30代前半、2人の子どもを育てる
シングルマザー、みことです。
息子はとにかく甘えん坊。ものづくりが大好きな活発な男の子。
娘は、おしゃべり大好きでいつもニコニコ。天真爛漫な可愛い娘。
2人の子どもと一緒に、にぎやかに、そして必死に。笑
毎日を生きています。
このブログでは、
・「毒親育ち」の私が、母になって向き合う“家族”のこと
・昔の思い出と今の気持ち
・そして、ちょっとだけ前向きになれるヒント
そんなことを、少しずつ綴っていこうと思っています。
ときには重たい話もあるかもしれませんが、
「同じように頑張ってる人がここにもいるよ」って伝えたくて、
勇気を出して、書いていきます。
どうぞよろしくお願いします。
「私は、真ん中で育ちました」
5歳上の兄と、6歳下の妹に挟まれて、
私は5人家族の真ん中っ子として育ちました。
3人きょうだいの“真ん中”という立場は、何かと曖昧で、子どもながらに「私はどこに気持ちを置けばいいんだろう」と感じることが多かったように思います。
でも、その複雑さは“家族構成”のせいだけじゃなかった。
私が育った家庭には、常にピリッとした緊張感がありました。
特に、父の存在はいつも“嵐の前触れ”のようで、空気を読むことが私の無意識の習慣になっていきました。
「父の優先順位は、いつも“自分”だった」
父と母は若くして結婚し、すぐに兄が生まれました。
けれど、父は家庭よりも自分の機嫌を最優先する人でした。
今でもよく覚えている。
母と父は、よく喧嘩をしていた。
でもその喧嘩は、子どもにとってただの「大人の口げんか」じゃなくて、家の空気全体を重く、冷たくするものだった。
夜ご飯はいつも遅くて、21時ごろ。しかも父だけは別メニュー。
「帰ったらすぐ食べる物」を母が買ってこないと、大声で怒鳴ったり物を投げたり。
マクドナルドだったり、コンビニのホットドッグだったり、その日によって違うから、母は毎回探して回っていた。
父が帰ってくる前は、まるで地雷を避けるように家の中を整えていた。
散らかっていたら外に物が投げられる。兄妹喧嘩をしても、話なんて聞いてもらえない。怒鳴り声と力でねじ伏せられる。
子どもなのに、家で安心して感情を出すことができなかった。
お風呂から出たあとの
「コップと氷と水は?」
「パジャマの準備は?」
その声が今でも耳に残ってる。
用意されていないと、また怒鳴り声。
「毎日」それが繰り返される中で、私は少しずつ、空気を読むのが異常にうまい子になっていった。
「怖かったけど、それが“普通”だった」
本当は怖かった。
でもそれが当たり前だった。
子どもなのに、家では安心して甘えることも、泣くことも、感情を出すこともできなかった。
兄妹喧嘩をしても、父は話を聞いてくれない。力で黙らせるだけ。
仕事で嫌なことがあれば家族に当たり散らす。
私はその中で、静かに静かに“いい子”として生き延びる術を覚えていきました。
「母のこと、今でも理解できない」
母は、その毎日を耐えていました。
今でも父の文句を言い続けているけれど、それでも一緒にいる。
私は何度も「離れて」と思った。でも、母は決して離れようとしなかった。
大人になった今でも、母の気持ちはわかりません。
わからないからこそ、もどかしくて、苦しくて、時々怒りたくなる。
もし今、この世界のどこかで、
私と同じような気持ちで毎日を過ごしている子がいるとしたら――
私はその子を、ただただ抱きしめてあげたい。
あなたが感じている“怖さ”や“孤独”は、本物です。
見て見ぬふりをしていいものじゃない。
大人になっても傷は残るし、ふとした瞬間に心が痛むこともある。
でも、あなたは悪くない。
何も悪くない。
私には、その気持ちが痛いほどわかる。
だからせめて、ここに書き残しておきたいと思いました。
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読んでくださって、ありがとうございます。
これは私自身の心を整理するための記録でもあり、
誰かが「自分だけじゃなかった」と思えるきっかけになれば…と願っています。
このブログでは、私の家族との記憶や今の現実を、少しずつ書いていこうと思っています。
次回は、持病もち、シングルマザーの
妹との関係について書く予定です。