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2017年06月14日
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高野山の山中で「悟り」について何だか色々考えてしまうことになり、考えていて思いついたことがありました。

 悟りというにはほど遠いのですが、人は「0」か「1」なのではないかということです。そうデジタルの基本構造でもあります。

 「1」というのは人は所詮独りだということ。生まれてくる時も死ぬ時も一人だということです。他者を自らの内側に封入することは決してできず、同じ心を同時に持つことは決してできない。それだからこそ唯一無二の存在でもあるという事。自分からすべてが始まり、全ての周囲の出来事の認識もそのすべてが自分自身にのみ行ない得ることだという事。

 そして「0」ということ。これには二つの大きな意味があります。自分は「無」でもあるということ。自分の事を考えずに他者のために尽くすことが出来て、その時自らを「0」にできる存在でもあるのが人だということ。

 もう一つ「0」は円でもあるということ。球体でもあるということ。全てを含むものでもあるという事。自分は「無」になるけれど、その時に周囲のすべての人やモノや事象を含みうる存在になれるという事。全てのモノとつながっているという事。それが「0」ということ。

 今のところそういう事がなんとなくわかっていて悟りへと歩んでいる段階なのかもしれないと高野山の山中で考えたということです。





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最終更新日  2017年06月14日 06時49分14秒
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