マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2009.05.07
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カテゴリ: 日本史全般



高舘義経堂前から再びバスに乗り、柳之御所資料館へ向かう。その途中、田圃の中に島のようなものが車窓から見えた。奥州藤原氏第三代の秀衡が京の宇治平等院を模して建てたといわれる、特別史跡の無量光院跡だ。この寺は祖父清衡が建てた中尊寺や父基衡が手がけた毛越寺と同様、この世に建てられた極楽浄土であり、発掘調査によれば平等院の鳳凰堂より一回り大きく作られていたことが判ったそうだ。

バスは間もなく北上川方向へ左折する。国指定史跡の柳之御所は、長い間初代清衡の私邸と考えられて来た。ところが長期間の発掘調査によって、そこは藤原4代に亘る平泉の政庁だったことが判明したのだ。膨大な埋蔵物を収めているのが「柳之御所資料館」。かねがね噂には聞いていたが訪れるのは初めてのことだ。

発掘された遺物の中には中国渡来の白磁の壷や青白磁の皿も。これは奥州藤原氏の有り余る財力を物語る。大量の「かわらけ」は「政庁」には大勢の侍が仕え、頻繁に儀式を行っていた証。そして烏帽子や儀式の際の服装を墨書した「折敷」(おしき)の出土は、ここ平泉が整然とした政治体制の下に治められていたことを意味する。

井戸の跡、下駄、宋銭などからは、生活の匂いが感じられる。その典型は「ちゅうぎ」(ちゅうは竹かんむりに寿)だろうか。これは当時のトイレットペーパー。つまり排便時には木製の棒を使用していた訳だ。厠(トイレ)からは当時の人々が食べた、瓜の種なども出土している。ここで往時を偲んで一句。


35) 四代の 栄華の跡や 春の夢  <柳之御所跡>


先に世界文化遺産候補として申請したテーマは、「平泉と浄土思想」。そしてその候補となった構成要件は、1)中尊寺 2)毛越寺 3)柳之御所遺跡 4)無量光院跡 5)金鶏山 6)白鳥舘遺跡 7)長者ヶ原廃寺跡 8)達谷窟 9)骨寺村荘園遺跡 であった。昨年の暮れだったか世界遺産の事務局から再検討を求められ、6)以降の4件を除外して再申請手続きを取ったが、とても残念なことだ。これはあくまでも一時的な措置と聞いている。

ひょんなことから夫婦二人で平泉へ花見に行くことになった今回の旅。たまたま妻がメモ帳と筆記用具を持っていたことから、偶然下手な俳句を作ることになった。また、待ち時間がありJR一関駅の改札口を出て少しの間だけ市内を散歩したことが、東北の歴史を振り返るきっかけとなった。全て偶然から出た俳句と歴史の旅だったが、さらに紀行文を書くと言う課題にも挑戦することになった。

ろくろく知りもしない東北の歴史に加えて、全く出鱈目な俳句作り。恥を曝すのは承知の上で挑戦した紀行文だが、今は拙いなりにも書き終えてほっとしているのが正直なところだ。歴史の真実を極めることは、俳句が上達することよりもさらに困難な作業を要する。日本史の謎が少しでも解けるよう、今後も呆けた頭をより一層絞って考えたいと思う。11回(第5回がダブっていたため訂正)にも亘る駄文に付き合って下さったことに心から感謝し、筆を置きたい。<完




 1)「川の道520km」関係。今日の午後、大会事務局のHPを確認したところ、完走者の名簿が記載されていました。応援していた秋田のJunさんは第6日目まで走り続け、制限時間の約50分前に、ゴール地点の新潟市に無事到着したようです。タイムは131時間12分20秒で第31位の成績でした。同じ走友会のDさんも19位で無事ゴール。かつて「佐渡島一周」を走った仲間のT内さん(千葉)が9位で、S潟さん(神奈川)が37位でゴールされていました。多くの走友が頑張って完走出来て喜んでいます。

 2)「萩往還道」140kmの部に出ていた大崎市のT田さんは無事完走。T田さんおめでとうございま~す。一方250kmの部に出ていた長野の走るナースさんは、200kmを越えた地点で残念ながらリタイヤしたみたいです。皆さんそれぞれ良く頑張りましたね~。お疲れ様でした








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Last updated  2009.05.07 16:28:29 コメント(4) | コメントを書く


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