マルガリータの日記

マルガリータの日記

2011年11月04日
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こんなふうに言う人がいるそうです。

「厳しい勝負や仕事の世界で成果を出すためには、余計な感情に流されたり小さなことに動揺したりすることなくいつも冷静でいなくてはならないため、どうしても感覚や感情に対して不感症ぎみになるけど、成功することを優先させるならば仕方のないことだ。
世の中の大抵のことは達成したいことに的を絞ればそこに法則性が見出せる。法則内での最適化に特化して、不必要なノイズは見ないよう訓練することで成功率は高くなるのではないのか。」

こんな考え方や言い方をする人が他にもいることを思い出しました。
まさに仕事、地位、名誉などのためには無駄なものは一切必要ないということをオブラートに包んだ柔らかな物言いで豪語しているような人です。

その人は理系出身の世間的には立派な経歴の持ち主、頭脳明晰で容姿端麗、人望厚く人脈も広い。非の打ちどころのないような人。一見茶目っ気たっぷりなのに実際はとても無駄のない卒のない生き方をしている人です。
彼のブログには感情の全く入っていないと言っていいほど、仕事の成果や書物について、日々の出来事(何故かグルメ中心なところが笑える)などが淡々と語られています。見事なほどに人の心の機微については一切触れません。まるで何かのレポートでも読んでいるような感じ。
初めて会った時も「まあなんと無駄のない人生を生きている人なのだろう」と思ったものです。この人って絶えず笑顔でいるのに、笑顔という仮面をつけた感情のない冷淡なアンドロイドなの?って。

ところがそうではありませんでした。

そしてそれゆえに、彼はこんなにも多くの人から慕われているのだということも。
それ以来、私は彼をとても見直しました。見直すというと偉そうだけど・・何と言ったらいいのかな・・"彼の生き方"を見直した、というのでしょうか。

仕事やあらゆる人間関係において、感情や感覚というものについて真に不感症な人はいないのだと私は思っています。何も感じないのではなく"感じないように努めている" 人はいるでしょう。成功するためのその人なりの規則を見出して、その規則に合わない物事や人間関係は極力避けようと努め、感情や感覚のスイッチをいつも意識的に切り替えているのかもしれません。そして確かにそうしなくてはやっていけない環境もあるのだと思います。自分の中の感性や感情、感覚といったものを意識的に抑えて自分を律しながら目的に立ち向かっていかなくてはならないような厳しい環境の中においては、そうせざるを得ないこともあるのでしょう。
私はそのように理解します。

本来人間は感情を与えられた生き物であって、動物でもアンドロイドでもないのです。











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最終更新日  2011年11月04日 13時34分41秒
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