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2012年02月06日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ふと考えてしまいました。私は今、55歳ですから後どれだけ生きたとしても20年が限界だろうと思います。もし、万一家内が先に亡くなったりしたら(全くあり得ない話で彼女は多分90歳ぐらいまで生きるでしょう)私はきっといっしょに死んでしまうことを考えるかもしれないなぁと。

 でも、多分自分で死を選ぶなんて出来ずにズルズルと生きて行ってしまうんだろうなぁとも思いました。

 55歳になって身体のあちこちが少しずつ弱ってきたりガタついてきたりすると寿命というか「死」というものを意識し始めます。唯一の望みは愛する家族と出来るだけ長く一緒にいたいということでしょうか。今年80歳になる母とはもうすぐ別れがやってくると思います。母を見送り、その後は家族で出来るだけ健康に細々と生活していけれれば幸せなのですが、「死」というものの本当の実態がわからない限り生きるということに執着せざるを得ないというのが人間という生き物なのかもしれません。

 人や生き物に共通して流れている「氣」という目に見えないもの、その何かを掴めるようにはなりつつありますが、それが「生命」や「死」というもの、「輪廻転生」というものとどういう関わり方をしているのかはおぼろげにしかわかっていません。人の魂が「氣」というものの凝縮したものであったり、その流れの結節点であったりするのだとしたら、人の「死」というのは一種の「解放」なのかもしれないとふと思います。

 「よき解放」を得るには生きている間に「氣」というものをより深く強く練りこまなくてはならないのかもしれません。それが「よりよく生きる」ということなのでしょう。そう思います。





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最終更新日  2012年02月06日 07時30分46秒
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