折れず曲がらず良く斬れる

折れず曲がらず良く斬れる

2011.01.07
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招き猫(まねきねこ)は、前足で人を招く形をした、猫の置物。猫は農作物や蚕を食べるネズミを駆除するため、古くは養蚕の縁起物でもあったが、養蚕が衰退してからは商売繁盛の縁起物とされている。

招き猫の由来にはいくつかの説がある。

今戸神社説
 今戸神社(いまどじんじゃ)とは、東京都台東区今戸一丁目にある神社である。
招き猫発祥の地のひとつとしても知られる。
伝わっているところによると、江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして売ったところ、たちまち評判になったという。
これが招き猫の発祥とも言われ、現在では今戸神社は招き猫発祥の地として多くの招き猫が奉られている。また、焼物として使うこの土地の粘土が良質の物だった事から、今戸焼が栄えた事もある。

豪徳寺説
 東京都世田谷区の豪徳寺が発祥の地とする説がある。
江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった。そのときこの寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したという。和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。後世に境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになった。ちなみに、この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となったといわれる。幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も豪徳寺にある。また、同じ豪徳寺説でも別の話も有る。直孝が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをしていた。直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。それを避けられたことを感謝し、直孝は豪徳寺に多くのの寄進をした…というものである。これらの猫をモデルとしたもうひとつのキャラクターが、井伊家と縁の深い彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」である。前述のように、招き猫は一般に右手若しくは左手を掲げているが、豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、小判を持っていない。これは井伊家の菩提寺であることと関わりがあり、武士にとって左手は不浄の手のためである。そして小判をもっていない理由は「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、機会を生かせるかは本人次第」という考え方から。

自性院説
東京都新宿区の自性院が発祥の地とする説がある。

もうひとつは、江戸時代中期に、豪商が子供を亡くし、その冥福を祈るために猫地蔵を自性院に奉納したことが起源であるとするもの。

伏見稲荷説
京都市伏見区の伏見稲荷大社が発祥の地とする説がある。
他にも、東京都豊島区の西方寺起源説、民間信仰説などいくつもの説があり、いずれが正しいかは判然としない。

 招き猫のモデルは、毛繕いの動作(いわゆる「猫が顔を洗う」というやつ)ではないかという説もある。

 今日の写真は湯田温泉の守護神招き白狐です。

昔々、湯田の権現山の麓の寺に小さな池があった。その池に毎晩、傷ついた白狐がやってきて、足をつけていた。この様子を見ていた寺の和尚さんが、不思議に思って、その池の水をすくってみると、温かい。そこで池を深く掘ってみると、湯がこんこんと湧き、薬師如来の金像があらわれた。この仏像は拝んで湯あみをすると難病も治る「白狐の湯」として評判となり、温泉は栄えるようになったという。

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最終更新日  2011.01.07 23:46:41
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