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朧月夜7627

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2007年05月18日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人様の日記を読んでいて
自分の子どもの頃のことをちょっと思い出した。


私が生まれたのは県中央の鉄道も通っていない山の上の田舎町。
ほとんどの家庭が農業従事者で
給食の足しにと、大根やにんじんなどの野菜を持って
登校している子を見ることもしばしば。
(友達は給食費の代わりだと言ってたが・・・まさかね)
子どもたちは野生児のように、山や畑を駆け回り
そこらへんの野草や木の実を食べておやつ代わりにし

しもやけとあかぎれで真っ赤な手をして
かさかさの赤いほっぺで、鼻水をたらしている子が大多数。

学校から帰って遊びにいくのは山。
大将格の子に命令されて
木に登ったり、がけを登ったり
穴を掘ったり・・・・
おままごとだろうとお人形あそびですらも
外にござをしいてやっていた。

家には誰もいなくて
子どもは夕日が沈むまでは外で遊ぶのが鉄則。
夕食だからと呼びにいかなくても


そんな中、うちの両親は公務員だった。
ほかに仕事をしていても、大半の家庭は兼業農家だったけど
うちはまったくのサラリーマン。
はっきり言って周りからは浮いていた。
その上母は少女小説で育ったロマンチストで

髪を長くして、リボンで結んだりさせていた。
女の子はみんなおかっぱ頭だった頃
私一人が三つあみでワンピース。

当然男の子にも女の子にもいじめられた。
よく泣く弱虫だったこともあり、
しまいには先生にまで
「そんなかっこうをしているからだ」
とまで言われる始末。
小学校に入ると、担任の先生に
「髪を切りなさい」と言われた。
みんなと同じようにしてくださいと
親にも言ったのだろうか?
一人違うということで、いじめられたらかわいそうと
祖母が母を説得したらしい。
私もめでたくおかっぱ頭になった。
しかし、天然パーマの私のおかっぱは
やはりみんなと違っていて
「おめー、パーマかけとんじゃろうが」と、
相変わらずいじめられた。

いつも遊んでいた大将格の女の子は
運動神経もよく頭もよくて
いつも私ができないだろうと思われることを
選んでやらせてくれた。

「その丸太の上を落ちないように走って渡れ」とか
「この木に登ってこい」
「このがけを登れ」
・・・サバイバルゲームか・・・?
「できるまで、帰ったらダメ!」と言われて
しょっちゅう大泣きしていた。

泣くと大将は怒る。
でも、後で考えてみると
その子が怒るのは私ができないからじゃなくて
できないといってやろうとしないからだった。
やって失敗してけがをしたりしたら
心配してやさしくしてくれたし、
チャレンジしたということだけで
褒めてくれたりもした。
う~ん、ある意味すごい先生だったかもしれない。

とは言っても、私は
本当は家でマンガを読んだり絵を描いたり
着せ替え人形ごっこをする方が好きだった。
りかちゃんハウスには、壁に遠近法で
二階へ続く階段が描いてあって
「あの階段の上にはきっとこんなお部屋があって
こんな家具があって、窓からはこんな風景が見えて・・」
とか想像してみることが
なによりも楽しいことだった。

うちまで大将が遊ぼうと呼びに来ても
トイレにかくれて居留守をつかったり、
遊んでいる途中で
かくれんぼをするフリをして
その場から脱走して家に逃げ帰ったこともあった。
もちろん次の日には大将に怒られたけど
「お腹が痛くなって・・・」と泣いて見せたりした。

「もうあんたとは遊んであげない!」と言われたら
むしろ嬉しいくらいで、
それを察した大将はそのうち
「あの子と遊んだら絶交だからね!」
と、他の子を脅かしたりしていた。

さすがにみんなに無視されるとつらかったけど
基本的にそのころから
一人でいることが苦にならない性格だったらしい。
自分で都合のよい世界を作れるものだから、
マンガが好きでせっせと描いていた。
その中では自分はみんなのアイドルで
みんなが自分を褒め称えてくれた。(暗い・・・)
ただ、私の描くマンガについては
大将も自分より上手いと認めてくれていて
私の描いた絵をあげると喜んでくれた。

中には私のことをかわいそうと思ってくれる子もいたり
同じように大将に泣かされる子もいて、
そんな子とこっそり遊ぶこともあった。

私が他の子と違うということを
認めて受け入れてくれる子もいたのだ。
マンガが好きだというのがきっかけで仲良くなった子は
いまでも私の親友だ。
当時夢中になっていたバレエ漫画にあこがれて
二人ともおとなになってから
バレエを始めて今に至る。
・・・三つ子の魂百まで・・・?

絵を描くことが私にもその子にとっても
とても大切な自己表現だった。
たわいない子どもの想像
将来の夢
理想の人間を
私たちは白い紙に描いていた。
学校の先生は
「マンガみたいな絵」を描くことを嫌っていたが
美しい人を表すのには
私にとってはマンガがぴったりだったのだ。
「目が大きすぎる」とか
「鼻が高すぎる」とか
現実にはこんな人はいないのよと
先生は言っていたが、
美しいものを自分が美しいと思える方法で
表現することが、なんでいけないのか。
・・・当時の私には反論するすべもなかったけど。

服装や生活スタイルが
みんなと違うことが苦痛で
「どうして普通の格好をさせてくれなかったんだろう」と
親を恨んだ時期もあったけど、
いまになってみると得るものも多かったような気がする。
「人のやっていることを自分の価値観で批判しない」
「親しき仲にも礼儀あり」
「他人は他人、自分は自分」

多様な価値観の中で自分を見失わずに生きていくために、
そして、人は一人では生きられないからこそ
他人とうまくやっていくためには
思いやりと技術が必要なのだということ。

たくさん笑ってたくさん泣いて、たくさん考えて
そんな中から自分で見つけ出していくしかない。


今私とつながりのあるすべての人たちも
子どものときから今まで、いろいろなことがあって
その中でいろいろな生き方を習得してきたのだろう。
自分と価値観が違うのはあたりまえで
同じことでも違う感じ方や考え方があるのだろう。
できるならばお互いに話を聞いて、
お互いに少しでも歩み寄れたら
もっと楽しくつきあっていけるんだろうなと思う。


・・・大将の名誉のために、ひとこと。
彼女の有無を言わせぬ特訓のおかげで
私も逆上がりができるようになった。
その時だけは、心から彼女に感謝した。
本当に先生になればよかったのに、
今彼女は研究室で働く学者さんになっている。



















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最終更新日  2007年05月18日 10時25分17秒
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