今朝の黙想34



「患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を、忍耐は錬達を、錬達は希望を生み出すことを知っているからである。」ロマ 5:3-4
アインシュタインは幼少期、言葉が遅れていたので成績は最下位でした。しかも彼は病気がちでベッドで磁石で遊んでいました。この磁石への興味が、後に相対性理論を生み出すキッカケとなりました。問題に遭遇すると切り捨ててしまいたくなりますが、その中に神様が宝を隠しておられます。あなたの問題にはどんな宝が隠れているでしょうね。


アーメン!!
どうやらこのたびの神様が私に与えた試練の中に、神様の計画があるらしい。
聖書にはそう書いてあるので、頭ではわかっていたが、心が承知しない。
いつもの事ながら、自分の自我(肉)がのた打ち回って苦しむ。
おそらく、生涯これを繰り返しながら、神様の御手によって練られきよめられていくのだろうな~と思う。
これが、「栄光から栄光へと主と同じ姿に造りかえられていく」ということなんだろうな~と思った。
祈っていると、神様は「もうすぐだ。待っていなさい。待ち望みなさい」と語りかけてくださる。
どんな宝が隠されていて、どんな神様の御業が顕されるのか、楽しみに待っていよう。
主よ感謝します~~!!


7月16日(土)

マイケル、お誕生日おめでとう(笑)


「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」詩篇51:17
私達は自分の力に頼って失敗したり、誘惑に負けてしまったりすることがあります。もう神様に顔向けできないと落胆します。しかし!神様は私達をさげすむことなく温かく迎えて下さるのです。遅すぎることはありません。悔いた心だけを持って、神様の元に立ち返りましょう。神様は私達を喜んで迎えて下さいます。



アーメン!!
昨日、ある姉妹が尋ねてきて、彼女と色々話した。
今朝の御言葉、どんぴしゃだwww

びっくりするわー。きっと彼女は今朝この御言葉を見て、確信を得たことだろう。

今朝、教会で祈っている時にも、ここを示された。
よくわかりました、主よ。
感謝しますーー!!


7月18日(月)

「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、/心をかたくなにしてはならない」ヘブル4:7
神様が私達に期待しておられることは“今”であり“今日”なのです。いつか、そのうち、またきっと…と先送りしていては、神様が与えようとしておられる恵みを受け取れません。今が恵みの時、今日が救いの日です。今日という日にどのような態度で神様に向かいますか?


わかりました、主よ。
主の語りかけに従います。
今、主が私に求めている行動。
それは「祈ること」だ。
「主との対話のなかで示されたことに従う」
これだ。
夫が倒れてから(今は元気だけど)、夫の会社についてずっと考え、祈り、主に導きを求めてきた。

今、礼拝堂は会社の事務所の2階にある。
将来は教会堂を建設したいというビジョンをもっている。しかし、これは、小さな一人一人の力が寄せ集められて成されていくのだと思っている。

夫は会社と教会の間に挟まれて、のたうち回って苦しんだ。
私も苦しんだ。
妹夫婦も苦しんだ。(妹の夫も同じ会社で働いているのだ)
しかし、この苦しみは、あってあるべくしてあったのだと、よくわかった。
教会側に立って踏ん張った事は、主がさせたのだと感じる。
教会が個人の所有物であってはならない。
教会は神様の身体だ。

私は、暴言を吐いた彼をなかなか赦すことが出来なかった。
経済的にも我が家は追い詰められた。
しかし、神様は、「赦しなさい、彼を愛しなさい、彼を愛で祈りなさい」と私に語り続けた。私の肉は承知しなかった。そして苦しんだ。

神様以外に頼るところがないところまで、我ら夫婦は追い詰められた。
そして、この一連の出来事の中から悟った。
全部、神様がなさっていたのだと。
教会は、専従の牧師を迎えることになり、霊的に「一人の財力を持つ力ある人間によって成り立つ教会」から、出エジプトする季節を迎えていたのだ。
前のお医者様の教会から分離してきたのも、そこに神様の語りかけがあったのだった。
そして、今回はまさに、実質的に分離することではなく、「霊的に出エジプトさせよう」と、神様が教会に働いたのだと思う。
イスラエルの民がモーセのもとで出エジプトしていった時、エジプトのパロ(王様)を頑なにさせたのは、神様だった。
神様の栄光が現われれるために、あえてパロの頑なさを用いた。
これと同じような事が、教会に起こっているように感じる。

教会設立の過程について文集を発行したのだが、そこの序文で、協力教会の主任牧師が書かれていた言葉を思い出した。
「愛と赦しの溢れ出る教会へと成長していくことを願います」
これだ!!
「愛と赦しの教会」にさせるために、私達に、あえて赦しがたい体験を通らせたのは、神様だ。
私が個人的に徹底的に主から訓練を受けたことも、この「赦す」ということについてだった。そして、その訓練は今も続いている。
「赦す」というのは「意思」なのだ。
感情ではない。
「意思」を発動させた時に、神様が感情を癒してくださるのだ。
自分の力ですることでないのだ。
聖霊を受ける。これしかない。
最近、やっと少しずつこの事がわかってきた。

主に従うことが出来ますように。
主よ、私をあなたの御霊で満たしてください。
主よ感謝します。


7月21日(木)

「悪い言葉を一切口に出してはなりません。ただ聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」エペエソ4:29 
人間関係を破壊する核兵器を廃棄しましょう。その核兵器とは、言ってはならない言葉、非難すること、批判すること、比較すること、レッテルを貼ること、侮辱すること、恩を着せること、皮肉を言うことです。逆に、人を建て上げ、聞く人達が益を受ける言葉を語りたいものです。


アーメン。
人間にとって、この舌を制御することというのは、本当に難しい。
自分の心をほっといて、そのままでいたら、原罪を持った肉は、悪魔の喜ぶ言動をとってしまう。
だからこそ、罪と死と呪いの法則のなかで生きているところから贖われて新しい次元に招きいれられることでしか、神様の言われることに従うことが出来ない。
たとえ新しい次元に生かされるようになった、イエス様の十字架によって贖われたクリスチャンでも、肉体をもってこの地上で生きている間は、毎日が戦いだ。自分との戦い。暗闇の霊力との戦い。

私は切に神様に求めます。
私の内側をきよめてください。人は心の中にあることをついつい唇が語ってしまいます。また、心の奥にある無意識に突き動かされて行動をしてしまいます。ですから、内側がきよめられることを願います。
主よ、私の内側をあなたさまのきよい御霊で満たしてください。
今日も十字架の御血潮によって洗い流してきよめてください。
そして、聖霊で満たしてください。
今日、私が出会う人に、その人を建て上げその人を励ます言葉を私の唇が語ることができるように、助けてください。
尊き主イエスキリストの御名によって祈ります。あーめん。

7月22日(金)

「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」ルカ5:5 
一晩中漁をしても魚を捕れなかった漁師に向かって、イエス様は「網を降ろせ」と言われた。漁師達はちょっとカチンときたが、イエス様の言葉に従った。すると夥しい魚が捕れたのだ。信仰とは従順です。神様は生きておられ、生きておられる神様の力を解放するものは従順です。静的な信仰から動的な信仰にスイッチしましょう。


アーメン!!
クリスチャン以外の人には理解できない「動」がある。
それは、弟子たちに神様が「網をおろしてみなさい」と言われたように、行動として起こす事を示すなかに「見えるものをみないで、私に信頼して祈っていなさい」と神様が命じる時がある。
「祈る」「待つ」という行動を要求される時がある。
私は今、まさにそれを命じられている時だ。
もともと行動派の私にとって、これはかなりきついことなのである。
一切全てを神様に委ねて、神様から示された事のみ行動を起こす。
今、ここにおかれている。

自分の考えた事、自分で「これだな」と思って行動を起こした事、全て塞がれた(笑)
人生の中で、そういう時ってあると思う。
何度か体験してきたが、今回のレッスンは厳しい。
すごい孤独感に襲われる。
しかし、神様の臨在だけは濃厚にある。

常々、私自身の課題として、コイノニア症候群(クリスチャンだけかたまって、居心地のいい場所にとどまってしまう、仲良しグループ症候群)に陥ってはいけないと、肝に命じて生活している。
聖書には「大宣教命令」という神様からの使命が書かれているし、クリスチャンがこの世に対してドンドンと影響力を持って外に向かっていくべきだと、本気で取り組んでいる。
しかし、それさえも、聖霊によって成される事なのである。
最近、それがよーーくわかってきた。
私達が聖霊で満たされる時、地の塩、世の光となることが出来るのだ。
だから、まず一番に、聖霊に満たされる事が必要なのだとわかった。
それじゃ、どうやって満たされるのか。
祈り。これしかない。
世に出て行くべきだ・・・と、それにばかり目を奪われていたら、罪をもった人間はあっという間にヒューマニズムに陥って、神様の栄光が見えなくなる。そして、神様に帰すべき栄光を人間が取ってしまって、益々傲慢になっていく。

今、私が神様に命じられている行動。
祈り。祈りの中で示された事のみ行動する。
祈りによって聖霊で満たされる。
忍耐して待ち望む。

神様はおっしゃった。
「必ず、私の栄光をあなたに見せる」と。
信じます。信じて待ち望みます。

主よ、私が主に従順に従うことが出来るようにしてください。
忍耐して祈り続けることが出来るように助けてください。
イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。



8月2日(火)

「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。」(2歴20:17)
大軍に攻められたヨシャパテ王が必死で主に祈った時の神様の答えがこれです。問題が迫る時、しっかり立つのは難しい。しかも動かずにいる事はもっと難しい。でも、共にいる神様に委ねて立つ時、それは神様の戦いとなる。主の救いを見よう。


まさしく。
今の私に主が語っていることはこれだ。
本当に、問題が迫ってくるなかでしっかり動かずに立っているのは難しい。

目に見えるところに心がいってしまって、不信仰にすぐに陥ってしまう。

主よ、主に委ねます。
神様が戦ってくださる戦いですから。
勝利が約束されていますから、感謝します。
私が動かず、主に信頼しきって立っていることが出来ますように。
上から信仰を注いでくださって、聖霊で満たしてくださいますように。
主よ、頭痛がします。癒してください。疲れを取り去ってください。
イエス様の御名によってお祈りします。あーめん。

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