折れず曲がらず良く斬れる

折れず曲がらず良く斬れる

2017.03.25
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秀吉が頭の切れ過ぎる官兵衛を警戒して豊前中津20万石しか与えなかったという説がありますが朝鮮出兵を考えていた秀吉が子飼いの軍師を九州に国替えしたのは当然でしょう。加藤・小西を肥前に配置したのもおなじ戦略からです。

黒田官兵衛は小牧・長久手合戦後、山崎城を含む播磨国宍粟郡を与えられ5万石の大名となっている。


九州平定後の天正15年(1587年)7月3日、馬ヶ岳城をはじめとする豊前国の中の6郡(ただし宇佐郡半郡は大友吉統領)、およそ12万石(太閤検地後17万石以上)を与えられた。

石田三成・近江佐和山19万石、加藤清正・肥後熊本19万石、福島正則・今治11万石(秀次切腹後・尾張清州24万石に加増)蜂須賀家勝・阿波一国(17万3千石)

秀吉は子飼いの武将には20万石前後の領国しか与えていない。黒田官兵衛は長政が関ヶ原の功績で福岡54万国の大大名となり豊臣恩顧の大名ながら取りつぶしを免れ明治維新まで存続した。当然藩祖官兵衛は神君家康と同じ扱いで実像より思い切り持ち上げている。

秀吉が天下を取れたのは軍師官兵衛のお陰ではなくチーム秀吉のお陰、黒田官兵衛はチーム秀吉の一員に過ぎない。豊臣家の宿老蜂須賀小六(正勝)が阿波一国(17万3千石)ですから秀吉が官兵衛を警戒して領地を少ししか与えなかった訳ではありません。

もうひとりの軍師竹中半兵衛は5000石です。





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最終更新日  2017.03.25 11:11:21
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