マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2010.03.08
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カテゴリ: 日本史全般


 さすがは太閤秀吉や家康に見込まれた小十郎の城だけある。片倉家は仙台伊達氏の一家老ではあるが、特別の配慮により江戸に大名屋敷を置くことが許されていたし、仙台城下では大橋を渡った追廻地区の角に屋敷があった。場所は大手門のまん前だから、まさに別格だったのだろう。因みに伊達の家臣では城主と親戚関係にある「一門」が最有力で、家老の片倉家はそれに次ぐ「一家」扱いだった。

 階段を登って櫓へ入ると中に3人の老人。きっとボランティアの管理要員なのだろう。ヒノキの良い匂いが漂って来る。中はいたってシンプルで、甲冑は軽量の模造品。現存する最古の小十郎の肖像画(仙台市博物館蔵)は明治期のもので、この時点で残された甲冑類は皆無とのこと。道理で展示物が少ない訳だ。

 櫓の最上階から見渡すと周囲のほとんどが山で、わずかに東方が開けている。ここ白石は狭い谷あいを奥州街道が通る要衝の地なのだ。鎌倉時代の初頭、頼朝は奥州藤原氏を追討するために28万騎もの大軍を送った。迎え撃つ西木戸国衡は4代藤原泰衡の異母兄で、率いる手勢はわずか2万騎だった由。白石の地で勝利した頼朝軍はさらに平泉へと進軍し、ついに奥州藤原氏は滅亡する。

 ここ白石は、戦国時代にも激しい合戦の場となった。初代城主白石氏はやがて伊達の家臣となる。天正19(1590)年には秀吉の奥州仕置によって蒲生氏成が入城。蒲生氏の国替え後は会津若松が本拠の上杉領となり、昨年の大河ドラマ「天地人」でパパイヤ鈴木が扮した甘粕景継が入城する。そして慶長5(1600)年、伊達が上杉を破り再び白石を手中に入れた。

 そんな経緯から、政宗は最も信頼がおける片倉小十郎景綱を交通の要衝である白石に置いたのだろう。そして彼の力量を買う家康も「一国一城令」に反してまで、白石城を残すことを許したのだと思う。ネットの知人らむかなさんはかなりの城好きだが、白石城が再建された際にわざわざ訪れており、本格的で素晴らしい城だとほめていた。

 1987年の大河ドラマ「独眼竜政宗」では、政宗の父輝宗役を北大路欣也が、母義姫役を岩下志麻が、政宗役を渡辺謙が、政宗の正室愛姫(めごひめ)役を桜田淳子が、片倉小十郎役を西郷輝彦が、そして小十郎の姉喜多役を竹下景子が演じていたことを懐かしく思い出す。

 大櫓を出た後、城内の公園へ向かう。その一角に第18代横綱の大砲(おおづつ)万右エ門(1869年~1918年)の銅像あり。身長192cm、体重132kgの横綱は当地の出身で、当時としてはかなりの巨漢だったようだ。横綱になって以降の成績では、何と「引き分け」が多かったので有名らしい。<続く>





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Last updated  2010.03.08 19:24:29 コメント(8) | コメントを書く


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