まりあすのいちご

まりあすのいちご

2009年03月14日
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満月によせて


 親愛なるマリアスさんのすすめで 今日の純真無垢な満月によせて

 久々パソコンに向ってみます。

 いつからからでしょう、気づいたときには私は被爆2世とゆうことを

 こどもなりに重く受止めてきました。未だに原爆の落ちた8月6日に

 広島市内に足を踏み入れようと思ったことは一度もありません。

 (今年はなぜか行ってみようかな、と思っています。)

 他の方々も同じだと思いますが、身内に戦争や原爆で失くなったり、



 周りに溢れていました。だからか、小学生の頃からよく祖母が遊びに

 来たとき聴いたものです。原爆の日はどうしていたのか、どうやって

 逃げたのか…。

 学校でも教育の一環として、折にふれ戦争・とくに原爆の被害に

 関する映画などを見て育ちます。  

 勿論真実を知ることは大事ですが、こどもにとっては辛すぎます。

 それでも、原爆資料館に社会見学にいった時は目をそむけたい

 気持ちを抑えて一生懸命見ました。

 奇跡的に助かったとはいえ、実際ここに母や祖母や祖父やおば…

 沢山の身内がいたことを思うと 知らずにはおれなかったのです。



 でも私はそれで原爆を知っているつもりでいたように思います。

 昨夏、岩塩のおかあさんこと関根美知子さんに大阪で知り合いまし

 た。そのとき、一昨年の夏マリアスさんやさちほさん達に導かれた

 奈良の天河神社で巫女さんとして、五十鈴の奉納をされていることを

 知り、大きなご縁を感じました。その後、三重~名古屋行きに誘われ



 行けない気がしました。三重から名古屋に向う電車の中で、

 広島の平和公園の下には、拾いきれなかった沢山の遺骨が残された

 まま、その上に土を入れて公園にしたらしいとの新聞記事をみつけた

 こと。広島の人間として、そこまで思いを馳せていなかったことに

 ショックを感じたこと。

 また、平和公園一体は当時広島一番の繁華街で一瞬にして消えた命が  
 沢山あることも他県には伝わっていないのか、観光客の一人が

 「ここは公園だったから被害が少なくてすんだんだって」と言ってい

 たとの記事も見て、悲しかったことを熱く語っていました。

 今思うに、私はそう伝えるために行ったのかもしれません。

 場を白けさせてしまったと、バツの悪い気持ちでいた私に

 関根さんは「来年の8月6日の日、空けときなさい。広島で五十鈴

 を振りたいと強く思ったから。私たちの出来ることをしましょう!」  
 とピュアな心でしっかりと受止めてもらえた上に、思いもよらない

 展開にただただ驚きました。 それから熟成の時期を経、

 本当に必要なことなら動いていくだろうと思っていましたら

 それから、関根さんは五十鈴仲間の方々に声をかけ続けてくれたよう

 で、賛同してくれる方が増えているとの知らせをもらいました。

 今年1月にお逢いしたときも「実現させようね!」と目をきらきらと

 少女のように輝かせていました。関根さんに言われると不思議なもの

 で、何かできるような気がしてくるんです。

 折角来てくださる方々にお伝えするには、まずは自分が知ることだ

 と少しずつ情報を集めはじめました。去年の2月、101歳で他界

 したおばを最後に、当時を語る人が周りには

 いなくなってしまいました。おばは子供や娘など可愛いと思うと 

 ぎゅってつねる癖がありましたから、私はあまり好きでは

 ありませんでした。

 でも、この機会を得て おばが生前出版した原爆を題材にした川柳集

 を初めて手にして読んでみると、最初から最後まで顔がぐちゃぐちゃ

 になるほど涙が出ました。つねられたことも全てを許せました。

 命は助かったものの、背中から両腕、首、おでこと、ひどく

 ひきつれたケロイドはどんなに若く有望な人を羨ましく

 おもったことでしょう。

 今となっては本人から聴くことはできませんが

 私がはかり知れるものではない、重く深い痛みだったことでしょう。


 ここでの私の役割は まず現実を知ること。

 そして、兵器の破壊力の違いは有れ、原爆犠牲者、日本各地の空襲で

 亡くなった方々、戦争体験者、チベットや北アイルランドなど

 テロや迫害を受けている多くの人達、

 他国の治安を守るという名目で生死のはざまにいる人たち、退役軍人

 …今もなお負の連鎖はあちこちで続いています。

 この底辺には被害者であると同時に加害者、

 (この悲惨な状況で死んでいった人たち、助けを求められても

 助けれず、自分たちだけ残ってしまった)という

 罪悪感に苦しみ、幸せになりたいのに、亡くなっていった

 人たちを思うと一人幸せにもなれない…

 背負いきれない十字架を背負い続けているという共通点があるように

 思います。 

 その上で広島の地を平和の祈りのこもった五十鈴の音など

 のやさしい音色で癒し、多くの魂を慰め、光として平和な未来に

 解き放つ、これからのこどもたちに光として渡していくことが

 大切なのではないか と思っています。

 こういう趣旨で この夏、私が出来うる全てでこの広島の地から平和

 の光を発信してみようと思っています。 広島は原爆だけが歴史では

 ありません。他の街と一緒で1945年8月6日8:15より前までは光の

 街だったということも知って欲しい。

 負の遺産を知り、多くの悲惨な体験者が心から望むように、

 このようなことは二度と繰り返してはならない。

 これから私たち一人一人がどう感じ、どう心を伝え、

 どうつながっていくか、世界の友人として手をつないでいくことが

 真に望まれていると思います。


 平和は勝手にくるものではなく、私たちが創造していくんです。

 平和公園設計者の一人、丹下健三は「ここは(広島の平和公園)

 平和の祈りを発信する基地となる」との言葉を残したそうです。

 だから、私たちは自由に

 平和を発信すれば良いのだ。 すべての争いが無くなり、

 世界各地の 原爆の火が消される日まで。。。。

 岩塩のおかあさん、五十鈴の関係の方々、マリアスさん、白い夾竹桃

 の花、ハワイやさちほさん…大きな流れの中、つながっている人々に

 心から感謝します。そして、これからつながっていく人たちにも。

 私の独り言聴いてくれて、ありがとう。そして、思いを語らせてくれ

 た満月にも。







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最終更新日  2009年03月14日 17時05分17秒
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