今朝の黙想8



「私はあなたの造り主。あなたが生まれる前から、あなたは私の配慮の中にあった。」(イザヤ44:2)
あなたは偶然に存在しているのではありません。何かの間違いで生まれてきたのでもありません。たとえ両親があなたの誕生を計画に入れていなかったとしても、神様はそうではありません。神様はあなたの誕生を天地の造られる前から知っておられ、あなたが生まれるのを心待ちにしておられたのです。あなたは神様から愛されるために生まれました。


あーめんっ!
私は、私の両親にとっての初子であったので、両親からは望まれて誕生したであろうし、「自分自身の存在」ということに対しては、聖書のこの御言葉もストンと感謝のうちに受け取ることができる。
これは非常に幸いなことなのだと思っている。
だからこそ、夫と夫婦にされたのだろうな~と、今朝思った。
夫は「自分の存在」ということに対して潜在的に苦しんでいた。
たぶん、これは、夫が5人男兄弟の末っ子として誕生したところにあったのだろうと思われる。

私も、夫も、イエスキリストを主と告白し、信じることができて、本当によかった。ただただ感謝である。
あなたは神様に愛されるために生まれてきました。
このことを、人々にお伝えしたい。
主よ私に出来ることを教えてください。
主よ、働いてください。
今日も一日、聖霊に導かれて過ごすことができますようにっ。
主よ感謝します。


1月11日(火)

「私が与える水を飲む者は、いつまでも渇くことがないばかりか、私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ4:14)
人は愛を呼吸し、愛を食べ物として生きています。心は愛を求め、愛によってのみ充たされます。でも今日多くの人が五感だけで愛を得ようとしています。五感だけの愛に執着すると、心が渇いてきます。神様の愛は五感を超えた愛です。神様の愛だけが人の心を充たすことができるのです。


(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
よくわかる・・・。
そして、人が神様の愛を知らなかったら、本能的に五感の愛に執着してしまうということもよくわかる。
順序のような気がする。
人が永遠に渇くことのない神様の愛を知りその愛で満たされる時、人間関係も愛の関係を築き上げることができるのではないかと思う。
自分が愛していない人から愛されることは、ほとんど無いと思う。
男女間のエロスの愛のなかではあるのかもしれないが、その愛は五感の中のほんの一部の愛なのではないだろうか。
自分の愛して欲しい方法で愛されることを願うのではなく、「あぁ、この人のこの表現が、愛の表現方法なのだ。。」と気付くことができる者になりたい。

私は自分自身が神様に愛されていることを知った。
そして、人生が変わった。
マイナスと思っていたことが実はプラスなのだということが実感としてわかった。頭でわかったというのは、わかったことにならない。
身に染みて実感としてわかったことだけがわかったことだ。
主よ、もっともっと主の愛をわからせてください。
主よ愛しています。
主よ感謝します。


1月12日(水)

「私はケダルの天幕のように、ソロモンの幕のように、黒いけれども美しい」(雅歌1:5)。
世界三大美人の一人楊貴妃はかなり太目だったそうです。現代から見たら決して美人とは言えない彼女に、玄宗皇帝は一目惚れをし、虜となりました。神様はそれ以上に私達に惚れ込み、私達の容貌や能力によらず、私達を愛してくださいます。あなたはそのままで十分価値があります。神様の愛を信じて自分に自信を持ちましょう。


わーいわーい!
太めヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ バンザーイ♪
げらげらっ(~o~)
昨年、新潟の美術館に来た、アレ・・あれよあれ・・(笑)
ダメだ、アルツハイマーだ(笑)どうしても名前が思い出せない(涙)
とにかく、彫刻も絵画も、美しい女性を表現しているものは、「太め」だった(笑) 嬉しかった(謎)

人が人に惚れこむとき、それはやはり内面に対してだと思う。
取っ掛かりが、外見や能力だったとしても、もし、それだけだったら、惚れこむなんてことはありえない。

この宇宙を、天地万物を創られた全能のお方が、私をつくられた。
そして、惚れこんで愛していてくださる。
なんて、すごいことだろう!
その凄さを、もっともっと深く味わいたいと、今朝また思わされた。
主よ感謝しますー!!


1月13日(木)

「私は自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。私は言った、「私のとがを主に告白しよう」と。その時あなたは私の犯した罪を赦された。」詩32:5
あなたは罪責感に駆り立てられて生きていませんか?罪責感があるとそれを償おう、隠そうとして人生を浪費してしまいます。過去の虜になる必要はありません。主はあなたのすべての罪を赦し、新しい人生を歩ませて下さいます。


あーめんっ!
わたしの一番抱えていた罪責感は、「子供たちに対して、可哀想なことをしてしまった」ということだったように思う。
ミクと大樹は不登校の経験をもっている。
私は自分の子供が不登校になるなんて夢にも思っていなかった。
子供たちの不登校の季節、私は罪の刈り取りをさせられていると思った。
自分を責めた。
20歳という未熟な人間が結婚し、子供の親になり、仕事と子育ての両立なんてきっと出来るわーと傲慢であった。
子育ては、人生の一大事業だ。何かの片手間で出来ることではない。
子供たちが幼い頃、私は仕事がいつも優先だった。
時間の使い方、頭のなか、思考・・・仕事を優先していた。
このことをこうして書いているだけでも、涙がでてくる。
胸が痛む。

しかし、神様は、このことさえも益に変えてくださった。
無駄は一つもなく、私は「子供の不登校」をとおして、多くのことを学んだ。そして、ここをとおったからこそ、見えた事、わかることができた事だらけだ。
今も若いお母さんたちによく言う。
「お金は取り戻せる。けれど、時間だけは取り戻せない。子育ての季節、なんか世の中から取り残されたような、寂しいような、自分は評価されないような、妙な不安があることも理解できる。しかし、何にも勝って一人の命を育んでいくということは、素晴らしい有意義なことだから頑張ってd(゜ー゜*)ネッ!」

主よ感謝しますー!!


1月14日(金)

「愚か者は怒って自ら滅び/無知な者はねたんで死に至る。」(ヨブ5:2)
あなたは怒りに駆り立てられて生きていませんか?過去の痛みを反芻して怒りを貯め込んだり、爆発させてはいませんか。怒りは他者を傷つける以上に、あなた自身を傷つけてしまいます。あの人はすっかり忘れているのに、怒りを貯め込んだあなただけが苦しみます。赦した者勝ちです。赦さない決意を解除し、赦しを宣言し続けましょう。


前にも書いたとおり、ここ数年間、この「赦す」ということが、私にとってテーマであった。
怒りを溜め込んでいる時、自分の心がボロボロになっていくことを、身をもって実感している。
私はよく、冗談半分、本気半分で、夫に対してこう言っていたことを思い出す。
「子供たちが大きくなったら、う~んとそうね~、あたしが40歳くらいになったら、あなたに復讐します」 (笑)
そして、その思いというのは、私自身を尚も傷つけていくものでしかなかった。

主は本当に生きて働いておられる。
私の心を蝕んでくる、「苦い根」を主によって取り去っていただこう。
主によって癒され続けていこう。
主よ感謝しますー!


1月15日(土)

「人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。」1テモテ6:18
今、世の中には自分の利益のみを追求する人々で溢れています。しかしそれでは本当の幸せを掴み取ることが出来ません。聖書は、他人の利益を追求するように教えます。それは損をしているようでも、実は回り回って自分に利益が返ってくるのです。報いて下さる神様は生きておられますよ。


はいっ!!あーめんっ!
先ほど、教会の友人から電話がきて、「10時に友人がウチに来るの、その友人は、女一人で障害者の子供を育てながら頑張ってる人なの、私に神様がいるってことをあなたが教えてくれたように、その人にも教えてあげたいのっ。そんでね、その友人、あなたのことを知ってるって言ってたわー、お願い、あなたもウチにきてー」
!!!
すげいすげい!
そして、その電話を切ったあとで、この黙想メールを開いた。
わっかりましたー!主よ!!
今日は午前中、ミクを送りながら安物の洋服探しでもしようかと思ってましたが、やめにします(笑)
そこに時間を使うことにします!!
もしかして、いや、たぶん、女性一人で頑張っているってことは、ネットワークビジネスがらみでしょう(笑)
しかし、その先に主が働いてくださることを信じます。
その時間を主がご支配くださり、良い交わりの時を持つことができますように。主よ働いてください。
主よ感謝します!

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