AD79年8月24日 ベスビオス火山が大噴火し 一昼夜にわたり火山灰が降り続きました。
翌25日 火砕流が発生しポンペイの町は一瞬にして地中に埋まってしまった。
火山灰はその後も降り続いたそうです。
↑ ポンペイの町へ入る急勾配の坂道 写真の左下あたりは船が着く港だった。
↓ 広場から見えるベスビオス火山 
当時町の人口は2万人ほどでした。
市民の多くは火山噴火後 ローマなどに逃れたのだが 火砕流が発生した時に市内に残っていて助からなかった市民も多くいたそうです。
ポンペイに財産を持つ者(お金持ちの)は置いては逃げられないという事情もあったとか。
(ガイドさん 曰く 家を留守にしたら泥棒が財産をもっていくから。。><)
1748年 ナポリ王 カルロ7世が発掘をはじめ当時の町が遺跡として蘇りました。
神殿 野外劇場 円形闘技場 公衆浴場 裁判所 銀行(両替商)共同トイレ 娼婦館
パン屋 八百屋など続く商店街 など等。。近代に近い水道施設も出来ていました。
石畳のメインロードには石と石の間に白い光る石を散らし込み月明かりの夜道でも道路が光るように工夫されている。

↑ 神殿跡
↓ パン屋のかまどと粉引き臼

↑ バール(居酒屋)のような食堂のかまど
↓ 円形野外劇場(ぐるりと円形が残っている)

↑ 円形闘技場 まわりには小部屋たくさんあり 戦いをする猛獣 戦闘士や奴隷が
生活していた。
↑ ↓ 大邸宅の壁画 と灰に埋もれた死体のレプリカ
ポンペイの町が壊滅後は再び町が作られることはありませんでした。
火山の驚異と共に古代文明の高さに驚くばかりです。
そして同時期の日本は と言えば 弥生式の穴居住生活をしていたのだからカルチャーショックの連続でした。
火砕流の怖さは日本でも起こり 身近な災害として知識の中にありましたが ひとつのまちを埋め尽くしただけではなく回りにも被害を及ぼしていることも調査に残されているそうです。
また 噴火時には地震があり地面が大きく揺れたこと 海の水がみるみる引いていき
大きな波が起きたことも残されているそうです。
ヨーロッパ人は”津波”の知識も言葉もなかったようです。
一時間半余の遺跡見学は歩いて歩いて。。広い敷地内を見て回りました。
それでもまだまだ発掘されず残された場所があるそうですが 資金の掛かる事で思うようには進まないようです。

疲れた体に生オレンジジュースをググッと補給して~最後の宿泊地 ローマへ向かいます。
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