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2009年11月19日
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カテゴリ: 昔話


この所の私の心境です。歳を重ねたきたせいでしょうか?

私の故郷は、筑豊の小さな町。

この筑豊というのは、筑前と豊前を併せて出来たそうな。

場所は、主に、飯塚、田川、直方、をいうそうな。

私の故郷は、その隣の小さな町。

昔黒いダイヤモンドといわれた石炭が、たくさん採れた所。

昔石炭が、燃料などに使われて主流の時代。

大きな会社が、たくさんのお金とたくさんの人を



このたくさんの人のために作られたのが、炭鉱住宅です。

私の祖父も父も鉱夫です。ついでに旦那の義父も。

最近は、映画やテレビのドラマになった東京タワーの中でも見る事が出来ましたね。

旧い映画だと青春の門かな。

5歳くらいまで長屋みたいな炭住に暮らしました。

記憶が、もう一つですが、たくさんの人がいました。

子供もたくさんでした。板塀が、ず~と続く長屋風景。

そして妹と一緒に毎日ボタ山にボタ拾いに出かけた。

ボタとは、石炭の成りそこないです。

石炭は、採掘された後選炭されるのです。

その不完全石炭ボタが、いっぱいになって山になる。



よさそうなボタを拾うのでした。煮炊きや、お風呂沸かすのに。

わかりやすくいうと半分石炭黒くなっているやつです。

この炭住という所は、大人も子供もわきあいあいと暮らしていました。

食事時知らない人や子供が、いつも一緒に食べていました。

当たり前の事みたいで今思えば不思議空間でした。



そんな明るい日々でしたが、怖い事がありました。

落盤事故。サイレンが、けたたましくなると事故です。

子供ながらも父が、無事帰って来る事を祈る娘でした。

今の実家に引っ越してから、しばらくは、にぎやかでしたが、

共同浴場が、なくなり、お友達が、引越したりして。

そんな事で閉山を知る私でした。

石炭が、石油に取って代わられたり、暗い時代にはいっていたのは、

大人の事情で私は、あいも変わらず裏山へ友達と遊びにいったり、

遠くの友達のうちに遊びにいったり。

貧しいながらも多い時で10人で暮らしていました。

父は、7人兄弟盆暮れは、この兄弟が、家族を連れて泊まる。

当然私は、いとこたちの子守とまとめ役。

でも盆暮れは、いっちょらの服買ってもらえたし、おこずかいも

もらえたし、楽しみでした。

今でもいとこたちが、遊んでもらったと思い出話をします。

そうそうこの時大人たちは、花札をやっていてみよう見真似で

私達子供もやっていました。大人を負かしていました。

きっと賭け事イイセンスなんかなあ。残念ながら忘れてしまいました。

そんな子供時代を過ごしました。

筑豊って暗いイメージをもたれがちですが、

少なくても私の知ってる範囲では、そうでもない。

人なつっこくてあけっぴろげで明るいそんなイメージかな。

関西に住んでいる方が、長くなってしまいましたが、

いつでも私は、筑豊生まれである事を誇りに思うのです。

な~んのも用事ないけどふるさとに帰りたくなりました





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最終更新日  2009年11月19日 14時33分06秒 コメント(10) | コメントを書く


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