マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2010.01.18
XML


 長い間奴隷が築いたとされたピラミッドが、農民を主体とする労働者によって造られたとの説を打ち出したのが早稲田大学の吉村先生だった。土曜日の夜に放送される「世界不思議発見」は私が好きな番組だが、先生がその証拠に挙げたのがビール。何と工事に携わっていた人々がビールを飲んでいたことが確かめられたとのこと。奴隷ならビールを与えられるはずはない。

「へえ~」、と言うのがその時の感想だが、最近になって新たな証拠が発見された由。それは「労働者の墓」と記された標識と墓で、ピラミッドからさほど離れてない場所に墓があったようだ。もし奴隷ならわざわざ墓を造ることもしないだろう。そして今回は「パン工場」も見つかった由。ピラミッドからさほど離れて無い場所に集落を作って、労働者達は家族と暮らしていたのだ。

 王の命令でピラミッド建設に従事していた労働者は、案外安定した生活を送っていたのかも知れない。そうでなければ「パン工場」があったり、労働の後でビールを飲み、家族と過ごすことも出来なかったと思う。過酷な条件で奴隷によって造られたと思われて来たピラミッドが、王のために喜んで造られたとなれば古代エジプトのイメージは相当変わってこよう。

 国内では、奈良県桜井市の茶臼山古墳から大量の銅鏡の破片が出土した。分析の結果少なくとも13種81面分の鏡に相当するとか。同古墳は3世紀末から4世紀初めにかけて築造されたと考えられる前方後円墳で、注目されるのは魏の皇帝から卑弥呼が贈られたとされる「三角縁神獣鏡」が多数混じっていることだ。

 この古墳は卑弥呼の墓とされる箸墓古墳にも近く、かなりの権力者がこの周辺に存在したことは確か。卑弥呼が鏡をもらった魏の年号正始元年(西暦240年)銘の銅鏡も出ていることから、墓の主が倭の国王に相応しいと考える研究者も多く、今後邪馬台国と大和王権の関係を解き明かす鍵となる可能性が高いようだ。

 巨大な前方後円墳を造営するには相当の労働力を必要としただろうが、当時そんな大勢の奴隷がいたとは考え難い。工事に従事したの人は、果たしてどんな暮らしをしていたのだろうか。きっと辛い作業だったのだろう。ともあれ、奈良盆地の場合は地面を掘れば、必ずと言って良いほど遺跡が現れると言うのが凄い。

 それにしても奈良県は不思議だ。平地は奈良盆地を中心にしたほんの僅かばかりで、東西には山が聳え、南部には広大な紀伊山地が横たわっている。良くそんな地形の場所に都が置かれたと思うのだが、百済や新羅からわが国にやって来た朝鮮半島の渡来人にとって、明日香周辺は故郷に良く似た地形だったそうだ。

クール





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.01.18 19:25:57 コメント(6) | コメントを書く
[考古学・日本古代史] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: