折れず曲がらず良く斬れる

折れず曲がらず良く斬れる

2010.09.28
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家康の問い鉄砲(関が原の乱戦の中鉄砲の音はかき消されるので信憑性は低く後世の創作説あり)、私が秀秋なら激怒して松尾山を駆け下り家康本陣を襲い首を狙う。小早川が動けば南宮山の吉川・毛利も日和見は出来ず西軍として参戦するしかない。

 関ヶ原で西軍が勝てば最大の功労者は秀秋、三成の約束通り関白秀秋の誕生。養父小早川隆景の実家毛利家を味方につけて上手く立ち回れば秀頼の天下を乗っ取る事も・・・金吾秀秋に腕と度胸があれば。

 一度も戦場に太閤遺愛の千成瓢箪の馬印を掲げることなく大阪城の蔵の中で死んだ秀頼よりも朱に黒の違い鎌の陣場織を羽織り慶長の役で蔚山倭城で明軍に包囲され危機に陥った加藤清正の救援に駆け付け自ら槍を振い敵の首級をあげるなど獅子奮迅の活躍をした秀秋の方が男だ。だけど大将にあるまじき軽率な行為と因縁を付けられて越前に減封処分を受けた。秀次を切腹に追い込んだ黒い魔の手を秀秋も感じ恐怖した事でしょう。その時手を差し伸べたのが家康です。秀次も殺生関白と云われますが今でも近江八幡市では町の礎を作った人として信長より人気がある。可愛がってくれた養父秀吉の掌を返したような仕打ちに十代の多感な少年秀秋は何を思ったか?切ないですね。

 この減封処分がなければ秀秋は西軍として戦ったと思います。関ヶ原で寝返る事はなかった。秀頼が誕生して秀次のスペア、秀秋も要らなくなったのなら秀次と同じように殺すべきだった。そうでないなら臨終の床に秀秋と北の政所を呼び手を握り涙を流して「秀頼と豊臣家を頼む」と云うべきでした。秀吉は秀秋を甘く観ました。

 関ヶ原で秀吉の二人の養子宇喜多秀家と小早川秀秋が力を併せて戦っていれば家康の天下はなかった。





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最終更新日  2010.09.29 04:06:32
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