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お疲れさまです。
耳なし松浦です。
年末ひいた風邪から、中耳炎になり、鼓膜が破けたのが2日の朝でした。
その日の夜は耳が痛すぎて眠れず、咳や鼻をズビズビしながらトイレに起きたのでした。
ふと気づくと階下に水の音。祖母はキッチンで料理をしようとし、プラスティックのボールをガスコンロにかけて危うく火事になったことがあり、急いで1階に降りると祖母がに漏らしたうんちを流しで洗っている音でした。
祖母のおしりを拭いてやり、汚れた床を拭いていると、数日前からひいている風邪で祖父も認知症が進んでしまっている様子。怒鳴るように祖母を叱り、祖母も不明瞭な言葉で返す中でズグっと耳の奥が鳴り、鼓膜が破けたのでした。
痛かったのですが、我慢しながら拭き終わり、祖母にパンツを履かせて祖父母を寝かしつけ、ズボンとパンツを洗いまた寝ました。
もうこのあたりの記憶が曖昧ですがそんな新年でした。
そのまま4日まで寝込み、5日だかに墨田の病院に行き、それからあっという間に今日です。
体力がない状態で仕事をすること、お金を稼ぐことは本当にしんどいということが身にしみました。
僕はいままで元気印で体力任せな仕事をしており、それはある意味楽なやり方でした。
どこかをかばいながら、気にしながら仕事をするのは、逼迫した何かを思い続けるような、追い立てられる感覚で、どうにも大変でした。
年末年始で僕はすっかり気を落としてしまいました。未婚で低所得な中年は、周囲にとって害悪になりかねません。
僕はすっかり将来というものにそのような達観を抱いてしまっており、
同時におそらくはもう少し真面目にやるべき立つ瀬に来ているのだと覚悟しました。
ゆえに、新年からはもう少しお金のことを考えた生活設計を心に決めるのでした。
以下、お正月からの、あったことをザクザク書きます。
正月すぎ、ホームレスの若者2名から電話が同じ日にあり、それぞれ対処しました。
一人はその日のうちに受け入れして、もうひとりは受け入れる体制を作っていたのですが連絡が途切れてしまいました。
ぼくはできるだけできることをするだけなのですが、心が麻痺していくのは正しくないなと思っています。
先週日曜日は町会の餅つきがあり、朝から昼すぎまでお酒を飲みながらお餅をついていました。
その後は定食屋さんや飲み屋さんに連れて行かれ、夜まで飲ませていただきました。
そこで今していることを話したら、地域の顔役から保護司になったほうがいいと進められたけど、これもう少し稼ぐようになって余裕が出てからじゃないと出来ないやつやんけ!
もう少し生活に余裕が出てからやろう。
昨日、週末に実家に帰ると家族にラインをしたら、母親から帰ってこなくていいと電話がありました。
祖母を施設に入れる方向で動いていて、なんとかなるからそっちで仕事なさいと。
週末サイモンと会う予定だったのはキャンセルして今日色々話しました。
今日は朝からひがむこで三田さんと仕事の打ち合わせをして、家に昼を食べに戻り、その後区役所に寄って資料を受け取り区内のお店を回ってから、3時半から町会の方と打ち合わせをしました。
その後、ハイチに寄って郵便物を取り、少し片付けをして、えんがわに帰り、仕事をしています。
ハイチは少しさっぱりしてこれから破壊されることに気がついていないようでした。
それでもごみの山が片付けられていくのは寂しげなもので、何枚か捨てるように写真を撮りました。
そんなこんなでもうこんな時間です。
しなくてはいけないことをまとめて一つづつ片付けていくのはなかなか楽しくもあります。
ただ、自分のことに集中できる時間があるというのはおそらくとても恵まれていることで、
何に対してかわからないけど感謝しなくてはいけないなと思うのでした。
やらないことはまだたくさんあるし、耳はまだ聞こえないままです。
大変なことは色々ありますが、みんなちょっとづつ行きましょう。