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子供の頃は何も考えませんでした。食卓の前に座れば食事は出てくるし、学校へ行けば勉強だけをしていれば済みました。
けれど社会に出てみると、いろんな人と付き合わなければならないし、我慢して嫌な事もしなければ食べていけないこととなりました。
それでも高度経済成長の時代は仕事はあったし、終身雇用制も定着していたので自分の「分」というものを守っていれば生活は安泰でした。
でも社会が低成長時代に入ると、雇用が不安定になり、人による差別化が激しくなり、所得格差が広がり、社会的身分というのが流動化して、個人の生活というのはとても多様化してきました。
「守ろう」としても「守れない」という状況が増えてきて、年間の自殺者が三万人を越える時代になりました。
人は守るべき「自分」というものを社会から見つめなおすように攻められる時代になったと言うべきかもしれません。
そして人は「自分」と言うものの中に「魂」という目に見えないものがあることに気付きつつあります。それがどうやら目に見えないものに支配されたりされなかったりしていることにも気付きつつあるようです。
実は「自分を見つめなおす」ということはその「自分」というものの先に「他の人々」という一見自分には関係ないように思える存在があって、その人達の幸せを考えることが本当は「自分」というものを幸せにすることに繋がっているんだということに、大多数の人は気付けないでいるようです。
「自分」というものを考え込みすぎて、「自分さえ良ければ」というマイナスのスパイラルに落ち込んで行ってしまうようです。
世の中というものは「自分」と「他の人々」で出来ています。それは「鏡」のように対になっています。自分の環境というものを変えようとするなら、まず「他の人々」を変えていかなければならないのですが、それに気付く人はなかなか居られないようです。
実は「神仏」や「霊界」というのはそういう仕組みを判らせるためのマニュアルのような役割もあるのですが、そういう風に捉えてくれる人もまた少ないようです。「神仏むも「霊界」も「自分」のために存在していると考えてしまうようですが、そうではなくて「自分」というものを支えてくれている「他の人々」というものに目を向ける方法を教えてくれる存在なのだという事なのだと思います。