わがまま主婦のブログ
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おかあさんへきのうは、家まできてくれてありがとうございました。おかあさんに、どうしても聞きたいことがあって手紙をかきました。わたしの、父親は本当にあの人なんですか私は、別な男の人とお母さんとの間に生まれた子供なんじゃないかと思います。そうだとしたら、お父さんがいままで私にしてきたことは全部、辻褄があうし納得できるんです。子育てをしていると、どういう風に子供に接していいかわからなくなるときがありますそういう時は、自分が子供のころ親にどうして欲しかったかのか思い出します。--------------------私は、小学校に入学したとき、勉強机を買ってもらうのを楽しみにまっていました。でも、かってもらえませんでした。お父さんの古い机をつかいなさいといわれたけど、ぎっしり、書類がはいっていて、ちっともうれしくありませんでした。でも、弘樹(長男)が小学校に入学したら、お父さんはぴかぴかの新しい勉強机をかってあげました。秀樹にも勉強机がありました。ふたりとも机のなかにおもちゃをいれていて、うらやましかったです。どうして私にだけ買ってくれないのかと思うとつらかったし、不思議でした。---------------------------中学生のとき、「自転車がほしい」と父さんにいいました「毎朝、新聞を寝ているところにもってきて1ヶ月続いたら買ってあげる」とうれしい返事をしてくれました。私はがんばって早起きしてお父さんの寝床に新聞を毎朝とどけましたそして最後の日、今日、新聞を持っていけば、自転車が買ってもらえるとドキドキして朝、新聞受けにいったら、そこには新聞がありませんでした、なんで?新聞やすみかな?しかしお父さんの寝床にいったらお父さんは新聞をよんでいました不思議でした秀樹(次男)」が最後の日だけををねらって、わざと新聞を持っていったそうです。結局自転車は買ってもらうことができませんでした。1ヶ月、目覚ましをかけて、眠い目をこすって早起きしてがんばったことは、すべてムダでした。お父さんのことも、秀樹のこともにくたらしくてたまりませんでした。ふたりともこのことは記憶にないといいます。------------------------------------------おかあさんは、覚えていますか?わたしはきのうのことのように覚えていて37歳になったいまでもおもいだすと、涙がでます。吹奏楽部で、クラリネットをはじめたとき、楽器を買って、家でも練習してもっと上手になりたいとお父さんにいいました。「初売りの景品をつつんだら、かってやるから」といわれたのでわたしは一生懸命、お客さんにわたすものなので丁寧に包みました。当時、景品はたくさんあったし、お店の名前がはいったはんこも1つ1つ押して、赤いのしを曲がらないようにはったり大変だったけど、全部がんばりました。お父さんは、景品を包んでいるわたしをみると、おもしろそうに「クラリ、クラリ」と言っていました。その約束はどこにきえたんですか?買ってもらえなかった、わたしの悔しい気持ち、おかあさんは知っていましたか?その事以来、部活もすべてがばからしくなり、なにもやる気がありませんでした。。-----------------------------------------中学3年生のときは、どうしても高校に合格したかったので勉強をがんばりました。その年の初売りは、手伝いをたのまれましたが「受験勉強をがんばりたいから手伝いはできません」と自分の意思をお父さんにいいました。私は小学生のころから1月3日の初売りが1年の中ででいちばん大嫌いな日でした。その日がせまってくるとゆううつでした。なぜかというと、冬休みが終わって学校にいくと店の前に立って、ライターや老眼鏡を売っている姿を、友達が何人かみていて「ぶんぼうぐやー、ぶんぼうぐやー、」といじめられるからです。手伝わないのは申し訳ないと思ったのでお父さんと、お母さんの布団をきれいに敷いておきました、そして、「今年だけごんめんなさい」と心の中で思いました。でもその日の夜、お父さんは6時をすぎると私の部屋にきました。4階から私の足をひっぱって階段からひきずりおろし、ばあちゃんの部屋までつれていかれました。両手でげんこつをつくり、思う存分私の頭をぼかぼかなぐり、髪の毛をひっぱり、足もつねりました。その日、着ていた灰色の新しいセーターをぼろぼろになるまで破かれました。すごい力でした。暴力は20分くらい続きました。痛かったです。気が狂いそうでした。髪の毛もぬけて束になり、毛根から血がでました。ばあちゃんは、「清司、やめろ、」とお父さんを止めましたでも、お父さんは力のかぎり殴り続けました。「高校なんか、行かなくていい」といわれました。「たすけて」「やめて」と大きい声でいったけどおかあさんも、弟たちも、誰も助けてくれませんでした。おかあさんは、どうして助けてくれなかったんですか?こんな話、たくさんあります、祭りの日、顔に「ぺっ。」とつばをかけらたこともあります。全部かくときりがないし思い出したくないのでもうやめませす。秀樹が躁鬱病になって、お母さんはわたしにいいましたよね「店よりも秀樹が大事だ」だったら店のためにあんなになぐられた私はなんだったんですか?おとうさんは、子供たちが親戚のおじさんおばさんからもらったお年玉をぜんぶ「おかえしするんだから」といって自分のものにしていました。欲しかったものも私に買ってくれないでコツコツお金をためていたんですね。それで今、家を2件もつことができたんですね。もちろん、それ以上に努力されてきたんでしょうけど。うちではぎりぎりで生活しているし、月々貯金もできなでいるしわたしのおこずかいなんてありません。 払っている家賃がおとうさんのおこずかいになっているんなら菜奈子の習い事や、お祭りで着る浴衣がちいさくなったので新しいものを買ってあげたいと思いながら、、お父さんに払っています。こんな人がどうしてもわたしの父親だとは思えないんです。秀樹が入院していたとき「レモン色の浴槽(お風呂)がほしい」といえばお父さんはすぐに買ってあげますよね?秀樹はピアノも2台もっているし、何百万もするトレーニング機械ももっています。大学生の時も私の2倍くらい仕送りをもらっていたのを知っています。どうして兄弟でこんなに差別されるんですか?わたしも躁うつ病になりたい。そうすれば、まいにち将棋してあそんでいて、欲しいものは手に入るし給料がたくさんもらえるんだから。お父さんさんの子供は、秀樹だけです。かおも似ています。それに、秀樹と私は育てられ方もちがっていたと思います。おかあさん、わたしに、別な父親がいるんだったらどのひとか、おしえてください。きっと、きっとやさしい人だとおもいます。その人にいっぱい「お父さん、お父さん」って甘えたい。本当の父親は、わたしのことが大事だと笑ってくれます。そう、思わないとつらくてたまりません。---------------------------------それともうひとつお願いがあります。「遺書をかいている」とか「遺産残してやる」ということはいっさい、口にださないでください。この先のことは、どうなるか誰にも予測できないことです。甘いエサをぶらさげられてももう私はなにもする気はありません。弘樹もそんなことはいわないでください。それに、弘樹や、秀樹と将来そんなことで仲たがいしたくありません。お父さんと会いたくありません。私のことはそっとしておいてください。 「店のことだけがんばってください」
September 14, 2005
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