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え~ みなさま~お久しぶりでございます。。。ご機嫌いかがお過ごしですか???もうとっくに春ですね。あっ、そうそう先日の誕生日にはたくさんのおめでとうメッセージ、本当にありがとうございました!!全然お返事返せてなくてごめんなさいっ!でも、とっても嬉しかったです♪ありがとう。。。実は、その辺からちょっと長い間、遠い所におりました。えっ!?どこかって?それでは、みなさまにヒントです。勝手に想像してくださいね。1、それは綺麗な海だった。2、カジノが100年の歴史があって、 私は、15000円を10分ですってしまった。3、フェラーリが普通車のようにバンバン走っていた。4、ボートやクルーザーがいっぱい並んでいた。5、今なら、車が300キロで走っている。6、とても小さい国だった。3キロぐらい。7、ヘリで飛んだらおもちゃのようですごく綺麗だった。8、とても今、「タイムリー」でテレビでバンバン中継されている。どうですか?わかりました?なんだか、とってもゴージャスな場所でした。私は、用事で行ってたのですが、もしそれが今だったら、ホテルは何十倍らしいです!しかし、英語圏でないところは困りますね~。英語で質問しても、フランス語やイタリア語スペイン語で返ってくるので、さっぱりわかりません。とりあえず指差す方向に行く私でした。やっぱり英語圏が、安心ですね~~♪(←英語もしゃべられへんくせに)それはそうと、もうとっくに春ですね~。。。私の大好きな春です。春だ♪春だぞ~♪ラン ラン ラン♪(←頭がお花畑)みなさまは、何回ぐらい、桜を見に行きましたか?私は、お寿司を作って(5人分)、作りすぎて失敗しました。残せないたちで、食べ過ぎて苦しくて桜どころではありませんでした(本末転倒、、)でも、通り過ぎる人たちが『わあ~綺麗~!!』と言って立ち止まってくださるので、、、ああ、勘違いしないで、もちろん私ではなくて寿司の事ね。(わかっとるわ!)がんばって作った甲斐がありました。桜吹雪の中で、手作りのものを食べる。こんなに幸せな瞬間はありません。「あんなに寒い冬だったけど、ちゃんと春がまた来た~これからは、あたたかく楽しい半年が過ごせる!」それを考えたら、スキップしたくなります♪大阪の桜の宮というところには、川を挟んで両岸に何キロも桜が並んでいて、一年のうち2週間は、お祭り騒ぎです。昔ながらの『駒まわし』のおじさんや、大道芸人の人たち芸をするオウム、アルプスの山奥から(外国の)は、素晴しい音楽の演奏。。。横には、川を行き交う桜見のクルーズ船。。。そして私たちも、満腹の苦しいお腹を抱えその後クルーズを楽しみました。船から見る桜もまた、風情があります。世の中のすべての場所が、ずっとこんなに平和だったら良いのにな、、、そう願わずにはいられません。。。みなさんは、どんな春を過ごされてますか?私はNHKのチャロで英語の勉強中です♪子供用かと、なめてたらどえらい難しいんですけど。。。漫画はかわいいんだけど、内容はかわいくないんですけど。何とか必死でついて行ってるのですが。。。それでは、皆様ごきげんうるわしゅう♪それぞれの春を「悔い」のないように、お楽しみくださいませ♪
2009年05月25日
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2009年 明けましておめでとうさんどす~♪昨年は、えらいお世話になりまして、ありがとうさんどしたな~。マリリンはんも、感謝してる~ゆうて喜んどりましたえ~。今年もよろしゅうにおたのもうしますえ~♪あら~~?これはどちらさんどすか~???あっ、もしかして『舞妓haaaan』の柴咲コウはんどすか~?いやいや、ぜんぜんお顔が違いますな~。あんなにべっぴんさんと違いますな~。ほな、これ誰でっか!?あら!!マリリンはんでっか!!!あら~、いつもは真っ黒け(ジグロ?)の顔してはるのに、えらい真っ白けの顔になってしもうて、とりあえず誰やさっぱりわかりまへんな~。正月やさかい、とりあえずで載しときましょ~♪ほな、さいなら~みなさん、今年もごきげんよろしゅうあそばせ~♪チュ★
2009年01月01日
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皆様お久しぶりです^^お元気ですか???お元気ですよね!!!すっかり秋も中旬まで来ました。この半年、私はというと結局、筋肉量も増えず、体脂肪も減らず、相変わらずふにゃふにゃの体でボーっと生きておりました。(あかんやん。。。)体重43キロでふにゃふにゃって、どういうこと?(餅か?)英語の勉強もできてなくて、発音記号がまだ読めません。(よくこれで2級取ったわ)だからカタカナで下に書く。すると、読みやすくて一生記号が読めない、という悪循環。。。食べることと遊ぶことだけは忘れず、頑張っております。そうそう遊ぶといえば、京都に行って友達3人と舞妓さんのかっこした。変装したらいきなり頭がガンガン!!痛い。でも、がんばって耐えながら外へ出ると、外人さんが写真を撮らせてくれとたくさん来た。私の事を本物だと思ってるようなので、「アイム フェイク マイコ~」と、訳の分からない英語で釈明。 すると、「ホワッツ?サムシング フェスティバル?」といわれ「ノ~。。。エブリバディ キャン トライ ペイ バイ マネ~」とこれまた訳の分からない英語で、一応説明しておいた。でも、変身中とはいえ、いたるところでカメラを向けられるのは、いや、、、、。じゃなくて、けっこう、、、、快感!!!カメラを持って「いいのかな?撮らせてくれる?」見たいな顔するので(日本人も)(いいですよ。しゃーないな~撮りたければ、どうぞ)みたいな。 アハハ~~!!!!!(←あほ)話は、変わって今年も毛皮反対デモ行進行って来た。3年目。昨年より、ちょビット人数が減ったけど今年もまあ、バカほど天気が良くて(良すぎて)結構、私は汗だくでございました。。。それなのに、嗚呼、それなのに、そのクソ暑い中、毛皮のファーで埋め尽くされた襟巻きをしてる人がいた。私の背中は、軽いジャケットで汗が流れているというのに、1メートルもあるようなファーの襟巻き。。。そのセンス。季節を先取りするのが、ファッションなのは私も知ってるけどエスキモーじゃあるまいし、カンカンでりの中、完全に浮いてるで。毛皮は、余りにも残酷で身勝手で傲慢でナンセンスなファッション。血だらけで毛皮だけはがされたウサギやキツネがまだ生きている写真を掲げながら、私たちは声を上げながら、歩く。デモ行進というと、なんだか特殊な団体がやっているという感じがするけど、この毛皮反対運動ほど当たり前のことを訴えている行進はないと思う。それでも、日曜日のショッピング中の人の中には「何!?この変な人たち??バカじゃないの???デモ行進だって~!!」見たいな顔で、バカを見るような顔で笑う人もいる。吉野家の旗をもって、笑いながらまねをして、列に入ろうとするふざけた若者もいる。また、罵声を浴びせるおっさん(失礼)もいる。逆に、配っているビラを読んで共感してくれたのか、ショッピングの途中のご家族連れが、列の最後尾に途中参加してくれたり。。。そういうサプライズは、とっても嬉しい。。。そして、毎年会う参加者は同じ毛皮だけじゃなく、考え方が似てるのでお話してると楽しい。エコの事、動物の事、すべてに優しい人がいっぱい。その人たちの活動を聞くと、自分がまだまだだなと思う。自分の為だけに生きているのではなく、自分以外の弱いものに注目して何かできないかと考えている。もちろんいろんな人がいる。色物と見たい人は見ればいいと思う。訴えていることは、『必要のないファッションの為に残酷な殺され方をしていることを知ってください。』ということだけ。食べるためでもない。エスキモーのように、凍え死ぬほど極寒でもない。人は、自分を良く見せたいだけ。動物達は、毛皮のためだけに殺されていく。毛皮以外は、ゴミとなる。あなたは、どうですか?自分が毛皮を持っていたために、宇宙人からファッションの為に、生きたまま毛皮をはがされ捨てられてしまっても、平気ですか?そんなひどいことをする宇宙人を、憎まずにいられますか?動物は、自分の人生?を生きる権利はないのですか?人間だけが地球上で生きる権利があるのですか?毛皮は、余りにもひどい殺され方をしているのです。それを中国人にさせているのは、日本人です。現実を知ってください。買う人がいなくなれば、売れなくなれば殺される動物は、なくなるのです。人間のした事は、人間に返ってきます。自分のした事は、自分に返ってきます。杉本彩さんが、芸能人として始めて、反対のポスターに美しすぎる裸体で、協力してくださいました。これは、芸能人にとってすごく勇気のいることです。毛皮団体やいろんな利害者を敵に回すからです。でも、彩さんは言いました。「残酷に殺されていく動物たちのことを考えたら、 これぐらいぜんぜん平気」そして、その余りにも美しい体。毛皮を買うのは、男性ではなく女性だけど女性でもあのポスターは、必見です。毛皮の現実は、「NOFUR」でネットで調べられます。知らないうちに、罪深い加害者にならないで。そしてまたまた、話は変わって、うちのミースケ。5年前引っ越してきた時、野良ちゃんでそれからかなり大きくなった。というか、大きくなりすぎた。重くて、抱っこするのもしんどい。。。このミースケ。気が向いたときだけ家に入ってくる。人間も猫も自由で当たり前。しかし当然、冬は滞在時間が長くなる。24時間のうち外に出るのは、15分ぐらい。すぐにまたドアの前で、「寒いじゃないか~~!!入れてくれ~!!」と鳴きだす。でもかしこくて、この5年間で大便を私が掃除したのは、5回もないと思う。おしっこも、できるだけ外でしたいみたい。私の家は、山の中。肥やしも必要だ。でも、当然これが街の中でも同じこと。どこで生きようが、どこでそそうをしようが人間に文句を言う権利はない。なぜならこの地球は、動物にも人間と同等に生きる権利があるから。動物から見れば、人間はすごくひどい生物。勝手に、土地を売買して線引きして自分の土地だと決めてしまう。それこそが、間違いの根本。強いものが勝つ。数の多いものが勝つ。迷惑顔で、「住み着くからえさをやるな!!」と人間はいうけど、そしたら、お前もメシ食うな!って思う。自然を壊し、動物を追いやり、「カラスの被害が、、、猫のふんが、、、。」って、そしたら動物はどうやって生きるの?自分の近くにいてもらいたくない。迷惑だから。そんなこと、どうやって動物に説明するの?どこにいようが、動物の勝手。それを邪魔する権利はない。自然を壊してきたのは人間なのだから。話が、、、それた。(いつもの事)そんなこんなで、ミースケのゴキラク生活ではあるが、先日、夜9時ごろから入ってきて、私が寝て、しばらくした頃(1時ごろ)に、静寂を破り、突然外に出たいと鳴きだした。それ、やめてね。寝かけた頃は、一番睡眠が深いそうだ。そんな時に、ドッグゲージから抱いて玄関まで連れて行くのはつらすぎる。目が開いていない。階段落ちそう。。。ボーイフレンド(ノビちゃん)とのデートの約束の時間だったのか、あるいは、急にもよおしたのか、知らんけど。ちゃんとミースケに次の日、説教だけはしておいた。「ご休憩は、退室が12時までとなっております。 ご休憩で入ってきて、途中で変更する時は、 追加料金をいただきます。 また10時以降に入室されたら、自動的に ご宿泊となります。 ご宿泊されますと、朝8時まで施錠されておりますので 退室はできかねます。 退室の際は、内線9番で、、、じゃなくて大声で鳴いて下さい。 清算は、自動清算機でお願いいたします。 清算されますと、自動的にドアは開錠されますが 清算から5分以上経ちますと、 ドアがロックされることがありますのでご注意ください。。。」納得したのか、してないのか、ゴロ~~ンでお腹見せて許してもらおうという魂胆のようです。。。ブログ更新の催促をしてくれた、まりえさん、ありがとう!!!嬉しかったです♪ でも、遅くなってごめんなさい~~!!それではみなさま、ごきげんよう。。。
2008年10月24日
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え~~~、皆様、、、ごきげんいかがお過ごしでございましょうか???はや、雪解けも過ぎ、、、冬眠していた私も、もちろんとっくに地上に上がっていたわけですが、パソコンにどうも気が向かず、、、花見にばっかり行っていたマリリンでござりまする。こんなに更新があいたのは、初めてだったけど開きすぎると、なんだかスンバらしい物を書かなきゃ。。。とのプレッシャーから、余計書きにくく。。。たまにチラッとこわごわブログを見に来ると、エロエロっぽい書き込みがズラ~~っとあったりして、消すのもかなりめんどうで、ブログも管理してないと、雑草が増えるどころか荒らされっぱなしで、いや~~、毎日更新しているお仲間に頭が下がりまする。。。今日は、花見の話でした♪3月1日は梅花祭!!まだ寒い中、今年流行ったダウンコートを着て、防寒ばっちりで行きました。境内の階段を走って登ると、うめがゆと梅弁当が売られている。。。あったあった♪ふとかばんに手をやると、、、ない!!!財布が、、、、ない!!ガッッビョ~~~~ン!!!!!!家に忘れてきた。車に戻り、床のカーペットをめくりかばんの底をひっくり返しても千円ちょっとしか見つからない。うめがゆが600円、弁当が千円。両方食べる予定が、えらい狂った。うめがゆは譲れない。仕方なくうめがゆだけ食べた。まだまだお腹がぺっちゃんこ。。。600円どこかに落ちていないか。こうなると人間は地面ばかり見てる。でも、何も落ちてない。あきらめて境内を抜け、山の公園の方に更に登って行った。なんだかいい匂い。。。タ、タコヤキだ♪6個300円、10個500円と書いてある。仕方ない300円の方にした。はふはふ、いいながら食べてると「やきもち~~~焼きたて~~~♪」というではないか!!!なんぼや???と恐る恐る見に行くと150円♪ヤッタ~~~~!!買えるぞ!!!ドリンクをあきらめ、あんこがたっぷり入った焼きたての大きな焼きもちを食べて、水なしですべて食べきった私であった。。。以上!!あっ、梅を見に行ったのを忘れてた。梅は、まだ5分咲きぐらいでこれからって感じでした。でも、たくさんの人が来ていて、絵を書いているサークルもあり、ハーモニカを吹いている人もあり、見ているだけで。本当に幸せな時間でした。。。夫池ねえ、、、(もとい)おっといけねえ、、、今日は、私の誕生日でした!!!こんな日に更新なんて、暇人みたいじゃないか!!いえいえ100人を越えるボーイフレンドからのオッファ~を断り、書いてるんだぴょ~~ん♪でも、主役の登場を待っている豪華パーティーがあるから(夢の中で)、今日はこの辺で。。。おやすみなさい。では!皆様の楽しいゴールデンウィークを願って。。。 愛を込めて、、、チュ♪
2008年04月25日
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え~皆様ごきげんいかがお過ごしでしょうか?相変わらず、お寒うございますね。でも、2月は暖かいと言われてますので、それを信じて、希望を捨てずに生きて行きたい私です。。。 3月の1日は、毎年『梅花際』です♪なんじゃそれって!?近くの神社で梅が満開で、すごく地味なお祭りがあるのです。屋台も5件ぐらいしか出ない地味さなんですが、私にはお目当てがありまして。。。そ、、、れ、、、は!うめがゆと梅弁当!!(ちなみに600円と千円ね)もちろん私だけは、両方注文します。(おばさんがびっくりした目で毎年、私を見るけど)先に暖かいうめがゆを一気に食べて、体がぬくもると、そのあとゆっくり梅弁当を頂く。。。本当はまだ寒いんだけど、白い息を出しながら、暖かいうめがゆをすすっているともう春が来たようで、とっても楽しくワクワクしてくるんです♪♪♪(×3倍) 3月からどんどん寒さがポカポカに変わり、あちこちで花が咲き、虫が出てくるとスキップしたくなります♪(病気じゃありません) コートなんか脱いで、ブラウス一枚で外を歩けるシアワセ。ブーツを脱いで、ミュールで駅まで向かうシアワセ。あちこちの家々の緑に目をやりながら、鳥達の声も楽しそうで、野良猫や木々までも、幸せそうに見えます。 つらい冬をよくぞ頑張って耐えたね。さあ、これからはまた明るく楽しい季節だよ! ちょうど蝉が脱皮して、カラを脱ぎ捨てなぜか蝶々に変身して、生命の喜びを感じながら羽をはためかせて、空へ舞い上がるようなそんな季節です。(ようわからんてゆうな!)(イメージや) そして4月は桜ちゃんです。日本は、桜がもっとも美しい国です。見上げると、花が木を覆うような勢いで咲いています。 大阪は、造幣局の通り抜けが有名です。その周りの桜ノ宮駅(いい名前すぎる)から天満橋までの川の両岸、5キロぐらいあるのかな?延々と続く桜並木の下には、お待ちかね私の大好きな屋台が、、、。 屋台の数も半端ではなくて、何百かわからないぐらい出てる。そのにぎわいがいいんだけど、実際に食べれるものは、秋田のこんにゃくとか、おでんとか、とうもろこしとかぐらい。でも、あのどこか懐かしい雰囲気が好きなんだよね。「プェ~~~~!」ってゆう風船が先に付いた笛の音とか、川を行く観光船のポンポンいう音とか、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、すべてが楽しそうでワクワクする。。。でも、私の一番好きな桜は何処かの家の庭や、自然な場所に、遠慮深そうに静かに咲いている桜なんです。「あ!此処にも春が。。。」 思いがけず期待してなかったのに、道で見つけた感動は、なんともいえません。神様は、こんなにも美しいものを見せてくださるんだな~っと。自然の美しさには、人間が作ったものは絶対に勝てないんだもの。私の誕生日は4月。大好きな季節がお誕生日で嬉しい!! 私、実はクリスマスもあんまり好きじゃなんだ。寒いイメージがあって、だからオーストラリアだったらクリスマスが夏だから楽しいかも。でも、クリスマスが夏ってどんな感じ?サンタさんが、トナカイのそりに乗って雪の中をプレゼント持って、、、ではなく、サンタさんが、ドルフィンのウェークボードに乗って波乗りしながらかき氷をおひげにいっぱいつけて「ヒュー!!」とかいいながらやってくるのかな?なんかイメージ違うな。。。でもまあ、それでもいいや。 私のような寒がりは、年中常夏のハワイか赤道直下に生まれるべきだった。(沖縄も寒かったし、、、なんで?)でも、ごはんは日本に勝る所はないし、、、。ムム。 まあ、とにかく皆様!あと1ヶ月の我慢ですぞ!!(私だけ?)もう、虫たちも花々もウズウズしています。。。私は、映画の鎌田行進曲のラストシーンのように、(映画では階段落ちで、『上がって来い!!』だったけど)虫たちに『出て来い!!』と言って、両手を差し伸べたいぐらいです。(なんちゅう例えや) 以上。春を待つマリリンでした。
2008年01月31日
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あけましておめでとうございます。2008年、平成20年ですか。。。平成20年という数字が信じられません。早っ!! え~~、皆様、ご機嫌いかがでしょうか?お正月だけ、冬眠を中断し、おもちをたらふく食べようと地上に出てきた、マリリンでございます。。。 新年のご挨拶が遅れまして、すみません。ちょっと、冬眠から覚めたついでに遠方まで旅をしておりました。 え?どこって!? さあ、、、良く覚えてないのですが、私が経験したことで皆様に考えてもらいましょう。。。 1、とても寒く、カイロを忘れて大変後悔した。2、 マフラーも忘れて、大変後悔した。3、大阪より、寒かった。4、ひざまで、海に浸かった。(冷たくて死にそうだったが、死ななかった。)5、やぎさんと遊んだ。(めちゃ可愛い。これを食べる人間がいるとは、信じたくない)6、ラマにえさやった。(えさ、くれと挨拶した)7、ヒラヤーチ食べた。(モズクヒラヤーチだった)8、ジーマーミー豆腐食べた。かなり好き♪。9、ココナツジュース飲んだ。千円もした。(ヒェー!)10、イカスミそうめん食べた。これも、かなり好き♪(オハグロなった)11、市場で熱帯魚見た。(カラフルで綺麗。飾っていたい。)12、道を聞いたら、みんな親切だった。13、町のあちこちに、瓦屋根の上にあるいは門の上に、 怖いような、可愛いような口の大きな犬がいた。14、とても小さな、葡萄をたべた。緑色で、直径1ミリだった。(ぷちっといった)15、外人さんをたくさん見た。日本人とのハーフもかなり多かった。16、巨大な鍾乳洞の中に入った。ポタポタ頭に水が落ちてきた。17、紅芋タルト食べた。(マーガリンが入ってないものを探すのに苦労した。 入っている店では、店員さんにに聞こえるように有害性を熱弁した。独り言だよ~。)18、アーサーそば食べた。(アーサーとは、アオサ海苔。おいしかった。)19、スーパー銭湯がなく、1500円もした温泉は、無言になるほど小さかった。20、 3メートル以上の長さの蛇に、首を絞められ、死にそうなった。 以上が、今回の旅先で覚えていることです。さて、私はどこに行ってたのでしょう??わかったかな~? 20個のヒントで、ピンと来た方はコメント欄にぜひ答えを書いてね!!当たった人が多かったら、小さなプレゼントを考え中。。。 それでは、本年もよろしくお願いいたします~♪私の激動の人生シリーズもまだ続きがあります。 今年も、明るく!楽しく!!ほがらかに!!! ごきげんさんで生きましょう♪ まりりん。チュッ。
2008年01月07日
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え~~~、皆様、ご機嫌いかがお過ごしでしょうか。。。こちら冬眠中でありながら、いたって元気なマリリンでございます。 私は、好きな言葉に 「ブッフェ、バイキング、食べ放題」と、せっそーのない名詞が並んでしまうのでありますが、その一番の理由は、ズバリ「大食い」に尽きると思います。 (やっぱりってゆうな!!) 身長156センチで41キロ。決して、太っていないにもかかわらず、私の食べる量は結構なものがあります。 生まれた時は、ぎりぎり未熟児で、2480グラムだったとか。なかなか出てこれず、無理やり機械で引っ張り出したらしいです。よっぽど、出るのが嫌だったのでしょう。。。私らしい。 その割には、妊娠9ヶ月で生まれたらしく好奇心もあったのでしょうか。その辺も私らしい、、、。 いやいや、機械で引っ張り出され未熟児で元気がないのかと思いきや、大病院で大勢の乳児の中、予想に反し、一番良くミルクを飲んだらしい。。。(ミルクよこせ!!) 今でも、一日中、いや年がら年中、食べることで頭がいっぱいの私だから、「うまい」?と思った、ミルクをガブガブ飲んだのは当たり前か。。。 そんな私が子供の時は、母が料理をほとんどせず、常にお腹が空いていたので食欲が人一倍になってしまったのは、これまた、いたしかたないことなのか。。。(私の人生を読まれた方は、良くご存知ですね)いかん、話がそれてる。 話を元に戻しまして、そうそうケーキバイキング。。。友人に誘われ、初めてケーキバイキングに行って来たのであります。 お一人様、1200円。大阪の田舎まちは安いな。(自分の街)なんと、朝から90分毎に満席。買ったことあるけど、かなり美味しいケーキ屋さんです。私たちは、夜の7時スタート。もちろん満席で私たちの席がひとつ空いているだけ。内訳は、9割をおばさまが占めている。(私のおばさまの定義は、ドテッとした体系でお洒落に関心なしの人)男性は、2人だけ。(メタボ気味)(、、、やっぱりか) ショーケースにやや小ぶりのケーキが15種ぐらい並んでいる。そのショーケースに、人間が15人ぐらい並んでいる、、、。 「おお、食べるために人はここまでするのか。。。」 並ばなくても空いてから行けばいいものを。自分のことはすっかり忘れ、並びながら血走ったマナコで、ショーケースを選別するおばさま方をウォッチング。「もう、それ以上体に脂肪をつけないほうが、、、。」っと、心で何度も叫んだ。 前を見ると、友達はいない。さっさと、皿を持って並びに行ってた。 私は、狭い喫茶の中、列に並ぶ気にもなれず、どうしても暇なので、よそのテーブルを見てしまう。 「パクッ!パクッ!!」これが、ケーキを食べる音だろうか。話に夢中になりながら、手だけはケーキを3口ぐらいで平らげ続けている。「早く食べないと損、元を取ってやる!!」それが見え見え。(これが大阪か)お皿の上のケーキがマジックのように秒単位でなくなっていく。。。 「ケーキは、おにぎりじゃないぞ!!」私は、もう一度心で叫んだ。 ケーキというのは、作るのに非常に手が込むものだ。見た目にも綺麗でなくてはいけない。上品に、お紅茶でも頂きながら、お話に花を添える。それが、ケーキというものではないのか。 そもそもケーキというものは、贅沢品であるはずだ。私が子供の頃は、お洒落なパティシェなんていなくて、それでも街のケーキ屋さんは、 通り過ぎるだけで良い匂いがして、憧れの存在だった。 年に2回だけ。誕生日とクリスマスにホールケーキを、箱から半分引っ張り出し、スプーンでくずしながら1週間かけて、減っていくのをいとおしみながら食べたものだった。 そんなケーキが、バイキングとなるとご飯代わりなのか、味わうこともなしに、詰め込まれている。『ギブミーチョコレート』を思い出せとは言わないが、たかが、60年で世の中はこうも変わるものなのか。 味わってもないのに、カロリーだけは高くて、全然ヘルシーでもなくて、脂肪に変わるだけなんて。。。嗚呼、悲劇。 前を見ると、友達はお皿いっぱいに8個のケーキを乗せて帰ってきていた。色とりどりの綺麗なケーキに、私のお腹もなんだか一杯に。しかし列が引いたので、ようやく私も出陣。う~~~ん。どれにしよう。どれも食べたいけど。。。。 結局、友達は、15個ぐらい食べた。私はというと、友達のを味見させてもらってばかりで、それを合わせても3個にも行ってない。ふと隣を見ると、さっきのおばさんが「最後にもう一回行って来るわ!」と立ち上がった所だった。(もうやめときって)それにつられて、4人テーブルの全員が並びに行った。(あ~あ) 20歳以降は、そんなに甘いものがいらなくなった私。お酒も飲めないし、タバコも吸わないし、やっぱり、、、これは ご飯に走るしかない!!! ケーキバイキングの後、「もう何も食べられない!!」と言う友達を無理に付き添わせ、いちもくさんにすし屋に走ったのは、言うまでもない。
2007年12月11日
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ついに冬眠状態に入ったマリリンでございます。みなさま、如何お過ごしでしょうか?冬眠中は、湯船に浸かっている時と岩盤浴に入っている時、そして、チゲ鍋を食べているときだけ目を覚まします。。。さて私、先日大阪は難波の道頓堀を歩いておりました。ふと見ると、1メートル今日の水槽に80センチのクエが入れられているのを発見しました。初めは、「ヒャーー!!大きなさかな!」っと、その大きさにびっくりして、へばり付いて見ていたのですが、よく見ると、全く動いてないんです。でも、確かに目は開いている。実は、動いてない理由は動いてないんではなくて、動けなかっただけでした。水槽からして、このクエがギリギリの大きさなんです。だから、反対を向くことはもちろん前に進むことも、泳ぐことも出来ません。私は、食べる為の水槽を見るといつも悲しくなるのですが、この時は、あまりのひどさにショックを受けました。水槽は、お店の外の壁に埋め込まれているので路行く人は、みな「ヒエ~~~これ見てみ!!」っと、驚いて行過ぎます。水槽の前には、自慢げに「 特大クエ 80キロ!!お一人様6千円より」と書いてある。取りあえず、お腹がすいてたので、そのクエを食べた。(もちろん冗談)、ご飯を食べに別のお店に向かった。しかし、どうしても気になる。。。あのクエさんは、いつからあんな狭いところに身動きも出来ず、入れられっ放しなのだろう。宣伝とはいえ、食べるだけではなく苦しめ続けるなんて。帰り道、あのお店の前を通った。やはり、全く動けないでいる。自分がどうしてここに閉じ込められているかもわからず、自由もきかず、釣り上げられた事をひたすら後悔しているだろうか。。。もう、あの大きな海には戻れないとわかっているだろうか。どうにかして、もう一度だけチャンスをあげられないだろうか。1人前6千円というけれど、何人前なのだろうか。80キロって、何人前なのだろう。頭の中で、色んな考えがぐるぐる回りだした。そして私は、ついに勇気を出してお店の中に入っていった。ほんまに聞くの?っと、友達に言われながらも、振り切って入っていった。とても愛想良く、おじさんが振り返る。 「ヘイ! らっしゃい!どうぞ中へ」 「いえ、違うんです。。。 ちょっと聞きたいんですが、このクエ一匹だと おいくらでしょうか?」 「え!?おねえちゃん、さばきはんのん? 鍋やったら、うちで1人前6千円やけど、、、。」 「いや、、、あの、 一匹丸ごといただく場合、おいくらかなっと思って、、、 何万円ですか?」 「一匹って、、、どうやって食べはるのん? 運ぶだけでも、さばいてからでないと大変やで」 まさか生きたまま欲しいと言ってる理由が、 わかってもらえるはずも無く、値段も教えてもらえない。 仕方ない、本当のことを言うしかない。 「生きたまま、欲しいんです。 食べるんじゃなくて、う、、、うう うみに、、、帰したいなと思って、、、。」 頭がいかれてるんじゃないかと、思われるから 言いたくなかったけど、値段を知る為には言うしかなかった。 一瞬、お店の人全員が笑った。。。 笑ったというより、冷笑だった。 もう、一切まともに私の顔も見ず、 後ろを向いたままで、手を振り帰ってくれ、、、 という合図。 こうなることは覚悟していた。 でも、値段ぐらい聞いてもいいじゃないか!! 利益を載せた金額を言えばいいじゃないか!! そちらの宣伝であるということぐらいわかっている。 それでも、恥を忍んで聞いたのだ!! 「おねえちゃん、、、、(あきれた様子) 何万円じゃ、無理やで。 仕入れからしたら、そうやなあ~ 50万円やな。」 撃沈!! 高いとは思ってたけど、50万円とは。。。 ほかにも同じような魚はたくさんいるし、 みんな助けてあげられないけど、 目の前にいるこの子だけは何とかならないかと 踏ん張ってみたけど、 所詮無理だった。。。 私は、友達に引っ張られながら、 クエさんにお別れを告げました。 多分、あの巨大クエさんは この年末の忘年会の鍋の具になるでしょう。 ごめんね。クエさん。。。
2007年11月24日
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あらら~。今月初の日記行進、、。まちがった、更新です。 皆様、いかがお過ごしでしょうか?まりりんです。10月はとても寒かったのに、11月はなんだか暖かくて、冬眠するのを、もう少し延長しようかと思案中です。。。 さて、先日毛皮デモ行進に行って参りました!!当日は(10月21日)、ポカポカととても暖かくていい日でした。去年も参加した私は、もう経験者なので堂々としたものです。見ると、去年いた人もいるぞ。お互いに顔を合わせて、「あら~~!!お久しぶり~」てな感じ。雑談していると、出発の時間が、、、。「リアルファー反対!!」と書いてあるプラカード?のようなものを高く上に上げながら、いざ出発!!今年は、服装の指定があって、黄色のトップスとの事だったが、探してみても、黄色はない。ない人は白ということなので、白にした。連帯性と目立つということが目的なのだろうか。黒よりは白のほうが確かに目立つな。私は、全身白にした。そして、いつもよりずっとお洒落にした。これは、去年からの私のポリシーなのである。 毛皮反対運動のデモ行進というと、訴えていることはいたって普通なのに、まるで色物でも見るような目で見る人もいる。デモ行進というもの自体、街行く人にすればやかましいだけのよくわからない団体なのだろう。私にも、そういう既成概念があったから、去年参加するのに勇気が要った。(少しは)本当は、キグルミを着たり、服装を統一した方が目立っていいのだけど、私はそうすると余計にややこしい団体に見えてしまうような気がしてならない。 だから、私は初参加の去年から目立つ色で、自分の出来るだけのお洒落をして行く。 お洒落をするのも、理由がある。可愛いと思われたいから!?(違うで)でも、本当は毛皮はもう古い!ということを言いたいが為。今のお洒落な人はもう残酷な毛皮なんてセンスのないものは着ないんですよ~。最先端のセレブは、もう毛皮を着ないんですよ~。てな感じで、私は行進してるんです。だから、髪もわざわざ巻いて、お化粧もしっかり、運動不足で行進中に背中が汗ばんで来ても、いつも笑顔で優雅に手を振るんです。ポイントは、決して真剣さを出そうとして眉間にしわを寄らせないこと!!あくまで、楽しく、自分も楽しむ。でも、掲げているプラカードには悲惨なキツネやウサギちゃんの姿があるけど、暗い顔をして訴えても、誰も見てくれないからね。 歌舞伎座前では、舞台を見ようと並んでいるおば様方が沢山、「なんじゃ?」という顔でずらっとこっちを見ている。今から、松平健のショーだというのに、開演前に何の騒ぎじゃ!?という感じで見てる。しかし、その人たちもニコっと手を振ると、皆さんが手を振り返してくれました!!あの世代の人たちも、襟巻きやボンボリなど毛皮を良く消費する傾向にある人たちです。ここは、頑張り所です。私は出来る限りの笑顔を振りまきました。いかにも、私はセレブですよ~という若干無理気味な笑顔で、しかし優雅に微笑みました。 御堂筋の心斎橋から高島屋まで約1時間強。秋晴れの中、本当に楽しい行進でした。街中の人々に大きな声をあげるなど、そうそう出来ない経験です。行進の後は、なんだかスッキリするんです。「やってやったぜ!!」みたいな。それでも、去年の70人から150人に倍に増えたらしいです。事実を知った人が、急でもいいから買わない派に翻ってほしいです。 行進には、「no fur」と書かれた服を着た犬達や、胸に抱かれたウサギちゃんも来てました。「まさか、うさちゃんも自分たちの為に人間達が今日、こうやって行進してるなんて夢にも思ってないやろな~!!」と、私が言うと、「ほんまや~」と言って、みんなが笑ってました。 犬の中には突然、もようした子もいて、いきなりへっぴり腰で、いきみだして、足がワナワナしてて、結構わらかしてくれました。大都会で、関係なしに「お取り込み中」に入ってしまう大物のワンちゃんでした。。。 良く晴れた秋の日の一日でした。 しかし、また寒くなってきた昨今街かどでは、急に毛皮を目にすることが多くなってきました。デパートでは、千円均一のラビットファーの襟巻きが、山積みにされている。売り子の人が、今度は私に微笑む。「お嬢さん!気持ちいいですよ~。首元にいかがですか?安いけど本物は、違いますよ~~ホラ!!」 私は、無言で立ち去った。。。
2007年11月12日
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はいはい、皆様、ご機嫌いかがでしょうか。最近、また少し暖かく、冬眠を延期中のマリリンでございます♪ さて、先日書きました、江原さんに会ったぞ!!というお話。わたくし、一度なまの江原さんを見てみたくて、友人と行って参りました。 チケットは、ジャスト一万円。世界陸上より少し高いけど、あの江原さんの講義を聞けて、人生観がまた変わり、身につくものがあれば安い安い。 そして、行って参りました。仕事の後だったので、少しばかり遅れ(5分)、遅れ組みばかりで 集められ、ドアの前で待っていた。すると、みんながそこにあるテレビを真剣に見ている。私もフト見ると、誰かが手を組み、オペラを歌っているではないか。横に女の人もいるが、その人もオペラ歌手のような出で立ち。 まさか!!かばんの中のチケットを見た私。。。 「江原啓之チャリティコンサート」 と書いてあるではないか。 ガ~~~~ン!!講演会ではなく、コンサートだったのだ。直前でチケットを慌てて買ったので、よく見ていなかった。さすが、私らしい。。。友達は、「あんた、、、私オペラなんか見たくないで」と私をにらむ。とほほ。 しかし、扉はついに開いてしまった。私は、友達ににらまれたまま。 舞台には、誰もいない。私たちが座ると、誰かが出てきた。「江原さんだ!!」そう、さっきの手を組んで歌っていたのはまさしく江原さんだった。挨拶もなく(もうしたのか?)、いつもの着物とはぜんぜん違うかっこで歌い続ける江原さん。お題は、「椿姫」というものらしい。が、続いて出てきた女の人と2人で英語でもない歌を甲高く歌い続けている。5分ぐらい、見入っていたがやっぱり訳もわからず、隣を見ると、友達の彼女は既に目をつぶっていて、、、要するに、、、寝ていた。 吹き出しそうになって、彼女の横の人がどう思っているかと目をやれば、隣の人も首をうなだれてお眠りになっている。。。そして、その人と一緒に来たであろうそのまた隣の人も、、、。 右3人が、完全に目をつぶている状態に笑いが止まらず、左を向くと、こちらはオペラグラスを持って、前のめりで必死で見ている。 なるほど、、、右の1組は、今日がコンサートとは気付かず、来てしまった組みかな。 わずか5分という余りの速さに友達を怒ろうにも、その隣も、そのまた隣も左へ習えで、私は笑うことしか出来なかった。 しかし、オペラとはむつかしい。歌っている意味を横で掲示板で流してくれているのだが、ぜんぜん追いつかないのだ。掲示板の訳を目で追っている間に、舞台はどんどん進んでしまう。なんだかわからないうちに 、一部は終わってしまった。二部は普通の歌らしい。 「今日、オペラ初めての人はどれぐらいいますか~?」江原さんが、間で聞いてきた。なんと半分ぐらいの人が手を挙げている。もちろん私も。そして、右3人も。。。 2部は、江原さんが出している歌を歌ってくれるらしい。6曲ぐらいだったか、初めて聴いてもいいなと思う歌もあった。やはり、江原さんは歌が上手い。声量というのでしょうか。肺活量というのでしょうか?あの体型ですから、、、。いい声が出ます。みんなが期待していたお話は少しだけありました。しかし、江原さん「今日来たのは、、、、ハイ!」 みんな「必然で~~~~~す!!」それぐらい、本で知ってるぞ。と思いながら、でも、オペラなんて高級なものを初体験して、会場内に響き渡るオペラ歌手のビブラートのすごさに感激した私でした。最後に江原さんが、子供に母親が童謡を歌ってあげてください。大人になったとき、苦しい時にそれが必ずその人の支えになるから。 と言ってました。『例え雨でも、「ピッチ、ピッチ、チャップチャップ、ランランラン♪」と、楽しく歌えば、雨でも楽しくなりますよね~。』 なるほど。 そして会場を出たら、大雨だった。シンフォニーホール前で、大勢が立ち尽くしていた。仕方なく500円の傘を買った。私のお母さんが子供の時、「雨降り」を歌ってくれなかったからか、やっぱり雨は嫌だった。 歌といえば、私も歌手でした。。。(いつから?)江原さんも、プロのオペラ歌手のように上手だったけど、私も、決して負けていません。(いや、負けてるな) ジョイサウンドのうたスキとやらで、全国ランキングが出るのを知ってます?どうせ機械が、判定するんでしょ?とか思って、カラオケの採点とかは、興味なかったんだけどランキングは、なぜかむきになる。(私だけ?)(だいたひかる風に) しかし、機械だと思っていたけど、結構正確みたい。なぜって!? だって私、カーペンターズの曲は9割以上の確率で全国一位になるんですもの~~♪ 点数は、2位を5点以上引き離してるぞ!!(ぶっちぎりさ)残りの1割は、2位。(くやし~~~) でも一曲だけ、一位になって喜んでたら、全国で私しかノミネートしてなかったりとか!!(笑)もあった。 歌の途中で、『一位確定!?』というのが出るんだけど、喜んでりきんで歌ってたら、曲が終わってみると、、、 「あなたは、一人中一番!!」って、、、当たり前じゃネーか。って、機械に突っ込んでみたり。 でも、100人中一番とかになると、『やっぱり機械も正確だな~』とか言って、妙に納得したり。いずれにしろ、カーペンターズで負ける訳にはいきませぬ!! エアロスミスのアルマゲドンの主題歌とか、ジャーニーのオープンアームズとか、、、マライアキャリーのクリスマスソングやヒーロー、トニーのアンブレイクマイハート、、、バックストリートボーイズの歌もほとんど、英語は簡単にトップになってしまう。(ムハハ) でも、日本語の曲はめったとトップにはなれない。天城越えなんて、確か500人ぐらいいて、10位にも入れなかった(悲)私の声は、英語向きなのかな? みなさ~ん!もし、うたすきで歌ったら(すきやきじゃないよ~)私を探してね~♪すぐわかるから。そして、あなたの結果も教えてね~!!「私を抜いて見ろ!」とか言われたら、燃えちゃうぞ!!!
2007年10月27日
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え~~。 皆様、お久しぶりでございま~~~す。ご機嫌、如何でしょうか?2週間近く日記が飛んでしまいました!! すっかり秋に季節は変わり、なんだか急に寒くなってきて、冬が苦手なマリリンは、いつ冬眠に入ろうかと思案中です。。。(要するに食いだめ)これから3月ぐらいまでは、私はかなりローテンションです↓。冬って、淋しいんだよね。なんだか。明るくない!外でも暗い!クリスマスの時は若干明るくなるけど、年が開けたら、また暗い。。。私が、テンション灰になるのは、、、あっまちごた。テンションハイ↑になるのは、家の近くの梅花祭でウメガユ御膳を食べる頃。。。3月1日だから、まだまだ寒いけど、もう3月だと気分がポカポカして来るんだよね~。あっちこっちの木々も、つぼみがふっくらしてきて、いろんな虫さんが顔を出す。。。卒業、そして入学の季節。。。嗚呼、めでたい。まあ、冬が大好きという様な人も周りには、いますが信じられません。。。よっぽど精神力が、強いとしか思えません。 前置きが長くなりました。エコ。この日記のテーマでもありますように、「影響を考えず、自分が良いと思ったことをやる!」ハチドリの一滴?だったかな?大火事の中で、たった一滴というばかげた影響力でも、こんなことしてても、あほらしい。。。っと、何もしないのはとても簡単。実際、大火事の一滴が何の役にも立っていないでしょう。でも、ハチドリの言葉が私の胸に響きました。「僕は、自分のやれる最大限のことをやっているだけさ」 最大限。。。そう、自分がどれだけ相手に影響力があるかではなく、やれる限りの最大限を何も考えずにひたすらやる。これで、いいんだと思いました。だって、どう頑張ったって、いきなり火を消すことは出来ないんだから。。。自分の愛する森を守る為に、たとえ一滴でも必死で水を運ぶ。それを見た、動物達が全員同じことをやりだすかもしれないし、その努力で神様に思いが通じて、勝手に火が消えることもあるかもしれない。 私は、ハッとしました。大勢の人がごみを山のように積み上げているのに、そんな中私だけ、この小さなごみを家にもって帰ってどういう意味があるんだろう。そんな風に考え、人のやっている事にため息をつきながら、正しいことを選択するよりも、その影響力を考えてつい、判断が鈍ってしまっていたこともある自分。思い出した!昔からあるではないか、いい言葉が、、、。 「ちりも積もれば山となる」その通り!!(ハイ拍手) 初めにそこに捨てた人はもちろん一番悪いけど、ゴミ箱ではないと知っていながら、誰かがもうこんなにも捨ててしまっているからどうせ誰かが掃除しなければならないから、それなら私も便乗させてもらって、一緒にお掃除してもらおう~。って、思ったことないでしょうか?私は、あります。掃除するのに、私の小さいごみが増えても、手間は同じだと、、、。厳しく言えば、同類かもしれない。。。 いまだに見ます。タクシーの運転手がお客さんを待つ間、窓を開けて、タバコの吸殻をポ~ンと外に捨てる姿。誰が、それを掃除するのですか?「あなたは、地球外生物で地球には住んでいないのですか?」と聞きたい。その運転手は、その後すぐに自分の車のフロントガラスを丁寧に噴出した。あ、間違えた。(変換が最高)ふきだしたのは、私の怒り!?モトイ、おっさんがガラスを丁寧に拭きだした。(おっさんにかわってるぞ) こんな時代だから、モラルの低下がひどい世の中だからこそ、自分に厳しく、出来る限りの事をしなければならない。誰も見ていないときこそ、自分の本性が出ます。それが、本当のその人の姿です。特にネットの世界で、匿名になると突然人を貶める言葉や、恐ろしい言葉が溢れて来ます。匿名だから羽目をはずしているのではありません。それこそが、その人の本性なのです。本来、自分の中にないものは匿名になったからといって、出てくるはずもないのです。それだけ、現在の世の中は悪意に満ち、人を傷つけて、喜ぶ人が増えているという事です。要するに、不幸な人が非常に多い。 自分を守るには、そのことを前提にしたうえでそういう世界に近づかない、事しかありません。そうすると、傷つくこともありません。そして、自分自身が地球に愛されるように自分も地球を愛し、出来ることをしていくしかありません。 マイバッグ、マイハシ(あちこちに忘れる)、資源ごみの分別、電気の節約、食べすぎ(これは、出来てない)ガソリンの無駄遣いを止める、リサイクル、色々ありますね。私も、毎日たくさんのごみを出しながら、地球を汚しながら、生きています。でも、出来ることは最大限するぞ!! あっ!でも、自分の部屋をまず掃除しなきゃ~!ガビョ~~~ン!!! 江原さんのコンサートの話は、次にします。つづく。。。
2007年10月18日
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え~~。。。 今年もやって参りました。ちょうど、去年ブログをはじめた時最初のテーマがこれでした。 もちろん、今年も行くぞ!!10月21日14時南堀江公園出発より。 なんだか、今年は服装を黄色で統一とか。。。無理!!!もってないし。ない人は、白でも可。とな。よし!私は、白で行こう。 これをいつも見てくださっている、みなさ~~ん♪ 毛皮は、たまたま死んだ動物を使っているわけではありません。日本が、安く手に入れるため中国で狐やウサギや猫が養殖され、余りに残酷な方法で殺されています。私たちには、毛皮を着なければいけない理由はありません。毛皮を求める人たちは、言うまでもなくお洒落の為に買っています。南極のエスキモーが、生きるために動物を殺しそれを食べ、その毛皮を防寒に身にまとっているのとは、訳が違います。たまたま毛皮を持っているから、動物は人間のエゴの為に毎日、殺されてゆきます。 毛皮は、動物のものです。『リアルファー』とか言って、動物の死体を着飾るのは辞めましょう。とても恥ずかしい行為です。皆さんの意識がそれを恥ずかしいと、認識するまで、それが常識となるまで、頑張りましょう。。。リアルファーを使用する事をストップした有名ブランドは、どんどん増えています。 知っている人は、何も知らない人に教えてあげてください。ラビットファーが、バーゲンでワゴンに山済みにされ、叩き売られているのを見るのは、本当につらいです。 レベルを上げてゆきましょう。。。心のレベルを。。。 http://www.geocities.jp/kabasannoheya/nofur.htm ギャ~~~!!奇跡。今、バナーが張りたくて、30分ぐらい格闘してたら、奇跡的に引っ付いたぞ!!感動。。。。しかも、カラーだ。。。すごい!私が、宣伝できたぞ!!!(もう二度と出来ないと思うけど、、、)
2007年10月05日
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あんな大恥をさらした次の日は、本当に、学校に行くのが嫌だった。でも、行くしかない。。。だってもし行かなければ、また父親が怒り狂うからだ。どつかれた頭の痛みも、心の傷もぜんぜん癒えていないけど、とりあえず登校するしかない。 例の彼女は、私が学校で昨日の事を口外しないでと頼むと、意外にも、当たり前かのように了承してくれたが、私は、これ以上傷口が広がらないように、そのことを頼むぐらいしか出来なかった。。。 クラスに着くと、グループの中の子が私を見て、冷ややかに笑ったような気がした。「まさか、、、。」昨日の今日。そんなに早く、情報が行ってる訳がない。 しかし、それは気のせいなんかではなかった。グループ全員がなんだか冷たいのだ。良く考えれば、私を冷笑したと思われる子は家の前の彼女ととても仲がいい。 私は、それを恐れていたのだ。でも、彼女は私に約束してくれた。。。「言うわけない」、、、っと。 だけど、その日から日毎にグループの関係は冷たくなり、結局私は、グループを抜けることになった。それはグループが、私が出て行くことを待っているように感じたからだった。 そしてやはり、彼女は私が父親と謝りに行ったその日に、電話ですべてを、私のクラスの子に話してたようだった。 私は、一人でいるわけにもいかず、無理無理クラスで一番おとなしいグループに入れてもらった。学期の途中で、よそのグループの子がいきなり「入れて」と入ってきて、びっくりしただろうが、割と優しかった。 そのグループには、気の合わない子もいたが、逆に面白い子もいて、私は、このグループに入ってよかったと思った。しかし、平穏な生活は続かなかった。 それからしばらくしたある日、朝、登校した時の事。 正面玄関で、いつものように下履きから、上履きに変えようと靴箱を開けると、私の上履きの中に、紙が入っていた。 私は、なんだか嫌な予感がした。大阪でもう、嫌というほどいじめを経験した私だったから、下り始めた人間が受ける行為が、空気でわかってしまう。 10センチ四方のメモのような紙を開けると、 「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」っと、紙の全面に100、、いや、、200個ぐらいの死ねがビッシリと並んでいる。 そして、真ん中に『お前なんか死んでしまえ』っと、大きい字で書いてある。 遂にここまで来たか、、、 と、冷静に紙を折りたたみ、仕方なくポケットに入れた。 私は、この学校に来てから死ねと言われるほど、人に悪いことをした覚えはない。第一、目立つタイプでもない。好きな人に告白したりもしてない。 思い当たることといえば、事態が一変した、あの日の事だけだった。 あの日から、数日後彼女から「明日から、別に登校しようか!」と明るく言われ、そうなったが、彼女の性格からして、予想通り、人に言わないなんてことは考えられないし、実際にそのことを話しているのも聞いた。 「信じられへんやろ!?お父さんに、怒られて泣いてるねんで~~~!!ごめんなさい、、、って謝ってやんの。めちゃおもろいやろ~~~!!」 聞こえよがしに、そう言って私を笑いものにした。その方が、彼女らしい。と思った。むしろ、気持ち良かった。私があれほど、受け入れられなかった子が良い子だったらおかしいじゃないか。 それと、今日の悪魔のような手紙が関係してないはずがない。それ以外、誰も見当たらない。 あんなことが会った日も、何も知らないクラスは、いつもどおりだった。。。みんなの顔を見回しても、当たり前に誰も疑わしくもない。 私は、犯人の想像は出来た。でも、先生に言ったりする気はなかった。そして、もちろん親にも。親に言ったら、それこそ「転校しても、またいじめられてるのんか!!」と言われるだろう。今度こそ、「やっぱりお前に問題がある。」と、問題児にされてしまう。これ以上、自分を否定したくなかった。 卒業まで、なんとかこの学校で平和に暮らしたい。私の願いはそれだけだった。 つづく。。。
2007年09月24日
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かなり飛びましたが、まだかまだかと言う催促が後を絶ちませんので、(うそつけ)私の人生の続きを行きたいと思います。 え~~、どこまで行ったか忘れていると思うのですが、中学3年生のクラス替えまで来まして、どうにか4人グループに入った辺りまでです。考えたら、グループには入れたのは久しぶりだった。大阪での2年生の引っ越すまでの3人グループが最後だった。それ以外は、いつも一人か二人。クラス替えには、ひとつだけ嬉しい事があった。気になる男の子と10分の一の確率で一緒になったのだ。10分の一、これはすごいことだ。40人ちょいの中で、続けて一緒になるのは、4人ほど。。。それに当たったのだから。波乱の人生の私に同情したのか、神様が久しぶりにプレゼントをくれた気がした。 彼の名は、「速水くん」そんなに自分から前に出るタイプではないのに、みんなに人気があって、周りから勝手に愛されて、クラスの代表になったり、まとめ役になっていた子だった。もちろん、頭も良くクラスでもトップ。そして、スポーツ万能。いわゆる、ヒーロータイプだった。でも、どこにでもいるような子ではなく、何かキラッと光る、何かを心の中に持っている、そんな子だった。 しゃべったこともないのに、ひたすら見ない振りしてみていた私。私のように、目立たない美人でない子は影からひそかに見守ることしか出来ない。同じクラスでも、何か用事がないと話すきっかけがない。速水君は、いつも女子に囲まれていて、私は勝手に、その中の『美人のあの子と結婚するんだろうな。』なんて、とっても単純に考えて、勝手にショックを受けていた。男性恐怖症もあった私にとって、速水君は、真剣な初恋だったと思う。 学校に行ったら、すぐにチラッと彼の顔を見る。それで、午前中は生きてゆける。 誰にも気付かれたくないから、限界は1秒。みんなを見回してる振りして、真ん中で彼を見るだけ。彼を最後に見ると、彼が目的だったと誰かにばれてしまう。どうせ、彼は女子のほとんどが好きなぐらいの人気者なのに、絶対にばれたくなかったのだ。それは、ばれても何にも起こらないから、ただ単に恥ずかしいだけだからだった。笑いものにされて、彼の顔をより一層見にくくなるだけなら、私には何の徳もない。 お昼休みにもう一度、友達とふざけ合っている彼の顔をちらっとを見る。これで午後は、安泰。 放課後、帰り際にかばんを持って帰る学生服の彼をちらっと見る。それで今日は終わり。 明日学校に来るまでは、帰り際の彼の顔を何回も思い出しながら、なんとか過ごす。 そう、、、出来るだけ自然に、彼を影からちらっと見る。これが、私の日課であり、その時の私の人生のすべてだった。 そしてその頃、私にとてもショックなことが起こった。家の前に住んでいる正反対の性格の彼女の事。いやいやながら、一緒の登校をなかなかやめることも出来ず、しかし、二人の仲はどんどん険悪になっていた。 私がいつも彼女が迎えに来てくれてるのを、2,3分待たせるようになっていた。「ごめんね~、ちょっと待ってて~」そう言って、必ず待たせるのだ。 間違いなく、それはわざとだった。それで、なんとか「もうこれからは、先に行ってるから、もう、別々に登校しよう。」と言って欲しかったのだ。ずるいかもしれないけど、目が鋭い彼女にそれを言い出す勇気がなかったし、朝から彼女に気を使ってぐったり疲れるのがもう嫌だった。私の苦肉の策だった。 はずだった。。。しかし、その事がのちのち自分にとって、影を落とすとは思いもしなかった。 3年生の夏休みに入る前頃だった。私が、学校から帰るとその日は、父親が機嫌が悪く、私が犬の散歩をしないとか、勉強をあまりしないとか、そういった理由で、怒り狂っていた。 でも、私も父の仕事の手伝いとか、母への不満とかまた、二人の離婚のことで離婚したのに平然と父親が家にいて、担任の先生にも家の前の彼女にも、恥ずかしいとかいろんな事があって、複雑だった。出来れば、本当に母と二人の暮らしがしたかった。 父の怒り方はいつもしつこく、謝っていても、泣いていてもどんどん暴力が激しくなるので、早く終わってほしいと心で祈るばかりだった。 そして、ついにお向かいの彼女の事を持ち出した。「だいたい、お前は何でいつもあの子が迎えに来てくれているのに待たせるんや!!もう少し早く用意することぐらい出来るやろ!!申し訳ないと、思わんのか!!!あの子は、お前とちごうて明るくて、いつも大きな声で挨拶もしてくれるしあんないい子はほんまおらんわ!!」 私は、ショックだった。確かに大きな声で大人の人に挨拶できるし、ハキハキしてる。朝からシャンプーし、鏡を必ず片手に持っているおませな彼女。自分が誰よりも可愛いと思っているのは、ありありとわかる。確かに美人だった。私は反対にとても幼く、髪がはねていても気にもせず、親に眉毛のだいぶん上まで切られた前髪で平気で登校していた。要するに、彼女は色気づくのが早く、私は遅すぎたのだ。 でも、表だけ見てる親には私の苦悩はわからない。一緒にいると、私がいつも腹痛に襲われるほど、彼女の態度や言動は私には、受け入れられないものだった。特に、去年仲良くなった直後、プールに誘ってくれた時の事。波のプールで足の届かない所に連れて行かれて、水泳部の私が溺れかけた時、何度も水を飲んで本当に死ぬと思って手を伸ばしたのに、助けてもくれず地上で笑っていた彼女の姿が目に焼きついていて、それ以後も、あれが本性ではなかったかと思うような事もたくさんあって、私は、どんどん彼女が信じられなくなっていった。 そんなこと、もちろん父親は何も知らない。子供の頃から人と比較しては、自分の娘は「最低」だと、言い続けた父。でも、彼女の事は言って欲しくなかった。中学生には、中学生にしかわからない世界があるのだ。せめて注意するだけで、ほっておいて欲しかった。 父は、そのことも謝っている私になおも怒りの押さえが聞かなくなり、「今からお前と、あの子の家に謝りに行くからな!!」と言う。私は、こんな状態でまさかそこまでしないだろうと思いながら、恐ろしくなった。叩かれて、とっくに泣いていた私はこんな姿を彼女に見せたくなかったし、「絶対にいや。明日、あさ私が一人で謝るから」と言ったのに、父は、私に恥をかかせる事が目的だったのか、今度は、げんこつで私の頭を何度もなぐり、絶対に今から行くという。 父はボロボロになっている私を家から引きずり出し、髪の毛だけを引っ張りながら、お向かいの彼女の家まで私を引きずっていった。私は、本当に本当に嫌だったので、髪を引っ張られながらも、泣き叫び髪が抜けるほど後ずさりした。 、、、が、 父は容赦なくチャイムを押した。 「ハ~~~イ」 彼女の声。 もう死んでしまいたい気分だった。 ガラッと、ドアが開いた。彼女は、ひどい格好の私を見て何事かと、手を口に当て、驚いて声も出ないようだ。 私は、真っ赤に泣きはらした顔で髪を引きずられ、服もぐちゃぐちゃ、髪もむちゃくちゃ、まるで落ち武者のような格好でとても人前に出れる状態ではなかった。 「何なんですか、、、、?」 「いや~、いつもすんませんな~、毎日、朝迎えに来てくれるのに、こいつが待たしてばっかりで。ほんで今日、えらい怒ったりましてんわ。 明日からもう待たせへんように、ようゆうてきかせましたから今日までのこいつのだらしないのは、許したってくれまっかな?あんたとちごうて、シャキッとしてまへんやろ。我が子ながら、ほんま、恥ずかしいですわ。 ほれ!ボーっときいとらんと、謝らんかい!!!」私は、「ごめんなさい。」と言わされた。 「声が小さい!!!」「ごめんなさい。。。」 「これに免じて、こんなしょーもない奴でっけど、 また明日からたのんますわ~」 父が私の方を見ている間、彼女を見ると、薄ら笑いをしているのがわかった。私にははっきりとわかった。しかし、意外にも彼女の言葉は、 「い~え~、こちらこそ~。まりちゃん!どうぞ気にせんといてね~。明日からもまた学校一緒に行こうね~~~!!」 いつものように、明るく正しい受け答え。父は、ほれやっぱりいい子やないか。とばかりにものすごく満足げだ。 私はこんな恥ずかしい所を彼女に見られたことがものすごく悲しくて、言いようのない、父への怒りと恨みだけが残った。 小学校の低学年ならまだしも、15歳にもなって、友達同士のことで、離婚しているはずの父親が勝手に介入してきて暴力で押さえ込み、その最悪な姿をわざわざ相手に見せ、無理やり謝らせるなんて、私のプライドは、もうズタズタだった。どうしてここまでされなければいけないんだろう。。。 これで、次の日からまた普通に一緒に登校できるとでも本当に、父は思ったのだろうか。しかし中学生は、それほど単純でおさない存在ではない。 次の日、遅れることもなく一緒に学校に行った。 私 「昨日の事ゴメンね。びっくりしたでしょ。」 彼女 「いいお父さんやんか~~。」 私 「いいお父さんかな。。。 あの~昨日の事、学校では言わんといて欲しいねん。。。」 彼女「そんなん、言うわけないやん~」 それ以降、会話は続かなかった。 でも、彼女の言葉をきいて、ホッとした。本当に彼女の事、勘違いしてたのかもしれない。すべて私の勘違いだったのかな?それなら、本当にいいんだけど。。。 今の彼女の言葉を信じてしまいそうな私だった。そんなはずはないのに、、、。 そして案の定、大変な事となってゆく。
2007年09月19日
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皆様、ご機嫌いかがお過ごしでしょうか?9月に入ったら、急に涼しくなりましたね~。8月には拾い続けた油ぜみやクマゼミも姿を消し、今や、鈴虫のようなこおろぎのような、涼しい泣き声に変わっております。。。(あれはなんだろ?)先日、遠方に行った時駐車場で大きなトンボちゃんを発見!見ると、弱っているのかあまり動かない。このままだと、間違いなく後続車にひかれると思い、ビニール袋に入れて、私の家のある山にもって帰ろうと思った。心の中で、「とか言いながら、このまま忘れて明日、干からびてたりして。。。」と突っ込んでみたりして。(それがいけなかった)家まで30分ほど走って、すっかりそのことを忘れ、、、次の日、炎天下の中、車の中に置いてあるものを取りにいった。「ギャ~~~~~!!!」後部座席のビニール袋を見て、急に昨日の一件を思い出した。やってしまった。。。恐る恐るビニールをあけてみると、やっぱり死んでる。手をギュ~っと縮めて、そのまま動かなくなってた。私は、なんて事をしてしまったのだろう。。。世間では、保育所で預かってもらっている時に、車内に幼児を置き忘れて、熱射病で死んでしまった。なんてニュースをたまに見るけど、その時は、「忘れるなんて信じられない!!」っと言っていた私。。。人間とトンボは違うと思う人もいると思うけど、同じように大切な命なはず。あのままどこかで死んだのなら、私に責任は無いけど拉致しておいて忘れるとは、許されない。何も知らないトンボさんは、自分の意思とは関係なく勝手に車に連れて行かれて、ビニールに入れられてそのまま忘れられて、次の日、炎天下の中、、、どうせ後わずかな命だったかもしれないけど、もっと自然なところで死なせてあげたかった。見ると、仮面ライダーそっくりの顔をしている。子供の時、仮面ライダー好きだったな。。。(関係ないか)さぞ苦しかっただろう。。。本当に悪いことをした。私は、最低だと思った。きれいな姿で、大きな羽を広げているままのトンボちゃん。。。せめて、お水を霧吹きしてあげて、小さな5センチ四方のお弁当箱に入れてあげました。羽があまりにも立派でぎりぎりの大きさ。でも、きれいに収まりました。「お前は、きれいな姿のまま私の手元に残りたかったのかい?」せめてそう思わないと、つらすぎるからそう思っておくことにした。私のリビングは、これからもずっとトンボちゃんと一緒。
2007年09月15日
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先日、世界陸上に行ってきました!大阪の長居競技場といえば、家から1時間ぐらい。開会式の様子をテレビで見たけど、なんだかガラガラっぽい。サラブライトマンが素晴しい歌声で歌ったあとで、織田雄二の登場。なんだか、順番が逆のような。。。天皇皇后両陛下もいらっしゃったのなら、せめて満員にしてほしかったな。。。 と言うわけで、私行って参りました。夜7時頃に到着。会場は、さすがに広くなかなか近寄れない。途中で、お弁当を持っているのにもかかわらず、シダックスのレッドカレーをぺロリ。ご飯がかたい。味は、まあまあ。食べている場合ではない。 チケット売り場に着いた。値段を見て、愕然。。。 ぬわにい!!!(何!)8500円!!!!!5千円の自由席はとっくに完売。友達と顔を見合わせ、、、、終始無言。 友達、「これ日本陸上やったっけ?」私、「確か、世界陸上や、、、。世界。」友達、「そうやんな!世界やな! と言うことはオリンピックやな! 世界のアスリートが来るんやんな! 今度はいつ見れるかわからんしな!」(はよ買え!) 入場料の事なんか、調べないで行ったからたった3時間で8500円と聞いて、思わず躊躇した。でも、手には天王寺駅で買ったお弁当がどっさり。案の定、競技場の中にはおにぎりしか売ってない。飲み物は、コカコーラの独占のようで壮健美茶しかない。しかも、ペットボトルなのにわざわざプラスチックの大きなカップに目の前で入れなおされ、余計に地球に悪いだけで、非常にエコじゃない。それなら、ペットボトルじゃなく直接、何かから500ミリをカップに注げばいいじゃないか。 ブツブツ言いながら、やっと席に着いた。選手がありんこの様だ。(これで8500円)席は織田雄二が座って中継している場所の真下ぐらいだった。 むこーのほうで、なが~い棒のようなものをもって跳んでる人がいるぞ。棒高飛びだ!お腹が減ってたから、とりあえず陸上はどうでもいい。先にお弁当!お弁当!! もぐもぐしながら、目の前を見ると男子の400メートルの決勝が 始まった。ご存知、タイソンゲイ。世界一の男である。(駿足の) しかし友達は、この人のことを、名前ではなく、本当にあっち系の「ゲイ」だと思ってたらしい。世界で初めて、中性の人が記録をつくったと。。。そんな、、、。ばかな。。。 ニュースで、まさか『 男でもなく女でもなく「ゲイ」が初めて優勝しました!!」 』な~んてやってたら、差別発言でしょう。。。面白すぎて、ボケすぎ。。。と思ってたらそう思ってた人、結構いるらしいとか、、、いないらしいとか、、(どっちやねん!!) 世紀の試合も見れて、ご満悦だったが、よく見るとやっぱりガラガラ。。。やはり入場料が高すぎなのか、とにかく選手に悪い。。。あれでは、テンションが上がらんわ。 余りにガラガラなので、場所を移動。走り幅跳びの前まで来た。ちょうどその時、目の前で8メートル45センチの大ジャンプ!!選手も、興奮してカメラに吠えている。俺の実力を見たか!!!というかんじ。キングコングのように、胸を手でドンドン叩いている。間違いなく優勝を確信していた。 しかし、、、優勝の夢は10分後に消えた。別の人が8メートル55センチを出して、会場はまたもや大盛り上がり! さっきの選手はもうどこにもいない。。。戦いの場は、いつも厳しい。1位と2位では、雲泥の差。 しかし、8メートルを空中で跳ぶとは、、、。私は、1メートルが限界なのに。 とにかく、値段以上の価値は充分にあった。あのアスリートの鍛えられた体。真剣なまなざし。すべてが素晴しかった。 帰りは、興奮もおさまらず目の前のデニーズに入って、満腹なのにまたサラダとカキ氷、食べて帰った。ああ、幸せな一日でした。 かしこ。
2007年09月05日
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この前、試写会で「エディットピアフ」を見た。この秋から、全国で公開されるらしい。 映画を見に行くこと自体、どのぐらいぶりだろうか。。。皆さんは、結構行ってるのかな?見に行く予定の方は、今日は読まないでね。 はじめは、暗い感じで始まった。フランスの1920年代。。。経済的にも苦しく、生きていくのが大変な時代。ピアフは、娼婦の母の元で育てられる。娼婦の宿は、子供に厳しくピアフは居場所がなかった。幸せでない母の元で、いつも大人の顔色を見ながら育つピアフ。それでも結局、邪魔にされある日、父の元に。。。父は、流れ流れのサーカス劇団の一人だったが、仲間とけんかして、ピアフと出て行ってしまう。生きるため、父親は街角で自分の出来る限りの芸をするが、待ち行く人々は誰も足を止めず、ピアフの持っているお金を入れる箱は、空のまま。 まだ誰も泣いてないオープニングから30分以内で、うるっと来た。 いつの時代も、生きていくのが人間は大変だったんだな~っと。 今のように、働く場所が、会社がたくさんあって、経済が安定している時と違って、何もないあの時代は、田畑を持たないものは自分の芸ぐらいしか生きるすべがない。それを思ったとき、静かにハンカチで顔を隠し、オンオン泣いている私がいた。人生って、なんて切ないんだろうと。。。 大人になったピアフは、仕事がないので街角で歌を歌って日銭を稼ぐ。生まれながらに才能のあったピアフだから、たまにチップが入ることもあった。148センチしかない小さなピアフが、人の流れを止めるほどの声を出せたのだからすごい。 しかし、ある時ビッグチャンスがやってくる。クラブの経営者の目に止まり、大きなクラブで歌えることになる。そこから華やかな生活が始まるのだが、、、。 私は、人生の苦しみや悲しみや孤独をとことん味わったことのない人は、本当に人を感動させる歌を歌うことは出来ないと思う。 歌の中に出てくる歌詞に思いをはせ、まるで自分がそうであるかのように歌わないと、歌がしらけてしまう。。。 ピアフはシャンソン歌手で、私はシャンソンはよく知らないけど、きっとピアフの声には、人の心を動かす何かがあったのだろう。そのためには、ピアフの波乱の人生がそこに必ず必要だったと思う。 私も、人の心を動かす事の出来る歌を歌いたいけど、でもピアフのように血を吐くほどの苦しい人生は、望みたくないな~。。。 私も、皆様ご存知、大人になるまでは波乱だったけどまだ感動させる歌を歌うには、足りないのかな?ぜんぜん足りないんだろ~な~。 嗚呼、人生って難しい。まれな才能や、人が羨むような何かを生み出すには、厳しい修行が必ず必要で、、、。修行に耐えられた人は、それを手に入れるけど決して人生自体は幸せではない。 私は、やっぱり幸せな人生も捨てがたいな~♪ 所詮、次のご飯の事ばかり考えてる私は、ピアフにはなれないか。(泣)
2007年08月27日
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最近、歌うことがとっても楽しい。カーペンターズが中心だけど、歌詞の中に自分を置いて、主人公になりきって歌うと、うまく歌えるような気がする。だから以前よりずっと、歌うことが楽しいのだ。歌っていると、私はカレンが乗り移っているんじゃないか!?っとおもう時もあれば、カレンのように高音も低音も出なくて、嫌になるときもある。まだ、実際にちゃんと人前で歌ったこともないのに、歌手のつもりの私。。。も~っと、も~~~っと、感情が入ってうまく歌えるようになったら、バーで歌いたい!!(お酒飲めないけど)邦曲で最近、マスターした歌は、意灯油なの、、、、あ、まちごた。伊藤由奈の「プレシャス」だったかな。歌詞が結婚式にぴったり過ぎるぐらいぴったりで、これを結婚式で歌ってみたい。ぜ~~ったい盛り上がるで。 ♪信じよう 二人だから愛し合える 永遠に 光が満ちるように 抱きしめる あなたを 二つ重ねた思いが今 一つのかたちに変わる you are precious love 結婚式で歌う専用の歌手になろうかな?(そんな職業ないか)人の門出で歌えるなんて、素晴らしい!!そうねえ、、、出演料は。。。(高いで~)お金は要らないから、結婚式の席でいいな。だって、おいしいもの出るやろ?そして、余った引き出物があればなおよし。(笑)日頃、ジーンズに運動靴の私が、お洒落できるだけでも、楽しいな♪感動の場面で歌うって、幸せなこと。以前、結婚式で歌ったとき、帰りのタクシー並んでいて、新郎側のぜんぜん知らない列席者の人から、「歌、、感動しました!!」と握手されたことがあって、本当に嬉しかった~!!私でも人を感動させることができるのか~。っと、思って。。。今まで5回結婚式に出席して、5回共一人で歌ってるけど、いつもとっても幸せな気分で歌える。もちろん、チョー緊張するけど、(失敗できないから)考えたら、結婚式以外であんなに大勢の人の前で歌える事ってそうそうないな。。。でも先に歌わせてもらわないと、手紙の所で、新婦より感動して泣きまくり、目が真っ赤っ赤になって、鼻はズルズルでひどい顔に。以前一度、人にトイレに行くように言われて、嫌々トイレに行って、自分の顔見てびっくり仰天した。泣いてこするからアイラインがにじんで、そのときの顔はまるでどつかれたタヌキ。。。新郎側の友人で誰かいい出会いはないか、、、とたくらんでいたのに、タヌキ顔はないだろう。。。これを見ている貴女!!!そうあなた!あなたは独身??何!?結婚してる?じゃあ、新しい人ともう一度!! 貴女の結婚式でマリリンにぜひ歌ってもらいましょう♪お色直しとかの度に、生の歌声でBGMなんてな~んてリッチでしょう!!一味違った結婚式に!!そして、感動のクライマックスに!!マリリンの歌声が色を添えます!!!いつでもデモテープ送ります♪(テープって古いな)さあ!!勇気を出して!!!(なんのやねん)
2007年08月17日
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いや~昨日は、疲れて寝てしまいました。。。突然ですが、皆さんはバーゲン行きますか?私は、バーゲンは必ず行くのですが、ひとつ大問題があるのです。それは、欲しいものがないということ!!端から端まで、ぜ~~んぶ見て、足がフラフラになってもまだ、「欲しい!!」というものが見つからない。やっと、ちょっと気になるなというのがあったら、今度はめちゃくちゃ高い!!値段を見て、そくあきらめ。 結局、ぐるぐる回ってな~~んにも買ってない。(ケチか!)いつからこうなったのか、わからないけど、欲しいものがないのか、物欲が足りないのかわからない。でも、歩き倒したから、本人は大満足。その後のご飯は、とっても美味しい。 でも、周りを見ると何にも買ってない人なんていない。誰もが、みな手提げを色々持っているのだ。どうして、すぐに欲しいものが見つかるのだろう。。。ちなみに今、私が本気で欲しいものは、昭和の時代を映した大阪の写真集!!昭和元年などの大阪駅や、戦争前の町の風景、万博の時の様子、すべてにすごく興味が沸く。普通に写ってる写真だが、看板がおかしかったり、当時の人の服装や、顔付き、子供の純粋な目など、見ているとどんどん吸い込まれてしまう。あれがあれば、1日遊べる気がする。値段は、それなりでたしか1万円ぐらいだったかな?いつか、ひそかに揃えたいと思っている。。。私って、昭和マニアかもしれない。懐かしいというには、私は生まれてもいないのだが。あの時代には、何かがあったような気がするんだ。 整体。月一で通っている。初め通ってたお店のおばちゃんが一人で独立した。中国人なのに、一人で経営するなんてすごいじゃないか。早速、応援に行った。 「アラ~~~、キテクレテ~~ワタシトッテモ!!」(多分嬉しいだと思う)えらい喜んでくれる。「アタナスキ、キョウハ、タダ。」2時間も揉んでくれて、無料はないだろう。とってもいい人で、精魂込めてやってくれるのだが、やりすぎて次の日痛い。 悪い所がすぐわかるらしく、揉んでいるあいだ、「コレトカス(溶かす)、コレトカス!!」っといいながら、同じ所ばっかり1時間もやってくれる。途中で、「そこいたいから、もういい。」っと、遠慮がちに言って見ても「ソウ、イタイノ、ワルイトコロ、トカス(溶かす)ヒツヨウ」と言って、揉み続ける。そして、次の日揉み起こす。 顔面整体が得意なようだが、化粧と髪の毛がぐちゃぐちゃになるからいつも断ってるのに、気が付いたら自分の頭がアインシュタインか、バッハのようになっている。ついでに眉毛もすっかり無くなっている。 日本語が、片言なので吹き出すことも多い。 予約を入れようと、電話をしてもほとんど通じない。「今週は忙しくて、来週だったらいつが空いてる?」というと、 「キョウハダイジョウブ!!」「、、、、、。」「いや、今週は駄目なの。来週は?」 「アア、アサッテモダイジョウブ!!」てな感じで、なかなか話が進まない。 安すぎるので、チップを包むと本当に少しなのに、「コンナノ、ハズカシイ!!!」と言って、手をオーバーに振る。(恥ずかしい!?) 「それ言葉、間違ってるよ!」と言っても、「チガ~ウ、ハズカシ~イ、ワタシホントニ!!」と、より一層ややこしくなる。 揉まれている間、ふと下を向くと、おばさんは水色のビニール製のトイレ用スリッパを履いている。「それ、日本ではトイレ用やで~。買ってきたんやと思うけど、ほら、男の子と女の子がおしっこしてる絵が書いてあるやろ?」というと、 また、顔を真っ赤にして、「アラ~、ワタシハズカシイ!!チュウゴクジン、ソレワカラナ~イ!!コーナンデ、カッテキタカラ。」と、訳の分からないことをいい、よく見ると制服も水色だから彼女なりにコーディネートしたのかもしれない。しかし、いかにもトイレ用。ずっと恥をかいたらかわいそうだから、ゆってみた。 、、、、、、で、1ヵ月後。 お店に着くや否や、スリッパを確認!! なんと!!! 水色のトイレ用が、ピンク色の色違いのトイレ用スリッパに変わっていた。。。 私の日本語が悪かったらしい。色違いのおそろいのピンクに変わっただけだった。 子供がおしっこしてる絵は、水色からピンクになったことでより一層、はっきりしている。しかも、制服が水色でスリッパがピンクという、すごい配色になってしまった。 見ているだけで、気分が悪くなりそうなコーディネートをこれから月一で見なければならない。嗚呼、何も言わんかったらよかった。まだ水色同士のほうがましじゃないか!! しかし、おばさんパワー炸裂で、もう予約が入れられないぐらい人気があるようだ。せっかく、大サービスで嬉しかったのだが、ああいう人柄が、人気の原因だろう。と思う。一日10時間ももみ続けても、汗を流しながら一生懸命やってくれる。人の手には、「気」があるから揉んでくれる人の心はトッテモダイジ。
2007年08月11日
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蝉の鳴き声が、ミンミンゼミからツクツクボウシに変わりつつある、真夏でございます。ツクツクは、夏の終わりに鳴くんだって。そして、夜明け前は「蜩」(ひぐらし)が鳴くんですよ。遠くの方で「キ~~~ン」と鳴いているのが蜩です。私の家は、山の中なのでいつでも24時間バックミユージックが蝉のサウンドです。 ちょっと休憩中。。。(早!)
2007年08月10日
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一つ目の大病院で卵巣腫瘍の疑いと言われ、2つ目の大病院で子宮筋腫の疑いと言われた、マリリンでございます。皆様、如何お過ごしでしょうか?今年は、蝉が例年よりかなり多い年のようです。あちこちに怪我をした蝉ちゃんが落ちていて、必死で横にどけている私でございます。昨日、ひとり救済しましたが、今朝洗面器のなかでご臨終しておりました。。。今日、カブトムシのゼリーでも買って来ようと思っていたのに。 さて、本題です。行ってきました、精密検査。MRIといわれるもので、2つ目の病院で造影剤がないと聞き、そこで受けることにしました。何万人に一人という確率でも、体に異物を入れたくないので(死んでも文句言いません、という保証人まで必要だったし)頑張って探した。 MRIの控え室に着いたら、いきなり看護婦さんが注射器をもって、空気を飛ばしながらこっちを見ている。 「ま、ま、まさか、、、、、私じゃないよね?????」 しかし、振り向くも誰もいない。 ガッビヨ~~~~~ン!!!(古い) 私 「あの~、先生に一切注射はないって聞いて、確認しましたけど、、、」看護婦さん 「あら~~、先生言い忘れはったんやね。 造影剤とは違うけど、これはせなあかんねん。。。 でも、心臓が悪い人は打たれへんねんけどね。」 最後の文章に、ピンと来た!!! 私 「私、実は心臓が悪い家系で、おばあちゃんが61歳で心臓発作でなくなって、 父も、現在心臓肥大ですし、私も、、、たまに心臓がきりきりと痛むんです~」 看護婦さん 「それぐらいやったら、大丈夫や。あんたが心臓肥大ではないんやろ?」私 「そうですけど、、、、、 でも!でも、心臓がとにかく悪い家系なんで、、、、 プスッ。 ギャ~~~~~~!!! 看護婦さん 「筋肉注射は、後が痛いからな~~~。 こうやって、腕をよ~く揉んでや!」 言い訳をゆってる間に、横からプスッとやられてしまった。しかし、後が痛い!!だんだんと、疲労物質のようなものがある感じで、腕だけ痛い。痛いのに、看護婦さん、揉む揉む~~。 無事!?お腹を沈めるための注射も終わり、機械に横たわった。これから、1時間ピクリとも動けず、足と手は完全にしびれていた。たまには、「動かないでくださ~い!!」以外にも、「らくにしてくださ~い」も、ゆって欲しかった。 数日後、結果を聞きに行った。担当の男の着ぐるみを来た先生は、相変わらず中性的な可愛い人で、この日は、絶対にあの注射の恨み言を言ってやる。。。と、たくらんでいた。 しかし、それより肝心なのは、病名だ。先生は私の輪切りにされた白黒の下敷きのようなものを、40枚ぐらいズラッと、光のパネルの前に差し込んでいく。。。 まるで、白い巨塔のようだ。先生「ひとつひとつ説明するわな、、、、」(そんなに大変な病気なのか、、、) 「これが子宮、、、、。そして、これが卵巣ね、、、。」(その説明かい!)私 「先生、、、説明ってゆうから心臓ドキドキしてるんですけど、 もしかして、これ今、初めて見るんですか?」先生 「そうや。」 私 「な~~んや!ひとつづつ説明ってゆうから、 えらい悪い病気の説明かと思ってたじゃないですか~~。」先生 「違うで~~。病名か~?」 もう一度、下敷きを見ながら、、、、、、「これやな。見える? これ、大きさは3センチやな。筋腫や。」私、「卵巣ではないですか」先生 「卵巣ではないな。子宮筋腫や。」私、「ということは、どうすればいいですか。」先生 「何にもせんでええ。」 筋腫とは結局、筋肉の一種だそうで、大きくなって膀胱を圧迫したりして、生活しずらくなったら、切る事もあるらしいが、そうでない限り、良性であるため、何もしなくていいらしい。 ホッとしたら、一言言わずにはおれない。「先生、ひとつ恨み事、言っていいですか?」 先生 「ええよ。何?」 「先生、この前一切注射はないって、約束してくれましたよね?」 先生 「うん、したよ。あれ?造影剤あった~?」 「造影剤はなかったんですけど、筋肉注射ありましたけど。」 看護婦さんの顔を見ながら、先生 「あれ、全員に打ってるの?」 看護婦さん 「そうなんですよ~。先生。あれないと出来ないらしくて。 でも、あれ、筋肉注射やから後が痛いねんね~~!」 先生の顔を見ながら私。 「その通り、痛かったんですけど。 安心してたら、プスッといかれたんですけど。」 先生 「そ~れは、悪かったな~~。知らんかったわ。」 私、「3日前、一階の奥のほうで『ギャ~~~!!』って、わめいてたの 聞こえませんでした? 」 先生 「そういえば、3日前、下のほうでえらい騒いでた声が聞こえてたな~。 あれ、あんたか。」 私 「そう、あれ、私です。無念の叫びでした。」 3日前、先生は出勤してないのは知ってるし、 1階から3階まで聞こえるわけないけど、(そこまで叫んでないし) こういう冗談が言い合えるって、本当にいい感じの先生でしょ? さて、先生に不満もぶつけて、帰り道は筋腫と言われたにもかかわらず、 スキップして帰りました♪ 今回、初めて病気らしい病気といわれ、自分で色々調べて、人生を見直し、本当に意義のあるメッセージでした。 日頃、性格的にポーーーっと、のんびりしている私ですが、いつあの世に行く事になっても、大丈夫なように活動的に、アグレッシブに(おんなじか?)行きたいと、思う今日この頃です。。。 皆さんも、あす突然あの世に行くことになっても、(縁起わる)絶対に『未練』が残らないよう、張り切ってどうぞ!!!!!
2007年08月04日
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暑さと、クーラーをつけるかの間で戦っております、マリリンです。皆様いかがお過ごしでしょうか? 梅雨もあけ、蝉も待ってましたとばかりにガンガンに鳴いております。。。 さて、マリリンは、友人に誘われて、生まれて初めてパーチィなるものに行ってまいりました。ジーパン禁止、ドレスコードというものでございます。 何を着て行っていいのかもさっぱりわからず、とりあえず年甲斐もなく、ミニで頑張りました。(あ、私は23歳でした。。。忘れてました) 自分なりに、決めまくってガチガチになりながらも、「こんなの慣れてるし~」みたいな平静を装いつつ、みんながワインやシャンパンを片手に会話を楽しんでる横で、私はミネラルワラー~!! 飲んでもいいのだが、口をつけた途端に足がグラグラしてくるのは、ここでは困る。 だって、立食なんだもん。座れないんだもん!!ただでさえ、いつもはかない6センチヒールを履いて、足が既に痛くなってきてるというのに、、、。 私が一番気になる、、、、、、それは、ごはん!!!!!知らん顔して、ブッフェ台の近くに静かに移動。はいどうぞ!といわれた時に歩き出したのでは、もう遅いのだ。 あ、ポイントはブッフェ台の近くよりも、お皿の近くね。お皿は、一番端っこに置いてあるからいくらブッフェ代の近くにいても皿もなしに、そのまま手で食べるわけにもいかず、(当たり前)結局皿を、探す羽目になる。 和食と、他の会場ではパスタなどの洋食があった。私は当然、和食に興味あり。ここで、鞄に入れてあるマイハシを出そうとするも、友人に止められる。「こんなセレブな場所で、あんただけ違う箸、持ってたらおかしいから、やめて!!」と言われた。味は、びっくりするほどではないがなすびとこんにゃくが美味しかった。(なんでそれやねん)みんなは、そんなに食べてないようだったが(飲んでいるため)、ご飯がメインの私は、口をほおばらせて、太巻きを何個も食べておりました。 お腹もいっぱいになって、足も重くなってきてもう帰ろうかな~と、思ってたら入り口で渡されたチケットがあることに気付いた。 別の会場で、カジーノ!をやっているらしい。私は、ベガスでも(10年前)、他の場所でも余り負けたことがない。 チケット3枚を手に、ルーレットをやってみた。(これしか知らない)それが、20枚ぐらいのコインに変わる方式のようだ。 とりあえず、誕生日に、、、、3枚っと。。。 考えるのしんどいから、ずっと誕生日ばっかり置いてたら、3回目で、なんと誕生日に入ってしまった!!単独の勝ち!!3枚が、50枚ぐらいに増えた。気が大きくなって、どんどん賭けていった私。。。 気が付くとえらいことになっていた。負けないのである。 赤か黒で当たったり、数字が入ったり、私の前にいたイカにもお金持ち~そうなおじさんは、おかしな手つきで葉巻をくわえながら、何やら、見たこともないピンク色のコインを持っている。あれは、私の持っているコインの100倍らしい。それを、ひとつの数字の所に10枚も置いたりしている。ということは、私のコインの1000倍という計算だ。あの人、勇気あるな~~、私は、コツコツ小さく賭けることしか出来ない。 でも、そのおじさんは負けが続き、何処かへ行ってしまった。葉巻が良くなかったんではないだろうか、、、。タバコの煙が嫌いな私にとっては、これ幸い。そして、気が付くと私の手元には恐ろしいほどのコインが、、、、、、、!!! あのおじさんが持っていた幻のピンク色のコインも、20枚ほど、あるではないか!!私は、足の痛さと戦いながらも、周りの人たちも私の勝ちように盛り上がってきていたので、なかなか引くことも出来ず、帰るに帰れない状態に、、、、、。 そして、その次に気が付くと、私の手元には、さらに恐ろしいほどのコインが!!ピンク色が50枚を越えている。 もういいや!っとそのピンク色を誕生日に5枚も置いたら、なんと、再び誕生日にビンゴ!!!!! 前のこれまたセレブなお客さんに、「これはドバイでカジノせなあかんな~」と言われ、思わず、 「私、来年2月にタイガーウッズを見に、ドバイ行くんです!!」っと、言ってしまった。。。嗚呼、、、行くんです。じゃなくて、行きたいんです。のはずだったのに。(えらい違いや)セレブを前に、負けん気出して、お口がつい暴走。 「でも、ここでこんなに運を使ったら、あんたドバイ行きで飛行機落ちるで~~!」とまで言われ、私も、乗りノリで「ぜーったい落ちるわ~~♪」などと笑っておりましたが、よく考えたら、言霊には力があるから、そんなことゆうたらあかんやんか! それからも、恐ろしいほどに勝ち続け、さっきのセレブなお客さんに「あんたのデュバイの飛行機、落ちるに2億賭ける!!」とまで言われ、 結局、お店が始まって以来の、勝ち総額になったらしい。ディーラーの人も、お札を数えるのが大変そうだ。 みんなの興味はわかってる。。。わかってるで。 それで、何ぼもらえるのか。。。でしょ!?総額、39000ドルでした。初めに手にしてたのは300ドルでした。 しかし、ここは日本。そう日本。悲しいかな日本。 これが、海外なら私は、大金持ちでした。きっとウホウホで、スキップして帰ってきたでしょう。しかし、日本ではお金でのカジノは禁止。 39000ドルと言えば、本当のドルと思って、390万円!!と思った人もいるのでは?残念。初めのチケットが300ドルで3000円ぐらいだったため、10倍の39万円相当らしい。 でもでも!!私にはえらいこっちゃ。金額は、高級ワインに変わるらしい。(トホホ、、、) ちなみに私は、お酒が飲めない。 悲劇!!! しかし、そこで引き下がらないのが私。お店のトップに、「私、飲めないんです~~~!!」攻撃をかましまくり、前にいて一緒に戦っていたえらいセレブの人が、交渉してくれ、汚職事件をゲット!!!あ、まちごた。お食事券をゲット!!!!! ヌハハ。しかしよく見ると、と、と、と、東京!!!!来年の1月までに東京に行くのか非常に心配ですが、頑張って行くか、、、。(交通費は、汚職事件より高いな) それでも、総額にはまだまだ達せず、高級ワインを5本も頂いた。前のセレブの人に、(仲良くなったし、交渉までしてくれたので)2本プレゼントし、3本、もって帰ってきた。いつか、すんごい記念の日に開けたいと思う。 結婚する日か???米寿の日か???(88歳ね)名前は、「シャトーマルゴー1997」だった。シャンパンは、ドンペリニオオ~ンだった。 ディラーのお姉ちゃんが可愛らしくて、仲良くなったのでそもそもお姉ちゃんが勝たしてくれたようなものなので、おかたずけしてる所へ、2人に3千円づつ持って行った。誰にも見られないように、忍者のように近づき、会話しながら、抱きつき、(痴漢か!)そっと渡そうとしたのに、規則で決まっているらしく、何が何でも受け取ってくれない。「お気持ちだけ頂きます!!本当に!!」と言って、ひつこく返してくるのであとで怒られるのかな?っと思って、引き下がることにした。 ああいう世界は、チップが当たり前だと思っていたのに結構厳しいんだな。。。私だけ、いい気分にさせてもらって何もお返しが出来ないのも、心苦しい。お客さんに負けたという事で、逆に上司に怒られたりはしないだろうか、、、?でも、トランプじゃないから、ルーレットはどうしようもないか! 2本のワインを渡しに例のセレブの座っているテーブルに行くと、(私は立ってたのに、セレブはテーブルに座れるのか) な、な、な、なななんと!!! ロナミコンティエ、ぁ、間違えたロマニコンチェ、、、(嗚呼、わからない) 60万円でおろして飲んでいた 。 「ちょっと、飲んでいきー。味見や。」セレブは、優しい。たとえひとねぶりでも、60万円で割るとすごいはず。一口で3万円ぐらいか?なぜか、途中でお店の人まで来て飲んでいた。職権乱用や。ソムリエさんまで、めずらしそうに飲んでたぞ!! そういう私も、しっかり席に座らせてもらい、しかし、飲む勇気が出ず、人のグラスをグルグル回して、匂いをかきまくっておりました。 その匂いの芳醇なこと!!!!!香りたつというのでしょうか。ワイングラスの30センチ上まで、上がってくる。葡萄の深さが充分に出てます。。。 私は、たとえ3億円が当たっても、自分でこれを買うことは出来ないな。だって、60万円という事は大好きなお寿司に、何回行ける事でしょう。私には、そんな勇気はない。 嗚呼、なんて幸運な幸せな夜だったのでしょう♪どうか、これで飛行機が落ちませんように、、、。(乗る予定ないけど) 追伸。。。そしてこの日、ロナミコンチェを飲まなかったことを、私は、永遠に後悔するでしょう。。。なんで、貰わんかったんやろ。やっぱり、勝ったうれしさに我を忘れていたとしか思えない。。。匂いは覚えてるけど、味がわからん!!!
2007年07月29日
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年末が来た。冬休みに入り、大晦日が近くなると宅配の仕事はますます忙しくなっていった。 私が休みに入るのを待ち構えていたように父とのバイトの日々がやって来た。年末は、かにやらお正月のみかんやら、お歳暮とは別で忙しい。しかし、それがないと父の仕事もない。忙しいおかげで、こうやって助かっている人もいるのだ。 1件100円。これが、収入だ。私がいる時は、120個ぐらい車に乗せるが、実際に配れるのは100個以下だ。そこから、ガソリン代は実費。あとは誰にも助けてもらえない、時間との戦い。一番困るのは、家がわからない事。もちろん当時はまだナビなどない。知らない土地で、今自分達がどこにいるのかが、わからなくなる。 父の運転の横で、私は必死で地図を広げる。私は、なぜか方位だけはわかるので、「ここより北に行ったら、青山町の2丁目!」とか、叫びながら地図とにらめっこする。 父のおかげで?私は、中学にしてさまざまな仕事を、実体験できた。もちろん、どれも厳しいものであったが、人生勉強にもなったし、父が真面目に働いている事、それをそばで見ているのは、本当にうれしかった。毎日のように、怒鳴られても私が父についていったのは、それがあったからだと思う。 母との別居の話は、年が開けても出ては来なかった。私は、何も聞けなかった。実際、母との2人暮らしは、不安しかない。 母は、悪い人ではないのだろうがとにかくいつもヒステリック。そして、言うことが一貫してない。だから、昨日の言葉を今日は信じることが出来ない。母としても、尊敬は出来なかった。家の中は、相変わらずひっくり返っていた。 ある日、私は台所のテーブルの下が山のようになっているのが、急に気になった。ご飯は、向こうのコタツ迄運んで食べるのだが、台所にあるダイニングテーブルの下に、ガスコンロとか、ダンボールなどが山のように置いてあるため、朝、私がパンを食べようと端の一つに座っても、足が必ず何かに当たるのである。母は、私が何か言っても、「文句があるんやったら、あんたがやったらええ」の繰り返しなので、私が見本を見せようと学校から帰ってきて、3日かかってテーブルの下をきれいにした。 これで、4つのイスが使えるし、イスの下のガラクタで足が邪魔なこともない。「おかあさん!これでないとテーブルって言われへんよ。テーブルは物置じゃないから。このままきれいに使っていけば、こっちでご飯も食べれるやんか」 私は、これを機に家中をきれいにしようと思った。私だって、この家の住人。きれいなほうが、気持ちいい。 が、しかし無駄だった。それから2日後の日。学校から帰ってきて、愕然とした。私が片付ける前の状態になっていたのである。たった二日で、テーブルの下はガラクタだらけ。私は、家中をきれいにするのをあきらめた。 お正月が来た。あのおじさんがやってくる。 もう私も大きいため、訳の分からない子供ではない。おじさんも、それをわかっているようで下手な真似はしなかった。 お年玉を5万円もくれて、2日泊まって行った。他に親戚はいないけど、私はお金持ちになった。 でも私がこれを使うことはない。いくらもらっても、使えなかった。貯金がいくらになっても、使えなかった。 欲しいものは、参考書かシャーペンか、、、。その程度。洋服など、高いものは買おうとは思わない。 また、うちの家がいつどうなるやらわからない。その時、必ず必要になるのは、お金。そう思うと、使えなかった。 クラスの唯一のお友達である、おとなしい子とはだんだん意思の疎通が出来るようになってきていたが、相変わらず声が小さくほとんど聞こえなかった。 たまに私がおかしなことを言って、その子が笑うとうれしくなって、どんどん笑かそうとした。でも、お休みの日に遊ぶほど仲良くはなれなかった。だから、仕事がない日は暇だった。 3学期は、早い。テストは、平均点のまま学年が終わってしまった。 4月、クラス替えの季節。私は、彼女と離れた。彼女のことは気になったが、これで新しい友達が出来ると思った。 そして、すぐに4人グループに入ることが出来た。これで、3年生は大丈夫だ。そう思った。 が、やはり人生はそんなに甘くはなかった。 つづく。。。
2007年07月20日
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季節は年末に近づいていた。もうすぐ、運命の期末テストだ。 父は、また新しい仕事を始めた。またしても、軽トラを使う。もう何個目の仕事だろう。。。 今度は、宅配便だった。年末のお歳暮で、宅配会社がまかないきれなくなるので、アルバイトや、委託にその時期だけ回すのだ。 もちろん、例に漏れず私も土日は出勤。朝早くから、宅配会社に行って小包の積み込みを行う。1日に120個ぐらいだ。住所を確認して、配りやすいように積み込まないといけない。軽トラは、パンパンになるので余裕はない。 「真理!!それをここに置いて!それは、そことちゃう、、、此処や!」積み込むだけでも、1時間以上はかかる。早くも、怒鳴られっぱなしの私。 1日120個。要するに、120の家に届けるということ。1日、10時間としても1時間で12個配らないと間に合わない。常に時間との戦いだ。日が暮れると、クレームにつながる。遅くても、8時までが精一杯なのだ。 父も、かなりあせっている。なんせ時間がない。お昼もゆっくり食べていられない。 配る住所の近くに着いたら、ひざの上に乗せておいた荷物を父の支持した家に持っていく。父は、他の荷物を走って何処かへ持って行く。土日は、私が居るので初めから荷物をたくさん積んでいる。 お歳暮というのは、荷物が大きい。ビールの詰め合わせや、お酒などはとても思い。「ピンポーン!!」押してみても、年末は忙しいのか、いない人もいる。そういう時は、お隣さんだ。今では、もう出来ないのかもしれないが、あの当時はまだお隣さんに置いておくことが出来た。付き合いがあれば、こころよく預ってくれる。一番困るのは、雨だ。雨が降ると、荷物が濡れる。傘など差せないから、お腹で抱え、荷物が濡れない様に背中を丸めて一目散に走った。 水泳部の活動が季節柄少なくなってきた代わりに、私は、土日休みなくフットワークを続けていた。 さて、そんな頃、期末テストが無常にもやってきた。仕事で忙しいのもあるが、今度は全く自信がなかった。 結果は、散々だった。 平均点より、はるかに下、出来る子だと思われていた私は、早くも化けの皮がはがれた。 担任の先生が慌てて私の家にやって来た。転校生ということもあるが、田舎の先生はよく家にやってくる。 「一体、どうしたん!!あかんやん~何があったん~」 先生は、きっと親の離婚が私の成績と関係があると思ったと思う。思春期の親の既婚なら当然だろう。 けど、それは違った。なぜならまだ父はこの家にいるからだ。先生が来た時は、たまたま仕事で居なかっただけ。 私には、成績がおちた訳がわかっていた。それは、単純なことだった。中間テストはもう既に大阪で一度習った所が多かったのだ。大阪と奈良では教科書が違う為、順番が変わって、重複したのだ。 だから、中間テストは私にはスイスイ出来た。だけど、周りはそれに気付かずまた母が、余りにも喜んでいた為そのことを言い出せずにいた。何とかこのまま、期末がよければ本当にいい高校にいけるかもしれない。 でも、やっぱり無理だった。期末の範囲は、全く理解できなかった。私は、クラスで急に普通レベルになった。それと同時に、いつも私の世話係だった賢い子はいつも間にか私の側にはいなくなった。代わりに私に出来た友達は、クラスで誰とも友達が出来ていないほとんど話さない子だった。 結局、転校生はグループに入ることは難しい。ちやほやされるのは、初めだけ。頑張ってみたけど、なんとなくわかっていた。こうなることが。 でも、大阪の中学のように私はおとなしい子とつるむようになっているのだろうか。私は、おしゃべりだというのに、、、。それでも一人でいるよりは、まし。その子にとっては、私がいて良かったはず。そう思うと、妙に納得した。 そして、相変わらず一番気の合わない家の前の同級生との、登校も続けていた。 つづく。。。
2007年07月17日
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先週、卵巣に腫瘍の疑い、と言われましたマリリンでございます。皆様、ご機嫌いかがでしょうか? これまで、健康には結構気を付けていた私でありますが、ついに卵巣に影があると言われたのでした。子宮の病気なら4人に一人といわれており、もうめずらしい病気でもなくなってきているのですが、卵巣というと、もうちょっと深刻なようでびっくりしました。とりあえず、MRIを受けてくださいと言われたのですが、受けるのに、造影剤を注射で入れるとの事。 ぎゃ~~~!! だから私は、先端恐怖症だといっとるではないですか!!(いや、ただの怖がりなのかもしれない) 造影剤なしでお願いしたいと電話もしましたが、結果が判断しにくいので、無理といわれてしまいました。(やっぱりな。) しかし、友人に聞いた所婦人科は病気の判断も病院で変わるから、セカンドオピニオンを受けた方がいいよ。と言われた。 そして、、、。行きましたがな。また、(相当な)勇気出して。 また、同じように私は内診でとんでもない格好に、、、。しかも、再び男の着ぐるみを着た人間の魂を持った先生。(ややこしいって)でもこの先生は、一瞬女の人かと思うぐらいの中世的な先生で、やさし~い感じ話し方。この病院は内診も同じ先生らしい。 まあ、内診はカーテンで仕切っているから顔は見えないし、、、っと思っていたら、なんとどっこい!!(すっとこ、どっこい) 話の途中で、「ちょっと、カーテン開けてもいいかな~?」 ぬぁにぃ!!!!!(なに~) いやとも言えず心と裏腹に、かるく「はい、どうぞ~」と、答えてしまった~~~~!!(口のバカ) ガラッ、と開けたままで(はいこんにちは) 先生は、何食わぬ顔で 「一緒に見ていくね」と言う。 「これ見えるかな?」とモニターを指差す。 実は、病院側に先週の事は何も言わず今日来たのだった。言ってしまうと、判断がそれこそ、ぶれるかもしれないと思ったので普通に検診と言うことで来たのであった。 「これが子宮ね、、、。これが、、、」先生、左の卵巣のあたりを見て、動きがストップ。。。 やはり、気付いたか。。。おぬし。卵巣の腫瘍を、、、。おぬしも悪よのう。(なんのこっちゃ、、、) ところが!! 「左の卵巣の前、子宮筋腫ですね。これ見える?」「えーっと、大きさは3センチ。」 大きさは当たってる。左というのも。でも、卵巣腫瘍と子宮筋腫とは病名が違う。 こんなこともあるんです。 どちらが正しいかは、やはりMRIを受けないとわからないけど、そのMRIも、ここはなぜか造影剤なしとの事。(うひゃっほ~い!!)即決で、「お願いします!!」と言った。 前の病院には、明日断りの連絡を入れよっと。 さて、結果はいかに!!!(ベンベンベンベン、、、)(イヨ~~!!) 前回の病院で冷え性のため、漢方薬をもらったのですがこれが、効きすぎ。夏だというのに、体温を上げる薬を飲んでるものだから、朝から晩まで、いつも汗だく。あついあつい~。人に手で触ったら、「あつっ!!!」って言われるぐらい。 そして、夜寝る前の2週間続いていたスイカも辞めた。寝る直前にバリバリ食べてたのだが、やはりこれもかなり冷えの原因だったらしい。(あほです。) みなさ~~ん!!果物は、出来れば朝。遅くても、夕方まで!ですぞ。(冷え性限定)クーラーより、扇風機!シャワーより、湯船ですぞ!! 自分の体温、測ってますか~~?36.6度以上なら、褒めてあげます♪(え?38度!?、、、、病院へどうぞ)一応、測る時間は午後4時ごろがいいらしいです。体温を上げると、血の流れが良くなり、免疫力が一気に上がります。夏でも、クーラーは体の一部を急激に冷やすため、体への負担が大きいのです。外での室内は、ジャケット必須です!(腹巻も!!) 皆さんの健康を祈って♪
2007年07月10日
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何ヶ月か前から、下腹部にきりきりとした痛みが、寒い時にたま~に走る事があり、気になっていたがほおっておいた。でも、最近クーラーが効きすぎている施設に行くと途端に感じるようになってきたので、勇気を出して(相当)産婦人科に行ってきた。 今日は、そのときの話をしようと思う。 実は、私は注射が苦手。苦手というより、恐怖。先端恐怖症だと思うのだが、はさみでも、カッターでも、包丁でも、先がとがっているものは近くにあるだけで、気持ちが落ち着かない。(これは、前世で何か関係があるに違いない、、、)料理はするのだが、先がとがっていない包丁しかないし、外食先で、厨房に包丁が使われているのを見ただけでブルッとくる。 余り気にしないようにしているのだが、その気があるようだ。あと、高所恐怖症と閉所恐怖症も少しはあるな。でもこれは人並み。飛行機にも乗れるし、パラグライダーも出来る、エレベーターも大丈夫。 話を元に戻しましょう。 そうそう、産婦人科。大きな病院で、妊婦さんがほとんど。問診表で「内診は希望するか?」との質問が、、、。ここまで来て、内診をしなければ意味がないので、「する」と丸をした。 名前が呼ばれるまで、2時間。内診室は6つもある。その内診室に妊婦さんが慣れた顔で、どんどん入っていく。小さい子を連れている妊婦さんもいる。子供は、別の部屋で預けられる。2週間毎に、内診に来ているようだ。顔を見るとまだ若い。それなのに、私がドキドキしている内診室に平気で入っていく。出産を前に、恥ずかしいなんて言ってられないのだ。その姿を見て、(嗚呼、母親ってすごいな~)っと思った。出産って、すごいことなんだな~って、今更ながら感じた。そして、街で子供を連れた人を見ると、それだけで尊敬してしまう気がした。みんなこうやって、恥ずかしさや痛みを乗り越え、身を削るように母になって、一人の人間をこの世に産み出すんだな。 私の母も、あんなに気が小さいのに本当よく頑張ったな。お父さんが、必死で女の先生を探したらしいけど。でも、その女の先生にパンツを下ろせなくてもじもじしていると、「何を恥ずかしがっているの!!いい事したんでしょ!!」っと言われ、お母さんは泣きそうになりながら、パンツを下ろしたらしい。「あれほど恥ずかしい思いをしたことはない」と、言っていた。[子供を産むことは、どれほど大変で痛くてしんどいことか、そんな思いしても、これや。]っと、私の出来の悪さを責めたくなるのも仕方がない。母にとって見れば、私を産んだことは一生に一度の大事件だったのだろう。。。確かに、それ以外母の努力を見たことがない。 話を戻そう。 中に入ったら、下着を全部取って用意しておいて下さい。と書いてある。 来た~~~!! しかも、先生は男の人。(でもカーテンで見えない)(声だけ)心臓がドキドキしたが、もう帰れない。とんでもない格好で待っている時、ふと思い直した。 何を恥ずかしがっているんだ?この体は、私の作ったものなのか?いや、違う。神様が創ったものだ。私は、ただ生まれてきてこの体を借りているだけ。この体が恥ずかしいとしたら、神さまに失礼じゃないか。そこにいる先生も、男の人じゃない。男の体を持って生まれただけ。男の人じゃない。男の着ぐるみを来た人間だ。 そう思ったら、なんだか急に楽になった。 「はい、こんにちは~」「これは痛みますか~?」 「いいえ」何度かやり取りがあった。検査自体には、痛みはなかったが、その1時間後、結果を聞く。 今度も男の着ぐるみを着た人間だったが、さっきの先生とは、別だ。声が違う。はずかしくないように、上手いことしてあるな。 「え~~、子宮はきれいです。」(写真を見せられる) 「しかし、左の卵巣に影がありますね。3センチぐらいですが、詳しく見てみないといけませんね」確かに、左と右ではぜんぜん違う影が見える。 ガ~~~~ン!!(がんではない) その後の言葉がもっとショックだった。「今日は、血液検査をして帰ってください。」 再び、心臓がバクバク、、、、。 しないで帰るわけにもいかず、採血に向かう。名前はすぐ呼ばれた。余りに久しぶりの注射で、緊張の極地。 「あれ?大丈夫!?」(ベテラン看護婦さん) 「はい、大丈夫です。。。」(はよ打って!)(顔面蒼白) なぜか、看護婦さん「あかん、誰かこの人後ろで支えたって!!倒れるわ!」 そんなたいそうな顔をしていたのだろうか、、、。私は、看護婦さんの言葉に笑ってしまった。怖さより、恥ずかしさがいっぱいになった。 しかしふと見ると、目の前には、5センチほどの長さの注射針が、、、。(これ全部、射さないよね?) 「ハ~イ、手を握って~~!!」「ちょっとチクッとするよ~。ごめんね~」(だから、はよ打って!) プスッ。 まさに蚊が射したような感覚。見ると、もう入っている。射してしまえば、もう平気。にかっと笑うと、看護婦さんも安堵。 看護婦さん「ここに来るまでが、あかんねんな~~!!」(そうそう、そうなの、、) 私「全然痛くなかったです~!!ありがとうございました~!!!」(ペコリと一礼) 看護婦さん「それは良かったね~~~!お大事に~」 嗚呼、恥ずかしすぎる。 30過ぎて、こんな大人がいるだろうか。それにしても、何も言ってないのに何であの看護婦さんわかったのだろうか。。。 そこで朝から、午後の3時までご飯を食べてないことを思い出した!! 「グゥ~~~~」 やっと、食欲が沸いてきたぞ!!!ごはんごはん!! でも、よく考えたら精密検査するって、悪いのかな? 調べたら、子宮筋腫とか子宮内膜症は30歳以上のなんと4人に一人!!でも今は、治る病気に変わってきたらしい。かのウタダヒカルちゃんも、以前経験してるな。若いのに。もうめずらしいことじゃないんだ。地球の環境も、かなりのスピードで変わってるし。でも、私が言われた卵巣は、 もう少し深刻でがんだと死亡率トップらしい。原因を見ると、、、、。 喫煙、脂肪過多、太りすぎ、遺伝、などなど。 私は、ひとつも当てはまらない。知る限り、近親者にがんはいない。はず。(でも近親者がいない) 皆さん!!がんになるリスクを、毎日の生活から追い出し、規則正しく、健康に感謝して毎日を快適におくりましょう。特に、女性の人は冷えに注意!!冷えはすべての病気を引き起こします。免疫力は、体温に比例します。この日、私は当帰四逆とか言う漢方薬を処方されました。冷えには、漢方も良いらしいです。足先が冷たい、お腹が冷たい、いけません。腹巻と靴下。必須ですぞ。 人間の体は、神様からの贈り物。そして、あの世へ帰るまでの借り物。 出来るだけ、丁寧に世話をして、愛情を掛け、慈しみましょう♪ そして今日一日、元気だったことに感謝。 (追伸)今日は、健康のありがたみをつくづく感じ、これをきっかけにみんなが、少しでも健康に気が向けばと思い、また人間は、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」ので、自分のためにも勇気を出して、ブログに書きました。
2007年07月06日
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引越しから2ヶ月、 季節は11月になっていた。 母は、近くのスーパーでレジをやり出した。私は、学校の帰りにクラブがない時、母の働く様子をこっそり見に行ったりもした。 父の仕事には相変わらず着いて行っている私。そう、まだ別居も始まっていないのだ。 離婚したのに、先生も知ってるのに以前と状況がちっとも変わっていないのもなんだか複雑だった。だけど、ややこしい話を母から聞きだすとまた、逆切れされるので何も聞かずにいた。 水泳部は、プールも来年の夏までお預けで、最近はもっぱら陸上部と化している。 まず、全員で3キロ走る。これがきつい。運動などほとんどしたことがない私は、500メートルで既に遅れ始める。それでも何とか3キロ走る。みんなが走り終わって10分ぐらい休憩した後にようやく私が到着。 それで終わりではない。構内に入って、腕立て100回、腹筋100回、屈伸、うさぎ跳び、、、メニューは山のようにある。プールが閉まってすぐ水泳部を辞めたくなった。泳げないのに、走るなんて、、、。 だけど、慣れというのは素晴しい。1ヶ月もしない内に、3キロ遅れずに走れるようになった。すると、自分に自信が出てきた。私って、出来るんだ!3キロも止まらずに走れるなんて。体が、どんどん軽くなっていくのを感じた。 私は、まるでかなり運動の出来る子のように錯覚しそうだった。 ちょうど、その頃運動会がやってきた。私の大嫌いな運動会。何にも出たくないのに、一つは出ないといけない。100,200,400,800m。出る物を決める時、私は800でも走れるような気がしていた。長距離に出るのはもちろん陸上部と決まっている。運動会といえども、やっぱりクラス対抗なのだ。何でも、クラスで戦わせるのがこの学校のやり方らしい。私は、長距離は走れるようになっていたがあくまでも短距離は遅く、やっぱり速さのあまり関係のない障害物にした。中学になると、運動会といっても小学校と違って親が周りを埋めるようなこともない。ちらほら来ている程度である。だから、私も気が楽だった。 年末になると、父の仕事は一層忙しくなる。お正月に向けて、みかんの買いだめなどをする人が増えてくる。かきいれどきだ。軽トラに乗せる果物も、桃やぶどうからみかんやりんごが中心となっていた。 箱ごと買う人もたくさんいる。それを、団地の上まで運ぶ。たくさん買ってくれてありがたいのだが、手はかじかんでいて、動きは鈍い。しかし、動きが悪いと父がにらむ。ご飯を食べさせてもらっている以上、「働かざるもの食うべからず」の精神は私を動かした。 そして、今度は期末テストが迫っていた。自分でも、(自分が賢いんではないか)と勘違いをしそうな中間テストの結果でこのまま行けば、担任の先生の言うようにいい高校へいけるんじゃないかと思ってきていた。 (大阪より、奈良県は勉強のレベルが低いんだな、やっぱり田舎だから、、、) 事ある毎に、大阪との違いを見つけては田舎扱いをして自分を納得させていた。 父とは母は、いつから本当に別れるつもりだろうか、、、。何も聞けないけど、心の中はそのことで一杯だった。 つづく。。。 追伸。 私は、あまり「きり番」とか気にしたこともなくて、あなたが何番目でした!!とか、それがなんじゃ、、、?っと思っていたのですがこの度メールが来てまして、、、 2万ヒットの「きり番」を切った人の名前は、、、なんといつもコメントを張り切って入れてくれているサズちゃんでした!最近ずっと来てなかったのに、(本人が忙しくて)ちゃっかり!?2万番目を踏んでいってくれてたそうです。という訳で、せっかくなのでお祝いのプレゼントは、、、、、、??? ジャ~~~~ン!! 私の声入りCD3枚組みフルセット♪ 演歌から、カーペンターズまでカバー 夢のような素晴しい歌声を、これからはいつでもあなたのお手元に。 6にゃんもお喜びで、おうちを駆け回ることでしょう。 幻のCDが、もうすぐあなたのお手元に!!! なんて強運なんでしょう! おめでと~~~ございます!!!!! (サズちゃん 顔、曇ってるで)
2007年07月03日
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中間テストが終わって、すぐの頃母がおもむろに私に言った。 「お母さんな~、働くことにしてん。これやねんけどな。(チラシを見せる)レジなんか出来るかどうか知らんけど。」 私は、その方がいいと思った。だって、父の仕事にも一切着いて行かないし、かといって、家が片付いているわけでもない。私のお弁当も適当。母の体は、ほっそりからデップリに変わって来ていた。そんな母に、心の中で不満もあった。 「それはいいやんか~。働いたら、また痩せるわ。外に出たら、綺麗になるで。」 そういう私に、母は続けて言った。 「ほんでな~。あんた話し変わるねんけど、苗字の事やねんけど、今のままの沢村とお母さんの中内とどっちがええ。」 「、、、、、、、。」 「一体何の話?」 「意味がわからん。」 「なんでやの。わからんことないやろ。今までのの名前とどっちがええって聞いてるねん。」 「どっちが、、、って。。。そら今のままでええよ。変わるのめんどくさいし、中内なんて自分の名前と思われへんし、、、。」 「そうか、、、。そらそうやわな。わかった。もうええわ。」 そう言ったきり、何処かへ行ってしまった。 どういうことや。おじいちゃん、もう危ないんか?でも、おじいちゃんが死んでも関係ないと思うけど。。。ようわからんな。 両親が離婚したことを聞いたのは、次の日だった。 「そやから、昨日聞いたったやろ!どっちがええって!!名前は、選べるらしいから!」 そんなことは聞いていない。どうして急に離婚なのか。大阪から引越ししてきて、まだ2ヶ月。ようやく生活に慣れてきて、父も最近は真面目に働いている。母も、働けば生きていける。 私には、さっぱり意味がわからなかった。そして、とてもショックだった。 何とかかんとか言いながら、いずれは末永くやっていくだろうと思っていたから。。。 学校の担任にも、報告した。なんだか、もう終わってしまった気がしてすごく淋しかった。。。 つづく。。。
2007年06月27日
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テストの出来は良かったのだが、 あんまりテストの結果が良すぎて、頭のいい子に思われることが、心配だった。 大阪から引っ越して、早1ヶ月が過ぎた。父の仕事のシロアリ工事は、夏の季節を過ぎだんだんと暇になってきていた。このままでは、生きていけない。また、父の仕事が変わった。いつもの、軽トラが大きなシロアリの機械から、なんと果物に変わった。 いろんな果物を、軽トラに積んで田舎の町に売りに行くのだ。土日は、もちろん私も一緒だ。 みかん、梨、桃、ぶどう、りんご、、、いろんなものが積んである。朝、大阪まで果物を仕入れに行くのだ。そして、軽トラいっぱいに果物を積んでいろんな街に売りに行く。 別に呼ばれてもないのに、スピーカーから声を流しながら売り回るなんて、恥ずかしい、、、と思春期の私は思った。けれど、休みの日となると父は私が来ることを期待しているだろう。母は、相変わらず行く気は全くないようだ。 『まいど~~~、お騒がせしております~~~。果物の宝庫、山梨は甲府から産地直送~~~、ももをお届けにあがっております~~。え~~~、くだもの~~~~ぶどう、ぶどうはいかがですか~~~~、新鮮なぶどう、あま~~いみかんはいかがですか~~、まいど~~~まいど~~~~お騒がせしております~~~~産地直送のくだもの~~~~』 頭の上で、軽トラを走らせながらずっとこんな調子で父の声が流れている。先日、ふきこんでいる所を家で見た。 あんなに羽振りの良かった父、ブランド物を全身見に着け、夜の街にお洒落して出かける姿しか想像できない父。半年毎に高級車の新車を買い続けていた父が、今は、軽トラで果物を売り歩いている。私の心は、とても複雑だった。 一体どうなっているんだろう。。。あの急な引越しは、夜逃げじゃなかったのか。私たちは、生きていけるんだろうか。私はまだバイトも出来ない。早く働きたい。でも高校にも行かなければならない。 学校や自分の事でも必死なのだが、父の姿を見るととても苦しくて、それでも頑張ってやっている姿が余計苦しくて、私は、クラブで疲れている体を引きずって必ず父について行った。 スーパーで売っているものを、わざわざ売りに来たトラックで買う人は少ない。スーパーが近くにない所を探さないといけない。利点といえば、家の近くなので重たくないということぐらいだろう。産地直送!!と歌っているが、結局どこのスーパーでも同じ事なのだ。あとは、父の人気だけの商売だ。 慣れてくると、売れる街がわかってくる。団地とか、集合住宅が良く売れる。それは、重い果物を父が持って上がってくれるからだ。もちろん、私も。団地の広場に付くと、いつの間にかおばちゃん方が、ぞろぞろと軽トラの周りに集まってくる。一瞬だが、傷みのない物を我先に買おうと店は、てんやわんやになる。私は、たくさん売れるとうれしくてまた営業上も、いつもニコニコしている。ように、心がけていた。 「真理!!これをこの5階まで持っていって。その後、これをあそこの3階まで!」こんな調子だ。 時には、たくさん買ってくれる人もいてありがたいのだが、果物一杯のダンボールは、非常に重たい。まさに肉体労働だった。 「いや~~、お兄ちゃんこの子、お子さん!?大きい子いるんやね~~。」 「遅いから、いつ来てくれるんかと思ってもう果物、買いに行くとこやったわ!」 いつの間にか、常連さんも出来ているようだ。これなら美人の母が来るより、子供の私のほうがいいかもしれない、と思った。 『いいわね~~~、親孝行なお子さんもって!!うちの子なんかな~んにもせえへんわ。お兄ちゃんの育て方がいいねんな~~』 さぞかし、周りからは仲のいい親子に見えていただろう。。。 でも実際は違った。 もう、7時も過ぎて暗くなると果物も売れない。帰る準備にかかる。 さて、家に帰っても何もないだろうから食べて帰ろうか、、、ということになる。 しかし、仕事が終わると父はいつもの厳しい口うるさい父になり、私も休日出勤でくたくたな手前、あんまり母の悪口や私の欠点を責められても素直になれない。もっと、楽しい話をしてくれたらいいのに、どうしていつもこの人は怒ってばかりなのだろう。。。自分だって、私たちにたくさんの迷惑をかけているというのに。 せめて、手伝いに来ている時ぐらい表面的にでもいい、優しくして欲しかった。ガミガミ言われていると、ご飯も美味しくない。 結局、素直になれない私の態度で父が切れて、私は殴られ、泣いて帰る。 家に帰ると、泣きはらした私の顔を見て母が、「だから、行きなってゆったやろ!!結局こうなるねんから!!お父さんの性格わかってるやろ!もう、これからいきなさんな!」 2日に1日はこんな感じで泣かされて帰ってくる。 それなのに、私は朝、父が「今日どうする。来るんか?」と言ったら、悩みながらも、やっぱり行く準備をしてしまう。その繰り返しだった。 家の前に同級生の子がいた。私と正反対のタイプの子だった。朝から、朝シャンして髪を綺麗に流して、鞄はペチャンコにしばれないように化粧もしていた。身をやつすことなど、全く興味のなかった私と真逆で、いつも男子の目を気にしている子だった。実際綺麗な子で、ある程度男子には人気もあっただろう。 家が目の前ということもありとにかく友達が欲しかった私は、誘われてその子と通学することにした。 でも、その子といると私はいつもからだの調子が悪くなってくる。ずっと気を使っているからだろうか。会って、1時間もするとお腹が痛くなってくるのだ。それもいつも。 相当、無理をしていたのだろう。早熟な彼女に話を合わせたり、自分に嘘をついてみたり。。。ずっと彼女の好きな男子の話を、聞いているだけだったり。 テスト前には一緒に勉強もした。勉強は、私が教える一方だった。一緒に勉強していても、私にはメリットはない。ずっと私が、一方的に教えている感じだ。それでも、家に帰って勉強したい気持ちを抑え彼女との時間を過ごした。そして、勉強していてもまたお腹が痛くなってくるのだ。自分の家に帰り、腹痛と戦いながらまた彼女の家で勉強を教える。の繰り返しだった。しかし、いつまでたっても私が彼女との共通点を 見いだすことは出来なかった。 彼女の家の前には、私の家があり私の家の横には駐車場でもないのに迷惑なうちの軽トラが止めてあった。アパートだから、飼ってはいけないのに私の家の玄関横には大型の犬がいた。私が拾ってきた犬だった。つい最近、近くで遊んでいて血だらけの犬を見つけた。びっくりして、動物病院に電話をした。いい先生で、無料にしてくれた。だけどこのままでは、栄養が悪く生きられないという。仕方なく、親に頼んで飼ってもらう事にしたのだった。うちは、周りには迷惑な存在だったかもしれない。8世帯のうち半分ぐらいしか住んでないアパートだったが、、、。 私が彼女と仲良くして居たかったのは、そういう理由もあったかもしれない。無断駐車と、無断飼い、そして酔っ払うと大声で騒ぐ父、、、色々な事で迷惑をかけていると思い、遠慮していたのだろう。 そして、また家庭内で大変なことが起こった。 つづく。。。
2007年06月19日
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とにかく、早くクラブに入らなければ。私は、焦っていた。 でも、前の中学では父の仁王立ちであっさりテニス部をやめ、その後入ったのが、何の面白味もない園芸部。友達を探して入っただけで、植物に興味もなかった。 しかし、例の不良達にこれ以上かかわらないためには、クラブに入るしかない。思い悩んだ末、出した結論は「水泳部」だった。実は、私は全くの運動音痴。走らせても、50メートルを10秒切らず、跳び箱は、6段でさえ頂上でストップ。成績も、体育が一番悪い。 そんな私が、水泳部。残念ながら前の学校では、プールがなかった。唯一、泳ぎは出来た。そうだった、思い出した! 父と、浮気相手に連れられてプールに行って溺れたときから、私も、成長したものだ。父が、私を連れて出かけるのは、自分の仕事と父が好きなプールだけだった。だから、いつのまにか平泳ぎだけは得意になった。小学校の授業でも、確かみんなの倍ほどの速度だった。いつも体育の出来ない私が、25メートルを泳ぎ終わって振り返った時、まだみんなが、半分ぐらいを泳いでいた時の快感!!この私が、みんなより早い!そうだ、私は、泳ぎが得意だった!! ここは、暗い子だと思われないためにも、体育部のほうがいい。水泳なら、2年生でも何とかなるだろう。1年生もいることだし。。。 放課後、水泳部に顔を出した。ずらっと、たくさん人がいる。9月は、まだプールが開いていて、夏のようだ。紹介され、また頭を下げた。「平しか出来ませんけど、、、。よろしくおねがいします。」 それを、みんなは先生も含め、謙遜だと思ったらしい。「大丈夫、大丈夫!!」そう言って、拍手で優しく迎えてくれた。 しかし、全然大丈夫ではなかった。顧問の先生は、私のタイムを測るという。タイム?測ったことない。一度泳いでみろ。と言われ、25メートル泳いだ。平は得意だ。自信がある。平静な顔をして結構真剣に、必死で泳いだ。 先生はタイムを見て、信じられないという顔をしている。(もしや、速すぎるのか!? ) 続いて、苦手なクロール。これは駄目だ。息継ぎが出来にくいため、あろう事か途中で一度足をついた。(あ~あ、だめだ~。)しかし、先生はタイムを止めてくれそうにない。(うそ~)仕方なく、頑張って最後まで泳いだ。 続いて、背泳ぎ。これは、遊びでやったことある。何度かロープにぶつかりながらも、ようやく到着。 続いて、「最後にバタフライで」との声。 バタフライ!?何だそれは!!!聞いたこともない、見た事もない、それなのに顧問は、何でもいいからあんな感じで泳いでみろと言う。(そんな無茶な)横を見ると、まるでバッタのようにおかしな泳ぎ方をしている。(あぁバタフライではなく、バッタフライか、、、なるほど~。)見よう見まねでやってはみるが、ちっとも前に進まない。それどころか、手を一旦後ろにやる為、その重みで沈みそうになる。いくらもがいても、5メートルも進んでいない。私は、恥ずかしいのも限界になり、笑い出して立ち尽くしてしまった。てっきり先生も笑ってくれていると思いきや、 なんと!! にらんでいる、、、。しかも、まだタイムを測っている様だ。なんといういけずな先生だ。こんなとこ入るんじゃなかった。 新しく入ったクラブで、仲間に注目されているし、かっこいい所を見せようと思ったが、とんでもないことになった。信じられない!!という顔は、早すぎてではなく、遅すぎてだった。 今まで、興味津々だった仲間達は、私の事などもう見えていないかのような態度。「論外」そんな声が、みんなの背中から聞こえそうだった。 案の定、顧問に呼ばれた。 「お前な~、泳げるゆうたやんけ。まともに、泳げるのん平だけやんけ。。。前の学校は、何部に入っててん!?か~~~~、これ大変やぞ~~~。まず、フォーム覚えることからやな。とりあえず、大会は補欠や。」 大会!?まともに泳げないのに、補欠。顧問の先生は、明らかに私が入ってきて、迷惑そうだ。 (あぁ、失敗した~。どうしよう。。。もう辞めたい!!) しかし、華々しく入ってきて一日で消えるわけにもいかず、「場違い」を覚悟で、クラブを続けることにした。 何日経っても、私の水泳のレベルは全く変わらなかったが、しかし、なんとなく友達は出来た。ひたすら3時間ほど泳いだあとに 、よく体力があるなと関心するのだが、帰り道はとてもにぎやかで、それが楽しかった。 体育部特有の、男女の隔たりのない仲間関係。それは、たとえ隔たりがなくとも、あの不良とはまた違う。びっくりするほど馴れ馴れしく触れ合っていても、そこには暗さや、いやらしさが全くないのである。私が求めていたのはこっちだ。相変わらず、男子には近寄れない私であったが、補欠でもなんでも、とにかく楽しかった。 そうこうしている内に、中間テストがやってきた。転校から、1ヶ月でのテスト。教科書も全部違う。でも、クラスのレベルを下げないためにも頑張らなければ。。。 結果は、平均点70点の所、なんと85点だった!!担任は、すぐさま家に飛んできた。 「いや~~、まりちゃん出来るのね!先生安心したわ~。このまま行ったら、県下有数の丸丸高校いけるよ~。」 結果を見て、えらく喜んでくれたのだが、あまりうれしくない。 だって、前の学校では普通だったのに、急にクラスで5番以内に入るわけない。 しかし、心と裏腹にクラスでは出来る子だと思われてしまった。それが、私には余計に負担になった。 お母さんも先生にそう言われ、満足げだ。どこかおかしいと気付かないのだろうか、、、。 「あんたも、やったら出来るやんか。今まで、もっと真剣にやらんからや~!!」 今回は、真剣に頑張ったのだと信じて疑わない。いや、本当なのか?もしかして、本当にこれが私の実力か!? そういえば、あの不良達とは全く会わなくなった。 そして、毎日ぐったり疲れる水泳部に、私は初めて「青春」というものを感じていた。 つづく。。。
2007年06月13日
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引っ越してまで、不良と縁するとは、、、。私は、またしても先々に嫌な予感がしていた。 4日目の帰り道。今日は、よそ見をせず、真っ直ぐ前を向いてさっさと帰ろう、、、そう思って早歩きで下校した。 しかし、またもやどこからか声が、、、、。 「おーーーい!!転校生。こっち来いや。」 聴こえてない振りをしようと思ったが、無視しても明日もまた同じ事。仕方なく、振り向いた。 またあの5人組である。手で、「おいでおいで」をしている。周りを見渡したが、やはり私を呼んでいるようだ。 近づくと、、「今からいいことするから、来いや。」と言う。 ギョエ~~~~!! あなた達と似ても似つかないいでたちの私を、どうして誘うのか!!転校生だからか?一体、何なんだ!?でも、どうせろくなことはないだろう。付いて行ってはいけない。絶対に。。。 しかし、またもや意に反して私は付いて行った。 ただ、まだよく知らない学校で不良を敵に回す勇気がなかったのもあるし、もしかしたら声をかけてくれる人が、不良しかいなかったせいもあるかもしれない。それに、もしかしたら、かっこつけてるけど所詮、田舎もんじゃないか! どこへ行くのかと思ったら、一人の家だった。誰かの家に着くと、親も誰もいなかった。 みんなは、鞄をほおり投げてリラックス。。。 リラックス=タバコ。 早速私は、どんな理由を付けて帰ろうかとそればかり考えていた。 そこへ、ビニール袋が出てきた。 「アンパンやで。知ってるやろ。」 アンパンならもちろん知ってる。どっちかというと、パンよりご飯の方が好きだが、この際、仕方ない。いつも、あんぱんがおやつなのか、、、。大阪なら、バームクーヘンかクッキーのところ、やっぱり可愛いじゃないか、田舎もんの中学生は。 そんな安堵をよそに、みんながスパスパそのビニール袋の中の空気を吸いだした。ビニール袋は、曇っていて中身が良く見えないが、よ~~~く見ても、 あんぱんは、どこにも入っていない。 部屋には、何やらタバコにまみれてシンナーの匂いが充満。。。 美味しいあんぱんを食べさせてくれるのかと思ったら、 みんな,どんより、表情が曇ってきた。 あらら、、、らら。 やっぱりここは私のいる場所じゃない。早く帰らない、、、、と。 そう思っている私の前で、男子がなんと一人の女子の上に馬乗りになってきた。 そして、セーラー服を半分脱がし、胸を揉みながら、濃厚なキスが始まった。 キャ~~~~!!何!!! 心臓がドキドキ、口から出てこようとしている。 私が一番苦手な分野で、しかし一番気になる男女のその行為!! 生キス&胸もみを目の前で見てしまって、私は動揺と興奮が止まらなくなった。 早く帰らなければ、、、早く、、、、、、!!!間違って、私に乗っかってこられたら大変だ!!!!! 「い、、、、犬の散歩せなあかんから、、、帰る!」 必死で考えた言い訳がこれ。 みんなは、「あっはははは~~!!こわなったんけ!」と、笑っているが、そんなことはどうでもよく、私は走って帰った。 実はうちの家は、なぜか性的なことだけは開かれた環境で父は、お風呂上りだけでなく平気でスッポンポンで歩くし、母は母で父の浮気の際、「お父さんとは、もうとっくに体の関係はないからな。相手は、若くて抱いたらピチピチで美味しいねんやろ。」などと、子供に言うような話でないことまで言う人だった。そして、物心つく前の私に、こんなことも言った。 「ようきいときや。あんたはな、顔がえーことないんやから、おっきなったらな、結婚する人にしか処女許したらあかんねんで!一生面倒見てもらわなあかんからな、こいつは俺が幸せにせなあかんって、思わさな!股ひらくんは籍入れてから、初夜にし~や。これお母さんの遺言やで。覚えときや。」 「処女って何?」 「誰にでも、股開いたらあかんってことや!!お母さんも、お父さんしか知らんがな。そやから、浮気しても捨てられへんのや。」 こんな言葉を言ってはいるが、この時まだ母は、新しい中学校でも有名になるほどの美人であった。浮気をされて、幸せではなかったが、女としてはまだまだ美しさを誇っていた時である。(後に写真を見て、判明) 現に浮気をされている人の言葉は、あまり説得力はないが、小さい私は、とにかく股、開いたらあかん。結婚する以外の男の人に、体をさわらせたらあかん。っと、それだけを、刻み込んでいたのだった。 そんな純情な私の前で、何するねん!! なんて、学校や。ちっとも、田舎らしくないやんか!!健やかな中学生活は、何処なんだ。 ふと気付いた。不良達は、もちろんクラブには入っていないので一番下校が早いのだ。まだちらほらしか歩いてない田舎道で、転校生を見つけるのはたやすい。 あいつらに会わないようにするには、クラブに入るしかない!!そこでも友達が出来るかもしれない。とにかく、どう頑張ってもあいつらと友達になるなんて無理だ。このまま友達になったら、一生結婚できなくなる。 しかし、クラスで友達を見つけてテストでいい点を取らなければ、不良しかいない高校に行く羽目になる。それだけは、嫌だ。もっと、普通の、青春を送りたい! つづく。。。
2007年06月07日
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中間テストは、どんどん迫ってくるが、内心はそれどころではない。友達は出来るだろうか。グループに入れるだろうか。親と先生の関心とは別に、私はそっちにしか興味がなかった。 転校して、3日目の事だった。まだまだ緊張が続いている私は、やっと3日目を終えて、今日を振り返りながら、田舎の田んぼ道をトボトボ歩いていた。大阪と違って、やたら緑が多い。例の二上山も顔を上げればすぐ目の前に迫っていて、すごく自然の匂いが漂っている。今まで、気付かなかった緑のにおい。大きな青い空。これから大きくなる街は、その頃はまださびれた小さな田舎町だった。 家は、すごく小さく古くなったけど、父が真面目に仕事して、母の機嫌もよくなり、私が学校で何とかやっていけたらそれだけでいい。それが私の最低限で最高の望みだった。 要するに、私は何より平凡な生活を望んでいたのである。 そんなことを考えながら、ボーっと歩いていた私に、ふと見慣れない光景が飛び込んできた。田んぼの脇に続いている細い小道の下に、水量の少ない川があり、橋の下がトンネルの様になっている。 私は、その場所をただなんとなく見た。なぜなら、自分と同じ制服を着た子がそんな所に集まっていたからである。(カエルでもいるのかな、、、?ザリガニか?) 橋の下で一体何をしているんだろう?歩きながら、なんとなく目をやった。 っと、誰かが「あいつ、10組に入ってきた転校生や!」と叫んだ。その声を聞いて、なんだか嫌な予感がした。なぜなら、相手をする気がないのなら、わざわざこちらに聴こえる程の大きな声で、 叫ばないからだ。私の事を知っているという事は、2年生か? 私は、その声を聞いても気付かない振りで、ただ目をそらして、真っ直ぐ歩き始めた。しかし、すぐさま目の前に何人かが立ちはだかった。 「ちょっと顔、貸して貰える?」 出た~~~~!! テレビそのままのそのセリフ。しかし、これは現実。ということは、なんだかよろしくない方向へ、、、? 大阪でも、「顔、貸して貰える?」は、聞いたことがない。そんな言葉は、チンピラかテレビでしか聴けないと思っていた。 私は、訳がわからず、誰かも知らず、背中を押されながら、その橋の下のトンネルに連れていかれてしまった。 よく見ると、制服の袖をめくり、スカートは地面すれすれ、鞄はもちろんペチャンコ。お決まりの不良のいでたちであった。5人いた中には2人男子もいた。男子がいたことで、私の緊張は最高潮になった。 一体、、、私に何の用事が、、、、。 誰かが言った。「あんた転校生やってな~~。大阪から来たんか?でもな~、転校生でもな~見られたからには、協力してもらわなな~。」 そういいながら、私の頭から靴先までを皆がジロジロと見ている。よく見ると、煙を上げているタバコを慣れた手つきで吸っている。あぁ、タバコを見られたと思ったのか!ようやく私は理解した。 「私、歩いていた時は何も見てなかったけど。。。」と言ってみても、もう遅い。誰かが大声を上げる。 「センコウに言われたら、うっといからな!!ここは協力してもらわんと!」そういうが早いか、一人がタバコに火をつけて私に渡した。 ここで言っておきたいのだが、私はそういうのが大嫌いな子であった。とにかく、不良という中途半端な存在が嫌いだったのだ。親の世話になりながら、何が不良だ!みんなご飯を食べさせてもらっている子供じゃないか!っと、決して自分も両親と上手く行ってないのに、かたくなにそう思っていた。世界には、ご飯さえ食べられない子がたくさんいるのに何が気に食わないのか、不良になるなら、自立してからなれ。っと、思っていた。 しかしその不良に、今からまれている。さあ、どうしよう。。。 全員、私を注目している。断ったら、何をされるかわからない。ここにいる5人が、何年生か何組かさえ知らない。ここはひとけのない、橋の下、薄暗く、湿気があり、夕方なのにもう夜のようだ。すきを突いて逃げたとしても、明日もまた同じ事。 私は、仕方なく、タバコを手にした。すでに、火はついている 。 心の葛藤と戦いながら、意に反して私はタバコを口にした。 思い返せば、これが不良の始まりだった。。。 っと、普通はなるのだろうが、そこは、普通ではない私。タバコはそこまで肺活量一杯に吸い込むものではないのに、緊張のためか、息を吐ききってから思いっきり吸い込んでしまった。 さあ、大変。むせるむせる。本当に死ぬのではないかと思うぐらい、苦しかった。呼吸困難になり、ゲホゲホゴホゴホ、顔を真っ赤にして、座り込んで咳き込んだ。周りは、指差しながら笑っている。 「こいつあかんわ!!」 何があかんのかわからないが、バカにしたような目でまるで、不良になる資格もないといった感じで見下げている。 最後に、「今日はこれで帰したるけどな、センコウにゆったらどうなるかわかってるやろな。」っと、脅しも忘れなかった。 私は、罪を犯した罪悪感で一杯になり、これを家に帰って言うべきか、悩みながら帰った。吸ったと言っても、ただむせただけなのにそのときの私は、これで自分の体がどうなってしまうんだろうと恐ろしい気持ちになった。 それにしても、こんな田舎でもちゃんと不良がいるという事に一番、驚いた。そして、大阪の不良達より、田舎の不良はちょっと大人っぽい気がしていた。まだ、本当に子供だった私はあの5人グループの雰囲気に何か違うものを感じていた。 まだ、私の知らない世界を知っているような、、、私の先を行っている、そんな事を、なんとなく感じた。 私は、ただ自然が多い田舎だと思っていたけど、それは、とんでもない間違いのような気がしてきた。 つづく。。。
2007年06月02日
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題名が訳わからないと思いますが、昨日の話しをしようかな。 私には、80歳を越えるお友達のおばあちゃんがいて施設にいるのでたま~に遊びに行ってるのですが、この前、退屈だ~と言ってたので、考えた挙句、そうだ!!昔の歌の入ったCDをプレゼントしようと思いついた。ただ、昔の歌をあげてもおもしろくないので自分の声で歌うことにした。今は、すごい時代だ。カラオケ屋さんに行くと、マイCDを作れる。 一人で、カラオケに入るのはかなり言い訳が必要でカウンターの人に聞かれてもないのに、ごちゃごちゃ言い訳して、やっとの思いで、中に入った。 途中で、録音中に笑い出したりして失敗を繰り返しながら、ようやく10曲なんとか録音した。内容は、みんなが余り知らないような昔の曲だ。私が生まれる前のものもある、かなり古い曲。 1、テネシーワルツ(英語)2、ブルーライト横浜3、女の意地4、喝采5、雨の御堂筋 こんな感じ。。。あとは、忘れちゃった。 さて、それを先日渡すことがやっと出来て、喜んでくれるかな~っと、不安に思っていたら、途中まで、私と気付かなかったようで(実は内緒にしてたのだ!)気付いたらしくびっくりして、携帯に電話がかかってきた。 えらく喜んでくれて、いいプレゼントが出来たと我ながら喜んでいたのだが、喜んでいたのは、そこまでだった。 昨日、電話がかかってきて、おばあちゃん、興奮気味。。。「あんた、えらいことやで!!あのCD知り合いに聞かせたらな、えらいびっくりしはって、ぜひ、うちの施設でボランティアで歌って欲しいって、私頼まれてん!!どうしよ~~。あんた、どうする~~がんばって歌えるか~~???」 ええ~~~~!!! 何で、私の知らない人がCD聞いてるの~~??たのむよ~~、おばあちゃん!!確かに、以前からボランティアには、興味があったけど今まで、その施設にお見舞いというか遊びに行ってた私が急に、前で歌い出したら、みんなびっくりするで~~。しかも、何もイベントの日とかではなく私だけらしい。ミニコンサートかいっ!?おかしいでしょ!? でも、やっぱりここは一肌脱いで「カバータ真理」で、デビューしようかな。いや、漢字のほうがいいから、樺田真理で行こうかな。。。 もちろんカバー曲ばかり歌うから、カバータね。もし、デビューしたらCD買ってね♪
2007年05月27日
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9月11日。私は、そんな中途半端な日に新しい学校に、母と挨拶に行った。どうせなら、9月1日の方がよかった。 事前に、母にお願いしていたことがあった。 「お母さん、新しい学校に行ったら1年の時のいじめの事は誰にも言わんといてな。いじめられてたなんて聞いたら、暗い子やと思われるし先生にもそういう目で見られるのが嫌やねん。絶対に、言わんといてな!!」 「わかってるがな。そんないらん事言うかいな!」 学校に着いた。 校長先生が、ながながと当たり前の話をする。制服は、自分のが出来上がるまで学校のものを借りることになった。教科書は、どさっとテーブルに積み上げられた。前の学校とは、全部違う。付いていけるのか、、、。不安になった。 クラスの事が気になる。話がようやく終わりそうになった時、校長が言った。 「まあ、とにかくこの学校にはあなたの過去を知っている人は誰もいません。だから、あなたも心機一転、生まれ変わった気持ちでがんばってください。あなたの事は誰も知らないんですから。」 「、、、、、、、。」 お母さんの顔を見た。 すると「先生ぐらいには、知ってもらっとかなあかんやろ!」とややいつものヒステリックになりながら、言い放つのであった。 あんなに、お願いしておいたのに、、、。 いじめられてたと聞いたら、暗いと思われるし、何かあったときにやっぱりそんなタイプの子かという目で見られる。それが嫌だったのだ。とにかく、そういうことを感じさせない明るい自分でいたかったのだ。以前の人を笑わせることが好きな面白い私でいたかったのに。。。 心を許しあった友達にももう会えない。 大人と違って、電車で会いに行くことなどまず出来ない。行きたくなくても新しい学校に行かなくてはいけない。その学校では、もうとっくにグループが出来上がっている。その中に、静かに入っていかなくてはならない。しかし、転校生はどうしても目立ってしまうのである。 次の日の朝、私は一人で新しい学校に向かった。まず職員室に行く。担任の先生はまた女の先生だった。 その先生の後を付いて、長い廊下を歩く。1組、2組、、、6組7組、、、、、心臓が、飛び出しそうである。なんと私は、10組だった。 田舎の割には、大阪からの移住が近年増えているらしくマンモス校であった。街も、もうすぐ町から市に変わるそうだ。 「ハ~イ、みんな~席について~~!!」 「今日は、昨日言いましたように、みんなに新しいクラスメイトを紹介しますね~。まだこの学校の事、何にもわからないので、みんなで何でも教えてあげましょうね~~はい、はくしゅ~」 「大阪から来ました、真理です。どうぞよろしくお願いします。」 私はぺこりと頭を下げた。 こういう風景は何回も経験していたが、全部小学校であり、転校は久しぶりだったので、どこか懐かしい気持ちで頭を下げた。 私の席は、クラスの代表の子の隣だった。しばらくその子が、私の世話を焼いてくれるようだ。見るからに、頭のいい感じな女の子だった。 休み時間になると、周りが続々と集まってきて、質問の嵐になる。 「どこからきたん?」とか「大阪のどこ?私の親戚が高槻におる」とか「もう、証明習った?(数学の)」とか「クラブはどこに入るん?」とかその度に、適切な答えを用意するのがしんどいが、ここで適当に答えると、みんなに親切にしてもらえないかもと必死で答える。 途中で入ってきた転校生に、みんな興味津々なのである。恥ずかしいお弁当の時間は、ぐんのみでさっさと終わらせた。教室もどこを見ても、誰もと目が合う。要するに、みんながこちらを大注目しているのだ。 私が疲れないはずがない。 どうにか一日目を終えることが出来た。神経が過敏な14歳。思春期のど真ん中での引越しは、大変なものだった。 家に帰ると、向かいの同級生の女の子の家に母と挨拶に出向いた。 「あら~~、同級生!?うちの子も喜びますわ~!!うちのは、明るいだけが取り柄で頭は駄目だけどね~~」タバコを消しながら、慌てて出てきたのがその子の母だった。私の地味な母とは、まるで逆のタイプだった。肝心の同級生はいなかった。母が、また始まった。 「いや~~、明るいなんてそれが一番ですやん。うちのは、暗くて、あきませんわ。女の子は、やっぱり明るくないとね~可愛げがないですわ~」 「あら~、暗いんですか~?そんな風に見えませんけどね~」といいながら、私を上から下まで見た。(じゃあ、うちの子とは合わないかな~)っという顔だ。 私が暗い!?そらいろいろあったけど、学校で暗いと言われたことはない。親が、私に言い続けてるけど、自分でもそう思ったことはないのに、また例え、そうであったとしても、事もあろうに、転校したての大事な時期に向かいの家の同級生の母親に私の事を「暗い」と紹介する母は一体私に何の恨みがあるのだろう。そして、あんなに頼んでおいたのに知らん顔して、学校側にいじめの事もばらした。 転校2日目にして、全く協力的でない母親に、すべての事が、不安でいっぱいだった。 出来ることなら、もう一度引っ越しし直したいぐらいだ。まだ私の事を何も知らない人の中で、どうして嫌な情報を母は、ばら撒くのだろう。出来るだけ早く友達を見つけようと、がんばっているのに、、、。 張り裂けそうな心で、泣きたい気持ちでいっぱいになった。 でも泣いている暇などなかった。転校から、3週間後に中間テストが迫っていた。もちろん、みんなが注目している。担任も心配していた。私の学力によっては、クラスの成績が落ちるらしい。マンモス校は、クラスでも順位を競っているようだ。 プレッシャーというものが、私の両肩に乗っかってきた。心の中は、勉強どころではないのに。 つづく。。。
2007年05月21日
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9月10日。夏休みを過ぎて、宿題も提出し、焼けた肌のヒリヒリも、落ち着いてきたかな、、、というそんな日に、私は突然、引越しすることになった。 大人なってしまえば、引越しなんて大したことないし、逆に新しい環境になって、心機一転という感じかもしれないが、義務教育の真っ只中にいる子供にとっては、学校が変わるということは、天地がひっくり返るほどの出来事なのである。今まで使ってきた教科書はすべて捨てることになり、制服も、靴も、カバンも、体操服も、、、全部、捨てるしかない。 干渉に浸る時間もなく、引越しが始まった。今回の引越しは、今までと違ってすごく急だし、一番、貧乏な時期であることぐらいは、私にもよくわかった。 新しい家をまだ見たこともない母が言う。「今度の家は、小さいねんで!あんたも、必要なもの以外は全部捨てて行きや!しょーもないもん、持って行ったら入らんで。さっさとしなさい、時間ないねんから。」 まだ、心の準備も何も出来ていない私に、時間は無常にも迫っていて、思い出のものまで、どんどん捨てられる。親にとって、ごみにしか見えなくても、私には、かけがえのない物であったりする。しかし、時間のない今、それを議論している暇もない。私は、引越しの用意をしながら、未来に明るい何かが待っているような気はしなかった。夜逃げではないけど、なんだかそれに近い気がする。大阪にいられない事情が出来たのだろうか。。。 引越し屋さんが来た。今までの引越しで一番小さいバンだった。それと、父のシロアリで使っている軽トラ。私は、不安で不安で胸がつぶれそうだった。 軽トラの助手席に、母が乗り、私は、業者のバンの前に3人で座った。いくらバンでも、前に3人は狭く、業者の人は迷惑そうだった。私は無言で、バンに揺られた。 車は走り、大阪の街から、窓の景色は、どんどん建物が消えてゆく。普段は、あまり畑は見ることもなかったのに、あちこちで畑が見える。しまいには、畑ばかりになり、田舎街へと進んでいるのがわかった。 小さな路地を入った棟続きのアパートの前で父の軽トラが止まった。路地は狭く、2台の車が止めるスペースもない。 車を降りると、急に鶏のけたたましい泣き声が耳を突く。 2階建てのいわゆる「長屋」という感じだろうか。向かい合って、4戸づつ家がある。一番手前が、どうやら私の家らしい。 父が、鍵をガチャガチャ開けている。駐車場はどこにもない。早く引っ越し作業をしなければ、近所の人が表に出られない。想像以上の家に、私の不安はますます広がった。街でも目を引く、4LDKの白い大きなマンションから一転、築20年は過ぎているアパート。14歳の鈍い私にも、父がここを選ばなければならなかった理由を察するに余りあった。 あのいいかっこしいの父がここを選んだのだから。 私は、一目散に自分の部屋になるであろう部屋を見に行った。中は、窓を開けてなかったからか、夏のようにムッとしており、土壁のなんともいえない匂いが立ち込めている。壁に少しでも当たると、パラパラっと土が下に落ちる。窓を開けたが、すぐ前に向かいの人の窓があり、びっくりして窓をほとんど閉めた。でも、運良く向かいの家は空き家のようだった。 一番かわいそうだったのは、犬達だった。走り回れる大きな庭から、1メートルもない狭い洗濯置き場に閉じ込められることに。そこは、裏の鶏の養鶏場とくっついており、一日中、何千羽という鶏の鳴き声が響いている。もちろん、反対側の私の部屋にもずっと聴こえてくる。何千羽もいるから、泣き声というより、それは、怒号に似ている。「ゴーーーー」 鶏だとはっきりわかるのは、夜中の3時ごろ、一番静かなはずの時に、何を勘違いしてか、一匹、「コーケコッコ~~~~~!!!」と泣いた時だけである。 それ以外は一日中、家中を怒号が包む。 そんな中でもただ一つ、私の部屋の窓から見える夕焼けが、心を打った。 マンションからは、到底見えない山の後ろに消えていく夕焼け。日が落ちる毎に、山は暗くなり、後ろの空とのコントラストがはっきりしてくる。その山は、二上山と呼ばれ、頂が、2連になっているので余計に綺麗だ。後から聞いた話では、それはそれぞれ雄岳雌岳と呼ばれ、遠く昔、大津皇子が疑いをかけられ、この山で自害した時に読んだ歌が、万葉集に綴られているそうだ。まさに、そんな歴史にぴったりのあまりに美しい夕景に、寂しい自分の心の内を重ねていたのである。 中途半端な時期での転校、小さな家と、父の仕事と、両親の不仲、、、いろんな事を考えながら、いつまでも夕焼けを眺めた。 つづく。。。
2007年05月15日
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みなさ~ん!!お元気ですか~~。いつも、長ーい私の人生を読んで下さってありがとう。毎回同じ名前の人が来てくれているようで、コメントを入れてくれてない人でも、あぁ、また読みに来てくれたんだな~っと、喜んでおります。 お忙しい中、わざわざ読みに来てくれるって事は、私の人生シリーズがおもしろいか、先が気になるか、はたまた私のファンか、、、(多分これだな)この中のどれかだと思って、愛されてること、ひしひしと感じております。。。(勝手に)それと、コメントが一番うれしいです。本当に、ありがとう♪ マリリンは、ただ今お船に乗っております~★ という訳で、しばらく私の人生をお休みし、何処かへ行ってこようと思いま~す♪次回は、10日過ぎを予定しております。 どうぞ、皆さま、それぞれのお休みをお楽しみください。どうか、安全と健康に注意して。。。チュ。
2007年04月29日
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夏休みが、あっという間に終わってしまった。仕事が中心の夏休みだったが、人生経験にはなっただろう。。。 2学期が始まった。夏休みの宿題を提出したりして、みんなの顔を見ていると、はっきり2つに分かれている。白と黒。 それは、焼けているかどうかだ。塾と勉強ばかりの子は、焼けていない。真っ白だ。まだ夏休みが始まっていないかのようだ。 反対に、クラブ活動で明け暮れていた子は、真っ黒だ。中学2年生。全員が真っ黒というわけには行かないけど、それぞれの夏休み。。。私も、やっぱり真っ黒だ。私は、クラブではなく、仕事焼け。でも、クラブで焼けたみたいに見えるからかっこよくていい。菊乃ちゃんは、バトミントン部で真っ黒だ。私といっしょ。。。 そんな、のんきな事を思いながら、楽しい2学期が始まるはずだった。 だが、またしても予期せぬ事が、、、。 2学期に入って、10日が過ぎた朝の事だった。 なぜか、めずらしく母が朝に起きている。 どうしたのだろう。。。そう思いながら学校に行く用意をしていると、突然、母が言った。 「今日、学校に行ったら先生に 『転校するのでお世話になりました、』 ってゆっとき、、、。」 そう言いながら、私に連絡簿を渡した。開いてみると、 「本日で転校いたします。お世話になりました。」それだけ書いて、最後にはんこが押してある。 「え!? 転校って何の事? いつ引っ越すの? どこに!?」 「いつて、明日や。せやから、今日でこの学校も終わりや。良かったな~、いじめられた学校やめれて。遠い学校やから、もう会うこともないわ」 ショックで、母の言葉が受け入れられない。 「何でこんな急なん!!私にも都合が、、、」 そういって食い下がると、いつもの母の逆切れ攻撃。 「そんなもん知らんがな!お父さんの都合や!!あんたここに居りたかったら、一人でおったらええ。一人でおっきなったような顔して。お父さんに食べさせてもらってるから、この家に住めてるんやで!いややったら、いつでも出て行き!!」 またも、呆然。 家の事情が、余程だとは察しがつくがそれを考える余裕がない。 私は、目が見開いたまま、学校へと向かった。 今日で終わり、、、今日で菊乃ちゃんと会えない。先生になんて言おう。 頭の中が、グルグル回る。 これが一年前なら、どんなにうれしかっただろう。だけど、今は違う。苦しい時をようやく越え、やっとこの学校で友達も出来て、普通の生活が始まったばかり。 学校に行くと、何も知らない菊ちゃんは、たわいもない話をしてくる。何も、頭に入らない。 しかし、言うしかなかった。「あのな~、今日でお別れやねん。。。」菊ちゃんは、いつもの私の冗談と思ってまったく取り合ってくれない。 仕方なく、休み時間に職員室に行った。 「あれ!どうしたん。まりちゃん!!ん?なんかあった?」 「先生、急なんですけど、私、今日でこの学校、終わりなんです。引越しで、他府県に行くんです。」 そういうと先生は、小さな目をぱちくりさせて、 「は!?なんですって~~~~!!先生、お母さんから何も聞いてませんけど?うそでしょ~~~~~!またぁ~~」 またも信じてもらえない。それもそうだろう。今日でいきなり終わりなのに、担任が今、知らされたのだから。。。私は無言で連絡簿を渡した。 「母がよろしくと言ってました。。。」そういうと、涙がこぼれた。 先生は、「うそぉ~~~~」と言いながら、抱きしめてくれた。 6時間目が終わって、ホームルームの時、先生は、私を前に立たせて、みんなに説明してくれた。その時、はじめて菊ちゃんは信じたようだった。 ホームルームが終わっても、3人で泣いていた。急すぎて、訳がわからないがとにかく、今日で終わりだ。今、お別れを言っておかなければ。。。菊ちゃんは、「絶対に手紙書くから!!」と言ってくれた。 楽しい学校生活はたった1学期と10日だった。 夏休みでもなく、こんな中途半端な時期の突然の引越しに、先生も何らかの事情を察してくれたのだろう。。。「本当は、お母さんに来てもらわなあかんけどね、、、仕方ないね。」と言いながら、小さな手紙をくれた。 『遠足の時、小動物の死を見て涙していたこころ優しいまりちゃん。どこへ行っても、その優しさを忘れず、ガンバレ!!』続いて、菊ちゃんも手紙をくれた。 あぁ、こんなにいい先生で、いい友達なのに私は、どうして何処かへ行かなければいけないのだろう。。。やっと、青春を感じることが出来たのに。この先は、一体どうなるのか。。。 親の事も、何もかも不安でいっぱいだった。 私は、涙ながらに見送られ、学校をあとにした。 つづく。。。
2007年04月23日
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私の中学2年の夏休みは、父とのシロアリ工事でふけようとしていた。しかし父と、仲良くなったかと言えば、それも違った。 お金がなくて、家にずっといる父ではあるが、頑張って一緒に夏休みに手伝っている私には、いつもながらにとても厳しいのである。 もっと、優しい父なら私もこころよく働けるのであるが、仕事が終わると、母の悪口や、私への説教が止まらなくなり、怒声を浴びせられ続けると、「あぁ、どうして今日も来てしまったのか。。。」と、毎日後悔するのだった。 夏休みの、真ん中で学校行事があった。「夏季合宿」 とかいう名目で、実は「きもだめし」が目的の一泊2日だった。今はクラスが違うから何の心配もない。夏休みといっても、父の仕事以外何処へも行かない私にとっては、待ちきれないほどの大イベントだ。その日を指折り数え、ようやくやってきた。 夜になると、お待ちかね、メインエベントの「きもだめし」。 先生が決めたコースを歩くのだが、夜道や、建物の中に入って行ったりと距離が長い!!時間にすると、約30分!!しかも男女二人で、前の人が見えなくなってからしか出発できない。どうせなら、、、片思いのあの子と、何とかペアに、、、。 との思いもむなしく、クラスの代表の頭のいい子と、ペアになった。浅田となるよりましか、、、。 私は、小学校の時、夜に置いていかれてノイローゼになってから、かなりビビリやさんになっていた。 コースのあちこちには、先生が用意した恐ろしい何かが隠れていて、時には、実際に先生が隠れている。 「ワァ~~~~~!!!」 と、先生が出てくると、私はペアの和田君の後ろのTーシャツを、思いっきり引っ張り、 『ギャ~~~!!!!!!』 本当に怖いきもだめしで、終わってみて、初めて顔を上げると和田君のまっさらなT-シャツは、ダラ~ンとひざまで伸び切っていた。 「これ、今日おろしたのに~~、もう着られへんやんか~~!!」 「ごめ~~ん!!!」 しかし、お坊ちゃんでもともと品のいい和田君は、「いいよ~。。。しゃーないな~」と笑顔で許してくれた。よく見るとかっこいい。。。 片思いはあの子やめて、和田君にしようかな、、、。 そんなこんなで、夏休みのたった一つの楽しみは、あっという間に終わってしまった。楽しい時間は、早いものである。明日から、また仕事がんばろ。。。そう思う私であった。 夏休みが、後半に入ると別の仕事も加わった。 いつもの軽トラに乗って、隣町まで行って電信柱に、ビラを貼るのだ。大きいものから小さいものまであって、ビラというか、看板というか、それは不動産の売り家だったり、車でそのままローンとかだったり、様々なのだが、本当は違法らしく、夜に人気がなくなってから張りに行くのだ。 それも楽な仕事ではない。何百枚も積んで行くのだが、人がいると出来ないし、なんせ違法だから見張りをしている私も、神経が磨り減る。しかし、今とは違ってまだあの頃は、電信柱もにぎやかで、当たり前の光景でもあった。 父は、ボクシングをしていて一見強そうではあるが実は、中身は弱く、薬も飲めず(副作用のため)寝込むことも良くあるような人だった。今までは、自分が会社のトップだったため好きな時間に出勤し、夕方になると社員を連れて飲みに行く毎日だったが、ついに、底が尽きたのかすべてをかなぐり捨て、汗だくになって肉体労働をしている。 これで、貧乏ながらも何とか暮らせて父が真面目になるなら、私の家庭も、なんとか人並みになる日が来ると感じていた。母は、相変わらず父の仕事にはついて行かないが、夜に父が遊びに行くことがなくなっただけでも、浮気を疑ったりして、ヒステリックになる理由もなく平穏に暮らし始めていた。 私はいじめもなくなり、学校生活も楽しくなり、貧乏ながらも、ようやく幸せがやってきたと思ったが、そんな日々は続かないのが、私の人生の性分だった。 つづく。。。
2007年04月18日
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うずくまる私に、2人は駆け寄り「大丈夫!?」と言うが、たんなる腹痛とは、感じが違うのだ。鉄棒から落ちた時は、たしかに激痛だった。 しばらく、立ち上がることも出来ずに2人に抱えられながら、とりあえず保健室に連れて行ってもらった。 保健室の先生はもう60歳は越えている女の先生で私は、2年になって保険委員になっていたのでこの先生とは、よく知る仲だった。 「あら~~。どうしたの?まりちゃん!」のんき顔の先生に少々ムカッと来たが、先生にとっては、毎日の事、いちいち驚いてはいられない。 いくつか質問をされ、先生は深刻な顔に。 「たぶんね~、「おめでた」だわね。」 そばにいた二人は、「え~うそ。。。」とうしろづたり。 冗談じゃない。私は、思い当たる節がない!!教室で、男子と同じ空気を吸っているだけで、妊娠するというのか!! その時、先生は笑い出した。。。「冗談やから!おめでたゆうても、そっちとちごて、ほら!」 先生がそういうと、2人はすぐさまわかったようで、笑い出した。私は、何のことかわからず、ポケーっといていた。 「菊乃ちゃんは、いつだった?」「私は、小6!」「マリちゃん、おそ!」 そんなやり取りを聞いていて、初めてそれが「生理」だと気付いた。でも、まだ何も出てきていない。先生の間違いじゃ、、、。そう思ったが、お腹は次第に鈍痛に変わっていった。そして、それは当たりだった。 家に帰って、それを母に言うと、「あんたも、もう立派な大人やな。今日は、赤飯やな~!」と上機嫌。小さい頃から、早く大きくなれと言い続けてきた母。これで、大人なったと思ったのだろうか、なんだかテンションハイだ。 ついで、父の耳にもすぐさま入り、「そうか!マリもこれでいっちょ前の女っちゅうわけやな!お前、これからは誰にでも足開いたらあかんぞ!なんせ、メスっちゅーのはすぐ妊娠するからな!わっはっは~!!」 なんちゅうー、お祝いの言葉や。。。完全に、二人は私の生理ばなしで盛り上がっている。 「うちは、俺以外、全員女や!!ボクシングの相手にもならん。おまけに犬と猫までメスや!」と父が言い、母が「ほんまやな~」と言って笑う。 あぁ、あけすけと言うか、開かれすぎた家族。。。娘の思春期をおもんばかる優しさは、ないのか。とにかく、散々笑いものにされながら、私は腹痛に耐えた。どうやら、生理通がきつかったらしい。しかし、肝心の赤飯はいつまでも出てこなかった。 ちょうどその頃、菊野ちゃんと私が何かで遅れ、体育の授業に出るため急いで着替えていたときの事。もう誰もいないと思って、適当なかっこで着替えていたのに、後ろのドアが「ガラッ」と開いた。とっさに、二人で「キャー!!」と言って、しゃがんだが後ろを見ると、浅田だった。 こやつ、わざとか?にらんでみたが、すぐさま「あっゴメン」と言ったのでホッとしたら、ドアの閉め際に「純情!!」といって笑いながら、走っていった。 二人で、「なんやあれ?」といっていたが、私は、その一瞬に1年生の時とはなんだか違う目をしている浅田を見た。そして私も、もうガキではないんだと思った。 その頃、私は好きな子がクラスに出来た。背が高くて、面長でかっこいい子だった。もちろん、告白も何も出来ず、しかし学校に行くのが余計に楽しくなった。 いつも3人、一緒。。。お弁当も、3人。好きな人を言い合って、キャーキャー言って、たまに他のクラスに移動する時、例の不良達と会ってしまうことはあるけど、もう、どってことない。 私は、初めて中学校が楽しいと感じ始めていた。 夏休みが、近付いていた。今年の夏休みは、去年と違って楽しいはず、そう思っていたが、現実は違った。 家でまた問題が出始めた。父が、仕事に失敗し、また職を変えるという。母は、もちろんまたヒステリックになっていく。 もう、いくつ目だろうか。父の仕事が変わるのは。今度は、自分でシロアリを駆除する仕事をするという。いろんな本を読んで、高い機材を買い集めている。いくら説明しても、母は不機嫌だ。いつまで続くやら。。。そう思っているのだろう。 夏休みが、始まるや否や、父が自分の仕事について来いという。「社会勉強だ」というのが、言い訳らしい。やっと友達も出来、楽しいはずの夏休みが父との、仕事で毎日つぶれた。 シロアリの仕事は、体力勝負だ。夏は、一番シロアリが出てくる時期。宣伝上手なのか、父はほぼ素人なのに毎日、毎日仕事が入る。 午前中に、お客さんの家の辺りまで行き、そこで軽トラックの荷台にある機材をセットする。薬剤は、とてもきつく、父の手は見る間に荒れていった。 父は、全身白い防護スーツをかぶり、家の床下にどんどん入ってゆく。炎天下の中、私は父の支持があるまで待つ。ホースが、どんどん入ってゆくので、それが絡まないように回して送ったり、床下から父が何か叫ぶたびに物を探して持って行く。 一度、潜ったら2時間は出てこない。熱くて死にそうだが、もっと熱い床下に入っている父のことを考えると文句は言えない。あの熱がりの父が、炎天下の中、どれだけ苦しい思いをしているだろう。 夕方、ようやく終えると父は、薬剤がかかって真っ白になっている。吸い込んだら体にも、相当悪いだろう。だって、あのしぶといシロアリを殺すほどの薬剤を長い間、壁に吹き付けるのだから。でも、終わって帰るときお客さんは喜んでいた。何処も込み合っていて、すぐ来てくれるのはおたく位だったと、、、。そりゃそうだろう。 お店もなく、宣伝もなくつい最近まで、デスクワークだった父が、まるでこの道何年?というプロの顔で、説明しているのだ。器用というか、すごいというか。 しかし、母は一度も父の仕事には来なかった。父が誘わなかったわけではない。淋しがりの父だから、たとえ役に立たなくても来て欲しいのは、私にもわかる。 「私は、そんなんようせんわ~」そういうことで、毎日私が行く事になる。今まで、父には怒られた思い出しかなく、家を省みず、浮気を繰り返す父がどう考えても好きじゃなかったのに、朝、父が「マリは今日はどうする」と聞かれると、「やめとく」とはなかなか言えない。 どうしようか悩んでいると、一人で出て行く用意をしている父のうしろ姿がやけに淋しく見える。「やっぱり、行く。」そう返事しても、父はいつも別にどっちでもいいという顔で「そうか。」と言うだけだった。 仕事が終わると、二人ともクタクタだった。帰り道、もう日も暮れてお腹が空いたし、どうせ家に帰ってもろくなものがないからと、食べて帰る事になる。二人で、お好み焼きを食べていると、父が疲れているのが、わかる。あぁ、男って父親って大変だな~っと思った。今まで、好き勝手に生きてきた父だったけど私は初めて、父らしい顔を見た気がした。 お金は、なくてもずっとこんな真面目な父がいいと思った。 お金がないほうが、いいと思った。お金がない時は、父が夜、家にいることが多い。そうなると、母の機嫌がいい。お金がある時は、父だけ裕福で母と私は、何も変わらない。 貧乏な方がいい。その方が、あったかい。しかし、貧乏はそんな生易しいものではなかった。 つづく。。。
2007年04月14日
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春休みに入って、小学校の音楽の先生から手紙が来た。そう、あの先生だ。 「マリちゃん、お手紙ありがとう。あなたのいない学校は、少しさみしいけど私も新米ながら頑張っています。新しく学年が変わって、今年から担任をすることになったので、わからない事だらけで大変です。そんな中でも、ふと小さな体に大きなおめめでよくしゃべるマリちゃんの事を思い出します。でも、マリちゃんの事だから中学でも人気者で、活発にやっていることと思います。いつでも、はっきりと自分の意見が言えるまりちゃんは悪い事に流されたりするようなことも、きっとないでしょう。。。また、ぜひ遊びに学校に来てくださいね。いつでも待っています。。。」 お世話になったので、手紙を出したらすぐに返って来た。私がありきたりな内容で、いじめの事も何も書かず送ったので、今の状況と逆の先生の手紙の内容になってしまっていた。 でも、悩みを言っても、先生にはどうすることも出来ないし、先生には、活発な明るい私のイメージのままでいて欲しかったから、それはそれで救われた気がした。 春休みもすぐに終わり、いよいよクラス替えがやって来た。家庭でも、母が「今度は、いいクラスになるやろう。あんだけ、私担任にゆっといたったからな。おとなし~いクラスに、入るやろ。。。」と、何の脈絡もない憶測でまるで見透かしたように、言い放つ母であった。 しかし、現実は違ったのだ。 心臓が、口から出そうになるのを手でふさぎながら、またしても、平静を装い発表を待った。一年の担任がニヤニヤしながら、一人一人読み上げてゆく。だれだれ何組!!沢村6組!!私は、ひとつ数が増えて6組になった。 だれだれ10組!!浅田6組!! ? あの不良達とは、離れたもののなんと、浅田とまた同じ!! 信じられない!! 何も、15組もあるのにわざわざ暴力事件を起こしたあいつと一緒にしなくても、いいじゃないか。最近はおとなしいとしても、仲間が代わったら、どう出るか。それでなくても、私を恨んでいるはず。。。 早速、家に帰り母に告げると、またまたご立腹。。。 「あの学校、あ~ほやな!!あんだけ先生に頼んどいたのに、よりによって浅田と同じクラスにするなんて~。学校が、おかしいんとちゃう?それとも、先生のいけずやろか。男のいけずは、よ~さんおるからな~。」 と、「担任のいけず」ということで、落ち着いた模様。 そんなことは、どうでもいい。私は、明日からどうなるのか。早く、友達を作らなければ。。。 次の日、出席すると知らない人が多い。15分の一だから、当たり前か。その中で浅田と、同じというのが合点いかない。 まずは、出席順に机を並べるみたいだ。担任は、今度は女の先生だ。眼鏡をかけて、いかにも昔からすごくがり勉でした、という感じの人だ。話し方が、面白く、必ず「今日はこれで終わりちゃんです。」と、なんにでも「ちゃん」を付ける。 学期が変わると、何枚かの用紙を、どんどん配られる。まずは、前と後ろだ。後ろの子は、バトミントン部らしく、机の横にラケットがかかってある。さぞかし、活発、、。と思いきや、いつ見てもニヤニヤ、ふわふわした子だ。しゃべりやすそう。。。私は、出来るだけ高感度をあげようと面白いことを言ってみた。すると、ケタケタと屈託なく笑う。 この子は、私のいじめの事知らないな。。。まるで、自分が前科者のような気分だ。 お昼が始まる前に、誰かと仲良くなっておかなければ、、、。そうでないと、また一年一人ぼっちで食べる事になる。その日は、午前で終わった。 誰もあせっていないのだが、私一人が妙にあせっていた。 今が、勝負!! 早く!早く!友達を!! しかし、その子はやっぱり私の事を知らないようで次の日も、ずっとしゃべっていた。その子の友達が偶然いて、3人グループになった。 あとは、浅田が何も言わなければいい。。。 久しぶりの、友達とのお昼ごはん。私は、面白い事を連発しながらも、嫌われないよう細心の注意を払った。気が付けば、私ばかりがしゃべっている。後の二人は、笑っているだけ。。。 菊乃ちゃんと、みどりちゃん、と私。。。クラスでは、目立たない方だが、私達の中では、とてもにぎやかで楽しく毎日が天国のようだった。 菊乃ちゃんは、バトミントン部の割にはスローペースで、ドン臭いタイプだった。毎日学校で会うのに、何回も手紙のやり取りをして、私達はまるで、付き合いたての恋人同士のように仲が良かった。 5月には、遠足もあった。仲間が違えば、こんなに違うものかと、遠足も本当に楽しかった。ただ、ひとつの事を除いては。。。 男子が、えらい盛りあがっているので、何をしているのかと覗いたら、草むらにいたカエルを板にくくりつけ、バーナーで燃やして遊んでいた。それを見た時、びっくりしてすぐ菊乃ちゃんにも言ったが、「ほって置けばいい。」という感じだったので、私は、いてもたってもいられず担任の先生の所に走った。 「すぐにやめさせてください!!先生!こっち」私は、女の担任の手を引き、男子の所に連れて行った。また、こんなことしたら男子にいじめられるかもしれないと、ふとよぎったが、自分を止められなかった。 先生が行った時には、もう遅く、浅田を含めての男子5.6人に、カエルは何匹も殺されていた。先生が注意をすると、男子はふてくされた顔で散らばっていった。私達が、ここに遠足に来なければ、カエルはあんな目に会わずにすんだのに。もうとっくに、ワンワン泣き出していた私は、先生に「もういいもういい、、、。」と慰められた。 そんなことがあったけれど、次の日からも男子から、それについての報復はなかった。そして、浅田からも。。。 毎日が、すごく楽しくて、あっという間に2ヶ月がたった。その日も、お昼が終わって3人で鉄棒で逆上がりをしていた。 そんな時だった。鉄棒に足を掛け、上に上がった途端、お腹に激痛が走った。私は、あまりの痛さに力が入らず、鉄棒から下に落ちた。 つづく。。。
2007年04月10日
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浅田は、次の日もその次の日も学校を休んだ。 骨が折れたぐらいで、一体いつまで休むんだと思っていた。一応やった張本人である。気にならないではない。 結局3日休んで、4日目にやっと出てきた。腕には、もちろんギプスがしてある。右ではなかったので、ペンは持てる様だ。しかし、私もたいがい痛かったのに、あちらは見た目にも私より大げさなので、なんだか私のほうがやっぱり悪いような、気がしてきて、分が悪い。 出てきた浅田は、どんな態度なのか。また、私に仕返しをしようと、たくらんでいるのか。当然、自分が悪いくせに、私の事を逆恨みしていることだろう。 しかし、結果は意外だった。 浅田は、私と目も合わせず、少し以前より大人しめになっていた。直接私にも、何も言ってはこない。はは~~ん、親にいじめがばれて、ましてや教師の両親にこれはこっ酷くやられたな。 「勉強にクラブに頑張ってくれていると思っていたのに、女子の頭を後ろからほうきで殴るとは、お母さんも、お父さんも、お前が情けない、、、。」とでも言われたのだろうか。。。 どうせ、今だけ。またほとぼりが覚めたら、あいつはまたやってくる。その時は、またやり返してやる。そう思っていた。 季節は、年末をすぎ、年が開け、あとクラス替えまで3ヶ月となっていた。 相変わらず、一人ぼっちの学校生活ではあったが、例の浅田は、その後、とてもおとなしい。もう、私に関わりたくないという感じにも見える。 あと少し。。。 あと少し。。。 死ぬ気で、生きているとかっこ悪いとか、淋しいとか、傷付くとか考えなくなった。誰にも、頭を殴られず、何も言われても、とにかく今日という日が過ぎただけで充分だった。死ぬことは、あの日以外考えなくなった。あの事件以上の事でないと、ショックも受けないし、誰にも期待もしていない。 実に淡々と、冷めた時間を送っていた。最後のイベントとして、2月に冬の雪山に日帰りの登山があった。 私は、冬が大嫌いだ。夏は、暑くても昼も長く、世の中が明るいように思う。でも冬は、下校の時間にはもう暗く、肩をすぼめて歩くと、気持ちまで暗くなる。私は、子供の頃から寒い季節が苦手だった。 けれど、この年は、特別つらい冬だった。ただでさえつらい寒さに加え、冬山にクラスで登るという。出来るだけ、不良達と出くわさないように間隔を置いて、一人で歩く。 山は、アップダウンがあってきついので、みんながバラバラになっていく。 ふと、気付くと一学期同じグループだった子が、近くを歩いていた。その子は、漫画が同じ趣味で、最近は誰もいないところでしゃべってくる子だ。「今度、漫画をお互いに描いて、発行せえへん?」と言って来た。 「うん。やろう。。。」 発行といっても二人の間で、、、なのであるが、私は、久しぶりの友達との関係がとてもうれしく、二つ返事した。 冬の登山は、それしかいい思い出がない、最後に撮った集合写真は、4月に入学してすぐに撮った写真と違って、私は、とても白く感情のない顔で写っていた。 しばらくして、その子が帰りに私を自分の家に呼んで、約束の漫画の雑誌もどきを、交換した。私より、ずっと上手だった。私が下手すぎて、申し訳なかったが、今思うと、彼女なりの優しさだったのかもしれない。 もう少し、早かったらもっと早く救われたのだが、、、。 もう、3月の学期末がすぐそこまで来ていた。 浅田は、あれからも何もして来ない。ようやく、ギプスもはずれサッカー部にも、行っている様だ。不良達は、相変わらず、聞こえよがしのいじめをしているが、私も変わらずに、聞こえてない振りを繰り返していた。 この一年、本当につらい、長い一年だった。人間は、不思議だ。楽しい時と、つらい時の過ぎる時間の長さは、絶対に違うと思う。この一年の長さは、今までの一年の長さとは比べ物にならない。 そして私は、成長したのか、後退したのか、それさえもわからない。 自分を見失い、その一方で自分を弁護し、何処かに突破口があると、信じながらも結局何も起こらず、いじめられる度に、死んでしまったルリの事を考え自分は、幸せになってはいけないからこれでいいんだと、言い聞かせてきた。 しかし、あんなに無関心だった親が、学校に電話までしてくれたことは、私にとって、驚きでそれからは、また今までと同じくあまり愛されてないと感じる日々でも、納得できたのだと思う。 3月25日。1年5組が終わった。あのオタクな担任とも、たぶんお別れだ。2週間後の4月には、新しいクラス発表がある。何とか、不良達と浅田とは、離れたい。そして、出来れば5組の全員と離れたい。無理な話だ。 運命の日。私は、今度は誰の標的になるのか。こんなに伝染した学年で、私は友達をつくれるのだろうか。 つづく。。。
2007年04月06日
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次の日の朝が来た。今日は、特に行きたくない。。。頭がまだ腫れている。昨日学校に親が電話もしたし、第一浅田はどうなっているだろう。。。 あぁ、行きたくない。 しかし、私は休むことは出来なかった。なぜなら家には、何より怖い父がいるから。 仕方なく、登校した。足が前に進まない。でも、いざ校門をくぐるともうどうでもいいと腹をくくった。 一度、死ぬような覚悟をしたら人は、逆に強くなるのだろうか。クラスに入ってもいつも通り、堂々としてる自分がいた。 出席を確認する時間。「え~~、今日は浅田が休み。それでは始めます。」担任が何食わぬ顔で、朝の流れをこなす。 あれ?浅田が休み?まだ、腕が痛むのか。骨折だけでは、おさまらずにとんでもないことになっているのか。まあいいや。私は、やられたはずの私が普通に出席してやったはずの本人が、欠席していることに若干晴れ晴れした気持ちもあった。 朝のホームルームが終わると、担任が私を廊下に呼んだ。ひつこいな~なんやろ。「頭はどうや?大丈夫か?」(おそばせながら、初めて聞かれた)「浅田も親にかなり叱られたようや。何より、サッカーできんから本人が一番後悔してるやろ。」と、急に態度が軟化している。昨日は、あんなにまるで私が悪いかのような言い草だったのになんやこの急な変わり方は!!向こうの出方で変わったのか、私の親の電話でびびったのか、担任の本音は何処にあるのかわからない。とにかく、わかっているのは信用できないという事だけ。 「え~~~!マジで~~~?腕、折れたん? あいつにやられただけで~?信じられん~。あほや~~~あいつ。」不良達が、浅田の事を今度は笑いものにしていた。 「お前も、やってもらえ~。いじめたら、骨折られるで~!!おおこわ~」担任より遥かに体のでかい女の不良達が、浅田以外の男子を捕まえて、遊んでいる。遊んでいるというより、私に対しての聞こえよがしなのだ。 それをわかっているから、私は全く聞こえていない態度を取る。たまに、私に「なあ!聞いてるのんか!」なんて言って来ても、まるでソフトバンクのコマーシャルのように「聞いてませんでした」見たいな振りをする。 向こうは、私が聞いてると思っているからわざと大きな声で、気に触ることを言っていじめてるつもりなのに、聞いてませんでしたと言われると、一番腹が立つ。私も、よくそれがわかっているのだ。「はぁ?何の話?別の事考えてた」みたいな態度だと、チョ~むかつくのだろう。 それを、逆手に取る所がそんなとこだけプライドの高い私なのだ。決して、聞いてないはずなどないのに。 本を見ていても、授業中でも奴らが私に対して何か言う度に、耳だけそちらに集中してしまうのに、どうしても、相手にしてないよ~みたいな態度に出てしまう。まるで、いじめられても平気だよ~みたいな。本当は、強がることでしか自分を支えていられないのだ。 でも、この日は違った。学校に行くまで、気が付かなかったのだが来て見て、わかったのだ。心の底から、本当に堂々としていたのだ。 なぜなのか。 それはきっと昨日一度、死を覚悟したからだと思う。 あの屋上で、冷たい風に吹かれている時、そして真っ暗な中に、記憶の一番昔のあの山が今もなお変わらず、真っ直ぐに一本の光の線を放っているのを見た時、必死で絶えてきた私の中の何かがとても楽になった。 今までは、死ぬなんて考えたこともなかった。あの時、この世が嫌になって信じられなくなってあの屋上に行った時、私は本当に死んだら、楽になれるのだと気付いた。 このパイプを何とか上がって、そこから下に向かって飛んだら、すべて終わり。私の悩みも、苦しみも、世の中の理解できないことも、一瞬で消える。 そんなに簡単な事なんだ。 そう思ったら、自分の気持ちが本当にとても楽になった。「死ぬ」という事が選択肢の中にある。いつでも、楽になれる。 出口がないと思っていたのに、突然、一筋の光が差したようだった。 あの瞬間から、私は強くなった。と思う。 追い詰められないと、人間は死ぬ事など考えないだろう。普通に暮らしていて、自らわざわざ死のうとは思わない。 誰だって、一番可愛いわが身を苦しみと共に死に追いやろうとは、決して思わない。死を覚悟する時と言うのは、本人にしかわからない生きている事が死ぬ以上に苦しいと感じたときだけだ。 自分より、大切なものがあるだろうか。親子や恋愛には自己愛を越えるものがあるとしても、基本的に人間は、何より自分の身がいとおしい筈だ。 よく、「いじめぐらいで簡単に死なないで!!命はもっと大切なもの!!」とかテレビでタレントがもっともらしい事を言ってるのを見ると、なんともいえない気持ちになる。 大人になってない頃の不安定な季節に、限られた空間の中で、ただ一人のけ者にされ、笑われ、誰にも助けてもらえず、人を信用できなくなり、それでも学校に行かなければいけなくて、自分を救えない子供が、つらさに耐え切れず、行き場をなくして死を選択してしまう気持ちは、本人しか理解できない。 しかし、決してすぐに死を選択したわけではない。誰かが言うほど、簡単に死ぬ子はいない。誰だって、死にたくない。誰だって、生きていたい。誰だって、親を悲しませたくない。だけど、どうしようもなくて最後に死を選んでしまう。 それを、実行するかどうかの違いでいじめを受けている子は、みんなそれぐらい深刻につらい毎日を送っている。 それは、誰かがいじめられているのに自分が加担していないというだけで、平気でいられる人には一生理解できないだろう。自分がいじめていなくても、何も行動しなかったということは、いじめられている子を追い詰めることに加担した事であり、とても罪深いと思う。もし、その子が本当に死んでしまったら、関係ないと、自分の未来を陰りなく切り開けるだろうか。いじめに関しては、不可侵は加害者だと私は断言したい。私は、被害者になっても加害者にはなりたくない。 しかし、私はあの時、死ななかった。とっさ的に、絶対に死にたいと強く思ったが、いざ屋上に上ってみると、逆にいつでも死ねるという気持ちが私をとても楽な気持ちにさせたのだった。 だから、今日は不良達が何か後ろで昨日の事を聞こえよがしに言ってるけど、本当に気にならない。 つらかったらいつでも、死ねる。 そう思ったら、何でも出来る気がした。失くすものがない気がした。ただ、生きてるだけで、今日も空気を吸ってるだけで、なんだか幸せな気がした。 こんな気持ちは、久しぶりだった。しばらく、幸せなど感じた事がなかった。 相変わらず、一人ぼっちでいるのにクスクス笑ってしまう。。。あんなに悩んでいたクラスが、別世界のように遠くに感じた。私は、本当に一度死んだのかもしれない。 いや、生まれ変わったのか。 とにかく、昨日死ななくて良かった。 つづく。。。
2007年04月02日
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親が学校に電話する。もちろん初めての事。 こんなことになるなら、言わなければ良かった。父の耳に入ったのは、うかつだった。死ぬような覚悟の後で、判断が狂っていたのだろう。いつもなら、母にも言うはずがない。 だが、現実は現実。今まさに、母は学校に電話をかける。 父は、出かける用意の傍ら、学校に電話する母をちょくちょく顔を出して見ている。何かあろうものなら、出るに違いない。 「あっ、中学校ですか?1年5組の者ですが、担任の先生はまだいますでしょうか?」 私は、事態がどうなるのかドキドキした。こんなことなら、やっぱりさっき死んでおけば良かった。 よりによって、最悪なことに担任はまだいた。 「あっ、先生ですか?いつもお世話になります。。。 あの~、うちの子、今日浅田とかいう男子にほうきで殴られてきたんですけど、えらい頭はれ上がっていますねん。先生、ご存知ですか?」 先生は知ってるって、さっき言ったと思うけど、まあ、こういう言い方しかないか、、、。さあ、担任はどう出る。。。 「ええ、、、ええ、、、」母は、偉いよそ行きの相づちを打っている。穏やかで少し、安心した。 が、それは、始めだけだった。 「何でですのん!こっちは、女の子ですやんか!何もしてないのに、後ろから叩いたんですよ。おかしいですやんか!」 あぁ、やっぱり興奮してきた。当然こうなると思ってたけど、、、なぜか、電話してくれたことは私は半分うれしかった。一応、親なんだな、、、っと、内心感心していた。 しかし、感心している場合ではない。事態は悪化しているのだ。 「そんなん、何の関係がありますのん!その子の家の事情なんか、知りませんやん。そんな悪い子をほって置いた先生にも責任があるんとちゃいますのん!」 母は、いつものヒステリック状態に入ろうとしていた。 父は、向こうの洗面所から何回か大きな声で叫んでいる。こっちに来るな。。。 「いじめ?そら、あるでしょう!こんなけ悪い子が居るんやったら!とにかく、今日の事はうちの子は何一つ責められるようなことはありませんよ!ちゃんと、あちらの家にもゆって置いてください!そしたら、失礼します!!」 ガッチャーン!!!!! 必殺、母の一方的切り。今でも、よく使う手だ 。 「先生なんて?」と聞くと、 「なんや、浅田とかいう子の家が、両親共に、学校の教師らしいわ。せやから、その子も淋しかったんでしょうとか、そんな訳のわからんことゆってた。なんや頼りない、正義感のない先生やな~~。あんな先生やったと思わんかったわ。」 あいつの両親が学校の先生!?マジ?人間て、わからんね~~~。そんなちゃんとした家の子が、あれ?へ~~~。おどろいた。と同時に、なんだかいい事を聞いた気がした。そんな両親なら、今回の事聞いてどういう対応するだろう。 聞くと担任は、やっぱり後からでもやり返した私の事が悪いと言う考えらしく、それを聞いてから母が頭に血が昇ったようだ。父も、「なんちゅう情けない先生や!そんなんやから、生徒がなめるねん。情けないやっちゃな~。」と言いながら、頭をセットしている。父に飛び火しなくて良かった。 私も、やり返したこと、それで腕が折れたこと、そのすべてを一切、後悔していなかった。 「マリ!これからな!もしなんかあったらな!まず、わしにゆえ。わしが、どんなやつでも、すぐいてこましたる!わかったな!」 とりあえず、うなずいておいたが、もう二度と言うまいと、心に誓った。いてこまされたら、父が捕まる。そっちの方が、よっぽど心配だ。 相変わらず、頭がズキズキうずく。コブは、大きく上に伸びている。 病院は、怖いからあまり痛くないと言ってしまった。どうせ死ぬかもしれないのに、痛い注射打たれることもないだろう。注射は、死ぬよりよっぽど怖い。 それより明日、学校、どうしよう。 もう、行きたくない。 つづく。。。
2007年03月28日
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7階から、飛び降りて1階に落ちるはずが、6階からエレベーターに乗って、1階に下りて行く私。。。 死ぬのは、明日でもすぐ出来るか。 こんな寒い日に、こんな空腹で死ぬことはないじゃないか。明日仕切りなおして、もっと幸せな気分で死のう。 そして、遺書を書いておこう。親にせめて謝らなくてはならない。親不孝を。 エレベーターを下りながらそう考えた。そして、1階の自宅へ。 「えらい今日は遅かったな~。」母だった。洗面所の鏡の前には、いつものように出かける用意をしている父も居る。 さっきまで私は死ぬ気だったのに、そんな事何も知らないのんき顔の母に、すごく悪いような気がして何も言うまいと思っていたのに口を突いて出てしまった。明日、突然死んだらびっくりするか。少し、お知らせしておこう。 「今日な、、、頭、叩かれてん。。。」 意外と母は、「誰に」と言いながら私の頭を触りに来た。 急に顔色が変わった。「なんやこれ!!あんた、誰にやられたんや!」すごい剣幕。 あれ?心配してくれるん?私のことを心配してくれるなんて、うれしくなる。でも父に聞こえるから、もう少し小さい声にして欲しい。 「浅田っていう男。ほうきで後ろからやられてん」「なんやて?男かいな。」 「おと~さん!ちょっと、来て!!」母が叫んだ。あぁ、最悪。 「なんや。」いつも飲みに行くだけなのに、スーツ姿で決めまくっている父。今から飲みに行くから、夕方はご機嫌なことが多い。晩御飯も食べないから、母に気まずいのかもしれない。出て行く前の父は、いつもより母や私にあたりが優しいように感じた。 「学校で頭を男子にほうきで叩かれて、えらい頭、腫れあがってるねん。ここ。」と母が言うと、 「なに~~!!男が女に手を出したんか!?」と父。 あぁ、ややこしいことに。。。 「どいつや!そんな奴、俺が正念入れ替えたる!男が女に手を出すとは、人間として最悪やぞ!許すわけにはいかん。名前言え!マリ!」どんどん一人でテンションが上がって行く父。 「でも私も、すぐやり返してん。そしたら、その子の腕が折れてしもてん。」私は、一応おそるおそる言ってみた。が、反応は思っていた通りだった。 「お前、やり返したんか!?えらいやっちゃ。ようやった。それで、ええねん。 当たり前や。そんな奴は、痛い目せなわからんからな。 そやけど、お前の頭は、後遺症が残るかもわからんで。こんなけ腫れ上がってんねんから。そうなったら骨が折れたどころでは、おさまらんで。お前が、あとあと打ち所が悪くて体が不自由になったら、そいつは、どう責任取ってくれるねん!」 二人して、今日は私のことを心配しているみたいだ。話が大きくなって嫌な反面、なんだかうれしくなって来た。あぁ、さっきまだ死ななくて良かった。 しかしついに、一番恐れていた方向へ。 「この事担任は、知っとるのんか?」と父。 「うん。帰りに職員室に呼ばれた。私がやり返したことを悪いってゆってた。相手が、腕が折れて、サッカー部だいぶ休まなあかんから。」 そこまでいうと、父は怒りがこみ上げた顔で、「学校、電話何番や!!その担任はまだおるか。」 来た~~~!!! 私には、学校で父が暴れ回り、もっとおおごとになって警察に引っ張られていく父の姿が見えた。揉め事では、おさまらない。考えられるてん末は、父の逮捕だ。 気が短い父は、運転させても私の寿命が縮まる。 誰かが、「ブブー!!」とクラクションを鳴らそうものならすぐさま窓を全速力で開け、(まだその時は手動式)「何鳴らしとんねん!コラ!出てこんかい!」 同乗している子供の私の事など、お構いなし。私は、必死で「お父さん、やめて!」と言うが、まったく効き目なし。 小学校一年生の時、反対車線の人にクラクションを鳴らされいつものようにそっちを向いて怒鳴ってると、私の前に自転車2台が迫ってきた。 「お父さん!!前!」叫んだが、遅かった。「バ~~~~ン」急ブレーキを掛けたが、間に合わず2台の自転車は、次々と父の車に跳ね飛ばされた。 「あっ、やった~」慌てて降りる父。被害者の二人は、立つ事さえ出来ない。こちらが100%悪い事故。父は車に二人を抱えて乗せ、私は助手席から後ろへ。後ろには骨折している人が、痛そうに横になっている。その横に小さく私が乗る。優しい人で、「大丈夫だよ。。。」と、泣いている私に言ってくれたが、二人はカップルだったらしく、結婚も間近だった。 「嫁入り前の娘に、こないな事してくれて、どうしてくれるつもりや!!」病院で、被害者の親にそう怒鳴られ、父が床に頭を着け、土下座するのを見た。なんとも情けなく、悲しかった。 どうして、こんな父なのだろう。こんな父だから、今日の事もいいたくなかった。 半分泣きそうになって、「電話なんかせんでいいから。」と言ったが、もちろん無駄だった。 父の怒りは、もう誰も止められない。私は、うそ泣きも加えながら、「どうしても電話するんやったら、お母さんがして。でも、何も変わらんと思うけど。。。」と、懇願した。 「そうやな、お父さんが出て行ったら話がたいそになるから私が電話するわ。」と母。 あれ?いつもの母とは違うぞ。なんだか、まともではないか。その言動にびっくりしながらも、早急に同意した。 つづく。。。
2007年03月24日
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頭が、ズキズキするのを、手で押えながら私は、小走りに歩き出した。 外はとても寒く、木枯らしが吹雪いている。そんな中、私は頭の痛みと戦いながら風邪に押されて歩く。 突然の男子の暴力、ついに、いじめもここまで来たか。やり返した事で、自分ではすごく晴れ晴れして、これからは、これでいいと思った途端、担任からの、まるで私が悪いかのような叱責。 今日の出来事を、繰り返し考えながら、いつもの遠回りの道を、何処までも遠くまで歩いた。 誰を信じればいいのか。私には、悩みを打ち明ける人も、味方してくれる人も、誰もいない。 私自身の置かれている状況がつらいというよりも、人間というものがもう信じられなくなっている自分がつらかった。 「もう、いやだ、、、。」涙が、あふれる。この世は、どうしてこんなにひどいのか。どうしてこんなにも、いやらしいのか。人の嫌な面ばかりを見て、人間が大嫌いになっていた。 私が信じられるのは、自分自身と動物だけ。こんなにいじめられているけど、やり返した今日以外、私は何もしていない。誰もいじめていない。 「死にたい、、、。」 心の中から、死んでしまいたいという感情が吹き出していた。こんな世の中から、違う世界へ行きたい。もう、誰とも会いたくない。明日を迎えたくない。 死んでしまいたい。。。 この世のどこが美しいのか。何に、希望があるのか。未来に、楽しいことなどあるのだろうか。未来が、こんな日々の延長ならもう嫌だ。生きている意味は何なのか。見つからなかった。 飛び降りたい。 歩いていると、5階建て位のマンションがあちこちに建っている。あそこぐらいなら、死ねるのかな。 私は、歩きながら上ばかり向いて、背の高いマンションを探した。出来るだけ、痛みなく死にたい。出来るだけ早く。 それには、高い方がいいはず。5階では、不安だ。中途半端に生きてしまったら、余計苦しむだけ。第一、重体なんかになってしまったら、親に迷惑かける、、、。 もう、あたりはすっかり暗くなっていた。高いビルを探すが 、見つからない。遅くなったら父がまた家の前で、仁王立ちする。早くしないと。 そうだ。自分のマンションは、7階だった。6階までが住居だが、端がベランダになっていてそこから空調の太い銀色のパイプを登って、勝手に「秘密の屋上」と呼んでいた7階がある。小学校の時、「上がらないように」と書いてあるのを無視して、友達とよじ登ってよく遊んだ所だ。 そこからは、高さが80センチぐらいの塀があるだけで、下をのぞくと、遥か彼方に1階の駐車場が見える。歩いている人が、すごく小さく見えてまるで別世界だった。そこには、いつも目立つ父親の新車が止めてあった。小学校の時も、親の事で悩んでいたから一人でも、よく登っては、下を見ていた。あそこから、下を見ると自分の悩んでいることが小さく思えてくる。ひと時、下を見ているとなんだか納得して、気持ちが軽くなって、家に帰った。でもその時は、死ぬなんて考えたことなかった。 もう、あそこしかない。一度そう思うと、早足で自分のマンションへ向かった。 誰にも見つからないように、そろっとエレベーターに乗り、6階へ行った。6階は、住宅も少ないため人気もなく、誰にも見つからなかった。 そこから、広いベランダに行くと、真っ暗で何も見えない。 ちょっと、怖くなったが、そのまま銀色の空気口のパイプまで歩いた。 風邪がきつくて、寒い。手がかじかんでいる。 登ろうと手を掛けたが、暗くて見えない。3年前までは、さっさと登れたのによく考えれば、私は少し大きくなっていた。しかも、セーラー服。スカートが、風邪で舞い上がっている。靴は、革靴。 寒くて力が入らず、足を掛ける所がわからない。何回も、足を掛けては「ズズズー」と、ずり落ちた。 とうとう寒さで嫌になり、ボーっとしていた。 私は、なんでこんな事してるんだろう。何のために、死ぬんだろう。 私が死んだら、クラスは悲しむのだろうか。不良達も、浅田も、ようやく反省するのだろうか。見て見ない振りのクラスメイトは、どう思うのだろう。 何かしてあげたら良かった。っと、泣いたりするのだろうか。 いや、、、違う。そんなはずは、ない。もともとそんなものは、持ち合わせていないはず。もし、人の痛みがわかるなら、私が以前そうしたように、一人ぐらいは何かのサインを出してくれたはずだ。 ひと時、事件になって、びっくりして泣いたりしても、きっとすぐに 「あのあほ~死によった。 これで、菌もうつらんわ。」とか言い出すのだろう。 親には、申し訳ない。せっかくここまで育ててくれたのに、何も相談せず、急に死んでしまったら、さぞかし、ショックだろう。母は、どうなるだろう。いつもは私に冷たいけど、気が小さい人だから半分気が狂うかもしれない。父は、どうだろうか。私は、幸せだと信じて疑わない父は、相談もなしに死んでしまった私を怒るかも知れない。 いずれにせよ、両親にはこんな私で、本当に申し訳なかった。たった一人っ子なのに、大人まで成長することさえ出来なかった。 私は、この世に何しに生まれて来たのだろう。楽しかったのは、いつだろう。幸せだったのは、いつまでだろう。 吹きすさぶ6階の屋上で、真っ暗な中、震えながらボーーっと、考えていた。涙も出ない。向こうに、生まれた頃に住んでいた町が見える。そして、その前に大きく立ちはだかる山がある。その山は、私の記憶の中で一番最初の景色だ。 幼稚園に入る前に、母に教えられているカタカナと掛け算の九九の覚えが悪く、母がよく夜に家の外に私を出した。もっと覚えが悪い時は、「やいと」される。「やいとやで!」と言われると、それだけで泣いてしまうぐらい「やいと」というのは怖かった。そのやいとの次に怖いのが、夜に立たされることだった。家の裏に立っていると、この山が迫ってくるような感じがする。お昼は、緑がきれいな美しい山だが、夜になると、真っ暗な山の中に、ただ一本だけ、下から上に向かって光の線が走っている。それは、山の頂上までいくケーブルの線路だった。その風景が、あまりに怖くて小さい頃から、その山の夜は、嫌いだった。 今、6階の屋上から丁度、その山が見える。相変わらず、真っ暗な山に一筋さびしい光が縦に続いている。 あの山のふもとが、私の故郷だ。幼かったあの頃は、ただ走り回っていただけで幸せだった。誰より男勝りで、あちこちけがをして男の子しか友達がいなかった。人を笑わせるのが好きで、みんなを集めて志村けんのまねをして、踊っていた。 小学校入学からは、本当にいろいろあった。あそこから、何回も引越しして、今、私はここにいる。そして今日という日に、死んでしまうんだ。 そんな時に、お腹が「グーーー」っと鳴った。 あぁ、何か温かい物が食べたい。お腹が空いた。 死にたいけど、明日を、もう迎えたくないけど、せめて最後に、おいしい物が食べたい。今日は、ご飯はあるだろうか。 死ぬのは、明日にしようか。 今日は、暗くて何も見えないし、このパイプを登ることが出来そうにない。 寒さと、空腹に負け、そんな理由で今日死ぬのをやめた。 ブタカバンを持ち、1階の我が家へ、エレベーターを降りた。 つづく。。。
2007年03月20日
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そう、あの大きな音は、私の頭から直接聞こえてきていたものだった。私は、一瞬気が遠くなり、膝がガクっとなった。それは、父が良く見るボクシングの試合で、父が「アッパーや!」と言った時、殴られたボクサーが一瞬ひざがガクっとなるのと、とても似ていた。 不意を狙われた私は、全く構えていなかったので何が起こったのか、把握するのに3秒ほどかかった。しかし、これは物が落ちてきたわけではなく誰かが、何かで、私の脳天をかち割ったのだ、と気付いた。 その3秒の間に、背中から何人かの笑い声が聞こえた。 ついにここまで来たか。 私は、この時ばかりは腹が立つというより、とっさ的に、行動に出た。 まさに今、つかもうとしていたはずのほうきをしっかりとつかみ、体の反動をつけ、渾身の力を込めて、そのまま後ろに向かって振り切った。 「バ~~~ン!!!」もう一度、大きな音がした。 こうやって書くと、長いようだが、頭に痛みを感じてから、3秒の後に私は、もう反撃を済ましていた。 今度こそ私が初めて泣き出すのを見れると思い、全員がこちらを見ていた。逃げる暇など、向こうにはなかった。 「イッテェ、、、」目を開けると、浅田だった。やった人間に当たるかどうかなんて、もうどうでも良かった。笑っていたという事は、みな共犯だ。 浅田は、体をひねらせて、ヨロヨロっと、あらぬ方向へ、歩き出した。最初のあの音は、ほうきが割れた音だった。 そして今度は、私をやった本人が苦痛に顔をゆがませている。 私は、久しぶりに晴れ晴れした気持ちだった。周りの奴らは、「こいつ狂った、、、」という目で私をしげしげと眺めている。 もう、どうなってもいい。この先もっといじめられてもいい。でも、暴力を振るわれたなら、いつでもこうやって仕返してやる。予想だにせず、いいようのない爽快感に私は、満足していた。 私は、頭の激痛に耐えながら掃除の時間を終えた。後は、ホームルームだけ終われば帰れる。家で、横になれる。頭を触れば、もうとっくに大きく晴れ上がり、それは、コブとなっていた。 ホームルームの時間。浅田は、教室にいない。アイツ、私がちくると思って逃げたかな。クラスのみんなにも事件は、まだ知れ渡っていない様子だった。 髪の毛がなかったら、到底隠すことなど出来なかったが私は、頭のズキズキした痛みを感じながら、下校の時間を迎えた。 早く、帰りたい。こんな学校から今日は一秒でも早く出て、家に帰りたい。そう思って、いの一番にクラスを出た。 さっさと門をくぐり、外に出た所で誰かが私の名を呼んだ。 担任だった。 私に、手で「帰って来い」という合図をしている。いよいよ、担任も私へのいじめを認めるしかないという時が来たのか。誰かが、私が浅田にやられたことを言ってくれたのか。私は、学校に戻りたくなかったが仕方なく戻った。 職員室に通され、担任の机の椅子に座らされた。職員室は、ほとんど先生がいなかった。遠くに、教頭が「なんや?」という顔でこっちを見ている。 「こんなことになるまで、気が付かなかった先生も悪いな。」「お前、いつからいじめられててん、、、」 本当は、そんなことを言われるのかと思っていた。しかし現実は、 「何で、浅田に暴力なんか振るったんや、、、。」だった。 私は、びっくりして顔を上げ 「?」という顔をした。 担任はクラスでからかわれている時のようにニヤニヤもせず、見たこともないようなにらむような目で、私を見ている。こんなことが起こって、めんどくさいとでも思っているのか。不良には、弱々しい担任だったが、私にはえらく強気だ。担任の明らかに不機嫌な態度をはじめて見た。 続いて「お前は、女の子やろ。暴力なんか、、、」と言った。 訳がわからず、「向こうが、先にほうきで後ろから頭を叩いたんですよ」と言ったが、それでも 「だとしても、女のお前がやり返してどうする~」と言う。明らかに、浅田よりも私を責めたい様子だ。それとも、けんか両成敗とでもいいたいのだろうか。 私は、頭に血が昇り 「向こうが、やって来たんですよ!やり返して何が悪いんですか!!」と怒鳴っていた。心の中では、「この担任、ほんまにあほや」と連呼していた。 私がいじめられていたことなど、一言も出てこない。成り行きや背景はどうでもいいというのか。担任の口から出るのは、なんで私が暴力を振るったか。これだけだった。 女の私がやり返したといって、それがどうしたのだ。なんたって向こうは男。後ろから、無防備な女に襲い掛かるとは、最低な行為。それぐらいは、13歳の私でもわかる。 続いて担任は、あきれたような顔で私にこう言った。 「浅田、腕の骨、折れてるんやぞ。」 !! 思わず心の中でガッツポーズをした。 だから、ホームルームにも出られなかったんだ。とっくに病院に行ってたんだ。 そう思うと、笑みがこぼれそうになる。必死で口をつぐみ、うれしさをこらえて、 「それがどうしたんですか。私は正当防衛です。」そう言って、担任をにらんだ。 担任はいつものように、清潔感のないひげを、手で撫で撫でしながら、納得できないという顔をしている。 「浅田は、明日から長いこと部活動も出来んのや、、、」「お前だけが悪いとは、言ってないけどな、浅田にとにかく謝れ」 お前だけが悪いわけではない。その言葉が許せなかった。その言葉の裏には、お前も、悪い。ということが隠されている。私は、悪くない。そう強く思っていた。 浅田がサッカー部を何ヶ月休もうが、それが内申書にどう影響しようが、私には関係ない。 何もしていない私に、後ろからいきなり襲ったのは浅田なのだ。たまたま当たり所が悪く、骨を折ったからといってどうして、私が謝らなければならないのか。担任は、私の頭の事は聞いてはこない。 あきれ果て、立ち上がってカバンを持ち「私は、謝る気はありません」と言って、足早に職員室を出た。背中で担任がまだ呼んでいるが、くやしさで、泣きそうになるので勝手に帰った。 一人で歩き出すと、頭が割れそうだ。頭に手をやりながら小走りで帰った。 一体何について謝れと言うのか。いくら考えても、わからない。 担任は、私の見方ではない。それだけはわかっていた。 ここまでされても、私の心配など誰もしてくれない。心が絶望感に変わっていくのををはっきりと感じていた。もう、だめだ。 つづく。。。
2007年03月15日
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私には、考える時間がたくさんあった。授業中、お昼休み、掃除中、帰り道、誰とも話さないから頭の中は、いいのか悪いのか、いろんな事を深く考える。 私をいじめることしか生き甲斐のない不良達はさておき、その他大勢はどうなのか。 私以外は、ちゃんと友情がそこにあるのだろうか。よく見れば、クラスの中には利害関係しかないように見える。 頭の良い子の周りには、いつも人が集まる。特に、テストなんかが返ってきたら「さすが、田中さん!また90点以上や。」とか言いながら、せっせせっせとわからないところの質問をする。先生は、一人だから順番がなかなか回って来ないのだ。そうこうしている内に、授業が終わってしまう。生徒は、時間がない。 必ず、テストが返ってきたら食い下がる人がいる。「センセー!なんでここバツなん?あの時、センセーややこしい言い方するからやんか~」1点2点の事でいつまでもぐずぐず言っている。 すごい執着だ。それも、仕方がないのか。一学期が終わると、親が同伴して「懇談会」が行われる。「先生、うちの子、あの高校にいけますでしょうか?」「お母さん、大丈夫ですよ。田中さんなら、クラブもちゃんとやっているようですし、このまま行けばまず、大丈夫です。このまま行けば、、、ですが。後は本人の努力しだいですね。」 「あら~、ありがとうございます!!」なぜか、親の方が力が入っている。 家でも、 さぞかしプレッシャーを掛けられているのだろう。 自分の成績が、落ちることを恐ろしいと思うようになる。だから、頭の良い子と仲良くなっておく必要がある。 文科系のクラブより、スポーツ系のほうが内申書にいいらしい。クラスで委員をやったら、内申にプラスらしい。あの先生の機嫌を悪くしたら、内申にひびくらしい。風邪を引いて、学校を休んでも内申が下がるらしい。 いろんな噂が、まことしやかに流される。その度、行きたい高校にいくために生徒たちは、本当にやりたいことより、内申書にいい物、を選ぶようになる。がんじがらめの生徒達。それにあぶれたら、不良になるしかないのか。 小学校の卒業からまだ数ヶ月しかたっていないのに、もうみんなは、希望高校の合格だけをゴールにして、そこに向かって走り出していた。誰も、今を生きていない。つい最近までの、卒業式で大声で泣いていたあの無邪気さはもうない。授業中、ふざけたり笑い声が聞こえるようなこともなく、みんな、前を向き必死でノートを取っている。不良達に絡まれて、いじめられている一人ぼっちの私のことなどもちろん、知らん顔。自分でなくて良かった。と言う所だろうか。それとも、私がいじめられていることが、彼らの安心感につながっているのだろうか。 でも、それでも私は、待っていた。 いつか、誰か一人ぐらいは、私に何かしてくれるんじゃないだろうか。学校でなくても良い、手紙でもいい、電話でもいい、みんなに知られないようにでもいい、「つらいと思うけど、頑張りや、、、。」それだけでいい。 私の事が、まるで見えていないような大勢を見ながらその誰か、を探した。みんなの前だから、声は掛けられないけどあなたの事を、気にしている。そういう、人間としての感情が欲しかった。 利害で結ばれた関係はすぐに崩れる。もし、今ちやほやされている頭の良いあの子が、急に成績が落ちたら?もう、誰もご機嫌を取ったり、近寄っていって質問するようなことはない。その子の価値は、もうないのだ。 あるいは、私が急に引越ししたら?不良達は、また次のターゲットを探すだろう。ふとした何かのきっかけで、また誰かがいじめの対象になる。そうなれば、昨日まで同じグループで仲良くやっていた友達さえ、今日の敵になるのだろうか。 あるいは、自分が成長して大人になった時、自分の子供がクラスでいじめにあったら? 「あんた、いじめられてるん?運が悪いな。何にも悪いことしてなくてもな、一回ターゲットにされたら、終わりやで。クラスの子は助けてくれるわけないわ。誰でも、標的にされたくないもんな。学年が変わるまで、下向いてじっと耐えとき。」 と言うのだろうか。 いや、言うはずだ。決して、「どうして、クラスメイトは助けてくれないの!?」とは言わないはず。 自分の内申書の点数を異常に気にするのに、他人のこととなると、無関心。そのアンバランスなみんなを見ながら、その先にどんな未来があるのかと考えた。 先生も、生徒も人の痛みを自分と痛みとして感じることが出来ない。エリートになると言うことは、そういうことなのか。人を蹴落とすというのは、そういうことなのか。私は、そんなことをずっとっずっと考えていた。 自分が不良になればいいのか。それも考えた。 日頃から、あいつらには言いたい事が山ほどあった。しかし、不良になるにはまず外見を見直さなくてはならない。髪は、金髪にし、スカートを床すれすれに引きずり、カバンをペチャンコに、斜め下から上を見上げる目つき、そして、タバコに万引き。私は、上手にメンチを切ることさえ出来なかったのだ。 そういうことと正反対に生きてきた私。そして、なにより高いハードルがあった。 それは、親だ。父は、門限の7時をテニスクラブで越えただけで、仁王立ち。逆らえば、殴られ、家に入れてもらえない。気が短い上に、アマのボクサー上がり。私は、まだ父が地球上で一番怖かった。もちろん、例の不良達よりずっと。 通りすがりの人がやくざに絡まれてるのを助けて、鼻の骨を折って帰ってくるような人一倍、正義感だけは強い父。「お前は両親がいてほんまに恵まれてるんやぞ!」と言って、幸せであるに違いないと勝手に思っている父が、私の非行を、許すはずがない。 また母親も、「いったい真理ちゃんどうしちゃったの?今まで、あんなにいい子だったのに、、、」と言って、おろおろするような人ではない。「やっぱり、あの子はおかしかったんや!!何を考えてるんやら、、、」というだろう。ますます、私は頭のおかしな子にされてしまう。聞き飽きたはずの、「やっぱり産まなければ良かった」と言われるに違いない。 よく考えれば、急に不良になったって、バレバレだ。一番体の小さい私に、一体何が出来る。私には、不良になる自由さえなかった。 所詮、私は中途半端。 不良になる事も出来ず、勉強が出来る子にもなれない、かといってスポーツは全く出来ない。 負け犬。 負け犬には、誰も見向きもしない。社会で習ったはずの基本的人権さえ与えようとはしない。おまけに、その負け犬は家でもあまり愛されていないらしい。 私には、何もない。私こそ、生きている意味があるのか。この世界の何を信じて生きていけばいいのだろうか。 「いじめ」それは、よくある話。学校に行けば、何処にでも転がっているもの。しかし、1対44。という世界は、そんなに簡単なものではない。「けんか」とは違う、「孤独」とも違う、「針のむしろ」あるいは、「アリ地獄」という言葉が近いのだろうか。その狭い箱の中で次の春まで待ち続ける日々。いや、もし伝染病が他のクラスにまで伝染していたら、中学卒業までこの状況は変わらない。 そして、だんだんと先生や人間というものまでもが信じられなくなる。一番恐ろしいのは、慣れてしまうと、いじめられている状態が当たり前という感じになってくる事だ。 初めは、すごく違和感があったはずなのに、いじめられている状態で均衡を保っているような気分になってくる。誰も、この状態に異議を唱えず、不思議と思わないという事は、私は、いじめられて当然な生き物なのか。 そうなると、原因を自分に移行させるしかない。自分以外のすべてが敵に見える。何処かで、誰かが笑っただけで、自分の事だと思ってしまう。緊張の連続で、一日の疲労は激しい。 ある意味、病気よりも恐ろしい。それは、静かに忍び寄り、人の精神を蝕み、あっという間に食いつぶす魔物。それが、「いじめ」の正体だ。 小さなきっかけで始まった単なるいじめが、この世の 「絶望」 に変わるまでにそう時間はかからない。 年末が近づいてきた。期末テストも終わり、後は親との懇談会を待つばかり。テストの結果が悪かったのか、イライラしてる。特に男子が。 そんな時だった。あの事件が起こったのは。 それは、掃除の時間だった。 誰ともふざけたりすることのない私は、モクモクと、掃除をするしかない。ほうきを取ろうと、掃除箱の、ほうきに手を伸ばしたその時、「ガッシャ~ン!!」とけたたましい音が、私の近い所で鳴った。 その一秒後、私の頭に激痛が走る。 近い所、、、ではなく、あの音は、私の頭で鳴っていたのである。 私は、意識が遠くなっていくのを感じた。 つづく。。。
2007年03月11日
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家では、泣けない。学校でも泣けない。私は、帰り道に静かに泣くしかなかった。毎日の私に対するいじめはひどくなるばかりだった。「ばい菌」と言われ続け、物はなくなり、他のクラスの前を通っても、野次が飛んでくる。「あれ、5組のばい菌とちゃう?菌がうつるで!!キャー」言うまでもないが、私はちゃんと毎日お風呂に入っている。 担任の先生は、社会の科目担当で30過ぎの男の先生だった。ひげずらで、とても暗く、今で言う 「オタク」 という言葉がぴったりの先生だった。常々、私は人間は笑った顔がその人の本性を現すと思っていたのだが、その先生ほど、笑った顔が嫌な感じのする人はいなかった。 例の不良が、授業中に先生の事をからかっても、「うるさいな~!!」といいながら、清潔感もなく、ひげをポリポリかいて、半分笑っているような先生だった。 先生は、完全に生徒を怖がっていた。自分の年齢から見ると、半分にもいかない子供のはずだが、「きもわる~」っと生徒に笑われては、すぐ赤くなり、「にやっ」と笑うばかりだった。そんな先生は、生徒の暴走や、いじめももちろん、見ないふり。 もうとっくに、私へのいじめも気付いてるはずなのに、私と直接話しの機会を持つようなことも、一切無かった。 生徒に深くかかわりたくない。早く家に帰りたい。学校が、嫌い。先生を見てると、それがはっきりとわかる。きっと、子供が好きなわけではなく勉強が出来たから、成り行きで先生になってしまったのだろう。とにかく、まったく生徒とコミニュケーションをとろうとしない先生だった。先生の方から、何も言ってくれないのにそんな正義感の無い先生に相談しに行く気持ちには到底なれなかった。 お隣のクラスは、とてもまとまりがある。まず先生に、やる気があり、生徒とのかかわり度合いが違う。本気モードの先生には、生徒の方もまるで親より信頼してるかのように、 本気でぶつかっていく。その辺は、見てないようで生徒は一番見ているのだ。お隣のその先生は、生活指導の先生で、体育の科目が担当だった。俗に言う、「熱血先生」という所だ。たまたま、隣のクラスにいる私の幼なじみのじゅんこちゃんも、そのクラスだった。私と、つい最近まで、一緒に登校していたあの子だ。 「コラ~!!じゅんこ、こっち来い!お前なんや、この髪型は!家へ帰って直して来い!!」先生にそういわれて、じゅんこは「めっちゃうっといわ!あのセンコウ!ばりむかつく!!」といいながら、どうやら先生の事が嫌いではない様子で体育際のときには、楽しそうにクラスでまとまり、クラスはとうぜん表彰台に上るほど、いい成績を残した。 こんな先生だったら、、、。今頃、私は、こんな風に一人で長い間つらい思いをしていただろうか。。。あと、ひとつクラスが違ったら、、、。隣のクラスだったら、私の友達もいる。先生も、熱血。いじめを助けようと、グループを出た私がいじめをされるような事にはならなかったんじゃないだろうか、、、。 これが、神様の与えた運命だろうか。私は、キリスト教でもないのによくそんな風に考えた。 もし、神様がこの世にいるなら、この世が平等なら、小学校の時から悩んでいた私の家はみんなとどう同じだというのだろう。。。 行き着く先は、いつも愛犬ルリの事だった。ルリちゃんは、何も悪いことしてないのにあんな痛い目にあって死んでしまった。私が、あの子を殺してしまったのは間違いがない。そのことの、罰が当たっているのだろうか。もし、そうなら、私はむしろこのつらいいじめも心地いい。 あの子に対して、どうしようもない懺悔の気持ちが深くあった。私が、こうやって苦しむことでもしあの子のあの時の苦しみが少しでも減るならこのいじめにも、喜んで受けられる。救われる気持ちになれる。 私は、帰り道、ずっと堂々巡りのそんなことを考えては、ようよう落ち着いてきて、家に帰る日々だった。 あいかわらず、親は何も知らない。私に関心がないから、気付くことはない。私のお弁当は、めっきりなくなり、代わりにほとんどパンの日になった。 私が、あの不良たちを受け入れられないのには理由があった。 私の、俗に言う不良のイメージは、親から聞いていたような同情に値する不良たちだった。家が、人より貧しくて、両親はとっくに離婚していて片親ながらも、愛情はもらえず、学校にもなじめず、何処に行っても、つまはじきされて、、、。つまり、世の中に屈辱感や劣等感があり、自分がどうしても認めてもらえない。だから、悪いことでもして不良になるしかなかった。そういうのが、私の考える不良だった。 しかし、実際はぜんぜん違ったのだ。お弁当は、私のように恥ずかしくないきれいなお弁当。「親が、うっとおしいから昨日なぐたった。ほんだらな、ババア、泣きよんねん!!あほやろ!あはははは」話を聞いていれば、親に同情したくなることばかり、、、。もちろん、片親でもない。貧乏でもない。兄弟もいる。決して、私のように小学校から親の事で悩んでいたとは思えない。ただ、姉が不良で学校で力があるから、先生の言うことを聞くのが、いやだから、校則がうっとおしいから、学校が面白くないから。 私の知らないどんな事情があるかは知らない。しかし、弱いものばかり狙うやり方ひとつとっても、本当の不良とは認められなかった。「積み木くずし」が流行っていたから、どうせ勉強も出来ないし、目立つことがないからとただ、なんとなく不良になっただけのことではないのか。。。 何も言っていなくても、そういう気持ちがばれていたのかもしれない。心でそう思うのは、どうしようもない。しかし、私は、「あんたが、うっとおしい」と声を出して言った覚えは、少なくても無い。みんな、それぞれアイツが嫌い、なんだか合わない、見ていて腹が立つ、、、いろいろあるだろう、、、。そんなこと言ってたら、きりが無い。 私は、心でいつも思ってた。あいつらより、私のほうが不良になるべきだ。ただ飯食いといわれ、足手まといといわれ、あんたさえいなかったら、、、と言われ続け育ってきた私。度重なる転校、父の浮気、おじのセクハラ、母の家事放棄、、、。 思い返せば、不良になるだけの理由は、充分だ。 だけど、私は風紀委員をやっている。ただ、くじが当たっただけだが、たまたま不良が嫌いな私にはぴったりの役だった。真っ黒の髪はおかっぱにし、爪を短く切って、カバンをブタカバンといわれスカートも校則どおり、成績も真ん中。目立つような事は何もしていない。ただ、少し正義感を出してしまっただけ。 いっその事、不良になればよかったのかも知れない。私には、不良になれるだけの理由がある。不良になれば、悪いことをしてもかっこがつく、みんなは、びびってるから誰も何も言わない。先生までが、ご機嫌をうかがってくれる。 そうだ。私は、不良になるべきだったのだ。そうすれば、ここまで孤独でつらいいじめられっぱなしの一年ではなかったはず。もし、私が不良になるなら、弱いものいじめなどしないもっとかっこいい不良になってみせる。その道にはその道の生き方があるはずだ。クラスの一人ぼっちの弱そうな子を、標的になどせずもっと強い奴を敵に回してその「タイマン」とやらを張ってやる。先生より体も大きいくせに、一番小さい私にかかわったりせず体を鍛えて、強くなり番を張ってやる。 思えば私の父は、ボクサーではなかったか。サンドバックも家にあるじゃないか。栄養さえ、小学校の時にもっとちゃんと取っていればもっと大きくなれたはず。こんなガリガリではなく。 不良になっていれば、一人で歩いていたってさまになる。みんなが、どけてくれるからだ。 なんて、素晴しい不良。。。この私こそ、不良になるべきだったのだ。 つづく。。。
2007年03月07日
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この先、2年生になるまで私は、このままなのだろうか。。。来る日も来る日も、誰にも話しかけられず、お昼休みも校内を一人で歩き回るだけ、学校が終わったら、さっさと家路に急ぐ。。。何とかしなければ、、、。私は、クラブに入ることにした。テニス部は親にやめさせられたから、今度は遅くならないのがいい。「園芸部」にした。そう、学校内の草や木を大切にするクラブだ。本当は、そんなに植物に興味はなかった。でも、友達を作らないといけないという一心だった。そのクラブは、とてもおとなしいクラブだった。学年で、5人しかいない。しかも、みんなクラスは違った。入っては見たものの、あまり活動のない静かなクラブで生活は以前と何も変わらなかった。 今度は、クラスの中で何とか友達を作ろうとしてみた。お掃除当番とかで、一緒になる子とがんばって共通点を探してみた。一人の子と共通点が見つかった。「マンガ」だった。私は、銀河鉄道999とか少女漫画が好きだった。その子は、ぜんぜん違って女の子なのになぜか「ガンダム」だった。10冊も持ってきてくれた。「とにかくいいから、読んでみ!!」という。。。私は、全く興味がなかったが「わかった。読むわ!」と言ってしまった。しかし、渡されてみるとぜんぜん面白くない。機械ばっかりで、読む気もしない。教科書より、面白くない。結局、ほとんど読まずに返してしまった。もちろん「読んだ」と言って、、、。しかし、内容がわかってないのですぐにばれてしまう。話は、続かなくなってしまった。。。その子は、ガンダム以外の話は出来ない子だった。というか、ガンダムの良さをわかってもらうことしか私に、興味がなかったのである。私は、やっぱり何処のグループにも入れなかった。 クラス内のいじめは、どんどん加速してゆく。毎日あの不良から、「きもわる~!!ばい菌がうつるで!」と言われる。 私は、学校に行くのがつらくなってきた。かといって、登校拒否など出来そうもなかった。あの時代は、まだそれが選択肢の中にも入らないほど「もってのほか」だった。 親には、何も言ってない。毎日、こんなにもつらい思いをしているなんていえない。言ったって、うちの場合は無駄だと思った。うちは、言うまでもなく普通の家庭ではなかった。親は親で、父の仕事と、生活費と浮気と離婚の話でそれどころではないからだ。また、仮に両親に本当のことを言ったとしても何も聞かずに「あんたが悪いからや!」と言うだろう。これ以上怒られるためだけに、親に相談する気にはなれなかった。 授業中のいじめはどんどん加速して行った。私の作った美術の作品だけが、完成間近で潰されていた。私の体操服や私物だけが消える。 消しゴムを頭に飛ばされていたのは、まだましだった。前から2番目に座っている私の頭から何やら冷たいものが、、、。びっくりして、顔を上げるとなんと「みかん」だった。誰かの、お弁当のフルーツなのか例の浅田が、私の頭の上でみかんをしぼっている。授業中なのに。あちこちから、みんなの笑い声が聞こえる。先生は、特に鈍感な人で目も悪く、黒板を向いているので、気が付いていない。 冷たい水滴がツーっとしたたり落ちる。私の頭から顔はボトボトになっている。どうしてここまでされなきゃいけないのだろうか。情けなくて、泣いてしまいたかった。 ついにここまで来たか、、、と、心臓が早くなり、キッとそいつを睨んでは見たが、そいつはニヤニヤ笑っている。 それよりも、それを確かに見ているのに知らん顔のその他大勢の方が私は信じられない。。。振り向いても、私から後ろの人はみんな知ってるはずなのに誰もかれもが、知らん顔で黒板を見ている。必死で、ノートを取っている。カリカリと、、、。今度の期末テストの成績の方が大切なのだろうか。下手に何か言ったら、自分がやられるからだろうか。それを、責めることは出来ないが私は、振り返りみんなの顔を見た時、私への同情さえ感じられないそれぞれの顔に、本当に恐ろしさを感じた。 もう、私も限界にきていた。藁にもすがりたい気持ちというのだろうか。何処かに突破口はないかと、必死で探してみる。これが最後のチャンスだと腹をくくった。 このクラスにもみんなで決めた学級委員長がいる。その子は、このクラスをまとめる役だ。 あの子に頼むしかない。自分のクラス内で、たった一人の子がいじめられているというのに何も感じていないはずはない。あの子は、偶然、出身小学校も同じ。美人で成績もトップ。おとなしいけど、スポーツ系のクラブにも入っていて、人気がある。まだ一年生なのに、地域で一番の高校へいけるらしいと先生からお墨付きをもらって、みんなからうらやましがられていた。私と違って、毎日とても幸せそうだ。勉強にスポーツにイキイキとしている彼女は、同じクラスにいて、私とはまったく逆の人生を送っていた。あの子なら、私から行動を起こせばわかってくれるかもしれない。たとえ私に手を差し伸べたとしても、彼女がいじめられることはないはず。 私は、勇気を振り絞って、その子に手紙を書いた。そして、二人で話が出来るよう、校内のある場所に呼んだ。 「ごめんね。突然呼び出して、、、。私の事やねんけど、見ててわかってると思うねんけど。。。柳さんは、頭もいいし、みんなに人気もあって私も信頼できると思うからお願いやねんけど、、。お昼ごはんの時だけ、一緒に入れてくれへんかな?、、、私、平気な顔してるけど、本当はつらいねん、、、」 黙って聞いてくれていた彼女だったが、そこまで私が言った時彼女のグループの子が割り込んできた。「あんた!何言ってるのん。柳に変な事言わんといて!!」 そういって、その子を何処かへ引っ張って行ってしまった。変な事、、、私は、そんなにおかしなことを言ったのだろうか。。。 それからも、やっぱり私のお昼は一人だった。 私を、ご飯の時だけグループに入れたといって何がいけないんだろう。。。理由は、自分は委員長であの子に直接頼まれたからでも、何でもいいじゃないか。それでも、彼女も結局たすけてはくれなかった。 もし、私が逆の立場だったら、、、。たとえあまり好きな子でなくても、学級長でなくても、入れてあげるんじゃないだろうか。私が、あの子に以前したように、見ていられなくなるはずだ。。。私なら。だけど、私には誰も救いの手を差し伸べてはくれなかった。 帰り道、初めて人知れず、泣いた。どうして、人はこんなに冷たいんだろう。。。勇気を出して、恥を忍んで頼んでみたのに、誰も助けてはくれない。 私の何がそんなにいけないのか。。。もし、私に欠点があったとしてもそれは、みんなに言えることじゃないのか。やっぱり、小学校の時、お母さんが言ったように私はどこか変なのだろうか。自分にはわからない、人から見ておかしな所があるのだろうか。ここまで、みんなに無視されると、どうしても原因が自分にあるんじゃないかと、思うしかなくなってくる。勉強は、ちゃんとついていってるのに、、、。 何も悪くない。と思う自分と、何かおかしいんじゃないかという自分が入れ替わりやってくる。渦を巻いて、頭がおかしくなる。 もう、冬が近づく木枯らしの吹き荒れる帰り道。私は、頬に風の冷たさを感じながら、遠回りの誰にも会わない道をわざわざ選んで、一人でとぼとぼ泣いて歩いた。学校では泣く事が出来ない私。我慢していたから、泣いても、泣いても、止めどなくあふれる涙。 誰にも、言えない。誰も助けてくれない。私には、小学校の時と同様、相談する人もいなかった。 学校にいる時は、息をしているのかもわからない。緊張の連続で、疲労もはげしく毎日が地獄だった。もう、限界に来ていた。。。 つづく。。。
2007年03月02日
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何かが起こった時、人は自分を守るため何処まで残酷になれるのだろうかーーー。それを観察するには、学校は絶好の場所だった。まだ小学校の卒業から何ヶ月もたってないのに、急に大人風の顔をした教室のみんなを毎日、不思議な感覚で見ていた。。。どうして、中学になると急に大人顔になるのだろうか。今まで、小学校では私の心だけが大人びていて、子供すぎるみんなについていけなかったのに、中学に入った途端、急にみんなが私を置いて大人になった気がした。私は、親の事以外は、幼くとてもおくてで、まだまだ子供で居たいタイプだった。制服のせいだろうか。異性を気にする年だからか。不良が出てきたせいだろうか。12歳と13歳のあいだにどんな違いがあるというのだろうか。。。 私は、友達がいないんじゃない。この中で合う人がいないだけ。。。自分から好きで一人でいるんだ。本当は、そうじゃないけど、そう思わなければ学校に行く事が出来なかった。 朝の通学は、小学校からの友達といつも一緒に行く。その子は、お隣の6組だった。家がすぐ近くで、なんと同じ誕生日だった。もう長いこと仲がいい関係だった。だから、一緒に通学するのも当たり前というかんじだった。 朝、その子の家に迎えに行くと、その子は、いつも母親に見送られて出てくる。その子の後を、追いかけるようにして出てくる母親。「あんた!これ忘れてる。。。他に忘れ物はないのんか?」そういいながら、ハンカチを渡す母。 私にはそんなことが、とても羨ましい。中学になっても、手をかけてくれようとする母親。。。しかし、世の中うまくいかないものである。 「うるさいんじゃ!!ババア!うっとおしんじゃ!引っ込んどけ!」そういいながら、母親をペチャンコカバンでおもいっきり叩く。 私は、聞いてるだけで耐えられない。母親に向かって、その言葉。私の家なら、市中引き回しの上、打ち首獄門。。。という所だ。なのに、その母親は「あんたは~またそんなことゆうて~」と、さほど怒ってもなさそうだ。私は、とりあえず頭を下げ、その子と歩き出した。 「どうしたんあんた、お母さんにあんな口の聞き方して~。ええお母さんやのに、何でそんなにきついのん?そんな事してたらほんま、ばちあたるで」まるで、近所のおばさんじゃないか、、、。私は、説教せずには居れなかった。 「何ゆってるん!あんなんほっといたらええねん。ほんまにうっといねんから。」その友達は、すでに悪くなり始めていた。もともと小学校の時から、おませな子だった。おかっぱの私と違い、髪を毎日「朝シャン」してブローして、きれいに流してくる。一体誰に見せたいのか。制服のスカートは、床にすりそうなぐらいに長くしてある。せっかくまっさらだった黒いカバンは、入学してすぐにペチャンコにつぶしたようだ。私のカバンを「ブタカバン」と勝手に失礼な呼び方して、「それ恥ずかしくないの?」と言った。買ったままの姿のカバンの何処が恥ずかしいのだろうか。私には、下敷きしか入りませんぐらいにぺちゃんこにした飾りのカバンの方がよほど恥ずかしいと思った。しかし、そのカバンを持っている子達は、教科書を学校の机の中に、年がら年中、全部入れっぱなしで何も持って帰る物がないから、そのサイズで充分なのだろう。 昔の友達だから、一緒に通学しているものの私と彼女は、まるで正反対だった。 そう、私は不良というものがいつのまにか大嫌いになっていた。学校の風紀を乱すだけ乱しておきながら、なぜ学校に来るのかもわからないし、とても中途半端な存在だと、思った。けして一人では、行動できない。しかし、誰かとグルになると突然、態度が大きくなる。そういう、卑怯な所が一番嫌いだった。所詮、親に食べさせてもらっている単なる子供に過ぎないのに、授業を妨げたり、誰かを脅したり、すき放題。同じ中学の高学年に自分の姉がいて番を張ってるらしく、それが、いつもの脅し文句だった。 私の友達もその方向へ行こうとしていた。あの子の母に言われた。「マリちゃん!頼むわな、ジュンコの事。マリちゃんはまじめやから、、、。この子を見たってや。もう最近、悪い子とばっかしつきあっとるみたいなん、、、」そういわれても、彼女を止めることなど私にも出来そうにない。。。まもなく、じゅんこちゃんは、不良グループに入ってしまった。 学校に行けば、何かにつけて一人の私は、どんどんクラスの不良たちから目をつけられる。本当は、不良たちも私より気に触る人はいた。勉強の出来る美人のツンとしているあの子とか、いつも先生にこびを売っては内申書の点数になる事しかしようとしないあの子とか、、、私より、そういうタイプの方がずっと嫌いだったはずだ。不良たちの会話から、イライラしてるのが見て取れる。だけど、そういう子はグループだから手を出せないのだ。万が一、数で負けたらクラスに居ずらくなる。計算高い奴らだった。決して、からかう以上に手を出すことはなかった。そこが、不良のずるい所だ。 私は、出来るだけ平気な顔で行動していた。たとえ一人でも、引っ越していったあの子のようにビクビクしない。下ばかり向かない。そう心に決めていた。私は何も悪いことなどしていない。助けるつもりが、ちょっと運に見放され、一人になってしまった、それだけの事。野性の世界でも、群れからはぐれた草食動物が一人でいると、だいたい肉食動物に襲われる。それと同じ事だ。 親に小学校の時から「あんたは、勉強もスポーツも、これは人に負けない!という物が何もない。人に負けて悔しいとは思わんのか!ほんまに情けない、、、」と言われ続けるほど、負けず嫌いでなかった私だったが、不良に脅されてシクシク泣いたりすることだけは、絶対にしたくなかった。晴れて、人生ではじめて負けず嫌いになったのだ。 ある日、お昼休みにトイレに行ったとき、例の不良たちがなんと化粧をしていた。あのペチャンコカバンの何処にメイク道具が入る場所があるというのだろう。鏡の前で、中学生とは思えないフルメイクでご満悦のご様子。うれしすぎてはしゃいでいる。全く見ないふりで手を洗う私。「なあ!!私の顔キレイ?アハハハハ♪」 かなりテンションハイで何を思ったか私に聞いてきた。 きっと私以外の人は、間違いなく「きれいと思う」と答えるだろう。たとえそう思っていなくても。。。 なのに私は、 「おもわへん。何もしてないほうが、いいと思うけど」と言ってしまった。後はどうなろうが、本当の気持ちを言ったまでだ。 そう言って、トイレを出る私に「なんやアイツ~!うっといな~!殺したろか」という声が聞こえたのは言うまでもない。 ああ~、やってしまった。また、何かやられるな。そう思ったが、自分に妙に納得していた。。。 それからまもなく案の定、その何かが、始まった。クラスには、その不良と仲がいいクラスで一番小さい男子がいた。その浅田という奴が、また底意地の悪い奴だった。授業中に、前から2番目に座っている私の頭に消しゴムを飛ばしてくる。私は、何か飛んで来たっと思って振り向く。すると誰も、こっちを見ていない。その繰り返し、、、。 私も、次第に理解する。授業中のいじめだ。先生の話なんか聞いてられない。私より後ろのみんなが敵に見える。誰も、知ってて知らん顔で授業を受けている。そっちの方が恐ろしかった。誰でも、わが身は可愛い。どうでもいい人のために、自分が標的になるのは御免である。 初めは、この女の先生の時だけ、、、週に2回ぐらいだったのが他の怖くない先生から順番に増えてくる。回数とともに、次第にエスカレートしてくる。 私が、泣いたりしないから余計に泣かせたくてエスカレートするのだろう。しぶとく、絶対に私は泣いたりしなかった。しかし、誰が投げているのかわかっていながら、同調するのが嫌で投げ返しもしなかった。 投げたひとつが先生に当たった。「誰やの!これ投げた人!」女の先生は怒って授業がストップする。シーンとする教室。あの不良が「知りませ~~ん」と言った。 私もまた何も答えなかった。そこでもし私が、「あの子です」と答えようものなら「ちくりよった!!」といわれ、倍返しされることはわかっている。知らん顔するしかなかった。もちろん、これは序章だった。 つづく。。。
2007年02月27日
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