2006.11.09
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テーマ: たわごと(27741)
カテゴリ: つぶやき
ここに来て、虐めがアンタッチャブルな領域になりつつある。
正確には「被害者への対応」が、というべきか。

ようやく「虐められる側にも問題がある」から「虐められる側にも問題があるという偏見だけは持たないでおこう」という方向に比重が移ってきたことは良いことなのだが、世間というものは概ね、こういったことには過剰に反応してしまうものである。

結果的に、「虐められる側は絶対被害者」となり、事実関係の検証というごく当り前のことすら「実際に被害者の声があるというのに疑うのか」と糾弾対象となってしまうのである。

その危うさは、既に「日本軍の悪行の検証」や、「痴漢の冤罪事件」で経験しているというのに。

これまで虐め問題では被害者の意識や人格を尊重しなさ過ぎた。
その反動で出てくるものといえば、前出の二件の時と同じように、「被害者至上主義」である。

被害者の気持ちに立つことは人として尊い。人は誰しも人の気持ちが解かる人間でありたいと願う。
だが「被害者の気持ちに立って」と宣い、我こそは「人の気持ちが解かる人間」と言いたげなだけでは所詮見てくれだけである。


被害者の側の就くことは心情的に楽である。加害者を責められる立場に就くことは溜飲が下がり痛快である。
だが安直にそれに向かうのは思考停止以外の何物でもないことに注意されたい。

被害者の味方に就くことを悪いと言っているのではない。
必要なのはまず初めに事実の検証であり認識なのである。

それを忘れてしまうと、捜査なき起訴、弁護なき裁判となってしまう。
真実を追求する姿勢を、そのシステムを、根本から崩壊させてしまうことになる。

ブログ界ひとつ見渡しても些細なことに我鳴り立てながら怒っている人たちがいる。
既に自殺を決意していた人が、たまたまその日腹を立てただけの相手をも、怨みの対象の一人として遺書に書き連ねないとも限らない。

世の中には妄想癖のある者やストーカーだっているのだから、そういった類の人間が虐めによる自殺の被害者と成り得ることも想定しておかなければいけない。

「虐め」とは、あくまで総称であり、大分類であることを忘れてはいけない。
よって「虐めの問題」などと一括りにし、解決策をあたかもひとつのノウハウを構築するかのごとく話すことすら間違いである。



それを踏まえれば、学校や教師にそれだけの時間も能力もないことがわかるだろう。

つまり被害届けが出され捜査され起訴され裁判が行われ判決が下されるのであるから、調査機関と司法機関の役割が必要なのである。

虐めは人権蹂躙という犯罪であるのだから、それをそのまま現行の警察、裁判所に委ねることも一つの方法だろう。
しかし相手が子供でもあるのだから、以前にも書いた通り、間に虐め専用の調査機関を設けるかである。

学校の責任は「虐めの疑い」を見つけただけで、通達すればその件については手を離れたことになる。


学校内のことに一般人が介入不可能なのを良いことに、なんでもかんでも学校や教師に責任を押しつけ過ぎだったのだ。
虐めが無かった学校は教育や監視が行き届いていたからではなく、たまたまそのような生徒を抱えこまずに済んだぐらいに思っておけばいい。
うちの学校は虐めなんてあったことがありません、などと自慢しないことである。

しかしそもそも学校が知る前に家庭が知るべきものだろう。
虐める側の子供の親は、我が子の性根の悪さぐらい見抜けないようでは駄目だろう。

虐められる子供が親にそれを隠したい気持ちはわかる。
子供は親に心配をかけたくもないし、苛められっ子という響きを恥ずかしく思うものである。

だからメディは「いじめ」ではなく「~ハラスメント」と名付ける方がいいかもしれない。
そうした方が訴えやすくなるように思う。

しかしもっと手っ取り早いのは、弁護士が立ち上がるこである。
弁護士が虐め訴訟の請負いを世間にアピールすればいいのだ。
民事裁判でハラスメントととして高額な慰謝料を勝ち取ってやればいい。
但し支払い請求にも法的な強制効力を持たせる必要がある。
判決直後に個人手形でも切らしてやればいい。

いざとなれば手形を怪しいところで割って貰えば、いじめっ子の家庭は善意の第三者によって追い込まれることになる。
そこでようやく、あの苛めは高くついたなと思い知ることになるだろう。


さて、ここまでは前振りである。

ながっ!w


先日、文部科学相宛に自殺予告が届いた。これはこれでどうなのだろう。
文部科学相宛というのが如何にもであざとく思えてしまう。

やはり検証が重要である。
と同時に、たとえそれが事実であったとしても、この「被害者」に対し、あまり良い心象は持てない。
決して虐めたりはしないけれど、あまり仲良くもしたくない性格の持ち主のように思えるのが正直なところである。

虐めにくる相手よりも、それに対し無力な現行システムを憎んでいるように見え、その鉾先の違いに何とも言えない怖さを感じるからである。

被害者至上主義の人は、それも虐めているのと同じだ、虐めの所為でそうなってしまったんだ、それぐらい切羽詰まっていたんだと唱えるかもしれないが、虐めたり無視したりすることと友人を選ぶこととはまた別な話だろう。
そこら辺りも混同してはいけないと思う。

しかしなぜ文部科学相宛なのだろう。
これぐらいのことをするのであれば、やはり警察か弁護士に相談した方が実益があると思うのだが。

と、このような感想を持つことさえ、「被害者を名乗る者」に対し遠慮するようになってしまうのは、如何なものなのだろう。





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最終更新日  2006.11.10 00:06:54
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