小説版・愛のまるやけ-1-

イラストピアニスト俺だって苦しかったんだ。と、何度言いたくなったことか。10代の頃は、どうして自分が?と泣いたこともあるくらいだ。いや、今だって思う。どうしてよりによって俺なんだ。笑ってしまう。しかし、ここだけの話だが、俺も女とやったことがある。もちろんチサトじゃない。あれは、ボストンに行っていた時だからもう十数年前になるのか。ボストン支社で支社長秘書をしていた人妻だった。まだ20代半ばで、最初は人妻だなんて思わなかった。海外勤務が初めての俺に親切に色々教えてくれた。もちろんその時は、秘書の仕事の範囲内だったのだが、だんだんその範囲を逸脱して俺に近付いてくるのがわかった。が、気付いた時は遅かった。彼女はアメリカ人の夫と別れると言うほど完全におかしくなっていた。彼女は俺と初めて会った時から好意を持っていたと言った。俺もその気になってくれている、と信じていた、と。一週間ほど話し合い、説得して、やっと「一度だけ寝てくれたらあなたのことは忘れる」と彼女は言った。確かに言ったのだ。だが、女のそんな言葉を信用した俺はとんだ馬鹿者だった。

俺だって女の身体は嫌いじゃない。抱き締めれば柔らかいし、触れていれば気持ちがいい。だが、そこまでなのだ。それ以上となると吐き気を催してしまう事もある。俺は多分、女性というものを、過多に美化しているのだと思う。女の人というのは脆くて傷つきやすく、可憐ではかなくて、男が守ってやらなければ生きていけないようなものだと。笑ってしまうが、俺は今でもそう信じているところがある。もちろん現実には、全くそんな事はなく、ヘタすれば女の方が逞しいじゃないか、という事だってわかってはいる。わかってはいるが、一定の距離以上にこちらに入ってこられると、もうダメなのだ。どうして女というのは、口では『好きだ、好きだ』と言いながら、人の嫌がるような事を押し付けてくるのだ。こちらが、いくら人間的に信じよう、と思っても、どんどん気持ちが萎えていくのをどうする事も出来ない。わかっている。俺の女性美化の原因は、紛れもなく母親だという事は。

母親は元々綺麗でお洒落な人だった。小学校の授業参観などで、母親が学校に来ると、他の母親や子供たちが、自分の母親に憧憬の視線を送るのが誇らしかった。いつ頃からだろう、その綺麗な母親がとてつもなく鬱陶しく感じ出したのは。それは、よくある思春期特有の家族に対する鬱陶しさとは異なっていた。こう言ってはなんであるが、十代の頃、俺は同年代の人間に較べるとずい分大人だった。だから、母親に反抗などした事もなかったし、買い物に付き合ったり、母親得意のケーキ作りを手伝ったりもしていたのだ。もちろん俺は、母親にとって自慢の息子だった。多分、溺愛されていた。中学生の時、ある日ふと母親と俺を、俺は俯瞰で見た。いや、実際に見たわけであるはずもなく、それは俺の想像に過ぎなかったのだが、今でもその時、俺が見た映像は頭にくっきりと思い描く事ができる。俺は母親に寄り添ってはいたが、その俺の顔はとても醜く歪んでいた。

俺は小学生の頃からピアノを弾きだした。元々家には母親が弾いていたピアノがあって、それまでにも面白半分でさわっていたので、それほど構えた気もなく近所のピアノ教室に通った。やはり基礎から教えてもらえば、自分勝手に弾いていた時よりも面白いように弾けるようになり、俺はのめりこんでいった。そのピアノ教室の教師は、個人のピアノ教室の教師には珍しく、男のピアノ弾きで、クラシックに挫折してフリージャズ専門になったようなヤクザなタイプの男だった。俺は結局高校3年までその教師にピアノを習っていたが、俺は小学校6年の頃には見抜いていた。ヤツがゲイだという事を。だが、習っている間には口説かれた事は一度もなかった。『自分がピアノを教えている人間は口説かない、と決めている』と言っていた。俺は尊敬の眼差しでヤツを見つめながら、内心笑っていた。そして、ヤツは俺よりも、俺のピアノに心底惚れ込んでいたのだ。俺はそれを見抜いていたので、中学の頃にはもうヤツを馬鹿にしていた。ヤツもそれはわかっていたようだったが、もう俺から離れられるわけはなかった。

自慢じゃないが、いや、自慢なのだが、俺は子供の頃から女の子にはもてていた。理由は幼いながらもわかっていた。俺は見た目がかっこ良かったのだ。美人の母親に似たおかげで目鼻立ちが整っていて、なぜか5年生になった頃から背も伸び、イヤな奴だったので成績も良かったのだ。これでもてないはずがなかった。勉強など俺にとっては方法にすぎなかった。楽に生きていく為の方法だ。人のこともどうでも良かったので、誰にでも優しくできた。クラスのみんなが俺を特別な目で見る事が多くなるにつれて、俺は自分がどんどん嫌いになっていった。だから、そんな俺の見かけだけで寄ってくるような女も大嫌いだった。女の子が自分を見る、あの射るような目に耐えられない思いがしていた。中学くらいになると、交換日記だの、告白だのヘンなものが流行った。だいたい俺に告白してくるような女は、俺が一番苦手としているような女ばかりだった。だが、それも全て自分に起因している事も、分かり過ぎるほど自分で分かっていた。

そんな頃、俺の憂鬱に拍車をかけるような事が度重なった。幼なじみのチサトが、俺を妙に意識するようになった。あいつとは母親同士が友達で、生まれた時からの付き合いだ。同い年だが、俺はどうにも同い年とは考えられず、妹のように接していた。まぁ、もちろんそれも俺の、逃げ、のテであったわけではあるが。それでも小学生の頃は一緒にいてとても楽しかった。あいつにだけは何の気も使わず、言いたい事を言い、やりたい事をして一緒に遊んでいられた。俺は幼稚園から小学校に入る頃、おままごとやお化粧ごっこ、お人形さんで遊びたくて仕方がなかった。それでも、母親があまり良い顔をしないのに気付いてからは、自分からは言い出さないようにしていた。それがただ単に女の子みたいだというだけでなく、かなりまずい事だという事に、幼いながらも何となく気付いていた。だが、チサトとそれらの事をしている分には、俺がアイツに付き合ってやっていると思われた。アイツはわがままではあったが気のいいヤツだったし、俺を頼っていたので俺のやりたいようにもさせてくれていた。

だが、俺の母親は分かっていたと思う。俺がチサトに付き合って遊んでやっているように見せかけて、実は自分が楽しんでいる、という事に。そして、母親はたぶん、口では「男の子なんだから、おままごととか、女の子みたいな事したがるのはへんよ」と言いながら、本当のところは俺のしたいようにさせてやりたい、と思っていたのだ。俺を溺愛していた母親は、マトモな事に導くことより、俺が満足する事を優先してしまっていた。だから、母親にしてもチサトをカムフラージュにできる事は世間体的にも好都合だったわけだ。つまり、俺の母親はかなり早い時期から、自分の息子が世間的に普通ではない事に気付いていたということになるのだ。そして、俺も中学に入った頃から自分の中の変化に気付いていた。小学生の頃は、自分では絶対しなかったが、男同士の取っ組み合いのケンカを見てはカッコいいなぁ、と思っていた。そういうワイルド系なヤツらを軽蔑している振りをして、実は憧れを持って盗み見していた。だが、中学に入った頃から、教室で着替える時や体育の時間、他の男共は女の子の方をチラチラと見ていたが、俺はどうにもある男から目が離せなくなっていた。

その男は大村といった。同じクラスで出席番号が前後だったので話すようになった。だいたい俺には、男の友達など皆無に近く、たいてい一人でいるか、チサトがそばにいるか、くらいだった。だから親しく話すようになった男は大村が初めてだった。それもあるかもしれないが、大村は本当に男らしいヤツだった。身体もデカく声もデカい。性格は明るくさっぱりしていて、正義感の固まりのようなヤツだった。その分ガサツなところもあったので、女の子からはあまり好かれてはいなかった。俺は大村と話していると嬉しくて、ドキドキした。こんなことは初めてだった。大村にしても、みんなが特別視している俺が、自分を好いているらしい事は嬉しかったらしく、なかなか友好的に接してくれていた。ただ、体育の時間などに、離れた所にいるのに、大村を見つめている俺に気付くとニッとしながらも怪訝そうにしていた。ちょっとヘンに感じた大村と、他の授業中にも目が合ってしまう事が多くなり、俺は自制するようにしたが、それは俺にとってとても辛い事だった。

大村は単純なヤツだったので、俺が自制するようになってからは、ヘンに思ったりはしていなかったようだった。だが、これ以上大村と親しくしていると自分で自分が抑えられなくなりそうだ、と感じた俺は、大村から離れるようにした。その手段にチサトを利用したのは言うまでもない。チサトも俺の大村に対する感情になど気付くはずもなく、ひたすら俺を見つめていた。そしてなんと的外れなことに、俺に宛てたラブレターを読んではそれを書いた女の子をけなしたりしていた。だが、俺はそんなチサトが可愛かった。また、そんな風に自分の思ったとおりに行動できるチサトが羨ましくもあった。大村は急に俺がよそよそしくなったので、面喰っているようだった。たまに「オレんち寄ってくか」と誘ってくれても、俺が「あ、ゴメン、今日はダメなんだ」と断ると「そうかー」と、とても寂しそうな顔をした。大村のそんな顔を見ると俺は胸が締め付けられる思いがした。その思いが恋だと気付くのにたいして時間はかからなかった。

それが恋だと気付いた時、俺は愕然とした。それと同時に、それまで自分でどうにも定義付けが出来なかった感情に、はっきりとした理由が出来た事にとても安堵していた。「そうか、俺は女より男が好きなんだ」と分かった時、女の子に対する嫌悪も少しやわらいだ。「男が好きならそれでいいじゃないか」と納得したのも束の間、すぐに、それは自分だけの納得だということに気付かされた。何故なら、俺がいくら好きになろうとも、ほとんどの男はそんな俺の感情を受け入れる筈がない、という事に気付いたからだ。それどころか、俺が好きだと思っている男が、女にうつつをぬかしたりするのだ。この俺が女よりも劣って見られる事の屈辱感。少しやわらいでいた女に対する嫌悪は、この時からますます根深いものになっていった。ちょうどそんな時だった。あろう事か、大村が俺に恋の相談を持ちかけてきたのだった。

大村の好きになった女というのが、また典型的に俺の苦手なタイプだった。男の前では可愛いフリをするヤツで、実際には性格が悪いことなど、俺はすぐに見抜いた。「どうしてまたよりによってこんなヤツに」と思ったが、大村は単純な男だからこういう見え透いたヤツにイチコロなのだろう。そして、俺との仲を修復するのに、そろそろ色気づくこの時期には恋愛の相談というのはもってこいだと思ったのだろう。だが、俺はそんな風に考える大村がとても愛おしかった。だから何とか自分を抑えて相談にのってやろうとしたのだが、どうにも辛かった。「カワイイんだよなー」と嬉しそうに女の話をする大村を見ていられなかった。俺は結局その相談をチサトに引き渡してしまった。「アイツの方が、そういうの得意だからさ」と言うと大村は「ふーん、やっぱお前と田村はできてんだー」などとニヤついていた。俺が「違うって。単なる幼なじみだよ」と訂正しても「むきになるなよ。わかったよ」と全然わかってないニヤニヤ顔で俺を見ていた。俺はその時に覚悟したような気がする。俺はこういう虚しさを抱えて一生生きていくんだ、という覚悟を。

俺はある日、とんでもない所をチサトに見られた事があった。それは体育の時間だったのだが、俺は前夜ピアノにのめり込んでいて1~2時間しか寝ていなかった。頭はガンガンするし、身体はフラつくしで、体育を休むことにした。普通なら校庭で見学していなければならないのだが、俺を苦手としていた体育教師の中澤は、俺が「教室で休んでいてもいいですか」と聞くと「おぉ、いいぞ。風邪かもしれんからな。一人で行けるか」などと気味悪いほど愛想良く答えた。そんな風に思っている事など、おくびにも出さず「すみません」と言って俺は教室に戻った。俺達の学校は体育などの着替えの時、女子だけは更衣室で着替えたが、男子はそのまま教室で着替えることになっていた。男どもの机の上には、脱ぎ捨てられた制服が乱雑に乗っかっていた。俺はぼーっとした頭で大村の机に近寄り、その上に乗っていたシャツを手にとって自分の鼻に持っていった。その時だった。教室の戸がガラッと開く音がしてチサトの「な、何してるの?」という妙に低い声が聞こえたのだった。そしてその夜、俺は中澤の夢で夢精していた。

あの時、どんな言い訳をしたのだったか、もう思い出せないのだが、チサトが俺を妙に感じだしたのはあの時からだったように思う。そんなチサトをごまかしたり、目ではつい大村を追ったりしながら、俺は中学時代をとても楽しく過ごした。勉強は趣味にしていたので、これくらいやると、このくらいの成績が取れる、という事も自分で把握していた。俺は中三の全県模試で県下でトップの成績を修めたが、馬鹿馬鹿しくなってあとは適当に5番前後をうろつくようにしていた。そして私立の進学校に推薦で入学した。その高校は男子校で、地元では有名な話なのだが、一月の寒中水泳ではあろうことか、全校生徒がふんどし一丁で遠泳をする、というような時代錯誤な学校だった。世間的には、生徒はおおらかで明るくていいヤツばかりのように見られていたが、そんな事があるわけはなく、屈折したヤツばかりだという事を俺は入学してすぐに見抜いていた。みんな、俺と同じ匂いがしていた。

高校に入ってからの俺はますますピアノにのめり込んでいった。ピアノは裏切らない。愛おしんで弾いてやればやるほど、本当に思ったとおりの音を出してくれた。家でも俺は、母親に乞われるままにフォーレなどをよく弾いてやっていた。俺が夕食後などにピアノを弾きだすと、母親はうっとりとして聴いていたが、姉貴は逃げるように自分の部屋に閉じこもって、俺のピアノが終わるまで出てこなかった。俺は姉貴と特に仲が悪かったわけではなかったので、ある日聞いてみた。「なんで俺のピアノ、聞かないんだよ?」と。姉貴は「あんたのピアノが聞きたくないんじゃないわよ。あんたのピアノを聞いてるママの陶然とした顔が見たくないだけよ」と、さも気持ち悪そうに答えた。俺は笑えて笑えて仕方がなかった。「なにバカ笑いしてんのよ、あんたも気持ちが悪いわね」とムッとする姉貴がまた可笑しくて、俺は本当に狂ったように笑い続けていたが、そのままトイレに駆け込むと腹の中にあったもの全て、そして心の中にあったものまで全て吐き出していた。

俺の父親は、俺が物心ついた頃にはもうあまり家にいなかった。企業戦士とかいうヤツで仕事だ、接待だ、ゴルフだ、麻雀だ、と平日はおろか、日曜日でも一日、家でのんびりしている事など稀だった。家族旅行など夢のまた夢で、母親や姉貴はそんな父親に、事あるごとに文句を言っていたが、俺はそんな父親が嫌いではなかった。愚痴も言わず、家族の文句も上手くかわして、自分の信じた道を自分のやりたいように進んでいく父親はカッコよかった。そして、俺にはこの上なく羨ましく思えた。父親も俺がそんな風に思っている事がわかっていたのか、俺には何も言わなかった。特に高校に入ってからは、成績の事もピアノの事も「自分の思ったとおりにやれ」と言うだけだった。ひとつだけ、小さい頃から言われていた事と言えば「自分でやる、と決めた事は最後まで必ずやり遂げろ」という事だった。俺の人生にとって、それがいちばん至難の業だという事には、さすがの父親もその時気付く事は出来なかったわけだ。

公立に進学したチサトとは、高校が別になったので、あまり会う事もなかったが、家が近かったので、たまに駅で出くわしたりしていた。ある日とても嬉しそうに「私ねぇ、斉藤君と付き合うことにしたの」と言うので「うんうん」と聞いていたが、実は『斉藤って誰だ?』と思っていた。チサトの話を聞いているうちに、中学2年の時の同級生だとわかったのだが、なんでまたあんな軽佻浮薄なヤツと付き合う事になったんだ、と内心思っていた。だが、チサトは心底嬉しそうだったので、口では「良かったじゃないか」と言っておいた。にしても、話を聞きながら、あんな頭の悪そうなのと付き合って大丈夫なのか、と少し心配になったので「で?どうして付き合う事になったんだよ?」と、聞いたところでチサトの乗る電車が来てしまった。まぁ、俺が心配したところで、チサトがあの斉藤ってヤツを好きになったのなら、それでいいわけだし、俺をヘンな目で見ないでくれるのなら、斉藤に感謝しなきゃならんぐらいだ、と妙にホッとしながら、斉藤の顔を思い出そうとしていた。

高校1年の冬休み、俺は一日中ピアノの前にいた。例のピアノ教師が「プロになる気はないのかい?その気があるなら昔の知り合いに頭ぐらい下げてやるぞ」と言ってくれたが、俺にはプロになどなる気は全くなかった。俺はただただ俺の為だけにピアノを弾いていた。いくら人が誉めてくれようが、俺のピアノは俺にしかわからない、と思っていた。そんなある日、隣りのクラスの檜山というヤツから電話がかかってきた。何だか知らないが、どうしても俺のピアノを聞かせてくれ、という電話だった。檜山の話し方が大村に似ていたせいもあって、俺は簡単に承諾していた。翌日、檜山は大きなデコレーションケーキを抱えてやって来た。思っていたより大村には似てなかったな、などと思いながら俺はピアノの前に座った。弾きだしたら、檜山の事も大村の事もどこかに吹っ飛んでいた。俺は夢中で弾きまくっていた。しかし、その時俺は確かに、檜山に見られている、ということにエクスタシーを感じていたのだった。

俺のピアノを聞き終わった檜山は「ふ~ん、上手いんだな」と拍子抜けするようなことを言った。結局、檜山は俺のピアノが聞きたかったわけではなく、親父の代理で来たのだという事が判明するのに長い時間は要しなかった。「で、結局君の親父さんが俺に何の用があるって言うんだよ?」と聞くと、檜山は「君が習ってるピアノ教師、あいつと俺の親父が知り合いでさ。そのピアノの先生とやらが、君の事をやたら褒めたらしいんだな。あんまりそいつが自慢気に言うんで、ピアノ好きなウチの親父はどうしても聞きたくなっちまったわけだ。が、いきなり自分が訪ねちゃあマズイだろ、ってことで俺が仰せつかった、ってわけだよ。んでまぁ、ここからが本題なんだが、ウチの親父はワインバーなんかやってんだけどさ、要はそこでピアノ弾きのバイトをしてくれないか、と。それが本当の用件だ。どう?時給ははずむって言ってたぜ。」すぐに、そんな事はお断りだ、と思ったが、ふと俺は考え直した。ワインバーなんてとこで、どれだけ俺のピアノに人を惹き付けられるのか、実験してみるだけの価値はあるな、と思い、翌日その店に行く約束をして、檜山は帰って行った。

その店は繁華街から一本はいったなかなか分かりづらい所にあったが、落ち着いた感じのいい店だった。店に入ると、檜山そっくりの愛嬌のいい親父が近付いてきた。その時点ですでに俺は、檜山の親父に俺と同じ匂いを嗅ぎ取っていた。「大石君だったね。悪かったね、わざわざ来てもらって。で?バイトの件は承諾してもらえたんだったかな」「はい、お願いします」「そうか。音彦のやつ、『簡単にOKしてくれたけど、あれって店に来てくれる事にOKだったのかなぁ』なんて寝ぼけた事を言うもんだからね、心配してたんだよ」そして俺に向き直って「君がウチの店でピアノを弾いてくれる事になって、とても嬉しいよ」と、芝居がかって言った。「ピアノを見せてもらえますか」聞こえなかったようにそう言うと「ああ、そうだったね。こっちだ」と言って店の隅に案内された。そこには古くはあったが、よく手入れされたスタインウェイが鈍い輝きを放っていた。「弾いてみてもいいですか」「いいとも」。弾きだした俺は、そのなめらかなタッチに驚き、夢中でピアノに入り込んでいった。その間、檜山はずーっと俺の後ろからピアノを、そして俺を見つめていた。

俺はそれから、その檜山の親父の店でピアノの生演奏のバイト、というのを続けた。土日の夜7時から9時まで、好きな曲を弾いていい、という、俺にとってはとても条件のいいバイトだった。最初の日こそ、すぐ近くで人が聞いているという状況に緊張したが、それでもお客に俺のピアノを全く無視されたりすると、逆に何としても聞かせてやろう、などと気色ばみ、リストなどを力任せに弾きまくったりして、お客が驚いたりもしていた。檜山の親父は、そんな俺に文句を言うどころか「君の好きに弾いてくれて構わないんだよ。お客様がびっくりするくらいでも、それはそれでウケるもんだ」などと笑いながら俺に言った。それでも、お客の評判はそこそこだったらしく、中にはチップと共に、リクエストをされる事もあった。そんな話をたまたま母親と一緒にウチに来ていたチサトに話すと「えー、さーくんがチップなんか貰ってピアノ弾いてるのー?」とイヤそうな顔をするので「一度聞きに来いよ。なかなかいい店だぜ」と言うと「だって、大人の人ばかりなんでしょ?私なんか行けないわよ」と答えた。俺は何故かどうしてもチサトにあの店での俺のピアノを聞かせたかった。

俺はチサトに「俺の付き添いって事で店に来ないか」と誘ってみた。チサトにしても見てみたいという気はあったらしく「何か言われたりしない?」と心配していたが「じゃ近いうちに一度行かせて」と言って帰って行った。が、俺はその後、試験の結果が芳しくなく、それを姉貴にピアノのせいじゃないの、などと言われて面白くなかったりしてチサトとの約束をすっかり忘れていた。それに、試験後、たまたま行った港で、チサトと斉藤が楽しそうに歩いているところを見かけ、声をかければ良かったものを、何故か避けるようにして帰って来てしまった事もあって、ちょっと自分で自分にむかついていた。そして夏休みとなり、俺はまた日がな一日ピアノに向かっていた。バイトにも慣れ、余裕でこなしていたある日、檜山の親父からかなったりな話があった。「来月あたり、一晩、君のピアノライブをやりたいんだがね。都合はどうかな。もちろん選曲も君の好きなようにしてくれて構わないよ」俺は「是非やらせて下さい」と一も二もなく承諾した。すると檜山の親父は珍しく「それと...ちょっと君にお願いがあるんだがね、聞いてもらえるかな」と真顔で言った。いやな予感がした。

その頃の俺は、何だか妙に厭世的で、みんなが俺を見なくなっているような気がしていた。また高2の夏休みという事もあり、担任から志望校を絞るように言われていたのも、正直プレッシャーだった。俺は中学まで、将来は医者か弁護士、と決めていた。俺がそう決めればそれは必ずそうなると、それまでの経験で自分でも自信があった。が、試験勉強を甘く見ていた俺に、一学期の終業式の日、成績というしっぺ返しがきた。それは俺に、医者も弁護士も無理だと、はっきり告げていた。チサトが急に俺の方を見向きもしなくなった事も面白くなかった。それも港で見た二人から、斉藤と上手くいっているからだろう、と推測できたが、だからと言って、またチサトにまとわりつかれるのも御免蒙りたいなどと勝手な事を思っていた。そんなモヤモヤした気分だったせいか、そして来月のピアノライブの件も頭になかったと言えば嘘になり、俺は檜山の申し出を断る事はなかった。黙ってピアノの前に座る俺を檜山はじっと見つめていた。サンサーンスを弾きだした俺の傍らに立ち、背中に手を回してきた時も、頭ではウンザリしながらも、俺の身体はその手にもたれるようになっていた。

夏休みの間、俺は檜山に誘われるまま、檜山の家にもピアノを弾きに行っていた。檜山は俺のピアノを適確に言い当てていた。一番言われたくない事だったが、俺のピアノには感情が全くこもっていない、と指摘された。だが、不思議と腹はたたなかった。檜山の家でピアノを弾くようになって、俺のピアノは格段に上達した。それは、技術的にももちろんだったが、何よりとても表現力が豊かになっていた。認めたくはなかったが、それはどう考えても檜山のおかげだった。俺はまだ例のピアノ教室にも通っていたが、檜山の家に行くようになってからの俺のピアノに、ピアノ教師も驚きの表情を隠せないようだった。「何だ、夏休み中、ピアノにかじりついてたか?いや、まさか恋愛してるんじゃないだろうが?あ?」と、嫌味たっぷりに聞いてきたが、実際、俺自身も驚いていたのだった。檜山は「当たり前だろう。僕は君を愛しているんだからね」と、当然のように言い放った。俺は吐き気がする程げんなりしたが、認めざるを得なかった。どう考えても、俺のピアノが叙情的になったのは、檜山のせいでしかなかった。

夏休み最後の日曜日、俺はピアノライブ前に、檜山の家で最後の調整をしていた。たいした曲を弾くわけじゃないから、と断ろうとする俺を、檜山は執拗に誘ったのだった。檜山の家を後にして、檜山とタクシーで店に向かう時、心身ともに高揚しているのが、自分でもよくわかった。まるで、麻薬のようだ、と麻薬など経験した事もないのにそう思えた。その横で檜山は静かに「やっぱり僕の家に寄って良かっただろう?今夜のライブは必ず成功するよ」と言った。オープンと同時に客がどっと入ってきた。常連の客はもちろん、宣伝もしていないのに、俺の同級生やら、かと思えば、全く見知らぬ人間もたくさん来ていた。ワインが振舞われた後、俺はおもむろにピアノに向かい、挨拶もせずいきなり弾き出した。もう弾きたくて、弾きたくて仕方がなかった。とにかくやみくもに弾きまくった。客がしーんとして、聞き入っているのが手に取るようにわかった。麻薬だ。ピアノと、そして檜山は俺にとって麻薬だ。と、その時俺は確信した。

ピアノライブの後、放心状態だった俺に、何故か檜山からは何の連絡もなかった。ライブが終わった時「受験もあるだろうし、しばらくバイトも休んでくれて構わないよ」と、いつもと変わらぬ口調で言われたままだった。俺は家でもピアノに触れる気にもならず、母親や姉貴に気味悪がられていた。ピアノ教室も「しばらく休みます」と一本電話を入れて、それきり行かなかった。俺はもうとにかく、檜山からの電話を待っていた。こんな気持ちは初めてだった。それでもまだ俺は、自分が檜山なしではいられなくなっているなどとは認めたくなかった。どうして、檜山は俺に連絡してこないのか?それだけを考えて、二学期の始まった学校に通っていた俺に声をかけるヤツがいた。「この間のピアノライブ、槇村に誘われてたまたま行ったんだけど、最高だったよ。大石、プロになるのかい?」とちょうど学校の門をくぐる時に話しかけてきたのは、1、2年と同じクラスで出席番号が前後だった、太田という男だった。

太田はとにかくよくしゃべる男だった。大きな声で口角泡を飛ばして、というタイプではなかったが、ぼそぼそもそもそと、ずーっとしゃべっているようなヤツだった。話しかけられた時は、あぁ、コイツもあの時来てたのか、と思っただけだったが、太田の話す内容が妙に面白いのと、やはり俺と同じにおいがする、と感じ取った事から、そして相変わらず檜山からは何の連絡もないどころか、檜山の息子、音彦が今までならば、会えば「よっ」ぐらいは言っていたのが、この頃では妙に俺を避けるようにしている事などもあって、俺は急速に太田と仲良くなっていった。太田は、社会情勢の事から映画や音楽、テレビの事、そして自分の好きな英米文学の事などを、そのどれもを平坦に話した。特に、子供の頃から好きだったと言う英米文学に関しての膨大な知識には凄いものがあり、英米文学を語る時の太田は、俺の目にとてもカッコ良くうつった。この数年、ピアノ馬鹿だった俺は、そんな太田に尊敬の念を抱くようになっていた。

高2の三学期、本格的な受験シーズンに突入した。俺は「医者か弁護士」を信じていた両親を説得して、太田と同じ、国立N大の文学部英米文学科に的を絞っていた。その頃にはおれも太田に勧められるままに読んでいった英米文学にすっかりカブレて、いっぱしの文学論を太田と闘わせていた。今までバカにしていた文学に、この俺がこんなに夢中になるなんて、と自分で不思議なくらいだったが、そこには太田の存在が色濃く影響している事は、自分でもよくわかっていたし、また檜山の時と違って、そんな自分を心地よく思ってもいた。そんな中での受験勉強が苦になるわけもなく、俺は中学の頃の勉強ゲームを思い出して、受験勉強に没頭した。三年の担任は、志望を医学か法学に戻したら、と言うほどだったが、俺はもちろん志望を変更する気などなく、その頃落ち込み気味だった太田の勉強を手伝ったり、励ましたりしていたのだった。

太田は俺を一体どう思っているのか。俺は、太田と一緒に勉強しながらも、それが気になって気になって仕方がなかった。なんだ、これじゃまるで女子中学生じゃないか、と自分でも可笑しかったが、気になるのだからしょうがない。その頃の俺は、家でピアノに向かっている時も太田のことを頭に思い浮かべながら弾いていた。ピアノに向かっている時に、人のことを思いながら弾くなんてのは、初めてだった。俺が久し振りにショパンを弾いていると、ソファで雑誌を読んでいた姉貴が、めずらしくピアノのそばに寄ってきた。「どうしたのよ、あんた」「何が?」「音、変わったじゃない?」「そんなことないよ」「いや、変わった。ふーん、さては何かあったな」「何もないよ、あっち行けよ」「あはは、赤くなってんの。サトシくーん、恋してるのねー」「うるせぇな、むこう行けって」自分でも分かっていた。確かに最近、俺の音は変わった。そして、それがもちろん太田のせいである事は明確だったが、そんな少女漫画のような自分の音の変化も、実は悪くない、と思っている自分がいるという事が一番不思議だった。

そんな俺に檜山から電話があったのは、2学期の期末試験も終わり、あとは受験を待つのみ、といった冬の初めの頃だった。檜山は重苦しい声で話し始めた。「また..来てはくれないだろうかな。うん、その、なんだ、私はどうも君なしでは生きていけなくなってしまったようなんだよ...」俺は今すぐ飛んでいきたい衝動にかられた。檜山に逢いたくて、檜山の顔が見たくて仕方がなかった。太田の顔がちらっと脳裏をかすめたが、俺は気付かないふりをして檜山の店にタクシーをとばした。店に飛び込むと、檜山はピアノの前にぼーっと座っていた。俺は自分でも気付かないうちに泣いていた。やはり俺も檜山と同じく、檜山なしでは生きていけないのだ、と確信していた。そして、そんな相手と巡り会えた事を幸せに感じていた。俺と檜山は1年分を取り戻すかのように色々な話をした。檜山は俺の事を息子の音彦に話したところ、音彦はひどく興奮して暴れまくり、その後檜山と一切口をきかなくなったという事、例のピアノ教師から「俺の生徒を勝手に商売に使うな」と、怒鳴り込まれた事。そして、もう俺とは逢うまい、と決意した事を。

俺にとって、檜山は本当に麻薬だった。学校で太田と楽しく過ごしていても、頭の中では檜山の事を考えている事が多くなっていた。それでも太田は、そんな俺の変化に気付いていたのか、いなかったのか、今までと全く変わらぬ様子で俺に接していた。俺は檜山に溺れていく一方で、太田は本当は、俺や檜山と同じ種類の人間などではなく、単なる鈍感なオタク野郎なのではないか、と疑りかけていた。俺は、また檜山の店に通い始めた。週一のバイトとして、ピアノの生演奏をしていた。ピアノと檜山という、俺にとって一番大切なものに囲まれて、俺はとても幸せな日々を過ごしていた。多分、俺の人生において一番幸せな時期だったであろうと思う。そしていよいよ受験が近付いてきた。それでも俺は檜山の店でピアノを弾く事をやめなかった。親には太田との勉強会と嘘までついて、檜山の店に通った。俺にとっては檜山と過ごす時間は、この上ない精神安定剤だったのだ。第一志望である国立の受験前日、俺は檜山の前でピアノを弾いていた。翌日の試験は完璧で、案の定俺はその国立大にいとも簡単に合格したのだった。











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