、解熱剤を飲ませてみて様子を見るばかり。検査やなにやら、時間がかかりすぎるので、一旦、家で様子を見ることになった。次の日に小児科に連れて行ったら、「めーちゃんの風邪がうつったようだ」と言うこと。でも、高熱の原因はあの台風のような風に当たったせいだと思うよ。ウチのシオモニ、12人子供を産んで、そのうち5人は子供のうちに亡くしている。「その頃は病院がなかったから~」なんていっているけど、シオモニの育て方を見ていると、子供が病気になるような育て方をしてきたのだと思わざるを得ないのである。この前もウチのめーちゃんが汗をかきながら昼寝しているとき、扇風機を強風にし、お腹をペロンと丸出しにして、風を当てていた。だから!「寝冷えで風邪を引くのが子供なんだよ・・・!!」と声を大にして騒いだ私。まったく、困ったもんである。(でも、私が大きい声で怒っても受け入れてくれる姑で本当に良かった。 そのあたりは懐が大きい姑で助かっている。)
August 5, 2008
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日曜日に健作さんのお姉さんのダンナさん&娘さんが来た。この方、四男の嫁なのに同居になった私に、偉く同情しているようで、「苦労するけど、年寄りだと思って頑張ってくださいね」とかと言ってきた。私も、「初めのうちは喧嘩もしたけど、今は大丈夫ですよ、心配しないで下さい」と言っておいたが、それを聞いたシオモニ、「わたしゃ、嫁いびりなんて一度もした事なんて無いんだよ」といい始めた。お客さんが帰ったあとで、健作さんに、このシオモニの言葉を告げると、「お前をあれだけいびったのに??」と言っていた。そうだよね、自覚してないんだから、幸せなシオモニだと思いますよ。(フリーページにのせたホーバクの思い出を参照すれば分かります)
April 23, 2008
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