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ここのところ、何となく分かってきたこと…“いま”の意識って…これが終わったら、あれをしよう…とかこうなりたい…という焦りのようなものとかこれを明日しよう…とかそれ、全部、先(未来)への意識って事だよね…って、ふっと気付きました。もっともっと、“いま”に意識を持ってきて“いま”を楽しむこと…この間の再受講で気付いたこといまの私の課題かも…いつも、そういう考え方をしてる。そういう自分に気付きました。トップに書いてあるけど、自分に向かってのメッセージなんだよね。ふと気付くと、気持ちが先に行ってる…でも、唯一?子供たちと遊んでいるときには“いま”に意識があるって思う。(;^_^A 子供って、ほんと“いま”を楽しむ天才だと思う。楽しみに制限掛けないし、やりたいことは、やりたいときに、やりたいようにする。子供に見習わなくては・・・ね(^.^)b ♪─♪─♪─♪─♪─それと。。。届いたメールを読んでいて、“グッ”と来た言葉…(自分の言葉に変えて書いてあります)『いまは必要じゃないけれど、いつか必要になるかもしれない…』そういうものも全部捨てる。『──かもしれない』なんて、持っててもきりが無い。思い切って、どんどん捨てよう。いまは必要ないんだから、しばらくは困らない。また、捨てるのは、物だけじゃなく習慣も捨てること。そして…捨てた場所が、ぽっかり空いて、新しいものが、入るスペースができた!ここに何が入る?新しい情報? 能力? 欲しかった何か?どんどんどんどん、捨てて、捨てて、捨てていくと…やがて、新しいものが、『ごく自然な形で』手に入る!捨てることは、新しい何かを得ることでもあるんだよ♪物をたくさん持ちすぎて…したいことをたくさん作りすぎて…『──しなくちゃ』と制限・習慣を作りすぎて…執着いっぱいで…そうやって、やること・やりたいこと一杯で混乱する。自分で自分を追いつめちゃう。無駄なエネルギーを使って、苦しい思いをして…何だか、自分のことを書かれているって、(特に、少し過去の自分はそうでした)ドキッとして、また、グッとこころつかまれて…こういうものたちを全て捨てて、本当に必要なものだけを持ち“いま”を楽しむことを意識していけば確実に、自分自身が楽に、楽しく、イキイキと生きていけるって思います。笑顔いっぱいで、毎日、いまが楽しくって仕方なくって、子供たちやだんな様、周りの人たち、まわりのもの達がいとおしくって、大切で。当然、幸せの波動が出まくりで(^∇^* 自分のまわりはピンクの空間♪うわぁ~想像していたら楽しくなってきた☆さて、まず手始めにパソコンのファイル・フォルダの整理から始めますか…♪
2004年03月31日
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今日は普通のf(^^;ゞ 日記です。子供たち、二人ともが春休みに入りました。長男は4/8まで。二男は4/4まで。さぁてどこへいこう・・・子供たちの希望は?…長男──「動物園!!」二男──「アンパンマン電車!!」うぅ~全然ちがぁう~(~ヘ~;)ウーンだんな様との協議の結果…明日、28日(日)は、長男希望の動物園に。31日(水)(だんな様が休み♪)は、長男の幼稚園の離任式のあと、一駅だけでもいいからアンパンマン電車に二人を乗せてあげようということになりました。アンパンマン電車っていっても、外に絵が描いてあるだけの普通の電車なのですが(^^;ゞ乗ったという事がうれしいんでしょうね。アンパンマンゆうゆうカーという物もあるらしいのですが、それには、徳島方面に、乗り換えを繰り返して行かなくてはならないらしい。その上一日二本か三本しか無く、予約が必要…。この列車内は、アンパンマン仕様とでもいうのか、いろいろ遊び場があるらしく子供向けの乗り物になっているそうです。また、これは夏休みにでも…。ということで、明日は子供たちと、動物園に行ってきます♪自然の中にある大きな動物園。いままで5度ほど行ったことがあるのですが、とても気持ちいい場所です。そこで、明日は思いっきり楽しんできま~す♪(^^)v
2004年03月27日
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掲示板にレスを書いていて、日記に書きたくなってきたのでアップします☆先日の先祖への感謝の話につながるかと思うのですが、いまのわたしたちよりも、何世代か前の先祖の方たちってわたしたちより確実に多くの幸せな高い波動を出していたような気がするんです。 いまのわたしたちよりも、たくさんの人と、笑って、情報に振り回されることなく、目の前のことを純粋に楽しんで…。わたしたちは自分たちに便利な快適な世界を作っていくにあたり、たくさんのいろいろな物を犠牲にして失って、壊して、その上にいまのわたしたちがあるんだなって、ここのところいろいろ先輩方の日記を読ませて頂いてよけいにそう思います。たくさんの緑が失われ、砂漠化も進んでいます。また、自動車の排気ガス(だけとは言えませんが)などでオゾン層も壊されていっています。水も、ドンドン汚されていっています。今そういうことを見直して、お米のとぎ汁を川に流さないことだったり、無害な石けんで洗い物・洗濯をしたり、揚げ物油を流さないとかラーメンなどの汁を流さないこと、車通勤を電車通勤に切り替えたり…そういうことに気を付けて生活をする人たちが増えてきました。リサイクルも、確実に各地域に浸透していっていると思います。再生紙を利用した物を作る企業も増えました。でも、タバコの投げ捨て、缶ジュースの缶のポイ捨て、コンビニなどで買って食べたお弁当などの食べかすの置き帰り…目にする機会、いまだにとても多いです。(お祭の帰りなんかにはすごい状態だったりしていますよね)自分たちに快適な便利な生活を作っていくために犠牲にしてきた物、大きすぎるのではないかなって思います。その結果が、こころが壊れた人が出来たり、いまの無関心・無神経・無感動…そういう人たちが出来る元を作ったのではないかなって思います。いろいろ難しいかも知れませんが、昔のように、三世代が同居して、人の生死を感じることや、昔の話をおばあちゃんなどから聞くこと、母の祖母の交流、ご近所との交流、そういう物を目にする機会って大事なんじゃないのかなって…。私は田舎に住んでいるせいもあるかも知れませんが、学校から帰ってくると、近所の田んぼや畑で遊んで悪さをして近所の人にカミナリを落とされたりだとか、お盆や正月、長い休みには、おばあちゃんちで縁側にみんなで座っていろんな物を食べたり、遊んだり…いとこや伯父・叔母たちとみんなでワイワイ…そういう経験をさせてもらえました。人と人との交流が深かったと思います。いまって核家族化が進んでいてどうしてもそういう経験が出来ない子供たちって増えていますよね。周りの人とうまくつきあえない子供たちも。経験していないことは分からない、つまり、小さな時から親たちが人と交流する様を目にする機会が少なかったのでは…と思います。昔の人たちって、もっともっと交流が深かったのではないのでしょうか?だからこそ、○太郎じいさんじゃないですけど、たくさんの人の信頼なんかも持っていた人は多かったんじゃないでしょうか?その人となりを知る機会が多かったんじゃないかなって。それぞれの事情はあると思います。それでも、そういうまわりのたくさんの人と触れること、自分たちの両親・祖父母含め、先祖と触れる事って大切なんじゃないかなって思うんです。わたしも結婚して始めて分かりました。自分たちのご先祖さまに手を合わせること、お彼岸の大切さ。そういうことを見直していくべき時なんじゃないのかなって。何だか、なにが書きたいのかまとまらなくなってきましたが…。(;^_^A いま一度、自分たちの“いま”を見直したいなって思います。
2004年03月26日
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今日は実家にお彼岸参りに行ってきましたまた、病院に父の顔も見に行ってきました。子供たち連れて。ここのところなんだかんだで父の顔を見に行けていなかったのですが、やっぱり顔色が良いです。レイキの遠隔ヒーリングのおかげですね。ヾ(@^▽^@)ノ午後に行ったためか、食事後で「眠いわ~」と、とっても眠そうでした。直接、流してあげたことも加わったためか、グーグー(^^;ゞ 何度目を開けようとしても、ウトウト夢の世界へ…。実家でも、いろいろ話し込んでしまって帰宅予定より随分遅れてしまい、さっき帰宅して食事が終わった所です。子供たち、いまからお風呂です。…チトオソイカモ…うちは子供たちのお風呂は出来るだけだんな様と入ります。なので、少しパソコンを♪ (^∇^* 明日、感謝父母話を残り全て書き上げ、アップする予定です。とはいえ、長男が春休みなので、予定外の出来事があってアップ予定が狂ったら、ごめんなさい。今朝の合掌瞑想も、曇り、そして雨だったのにまぶたの中に、赤い色からオレンジの色を見ました。まぶた全体に広がって…。血の色っていう気もしますが、だったら色が変わるのも不思議だし、見えているのだと思います。(^^)また、母や子供たちを車に乗せて走っている時、もしかして丹光かなぁっていうものも見えました。ウレシイです。目に見えるもの、そして雨の天気にも、感謝が沸いてきて、とても穏やかな幸せな気持ちです。子供たちも、とても素直に育ってくれているし、父も、ゆっくりですが、良くなっていると思います。母は、本当にレイキの直接伝授を受けたことや、ままりんの日記なんかをプリントアウトして渡して読んでいること、いろいろなことでとても前向きになり、ニコニコしていて、一緒にいて、とても楽しいです。たぶん、実家の、遊んでいた居間の空気も、高い波動になっていたのだと思います。とても楽しくって、ずっとみんな笑っていました。本当に、いま、幸せです。ありがとうございます。わたしのまわりの全てのものたちに、わたしを支えてくださっている全てのものたちに、ありがとうございます!!わたしの周りの人、みーーーんな幸せになぁ~れ♪♪(^-^)
2004年03月22日
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昨日、大阪セミナーに行ってきました♪すっごく楽しくてあっという間に終わってしまった気がします。楽しい時間って、とても早く過ぎてしまいますね☆ままりん、大阪まで来て頂いて、ありがとうございます☆久しぶりに逢ったままりんは、ますます若くなったようで(^^やっぱり、パワフルで、暖かくって、ままりんの隣で、とってもパワーをいただいた感じです。(ほのかさん、アリガトです☆)オーラが前に突き出しているって事も、ちょっとドキッな事でした。もっと“今”を意識していきたいです☆また、昨日出会った lucky moon angelさん、ほのかさん、おさかなの母さん、アルファシータさん、アリアンさん?(ごめーんハンドル聞いたのに、忘れてしまいました(;_:) ありがとうございました。本当にいろいろな、たくさんの経験をさせて頂きました。lucky moon angelさん…お地蔵さん重かったでしょう…ちょっと恥ずかしかったです。忘れていましたが、フォトリーディングの質問をさせて頂いていたんですよね。ありがとうございます☆ すごく穏やかなおしとやかな優しい感じでステキでした。(イメージ、京女風?かな)ほのかさん…なんか思っていたとおり、美人であたたかくって優しくって、でも、飛び跳ねているボールのイメージもちゃんと持ってて(^^ゞ お世話になりました♪ ほのかさんにも、なんかすっごいパワーを感じました。光の話もすごかったです☆ やっと会えたって感じでした。これからもよろしくです。今度は四国?(^∇^* アルファシータさん…すっごく場を明るくさせるものを持っていて、楽しく過ごさせて頂きました。子供さんの写真も、かわいかったです。たぶん下の子、一緒くらいなのかな? おさかなの母さん…とても落ち着いた感じで、ちょっとわたしにないステキなものを持っていて、穏やかで、暖かくって。ネガ抜きの時に感じた、ふわふわした感じ、気持ちよかったです。帰る頃に、お顔がイキイキして美しいなって感じたのはわたしだけでしょうか?帰りにあいさつ出来なかったのが、ちょっと心残りでした。でも、また会えますね。アリアンさん?(間違ってたら、ごめんなさい☆)…遠隔で見た色が一緒でビックリでした。わたしもあまり手では感じない方で、でもいろんな色が見えるというのが一緒でとてもうれしくなってしまいました。オレンジ色の渦巻き=丹田の色? 緑の色の波=ハートの色? って考えたら、いま自分が気になって重点的に流している場所の色だから、やっぱり何か関係あるのかなぁってうれしいです。例の感謝の話も、本当に、少しずつ進んでいくと思うから焦らないでじっくりとね☆って思います。わたしもここまで、ほんっとーに長かったから。また、この話は、どこかで詳しくシェアー出来ればなって思います。みなさん、本当に楽しい時間をありがとうございました。また、これからもどうぞよろしくお願いいたします。これからも関西圏で、いろいろと協力していければ良いなぁって思います。今度は、子供もだんな様も一緒で、一泊で行けたらいいなぁなんて思っています☆しかし…昨日のみんなでやった合掌瞑想、大きな気付きを頂けたようです。先祖に対するありがとうのところで、あんなに涙が出てくるなんて。止めようとしても止らない何か…体は震えてくるし。不思議でした。早く、感謝父母日記も完結しなくちゃね。f(^^;ゞそういうメッセージなのかも。本当に書ききれないほど良い体験が出来ました。こころよく、送り出してくれただんな様、「お勉強頑張ってなぁー」とニコニコ笑顔で送り出してくれた子供達。本当にありがとう。この家族で本当に良かったなぁって、行きの電車内で二時間立ちっぱなしだったにもかかわらずとっても幸せな気分でした☆
2004年03月21日
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先祖への感謝 先祖の徳積み 今へのつながりここまで書いてきた中に、本当に数々の奇跡の出来事、そして、導かれたとしか思えない出来事の数々、たくさんあります。偶然は必然です。わたしがこうやってレイキヒーラーになることが出来たこと、そして、父にしても、母にしても、とても良い先生に巡り会えたこと。いろいろ考えても、本当に恵まれています。これには、母から聞いた、父のおじいちゃんの存在が大きいのではないか、と思っています。父のおじいちゃん、○太郎じいさんは本当に欲のない人で、また、自分のものを人に分け与える、みんなで楽しむ、日々を楽しんだ生活をしていた人だそうです。やりたいと思ったことはドンドン行動に移し、また、家庭も大事にしていたようです。町内(昔だから村、なのかも?)に○太郎じいさんのことを知らない人はいないほど知られていたそうです。何か困ったことが起きると、○太郎じいさんのところに相談に行け、といわれていたようです。楽しく、ほがらかで、穏やかで、優しい人だったそうです。確かに家にあったお金や物はたくさん出ていったようです。それでも“たくさんの人の信頼”というかけがえのないものを持っていました。人として、一番大事なものを持っていました。スゴイ人だと思います。そして、そういう○太郎じいさんを見て育った父も、そういう意識が育っていたのだと思います。だから、間違ったことには黙っていられない、正義感の強い、町のために働きたいと町議になる、そういう父が育っていったのだと思います。そして、そういう父に育てられたわたしも、そういう意識はわたしの中に育ってきていると思っています。いま、やっと、この年になって始めて、父の偉大さ、そしてそんな父に尽くしてきた母の大きさを感じています。そんな父や母の元に生まれたこと、小さな頃から、習慣として、わたしの中に大事なことを教えてくれていたこと、こころから感謝の思いがあふれてきます。誰にでも、そういう偉大な先祖や両親がいると思います。気付いてみれば、本当に感謝があふれてきます。でも、いまは、そういえる私も、反抗期とも呼べるような時期があり、両親にとても反発をして、家出を繰り返したり、大きなケンカをしたり、いろいろと、そういう時期を過ごしてきました。でもまた、そういう時期を過ごしたからこそ、いまがよく分かるのだとも思います。その時に見えなかった、父や母の奥が見えたような気がします。いま、ここにある、いまの幸せに気付けたこと、本当にありがたいと思います。これから、わたしにどんな学びがあるのか分かりません。それでも、これだけの奇跡が起こっていることを見れば、こころから、守られている、導かれている、全ては必然である、そう思います。全ての人、ものは、大いなる、偉大なる存在(天、神、守護霊、先祖、親…)から守られているのです。そう思います。それ(その愛)に気付くことが出来れば、全ての人の闇は消えて無くなる。そして、とても平和な、穏やかな愛の世界の誕生が来るのでしょうね。そのための今生での学びなのでしょうね。みんなが、気付くことができ、みんなが幸せになる、そういうお手伝いを少しでも出来ればいいな…と思っています。そのためには、まず自分の波動をあげて、自分の周りの人が幸せを感じられるようにすることからですね。何だかまとまったような、まとまっていないような気もしますが、完、です。(^∇^* 読んでくださって、ありがとうございました。みぃんな、幸せになぁれ♪♪
2004年03月20日
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父の状態は…・父母の現在父は、元気でした。そしてまた、何も疑っていませんでした。母は坊主のため、ずっと帽子をかぶっていたのですが、それに対する不思議も感じなかったのか、ごく普通に「おー久しぶりやのぉ~。もぉ良うなったんか?」と。純粋に、体調を崩して子供たちに入院させられたと思っていたようです。それでも、やはり母が居ることがウレシイのでしょう、ニコニコしていました。ただ、だいぶ状態は後戻りしていました。母がいままで努力して出来るようになっていた、車いすでの歯磨き、ガラガラペッは、ダメになってしまっていました。そしてまた、ジッと寝ているために、動く方の手の筋肉が固まり始めているらしく、動かすと「痛い痛い」と。そして、また、ずっとリハビリしてくれていた、担当の先生が出産で退職され、後任がまだ入っていないために、リハビリもしばらくお休みしてしてしまっていました。リハビリしていないということは、どうしてもその分後戻りに拍車が掛かってしまうわけで…。それでも、現在までに、少しずつ、良くなっているようです。その後、母も父も、2003年11月にままりんからわたしと母がレイキの伝授を受け、父には毎日二人で遠隔ヒーリングを、そしては母は毎日自己ヒーリングを続けているためか、二人とも顔色が良いです。母は、本当に手術したことが分からないほど、いま、充実した生活を送っています。ほんの少し、視界が不自由なだけで、腫瘍も、全然大きくなることもなく、月一度の検査でも毎回良い結果が出ています。そして、心が軽くなった日々を送っているためもあり、毎日ニコニコして過ごしています。一緒にいてとても楽しいです。心配事や、グチを口にすることも全くなくなりました。そして、見た目も、雰囲気も若くなりました。体も随分丈夫になり、風邪も一日、一晩で治るほどになりました。いままで必ず寝込んでいた母とは信じられないほど…。父も、相変わらず半身不随で寝たきりではありますが、寝たきりにもかかわらず、全然床ずれも出来ず、見た目にも血行がよいことが分かります。ここまでが長かったので、良くなるのにも、じっくりと時間を掛けなくてはダメだと思っています。それでも、2007年頃には口からうどん程度は食べることができ、車いすであちこち行ける程度までには回復すると信じています。脳内出血で死んでしまった細胞に働きかけることは無理かも知れないけれど、麻痺を起こしたり、あとから事故で障害を負ってしまった細胞には働きかけることは十分出来ると思っています。ここで、ウレシイ報告が出来ることを信じています。
2004年03月19日
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母の順調な回復・そして転院大部屋に移り、いろいろなリハビリもして、ドンドン回復してきました。のぞきに行くと、雑誌を読んでいたりすることも見られるようになってきました。自分のことは、自分で出来るようになり、本当にうれしそうでした。─わたしも長男・二男の出産時に帝王切開だったため経験しましたが、自分のいろいろなことが1人では出来ず、人の手を借りないと出来ない、特に下のことは…情けない思いが沸いてきます。自分の思い通りに自分が動ける、ありがたいことだと思います。─8月、お盆前には地元病院への転院が決まりました。このころには、ごく普通に食事も取れるし、会話も当たり前に出来るようになっていました。地元だということで、母もとても安心のようでした。この地元病院の転院先は、父が倒れたときに運び込まれ、大変お世話になった病院です。両親共にお世話になることになりました。転院してからは、本当にメキメキという感じで良くなり、本当に頭の手術したの?というまでに回復を見せ、どこにも障害も出ず、とても順調に良くなってきました。9月、岡山で、取りきれなかった腫瘍部分にガンマナイフをあてに行きました。弟が付き添っていったのですが、ここでも、何事もなくとても順調に終わりました。そして9月中旬、無事に退院出来ました。そして、まず一番気になっていた父の病院へ。
2004年03月18日
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術後の母の様子それから数日、母の病院にいました。自身の子供たちは、だんな様と義母とが見ていてくれました。日中は保育所にも通っていたので安心でした。毎日のように電話して様子を聞き、子供たちとも電話で話していましたが…。─電話で話すと、なぜあんなに可愛く感じるのでしょうね。─母は面会時間が決められていて、それぞれ2.3人で5分程度しか面会が出来ません。また、もしものことがあるといけないのでずっと誰かが待合室で待っているという状態でした。弟と二人、交代で泊まり込みで待っていました。面会といっても母はまだICUで、目を開けても見えているのか、また分かっているのかどうか…。また呼吸器のパイプも口につながれているため、声が出せませんから、話せません。それでも、話し掛けて、理解出来ているのか、うんうんと頷くこともありました。本当に、目で会話していた感じです。ICUで3日間過ごし、個室に移りました。この時には、点滴と、尿の管くらいで、あとは何にもつながっていない状態でした。話し掛けると、相変わらず、うんうんと頷きます。が、会話はできません。話し掛けてもどの程度分かっているのか、まだボーっとしているような感じで、先生が「お名前は?住所は?」と聞いても、しばらくじーっと考えて、しばらく待ってやっと答えられるという状態でした。見ていて、大丈夫だろうか…という気持ちもありました。それでも、答えは正確でしたので安心はしました。熱もまだ安定せず、術後の脳の腫れが続いているとのことでした。のちに、母に聞くと、このころのことは、ぼんやりとしか覚えておらず、先生にも質問されても、何だか答えが分かっているのに出て来ない感じで、もどかしかったようです。それでも、個室に移って数日もすると普通に会話ができるようになりました。その時に始めて先生から聞いたことですが、術後の腫れもまだあるし、一気に脳を使うことよりも、まずはしっかり休めるということで脳を休めるためのお薬が処方されていたそうです。それで、なんとなくまだボーっとしていて、眠かったのだそうです。術後すぐにドンドン良くなるというわけではなく、一進一退という感じで、ゆっくり徐々に回復していきました。髄液が鼻から漏れたり、しばらくベットの高さが上げられず、頭の位置が固定されたり、随分時間が掛かりました。母の兄や、弟嫁も協力してくれ、誰かが必ず母に付いているという状態がしばらく続きました。それでも、少しずつ回復を見せ、本当にいろいろな話をたくさんしました。自分で歩けるようになり、大部屋に移ったのは、7月も半ばだったように思います。
2004年03月17日
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母の脳腫瘍切除、大手術2002年6月某日朝8時。親戚みんな病院に集合して、笑顔で母を手術室に送り出しました。予定では、明け方まで掛かる予定。とても良い先生、雰囲気も、人当たりも良くって、教授なのに全然えらそぶってなくって優しい雰囲気の先生に掛かれて、あとはこの先生にお任せです。弟嫁と二人で千羽鶴を折り始めました。そのうちに、母の兄、母の兄嫁、本家のおばさん、弟…みんなで折っていました。不思議なことに、あまり心配はありませんでした。大変な手術をしているにもかかわらず。母の兄から母の昔の、学生時代の話などを聞いたりして、みんなで笑っていました。楽しく過ごしていました。他にも手術待ちの部屋には、何組かの家族がいました。わたしたちのように長く掛かる家族は他にはなく、みな、午前いっぱいとかで出ていき、だんだんと寂しい雰囲気に…。出産でニコニコしている家族もいました夕方になると、母の妹、母の妹主人も差し入れを持って来てくれました。ますます母の昔話に花が咲き…。大変な、大きな手術にもかかわらず、本当に、全然深刻さがなくって、いま思い返しても楽しく過ごしていました。22時近くになってくると、さすがにみんなでここに居ることもどうだろう…ということで、弟と、弟嫁が番をして(もし手術中に何かが起きると、この待合室に電話が掛かってきます)何かがあったらそれぞれに電話をしてくれる、ということでみな一時帰宅。このころには、千羽鶴も折りあがっていました。明け方、弟よりメールが入りました。無事に腫瘍はほとんど取ることができ、また脳に傷も付けることなく、縫合に入りました、と。手術は明け方、5時頃終わったようです。弟夫婦が術後に面会をしたようですが、当然麻酔も効いて眠っていますから、ただ顔を見ただけのようです。
2004年03月16日
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母の入院奇跡的な母の腫瘍発見で、それを父にどう告げるか、もしくは告げないのか。とても悩みました。いくら、現実的なこと、今のことをはしから忘れていく、とはいっても、事が事だけに、どう告げるのか…。告げたあとのフォローはどうするのか。また、母の入院・手術に伴って父のケアを誰がどのようにするのか。結局父には、母が少し体調を崩したので、強制的に入院させる…ということにしておこうと決まりました。病院の先生方も、ハッキリ現実を知らせない方が本人のためだろうとのことで…。受け止めるだけの体力・気力が今はまだ無いからという事です。父にそう告げると、もともとよく入院していた母なので、父も疑うことなく「そうか…しっかり直して来いよ」といって「さびしなるのぉ」と、ちょっと寂しそうな感じでしたが、しかたありません。そして、2002年6月、母は入院しました。最初は検査検査…が続きます。わたしや、弟夫婦(母の入院前に急遽結婚式をあげました)や伯父が介護だったり、様子見にチョコチョコ行きましたが、自宅から約60キロにある病院です。ハッキリ言って通うことも大変でした。時間が掛かるので、高速に乗って通いました。最初は、100キロなんて…ととても怖かったのですが、何回も高速に乗って、いつの間にか高速での速度が怖くなくなってしまいました(^^;ゞ入院数日後。先生より詳しい話が本人と家族にありました。かなり大変な手術のようです。時間も24時間近くになるだろうとのことでした。リスクも大変大きいものでした。もしもの時のこともありますとまで言われました。それでも、同じ手術で成功した経験のある先生です。お任せするしかありませんし、穏やかな、あたたかな感じの先生でしたので、とても信頼出来ました。脳の真ん中ということで、側頭部から頭蓋骨を切って、中の腫瘍を取り除くそうです。考えただけで怖くなってしまいます。母本人は、本当に怖かっただろうと思います。わたしたちはというと「絶対にうまく行く」と、自然に考えていました。いま思うと、ここで心配ばっかりしていると、引き寄せてしまったかも…と思って怖いですが、漠然と「大丈夫」と信じられました。母の入院中、父には、時々誰かが顔を見に行くという程度で、ほとんど病院にお任せになってしまいました。この時には、弟嫁に本当に世話になりました。義理の父親の、顔をタオルで拭いてくれたり、ヒゲを剃ってくれたり…。弟との付き合いが長かったとはいえ、結婚して嫁になったばかりだというのに、本当に、よくしてくれました。わたしや弟が母のところに行ったり来たりの間、彼女は不安だったろうし、寂しかっただろうと思います。新婚なのに、だんな様は義母の介護で泊まり込んだりしていて、すれ違いの生活だったのですから。父は全く疑うことなく「母さんは元気か?」というくらいで、わたしたちの前では、あまり寂しそうな様子を見せませんでした。意地、なのか、そういう部分が飛んでしまって、いま現在に気持ちがないのか分かりませんが、わたしたちを困らせることは全くありませんでした。そして、手術の前日。母は頭髪を剃りました。手術のための坊主です。─わたしの感想…なんか、、かわいい…でした。(^^────そして手術の当日を迎えます…が、続きはまた♪母の方は、とても書きやすいと言ったら変ですが、本当に、いまは、手術したことが信じられないほど、普通に生活しています。ほんの少し目が不自由なくらいで、傍目にも全く分かりません。レイキのおかげもあって、風邪知らずにもなりましたし、いつもニコニコしていて、若々しい感じにもなってきています。もともととても心配性だった母も、いまでは、心配するとネガを引き寄せるから…とくよくよ考え込むこともなくなったようです。娘から見てもイキイキしています。
2004年03月15日
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母の腫瘍発見で… 転院から半年。順調に、リハビリで少しずつ良くなり、また出来ることもたくさん増えてきていた父。歯磨きが出来たこと、水を口に含むことまでが出来たこと、車いすに結構長い時間座って居られること、本人もみんなも喜んでいました。この調子だと、ドンドン良くなっていきそう♪ と思っていました。近いうちに本当に自宅で暮らすことも可能かなぁ…とも。そんな時、母からわたしの携帯電話に1本の電話が入ります。何だかやたら暗い感じの声の母。??先日から左耳が耳鳴りがして、よくまわりの音が聞こえない…とのことで、父の入院先の病院で検査を受けたはず。何かあったのだろうか…。「…CT検査で頭に大きな塊が見つかったから、脳外科病院でMRI検査受けてきなさいって…」「え?」「腫瘍かもしれんって…」その時にはそんなに大したこと無いって思っていました。ところが検査の結果、かなり大きな腫瘍が、父と同じく脳幹部分という大事な部分に出来ていることが分かりました。これだけ大きな腫瘍が出来ていながら、耳鳴り以外に症状が出ていないというのは、奇跡に近いとまで言われました。けれど、言い換えれば、腫瘍はだんだん大きくなっていくもの。出来るだけ早くに取り除かなくてはならないという事です。いつどんな影響が出てくるか分からないという事です。脳細胞というものは、一度壊れてしまうと再生が効かないとのこと。よくぞこれだけで治まっていたと思います。もし、なにか症状が出ていたとしたら、その症状とは一生付き合って行かなくてはならないのです。手にしびれが出ていたら……足にしびれが来ていたら……視力に影響が出ていたら……今の元気な母はあり得ません。ありがたいことです。耳鳴り以外には何も出ていませんでしたから。また、これだけの症状で診察を受けられたことがありがたいことです。もし父が元気で、母もまだ仕事をしていたら…この程度では病院へ行くことはしなかったと思います。日々の忙しさに紛れて…。たまたま、父の入院先で介護中に、担当の看護婦さんとの会話の中で、「いっぺん内科受けてみたらええんよ。忙しいやろきん、予約してあげとくわ」と言ってもらったことがきっかけです。そして内科から、耳鼻科、脳外科へまわり…。発見されたのです。父が倒れてからの母は、ずっと側に付いていた、といってもいいほど父に付いていました。あまり体の丈夫じゃなかった母がここまで1年半、寝込みもせずにいたことが、まず奇跡なのです。父が倒れる前は、毎年、風邪のシーズンになると、一度くらいは入院をしていた母でした。風邪をひくと、ひき込む、という感じで酷くなって寝込んでしまうのです。そんな母がずっと父に付いていた。改めて考えてみると、すごいことです。腫瘍が分かり、出来るだけ早くに取り除かなくてはならない、じゃあ父はどうする…という話になっていきます。──────────父の話と、母の話を分けて書こうと思いましたが、やはり切り離せないようです。一緒に、時間の流れで書こうと思います。私自身、自分の記憶を頼りに、奇跡的な母の回復を思い出しながら♪
2004年03月14日
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義父が先ほど退院してまいりました♪今回の入院により新たにいろいろ検査して分かったことがあり、これからは、肝臓の治療に通院することになりそうです。飲酒を固く固く禁じられました。今回の入院がなければ、気付くことなく、見逃し、もっと酷くなってしまってから気付いたかも知れません。肝臓というのは、よく言われるように「沈黙の臓器」。なかなか表に出てきにくいそうです。ほんとうにありがたいことです。よくぞこのタイミングで病院嫌いの義父が行ってくれたことだと思います。(-人-)こうも、いろいろなことがタイミング良く起こることに、本当に感謝します。わたしのまわりの全てのもの達に。。。ありがとうございます。。。。(-人-)父の感謝話、後ほど(明日になったらごめんなさい)アップします。
2004年03月13日
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まず…今日、義母の本棚から、中国「気功」健康法─自然治癒力を高め、慢性病に効果のある─という本を見付けて、フォトリーディングで読みました。(今晩にでももう少し掘り下げて読みこみたいと思っています)日本気功協会から出ているモノです。1994年発行の本なのでちょっと古い感じですが、その中で、とても気になる記述を見付けましたので、ちょっと抜き出し。──── 手術室には、ピーンと張り詰めた緊張感が漂う。 いままさに甲状腺腫瘍患者の手術が始まろうとしているのであるがこの手術室の風景が少し違っている。まず、医師、看護婦以外にもう一人、気功師がスタッフとして加わっている。そして、患者はしっかり目覚めている。つまり麻酔がかけられていないのである。 やがて、患者の枕元に立った気功師が、指でピストルを構える形(剣指)をとったかと思うと、患者の印堂穴というツボをめがけて“外気”を発射しはじめた。 それから三~四分後、気功師はおもむろに右手を挙げ、執刀する外科医に合図を送る。医師は患者の喉元にメスを当て真一文字に切り開く。 麻酔を掛けずに……、想像を絶する光景である。しかし、患者は叫び声を上げるどころか微動だにしない。さらに驚いた事に出血も非常に少ない。~ 中略 ~これは1988年の秋に開かれた「第二回・中外気功検討会」の折、上海市鉄路局中心病院でわたしが実際に目にした事実である。────このほかにも、ガン細胞が縮小した話や、細菌を殺す作用があるという話、いろいろ載っています。たまたま目にした、義母の本棚で見付けたこの本。わたしにとって大きな意味がありそうです。まだまだフォトリーディングの習得の実感はないながらも、フォトリーディングで潜在意識に落とし込み、これからに活用したいと思います。しかし、義母がこういう本を持っていた事にも驚きです。あちこちに書き込みがあり、義母も目を通して勉強していたという事が伺えます。やはり、このことにも、大きな意味があるのでしょうね。わたしのこれからにますますo(^o^)o ワクワクします。それでは、随分お待たせしましたが 感謝父話の続きをアップします♪゛────事故で何が起こった?・転院この事故により、父は、また多くのものを失ってしまいました。一番大きく、わたしたちもがっかりしてしまったもの…それは、食べ物を飲み込む神経をつかさどる部分が、ヤラレてしまったらしい…ということでした。せっかくいろいろな物を食べられるようになってきていたのに、それが断ち切られてしまったのです。うどんが食べたい、という父の思いも虚しく…。事故で、どこがどのようになったのか、という事はハッキリ分かりませんが、やはり、頭を下にさげていた、という事が大きいらしく、少しではありますが、脳の一部分が影響を受けてしまったようです。それから、いままでにもリハビリを続けていますが、この「飲み込む」ということが出来ません。その部分が麻痺しているようです。なので、口に入れた物が、食道に行かず気道に入ってしまう、という事もあるわけで、それは、命取りになってしまいます。もともと、口数の多い人ではないのですが、倒れてからは、理性の部分が飛んでしまったのか親父ギャグともいえるジョークを飛ばしたり、心配性の部分が顔をのぞかせたり、いろいろな父を見せてくれました。笑顔もありました。本当に助かっているのが、倒れてから一度も泣き言、悔やみ事を言ったりしないことです。そういう部分も飛んでしまっているようです。一度だけ「あそこであんなに無理せんかったら良かったんやなぁ~…」と言っただけであとは全然そういうことを言いません。だから、自暴自棄になってしまう…とかそういう心配はありません。それでも、このころは、見ている方が辛かったです。それからは、ずっと寝ている状態ではダメなので、とにかく体を起こし、少しでも車いすに座っていられるようなリハビリや、もうすでに筋肉の緊張が始まり硬くなり始めてしまっている、動かせる方の手足のリハビリを毎日頑張りました。やる気もなかなか出ないのか、そういう部分も飛んでしまっているのか「頑張ろうな」と言うと「おー!」というのですが長続きせず「痛い痛い」の連続です。そんな中でのリハビリでした。私も二男も連れて、リハビリの様子を見に行ったり、ハッパを掛けたりしました。やはり、目の前に孫がいて、という状態は、張り合いが出るというのか、頑張れるようでした。そんな日々を過ごしていた頃、リハビリ専門の病院に転院してはどうか…という話が出ました。もうすでに倒れてから1年が来ようとしていました。あまり長期間は同じ病院でいられないようです。転院という事になれば、その時自宅から介護のために通院していた母にはかなりキツイ状態になります。この時の病院は自宅から車で5分という好条件の地にありました。転院先を決めるのに、数ヶ月いろいろと迷いながらもなんとか決まりました。母も、介護のためですが、週に数回、病院に通院する人のためのバスに好意で乗せて頂けることになりました。そして、転院。慣れない病院、知らない顔ばかりで最初は心配顔だった父ですが、徐々に慣れ、最初は泊まり込みをしていた母も、そのうち週に数回通う程度になっていきました。リハビリも頑張って、ほんの少しずつではありますが回復を見せ、車いすに座って、洗面台のところで歯磨きを自分でし(仕上げ磨きは必要ですが)ガラガラペッも、飲み込まずになんとかこなせるまでに回復しました。話も、このころには大体の会話が理解しながらでき、相談事もでき、頼れる父に少しずつ戻っていきました。言語のリハビリも、飲み込みのリハビリも頑張ってこなしていました。わたしの前で、車いすに座って、通路の手すりを自分でつかんで手元に引き寄せながら前に進んでいく…そういうことも見せてくれました。少しではありますが、頑張る、という意欲を見せていたのです。そんな時に、また辛い出来事が発生してしまうのです。──────今日はここまで♪この期間は、アップするのも、ちょっと辛い状態でした。長い期間、なかなか進まない父のリハビリにイライラしたり、心配したり。やる気を見せない父に──イヤ、やる気はあるんです、ただ、それが長続きしないだけで。そんな父に、落ち込んだりもしました。これ以上良くなることはないんじゃないか、とか、悪いことも考えました。それでも、徐々に回復を見せてくれた父に、安心していました。このまま良くなるって思っていました。それが、また崩れてしまうのです。本当に山あり谷ありの日々です。次回アップ予定──母の腫瘍が発見されます。母の方と重複しようかと思いましたが、まずは父の話でまとめます。母の腫瘍発見で…・母の入院中、父の様子
2004年03月11日
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長男の熱、スーッと、それこそ嘘のように夕方には下がりました。39度越えていたのが、信じられないほど。板にカキコいただいたみなさま、ありがとうです☆昨日は、帰宅後、グズグズ言いながらでも、夕方までほとんど寝て過ごしました。食べるモノもなにも食べたくないとのことで、夕方までは、ほとんど何も口にせず。機能性飲料?をほんの二口飲んだ程度で。自然が一番良い、いま体の中で戦っているんだ…と長男にも話し、ただただ、眠りました。この発熱は、わたしに大事なことを気付かせてくれました。ここのところ、長男に対して愛情表現が以前に比べて減っていたこと、ハッとしました。最近では「手をつなごう」と言っても「やだよ~」と逃げていた長男。何かあっても「とーちゃんの方がええ」と、父親の方ばかりにくっついていた長男。その裏側の気持ちを読み取れていなかったようです。幼稚園も年中さんになると、自分の気持ちを素直に表現することに少しの照れがあるのでしょうか、あまのじゃく状態になるようです。それを目の前の、そのまま見えるだけの、言葉だけのモノを受け取って、何も気付いていなかったのですね。病院で、しんどそーぅにしている長男を、膝枕するように膝の上に横に寝かせ、最初は抵抗しながらでも頭にレイキを流し。そのうちお腹が気持ち悪い…というので膝の上に座らせて、後ろから抱きかかえるようにして、お腹にレイキを流し…。眠っている時にも、添い寝をして、頭にレイキを流し…。とにかくたくさん話をして状態を聞きながら、対処していく中で、長男もだんだん素直になっていきました。夕方、ついに「抱っこ~」が出ました。(^∇^* そのころには、熱はもう37度台に下がっていて、夕食もお粥さんをしっかり子供茶碗に2杯食べました。カボチャの味噌汁も、しっかり飲み干しました。愛情不足のサインだったのかも知れません。いちばん大事なことをタイミング良く教えて頂いたという事ですね。最近本当に、周りとの調和というか、生かされている、守られている、ということを感じます。また、思います。大地(地球)、太陽、宇宙、生物、植物…そういう全てのモノと、想い想われている感じがあります。全てのモノに、見守られ、想われて・・・それに気付きわたしからも想い返すことができ、ほわほわとした幸せ感に包まれている気がします。本当に、いろいろなことがとてもタイミング良く起こるということを、最近とっても実感しています。「全ての事は、その人に、ベストなタイミングで、ベストな状態でやってくる」それが、最近はとても密度が濃いという感じです。そうして、自分自身が幸せに包まれているから、周りも自然といろいろな浄化作用が起こって、ベストなタイミングでいろいろな事が起こっている。そういう事のようです。この週末に、だんな様と夫婦喧嘩がありましたが、これもとても良い結果が出ました。お互いが、お互いの気持ちを素直に穏やかに言いあった結果、とても、良い雰囲気になりました。わたしも、だんな様にかなり甘えている部分がある事にも気付きました。また、まだまだ「こうしなければ」という固定観念のようなモノに縛られている事にも気付きました。日々、いろいろな事に気付かせて頂いています。本当に、感謝!! (-人-) です。ありがとうございます。
2004年03月09日
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長男が発熱しました。朝、「今日熱ある。休む」と言ったのですがちょうど姪が泊まりに来ているし、月曜日なのでそういう気持ちから言っているのかなぁと思いつつ、「そしたら病院行って見てもらって、風邪やったら注射やお薬飲んだりせないかんなぁ」「いや」とのことで、その時は熱を測ってもなかったので、幼稚園に送っていきました。二男を送って、保育所の避難訓練に参加し、帰宅途中に幼稚園の先生から電話。39度1分あるとのことで、すぐに迎えに行き、病院に行き、現在は、寝ています。これだけの熱が出るのも珍しいことですが、幸いインフルエンザではありませんでした。お腹が痛いと言っていたので、便の状態を見るために浣腸をしたのですが、初めての経験で「痛いよ~怖いよ~」と半べそ。トイレでも、「ウンチじゃなくて、オシッコが出たよ、なんで?怖い~なになに~」とまた半べそ。でも、必死で訴えるその目を見て、可愛い…と思った親のわたしって…ヾ(・・;)ォィォィちょっと1日通してぐずり気味です。いまから二男のお迎えに行きます。その後、義父の代わりに犬2匹の散歩をして、晩御飯、風呂…。今日のアップは無理そうです。今日の1日を通しても、とてもいろいろなことのタイミングが合っているのでそれだけアップしようと思いカキコしています。まず電話が掛かったタイミング。もう少し早かったら、出れなかったし、もう少し遅かったら家まで帰っていたし。病院のタイミングも、月曜日で、午前中の一番込んでいる時間帯にもかかわらず、電話して予約を取ろうとしたら、すぐにおいでなさい、と言ってもらえました。病院でも、もうそろそろかなぁと思うと呼んでくれたり。うまく、タイミング良く物事が進むと、とっても気持ちが良いです♪長男も、しんどいと言って寝てはいますがレイキも流し、すぐに良くなると信じています。あと少しの3学期。今学期で転校する子もいて、残り少ない日々を充実あるものにしてあげたいとも思うので、しっかりレイキも流して、早く良くなって欲しいです。楽しみに待っていてくださる方には申し訳ないのですが、明日には、アップ出来る…と思いますので♪わたしのまわりを創っている、全てのモノや、人・・・全てに感謝します。ほんとうに、ありがとうございます。
2004年03月08日
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急にだんな様から電話があり、もう少ししたら食事に出掛けることになりました。タイムアウトまで出来る限り書きたいと思います♪。。。なんとか書き上げることが出来ました♪行ってきまぁ~す♪────────────言葉での意思疎通・事故それからの父は、ドンドン回復を見せてくれました。まず、少しずつ声が出てくるようになってきました。最初は聞こえるか聞こえないか程度の「あー」とか「おー」とかの返事でした。先生が「お腹に力が入りにくいので、声を出すのもとても力がいることなんです」と言うように、ほとんどかすれ声で、以前のようなハリのある声は出てきません。(現在もまだまだ…です)父の口元に耳を持っていってやっと聞き取れるくらいの声でしたが、少しずつ少しずつ単語が出てくるようになり、こちらの言っていることに理解を示して、単語で受け答えをするようになってきました。また、年末に、母が年賀状を書いていた時に、ふと視線を感じて振り向くと、父がじっと見ていたとかで、視線も、焦点も、ちゃんと合い、母の目をじっと見て何か言いたそうだったそうです。春頃には、議会関係の、父しか分からない話を、眠っていると思われる父の横で話していた時に「それは○○に置いてある。持って行って○○してくれ」というようなことを伝えてきました。相手の話している内容も、ちゃんと理解して、過去の記憶もハッキリ覚えていました。♪♪母と一緒にとても喜びました。♪先生からも、脳のやられた場所が場所だけに言語障害とか、記憶障害が出てくるのではないか…と聞いていたからです。──ただ、いまでもそうですが、いま現在、ここ数日の記憶、そういった新たな記憶は難しいようで、いま自分が病院に入院しているということを忘れて「父さんも行くきん、ちょっと待ってくれ」とか言って、家にいるような錯覚を起こしている時があります。また今日が何月何日、ということもなかなか理解出来ないようです。──少しずつ少しずつの進歩ではありましたが、ごく普通に、会話ができ、相談事まで出来るようになってきました☆これには、先生もビックリ!!経過がよいので、そのうちに、食事をしてみますか?ということになりました。そう、ずっと口から食べていなかったのです。最初はおもゆから。初めての時、父は、本当に美味しそうに味わって食べ、ほんの少しであったおもゆはあっという間になくなり、もっともっと欲しそうでした。しかし、ゆっくりゆっくりと、少しずつ増やしながら、試しながら進めていきました。見ていて気持ちいいほど、美味しそうに、ゆっくりゆっくり味わって食べる父。食べられることが本当にありがたいと思いました。少しずついろいろなゼリー状、ドロドロ状の物が付いて来るようになり、いろいろな味を味わえるようになってきました。といっても、例えばお茶をゼリー状にした物とか…。(;^_^薄めたカボチャスープにとろみをつけた物とか…。ゴックンと飲み込むことが、なかなか難しいのです。とろみをつけたり、固めたりで少しでも飲み込みやすくするのですが、おもゆとおみそ汁も、量はそんなに食べられず、時間もかかり、やはり半分は流動食に頼っていました。わたしたちでも意識して飲み込もうとすると、なかなか飲み込めない、あの感じでしょうか?それでも、やはり香川で生まれ、育った父です。讃岐うどんを食べて育ち、自分で店を持つことも、考えたりしていた父です。やはり、うどんが食べたいようで、前向きの気を見せていました。そして、口から食べることが出来るようになって、声も少しずつ戻ってきたようでした。少しずつ大きな声になっていきます。(といっても知れていましたが)また、時々車いすに乗って病院内を散歩もしていました。だんだんとしっかり座れるようになってきました。時間もだいぶ座っていられるようになってきました。日中もだいぶ起きていられるようになり、母といろいろな話もしていたようです。みんなでそんな父の少しずつの進歩を喜び、安心し始めていた頃、チョットした事故が起こってしまいます。このころには、父の状態もかなり安定してきていたので、母も自宅から通いで付き添っていたし、弟もいつまでも休んでいるわけにはいかないので仕事を始めました。夜は、父は一人で眠っていたのです。この一人の夜中にチョットした事故が発生してしまったのです。安心しきっていたその夜。その時の父は、左半身麻痺で体が自由にならないながらも、ほんの少し右手、右足が動かせる状態でした。それが…。夜0時頃の見回り時には、よく眠っていたそうです。4時頃の見回り時に、父は、ベットから上半身を滑り落とした形で発見されました。頭が床につきかけだったそうです。どのくらいの時間そうしていたのか分かりません。あとで父に聞くと、布団を直そうとしたようです。それが、うまく動かない手足だけにドンドン布団が滑り落ちて、自分自身も体を何かにつかまって支えることも、突っ張ることも出来ない状態なので一緒に滑り落ちていったようです。この事故が、この後大きく影響を与えます。────────今日は、先生までもがビックリした、奇跡でした♪いまでも、この先生に会うと言われます。「○○さん。話できるまでに回復したんやもんなぁ。ほんま、うれしいわぁ」と言うようなこと♪土日、アップできるかどうか、ちょっと不明です。頑張ってみますが、もしかすると、月曜日になってしまうかも知れません。楽しみにしてくださっている方々、ごめんなさぁい m(__)m──次回のアップ予定事故で何が起こった?・転院
2004年03月05日
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遅くなりましたぁ~。第3話のアップでぇす♪────────── 聞こえている?!・赤ちゃんの顔見せ 術後40度ほどの熱を出したりしながら、何とかまず、危険と言われた2日を越えました。その後も良くなったり、悪くなったりを何度も繰り返しながら、2ヶ月ほど後には安定状態にまでなりました。ただ、父はずっと眠ったまま(意識不明)でした。手術直後は、取り外したままであった頭蓋骨の右頭頂部分も、しばらくして落ち着いたので、元通りに取り付ける手術もしました。頭部から体内にバイパスを通す手術もしました。その間、母はずっと泊まり込んで、側に付いていました。下の弟も母と交代でずっと付いていました。わたしも毎日顔を見に行きながら(父はどうなるんだろう…)と思う日々が続きました。そんな日々を過ごしながら2ヶ月を過ぎた頃、父の枕元でわたしたちが話している時に、閉じている父の目の、まぶたの中の目玉がピクピクッとハッキリ分かるほど動いたのです!ただ眠っているだけではなかった。ちゃんと父も起きる努力をしている!以前何かで聞いた「意識不明の植物状態の人でも、まわりの音や、喋っている声はちゃんと聞こえている」という話を信じて、父に話し掛けていて良かったぁ~と思いました。それからは、手を握ったり、さすったり、声を掛けたり、先生も「どんどん刺激を与えてください」とのことで、毎日みんなでかわるがわるに刺激を与えていると…。目を開けたのです!うっすらと。先生の話では「目を開けるというのは、かなり力のいることなんです。いま本人は開けよう、開けたいと頑張っているのですが、すごく力のいることなんです。」と言われました。話し掛けると、うっすら目を開く、という日々がまたしばらく続きました。ただ、視線は真っすぐ前のみで、周りが見えているのかどうかも分からない状態でした。焦点も合っていません。そのころ、わたしも出産日が近づいていました。長男が帝王切開だったので、二男も帝王切開で、11/27に産むということが決まっていたのです。その前に、何とか少しでも意思疎通できないものか…と思っていました。そんな思いが通じたのか、わたしの入院前にはまぶたをしっかり開けることが出来るようにまでなりました。ただ、視線は動かず、焦点も合わず、でしたが。この後の経過を見ていたかったのですが、わたしは二男出産のために、産婦人科に入院します。無事に二男を出産し、12/7、帰宅途中に父の病院に寄りました。父にも、母にも、孫の顔を見せるためです。約二週間、どんな変化があったのか、ほとんど知りませんでした。ただ、この日のこの時間に病院に寄ることは弟の携帯電話に掛けて伝えてありました。病院玄関前で車を降りると…玄関内扉の前に、車いすに乗った父がいました!!母が車いすを押し、父も、しっかり座っています。下をうつむき、という状態でしたが、父の目もちゃんと開いていました。父の視界に入るように、二男を抱き、父の膝の上に乗せるような格好で「お父さん、Uちゃん無事に生まれたよ。」と言いました。やはり視線は真っすぐ前で動きませんでしたが、なんと!!かすかに、頷いたのです!!!意思疎通がわずかながら出来るようになっていたのです!!もう、どう言って良いのか分からない感情でいっぱいになりました。胸がいっぱいというのはこういう状態を言うんだなぁと思います。倒れてから3ヶ月。意思疎通が出来るまでに回復しました。ここから、少しずつですが、ドンドンドンドンと、良くなっていきます。それはまたのお話…ということで♪ 今日はここまで。──次回のアップ予定言葉での意思疎通・事故
2004年03月04日
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父の第3話の前に…メチャメチャうれしいことが起こりました♪♪ヾ(@^▽^@)ノ今日はそれを書きたいと思います。っていうより、黙っていられなぁい(o^-’)v午前中、あしたの二男の保育所のお別れ遠足のために、いろいろと買い物に出ていたのですが、弁当材料、水筒(持っていたのが壊れたので)などを買いに回ったのです。が、水筒を買う予定のいつもの店が閉まっていたのです。それで、まだ10時前だったこともあり、サティは開いてないなぁと思い、なんとなくホームセンターにあるかなぁ~と、ディックに行ってみたのです。そこで、あるモノを発見!!メチャメチャ欲しかったある歌手のCDです。AB(本当はBの字がひっくり返った文字)BA─アバ─というグループを知っている方、いらっしゃるでしょうか?わたしが高校時代、そうですね、もう20年近く前にとても流行った歌手(洋楽)だと思います。当時、下校時にチョコチョコ寄っていた雑貨屋さんで、店のラジカセでかかっていて、ダビングしたのか、そのものをもらったのか分かりませんが、とっても気に入って、お店の人に言ってもらったのです。とっても気に入って何度も何度も聞いていたのですが、ある時家が火事に遭い、カセットテープも溶けてただの塊になってしまったのです。何とかこの歌手の音楽を聴ける媒体が手に入らないか…と探しましたが、見つかりません。引退したか、何か、よく分からないながら、廃盤だとかでレコード店で取り寄せも出来ませんでした。そんな状態であきらめていました。それから10年以上もたって、リバイバルだとかで、ある番組でこのアバの特集をしているのを見ました。ここ1年以内です。うわぁ~懐かしいなぁ…。と当時の思いや、いろんなものが押し寄せて、欲しいなぁとまた思い出しました。でも、無い、と思い込み探すこともしていませんでした。それが、今日。突然目の前に現れたのです。それも、ベストアルバムで、当時のテープの内容によく似ているようです。購入後、すぐに車のデッキで流して、走りながら聞き、感謝の思いなのか、懐かしさなのかダァダァ泣いてしまいました。車の運転が出来ないほど。車を止めて、泣きましたf(^^;ゞもう、本当に、うれしくてうれしくて。それから、帰宅後の母屋二階の掃除中も、さっきまで、子供とのワークの間も、ずーーーーっと流していました。本当に、懐かしくって懐かしくって。(T^T)ウルウルうれしいです。ありがとう、ありがとう、ありがとう!!!もう、感謝がどうとかいうより、ただ「ありがとう!!」です。こういう事が起こると、本当に、なんでも可能、というか、なんでも良いように起こる、って本心から思えますね。ドンドン良いことが起こってきそうです。(^-^)もしかすると、この引き寄せたのは、昨日の効果なのかなぁという気もしますので、昨日の楽しかった1日をも振り返ってみます。昨日、実母の税金関係の書類を取りに行くために、母を乗せて、ちょっとわが家からは1時間ほどのところまで出掛けていました。その帰りにお昼の食事を取ることになり、ある店に入りました。以前に食べに寄ってとても美味しかった所です。ところが、今回は、メニューを見ても、品数も(なんとランチメニューということもあるのか5品でした)少なく、思っていたような料理がない。それに、刺身などの和食が食べたかったのですが、洋風ばかりでした。これ食べたい、と思うようなモノがなかったんです。どうしよう…と思っていたのですが、何となく、無理に何かを注文して、嫌々食べるよりも、ここは、潔く店を出よう、という思いが沸きました。そこで、この店には申し訳なかったのですが、この店を出て、車で少し走りました。ほんの15メートルほどのところに、良い雰囲気のお店発見。二人とも「ここ、いいなぁ」ということで、決定。ここが、本当に美味しかったし、安くって、でも、品の良い、食べたいモノをお腹いっぱい頂きました。店の中の雰囲気もとても良かったんです。二人で、これは、前の店を出て正解だね。この店の良さを引き立たせるためもあったのかなぁ…なんて言いながら帰途につきました。帰宅中の道沿いに、ある美術館を発見。あら、懐かしい…。そう、以前、もう10年くらい前にわたしが行ったことのある、抽象物をいろいろ飾ってある美術館でした。「時間もあるし、行ってみる?」「そうやなぁ、なかなかこっちの方には、来れんしなぁ」と言いつつ、中に入り、「こういう絵は、難しい、っていうか、分からんなぁ」なんて言いながら、美術品を見て回り、また、帰宅の途につきました。しばらく走り、海が見えてきました。「下りて、見てみる?」という言葉がどちらともなく自然に出ました。なんだかとっても色合いといい、景色といい、天気も良いし、とてもキレイだったんです。しばらく海を見て、帰途につきました。母を送り、家に帰り…。ああ、本当に楽しい1日だったなぁ、と思いつつ、日記をアップし、自己ヒーをして寝ました。とにかく、充実した1日でしたね。それに、ふと思い付いたことを次々に実行に移した日でした。このふと思い付いたことをそのまま実行に移すという行為が、良かったのかなぁ…と思います。とにかく、とってもうれしくて、うれしくて、今日は、これをぜひとも紹介したくって、父話を期待していたみなさま、申し訳ありませんm(__)mあしたアップします♪
2004年03月03日
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帰りましたぁ~♪お出掛けのついでに、いろいろ楽しんでも来ましたが、それは後ほど…──────────前日・なんで…前日(9月4日)わたしは産婦人科での診察の後で実家へ寄りました。お腹の二人目の赤ちゃんの性別が分かったので、報告もあってでした。また、父が精神的に、板挟み状態になっていることも気になっていました。病院近くのあるたこ焼き屋で、評判になっていた「マヨタコ」をお土産に、実家へ。庭で伸びていた木の剪定をしていた父も「お~旨そうやのぉ」と入ってきました。母と、父と、3人でたこ焼きをつつきながら、何のこともない話をいろいろしつつ、「どんなんな?」「ん~まぁ焦ったってしょうがないわ。どうすることも出来んわなぁ…」との会話も。この時、悩んであまり眠れないこと、ほとんど食べられないことも、全く知らず…。そういえばマヨタコも、あまり食べていませんでしたが、暑いからか、夏バテかなぁ~ぐらいで、そんな状態だと思いもせず。「お腹の子なぁ、男の子やって」「お~そぉかぁ~(^^) 男の子二人やったら兄弟喧嘩も出来るし、同じ遊びが出来るし、いろいろええのぉ。」「元気に動きょったわ」「そぉかぁ~(^-^) 安心やのぉ」そんな会話もしつつ、ホノボノとした時間を過ごして、私は帰りました。その翌日、わたしは洗髪・ブローが大変な状態になってきたため、美容院で髪をカットしていました。携帯電話が鳴りました。1度目は、だんなだろう…またかけ直そう、と出ませんでした。(手荷物は預けていたし)再び携帯電話が鳴りました。タイミングよく、カット終了後でした。美容院の人に言って携帯電話に出させてもらいました。だんなからでしたが、なんだかなにを言っているのか、要領を得ません。誰かから電話があったと言っているようです。「誰から、何言うて電話があったん?」「実家の本家のおばさんから、実家のお父さんが倒れた言うて…」「なんで?え?お父さんが?いつ?それで?」そんなことを聞いたと思います。父のいまの状態は全く分かりませんでした。そこからしばらくは何をどう話したのかはっきり覚えていません。ただ、救急車で運ばれたこと、どこに運ばれたのか確認を取らなくてはならないこと、弟に電話しなくてはいけないことなどが分かりました。それから、地域消防?に電話を掛けて、実家からの救急車がどこに向かったか訪ねました。たまたま運ばれた病院のすぐ近くの美容院だったので、だんなにも電話を掛け、病院名を告げ、わたしはすぐに向かいました。病院では、すでに親戚が集まっていて、なんだかただならぬ雰囲気を感じました。そのうちに、救急室から母が出て来て…。その日は、母方の亡くなったおばあちゃんの100日でした。母がパートを終えて帰ってきたら、一緒に母の実家に参りに行こう…と約束していたそうです。それで母はいつもより30分ほど早く仕事を終えて帰ってきたそうです。帰ってきて、家の下の坂道を上がった所に、父が倒れていたそうです。それで救急車を呼び病院へ──。現在、意識はなく、この後もどうなるのか分からない…という状態でした。たまたま居合わせた、週に一度来ている、評判の腕の良い先生が手術をしてくださるとのこと。あと15分遅かったら帰っていただろうとのこと。すごいタイミングいい!!かなり危ない場所の脳血管が裂けたようで、脳の大事な部分に血液があふれ、脳を押しつぶしている状態だと言われました。とにかく一刻も早くこれを取り除き、出血部分を見付け、出血を止めなくてはならない、とのこと。あとから聞くと、あと少し遅かったら、意識の回復はダメだっただろうと言われました。瞳孔もほとんど開いていたそうです。いまさらながら、ゾッとします。良いタイミングで運ばれました。もう少し遅かったら…要するに、植物人間です。手術をすぐに開始していただき、5時間ほどで全てとはいかないまでも、血の塊はほぼ取れたようです。ただ、脳の中でも一番大事な脳幹部分がかなりヤラレているので、この後の回復は…と伯父は言われていたようです。術後、目の前を頭に包帯ぐるぐる巻きで病室に運ばれていく、眠っているような父を見ながら、どことなく、現実感はなく、父であって父でないような感じでいました。この後どうなるのか、どうすればいいのか見当もつかず…。ただ、わたしは、その時妊娠中。7ヶ月ぐらいだったと思います。安定期で良かったです。赤ちゃんや母胎にもしもの事があったら…ということで、わたしだけとにかく家に帰り、連絡待ちとなりました。現実感のなさからか、妙に落ち着いて冷静な自分がいました。いま思うと、漠然と、大丈夫だと思っていたのかもしれません。そういう気持ちだったような気もします。自宅に帰り、ウトウトでしたが眠れたのですから。────────とにかく長い話になるので、今日はここまで♪これだけでも、タイミングの良さがそこここにあります。たまたま偶然、は、必然。大変な出来事が起こりましたが、その中でも、とても恵まれていました。──次のアップ予定は 聞こえている?!・赤ちゃんの顔見せ です──そして…訂正です。偉大なる先祖は父のおじいちゃんでした。勘違い~でした。(;^_^A アセアセ父のおじいちゃんのおじいちゃんも○太郎と言いますがとってもまじめで、よく働く、倹約家だったそうです。
2004年03月02日
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先日、母といろいろ話をする中で、私の父のおじいちゃんという人のことを聞きました。この話を聞き、この人が築いてくれていたことがあるから、父や母の奇跡があったのではないか…と思い、感謝で泣けてきました。そこでこの話を日記でアップしようと思ったのですが、とにかく長ぁぁぁーーい話になるのです。父と、母の、いろいろな出来事、現在までをたどることになってしまいます。これを話さないことには、この感動・感謝の深さは分からないと思うから。チョットだけ言うなら、この父のおじいちゃんという人は(○太郎と言います。以後○太郎で通しますね(^^とても、大きな人であったこと、自分の利を求めない、与える人であったこと。これだけで、何となく分かるか…と思います♪父という人、父が倒れた時の様子から現在までの決して平坦ではなかった日々を、そして奇跡の出来事を、書いていきたいと思います。わたしたちの、この『今』は、わたしたちの先祖、親たちが築いてきたくれたモノの上に成り立っている、それを実感し、感動し、感謝し、泣けてきました。先祖が築いてきてくれた事を『今』のわたしたちの『生』に活かしていきたい。天と、わたしたちの先祖・親とが、今までに築いてきた事って、大きいのではないか…と思っています。──────────父という人・きっかけ正義感がとても強く、真っすぐで、正直で、まじめで、自分にも他人にも厳しい人。でも、なかなか表に出しませんが、とても思いやりのある、優しい人でもありました。いわゆる、昔の親父さん、頑固オヤジです。父の正義感のエピソードとして、地元では有名な話があります。わたしの成人式の日です。父は、町議をしていた関係上来賓席に出席していました。式後、記念撮影も終わり帰途につく人々がゾロゾロと…。そこに問題発生。見るからにヤバそうな黒塗りのスモーク全面張りの車が3台連なって、出口を塞ぐような形で止まっています。誰も、言いに行ける雰囲気ではなかった…。ただ黙って、持ち主が現れ、出ていってくれるのを待つばかり。そこに父登場。「おい、これ誰の車や!こなんとこに止めとったら誰っちゃ出られんやろが!」そして、持ち主が現れ…何事もなく、父の誘導で、その車は出ていったのです。まぁ何事もなかったから良いようなものの、わたしの心臓もバクバクでした。こういう出来事に黙っていられない父。議会でも、当然、バンバン発言します。それを良く思っていない人たちもいました。2000年春に60歳で仕事を定年退職し、これから議会の方に本腰が入れられる、とまだまだ直していきたい事がたくさんあったようです。せっかく定年退職したんやから、もう少しゆっくりしたら…という声は、父の耳には届いていないようでした。そんな時に、ある事件が持ち上がりました。わたしから言わせれば、ハメられたのです。(これは詳しくは書けません、ごめんなさい)当時妊娠初期だったわたしには心配を掛けたらいかん…とわたしには内緒にされていたようですが、この時父は、眠れない、食べられない日々が続いていたようです。プライドを傷つけられ、でも「分かってくれる人は、ちゃんと分かってくれる」「今までのワシの信念をしっとる人は、惑わされへん」と言いつつも、かなりキツイ日々を過ごしていたようです。(気付かないわたしもわたしですが…。)そんな日々を3ヶ月も続け、ついに父は倒れてしまいます。──続きは、明日(たぶん)アップ予定です。 悲しい話に見えますが、ちゃんと父も、守られていて、 この後、奇跡の出来事が、たくさん続きます。──
2004年03月01日
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